小説「剣闘舞曲」4
本作をお読みになる前に
この作品は、闘技場で行われる試合を描いたファンタジー小説です。
怪我や血の描写、魔法の要素、他にもあなたが苦手とするものが含まれるかもしれません。ご了承の上でお読みください。
また、本作は特定の国や楽器、音楽に対する批判など、作者の思想を広める意図で作られたものでは無い事を予めご理解ください。
空山非金
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4:打倒
闘技場の土を踏み、タロウは額の鉢巻を撫でた。
一つ前の試合を飾った選手達が去り、興奮冷めやらぬ会場の声に包まれ乍ら、運営委員会の人々は風と爆炎で捲れた闘技場の土を均す。
タロウが立つ闘技場、正式には『フランゲーテ中央都市国立第一闘技場・クシフォスハーモニー』と名付けられた施設は広大で、とても人一人の手で運営する事は出来ない。
タロウは目を閉じ、腰の革鞘に差した二振りの木刀に手をやった。
彼が使う木刀もまた、一人の手により作られた訳では無い。
タロウの故郷で随一の腕を誇る鍛治職人と木彫り職人が、マギニウム研究者と共同で開発してくれた、タロウ・サンノゼ専用の武器だ。
他にも、革と金属を複雑に組み合わせた動きやすい戦闘着は、剣闘舞曲祭に選手として呼ばれるタロウの為に故郷の皆が作ってくれた一点物で、拳と腕に巻いた防護布と鉢巻は子供達が作ってくれた。
タロウは全身に故郷の期待を纏い、今日まで鍛え上げた肉体で立ち、剣闘舞曲祭の最終日まで勝ち残っている。
「俺は一人じゃねぇんだ。負けられっかよ」
独り言を零して、タロウは『がつ』と両の拳を打ち合わせる。瞼を閉じて大きく息を吸い込み、タロウは空を仰いだ。
「押忍! サンノゼ海岸より来ました! よろしくお願いしまぁす!」
拡声器を使った司会者の声よりも大きな肉声が木霊して、観衆が一斉に声を返す。
ぐるりと見渡す客席の人々は皆、笑顔でタロウを迎え入れてくれた。
それを見てタロウも笑い、正面の入場口から進み出る長髪の男に目をやる。
彼は左腕に盾だけを装備していて、沸き立つ人々を横目に開始線へ向かって歩いていた。
挨拶をしない彼に対し、タロウはお前の番だと伝えるべく拳を突き出す。
その仕草に気が付いたのか、男はふと足を止めて右手で頬を掻き、観衆に軽く手を振るだけで開始線に着いてしまった。
「南側から元気な声が響き渡りました! 東岸の闘士! タロウ・サンノゼ!」
男が声を出さないのを察してか、司会者がタロウを紹介する。
再び湧き上がる歓声を、タロウは素直に受け取れなかった。
目の前の無愛想な都会人への苛立ちがタロウの意識を占有した為だ。
「そして、クールな挨拶で早くも開始線に着いたのは、北東の狂戦士! ルテニス=ササン!」
司会者の声が響き、長髪の男――ルテニスが沸き立つ観衆に右手を振る。
その様子を睨む様に見詰めつつ、タロウは開始線から一歩退いた位置で立ち止まった。
「おい! ルテニス! 声、張れよ! 皆、みぃんなお前を迎え入れてるんだぞ!」
びっと指を差して叫ぶタロウに、ルテニスは肩を竦める。
「僕はそういう人間じゃないって事だよ」
歓声の中でなんとか聞き取れる声量のルテニスに、タロウは奥歯を噛む。
「これは爺ちゃんの教えだがな、人の個性は見た目と声! 心は時間をかけて滲み出す『色』なんだ! 無いもんは無い、ゼロだゼロ! お前の声の部分がよ、お客さん方にゃゼロなんだよ!」
タロウが叫ぶ中、ルテニスの口が『よく喋るなぁ』と動いたのをタロウは見逃さなかった。
「喋るって事はなぁ――」
「剣で話せよ。タロウ・サンノゼ」
ルテニスの声が、何故かそこだけ明瞭に届いた。
その奇妙な体験にタロウは口を噤み、ルテニスの冷たい水色の瞳を見詰める。
敵意はあって、悪意が無い。倒錯した殺人者の目だと察知して、タロウは無意識に開始線を踏んだ。
「両者そこまで! 試合を始めます!」
司会者の声が響き、タロウとルテニスは無言で睨み合う。
