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エッセイ「なぁ聞いてくれ、魔法って何だろう」

  はじめに 240801

 ――魔法まほう
 そう聞いて、あなたはどんな想像を膨らませましたか?
「キラキラと光って、不思議なことを起こす現象」
「炎や氷を出現させてぶつける。MPマジックポイントも消費する」
「よく分からない。なんかすごい事だけど、なんと言えばいいのか、とにかく、なにかこう、凄いんだよ……っ!」
 様々な意見が、それこそ十人十色の表現があるとは思いますが、一般的には「言葉にならない、けれど何かしら恩恵おんけいをもたらす現象」そういった具合のふんわり・・・・とした概念だけが浮かぶと思います。
 日本語では――魔法という言葉の無い、古い日本語で表現するならば、神通力じんづうりき、あるいは単に通力つうりきでしょうか。
 こういった言葉が世界各国にあると、古今東西、人をき付けてまないものが〈魔法〉という言葉には込められている様に思います。
 本書では、この〈魔法〉を主題として、研究ではなく妄想もうそうを広げ、自分だけが想像する魔法の形、それを語り合える切っ掛け作りを目的に、私が考えてきた事の一部をまとめました。
 読む楽しさ、考える楽しさを提供しつつ、誰かと過ごす時の話題や、創作の助けなどに役立てば良いな、と思います。

 本書は、創作物などに登場する〈魔法〉について考え、想像を膨らませる過程で浮かび上がった疑問に、私自身が一つの仮説を答えてみる。詰まる所、自問自答という形式で書いたエッセイ作品です。
 また、文中には実在する創作物や、科学、信仰などに関わる、幅広い分野に言及しておりますが、これらへの批判、否定をする意図はありません。
 本書は、とある浅学な日本人が、少ない頭をこねくり回して「魔法って何なんだ!」と妄想を膨らませ続けた記録です。
 予めご了承ください。

  記号について

 本書では複数種類の鉤括弧かぎかっこを利用しています。
 簡単な解説は、以下の通りです。
  (括弧かっこ
 声に出さない言葉や、補足の場合に用いています。
  「鉤括弧かぎかっこ
 声に出した言葉や、言葉単体を強調したい場合に用いています。
  『二重鉤括弧にじゅうかぎかっこ
 鉤括弧かぎかっこの中で強調する言葉、機械越しの声や、記憶の中、引用した文章、また言葉単体をより強調したい場合に用いています。
  〈山括弧やまかっこ
 章や節、造語や、タイトル、特に意識して欲しい言葉を示す場合に用いています。

  各章タイトルに添えられた数字

 本書には、六桁の数字が各章のタイトルに添えられています。
 例として「240801」は、二〇二四年の下二桁、八月、一日。といった意味合いです。
 記録以上の意味はありません。しからず。

  本記事のイラスト

 本記事内のイラストは全て、筆者の空山非金が制作しました。
 画像の転載はもちろん、手段を問わず、保存もお止め下さい。
 もしも何か理由があって使用したい場合、空山非金まで「事前」のご連絡をお願いします。


「くらえ!」

  魔法は恐ろしい 240801

 本書冒頭の〈はじめに〉にて、『恩恵おんけいをもたらす現象』や『人をき付けてまない』と書きましたが、正直、私個人としては〈魔法〉という言葉に良い印象がありません。
 子供の時分こそ、この言葉に目を輝かせたり胸を踊らせたものですが、十代中頃、高校生になった私は、魔法という言葉に疑念を抱き始めたのです。
 魔法。悪魔や魔性ましょうの「魔」に、方法や法則の「法」を組み合わせた言葉。
 分解して考えると、不穏で不穏で。
 この事に疑問を持ち、魔という漢字を調べると、ある辞書には『人をまどわし、わざわいすること』と書かれていたものですから、これを読んだ瞬間から、私は〈魔法〉に良い印象を受けなくなったのです。
 個人的な人付き合いの中に限りますが、私が出会ってきた人々は漢字を強く意識する事は無く、魔法って言葉自体が怖いよね、という話が盛り上がったためしがありません。
「魔法って怖いよね」
 という話には、必ず別の言葉が付いたのです。
「炎の魔法って怖いよね」
 こういう風に。
(いやいや、魔法ってそれ自体が怖くないか?)
 そっと心に秘め、その話は流れていくのです。

