7月中旬からバイト始めたんやけど、 軽い気持ちで入ってみたらわりとがっつり 入るし、3回目の出勤くらいから 午前中は1人で店頭立ってる😂 人がとても足りないそう。 昨日店長さんが内情を話してくれて、 社員さんは公休さえ回ってないらしい。 で、この状況だとシフトを回すために9 月には本社から「ヘルプの人」(元店長さん)が 来ることになるんやけど、 その人がめちゃくちゃに「恐い」そうで。 社員さん達は 「今から胃が痛い…」 「想像するだけで涙目になる」 「本社からのメール見て今日
頭ポンポンで思い出したけど、うちの子特性もあってか他人にされる頭ポンポンがめちゃくちゃ嫌いで。年長の時、頭ポンポンする先生いて「今日も頭ポンポンされた…」って家で泣いちゃうくらいやったの。連絡ノートに書いたら即職員会議で議題に上げてくれた。 頭ポンポンの先生が「悪気は無かったんやけど、○くんの気持ちを無視してた。ごめん」って息子に直接謝ってくれたみたいで、それに対して息子が「悪気が無く頭叩くことがあるということはわかった。でも、どうしても○くんは『叩かれた、悲しい』って思って
「好きな人が映画になる」って「今日まで生きてきて良かった」案件の一つだと思うのですが、今日がその日だった。 自分は初めてキーファーの作品を見た時から、作品から声が聴こえるような気がしていたのだけど、まさに昨日映画を観てわかったのは、キーファーは小さいころから、何かの跡に声を聴いていたんだなということ(こういう人はきっと他にも居て、それをそれぞれのフィルターで受け取り、できる人はそれぞれの表現でアウトプットしてるんだろうな)。 思ってた以上に寡黙な人、そして本を読む人なのだろう
うーちゃんはしょっちゅうベランダに 出るのやけど、 その目的には 仕事(パトロール)とプライベート(昼寝、日向ぼっこ) の2つの側面があって。たぶん。 早朝まだ肌寒い時間に一瞬だけ出て 「やれやれダルいわ…」みたいな感じで 帰ってきたりもする。 今朝これパトロールの体で出たと思うんやけど いつもは塀に上がるのに、今朝はそれをせず こんなとこから覗いてるんて たぶん手抜いてるよね。 以上書いてること全て 私が勝手に思ってること。
基本夫は土日仕事やらで居なくて。 昨日みたいに、たまに家族全員休みでみんな出かけず家に居て、昼から映画観たりゲームしながらダラダラ食べたり飲んだりしてて、ふと猫見たら、ほんとに安心した幸せそうな顔して寝てたり起きてたり寝てたりで必ず団欒の場に一緒に居る。 が、夜は近所で外食するので夕方からみんな支度。そしたら明らかに「裏切られた」みたいなムッとした表情になってて… 家出て歩きながら息子と 「うーちゃん絶対怒ってたよな…」て話した。 帰宅したら廊下に💩してたわ。
私が梅田で働いていて、息子が保育園に通っていたころ。 職場の近くに、花屋とカフェを併設した洋服屋さんがあった。 並んでる花はもちろん、そこに立ってるお姉さんの作るブーケが、自分の好みど真ん中で、ほんとに誰か大切な人やお世話になった人に差し上げたくなるようなもので、いつも誰かが異動する時や、職場を去られる時に、そこでブーケを作ってもらってた。 息子も小さいころから生花が好きで、ブーケを選ぶ過程がほんとに好きやったから、あえて休みの日に息子連れてブーケ作ってもらって、その人のとこ
人生初「バズる」というやつを経験したので、こちらにも置いておこうと思った。 書けばいつか読んでくれる人はいるのだから、怠け者の私だけど、ちょっとずつ、書いていたいなと思える出来事だった。 以下。 まさに息子が一歳半くらいの時。 何を思ったのか辛抱堪らんくなって息子を抱っこ紐に入れて、行列のできるうどん屋さんに並んで入ったんよね。ほんまにどーーーっうしてもあそこのうどんが食べたくて。うどんなら息子も一緒に食べれるしいけるかも…って。 座った瞬間機嫌悪くなってあやしい雰囲気に
高校生の私だった。 なぜか元旦の朝に、ヘアカットの予約を入れていた。 私はいつも、寺尾聰さんが家に来てくれて、髪を切ってもらっている。 家(古いけど立派で素敵な日本家屋だった)でお茶菓子など用意して待っていると、携帯に着信。出ると「元旦の早朝から大変失礼いたします。初めまして、わたくし芦田伸介と申します。実は今日、寺尾にどうしても外せない用事ができまして。わたくしがお迎えに行き、大変申し訳ないのですが別のものが担当させていただきます。」 芦田伸介さん?誰だっけ…?検索しようと
顔を知っている人が、本来亡くならなくていいはずと思われるタイミングで亡くなった時、人ってこんなにショックを受けるんだな。 格差の広がりと治安は反比例すると自分は思っていて。 92年、日本人留学生の男の子が射殺された時、私はアメリカにいた。歳も彼と同じだった。 アメリカ人に「日本は安全な国だ」と浅はかな当時の自分が自慢のように話したのを思い出した。 30年たった昨日、当時親の金で絶賛留学中だった自分の、この上から目線のような、日本すごいみたいな、なんとも言えない浅慮な気持ちに
ばあばが息子に本とお菓子を送ってくれた。 荷物開けたら暖炉の薪の匂いがプワンとした。母からの荷物はいつも暖炉の匂いがする。 めっちゃ実家に帰りたくなったのでLINEで 「春休み息子連れてそっち行こかな、あかんかな…あかんよな…笑」 と探りを入れたらすぐに 「そらあかんわなー🤗」 とさっぱりした返信が来た。 いやわかってるけどさ、もうちょっとなんか無いの笑 そうそう母はそういう人だった。 もう十何年も前、長期休暇の終わり。 東京行きの新幹線が停まる駅まで母に車で送ってもらってい
昨年12月31日ギリギリ、大掃除が終わった。息子がいつも工作をしてる部屋の大量の「ゴミ」をポリ袋に放り込みながら、いつかのワイドショーで見たゴミ屋敷の住人が、自称「ダンボールアーティスト」だったこと、ゴミを溜め込む人の特徴として「幼い頃に大切なものを『ゴミ』として家族に捨てられた経験がある」と言っていたこと等思い出していた。今まさにこっそり色んなものを捨てているけど、ヤバいのかな、と知るかよ、の間でお母さんは葛藤している。 息子がそこらで拾った石ころを「メルカリで売りたい」と