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映画「アンゼルム」

「好きな人が映画になる」って「今日まで生きてきて良かった」案件の一つだと思うのですが、今日がその日だった。
自分は初めてキーファーの作品を見た時から、作品から声が聴こえるような気がしていたのだけど、まさに昨日映画を観てわかったのは、キーファーは小さいころから、何かの跡に声を聴いていたんだなということ(こういう人はきっと他にも居て、それをそれぞれのフィルターで受け取り、できる人はそれぞれの表現でアウトプットしてるんだろうな)。
思ってた以上に寡黙な人、そして本を読む人なのだろうなと思った。聴こえる声に耳を傾け、何を語りかけているのだろうと本を読み、歴史を学ぶんじゃないかなと思った。
キーファーってあんな作品を作り続けていながら、今起きている虐殺についてはどういうスタンスなのかなって思っていたのだけど(ちなみにヴェンダースはインタビューで「やったのはハマスが先だけど、報復はだめだよね」的なこと言ってて残念だった)、映画を観て、自分が10代の頃読んだインタビューで、キーファーは「なぜホロコーストを描くのか」みたいな質問に、たしかまっすぐには答えてなくて、「ホロコーストを描いているつもりはないが、ホロコーストが無ければ私の作品はこうはなっていない」みたいに答えていた(みたいなみたいにですいません、昔の記憶過ぎて)のを思い出し、それが彼の表現なのだろうなと改めて思った。自分の場合は何なんだろうな、言葉なのかな。もしそうなら、もっと磨いていきたいなとも思った。

またヴィム・ヴェンダース、チャリこぐおじいちゃん素敵に撮るんうま過ぎやろとも思いました。

来年3月からは二条城でキーファー展があり、私の「生きてきて良かった」はしばらく続きそうです。

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