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「心火、盛る」小説:PJ17

  はじめに

 本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
 それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
 また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。

 01話はこちら。

  目次について

 本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
 表記は「 ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕ ‬」が大きな場面転換。
 その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
 例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
 しおり代わりにご活用ください。

  17 心火しんかさか

 足下から伝わった異様な気配と共に、〈スナド戦線基地〉はにわかに騒ぎ立った。
 スナドはその騒ぎを聞いて口角を上げ、耳をそばだてる。
 付近に騒ぐ兵士が居ないか注意深く確かめながら、歩き慣れた城塞じょうさいの通路を進み、私室とも言える執務室へ急ぎ、階段を駆け上がった。
(敵が〈紅血こうけつ〉を暴いたなら、その事実を利用してやれば良い。カーニダエ帝国にくみしたフランゲーテ魔法王国は、下らない小国の小競こぜり合いにれて非人道的な魔法を使用したのだ……。
 全ては奴等やつらの、フランゲーテの所為せい。私はこの騒ぎに乗じて〈カルニボア機関〉へ帰れば良い。単純……実に単純な事では無いか……!)
 ひらめいた算段を言葉として胸中に浮かべ、執務室へと駆ける最中、スナドは独り、笑いを噛み殺す。
 曲がり角の先、丁度ちょうど執務室のある方向から誰かが息を切らす声がして、スナドは腰に差した赤黒い短剣を抜き、壁を伝って顔を覗かせた。
「戦士長……一体、何方どちらへ……」
 扉の枠に変形した手を突き、今にも倒れそうに屈む何者かの姿がある。
 スナドはの姿に噴き出しそうになるのをこらえ、足音を殺し、その背後へと進んだ。
 基地で定められた衣服とよろいは急激な肉体の変化にって破損があるものの、辛うじて人と分かる彼の真後ろに辿たどり着き、スナドは咳払せきばらいをする。
 その声に驚いた彼は猿とも虫ともつかない奇怪な顔を振り向かせ、その不細工な顔をゆがめた。
「せ、戦士長、御無事で――」
 彼が歩み寄ると共に、スナドは右手に握った短剣を彼の腹部へ突き立て、衣服をつかんで執務室の外へと引きり出して放る。
「執務室が汚れるであろうが……ハハハ」
 笑いを漏らし、ぶくぶくと泡立って溶けていく兵士を見下ろして、スナドは口許くちもとを抑えて笑った。
「君の、尊い命は……くっふふ、とうとき我が国が大切に使ってくれるだろう……ハハッ」
 笑うスナドに向けて、何も知らない兵士は溶けていく手を伸ばし、閉め切られた扉の前で、石畳を汚すみに成った。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 17の二