 ここまでは、使われている漢字が怖いという話でしたが、〈魔法〉の概念も恐ろしいものです。
 現代の科学では説明のつかない、超人的な能力や現象。
 創作物で度々たびたび見られる描写では、手の平から何かが発せられたり、魔法の名前を叫べば現象が引き起こされたり、長い文章を発声すれば現象が引き起こされたり……恐ろしい!
 創作物の中では、どうやら才能や修行が必要とされる場合もある様ですが、大抵、人間が使います。
 そして、しき魔法使いが現れたり、正義の為に地形が変わる規模の魔法を使ったりしていますよね。
 現実に存在しないから、とか。凶悪な敵を倒すために仕方がなく、とか。理由は様々ですが、魔法自体に恐怖を抱く人が少ない理由はそれなりの事情があるのだとは分かっているつもりです。
 しかし、多くの創作物では、魔法は攻撃の手段として用いられているので、私としては魔法が兵器と結びついて仕様しようがありません。
 銃を手にしていれば、それを使おうとしている事が分かりますが、明らかにそれと分かる杖を持っているならまだしも、手の平や声から、極めて少ない動作で魔法が発せられる描写もあります。
 その利便性がすこぶる恐ろしい。
「この世界の治安はどうなっているんだ!」
 創作物に対し、つい叫びたくなる言葉の一つです。
 ですが、実際に叫ぶ事はありません。
 魔法による綺麗な現象を見せられたり、治療に使われている様子を見ると、途端に意見が変わってしまうから。
 こういった事は現実にもありますね。
 銃に恐怖しても、銃を生み出した科学や技術を恨む事は別である様に、結局は使い方、使う者の意志に左右されます。
 創作物で悪役が用いる魔法は、しばしば黒いオーラで表現される事もあります。
 もしかしたら、悪意の有無が視覚的に分かりやすい創作物の方が、現実よりは分かりやすいのかもしれません。
 とは言え、目の前でいきなり「くらえ!」と黒いオーラを出されたら一巻の終わりです。
 やはり、魔法は恐ろしい。

知っているのはあなただけ

  魔法を説明してくれ! 240804

 創作物――特に小説や漫画、アニメ、ゲーム、ドラマ、映画、舞台など、物語を主体としたもので魔法を登場させるなら、その世界の魔法がどういう仕組みなのか、それが分かる描写が欲しくなります。
 作品によって、それに近い描写が入る事もありますが……。
「意識を集中させて、呪文じゅもんとなえろ!」
「言葉を深く理解して鮮明せんめいにイメージしろ!」
 など。詳しく言っている風でも、それを楽しむ現代人には伝わらない言い方であったりして、「違うんだよ、もっと知りたいんだよ」と思うものです。
 そういう考えを蓄積する中で、私はふと気が付きました。
 魔法を詳しく、そして現代人にも伝わる説明をしている創作物は、その世界自体の作り込みが他よりも細かいのです。
 しかし、これには欠点もあり、作り込みが細やかであれば物語が面白い、という法則は成り立たないということ。
 世界の作り込みは良いのに、物語中には印象的なシーンが無かったり、人物の作り込みが甘かったり……創作とはなんて難しいんだ。
 でも、物語を作り込んで、更に世界も作り込んでくれたら、それって何度繰り返しても楽しめる作品にはならないか!?
 魔法という、現実に存在しないものだからこそ、例えば「魔法を発生させる元素があるよ」とか、「心の力を現実に干渉かんしょうさせる道具を使ったからだよ」とか、そういう現実的な描写――ぞくに言うリアリティが欲しいのです。
 これは、大好きな作品であればある程――その世界を体験したい。そういう気持ちがある人にしか伝わらないのかもしれませんが、要するに――妄想を膨らませられる素材が欲しいのです。

 魔法を使う度、激しく疲弊ひへいしている主人公は、現実で言えばどういう状態なんだろう?
 酸素欠乏けつぼう症? 熱中症? 何キロも走って乳酸が溜まった感じ?

 一見何も消費していない様に見えるこの世界の魔法には、一体どういう法則が働いているのだろう?
 目に見えない粒子を消費している? 知能ある存在にしか効かない幻覚作用? 心や魂の根源が実在していて、それを消費している?

 この世界の魔法と科学の違いは何だろう?
 科学は存在しなくて、魔法だけ? 魔法は未解明だけど、科学者は解き明かそうとしている? 既に科学的に解明されている?

