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the Tenth Day YEBISU

商売繫盛で笹持ってこい♪

 こんばんは、安眠計画です。みんな儲かってまっか?

 今日は全3日に分けて執り行われる十日戎(とーかゑびす)の2日目、「本ゑびす」だった。初日を宵ゑびす、3日目を残(のこり)ゑびすと呼び、「残りものには福がある」の語源にもなった(と勝手に霊感している)例大祭だ。

 三代続けて大阪(おーさか)市内育ちの安眠計画も、もちろん現住所の氏神の一柱である某戎神社でお祓いを受け、大きな福笹をお分かちいただいた。大阪の企業には社業発展、商売繁盛を祈願して社内行事のように地域のえべっさんにお詣りに行く会社もある。ちなみに安眠の前職場では営業部のメンバーは全員参加だったし、お分かちいただく大きな熊手は、毎年サラピン(新品)になって蛍光灯が照らす味気ない職場を荘厳し、祝福していた。

 しかし先述した福笹や熊手を「お分かちいただく」という表現は神社側に敬意を表したもので、素朴な実感としては決して安くない金子(きんす)でもって購(あがな)った、もっとくだけて言ってしまえば「かった」という感じだ。現代社会ではイギリスの経済学者コーリン=クラークによる産業分類でいうところの第三次産業、とりわけて「サービス業」が遍く普及しているので、福笹という「モノ」だけでなく、バチキャワいい巫女さんに頭上で鈴をふりふり、シャンシャンしてもらうのも「サービス」を「かった」と思えてしまう。やはり若く美しい「いのち」に穢れを祓っていただくのは、ただお金を口座で腐らせておくよりよほど気持ちがいい。
 何よりあの底抜けにおめでたい祝祭空間。ドンドンちゃんちゃかとリズミカルに太鼓や鉦が鳴り、境内では御神酒が無料で振る舞われる。長かった正月休みも明け、美味しい燗酒を飲みながら、美人の巫女さんたちに祝われて「さァそろそろ稼ぎまひょか~」というスイッチを入れてくれる「区切り」としては最高のものだ。今年ももっと美味しいお酒が飲めるように、ほんで可愛い女の子と遊ぶためにも、気張らなあかん!
 えべっさんがいなかったら、俺は今ごろ完全無欠のニートになっていただろう(これは冗句ではなく本気で言っています)。

 さて前置きが長くなってしまったが、本記事では「お分かちいただく」と「かう」のあいだに横たわる(ような気がする)聖性について簡単に考えていきたい。

 関西人はお金とえべっさんが大好きだ。

大好きなお金を、お賽銭として財布ごと投げ入れる人までいる
えべっさんとはいったい何者……!?

 『記紀』にも出てこない民間信仰にもかかわらず、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱えて大笑いする恰幅のいいおじさんの、一体何が関西人の遺伝子を熱くさせるのだろう。思うに、えべっさんは七福神のなかでも唯一の「国産」の神様で、その伝道(ケリュグマ)が初春の祝福芸として、えびす人形を舞わせてみせた大道芸(恵比須回し)にあるような気がしている。俺が殊更言うことでもないが、「笑い」や「芸」というのは関西という場が共有する霊的基底のかなり核にある。言うまでもないが本朝では、芸人や商人は長らく被差別民、下層民の生業とされてきた。
 にもかかわらず他者を愉しませておまんまをいただく原初の「サービス」が、当地では神となって自己を、あるいは共同体を規定し今日に至る。その「願い」は切っても切り離せない神と人との縁として現象しており、世俗権力に弱い(というかあまりにも古すぎてほとんど世俗権力と融合してしまった)日本神道界を笑い飛ばすかのように、誰もコトシロヌシとかヒルコとは呼ばない。
 えべっさんはえべっさんなのだ。

神社本殿裏
えべっさんは耳が遠くあられるので、正面から拝んだあとこのように本殿の裏側から扉を叩いて願うならわしがある

 次にそんな猥雑で「俺ら」のためにいるえべっさんのルーツを、ときに霊感を混えながら探ってみよう。
 学界では外来の神、渡来の神とされ、専門用語でいう「客神」や「蕃神」と考えられたり、漁業の神として勇魚(いさな、クジラのこと)を神格化した寄り神=漂着神と考えられたりしている。ただ、イチ関西人の素朴な直感としては「えびす」に「戎」や「夷」という字を当てることから、あくまで中央政府(=日本語話者)にとっての「蕃神」「漂着神」であり、地方の民や東国の者にとって YEBISU というのは聖なる響きだったのだろう。もはやその音が意味するところは誰にもわからないが、ジェームス・ランゲが唱えた末梢起源説よりも、少なく見積もって仏教伝来よりも遥か昔に笑門来福の義を自ら体現されていたことは確かであると断言できる。

 俺の霊感するところでは、兵庫県の西宮系ゑびすは漂着神としての側面が強くて磯臭く、大阪・今宮系のえべっさんは「市(いち)」の神としてのスペクトラムが濃い感じがする。ウチのえべっさんからは濃厚な群衆の、市井のひとたちのにおいがする。
 そもそも大阪という地は、今のような平野が堆積する以前は瀬戸内海ルートから京(みやこ)に渡るまでの終着港、群島が広がる巨大海上物流都市であった。そこでは海の種々の産物と里の産物、野山の産物とが物物交換される、いわゆる「市」が開かれるが、そこでものを「かう」人々の悲喜こもごもを一手に引き受けたのが大阪のえべっさんだったわけである。これが江戸期にまでなると当地は大阪町人によって商業都市として発展を遂げ、かつて田の神であったお稲荷さんがそうであったように、浜市の神は商業を護る福神として篤く崇敬されていく。

海老でデカ鯛を釣りタイ(嘘回文)

 このように当地のえべっさんはもとはマーケット、市をつかさどる神であった。神話の時代、つまり現代のように人と神とのあいだが分かたれていなかったころ、山の神や海の神々が齎した幸を「みやげもの」として山人や海人が里に持ってきてくれる。これを我先にと受け取るかばかり、タダでくれくれの里人を戒め、里の物と交換する=「かう」ことを勧めたひとりの商売の天才がいた。いや、「天才」というのはまだ人の領域のことばだ。
 神。ひとりの神がいた。あたかも天界から火を盗んだプロメテウスのように、えべっさんは人々に「かう」ことと「うる」こと、商売を教えた。その神はいつもニコニコ笑っていて、釣りをすれば必ず大漁の釣果を得、商いをすれば売り手も買い手も大満足させた。それだけに飽き足らず、どんどん市を拡大し、えべっさんを長とする部族をも繁栄させた。
 彼は富の交換と増幅、互恵によってひとつの社会を、コミュニティを産んだ偉大なファウンダーであり、俺たちの祖であり、その福徳はわが国における仏教なんかよりももっと原始的な、魂の奥深いところで流れている。

 神社から「お分かちいただく」という表現は、現代では忘れられがちな神様への畏(おそれ、かしこみ)が込められていてとても素敵だ。しかし「俺ら」のえべっさんから、えべっさんが愛した常緑の笹、その青々とした生命力をお金と交換でいただくならば、堂々と「かう」と表現することでしか得られないような、根源的なありがたさがあるんやないかなぁとも思った。しらんけど。

末裔たちの一年が幸でありますように
とえべっさんも願うたはる思います


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