同じ地上に立つ審判員が生唾を飲み込む音さえ聞こえる程、会場が静まり返っていた。
「第四試合、開始!」
審判員の声にルテニスが盾を構え、タロウは二振りの木刀を抜き放つ。
片刃の剣を象った木刀は刀背に当たる部分に幾つかの穴が等間隔に空いている。
タロウは殆ど長さが等しい二振りを構え、深い呼吸と共にゆっくりと滑らかな動作で体を動かした。
舞とも体操ともつかない動きはタロウの集中力を研ぎ澄まし、あらゆる感覚を鋭敏に尖らせる。
その動きを見ながら、ルテニスは待ち続けていた。
盾を構え、右手も盾の裏に隠してじっとタロウを見詰めている。
タロウが一際長く深い呼吸を終えた頃には、二分が経過していた。
「ありがとな、態々待っててくれてよ」
嫌味のつもりで言った台詞に、ルテニスは動かない。
タロウは彼が構える盾の表面、その奥で左腕に括り付けている部分に意識を集中させて駆け出した。
接近して分かったルテニスの長身に合わせ、ほんの少し狙いをずらして滑り込む形で二刀を打ち込む。
盾と木刀がぶつかり合う瞬間、タロウは木刀の柄に仕込まれた引き金を引いた。
タロウが持つ二振りの木刀、その刀背にある穴から紅炎が噴き出し、木刀を、そしてそれを握るタロウを爆発的に推進してルテニスの盾を破らんと加速する。
盾に木刀が触れ、こぉんと甲高い音がして二刀が潜り込み――そう、潜り込む様な手応えがした。
「なっ」
タロウが思わず声を漏らした時には既に遅く、ルテニスはタロウの木刀を盾で撫で付ける様に受け流す。
木刀の生み出した推進力を殺さぬまま受け流されたタロウは意図していない方向へ押し出され、爪先が土に引っ掛かってつんのめった。
土埃を巻き上げて転げたタロウは、二回転目に地面を殴って起き上がり、揺らぐ脳の不快感を必死に堪えてルテニスに向き直ろうとした。が、タロウが見たのは唯盾を構えるルテニスではなかった。
一体いつ、盾から弦が伸びたのか、ルテニスの持つ盾の表面からは六本の金属弦が飛び出して、タロウの周囲に張られていた。
「なんだよ、こいつぁ……」
言葉と共に土の混じった唾を吐き捨てて、タロウは構える。
ルテニスは相変わらず涼し気な表情で盾を構えていた。盾から伸びる弦はルテニスまでの道を作る様にして張られていて、タロウは試すように一歩踏み出し、笑った。
「こんなモン!」
叫び、手近な弦を右の木刀でぶん殴る。
思い切り振り下ろした右の木刀は容易く金属弦の一つを断ち斬り、斬られた弦は跳ね回り乍ら盾に引っ込んで行く。その様子を見てタロウはまた笑い、ルテニスへ向けて突進した。
道すがら近い弦を叩き斬り、三本、四本と斬って、五本目を左の木刀で斬ろうとした瞬間、弦が鳴いた。
目にも留まらぬ速さで弦から出現した刃が、走るタロウの脇腹を抉り、タロウは体勢を崩しかけて右の引き金を引く。
爆音と紅炎が木刀の刀背から迸り、転び掛けたタロウを飛ばす。タロウは愛刀に任せて飛翔し、眼前に迫ったルテニスへ向けて大上段に構えた左の木刀、その引き金を引いた。
「うっらぁ!」
気合いの声と共に振り下ろした斬撃は避けられ、しかしタロウは体を丸めて空中で縦に回転する。本能が導くままに左右の引き金を引き、タロウは避けるルテニスを飛び乍ら斬り続けた。
紅炎と斬撃がタロウを凶暴な花火に仕上げ、人の限界を超えた速度で生み出される猛攻に、ルテニスは盾に縋る様にして耐えようとする。
タロウはそれを見逃さなかった。
ルテニスが前傾した瞬間、二刀の発炎部を空に向けて引き金を引き、自ら地面に落ちて二刀を振り上げ、ルテニスの盾を捲り上げる。
かぁん、と一際甲高い音がしてルテニスの胴ががら空きになり、タロウはそこに跳び込んで滅茶苦茶に木刀を叩き付けた。
三度叩き、ルテニスの左腕を弾き、返す刀で鎖骨を殴り付ける。殴ったら引き金を引き、ルテニスの肩を軸に飛び上がって彼の顎に膝蹴りを入れ、その勢いで落ち様に顬を打ち据える。
ルテニスが遮二無二伸ばす右腕も弾き、胸骨に刺突を打ち込み、僅かに出来た距離を助走として左の引き金を引き、腹を殴る。撓んだルテニスの懐に潜り込み、何度も何度も殴る。