 この世界の魔法発見の経緯は!?
 魔法がある世界の、原始時代や生命の発生は!?
 知りたい! 知りたい知りたい!
 知識欲が強すぎて、作者や制作陣が想像した世界を、隅々すみずみまで知りたくて知りたくて仕様しようがない。
 私が自ら創作をする理由の一つは、こういった未知への〈仮説〉を沢山、たっっっくさん、世に出したいからです。
「教えてくれないのなら勝手に考えてやるよぉ!」
 と言わんばかりの、妄想研究ヤンキーです。気持ち的に。

 そういう私だからこそ、ある程度想像出来るヒントが作品の中に散りばめられていると、その作品のとりこになります。
 例えば、アニメ化もしているゲーム作品〈テイルズオブジアビス〉。
 主人公が知識にとぼしい人物だからこそ、作中世界に関係する質問が彼の口から飛び出して、仲間や他の登場人物達が小出しにして教えてくれたりします。
 この世界では音楽にまつわる言葉が、魔法の様な現象、または物質などに付けられていて、どうやら現実世界の「元素」に近い物が、現実とは異なる仕組みを持つ物質で構成されているらしい。
 現実に近いけど、全く異なる仕組みや法則!
 つまり、現実の科学知識を勉強すれば、共通点や違いから〈ジアビス〉の世界を少しでも紐解ひもとける!
 これだよ、これこれ!
 私の胸は高鳴りました。
 世の創作物よ、ヒントを、その素敵な世界を紐解ひもとき、現実に感じられるヒントを、ください!
『人間が想像するものは、人間が必ず実現できる』
 昔、フランスのSF作家が言ったとされている、出典不明の言葉ですが、私はこの言葉が大好きです。
 仮に魔法の説明が無くても、今は上手く説明できない不思議現象だとしても、それを想像した人の頭の中には答えか、答えに近い何かがあるはず。きっと。
 創作物を知る事で、作者の人間性や、その人が目指す世界が見えてくると思うのです。
 だから、批判や冷笑を恐れずに、その世界での正解を、あなたの中の〈仮説〉を、様々な描写で披露して欲しい。
 表現の自由は、世界を広げるためにあると思うから。
 今世紀にはできなくても、遥か未来に実現すると思うから。
 だからどうか、あなただけの魔法を説明してくれ!

宇宙猫と魔法使いとおじさんの集合体

  これって魔法じゃないか? 240805

 子供達の多くが触れる作品、そこには魔法の様な描写が沢山あります。
 〈ドラえもん〉では、未来の技術を詰め込んだ『ひみつ道具』として。
 〈ポケモン〉では(海外だと略称が作品名とされているので、それにならい、略称で書きます)、捕獲ゲットに用いる『モンスターボール』として。
 〈仮面ライダー〉や、戦隊ものと称される作品、〈ウルトラマン〉シリーズなどのヒーロー作品群では、戦闘服やら戦闘形態へ変化する『変身アイテム』として。
 作中では科学の産物として描かれる(例外もある)物品の中には、魔法としか思えない描写がありますよね。
「これって魔法じゃないか? 魔法ですよね? 魔法だなぁ!」
 そう言いたくなるけれど、作中では解明されている、もしくは、未解明だけどとりあえず害が無いので利用する、といった扱いがされていたりします。
 説明してくれ! は、以前書いたので、ここでは言及しません。
 だって、謎に包まれているのもそれはそれでロマン。ですからね。

 魔法、という言葉を使わずに、魔法の様な描写が入る創作物は、個人の匙加減さじかげんにより増減があるものの、沢山存在すると思います。
 そんな「これって魔法じゃないか?」を挙げていきましょう。

 〈ポケモン〉

 浅学せんがくですが、ポケモンの世界には「ボールに入る生き物」と「ボールに入らない生き物」が同時に存在している様です。
 ボールに入らない生き物の代表と言えば、人間でしょう。それから、しげみや木、花。生き物ではないけど、岩や石も。
 それに似たポケモンは存在しますが、どうやらボールに入らない生き物が居る事は確実。
 様々な生き物が存在する中で、ボールに入る生き物を「ポケモン」と呼称するのでしょう。
 現実で言えば、ざっくり「動物」と一括ひとくくりに呼ぶ様な感じですかね。
 この事実を最初に発見したポケモン世界の人間はさぞ驚いた事でしょうが、気になるのはポケモンを捕獲ゲットする際に用いるボール、その種類!
 水棲すいせいポケモンや、暗所での捕獲に適したボールがある。というのは、素材や内部構造が関係するのだろうと想像できますが、捕獲率が上がる高価な「スーパーボール」や「ハイパーボール」って何だ!?
 ゲーム的な都合という話は抜きにして、こんなに高性能なボールを作れるのなら、「モンスターボール」の製造技術も進化させて、果ては全てのボールが絶対に捕獲ゲットできる「マスターボール」と化すのではないか!
 そう思うかたわら、ポケモンの世界では生き物の捕獲ほかくがスポーツ的な側面を持ち、狩りや虫取りに近い存在なのだろう、という推測も浮かび上がってきました。
 それから、ポケモン世界の倫理観、情操教育の高さもうかがえます。
 この世界では、ポケモンはペットであり、闘犬とうけんの様に戦わせても良い生き物であり、長い人生を共にする相棒でもあるそうな。
 だからこそ、本気を出せば捕獲技術を際限無く上げられるものを、えて抑えているのでしょう。
 具体的な説明が難しい、未解明の部分もある魔法の様な技術だからこそ、ポケモン世界の人々は乱用を控えるのではないかしら。
 なんだか、身につまされるなぁ。

