「良太」 5話完結 短編小説
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コンクリート駆ける流星の一団に入れば、遠くの街並みが早送りの星空みたいに目まぐるしく回っていった。
良太は固い表情で運転席に収まり、過ぎ去る街並みと前方の車とを見比べるようにしている。
出発から数分で角度は違えど見慣れた三叉路に差し掛かり、トンネルへ潜り込む。
トンネルに入ればか細く鳴っていた音楽もノイズに変わり、良太は意識を反響する轟音(ごうおん)の方へ向けた。
似たような音を良太は一昨日、聞いている。
高架下の安い居酒屋。足を延ばして訪れたそこで懐かしい顔と対面していた。
細長い手足で気まずそうにしながら、少し低くなった声で坂木が良太を促す。それに付いて暖簾(のれん)をくぐり、座敷で注文を待つ間、良太は苦い煙を飲む気分で坂木の顔を見つめていた。
坂木の方も机上で視線を泳がせて、良太の方を見ようとしてはやめていた。
「坂木。俺、見吉に会いに行こうと思ってるんだ。」
坂木の名を呼んでから、次の言葉を紡ぐ一瞬に膨大な体力を要した。言い終えてからは不思議と肩が軽く、しかし腹には力が入って緩まない。
「そうかよ。」
坂木は変わらず机上を睨(ね)め付け、項垂(うなだ)れたままでいる。もしかしたら坂木は机の反射に見吉を見ているのかもしれなかった。
「そこで、今言ってもしょうがないけどさ、正直な話をして、それでもし、話ができそうなら、最近の事とか、あれからの事を聞こうと思ってて、さ。」
考えて置いておいたはずの言葉はぶつ切りに、しかし坂木の顔を上げさせた。
「なんでっ、今更見吉を乱すようなことするんだよ。」
一瞬声を張り上げかけた坂木はそれを自制して、その代わり腕に力が入っていた。
「そう、なんだよ。今更なんだ。今更、謝る気になったんだ。今更。」
勝手に下を向こうとする目を押し上げ、引き上げ、見つめ続けた坂木の顔は、この場に至るまでの良太がした表情と同じ顔をしていた。
後悔も怒りも、罪悪感も、辿って行けばいずれ自分に行き着く。
そこには見吉でも、坂木でもなく、自分がいる。己の過去を全て知る自分自身の目が見つめてくる。
そこに至って良太は過去の傷に触れる道を選んだ。
それは傷であり、同時に見吉をも巻き込むエゴの不発弾だった。
「それでさ、坂木は行くか?」
今日顔を突き合わせた理由を良太が言い終えると、坂木は縮こまってぶるぶると震えていた。口からは言葉ともつかない断片的な独り言を発し、悩み続けている。
坂木の返答を待つ間、良太は煙草に火を点ける。煙の先に、見吉がいた。
「正直、自己満足でしかない。けど、俺はこれを見吉に任せて、それに納得するって決めたんだ。金でも、物でも、寄越せって言うなら渡すつもりだ。」
坂木の鋭い目が一瞬だけ良太を射抜いた。反応して震えた煙草から灰が一枚、剥がれ落ちる。
「俺は……無理だ。」
それが坂木の答えだった。
突然クラクションが鳴った。
辺りを見れば、対向車線で法定速度通りに走る乗用車をトラックが急かしているところだった。
記憶から引き戻された意識でハンドルを握り直すと、前方にぽっかりと開いた暗い口が見える。
見吉がいるのはここから一時間以上走った先、今は工場で働きながら一人暮らしをしていると、見吉の母親に教えてもらった。
地道に辿り着いた見吉の母親は、思い出したかのように息子の名前を反芻し「たしか」という言葉を繰り返して良太に応じていた。
トンネルの電気が切れ、LEDにも払いきれない夜闇の中に入る。
ぼんやりと浮かぶ見吉の顔は良太の瞳を覗く様に、静かにそこに居た。
朝も早い時間から、ぞろぞろと列を作った自動車が思い思いの白線に収まりに行く。
廃材に囲まれた中に聳(そび)える体育倉庫にも見えるその建物は、つなぎ姿の工場員を次々と受け入れていた。
その、外れ。白っぽい砂利を敷き詰めた廃材区画に良太は呼ばれていた。
敷地に入ってきては人を吐く車を眺めていると、砂利を踏む音が近づいて来るのに気が付く。
「おす、良太。ひさしぶり。」
つなぎ姿で無精髭(ぶしょうひげ)、髪だけは高校の頃より短くなった見吉が、良太が散々見てきた見吉と重なった。
少し痩せても頑強そうな体は相変わらずで、砂利は苦しそうに鳴く。
「どうしたんだよ、お前が会いたいって言ったんだろ。」
良太がぼうっと見つめるので、見吉は眉をハの字にして笑う。
「ああ、仕事前にごめんな。えっとさ……」