そうしてタロウの体力が切れる前に、相手の選手は事切れてきた。
今までは。
だが、タロウは突然ルテニスにしがみつかれて攻撃を封じられた。
両の腕を搦め取られ、頭突きを食らわせる形でルテニスの腹に抱き込まれたタロウは、腕を回して木刀を当てる事も、噛み付くことも出来なくなった。
そう悟った瞬間、視界を埋める地面に幾つもの金属弦が音も無く撃ち込まれ、ルテニスが一層強く力んだ。
「誘いだよ」
静かに呟くルテニスの声を聞いて、タロウの汗が一瞬で冷える。
次の瞬間、力強く鳴らされた弦から刃が出現した。
一本の弦から一つずつ現れたそれらはタロウの顔面を狙い――タロウは博打のつもりで両の引き金を引く。
濡れた麻布を破く様な、そんな嫌な音がして視界は巡り、思考が飛ぶ。
次に意識を取り戻した瞬間、タロウは鼻柱と額、それから胸の痛みに呻き、呻き乍らも左手で地面を捕まえて立ち上がった。
「いっ、いい、生きてる! 生きてるぞ!」
自分に言い聞かせるべく叫び、タロウは顔を押さえつつも辺りの様子を窺う。
タロウは闘技場の西側に倒れていたらしい。弧を描いて広がる客席を認識しつつ、タロウはルテニスの姿を探した。
正面、右、左、ルテニスはどこにも居らず、不意に足首を掴まれた。
すぐに振り向こうとして、首の後ろを殴り付けられる。
タロウの背後に倒れていたらしいルテニスが起き様に殴り掛かり、タロウは殴ってきたその腕、ではなく盾を掴み、そこからは土の上を転がり乍ら肉食獣の如き格闘戦に変わった。
思考も戦略も無い、狂気的な本能のぶつけ合い。
馬乗りになろうとして雄叫びを上げるルテニスに呼応する様に、タロウもまた鳴き声じみた雄叫びを上げて木刀を振る仕草で何も持たない左腕を振ってルテニスの頬を殴る。
その最中、タロウの視界の端で切れた弦に絡まった左の愛刀を見た。
ルテニスの顔面に右の木刀で刺突を繰り出す振りをして、宙を舞う愛刀を突き、引き金を押し込む。
紅炎がタロウとルテニスの眼前を駆け抜けて、タロウはそれを左手で受け取った。
「俺は! 刀を繋ぐ鎹だ!」
故郷の師に教え込まれた言葉を叫び、順手に握る右の木刀『火桴』の引き金を握り込み、同時に逆手に握った左の木刀『戸桴』の引き金も握り込む。
両の刃はルテニスの首を挟み込んで、ルテニスは白目を剥いて倒れた。
タロウは倒れたルテニスに二刀を振り上げる。
「しっ……そこまで! 勝者、タロウ・サンノゼ!」
審判員の声が響き、タロウの緊張の糸が切れた。
***
モーグは選手に割り当てられる客席に座り、放心していた。
第四試合、殺し合う野生動物の様相を呈して決着を迎えたタロウ・サンノゼとルテニス=ササンの戦いは、歓声よりも拍手が大きく響くという異常事態で幕を閉じる。
血みどろで倒れたまま動かない二人に医療班が駆け寄り、目を覚まして医療班の手を借りて歩く二人に対しても歓声ではなく拍手が送られ、モーグは背中で安堵の吐息を無数に感じていた。
「御来場の皆様、次の試合は準決勝戦でございます。それに際して三十分の途中休憩を挟み、闘技場内の整備を致しますので、暫くお待ちください。準決勝第一試合は、三十分後を予定しております」
案内に徹した落ち着いた司会者の声が響き、客席が俄に騒めき出した。
数千の足音が会場内を満たして、地上には道具を持った運営委員会が歩み出てくる。
土ごと取り去られる血の跡を見詰め乍ら、モーグは胸の内から噴き上がる興奮に身を固くしていた。
***
膝に置いていた手が、自らの膝を強く掴む。
タロウとルテニスの試合を観て、レベクは恐怖に震えていた。
フランゲーテ国の闘技場で行われる試合は、救命魔法が確立されてからはルールなど有って無いような物となっている。
それ故に、先の二人の様に得物を封じられても、又は二試合目のマリアンヌの様に片腕を失ったとしても、本人に戦闘の意思があれば試合は止まらず、最悪の場合どちらかが死ぬ迄試合が続行されるのだ。
