見出し画像

【絶対に延ばさない】

ある年の授業記録から。

今日の5時間目は社会。
とある問いを出したところ大盛り上がり。
はっと時計を見ると5時間目終了時刻。
「ああああ、ごめん!途中だけどもう終わりだ」
と言うと、
「ええええーーー!!!嫌だ、もっと続けたい!あと1時間でも話していたい!」
とブーイング。

授業も途中で終わって尻切れトンボだし、もんのすごい盛り上がってるから、続けたい気持ちはある。
でも、こういうときでも、絶対に授業を続けない。
このときの熱は冷めるかもしれないけど、次時の授業を工夫すればはみ出た分は収められるし、なにより、子どもに「先生は自分の感情や都合で時間を延ばす」と判断されるのを避けるためだ。

中学校の先生方なら、次の時間の教科の先生に迷惑がかかるから絶対に時間を延ばさないのだろうと思う。
でも、小学校では、次も自分の授業だからうまくやりくりできてしまう。
この時間延びても、次の時間の教科で調整できる。
私も若い頃そうしてしまっていたことがあったけれど、こうした時間のルーズさは、必ず学級の緩みにつながる。
融通が利くというと聞こえがいいけれど、教師が勝手に都合よく時間を運用しているにすぎない。
教師の裁量でルールが変わる、みんなでワイワイ言えば学校の枠を変えてくれると、無意識に学習させてしまう。
先生がルーズなら自分たちに厳しく言えないよね、となる。

こうしたかくれたカリキュラムの積み重ねは、積もれば積もるほど負の作用が大きい。
普段、子どもたちの忘れ物や失敗には寛容な私だけど、時間を絶対に守るという強い姿勢だけは崩さない。
だから、子どもたちも絶対に時間を守ろうとするし、時間に敏感だ。
時間を守る=不寛容、もっと融通利かせてのんびりしようよと言う方もいるけれど、私は、時間は他者の権利だと思っている。
だから、時間を守らないことは他者の権利を侵害することであり、他者を大事にしないことだと思っている。
単にルールだから守れというのではなく、他者の権利を尊重するために時間は守るべきだと話している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?