久々に会っても、見吉はあの時と同じ顔で良太に対面した。野性的な笑顔で自分の赴(おもむ)くままに生きる、ルールや周りに頓着しないのは変わっていないようだった。
「俺さ、言わなくちゃいけない事、ずっとあって。ずっと、高校の頃からずっと、抱えてきちゃったんだよ。こんな大人になってまでさ。それで……それじゃあダメ、っていうか、このままは怖いなって思って。」
一つ言葉を出せば、詰まる喉元から少しづつ思いが漏れ出した。まとまらない言葉を聞いて、見吉がどう思っているか、顔を見るだけではわからなかった。
「あの日、見吉が母親と学校来てて、坂木と俺と会った日、あったろ?」
そこまで話した時、見吉が得心したように小さく顔を仰いだ。
「なぁ良太、一服するか。」
見吉の提案は突然に、戸惑いながらも良太は受け入れて煙草を出した。見吉も素早く一本咥えて煙を吐き出す。
「俺さ、この一本で親父の事殺しちまった。」
口の端を上げ、下手くそな作り笑顔で見吉は煙草を指差す。
数秒間フリーズして良太が出せた声は「え」だけだった。
「捕まったのは煙草吸ってたからで、そのあと検査でアルコールばれて、適当に話してたらアラが見つかって、万引きもバレた。」
見吉がふうと吐き出すその煙がどれほど重いのか、良太は想像を巡らせることしかできない。
「そうして少年院行ってたら、母親が面会で離婚したって。まぁ元々喧嘩ばっかだからさ、ああそうですかって思ってたんだよ。親父の家族がウチに来るまでは。」
何度も重たい煙を吐いて、見吉は目に見えないところで準備を進めていた。良太には待つことしかできない、相手の中だけで進む準備。
結局、見吉は次の煙草に火を点けてから再び口火を切った。
「親父が自殺したって話だった。それで、遺産は俺達にって。遺言を弁護士に渡してまでしてさ。俺達……っていうかおふくろがな、詐欺師みたいに言われて、その捌(は)け口が俺ってわけ。」
最後にいつもの笑顔を見せたが、その笑みは仄暗く、広がる空の色も判別できなかった。
煙草が指先で縮む。微動だにしない良太の指に挟まれたまま、一本の煙草がちりちりとその役目を終えようとしていた。
「で、今俺はここで働いて、一人暮らし。コレ以外に何もやってらんねぇしやる気もねえ。飲みに行くくらいならいいけどな。」
下を向こうとする顔を必死で上げて見吉の顔を見ると、見吉は良太の顔を見るや否や吹き出した。
「なっさけねぇ顔だな、オイ。しっかりしろよ。何言いたいか全部は知らねぇけど、俺はその話は聞けない。聞く余裕なんてねぇよ。」
話を終え、今まで通りの笑顔になった見吉は、それでも良太の返事を待つようにその場に居続けた。
手元の煙草は燃え尽きて、フィルターだけが残っている。
見吉は三本目の煙草に火を点けていた。
「ごめん。ごめんな、見吉。」
ようやく出した声は涙ぐんでいた。それを聞いて見吉はまた笑う。
「ほんとごめん。……今日は、ありがとう。」
「おう。」
そう言って側溝に吸いさしの煙草を投げ捨て、見吉の背は工場に消えていった。
早朝の青空は明るく、白い砂利もまた良太という存在を浮かび上がらせているようだった。
新しく点けた煙草の最後の一吸い、思い切り吸って、重たく吐き出す。
苦みを覚えて見つめる先に、あの頃の見吉はもういない。
熱くなったフィルターを携帯灰皿に捻(ね)じ込む。
二本の煙草を吸って、良太は車を走らせた。来た道を反対車線から眺めて、まるで違う道を走っているような不安に襲われながら、見覚えのある三叉路に出てからようやく安心できた。
家に戻り、一睡してから帰路に着く人々に紛れてスーパーよつばへ。
ライン工のようにレジを回し、訪れた深夜。客もいなくなったスーパーを後にして喫煙所に入り浸(びた)っていると、蒲池(かまち)が入ってきた。
「センパイ、吸い続けるんですね~。」
この前に言ったことを蒸し返す蒲池に、良太は「いいんだよ。」と返す。
「こうやって目を覚ましてんだ。俺はそうしてないといけないからさ。」
吐いた煙は渦を巻き、人の顔みたいになってから溶けていく。
「やっぱ、ヘンな吸い方。」
茶化す蒲池を手振りで追い払う。
蒲池にしては珍しくそれを受け、そそくさと喫煙所から出て行った。その背を見ていると、店内で商品を動かしだしているのが目に入った。きっと仕事を忘れていたか、少しサボったのだろう。
忙(せわ)しなく動く蒲池から視線を外して、道路を見やる。
先を急ぐ流星が、今日もぽつぽつと駆け抜けていった。
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