見出し画像

「赤銅、暴く」小説:PJ12

  はじめに

 本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
 それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
 また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。

 01話はこちら。

  目次について

 本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
 表記は「 ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕ ‬」が大きな場面転換。
 その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
 例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
 しおり代わりにご活用ください。

  12 赤銅しゃくどう、暴く

 高さ十メートルにも及ぶ、石造りの堅牢な壁。
 の外壁に囲われた〈スナド戦線基地〉の内側は、点々と設置された松明たいまつで部分的に照らし出されていて、トラゲ率いる十名の騎士と、彼らに囲まれて歩く拘束されたライガは、迷う事無く南側の小さな門へと向かった。
 彼らは途中、厩舎きゅうしゃに立ち寄って十頭の駱駝らくだを引き連れた為、少数と言えども夜闇の中で目立つ団体になっている。
 だからだろう、付近の外壁上から黒衣の兵士もまた真っぐに駆け寄り、彼はトラゲ隊全体に届きつつ、周囲には響かないぎりぎりの声量を発した。
「トラゲ隊長! スナド戦士長より、戦場までの案内を承りました! 私が先導致します!」
 背の低い兵士が言う間にトラゲは団体の中から進み出て、彼の目を見る。
「御苦労。我々は敵増援部隊の後方から奇襲するく進軍する。その様に先導出来るか」
「はっ。既に戦士長が予測しておられました。そういった経路での案内も可能であります」
「よし、頼んだ。
 ――トラゲ隊、彼に続くぞ。ライガの拘束は門を抜けてから外す」
 共和国式の敬礼を見せた兵士に背を向けたトラゲの指示に、黒衣の騎士らが短く答え、団体が再び動き出す。
 彼らの到着を見た〈スナド戦線基地〉の兵士らにより重々しい音を立てて外壁内側の小さな門が開かれると、二重に閉ざされていた空間から蒸した空気が流れ出した。
 一層深い闇の中を通り、先に進んでいた門兵らに開かれた外側の門、その先に広がる星明かりが照らす砂原に出たトラゲ隊は、ライガの拘束を解いて駱駝らくだまたがり、歩かせ始める。
 ライガはトラゲ隊の一人に拘束を解かれ、騎士が離れるや否や、意識を肉体に集中させて心音を高鳴らせた。
 周囲に規則的な心音が重く響き、ライガの肉体が滑らかに変形して、深紅の外骨格をまとう獅子へと姿を変える。
「こりゃすごい」
 緊張からか、トラゲ隊の誰かがそう呟き、それが合図であったかの様に黒衣の兵士が右手を挙げてから手綱たづなを振るい、駱駝らくだを走らせた。
 十一騎と一頭が、東へ向けて駆け出す。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 12の二

 肩で息をしながら、ジェンナロは代わる代わる迫る武器をなし、反撃の隙を見付けては剣を振るう。
 友軍の部隊から離れ単身でタロウを救出しようとした結果が、意識不明のまま砂地に伏せているタロウをかばう様に立ち回り、自身諸共窮地もろともきゅうちに飛び込んだだけだった。
 だが、ジェンナロは何も完全に無策で突っ込み、タロウの救出を優先したかった訳では無い。
 敵部隊に追い付く前、ジェンナロが一時的に指揮権を預かった〈コーア〉は、二つに別れていた。
 砂漠の走行に慣れていない馬に乗った〈コーア〉半数の部隊、遅れて来るれが戦線を押し上げ、ジェンナロが孤軍奮闘しているこの場所まで追い付く。
 フランゲーテ魔法王国の騎士団ならばと、そう確信しての行動だった。
 足を止めているエクゥルサに攻撃や回避の指示を手綱たづなあぶみで出しつつ、迫るなたや槍を受け止め、なし、敵を斬り、そしてついに、視界の隅に黒では無い、鋼のきらめきを捉えた。
「アキッレェ! 吾輩わがはい此処ここに居るぞ!」
 叫び、迫り来る無数の攻撃を無視して、ジェンナロは左腕の鎧に赤銅色しゃくどういろの剣――〈マンドーラ〉の剣身を押し当てて、思い切り振り抜く。
 その直前、二度もジェンナロの剣が持つ魔法を見ていた黒衣の兵士達は攻撃を急ぎ、ジェンナロやエクゥルサの全身に得物を突き立てた。
 高らかに、幾度もげん爪弾つまびく様な旋律が鳴り響き、ジェンナロの前方で黒衣の兵士達が赤く輝き出す。
 れは初めにジェンナロが見た現象とも、二度目に敵を怯ませる目的で短く弾いた時の現象とも異なり、数多あまたうめき声の後に、黒衣の――フェリダー共和国の人々が、膨れ上がった。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 12の三