 〈ヒーロー作品群〉

 こちらの知識も明るくは無いので、一纏ひとまとめにさせて頂きます。
 本書の制作中に驚いたのは、明確に魔法を使う〈仮面ライダー〉や〈戦隊ヒーロー〉が存在していた事。
 魔法じゃん!
 終了。となってしまうので、魔法とは別の技術で変身する作品から。
 例えば初代〈仮面ライダー〉ですが、彼はそもそも改造人間であり、悪の組織の技術によって人間の心を持つ怪人(仮面ライダーでの悪役)にされてしまった存在とされています。
 腰の前に来る、ベルトのバックル部分に風を取り入れ、何やかんやあって肉体が変化し、戦闘形態へ変身する。
 なんという魔法の様な技術、恐ろしい!
 魔法って怖い、という話で触れましたが、仮面ライダーの世界では、人を助けようとする怪人が現れたからこそ、悪の組織の被害者は抑えられたのでしょう。
 どれだけ凄い技術を生み出しても、悪用されてしまえば、恐ろしい技術という先入観が生まれてしまいます。
 ヒーローだけど、恐ろしい存在。それが仮面ライダーシリーズ通してのテーマでもある。と言う人が居ます。
 それは決して、創作物の中に限った話ではありませんね。
 という事は〈戦隊ヒーロー〉なんてもっと恐ろしい存在じゃないか!?
 魔法の様な技術を扱う存在が徒党ととうを組んで、時にはビルよりも大きなロボットに乗り込む。
 戦隊ヒーローの敵が強大だからこそ、という描写ではありますが、もしも敵が居なくなった後は……。
 先述の〈仮面ライダー〉同様に、力を持った者の資質が問われる世界であると、私には思えます。
 〈ウルトラマン〉はもっと凄いぞ! 常に巨大なんだから!
 これはもう、私がウルトラマンの世界に居たとしたら、彼らに対して恐怖と感謝の板挟いたばさみになってしまうでしょう。
 しかし、ウルトラマンと呼ばれる彼らが凄いのは、彼らが異星人であるという事実。
 数多あまたの地球外生命体が、それも、人間の科学技術ではとても対抗しきれない存在がごまんと居る中、ウルトラマン達は弱きを助けるために戦うのだそう。
 でっかい体に見合う、でっかいふところで、善の心を強く持つ人間と手を取り合い、短時間の制約のもと戦う。
 様々なヒーロー作品で、それこそ国内外問わず描かれているでしょうが、ヒーローとはなんと孤独で、二十一世紀を生きる現代人よりも遠い存在なのか。
 何かを守るために戦う。その『何か』が大きい故に、強大な力を持つ必要があり、その力におぼれない心の強さもまた、求められる。
 彼らの魔法は、その心の強さなのかもしれません。
 本項では〈プリキュア〉シリーズなど、女子向けのヒーロー作品群には触れませんでしたが、彼らが示す正義、その魔法にかけられた子供達が、少しでも多くなると良いですね。

 〈機動戦士ガンダム〉

 ちょっと昔の時代に描かれた、子供向け作品。
 冒頭では「現在も子供向けのイメージが強い作品」を独断と偏見で抜き出したため、昨今では大人向けに感じる本作の名前は挙げませんでした。

