短編小説「コレクター」
はじめに
本作は二〇二二年七月十四日に執筆した短編小説を一部加筆修正したものです。
コレクター
スティールラックに余裕が無かった。
両手でそっと持つ兎のフィギュアに目を落とし、どうしたものかとその頬を撫ぜる。
ポリ塩化ビニルで作られた量産品の兎は、実際の、生きている彼らのシルエットを巧みに写し取り、片手で握り込める程の大きさに縮小されていた。
全体的に光沢が無く、目には白のインキで反射光が表現された兎のフィギュア。その滑らかな頬をもう一度撫ぜ、頭を巡らせる。
金属製、木製、ガラス天板、扉付き、余白が無くなる度に買い足して部屋を狭めた飾り棚達は、どれも満席だ。
腹の前で持つ兎のフィギュアを慰める様に、若しくは、赦しを乞う様に弄び、立ち並ぶ棚で迷宮と化したリビングを歩き回る。
飾り棚に集めた物達は、特別な意味が無い限り通路側を見つめるように配置している為、何処に目をやっても誰かと目が合う。その度にそれぞれとの記憶が蘇り、我知らず微細な百面相を浮かべ乍ら部屋を歩き回る事になった。
子供の頃、父を困らせて買って貰った玩具。別れた彼女から貰った手製のぬいぐるみ。少年期、握りしめた小遣いで密かに買った食玩。旅先の土産。人生で最初で最後の、オークションで競り落とした贋作。二年間、好きだと偽ったアニメのフィギュア。先輩に買わされた用途不明の木像。幼少期に作った粘土細工。記憶にない、忘れた物。
数千、下手をすれば万を数える蒐集物達は、殆どがこちらを見つめている。
それから、一体どれだけの時間が経ったのだろう。
兎が入る余白を探して悉に歩き、愈々始めのスティールラックに戻ってきてしまった。
新しい物に飢え、壊れた秤に掛け続けた半生を見せつけられた旅路は、執着の縄を締め直すだけだった。
兎が手の中から見つめている。
光を返さない瞳で、瞬き一つせずに見つめ返される。
この兎を置いてやらねば。兎は臆病でありながら寂しさを知る動物だと、いつかどこかで聞いた事がある。声を掛けた手前、ちゃんと家に居着かせてやらなければ。
沸き立つ責任感と同時に不安が立ち上り、はたと兎の生態を思い出した。
兎は穴蔵に住む。それを巣として生きる物だった筈だ。
思い立つまま、迷い無く狭い通路を潜り抜け、扉を開けて廊下と一体化したキッチンで足を止める。
棚ならまだある。
備え付けの吊り戸棚を開け放ち、窮屈そうに詰め込まれた食器類に眉を顰めてごみ袋を用意する。
必要最低限の、元々仕舞ってあった皿の八割をごみ袋の中へ投げ捨てて、それらが砕ける音に興奮を覚えながら吊り戸棚に空間を生み出した。
こんなに余裕があるじゃないか。
口角は自然と上がり、三段ある戸棚の一番下に堂々と兎を座らせてから、いやと思い直し片隅に寄せた。
彼は臆病なのだ。臆病でありながら、寂しがり屋なのだ。
戸棚を開けて、すぐに目の合わない、一段目の片隅。此処しか無い。
満足して後退りかけ、足元の瓦礫が音を立てた。
袋に収まる瓦礫の山を玄関に追いやり、メモ用紙に『金曜日』と書いてセロハンテープで貼り付けて、漸く吊り戸棚に戻る。
兎が、遠慮がちな眼でこちらを見つめ、吊り戸棚の片隅に丸まっていた。
大丈夫。
観音開きの吊り戸棚を閉じて、財布と鍵を手に家から出る。
向かう先は最寄りのコンビニエンスストア。彼処には動物の食玩が並んでいた。可哀想に、値引きのシールを貼られた食玩達が。
黄昏を超えた宵の街、灯る街灯がいつにも増して煌びやかだった。
終
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