 広大な石造りの外壁、〈スナド戦線基地〉の南東部に当たるその上で、観測班である黒衣の兵士達が動揺の声を漏らしていた。
「だっ、誰か、彼処あそこに〈獣化装具じゅうかそうぐ〉を配備していると聞いた者は!?」
 観測班長である中年の兵士、彼の声に答える者は居ない。
「誰か! 居ないのか!?」
「恐れながら班長、あれは……違います! 獣兵士じゅうへいしとは……直前に敵兵が剣を振るった以外には……!」
 混迷のままに発せられた部下の声に、観測班長は言葉を失い、走り出しかけて周囲を見回した。
「至急戦士長へ報告! 獣兵士じゅうへいし出現、方法不明、敵軍にる物だと!」
 観測班長は裏返った声で叫び、数秒の躊躇ためらいの後に兵士の一人が駆け出す。
 その場の誰も、駆け出した兵士を見送る事もせずに、ある者は望遠鏡に目を付け直し、ある者は紙束をめくって目視で確認した事実を報告する声を聞き、書き記す作業に戻った。
 夜間の砂漠、其処そこに重く響いた破裂音は一度だけ。だが、しかし、戦場には二十体近い赤黒い獣が突如として出現し、敵味方問わずに襲い掛かっている。
 観測班長の頬からしたたった冷たい汗が、外壁上の石畳を濡らした。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 12の四

 一度目は、夕暮れの密林で。
 距離は十メートルか、それよりも幾らか遠かっただろう。
 密林に垂れめる蒸した風よりも熱い、嫌な血煙を忘れようが無い。
 二度目は、傾いた陽に照らされた〈スナド戦線基地〉、その外壁付近。
 音の源は遠かったが、さえぎる物が無い為に音だけはよく響き、グリーセオに一度目で身に染みた怖気おぞけよみがえらせた。
 そしてまた、暗夜で視界の悪い戦場に、あの音が響く。
 人間を赤黒い獣に変じさせ、戦いを強制させる、破裂音。
「――っ、フェリダァァァ!」
 嘆きとも怒りともつかない絶叫を上げ、グリーセオは眼前の黒衣を斬り、エクゥルサを走らせた。
 密集して敵味方入り交じる戦場を駆け抜け、瞬間的な判断で黒衣の兵士だけを斬り、破裂音の元へと急ぐ。
 ハンソーネに問われた信念、れはだ見付かっていなくても、一瞬で人の尊厳を踏みにじり、戦うだけの兵器へと変えさせる未知の魔法。れを目の前で幾度と無く見せられて、それでもなお、戦いたくないと言える程にグリーセオは己の弱さを尊重出来なかった。
 自身の手を汚す事よりも、一刻も早く殺してやる事。
 グリーセオはただそれだけを思い、最短距離で音の発生源へと進んで行った。
 その道中で、何人も、何人も、黒衣の兵士達を斬り殺し、浮かびかける躊躇ためらいを心中の刃で斬り伏せる。
 れを数え切れない程に繰り返して、グリーセオは眼前から駆けて来る黒衣の兵士を斬り、赤黒い物とれ違った。
 振り返れば、たった今グリーセオが斬った黒衣の兵士、その背にかじり付く赤黒い獣が視界に飛び込む。
 グリーセオはその光景に息を呑み、自身が駆るエクゥルサが突然前肢まえあしを上げた事で、慌てて正面に向き直った。
 エクゥルサが足を止めてまで攻撃を優先したのは、正面から襲い掛かって来た赤黒い獣を振り払う為だ。
 エクゥルサに蹴り飛ばされて宙を舞う獣は、しかし、これまでに見た四足獣とは異なっている。
 短く丸型の頭部、趾行性しこうせいおぼしき長い後肢うしろあしを持っていながら、なたを手にする器用な前肢まえあしがあった。
 れは猿か、鬼。
 赤黒い鬼の姿が星明かりに照らされて宙を舞い、遠い砂地に落ちる様を見て、グリーセオは左手を振るって篭手こてを短剣に変え、両手に剣を握ってエクゥルサから下りる。
 よく見れば周囲に駱駝らくだの騎兵などらず、赤黒い鬼共が敵味方無く周囲の動物――人やエクゥルサ、駱駝らくだに襲い掛かっていたからだ。
 グリーセオはの中で最も近い鬼――甲冑かっちゅうまとった騎士を襲う鬼に駆け寄り、脚を掛けつつ逆手さかてに持ち替えた右手の剣で喉笛をき斬った。
 鬼はそのまま騎士を乗せていたエクゥルサの後肢うしろあしから滑り落ち、グリーセオはれがもう動かないと認識して騎士を見上げた。
「報告しろ! どうなってる!」
 怒鳴る様に言い、周囲を警戒するグリーセオに、頭上から声が降る。
「分かりません! ジェンナロ副隊長を援護しようとして、突然……」
其奴そいつ何処どこだ!」
「あ、彼処あそこに……」
 グリーセオは問いつつちらと騎士を見上げて、彼が指差す先に視線を送った。
 其処そこには、五体近い鬼が群がる何かがある。
 グリーセオはそれを認識するや否や駆け出し、自身のエクゥルサの前を通る瞬間、エクゥルサに着いて来るよう手振りでの指示を出した。
「こっちだ化け物!」
 一人と一頭が、赤黒い鬼のぬらぬらと光る瞳ににらまれる。
 鬼の口許くちもとは、夜闇の中でも見て取れる程に濡れていた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 12の五