 巨大ロボット。その質量を問題無く動かし、しかも一見非効率的な人型にする事は、魔法でも無ければ難しいのではないか。
 じゃあ魔法だな!
 いやいや、初代〈機動戦士ガンダム〉では、戦車や戦闘機がすたれた理由も存在します。
 それが、魔法の様な粒子『ミノフスキー粒子』。
 この粒子が電子機器に悪さをするので、ミサイルでの戦闘が難しくなり、汎用性はんようせいを見込んで人型の巨大ロボット、つまり、拡大化した歩兵戦ほへいせんが当たり前になっていったそうです。この説明では、かなり端折はしょっていますが。
 何はともあれ、不思議なミノフスキー粒子が出来てしまったので、戦争はその様相を少しばかり変え、はるか未来の戦争では『ガンダム』を含む人型兵器の総称『モビルスーツ』が用いられる、と。
 更に驚くべき事に、このモビルスーツは核融合炉かくゆうごうろ搭載とうさいしているらしい。これも例外はありますが。
 核融合かくゆうごうと言えば、身近な物では「太陽のエネルギー」です。
 太陽が地球に光や熱を届ける程のエネルギーを生み出すのが、核融合反応。モビルスーツを動かすのもまた、核融合炉。
 そんな現象を機械で再現するなんて、魔法じゃないか!
 いやいや、実は核融合による発電などは、現実でも研究されています。
 ずっと、ずーっと未来のお話である〈機動戦士ガンダム〉の世界では、なるほど確かに出来そうな、そう上手くもいかないような。
 だからこそ、その技術を実現させる『ミノフスキー粒子』が現れた世界である。というのが、ガンダムの世界です。一部のね。
 ガンダムの作品群ではこの様に、魔法みたいな技術が沢山登場します。
 ビームやら、謎の炎やら、物理攻撃減衰げんすいやら、ビーム無効やら……魔法じゃないか!
 現代人――ガンダムの世界からすれば、昔人むかしびとが見れば、魔法。
『十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』
 といった翻訳をされる言葉は、イギリス出身のSF作家であり、科学者でもあったアーサー・C・クラークが残したと言われます。
 未来の技術が魔法としか思えないのは、当然なのでしょう。

 〈ドラえもん〉

 魔法の様な未来技術と言えば、これでしょう!
 どこでもドア、ビッグライト、スモールライト、忘れてはいけない四次元ポケット。他にも沢山、色々。
 あんなこといいな、できたらいいな。
 なんと素敵な言葉を生み出したことか!
 しかし同時に、恐ろしい魔法……いえ、未来技術もありますね。
 例えば『もしもボックス』とか。
 世界を書き変えてるの? 平行世界に接続してるの? それとも、電話ボックス状の機械が入力された音声から演算したVR――ヴァーチャルリアリティ世界なの?
 摩訶まか不思議で、いいなって思うけど、場合によっては恐ろしい。
 子供の頃「怖っ!」と思ったのは、『ガリバートンネル』です。
 不思議な曲線を描くトンネルを通れば、体が小さくなるという、トンネル型のひみつ道具。
 幼少期、虫が大好きな私としては、テレビアニメを見ながら「肉食の昆虫が居るけど大丈夫?」やら「ありも恐ろしいぞ!」やら、でもやっぱり「でっけぇ虫と触れ合ってみたい!」とかも思っていた記憶があります。
 確か、私が観ていた回では、主人公である『のび太』のお母さんか誰かに、トンネルを片付けられてしまったのだったかなぁ。
 怪我も犠牲者も無く、元の大きさに戻れていたはずだけれど、あれは背筋が冷えた。
 先述の〈機動戦士ガンダム〉の世界では、舞台となる時代が未来だから良いものの、〈ドラえもん〉の世界では未来から過去――現代に持ち込んでいるのですから、理解させるのは至難のわざでしょう。
 ましてや小学生の主人公達と、子供の友達として作られたネコ型ロボットでは、真剣に話を聞いてくれるかどうか……。
 魔法……の様な技術を使えても、周囲の理解が無いと難しい。という点は、先述のヒーロー作品群とも似たものを感じますね。
 特に〈ドラえもん〉では、子供が体験した「不思議」ですから、時代背景も相俟あいまって、大人達が受け入れられないのもうなずけます。
 藤子・F・不二雄先生が創出した〈ドラえもん〉は、子供の視点という魔法――この世の様々な事に興味を持ち、空想したり、楽しんだりする力と、未来の技術という魔法を組み合わせた、少し不思議で、ちょっとうらやましい体験。
 それらが詰め込まれている様に思います。
 はぁ。二十一世紀、いや二十二世紀には、どんな魔法があるのかしら。

