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来夏への祈り

一年ぶりの実家は、思い出以上に安心感があった。
N県の山沿い近くにある杉原家は良くある日本家屋だが、数年前に一部をリフォームしており、和室の畳はまだ綺麗な若草色を残している。
お仏壇の精霊馬は、リフォームに合わせて母が始めた家庭菜園で採れたキュウリとナスで作ってあるらしい。
その母の声が、居間から和室へと近づきながら聞こえてきた。
「聖美(さとみ)~、もうお昼過ぎよ、いい加減起きなさい。徹(とおる)さんから電話もきてるわよ」
「……えっ、なんでスマホ鳴ってないの? うわ、電池切れてるし」
「ごめんね徹さん、今起こしたから、あと10分くらいでそっち着くと思うわ」
「10分で支度できるわけないでしょ、お母さん!」
「あらまあ、すっかり都会に染まっちゃって。小さい頃なんて、二人お揃いの半袖半ズボンで遊んでたのに、ねぇ」
「何年前の話してるの! とりあえず30分かかるって言っておいて!」
「はいはい。あぁ、あと、折角帰ってきてるんだから、お線香あげなさいよ」
「分かってるって」

待ち合わせの駄菓子屋までは、家から歩いて300mほど。
都会では味わえない健康的な陽射し、店員さんが撒く打ち水、通り過ぎる男たちからの視線、道すがら身体に浴びる全てが、否が応でも夏を実感させる。
「お、千聖(ちさと)ちゃんちの娘さんじゃねえか、えーっと...」
近所のおじさんたちは姿を見かけるたびに、名前が出てこないのに声をかけてくる。
「聖美ですよ」
「そうだそうだ、さっちゃんだ。」
「おかえり、さっちゃん。べっぴんさんになったねえ」
「当然でしょ。そのために都会の大学に通ってるんだから」
「流石だねえ。ちぃちゃんの分も頑張って......」
「もちろんです。それじゃ、待たせてる人がいるので行きますね」

お盆の時期は帰省してきた人や観光客が多く、町は賑わっていた。
近所の商店街では夏祭りが行われており、夜には花火が上がる。
今年の屋台は何があるだろうかと考えていると、駄菓子屋のベンチが見えてきた。
爽やかなポロシャツを着た徹さんが、こちらに向かって手を振る。
「おかえり、聖美」
「ただいま、遅れてごめん」
「いえいえ。ちょっと痩せた?」
「ちょっとどころじゃないよ。都会の大学生なんて、毎晩飲み会で太る一方だと思ってたのにね」
「それは偏見じゃないかな……、でも演劇なんて、身体が資本でしょ? ちゃんと食べてる?」
「その資本を磨きに磨いてすり減らす一方なので、今日はたくさん食べさせてくれることを期待しております」
「ははは、了解。それじゃ行こうか」
差し出された徹さんの手は、ゴツゴツとした岩のように見えた。

一方は都会で演劇の道を、もう一方は地元で大工の道を選んだ。
頻繁に会える環境ではない。それでも別れずにいるのは、偏に徹さんの器の大きさのおかげであると思っている。
仮に私が徹さんの立場だったら、久々の再会に遅刻するような彼女に対して、こんなに優しくエスコートできる自信がない。
徹さんは本当に良い人だ。相応しい人でありたいと、何度も思った。
勿体ないと、今でも思う。

一通り屋台を巡り終わった頃には、すっかり日が暮れていて、川の近くでは打ち上げ花火の準備がされていた。
『地元の人しか知らない花火が良く見える場所』というお約束スポットがこの町にもあり、そこで花火が上がるのを待っている。
「このあと、聖美の家に寄っても良いんだっけ?」
「もちろん。泊まっていってよ。まだまだ話し足りないし」
「毎晩メッセしてるのにね」
「足りないのは会話だけじゃないでしょ、にぶちん」
「お母さん起こさないようにしなきゃ」
徹さんと見つめあいながら、秘め事のような会話が弾む。
あでやかな髪、つややかな唇、なまめかしい首筋。
いつかの私が夢見た全てが、愛しい人の瞳に映る。
ドン、ドンドン、と花火が上がった。
一発目の音と二発目の光が、タイミング良く身体に届く。
それにあわせたかのように、徹さんがキスをした。
今まで堪えてきた感情が、堰を切ったかのように溢れ出す。
花火が終わるまで、声を殺して泣き続けた。

翌朝、杉原家総出でお墓参りに出かけた。
そこには徹さんも一緒だった。
皆が墓石をタオルで水拭きしたり、お花を備えたりする中、私はなんだか他人事のような感じがして遠くから見守っていた。

準備が整い、各々のお参りの時間になった。
皆が次々とお参りを終えて、いよいよ徹さんの番。

「久しぶりだね、千奈美(ちなみ)」

ようやく。
ようやく、私の名前を呼んでくれた。
時間にして、ほんの数秒。
1分にも満たないような間だったけれど、愛しい人が私を思い出してくれた。
それだけで、今はもう動いていないはずの心臓あたりが、温かくなる。

双子の妹の聖美は負けん気が強くて、自分で決めたことには一直線で進むタイプ。
一方の私は強く出ることができず、他人を優先してしまうタイプで、恋愛でも同様だった。
徹さんは、聖美の猛アタックで付き合うことを決めたらしい。
二人が恋人同士になったことを知った私は、茫然と町を歩いていたせいで用水路に落ち、そのまま命を失った。

亡くなったのは高校生の頃の話だが、数年経った今でも、私は徹さんを好いている。
お盆の時期だけ、現世の霊として聖美に憑けるらしく、毎年これを利用して徹さんとの想い出を増やしている。
徹さんの手、ますます大工さんっぽくなってたなあ。
花火にあわせてキスしてくるなんて、情熱的だったなあ。
そんなことを考えていたら、もう今年のお墓参りは終わったらしい。
「ほら、徹。早く帰ろう」
「ああ、今行くよ、聖美。じゃあね、千奈美」

そろそろ私も帰る時期だ。
お願い徹さん、聖美を捨てないで。
来年もまた、私の名前を呼んで。

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