「…………もう一度聞かせろ」
 わずかな沈黙の後に、スナドの声が石造りの室内に響き、黒衣の兵士は戸惑いちに姿勢を正す。
「は、はっ。――先程、戦線基地南東部、二層第五、第七集落部隊とカーニダエ帝国増援部隊との交戦地点にて、獣兵士じゅうへいしの発生を確認。
 これは我が軍の〈獣化装具じゅうかそうぐ〉にる物にあらず、敵兵の武器が持つ魔法かと推測されます……!」
 黒衣の兵士は報告を終え、それを示すく軽くあごを引いた。
 スナドはその様子を見て仮面越しに眉間みけんに指を当て、数秒間瞑目めいもくした後に溜め息を吐き出す。
「……観測班は引き続き情報収集に集中せよ。それから、敵部隊の撤退を確認し次第、観測班は次の班員と交代し、この部屋に来い。
 ――交代の際、この件の口外は一切禁止とし、情報の漏洩ろうえいが発覚すれば、当班員全員を即刻処分する。気を付けろよ」
「――はっ!」
 スナドの指示に驚愕を漏らしかけた兵士はぐに表情を引き締め、共和国式の敬礼を見せて石造りの部屋――〈スナド戦線基地〉内の執務室を後にした。
 扉が閉まり、黒衣の兵士の足音が去るのを待って、スナドは革手袋をめた左手の親指の腹を噛む。
 痛みを訴える親指から徐々に痛覚が麻痺し、みしみしと爪が悲鳴を上げた所で口から手を離し、スナドは席を立ち上がった。
 板も硝子がらすも無い開放された窓枠に手を着き、執務室から見える東の景色を見詰め、奥歯を噛み締める。
「カーニダエにフランゲーテが付いただけで無く、〈紅血こうけつ〉をさらし、敵に獣兵化じゅうへいかだと……ぉ?」
 呟きは苛立いらだちをあらわにしていき、スナドは不意に振り向いて先程まで掛けていた椅子を蹴り飛ばした。
「ふざけるな! ふざけるな、ふざけるなふざけるなァ!!」
 怒りのままに蹴り飛ばした椅子を踏み付け、破壊し、椅子と分からない残骸と化すまで続けてようやく、ほんの少しの落ち着きを取り戻す。
此処迄ここまではずが無いぃ……私がっ、こんな、くそ……!」
 仮面越しに爪を立て、顔中に残る火傷痕やけどあとむしる様に動かして、壁に寄り掛かったスナドは、怒りの表情をたたえたまま滂沱ぼうだで顔を汚し、部屋の隅をにらみ付けた。
「十五……いや、二十年だぞ……私の二十年が、こんな……っ、許せるか、許して置けるか……! 誰が! 誰だ! 許せん、殺す……殺す……!」
 怨嗟えんさの独白を繰り返し、壁をうスナドの黒い影はやがて、執務室内の棚へと辿たどり着き、其処そこに置かれた小さな箱を鷲掴わしづかみにする。
 仮面の下、涙で汚れた顔は、狂気の笑みを浮かべていた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 12の六