 さて。

 こうして挙げてみると、創作物の「不思議」は魔法と呼ぶ事も不可能ではないけれど、ちょっぴり、少しだけ、いや、結構……強引でしたかね。
 しかし、魔法と呼んでみると、何ともまぁ素敵っぽく聞こえる。かな?
 今回は私が抱いた印象を無視して「魔法」という言葉を何度か用いてみました。
 魔法には様々な概念がありますが、未来技術を魔法と呼べば、日常生活のあれやこれやにトキメキを覚えられるのでは、と思い立ち、こんな話を書きました。
 身近にある物は、歴史で勉強した人々、彼らと同じ時代に生きた先人達からすれば、魔法の様な技術が用いられています。
 スマートフォンなんて、二十年もさかのぼれば想像だにしないひみつ道具ですし。
 家庭の電灯もそう。懐中電灯だって、火傷やけどや火事の恐れ無く夜闇を明るく照らせる未来技術! 走りながらだって使えるんだから! ……危ないから、実践じっせんしちゃダメですよ?
 ライターやコンロ、マッチは、数世紀もさかのぼれば、恐ろしくもうらやましい魔法。
 そして、私達が当たり前と思っている「概念」さえ。
 世界を球形であると共通して知っている事。
 星が輝く理由を知っている事。
 呼吸の仕組み。酸素を植物が生み出す事。
 戦争の先に生まれたから、平和を強く欲する事。
 これらにも「魔法」という言葉を用いれば、私達は魔法を知る人類なのです。
 世界も、魔法にかけられた様に、隣人への不安や恐怖を抱く必要が無くなったら。
 そんな未来が実現したら、それってきっと、魔法じゃないか?

こしょこしょ

  魔法の言葉 240806

 痛いの痛いの飛んでいけ。
 指切りげんまん。
 他にも様々な状況で使う、魔法の言葉が世界各地にあります。
 うろ覚えですが、子供は魔法の言葉を使う、なんていうCMがテレビで放送された事もありましたね。
 語彙ごいが少ないなりに、短くて単純な言葉に気持ちを込めて伝え、受け取る側も同様にして答える。
 子供のやり取りは、大人になってみれば不思議で、時にはハラハラとさせられるものですが、多くの大人が忘れた事を教えてくれるものです。
 そうした子供の純粋さは、大人からしてみれば「魔法」を使っているかの様に見えますが、大人が生み出した魔法の言葉だってあります。

『この物語はフィクションです』
 フィクションとは、架空、創作物であるという意味を持つ言葉。
 この文言を冒頭に表示する事で、作品中の出来事や言葉が作り物である事を示唆しさして、実話をもとにしたノンフィクションと差別化する訳ですね。

『個人の感想です』
 明確な研究結果や、学問にもとづく意見ではなく、そういう言い方や、意見もある。という事を伝える言葉ですね。
 まさか、まさかとは思うけれど、鵜呑うのみにしないよね?
 もしかしたら、勘違いするといけないからね?
 念のため。転ばぬ先の杖。そういう目的で付ける言葉という訳です。
 ……個人の感想ですよ?

『用法用量を守って正しくお使いください』
 どちらも明記しているけれど、改めて書いておく、言っておく必要のある、扱いに注意が必要な市販薬などに表記される事が多い言葉。
 この概念が必要な物はもっとあると思いますが、二〇二四年八月現在ではあまり使われていませんね。
 自己責任が暗黙の了解とされているからでしょうか。
 いつか、全ての物事にただし書きが必要とされたり、するのかなぁ。

 本項では三つ、例として挙げましたが、現代のそこかしこに大人向けな『魔法の言葉』があふれていると思います。
 ただ、子供の使う言葉との違いは、必要に駆られているという点。
 自分がこうしたい、よりも、こうしてくる相手に備えて、という防衛的な意味合いが強くなりますね。
 賢いような、悲しいような……。

 ビターな魔法の言葉はここまで。

 次は「なんか、良いよなぁ」なんてつぶやいてしまう、そんな魔法の言葉について考えていきましょう。
 造語の話で私の念頭に浮かびやすいのは、井上陽水さんの歌〈少年時代〉の『風あざみ』という言葉です。
 なんとも風流で、みやびやかさも感じる言葉ですが、古くからある言葉でも品種名でもなく、造語なんですよね。
 作者以外知らない言葉だったのに、曲と合わせて聴く、歌詞を読むなどすると、不思議と情景が浮かぶ魔法の言葉です。
 こういった、作者の意思を短い単語に込めた魔法の言葉は、音楽の中に生まれやすいのでしょう。
 歌詞を付ける場合などは、音といんに当てはまる言葉を探し、時には誰も知らない言葉が生まれて、上手うまくいけば誰にでも伝わる言葉になる。
 歌という創作物は、整える事で美しくなる場合もありますが、楽しむ事で聴く人を「乗せる」事だってできる。
 井上陽水さんの『風あざみ』という言葉は、聴く人を郷愁きょうしゅうに乗せると共に、気持ちを軽くさせる魔法をかけるのでしょう。