無論、レベクも先の試合ではそのつもりで圧倒的体格差を誇るヘロンに立ち向かったのだが、タロウとルテニスの試合を目の当たりにして己の認識の甘さを悟った。
(僕はきっと、あそこまで勝ちに拘る事は出来ない。――そうする理由を見つけられていない)
胸中に呟いて、レベクは足の間に視線を落とす。
無機質な床材が、目の前に聳える壁の様だった。
***
闘技場内、特に客席の下に当たる空間には、幾つもの通路が張り巡らされている。
ハンソーネはその内の一つを、貴賓室へ向けて靴鎧を鳴らしていた。
兜と一部の装備は外し、右肩に紐飾りを通して簡易的に謁見用の装いに変えたハンソーネは、扉の前に立つ二人の衛兵に王国式の敬礼をした。
「ハンソーネ・トロンバ、フランゲーテ魔法国王陛下の命により参じました」
ハンソーネの言葉に、扉に向かって右側に立つ衛兵が僅かに相好を崩して返礼する。
「はっ。ハンソーネ第五師団長殿、少々お待ちください」
言って、衛兵は鎧の下から伸びる襟を口元に引き寄せた。
小声で幾つか言葉を交わし、衛兵はもう一人の衛兵に頷いてから道を空ける様に姿勢を正した。
二人が八の字に向き合うと同時に、貴賓室の扉が開かれる。
「あぁおい、グレゴール君。準決勝が始まる前にこの部屋の窓も掃除させるように。土埃と煤が溜まってきてな。これでは試合を完全には楽しめんよ」
「は、はっ! 直ちに!」
王の声に慌てて王国式の敬礼を示し、貴族風の服装をした中年の男が振り返ってハンソーネの前を足早に通り過ぎて行く。
彼が去った部屋の奥に、豪奢なソファに腰掛ける王の姿を見て、ハンソーネは改めて騎士団式の敬礼を示した。
「ハンソーネ・トロンバ、入室致します」
「入れ」
王の許しを得て暖かく保たれた貴賓室に入り、背中で扉が閉まる音を聞き乍ら、ハンソーネは王と同席している王妃と王子に向けて、一つ一つ丁寧に頭を下げる。
そうする傍ら、王が席を立つ音を聞いてハンソーネは身を固くした。
「ハンソーネ・トロンバ、先の試合は見事な勝利であった」
顔を上げた先で、壁一面の硝子窓を背に微笑む王に、ハンソーネはもう一度頭を下げる。
「お褒めに預かり、光栄でございます」
その間、ハンソーネに近付く足音がして、ハンソーネは敢えてゆっくりと顔を上げた。
眼前に立つ王の目を見て、ハンソーネは緊張感を拳に握り締める。
「だが――」
白の混じった髭が動き、王がハンソーネの首元に手を伸ばす。
王の手はハンソーネの襟元、首を守る様に立てられた胸鎧の襟部分に伸ばされ、左の辺りを軽く引っ掻く。
「少し様子見が過ぎたな。紋章に土が詰まっているぞ」
王の言葉にハンソーネは顎を引いて鎧の襟元を覗く。
そこに刻まれた騎士団の象徴たる一角竜を模した紋章には、ほんの少しだけ土が詰まっていた。王が掻き取る前は目に見えて土が詰まっていたのだろう。
ハンソーネは己の至らなさに血の気が引くのを感じて、一歩退いてから頭を下げた。
「も、申し訳ございません」
身を固くするハンソーネに、王はまた微笑む。
「いや、それ程気に病むな。お前が此度の剣闘舞曲祭を盛り上げようとする意思は伝わっている。だが、この魔王直属の騎士が舐められては私の気が済まん」
フランゲーテの王は、国の名に『魔法』の字を付けてからというものの、魔法国王を縮めて『魔王』を自称するようになった。
代々続く略称を、今代の王は特に好む傾向にあり、機を見てはそれを強調するかの様に口にするのだった。
王はハンソーネから一歩離れ、微笑にほんの少し意地悪そうな色を含める。
「次からの試合、一合目で終わらせるつもりで良い。我が騎士団の力、存分に振るって見せよ」
「はっ! 不肖ハンソーネ・トロンバ、フランゲーテ魔法国の力を示す可く死力を尽くします!」
決意を示す為に騎士団式の敬礼をするハンソーネに、王は笑った。
「馬鹿者、帰って来なければ意味が無い」
我が子を諭す様な温かい声に、ハンソーネは力を分け与えられた思いで背筋に力を入れ直した。
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