 振り返った赤黒い鬼。
 その異様な姿は、グリーセオに悪夢でも見ているのかと錯覚させたが、乱暴に振り下ろされたなた逆手さかてに持った右の短剣で受け止め、人に近い見た目をしながらも圧倒的にれを上回る膂力りょりょくに右肩がきしめば、幻覚でさえ無い事も明らかだった。
 一体は眼前に。振り下ろしたなたに全体重を掛けて押し切ろうとするだけだが、気を抜けば確実に剣をはじかれ、二の太刀たちを許し兼ねない。
 しかし、と、グリーセオは左右に視線を走らせる。
 右からは二体の鬼が、グリーセオを殺さんと駆け出し、グリーセオに追従するエクゥルサがそれに立ち向かっていた。
 そして左にはもう一体、此方こちらは何者にも邪魔をされず、素早く駆け込んで来ている。
(――手が足りない!)
 左側から突き出されたなたを左手に握る剣で振り払い、わずかに崩れた体勢に右手で受けている力が増し、グリーセオは指に冷たい金属が触れたのを感じた。
 その瞬間、右足を軸に左へ体を回転させ、紙一重かみひとえで正面からの刃をかわし、奇怪な声で吶喊とっかんして来る左側の鬼を左足で蹴り飛ばして、グリーセオは背後で鬼の声がくぐもったのを聞く。
 グリーセオの視界には映っていないが、背後――先程まで正面に捉えていた鬼が、グリーセオが首に巻いている布を顔面に食らったのだ。
 グリーセオは狙い通りに事が働いたと認識しつつ、引き戻した左脚を今度は真後ろに伸ばして背後の鬼を蹴り、その反動を借りて正面――グリーセオの背を取ったと確信したのか、笑っている様に見える鬼、その骨張った胸を双剣でいた。
 いで聞こえたのは、右手、先程蹴り飛ばした鬼が迫る足音。
 グリーセオは其方そちらを見もせずに正面へんで膝を抱えて転がり込み、靴裏が砂を踏んだと感じるや否や両足を蹴り出し、左の剣を固く握り込んで振り向き様に鬼の背中へと柄頭つかがしらを叩き込む。
 グリーセオに殴られたのは、胸をかれた鬼。
 その鬼は体勢を崩してグリーセオにり掛からんとしていた鬼とぶつかり、グリーセオは殴り飛ばした鬼の背に追い付いて右の短剣を順手じゅんてに持ち直し、深々と突き刺した。
 背中から鳩尾みぞおちへと抜けた刃は、その先に居る鬼の心臓まで達し、グリーセオは剣を左右に揺さぶりつつ抜き放つ。
 内側をき回された二体の鬼は耳障みみざわりな悲鳴を上げながらも両腕を滅茶苦茶に振るって抵抗し、グリーセオはその腕を見詰めて左の剣を振り上げた。
 揃って宙を舞う赤黒い左腕と右腕の下に潜り込んだグリーセオが、無防備になった二体の鬼のくびを捉え、右の剣でね飛ばす。
 もう襲って来なくなった二体を無視して、そのまま駆け続けるグリーセオは、迫り来るもう一体の鬼――背を向けたグリーセオに蹴り飛ばされた個体と対峙たいじした。
 赤黒い鬼は、笑っている。
 しわくちゃに歪み、乱雑に突き出して伸びた牙がそう思わせるのか、赤黒い鬼達はいずれも、自身が斬られた時も、仲間が殺された時も、笑っている。
 その気味の悪さが、グリーセオを冷静にさせていた。
 踏み込んで来る鬼の挙動に注意しつつ、グリーセオは右手を振るい、密着し鬼の血腥ちなまぐささが分かる距離まで近付いて、瞬時に篭手こてまとった右手で鬼の顔面を鷲掴わしづかみにし、踏み込んだ脚を掛けて鬼を押し倒す。
