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玉野競輪を文化発祥の地に!選手としてのキャリアから生まれた野望とは【後編】内藤敦選手(競輪選手/競輪選手会岡山支部 支部長)

宇野港メディアでは、岡山県の港町・宇野港エリアから、玉野市の良さを「人物」を通じて紹介しています。

今回取材したのは、現役の競輪選手であり、競輪選手会岡山支部 支部長でもある内藤敦(ないとう あつし)選手です。21歳で競輪選手になり、選手生活は26年を迎えました。

前半の記事では、競輪選手の技術力や駆け引きの奥深さを教えていただきました。伺えば伺うほど、ギャンブルだけではなくスポーツとしての面白さがあることを感じます。

後半にあたるこの記事では、競輪選手デビューまでの道のりや、みんなが気になる(?)競輪選手の賞金の話、内藤選手が支部長を務める競輪選手会などについて話を聞きました。



狭き門の、競輪選手への道

――年齢制限はあるのですか?

それがないんですよ。競輪選手のデビューに年齢制限はありません。ただ早くても17歳からとなります。

競輪選手に興味がある方は、まずは競輪選手会岡山支部にお問い合わせください。ぜひ一度お話しできたら。


――40歳を過ぎた私でも可能性が……?

もちろん(笑)!ただ、養成所の入学試験は5回までしか受けられないので、そこで合格しないと競輪選手にはなれません。


――どんな試験なんですか?

技能試験と適性試験があり、それぞれで合格者が決まります。

技能試験は1周400mのコースを2周半、つまり1,000mを全速力で走る試験です。あとは半周の200mを全力で走る試験も。タイム目安は1,000mで2分9秒、時速52~53kmくらいで、上位70~75人くらいが合格となります。現在の志望人数はだいたい400名なので、狭き門ですね。

適性検査は、背筋力と垂直跳びです。背筋は220kg~230kg、垂直跳びは70cm~80cmほしいところ。こちらはさらに狭き門で、合格は上位5名程度です。


――5名程度!

一概には言えませんが、適性試験に合格した5名がオリンピック選手になることも多いですね。

あと養成所は静岡県にあるので、デビューするまでは静岡で訓練することになります。1年間、競輪選手のマインドを学んだり、練習をしたりしてデビューという流れです。


60歳まで現役選手を目指して

――内藤選手は競輪選手として26年活躍されていますが(2024年2月現在)、長く続けようと思いながら選手生活を送っていたのでしょうか。

いえ、最初は考えていませんでした。私が養成所に通っていた頃は「競輪選手は40歳までだ」と言われていたんです。当時は競輪の売上が右肩下がりで、競輪場自体続けていくのが厳しかったので。

だから漠然と現役は40歳まで、20年間は選手でいられたらいいなと思っていました。

実際に他の選手には、怪我など色々な事情で40歳よりも早くやめる方もいます。私は長く続けられている方なので、ありがたいですね。


――ちなみに、競輪選手としての寿命は平均でどれくらいなのですか?

大体15年~17年といわれています。


――では内藤選手はかなり長く続けていらっしゃるんですね!

そうですね。もうボーナスイヤーに入っています(笑)

ただ現在の競輪選手の最高年齢は61歳なので、私もせっかくなら60代まで続けたいなと。まだまだです。


賞金は選手のモチベーションに

――競輪選手って、レース毎に賞金表が出ているじゃないですか。金額を見て夢があるなぁと思うのですが......正直モチベーションになるものですか?

……みんなお金大好きじゃないですか(笑)。やっぱりモチベーションにはなりますよ。

というか、これだけ個人情報を丁寧に扱っている世の中で、こんなに細かく年収を公表している競技はないですよね(笑)。芸人さんなんか、絶対言わないでしょ?プロ野球選手も推定だし。こんなに公表しているのは競輪だけですから(笑)

とはいえオープンにしている分、社会的責任の重さは自覚しています。だから公正公平・クリーンであることを、我々は心がけているんです。


――ちなみに、内藤選手の最高賞金獲得額は……?

もう十何年前もですが、1年間で2600万円くらいです。1レースだと100万~110万でしたね。私は大したことないですよ。


――いやいや!夢がありますよ。その分、レースにかける時間や練習量はすごく多いと思いますが。

100万円の賞金をいただいたとき、初めてお金の帯を見ましたよ(笑)

――え?!賞金って、現金で受け取るのですか?