 日常生活で聞こえる。

 スマホ。リモコン。エアコン。QRコード。インスタ。
 日本語での日常会話に、辟易へきえきするほど登場する略名や略称は、暗号……いえ、魔法の言葉と言えるでしょう。
 本来であれば、もう一秒弱かけて喋る時間を惜しみ、わずか一文字でさえ省略したがる日本人は、時間に厳格な国民性らしい文化なのかもしれません。
 ――言葉の端々はしばしとげが出ている。
 実は、私は「一部の」略称が嫌いです。
 リモートコントロール装置、略してリモコン。これは上手うまい略し方だと思います。リモートとコントロールの頭から文字を取り、渾名あだなの様な可愛らしさもある音。
 スマートフォン、略してスマホ。まぁまぁまぁまぁ。良しとしましょう。スマフォ・・・・、スマ「フォ・・」だと思いますけどね。日本語では音の変化は多く見られますし、なまりの様なものでしょう。ね。
 Quick Responseクイックレスポンス、略してQR。海外の文化ですが、これはダメだろ。早い者勝ちじゃないか。アルファベットの出てきた順番で早押しクイズをする様な、そしてかぶった名称が出てきたら、出題者が「ですがぁ〜?」と言い出すに決まってる。ふざけるな。
 Instagram、またはインスタグラム、略してインスタ。
 略す必要あるか!?
 グラム、だけなら言えよ! アナウンサーを「アナ」と言ったりさぁ、アナて! 欧米おうべいの人名やないか! 佐藤さとうせいのアナウンサーが居たとして(実在の方には例にしてしまい申し訳ないが)佐藤さとうアナ・・というお名前かしら? 違う? 佐藤アナウンサーの略ぅ? ふざけるなよ!
 ――こういった具合に、私は一部の略称には拒否反応を起こしてしまう。
 外来語をカタカナで使うのもそうだ。
 年配の方や、外国語に馴染なじみの無い世代が使うのは分かるんだ。三十歳、四十歳以降でいきなり「日本語だけじゃなく外国語も覚えてね」なんて、難易度が高すぎる。それまで日本語だけの世界だったのに、周りだってそうしていたのに、突然受け入れろというのは難しいだろう。
 とは言え、いくつになっても学習しようという気概きがいは必要だと思いますが。
 だが、義務教育期間に英語を知ったはずの大人達が「コンセンサス」やら「レジュメ」やらと言っていると、怒りを通り越してあきれる。
 英語を話したいのか、日本語を話したいのか、日本語風の独自言語が話したいのか、正直に言えよ。
 英語を話せないけど、英語を勉強している雰囲気をまとって着飾りたいだけだろ? こてこてごてごて、足し算しか知らないから、付け焼き語彙ごいを使うしかないんだろう?
 腹が立つ!
 本業で手一杯で、外国語の勉強を本気でやる余裕は無いくせに、発音はカタカナのまま会話に持ち出して「知らないの? 外国語でね、これこれこういう意味だよ」とか、日本語を使わない事の意味は!?
 その他にも「まったく勉強が足りないなぁ」とか、お前がじゃ!
 自身の能力不足を認められない事を、暗号や隠語らしきものを使えば「賢くなれた」と勘違いして、浅ましいわ! 下卑げびた笑みを浮かべるな! 一方的に持ち込んだ知恵比ちえくらべに勝って優越感を抱いた様子だが、私のぽかんとした表情は『何だこの歳だけを重ねたバカタレは』という言葉を必死にみ込むために顔面の筋肉が必死なんだよ! 車の速度を上げれば偉いとでも言うのか、下劣げれつな精神性しやがって! その様な精神にしがみつく限り死ぬまで成長があると思うなよ! お前は崖際がけぎわなんだよくずがッ!
 こほん。
 という咳払せきばらいの擬音ぎおんでは誤魔化ごまかし切れない「個人的な感想」が飛び出しましたが、この現代(二〇二四年現在)に居座り続ける悲しき妖怪のなんたる多き事か。
 いいじゃない「英語の勉強したいんだけどさ、一人でやるのはさびしいから、付き合ってよ」って部下に言えばさ。
 いいじゃない「暗号ごっこ楽しいからさ、ウチの会社でもやろうよ!」って楽しに提案、乃至ないしお願いをすればさ。
 なーにが「社会の常識」だ! 常識欠如けつじょなんだよテメェがッ! こっちは創作物の話じゃなくて会話をしてんだ! 日本語でなッ! 幼稚園児から小学生、中学生、高校生までと混じってやり直して来い! お前の大好きな「社会勉強」をなッ!