 倒れざまに振り回された鬼の右腕、そのなたにも意識を向けていたグリーセオは、羽虫を払う様に左の剣で打ちえ、それ以上の反抗を許さないように鬼の首をった。
(あと二体……)
 胸中で呟き、顔を上げた先に、長い物が見えた。
 そう認識した次の瞬間には鼻柱が強かに打ちえられ、グリーセオはり、反射的に右手を伸ばしてれを掴む。
 かすむ視界に映ったのは、槍を手にした赤黒い鬼だった。
 その肩越しには三体の鬼と戦うエクゥルサの姿があり、鬼の増援が来たのだと悟る。
 それと同時にグリーセオはかすんだ視覚ではなく聴覚に意識をやり、背後で己の物とは異なる砂を踏む音を感じ、思い切り右手を引いて眼前の鬼を引き寄せた。
 風を切る音がして、先程までグリーセオが居たであろう地点をなたが襲い掛かる。
 グリーセオは右手に掴んだ槍を離さずに左の剣を逆手さかてに持ち替え、間近に迫った鬼の左脇腹に突き立てた。
 左の耳許みみもとで鬼のうめき声を聞きながら、グリーセオは突き立てた剣で鬼を引きり、なたが振り下ろされた方向へと振り返る。
 二体。なたを手にした鬼と、なたを棒の先にくくり付けただけの粗末な槍を手にする鬼、それらが今正いままさに、グリーセオへと刃を振りかざそうとしている。
 グリーセオは即座に左の剣を引き抜いて、捕らえていた鬼を左脚で蹴り飛ばしつつ、その場から退しさった。
 眼前で捕らえていた鬼が、他の二体に斬られ、驚愕に目をいた瞬間、グリーセオは右の脇腹に痛みを覚えて振り返る。
 エクゥルサを殺し終えた鬼が、槍を突き出していた。
「クソォッ」
 うめき声と共に突き刺さった槍を右手で引き抜き、グリーセオはそのつかを左の剣で折り砕いて槍の穂先を奪い取る。
 背後から二体分の足音。正面では槍が壊れ、ただの棒と化したのを意にも介さない鬼と、なたを手に笑う鬼。
 二度、軽く握っては開くを繰り返した右手の中の重みを確かめ、後退しつつ、不意に背後を振り返る。
 迫り来る二体の鬼の内、穂先の健在な槍を持った鬼、れを狙って右手に握るなた投擲とうてきした。
 突然の出来事に驚いたのか、槍を手にした鬼がびくりとね、喉元――鎖骨と鎖骨の間にグリーセオが投擲とうてきしたなたが突き立ち、の鬼は背後へ崩れ落ちる。
 だが、まだ三体。
(いや、気は抜けない、足音が小さい……!)
 焦燥感は額に脂汗を浮かべさせ、グリーセオは生唾をんで右脚を振り上げて砂地に突き立てた。
 そのまま砂をく様にその場で半回転し、右脚を蹴り上げて砂を吹き上げる。
 背後に迫っていた二体の鬼はまぶたの無い眼でそれを食らってうめき声を上げ、砂煙を避けた鬼がなたを振り上げて襲い来る。
 グリーセオはその鬼が振り下ろすなたを左の剣で受け止めつつ、ぶつかり合った箇所を中心に回転を掛けて右の拳――〈マクシラ〉の篭手こてまとった、鋼の拳を鬼の顔面に叩き付けた。
 剣の刃が構成する篭手こては、鬼の顔面に無数の斬り傷を付け、左の視界を奪い、グリーセオは斬り結んでいたなたなして傷付いた鬼の左手へと回る。
 その最中に右手を振るい、血を落とすと同時に短剣へと姿を変えた〈マクシラ〉を鬼の左脇腹から心臓へと突き上げる様に穿うがつ。その一連の流れの中で、グリーセオは背後から迫る足音を聞き逃していなかった。
 突き立てた右の剣で捕らえた鬼を引きって背後へと投げり、それと衝突した棒を持つ鬼は無視して、なたを持つ鬼をにらむ。