 重たい幕が上げられての奥から光が差す様に、彼女はゆっくりと目をましていった。
 頭の奥から顔へ、そこから首、更に末端へと、み入る様に意識が戻り、夜と認識は出来てもいやに明瞭な視界を知覚して、び起きる。
 覚醒と共に勢いよく動かした体は痛みも疲れも無く意識に従って動き、からからと甲冑かっちゅうにしては軽い、何かのこすれ合う小さな音が体中から鳴った。
 彼女はその音だけで状況を理解し、見たくはないが衝動に抗えずに視線を落とす。
 見下ろした先、硬い岩石に上体を起こして座り込む体は、遠い星々の光を反射する、濡羽色ぬればいろのつるりとした外骨格状の組織におおわれていた。
「……は、はは。成功、したのか…………して、しまったのか…………」
 彼女――トラゲは、こうなる事を知っていたし、覚悟はしていた。
 しかし、知っていてつ覚悟をする事と、実際に体験して平静で居られるかどうかは別の問題であると、トラゲは初めて理解する。
 小さな音が鳴り止まない。
 自身が生体兵器に成ったと知覚してから、全身が外骨格におおわれているにも関わらず総毛立そうけだつ感触がしたし、はらの底から冷える気持ちがして震えが止まらなかった。
(…………ハンソーネ……敵は――?)
 不意によみがえった記憶からトラゲは辺りに目をり、周囲の劇的な変化が視界に入っていたにも関わらず、思考が追い付かなかった己に奥歯を噛む。
 トラゲが居る場所は、砂漠の其処そこだけか丸く切り取られたかの様に落ちくぼんだ円形の地の底であり、砂漠の城塞じょうさい〈スナド戦線基地〉を囲う外壁に勝るとも劣らない高さの垂直に切り立つ赤い砂岩がトラゲを隔絶していた。
 ――いや、彼女だけでは無い。
 地の底は赤みを帯びた岩盤であり、の上には人の形を取ったままうつぶせに倒れてぴくりともしない青年――ライガの姿と、点々と散らばった何らかの肉塊にくかいがあった。
 小さくうごめき、互いを目指して這う肉塊にくかいの数は、十二。
 トラゲがひきいた部下九名と、残る三つは恐らく駱駝らくだだった物だろう。
 その他には何も無く、敵のしかばねも、の破片一つ見当たらない。
 そう考えて強く目をつむり、トラゲはうつむいた。
「私だけ、か……」
 つぶやき、深呼吸を繰り返して、まぶたを持ち上げる。
 趾行性しこうせいに変わった足の感覚に戸惑いつつも立ち上がり、人間であった頃よりも高くなった背丈から見下ろす視界の違和感にこらながら、ライガのかたわらまで歩み、トラゲは眉をひそめた。
 素早く脚を屈めて岩盤に膝を突き、トラゲはライガの体に手を掛ける。
 瞬間、ライガに触れたトラゲの指の隙間をい、ライガの肉体から外骨格状の組織が棘の様に突き出した。
 深紅のとげ咄嗟とっさに首をらしたトラゲのほほかすめ、金属同士をこすり合わせた様な、甲高かんだかく耳に痛い音が響き、トラゲはそっとライガから手を離す。
 その動きを認識しているのか、とげはトラゲの行動に合わせてライガの体内へ収まっていき、トラゲが跪座きざしたまま半歩退さがった所で、ライガは人間の形へと戻った。
「どういう事だ……これは…………」
 驚き戸惑う感情はそのまま口をいてこぼれ出す。
 トラゲは最初、現状をトラゲ隊の全員が左手の人差し指にめていた、魔法を込めた道具にるものであると考えていた。
 周囲の異常事態はライガか、敵の魔法兵器にるもので、敗北したライガは肉体を再生してこの場所に倒れしているのだと。
 しかし、たった今起きたライガの異常は、れだけの事では説明が付かない。
 トラゲの知る限り、第七の〈フェリダーの英雄〉として造られたライガに、無意識下で反撃をする能力は確認されていないし、彼を造るに当たって厳選された魔法は飽くまで心意式しんいしき〉と名をかんするもの――詰まり、ライガの肉体はライガの意思が無ければ生命を維持する事以外には働かないはずであった。
(まるで、ライガに意識が有るかの様な……)
 其処そこに思い至って、トラゲは再び頭を巡らせる。
 トラゲが足を付けているこの場所は、岩盤だ。
 フェリダー共和国のほとんど全土を支える広大な地盤であり、マギニウムを多量に含んだ、れ自体が魔法を発する事が可能な程の、途方も無い規模の鉱物。
 フェリダー共和国の各地から指折りの人員だけが招待され、参加する事の出来る〈カルニボア機関〉の者であれば誰もが知る事実だが、の地盤を直接利用する手立ては無く、地盤が持つ特性だけを使って数々の実験が繰り返されていた。
(もしも今のが、……ライガという生体兵器が鍵なのだとしたら。
 …………我々は、我々はついつかんだのか? カーニダエを突破し得る、本物の英雄を……!)
 声には出せず、胸のうちで歓喜の叫びを上げ、トラゲはゆるりと天を仰ぐ。
 砂岩の壁で丸く切り取られた星空を見詰めて、濡羽色ぬればいろの外骨格におおわれた鋭い両手を伸ばし、口を開いた。
 何度か喋る様に動いた口は言葉をつむがずに、高く響く笑い声を上げる。
 先端が三ツ又みつまたに分かれる長い尾のえた悪魔が、赤黒い地の底から哄笑こうしょうを響かせた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 17の三

