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2024年4月29日 白玉ノスタルジック

何もしなかった連休中日の話、
案外読んでくださる方がいて
驚いています。
結構、皆、寝ていたのでしょうか。
「そうそう、寝てた寝てた」「眠いよね」
という感じの人が
多くいるのかもしれません。
ちょっと、意外。
でも嬉しいです。
全国にそういう人間がそれなりに
いるということかもしれません。
リアルが充実しているひとばかりではないし、
それでよいのだと思います。
ただ、表立っては何となく言いづらいですね。
なんだろう、こういう気持ちは。
さて、今日、
仲間のてまえ、何もしなかった、と言いたいところですが
実は今日、
「白玉団子」を作ったのです。

小さく、白いもちもちした団子、白玉です。
以前作ったのはいつだったでしょう。
最近の記憶も過去の記憶も曖昧な人間なもので
よく覚えていません。
ただ、小学生だった時、お楽しみ会で白玉入りのフルーツポンチを
作った覚えがあって
白玉といえば、その楽しい気持ちをともに思い出します。
白玉は作るのが簡単なわりに
特別で、楽しい食べ物なのです。
急に思いついて買い物の際に、白玉粉を買い求めました。
ちゃんと袋の後ろには作り方も書いてあります。
作り方と言っても、適切な水を入れながら、こね、
沸騰した湯で茹でるだけです。
一袋作ると、相当な数ができるようなので
半量で作成することにしました。
白玉粉はさらさらした粉ではなく、角張った小さな塊がたくさん入っています。
そうそう、こんな感じだったと思いながら、白玉粉をボールに入れます。
規定の量の水を少しずつ入れて、綺麗に洗った手でかねていくと、柔らかく滑らかになっていきます。
角張った小さな白玉粉の塊は、こねていくとほろりと崩れていきます。
粉っぽさが無くなるまで、まんべなくこねます。
袋には「耳たぶくらいの柔らかさ」と書いてあるのですが、いつものことながら、
どれくらいの柔らかさなのか、いまいち、わかりません。
少し硬さがあるので、さらに少し水を足してこねます。
弾力がある、ふっくりした感じになりました。
これが、「耳たぶくらいの柔らかさ」かと問われると、心もとない気がします。
でもまあ…これくらいでしょう。
鍋でお湯を沸かし、その中に生地を小さくちぎって、丸めた白玉粉を投げ入れていきます。
子どもの頃は嬉しくて、大きい白玉にしていたなぁと思い出します。
浮かんでくるのが待ちきれなくて、じっと鍋を見ていた記憶があります。
わりと時間がかかったのは、大きかったからでしょう。

今回は、シロップとのからみを考えて、白玉のサイズは小ぶりにしたのです。
しばらく他の作業をしていると、すぐ、
ふつふつと白玉が浮かんできました。
白玉をすくいあげ、
冷水でぬめりをとります。
水を切ります。

今回はフルーツ白玉にすることにしました。
グラスに白玉を入れ、フルーツのシロップづけと生のいちごを合わせて完成です。
シロップとフルーツの間に挟まれた白玉は、つやつやと輝いています。
ステンドグラスのようでもあり、宝石のようでもあります。
美味しい食べ物は美しいものです。
素晴らしい!

と、写真を載せたいところですが、
上手く撮れませんでした。
本当に、こういうセンスというものがありません。

甘いフルーツのシロップに浸かった白玉はもっちり、すべすべしています。
口に運ぶとフルーツの甘さと白玉の食感が合わさって、何ともいえない幸せが広がります。
白玉そのものは素朴で淡白なものですが、
それが他の素材と合わせるのには良いのでしょう。

次は、ぜんざいかクリームあんみつのようなものに、乗せたいと思ってしまいました。
こっくりとしたあんこやクリームと
このもちもちを合わせるとさぞかし美味しいでしょう。

以前に作った時がいつかはわかりませんが、
前回より、今回はかなり上手く作れた気がします。
食感やサイズがとてもうまくいきました。
「耳たぶくらいの柔らかさ」はあれでよかったようです。
小さめにしたのも食べやすく、とてもよかったです。
白玉はしっかり茹でた方がいいんだったなぁというのを思い出しました。
今回のやり方、(つまり袋の後ろに書いてある通りのやり方)を再現すれば、次回も美味しいものを作れそうです。

白玉を咀嚼しながら、
ぱっと作っても失敗しなくなったこと、
白玉作りを素直に楽しめるようになったこと
と一緒に味わいました。

人は歳を重ねると、経験値が増える一方、
気持ちはどこかで、子どもの頃に戻っていくのかもしれません。
結構な雨が降っています。
明日も雨でしょうか。
それでも、今日1日は、いい日だったと言えそうです。


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