基本的には現金です。もうレースが終わったらすぐに。


――それはモチベーションになりますね。

家族が喜んでくれたのが一番うれしかったですね。奥さんは僕と結婚してから競輪を観始めたのですが、有名な選手と走っている姿を見ると、「すごいね!」と言ってくれたりして。


子どもたちに競輪の楽しさを伝えたい

――内藤選手は、競輪選手として活躍されてきたとともに、競輪選手会岡山支部の支部長も務めていらっしゃると聞きました。そもそも競輪選手会とは、どのような組織なのですか?

分かりやすく言えば、競輪選手のための労働組合です。私はその支部長なので、選手の意見を取りまとめて権利を主張したり、コンプライアンスの義務を選手に伝えたりなどを行っています。

あとは次世代の選手を育てたい思いがあるので、主に子どもたちに向けたアプローチをしています。実はこれがやりたくて支部長になりました。


――支部長になったきっかけは何ですか?

支部長になって10年くらいは経つのですが、当時は売上が右肩下がりで、競輪場がなくなると言われていました。競輪選手として何かできることはないかと思ったときに、支部長をやってみようと思ったんです。


――具体的な活動内容を教えてください。

例えば自転車教室をして、自転車の楽しさを教えたり、お祭りなどのイベントに参加して競輪を知ってもらう活動をしたり。

少子高齢化でどの業界も人材不足だと思いますが、いい人材を早めに確保するために、競輪の楽しさを子どもたちに知ってもらえるようがんばっています。


――支部長をやっていてよかったことは何ですか?

先日、高校生が遠足で玉野競輪に来ていたんです。「内藤さん!」と言われたので振り返ると、「覚えていないと思うんですけど、小さい頃に自転車教室で教えてもらいました!あのときの一人です!」と言ってくれて。

競輪選手になるかどうかは置いておいても、これは嬉しかったですね。再会できるのか!という。「また遊びに来ます!」とも言ってくれたので、やっててよかったなと思いました。


競輪の楽しみ方は「音」

――先日の「【玉野競輪】令和6年能登半島地震復興支援競輪 開設73周年記念 瀬戸の王子杯争奪戦」では、玉野競輪場内で『うのマル』を開催していました。

2022年に競輪場がリニューアルしてからイベントが増えた印象があるのですが、普段は見ないお客さんがいるのは嬉しいですね。特に女性や子どもたち。黄色い声援があると、やっぱり嬉しいです(笑)

昔の競輪場は「古い」「汚い」のイメージがあったかもしれないですが、施設がきれいになって、イベントのおかげもあり、さまざまな層のお客さんに来ていただけているなと思います。ありがたいです。


――玉野競輪場が、ほかの競輪場と違うのはどのようなところですか?

すごくいい景色じゃないですか。目の前に日の出海岸があって、瀬戸内海と朝日が見られるのは最高ですよね。昔は年末年始に玉野競輪でレースがあったので、初日の出が見られるのが選手にとっての楽しみでした。

競輪ホテルからの景色もいいですよね。全国で初めて競輪場にホテルができたということも、選手としては嬉しかったです。

今は全国に43の競輪場がありますが(2024年2月現在)、ここまで景色がいい競輪場はありません。選手としてもモチベーションになるし、お客様としても楽しめるのではないでしょうか。

――今後も競輪を初めて観る方が、玉野競輪には多く訪れると思います。競輪初心者に向けて、競輪の楽しみ方を教えて頂けませんか?

みんなスピード感と言うのですが、僕は「音」なんです。「音」。

車輪を切り裂く音、風邪を切り裂く音、接触した時の音、選手が咄嗟に出す声、お客様の応援の声。この音が本当にリアルで、普段聞くような音ではないので、競輪場に来たら是非「音」を楽しんでいただきたいなと思います。


玉野競輪を文化発祥の地に

――最後に目標を教えてください。

まだまだ玉野市内の方でも玉野競輪に来たことがないと言う人も多いと思います。玉野競輪が、玉野の文化の発祥の地にしたいんです。

競輪はギャンブルだけではなくて、スポーツなので、競輪場に来たら競技を通して何かを感じ、少し成長するとか、そういうスポーツ文化をつくっていきたい。その一人に慣れたらと思っています。

また支部長としては、競輪選手の魅力を、一人でも多くの人に伝えていくことです。

競輪選手って体が大きいから、ちょっと見た目が怖いんですよ(笑)でも話してみると、一人一人がいい人だから、しっかりと発信していきたい。今はSNSの時代でもあるから、個人的にも発信して伝えていきたいなと思います。

またスポーツをする上での悩みや、競輪選手になりたい方などの相談などは乗りたいと思っています。競輪選手会の岡山支部はスポーツ文化を作っていく団体でありたいと思っているので、引き続きよろしくお願いします。




取材:宇野港のハルさん
執筆:小溝朱里
動画制作:ジョルダン


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