 ジェンナロ・ヴィナッチャがフランゲーテ魔法王国の部隊〈コーア〉の先頭に着いたのは、突如として出現した血の池と肉塊にくかいを後にして南進を続け、二つ目の集落に差し掛かった辺りだった。
 疲労と困惑の色をあらわにする隊士らをねぎらい、激励げきれいする言葉を掛けながら隊列の先頭へ進み、ジェンナロは進む先にある崩壊した集落を見て目眩めまいを覚える。
 敵部隊が忽然こつぜんと消え去った件の集落と同じく、目の前にある集落もまた地震でも起きたかの様な惨状さんじょうではあったが、ジェンナロが溜め息を吐き出したくなった原因は、それとは別にあった。
 夜の闇に包まれ、灯火ひとつ無い集落に、赤黒い影が複数。
 は裸の人に似た形をしているが、手足の形は人よりも獣に近く、凶暴な爪ととげが見て取れる。
「何故……此処ここにも居るのだ……!」
 八つ当たりに近い衝動のまま吐き捨て、ジェンナロは赤銅色しゃくどういろの剣を鞘走さやばしらせた。
 剣は高く掲げ、集落から駆け寄って来る二十体以上の赤黒い鬼を見詰めたまま、大きく息を吸う。
「総員、戦闘準備! 敵はあの鬼だ! せっぽちだが馬をも引き倒すぞ! 心せよ!」
 背後からジェンナロの号令に応じる声が響き、武器を取り出す音も続いた。
 れを聞きながら、ジェンナロは赤銅色しゃくどういろの刃を左前腕のよろいに押し当てようとして、止める。
(もし、あの時の原因が吾輩わがはいにあるのなら……)
 暗闇の中でもにぶく輝く剣身に己の顔が映り、ジェンナロはまぶたを下ろした。
(だとすれば、今、確かめよう)
 ほんの少し落とした剣がジェンナロのよろいに当たり、その重みを確かめてから目を見開く。
 獣とも人ともつかない、奇妙な走法で迫る赤黒い鬼は、知性の無い瞳でジェンナロを見詰めていた。
「――ぅうおおおおお!」
 雄叫おたけびを上げ、よろいに押し当てたままの剣を引き抜く様に払う。
 幾重いくえにも弦楽器に似た音が響き、眼前の赤黒い鬼が卒然そつぜんと膨らんだ。
 その変化は足や手、あごの辺りに集中しており、急な重心の変化からか、赤黒い鬼達の速度が落ちる。
 ジェンナロはその機を逃さず手近に居た鬼の首を振り下ろした剣でね、返す刀でその先に居る鬼の右腕を斬り飛ばした。
「優先するは撤退だ! 続け!!」
 声を張り上げ、次に迫る鬼を斬り付けて過ぎ去る。
 ジェンナロは独り、後続から悲鳴が上がるその瞬間だけを恐れていた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 17の四

