「良太」 5話完結 短編小説
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昼休みに見かけたジャージ姿、それが良太の知る最後の見吉だった。
補導されたことを皮切りに、良太の知らないところで見吉が関わっていた窃盗などが発覚し、学校に通えなくなってしまったのだ。
再び顔色を悪くした教師と顔ぶれの違う警察に事情聴取を受け、良太はぼんやりと見吉とはしばらく会うことは無いのだろうという程度に考えていた。
しかし、見吉は始業式にも卒業式にも現れず、教員たちの口からその名前を聞くこともなくなった。
元々筆不精(ふでぶしょう)な見吉からの連絡はなく、ぽつりぽつりと投げかけていたメッセージも「このアカウントは退会いたしました。」の文字列に遮(さえぎ)られ、空欄に文字を打ち込むことさえ許されなかった。
坂木とも、最後のズレを残したままに声を交わすこともなく教室が分かれ、卒業式の日には姿を見かけた記憶もなかった。
高校最後の一年が始まったのと同時に、良太はこれまで気にも留めていなかった生徒とつるんでいたが、希薄な関係は一年で霧散し、流されるままに入った大学も単位の一つを落としたためにフェードアウトした。
親に急かされるまま、良太は時季外れの就職活動を始め、いま凭(もた)れ掛かっているガラスの先、二十四時間スーパーよつばと書かれた看板の下に居た。
見吉が補導される前、良太が通っていた三叉路(さんさろ)で見た自動車の流星はこのスーパーマーケットの周りでも走り回っている。
指に走った熱にびくりと驚き、首を伸ばしていた灰が喫煙所の床に散らばった。
首を無くした煙草のフィルターを灰皿に投げ、スーパーの出入り口眺めながら良太は次の煙草を咥える。
その瞬間、いつも見吉の顔が浮かんだ。
地元も違い、連絡もつかない良太の中では見吉の存在は幻影でしかない。火を点けた煙草を咥える時、良太はさながら線香をあげる面持ちでそれを燃やす。
また、良太が罪悪を覚える時、そこにも見吉がいた。
数年前に教師の指示を呑んだあの時から、見吉の幻影は事あるごとに良太の脳裏に立ち上がり、その目でただ見つめてくる。
良太の前から姿を消しても、見吉という記号はまだらに沁(し)みついて良太をくすませている。
ぼんやりと自動ドアを眺め、何度目かの灰を落とした時、店内から背の低い女性店員が出てきた。
良太よりも二つ年下の彼女は胸元の「かまち」という文字の隣、笑顔の顔写真そのままで喫煙所に近寄り、良太に手を振る。良太はそれを受けて、煙草を咥えたまま顎で入口を指した。
「センパイ、休憩長くないですかぁ?」
煙の残る喫煙所に甘ったるい声が響く。良太は「やること終わってるし。」とだけ返して大きく喫煙した。
「私も終わったんで来ました。」
返答に困る台詞は蒲池(かまち)がよく発するもので、良太は気にすることなく新しい煙草ケースを取り出す。変わらぬ動作で煙草を吸い始め、しかし視線は蒲池から大きく外して駐車場の暗闇に放る。
三回、良太が煙を吐き出した時、蒲池の「センパイって」という声が上がった。
「タバコ吸ってるとき、つまんなそ~にしてますよね。止めないんですか?」
言葉の意図を汲みかねた良太は「あ?」と敢えて乱暴に声を発したが、蒲池の顔色が変わることはなかった。
「いやだって……タバコ、別に好きじゃないんじゃないですか?」
「……好きじゃなきゃこんなに吸わないだろ。」
「習慣で吸ってるんじゃないですか。なんというか、好きよりも~……やらなくちゃなぁみたいなの、感じてて。」
良太は答えが出せなかった。
あの時から変わらず、煙草の味を感じたことは無かったのかもしれないと、一瞬思いかけ、再び見吉の姿が現れた。
蒲池の背後、年を取らない見吉はじっと良太を見据える。
見吉と目を合わせながら、肺は正直に酸素を求めるので息を吸うと、信じられない程に重たい気体が喉の奥へ流れ込んでくる。慌てて吹き出せば、思い出したかのように味蕾(みらい)が震え、苦い唾を認識させる。
煙草はいやに苦いものだった。
「ほら、やっぱり好きじゃないですよね。」
良太の視線の下、蒲池は困ったような笑顔でそう言う。
「でも、いいんだ。」
良太の口から不意にそんな返事が現れた。
蒲池が眉を寄せる間に、もう一度重たい煙を飲む。
「いいんだ。こうしてるのは好きだから。」
言葉と共に薄い煙が吐き出される。その中で蒲池の顔はやわらかな笑顔に変わっていた。
「それなら、いいんですけど。」
三度目も、四度目も、次の煙草に火を点けても、変わらず煙草は苦かった。吸う度に重たい煙が流れ込み、二本目が半ばに達したところで良太は灰皿に煙草を放った。
「捨てちゃうんすか?」
そう聞く蒲池には曖昧な頷きを返す。揃って喫煙所から出ると、ガラス張りの部屋からでは気付けない朝の紺が眩しかった。
流星も太陽の訪れにその主張を弱め、数を増やして行き交い始める。
やがて外を歩く人々が現れ、良太もスーパーから外に出る時間になった。
午前九時の青に雲を浮かべ、良太は歩く。
初めて買った携帯灰皿に苦戦をしつつ、小さな口に吸殻を捻じ込んだ。
見吉の姿は見えている。斜線の向こうから静かに良太を見つめ、その行方を追い続ける。追われ続ける。
その目が変わったように思いたいのは、今日だけかもしれなかった。
しかしその思いの中で、良太は独り言ちる。
「忘れられねぇよ。」
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