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トランスジェンダー目線での「リリーのすべて」感想【微ネタバレ有】

ひろです。

あけましておめでとうございます!

本年も宜しくお願いします🎍



さて、お正月はNetflixが大活躍でした。

時間があるのでちょっと長めの映画をと思い、以前より気になっていた「リリーのすべて」を観ることにしました。

以下、概要です(Wikipediaより引用)

原作は世界初の性別適合手術を受けた人物・リリー・エルベを題材とした、デヴィッド・エバーショフによる小説『The Danish Girl』(2000年刊行、邦題: 『世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語』、本作の公開に合わせて『リリーのすべて』のタイトルで再出版)である。

男から女になったMTFさんの話です。

大した考察とかはしてないですし本当に感想文レベルなんですが、思った事とりあえず書いてみます。


まず、性の目覚めのシーンについてはイマイチピンと来なかったものの、描かれ方としては良かった気がします。ショッキングなものとして捉えやすかった。

胸にずしっと来たのは、オペ決定からオペ後までの流れですね。

今は日本の場合国内で手術済ませるトランスジェンダーも多いのですが、僕もリリー同様に自分の意志で単身海外渡航し性別適合手術を受けたので、個人的に境遇被るところが多くて。

ドイツに向かう汽車の中でリリーは心弾むような表情をしていて、オペ前もみんなの前で気丈に振る舞っていたけど、一人になった瞬間涙が溢れるシーンがありました。僕はあの涙を恐怖心の現れと捉えたんですが、異国で一人ぼっちでワケのわからんオペと戦わないといけないというのは僕も実際本当に怖かったし、嬉しくはあったもののオペ直前は相当ナーバスになった事を思い出さずにいられませんでした。

今の時代に比べ、当時の方が遥かにトランスジェンダー的な存在は嫌悪されるものだっただろうし、オペ手法も確立してない、極めて過酷な環境下であったと推察します。そんな中でも手術を決断したリリーの思いというのは並々ならぬ意志だったと思います。作中では繊細そうに見えるけど、本当に本当に、強い女性じゃなきゃこんな事できないです。

リリーが術後ボロボロになってる時に、エイダが病室に来て寄り添ってくれるシーンにおいては、よかったなぁ、心強いやろうなぁ、と僕は我が事のように安堵しボロ泣きしました(笑)


という感じなんですが、当事者目線でこの映画を観て本当に良かったのは、思い出の振り返りではなく、トランスジェンダー当事者のそばにいる非当事者の思いを理解できたことに尽きると思います。


リリーの妻、エイダ目線でこの映画を観るとただただ辛いし痛ましいものでした(一般視聴者的にはエイダに感情移入される方が多いんでしょうか)


展覧会を終えたエイダがリリーに向かって、私はアイナーに見に来て欲しかった、アイナーに帰ってきて欲しい、努力はして欲しい、と切実にリリーに訴えるものの、それには応えられないと告げられるシーンなんかは目を背けたかったです。

僕はトランスジェンダーで、つまりリリー側の人間なんですけど、愛する人を失いたくないエイダの気持ちも凄く理解できたので。もしトランス前の僕を愛する人がいたならこんな思いをさせてたのかもしれないなと思いました。

オペを決断し汽車でドイツへ渡るシーン、見送るときは気丈に振る舞っていたエイダが別れてから涙が止まらない姿も、愛する人へのエールを送りつつも不安で怖くてたまらない本音を隠しきれなかった、本当に苦しくなるシーンでした。

当時は前例のないオペで(子宮移植は現在も不可能とされています)生きて帰って来れる保証もない、また成功してもしなくてもアイナーとはもう会えない、そんな耐え難い現実を背負わなくちゃならないエイダが可哀想で。

でもエイダもまた、強い女性でしたよね。自身の葛藤に加えて周囲の批判だってきっと相当にあったと思いますが、アイナーからリリーへの変化を最後まで支え応援し続ける姿に、本当の愛を見ました。



今となってはLGBTQはそれなりに社会に浸透しつつあります。生まれ持った性別に違和感を持つ人間は、専門機関でトランスジェンダーという診断を受ける事ができますし、確立された安全な手段で、性別適合手術を受ける事が可能です。

そうした現状は、リリーや、歴史に残る残らない関わらず、沢山の当事者の歴史の積み重ねがあってのことなんですよね。

そうした方のおかげで今の我々があるという事を胸に生きないといけないなと思いました。


トランス当事者、それを支える非当事者の方には特に必ず観てもらいたい映画です!










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