 鬼はなたを振り上げ、迫るグリーセオを見詰めて、まだ刃の当たる距離でも無いのに関わらず腕を振り下ろした。
 いや、グリーセオの左肩に、なた投擲とうてきしたのだ。
 その事実に驚愕する隙も与えず鬼はグリーセオに迫り、いびつあぎとと凶暴な爪を広げて迫り来る。
(そうか、こいつら……!)
 痛む左肩にむちを打って左の剣を振るい、グリーセオの左腕を掴んだ鬼が目と鼻の先にあぎとを迫らせ、グリーセオは右の剣を思い切り突き上げた。
 下顎から脳天へ突き抜けた刃により、鬼の口は閉ざされ、白目をいて奇怪な四肢がだらりと垂れる。
 グリーセオはその死体を突き飛ばそうとして、その先から迫る鬼に押し倒された。
 いで腹部に痛みが生じ、グリーセオは目を白黒させながらも右手の剣を鬼の頭から引き抜き、逆手さかてに持ち替えてその背――其処そこに居るはずの鬼へと何度も突き刺す。
 繰り返し奇怪なうめき声が響き、十、二十と振り下ろして、腹にし掛かる重みが軽くなり、グリーセオは転げる様に二体の死体からい出した。
 左手で腹を抑えて腰周りの革鎧かわよろいに傷はあれども貫通していない事を確かめたグリーセオは、よろよろと立ち上がりつつ周囲を見渡す。
 八体の鬼の死骸しがい、グリーセオを此処ここまで運んでくれたエクゥルサの無残な姿、数の分からない駱駝らくだ死骸しがい、そして、五体の鬼が喰らい付いていたこんもりとした影があった。
 痛みにふらつく足でその影へと向かい、グリーセオは片膝を着く。
 れは、血と肉にまみれた青碧色せいへきいろの毛と、鋼のよろいが折り重なった物だった。
「――お……おい、生きてるか、おい!」
 戦意の激浪げきろうが引き、グリーセオは両手を振るって剣を篭手こてに変え、そのかたまりに手を掛ける。
 一つ目に掴んだのは、軽い割にべったりと張り付いてがすのが困難なエクゥルサの生皮だった。
 嫌な感触に眉間みけんしわを深くしつつ、グリーセオがれを引きがすと、血にまみれていても星明かりにきらめく金属よろいが現れる。
 そして、その下からうめき声が上がり、グリーセオはそのかたまりを抱え込む様に引きがそうとして、れが息を吸った。
「やッ、やめろ! やめろ!」
 男はそう言って右腕を遮二無二しゃにむに振るい、赤銅色しゃくどういろの剣で虚空こくう牽制けんせいする。
 グリーセオはそれを見て手を離し、立ち上がってその場から数歩後退あとずさった。
「落ち着け、お前、カーニダエ――いや、フランゲーテか? 俺は」
「うおおおお!」
 グリーセオの声を聞いてか聞かずか、甲冑姿かっちゅうすがたの男が突然振り向いて吶喊とっかんし、グリーセオはつとめて冷静に赤銅色しゃくどういろきっさきにらんで左の前腕と腰の革鎧かわよろいで挟んで捕らえ、兜越かぶとごしに男の右頬を叩く。
「落ち着け! 俺はカーニダエ帝国のグリーセオ。グリーセオ・カニス・ルプスだ。〈コーア〉って部隊でも有名なんだろ?」
 グリーセオににらまれ、半狂乱状態だった騎士は徐々に目の焦点を取り戻して、グリーセオの首許くびもと――そこに巻き付けられた青い布を見た。
 しばしの沈黙の後に、騎士が力を抜いたのを感じたグリーセオは、捕らえていた赤銅色しゃくどういろの剣を離し、騎士の肩を優しく叩く。
「取りえず、撤退しよう。その体じゃもう」