 肉塊にくかいを九つ喰らって、サビロイは再び駆け出した。
 四足で駆ける感覚を掴めば、人間の形をしていた時に両腕でくういていた頃が馬鹿馬鹿しく思えて、内心で笑みをこぼす。
 そんな事を考えながら砂岩製の集落を南に抜け、数分。
 サビロイはふと鼻先で切る風に違和感を覚えて西に顔を向けた。
 急流のごとく流れていく砂漠の夜景は、獣と化したサビロイの目には砂粒一つでさえ明瞭めいりょうに映る。が、しかし、顔を向けた西方、盛り上がった砂の丘は夜目の効くサビロイにとってはまぶしい程に輝いており、れがサビロイと同じかそれよりも速く移動していて、サビロイは目をく。
 南へ駆けながらもその明かりに注視していたサビロイは、ほんの一瞬進む先に目をってから、針路しんろを西に向けた。
 砂丘の腹を撫でる様に駆けるサビロイは徐々に明かりの元へと近付いていき、光源へ向かう程に大気が熱を帯びるのを感じて高揚と緊張を胸に溜める。
 熱と光を放って移動する何かは、左手に捉えた砂丘の切り立つ向こう。そう確信して、サビロイは舌舐めずりをした。
(何かは分からねぇ。でも――食いがありそうだ)
 頭にそう浮かべて、思考までもが獣らしく成った己に満足感を抱きつつ、サビロイは後ろ脚に力を込めて砂丘の頂上を軽やかにび越えた。
 人の肉体でも、そして人間の形をしていた時に散々使い潰してきた駱駝らくだでさえも出来なかった芸当に興奮を覚えたまま見下ろした先で、光と熱の主がわずらわしそうにサビロイを見上げている。
 サビロイと目を合わせた相手もまた、獣。
 それも、しなやかな身体の獣と化したサビロイとは異なる、燃え盛る夕陽に似た外骨格が体の随所に見られる、猫科の猛獣に似た獣だった。
 相手を視認するや否や、サビロイは目的を切り替えて体をひねり、赫灼かくしゃくたる獣の左隣へ着地して並走する。
 隣に張り付いて駆け、相手を観察してみれば、その獣は全身が燃えているのでは無く、砂地を蹴るたびに全身の関節部から炎を吐き出して推進力を得ているのだと分かった。
『おい! お前、成り損ないじゃねぇだろ! 何処どこの部隊だった!』
 砂漠に響いたのはうなり声と咆哮ほうこうを合わせた様な獣の鳴き声だったが、サビロイの意図が伝わったのか、炎の獣はちらとサビロイを見遣みやる。
ただ工夫こうふだった、はずだ。分からない……何も……。でも、お前じゃない』
 獣が喉を鳴らすと、奇妙にもサビロイの脳裏には聞いた事の無い人間の声として響き、理解出来た。
『へぇ……。じゃ、良い事を教えてやるよ。敵は撤退を始めてる。オレとお前の速さなら追い付けるぜ。分かるよな? 逃げようとしてるカーニダエのヤツらを殺せるんだよ』
 炎の獣はサビロイの鳴き声を聞き、驚いた様に目を開いて見詰めて来る。
『フェリダーは何もしてねぇ。敵の奇襲だった。戦士長殿はれを受けてぐに反撃させ、追い返してる。分かるか? オレ達の番なんだよ。突然攻撃されて、ただ暮らしてただけなのに殺されて、こんな事になって。悔しいよなぁ……』
 純粋そうな橙色だいだいいろの瞳が、憎悪の色を浮かべて南に向き直った。
『アンタは兵隊さんか。何処どこに居る。カーニダエは、何処どこに……!』
 サビロイは腹の底から立ちのぼる笑いをこらえる。
『南だ――此処ここからなら、もう少し東寄りかな。ジマーマン領に攻めて来るヤツらなら、〈第三ナスス〉っていう基地に帰るだろうさ』
 言い終えるが早いか、炎の獣が加速した。
 頭を南南東に向け直して、体の各所から炎を噴き出し駆ける獣に目を見開いて、サビロイもまた加速する。
『おい、おい! お前、名前は!?』
『――ヒョウ』
 つぶやかれた声はおどり狂う火のに乗ってサビロイの耳に届き、サビロイは口端くちはり上げた。
『オレはサビロイ。二人でる方が一人より楽だろ? やってやろうぜ』
 サビロイの声に、ヒョウは我武者羅がむしゃらな疾走をわずかに抑える。
 その様子を見てサビロイは笑いを噛み殺し、ヒョウの真横に進むまでに笑みを完全に吹き消した。
(ツイてるぜ……。マジでツイてる。生き残るだけじゃねぇ、コイツと手柄を立てりゃ、オレが〈フェリダーの英雄〉だ……!)
 胸中につぶやき、サビロイは全身を駆け巡る何かを感じたが、深くは考えずに夜目をらす事に集中する。
 炎の獣と赤黒い獣は、揃って疾走した。
 進む先、南に居るであろう敵、その命目掛めがけて。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 17の五

 突然、エクゥルサが暴れ出した。
 グリーセオは体を屈めて青碧色せいへきいろの毛並みにしがみつき、走る事を止めたエクゥルサをなだめようとして、南から北へ駆け抜けた何かの気配に振り向く。
 後方ではグリーセオを乗せたエクゥルサ同様に、暴れた馬をなだめる騎士と、来た道――北の方角を見る騎士が居て、その頭数に変化が無い事を確かめ内心で安堵あんどした。
「大丈夫か、怪我人は落とされてないな!」
 グリーセオが息を吸うと同時にアキッレが声を上げ、後続の仲間を気遣きづかう様に見る視線は時折、彼らよりも先へと向けられる。
 その視線を追って、グリーセオはがたく声を漏らした。
「…………拍動だ」
 問う様な五人分の視線を一身に受け、グリーセオはその夫々それぞれと目を見交みかわす。
「さっきの……ハンソーネ伯爵はくしゃくが目を覚ますよりも前、似た気配が北から南へと――流れて行った。そうとしか言いようの無い、何かだ。
 れが今、南から北へ……何か覚えがあったんだ…………生体兵器の、ライガの発する拍動、あれに似てないか?」
 誰に問うでも無く言ったグリーセオに答える者は居ない。
 しかし、アキッレ以外の騎士達は一様に記憶を探る仕草を見せ、信じられないとばかりに目を泳がせていた。
 唯一人、ハンソーネ・トロンバを除いて。
「ではあの拍動を合図として、此処ここから先の集落では動物兵器に変じたフェリダー人が居る……グリーセオ、先刻のお前が言った内容と合わせれば、そう考えられるか?」
 意識を取り戻した直後とくらべ、いくらか生気を取り戻したハンソーネがき、グリーセオは半信半疑のままうなずいた。
「そう、考えられる……。仕組みも理屈も分かったものじゃ無いが……集落をけつつ行こう。〈コーア〉の本隊もそうしていると信じて……」
 言い終えるや否や、グリーセオはエクゥルサを走らせる。
(砂の底を駆け巡った気配が、ライガの拍動だとしたら……)
 そう考えれば、グリーセオはライガをち損じた事に――いや、ライガの首をねる事を躊躇ためらい、撤退を優先した事に、途方も無い負い目を感じた。
 れを自覚すればする程に深くなる自責の念と、それでもなお心の中で叫ぶ自身の声が胸の中の穴を押し広げていく。
「急ごう、本隊が心配だ……!」
 己の背中から逃れたい思いでグリーセオは嘘を吐き、エクゥルサにより速く駆けるよう指示を出した。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 17の六

