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このnoteも往復書簡だよね #107

月に1回のピアノレッスンを始めました。週2回ほど自主練習しています。レッスンを受けるのは中学3年生ぶり。大学4年まではピアノが手元にあったので、たまに弾いていたんだけど。おそらく人生で初めて誰かに何を課されたわけでも、期限があるわけでもない演奏のはずなのに、「もっと上手くならねばならない」と義務感があってなんだかおかしい。小さい頃の後遺症でしょうか。昔からあらゆることで「あともうちょっと頑張れば上にいけるのに、自分でここまでと決めてしまう」と先生に言われていた私ですが、その「自分でここまで」にも達せていないからかもしれない。今は藝大卒ピアニストの練習法解説YouTubeなんかがすぐに見られて、良い時代だなあと思いました。それにしても、小さい頃どんな気持ちでピアノを練習していたのか記憶がすっぽりなくて惜しい。

『往復書簡 限界から始まる』

冒頭から他では見たことない文体で自分の本心を吐露している鈴木涼美に驚き、面白すぎて歩き立ち読みをするほどでした(彼に「危ないよと言われる」、当たり前)。

テーマは、「エロス資本」「母と娘」「恋愛とセックス」「結婚」「承認欲求」「能力」「仕事」「自立」「連帯」「フェミニズム」「自由」「男」。

「被害者として生きる」機会がたくさんあった鈴木涼美が、それでもなお被害者として生きず、むしろそれに抵抗する気持ちがあるのはなぜなんだろうか、と問うと、上野千鶴子は「『被害者』と呼ばれたくない気持ちは ウィークネス・フォビア(弱さ嫌悪)でしょう」と返す。

鈴木涼美が、夜の世界に入ったことは母との関係が大きく影響していたことを打ち明け、上野千鶴子は「ご自分の傷に向き合いなさい」と叱咤する。

鈴木涼美が夜の世界で感じ体験した男に対する侮蔑、蔑みが起点になっているので男との対話を諦めている、そうした後遺症のようなものを感じるようになってきたと明かすと、上野千鶴子は「それが夜のお仕事の授業料の一つだ」と指摘しながら、その痛みを思い胸を痛める…。

三浦瑠麗のエッセイ『孤独の意味も、女であることの味わいも』を読んだ時のように胸が詰まる思いがしました。無駄な文章が一文もないので、文筆家はすごい。上野千鶴子の結婚観はチャーハン氏に近いものがあると思った。あと子どもを持つことや仕事論、フェミニズム、最近のジェンダー炎上と表現の自由についての話もあって面白い。

本の中であった結婚制度に乗るかどうかという話に関連して、改めて結婚について考えさせられました。最近は「自己利益を最優先する女たちが大量に登場した」(それは良いことだ)と上野千鶴子が書いているんですが、私は結婚することで自己利益が最優先されなくなること、自分がコントロールできない何かが侵食してくるようなことが恐ろしいと感じます。

もっと具体的に言えば、相手の家との付き合いが(まだ発生してもいないのに)不安。こうした人付き合いへの忌避感は自分が幼い頃に目の当たりにしたことが関係していると思う。

そして、子どもを持つことは「もう自己利益を優先しない」と決断したタイミングでしか作れない気がする。なので、それは今やっていることや生活に飽ききったタイミングになるのかなと。

hattrickの皆さんにも読んでもらって、一緒に議論したいです!

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