「なっ、なりませぬ。タロウ殿が、味方が……!」
 いくらか落ち着きを取り戻したかと思えば再び慌て出し、先程まで居た場所に駆け戻る騎士をいぶかしみつつ追うグリーセオは、夜闇の中でも目立つ青い鉢巻はちまきを額に巻いた青年を見付けた。
 青年――騎士にタロウと呼ばれたであろう彼は、意識を失っているのか、目をつむり、血と砂埃すなぼこりまみれて静かに倒れている。
「タロウ殿、タロウ殿! ご無事か!」
 駆け寄り抱き上げて声を掛ける騎士の背中は、よく見れば所々よろいひしげて、噛み傷か切り傷か、痛々しい程に血がにじんでいた。
「おい待て、あんた……あー、名前を聞きながらになるが、あんたが先だ。その傷じゃたんぞ」
 傷を見てそう声を掛けつつ、グリーセオは自身が乗ってきたエクゥルサの死骸しがいへと駆け戻り、開いたままのまぶたを閉じさせてから腰の荷物を外して騎士の元へと戻る。
 その間に再び冷静さを取り戻したか、騎士もまた自身が乗っていたのだろうエクゥルサの積み荷を漁り、汚れた包帯を見ては辺りに投げ捨てていた。
「おい、簡単に外せる物でいい、鎧を外せ。手当する」
「医療魔法の心得が……?」
「心得はあるが道具が無い。応急処置だ」
 言ってグリーセオは騎士のよろいをこんこん、と叩き、騎士に胴鎧どうよろいを外すように促す。
 だが、彼はそれを受け入れず、倒れたままの仲間に顔を向けた。
「であれば、彼を先にてください。容態が分からない……」
「……あんたなぁ」
「頼みます」
 振り返り、梃子てこでも動く積もりの無い瞳を見て、グリーセオは逡巡しゅんじゅんの後にうなずく事で返し、青年の体をエクゥルサの死骸しがいの下から引きり出して、容態を確認するく目をり、彼が左右の手に短刀を握り締めているのを見て目を丸くした。
「……彼の名前は」
「――タロウ・サンノゼ。五年前の武勇を示す大会で勇姿を示され、三年前には庶民の出なれど、異例の早さで騎士団入りを果たし、今日まで我が国の前線を支え続けました…………吾輩わがはいの、友です」
 騎士の話に驚きをこらえつつ、耳だけを傾けて青年――タロウの容態を確かめたグリーセオは、ふと顔を上げてエクゥルサの死骸しがいを見る。
 両手を伸ばしつつ右手を振るって篭手こてを剣に変え、くらの後部に刃を差し込んで切り裂いて後輪しずわ――湾曲した木材を取り出し、それを踏み折って青年の前腕に沿う長さにして、縦に割った。
「安心しろ、あんたの友人は気を失ってるだけだ。怪我はあるが、大した事じゃない。右腕以外はな」
 話すかたわらで、グリーセオは折れた青年の右腕を抑え、形を整えてから添え木と共にグリーセオが持って来た積み荷から取り出した布で固く巻き付け、青年の首に掛けさせる。
「……立派な戦士だ。彼ほどの猛将はそう居ないだろう。こんな状態で、よく得物を離さなかった」
 そう言い、グリーセオは青年の手の中へ指を滑り込ませて開かせ、二振りの短刀を取り出し、彼の腰背部にあるさやに納めた。
「さあ、次は頑固者の騎士様だ。あんたの方がよっぽど酷いし、痛むぞ」
「は、はは、お手柔らかに……」
 戦闘に入り、四半日が過ぎようとしている頃、グリーセオは久しぶりに苦笑をこぼした。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?