 赤黒い鬼の群れを突破し、ち漏らした敵が〈コーア〉の隊列を追う。
 ジェンナロは列の先頭から背後を振り返って成り行きをうかがい、最後尾の兵士らが弓を射掛いかけて残る四体を殺した事に安堵あんどの息を吐き出した。
「副隊長! 集落から!」
 叫んだのは付近の誰か。
 ジェンナロは素早く進行方向へ顔を戻して、砂岩製の集落から這う様に現れる赤黒い影達に辟易へきえきとした。
 通りから一直線に、建物の影からは揺らめく様に、崩れた瓦礫がれきの山をき分けい出す影もあった。姿形は夫々それぞれ異なり、動物型、人型、種類を上げれば切りが無く、今目に映っている数だけでも四十は下らない。
「集落から離れろ! 東側の者は弓を! 西側! 隊列に踏み入れさせるな!」
 ジェンナロの指示に声と物音が返され、ジェンナロは針路しんろを東側――集落から離れる方向へらした。
 そうする間にも先陣を切る赤黒い獣が迫り、隊列東側から矢が飛ぶ。
 知能が低いのか、矢をける動作も無く敵は負傷もいとわずに突き進み、たおされた獣をび越え、または踏み潰し、生き残った赤黒い獣十体が隊列に肉薄した。
 の間合いを見極めて、ジェンナロは左腕のよろいに押し当てた剣を素早く払う。
 星明かりを受けてひらめ赤銅色しゃくどういろ――ジェンナロ・ヴィナッチャの剣〈マンドーラ〉が持つのは、鳴動式始動音響魔法。詰まり、マンドーラの奏でる音にって、音の届く距離にある魔法を強制的に始動させるというものだった。
 隊列に迫った獣達が何らかの魔法にって出現し、先の鬼の様な敵と同じ挙動を示す事に賭けたジェンナロは、高らかな連弾を響かせる愛剣を掲げる。
 〈マンドーラ〉の音を聞いた獣達が不意に体勢を崩し、その隙を捉えて後続の兵士達が得物えものを突き立てた。
 獣達の大半は一撃目で絶命し、ち損じた獣は別の刃が息の根を止め、第一波は足を止める事無くしのぐ。
 しかし、ジェンナロが正面に向き直らんとする最中に、建物の影からは第二波に当たる獣や鬼達が駆け出して来ていた。
「まだ来るぞ! 東側! て!!」
 声を張るジェンナロに弓矢を手にした兵達は弦音つるねで答える。
 しきる矢の雨が敵の第二波を襲い、いくつかの影がたおれ、れを踏み越えて二十余りの化け物達が〈コーア〉との距離を詰めようとしていた。
 崩壊した集落に目を配るジェンナロには、動く影が八十か百に迫る数として映り、背筋を伝ってい上がる恐怖と緊張を、生唾なまつばんではらの底へと押しやる。
「フランゲーテの兵共つわものどもよ! 此処ここ正念場しょうねんばである! 知恵無き獣に、人の強さを知らしめろ!」
 ジェンナロの声が響き、ときの声が隊列から上がった。
 夜の砂漠にとどろいた声は、彼らの不安を象徴して、え間無い。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 17の七

 遠く、大勢の声が響いた。
「この先だ……!」
 息を切らして駆けるエクゥルサの首を撫で、グリーセオは独りちる。
 進む先、そして見詰める先でもある南。声はまだ遠く、グリーセオの耳にはかすかに聞こえた程度だが、視界の悪い夜の砂漠でときの声を上げるとすれば、友軍か敵軍の他には考えられない。
 グリーセオに続く他の騎士らもそう思ったのだろう、背後から馬をかすむちの音が響いた。
 れと同時に、背後――北から熱を帯びた風が吹き付けて、その違和感にグリーセオが振り返るよりも早く、集団の最後尾でいくつもの音がする。
 よろいが打ち鳴らされる音、砂が大きくき乱され、馬が上げる悲鳴、そして、獣の咆哮ほうこう
 グリーセオが振り向いた先で、小柄な女性騎士が短く悲鳴を上げ、白銀の甲冑かっちゅうが馬上からび下り、その場の誰もが馬の脚を止めさせた。
 砂原を転げたハンソーネは顔を上げた直後、大柄の赤黒い獣の牙を左前腕で受け止め、更にその奥ではほとばしる火炎をまとう獣が地に落ちた騎士へとび掛かっている。
 グリーセオは瞬時に手綱たづなを引き、エクゥルサの脚を止めずに回頭させ、右手をおお篭手こてを短剣に変えた。
 馬上からび下りる騎士や、騎乗したまま武器を抜き放つ騎士を横目にエクゥルサで砂原を駆け抜け、ハンソーネを襲う赤黒い獣にエクゥルサの顔を向けさせたまま、グリーセオは指笛を吹く。
 グリーセオの指示を受けたエクゥルサが加速し、れと同時にくらからび出して、前転を受け身として砂原に着地したグリーセオはそのまま駆け出した。
 素早く左手を振るって篭手こてを短剣に変えつつ、グリーセオは赤黒い獣の脇を通り、牽制けんせいの斬撃を放つ。
 獣はれを見逃さずにハンソーネの左腕を離して退しさり、エクゥルサが振り上げた前肢まえあしを空中で食らって吹き飛んだ。
 グリーセオはの成り行きを見守る事無く走り続け、ほとばしる火炎とそれをまとう獣がり出す牙や爪に襲われる男性騎士の元へ向かい、意を決して獣の首に組み付く。
 迫るグリーセオを認識していなかったのか、炎の獣は驚いた様にり、その背からグリーセオの身をがす火柱がき上がった。
 たまらず解いたグリーセオの腕から退いた炎の獣はしなやかに砂地へ着地し、牙をいてグリーセオをにらむ。
「そうだ、俺が相手だ……!」
 言葉を解する相手では無いと思いつつも、グリーセオは言った。
 双剣を構え、背後でうめく騎士をかばう様に立ちふさがるグリーセオに、炎の獣がび掛かる。
 腰を落として構えたグリーセオもまた一歩進み出て、炎の獣が体の各所から火柱をき上げ、その軌道きどうが変わった。
 驚き、苦しまぎれにり出した斬撃は届かず、炎の獣は嘲笑あざわらう様に牙をいてその先――赤黒い獣に襲い掛からんとする、馬上の女性騎士の方へと宙を駆ける。
けろぉ!」
 グリーセオが叫び、泳ぐ様に前肢まえあしを振り上げた炎の獣が火柱と共にれを振り下ろして、アキッレの焦茶色こげちゃいろの剣がそれと斬り結んだ。
 一瞬の硬直の後にアキッレが炎の獣を押し退け、剣を振り抜き無防備になったその喉元へ、赤黒い獣が噛み付く。
 不意を打たれて落馬したアキッレは砂煙の中に消え、悲鳴地味じみ雄叫おたけびが響き、全員が彼の元へ向かおうと踏み出して、炎の獣が立ちふさがった。
 足を止めなかったのはハンソーネだ。
 炎の獣へ鋭い刺突を撃ち下ろし、退しさった獣を追って大柄の男性騎士――バストロが身の丈程もある大剣を振り下ろす。
 砂地を穿うがつ大剣が高く砂を巻き上げて、れをき分ける炎の獣が宙を駆け飛び出した。
 宙返りをして砂に脚を付けようとする炎の獣の背後には、馬に乗ったままの小柄な女性騎士。
 手には引き絞った弓矢があり、炎の獣が着地する直前に放たれた矢が深々と獣の腰に突き刺さった。
 悲鳴を上げた炎の獣が火柱を上げて低空をけ、立ち込めていた砂煙が吹き飛ぶ。
 明らかになった砂原の上には、傷付いたアキッレが倒れていた。
「アキッレ!」
 彼を呼んだのはグリーセオでもハンソーネでも無い誰か。
 グリーセオは上空にび出し女性騎士を狙う赤黒い獣へ向けて投擲とうてきの構えを取り、ハンソーネは駆け戻る炎の獣をにらんで細剣さいけんを構えていた。
 風を切る音がまじわる。

つづく

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