 とは言ったものの。
 外来語が日本の文字に形を変え、老若男女が読める形にできたり、当て字という遊び心を用いる事で、提灯ちょうちんを「提灯ランタン」なんていう表現ができるのは、日本語の好きな部分でもある。
 使い方、意図、経緯。何故そうしたのかが発信者の中で明確になっていれば、きわめて自由度の高い言語に早変わりです。
 それが、現代日本の、和洋折衷わやうせっちゅうを飛び越しておもちゃ箱の様相をていする、不思議な風景を生み出す一つの要因ではないでしょうか。
 この文章を読んでいるという事は、日本語をある程度習得している――日常会話や基本的な読み書きには困らない方でしょう。
 日本語は魔法の言葉だなぁ。
 なんていう事も、言葉について考える時間が、平均よりはちょっぴり長いと自負しているからこそ、思います。
 私達は、そんな魔法の言葉を操るすべを持っているのです。
 そうして、略称や外来語じりの文章、時には造語が生まれたり、時の流れに沈んでいく流行語が出てきたりして、知識の多い人ほど、色んな会話ができる。
 そう思うと、国語の勉強も楽しいでしょ?
 ……道理どうりで「魔法」が苦手な訳だ。

ブラックボックス

  結局、魔法って何なんだ 240811

 そうですよねぇ。ホント、そうなんです。
 タイトルへ向けて自問自答しました。
 結局、あれやこれやと考えてみても、〈はじめに〉にて書いたふんわり・・・・とした概念である。というのが、魔法。
 その解釈も、概念も、定まらないからこそ、魔法と呼ぶのでしょう。
 だからこそ恐ろしく、だからこそ説明を聞きたくなり、だからこそ様々に解釈する事ができて、だからこそ色々な場面で言葉として登場する。
 だからこそ、魔法を嫌いにはなれない。
 研究の甲斐かいがあると思いませんか?
 こりゃあ『買い』だな。がっはっは。
 ……氷の魔法は使ってませんよ?
 不思議ですねぇ、創作物――所謂いわゆる『ファンタジー』と称される作品群で使われる〈魔法〉は、言い方一つでくだらなくなる。
 でも、言い方一つでトキメキを与える事もできます。
 良くも悪くも使えるのが魔法。
 場面に合わせて、綺麗とも、醜悪しゅうあくとも言える。
 創作物で魔法を登場させる作者達は、その〈魔法〉のどういった部分にかれて、作品に組み込んだのか。
 子供の頃、ゲームで遊んだ世界をもう一度?
 口には出せないけれど、あこがれがあるから?
 作品の根幹に関わる、舞台装置として?
 うーむ、結局、あなたの〈魔法〉って何なんだ。
 作品を批判や否定するのではなく、る一人の人間が、何故そうしたのか。
 そういう視点で研究をしてみると、今まで楽しんできた作品を更にもう一周、楽しむ切っ掛けになると私は思います。
 なんて言ったって、創作物は娯楽ごらく
 楽しんでナンボ。というやつですからね。
 こんな文章作品を見付けてくださったあなたも、「コイツは一体何なんだ」なんて改めて考えれば、本書ももう一度楽しめるかもしれません。
 何せ、個人の感想ですから。
 魔法書を解読する気分になれば、読書や学習も、なんだか素敵な響き。
 妄想もうそうする事って、知恵の魔法でしょ?

 ――おわり。

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  あとがき 240811

 とんがり帽子ぼうしに、マント、不思議な形の杖。
 それだけそろっていれば、知っている人は「魔法使い」という言葉を連想します。
 そこまで連想できる人ならば、その魔法使いが動く様子を想像し、その中に自然と〈魔法〉という概念を登場させる事でしょう。
 魔法が何なのかは分からなくても。
 しかし、私の場合はと言うと、少し違うのです。
「どうしてそういう服装なのだろう。仮装なのか? 制服なのか? 何か効果的な物品なのか? どうしてそういう形状になったのだろう」
 と、その世界で起きた『事実』である事を前提として、果ては「作者の意図は」などと想像を広げに広げていきます。
 批判や否定をする、足取あしとりがしたいのではなくて、知る事を目的として。
 本書では鼻息荒はないきあらく語る事もありましたが、詰まる所、その作品や文化にかれる部分があればこそ、知的好奇心が刺激されるのです。
 私の場合は特に、作者へ向けて。
 その人が何をえがきたいのか。何を考えているのか。何を伝えたいのか。
 最近、こういう話の結論の一つとして『別に伝えたいことは無い』という文章を、SNSで目にしました。
 私はこの意見に関しては否定的です。個人的に、ね。
 何故なら、一次創作とも呼ばれる独自の作品も、既存の作品から想像を広げた二次創作も、日記も、エッセイも、ノンフィクションも、人が何かを発信する事は、そこに意図があると思うから。
 この『意図』に、何か勘違かんちがいをして、壮大でなければならない。人に対してどうこう。という意味を感じてしまったから、先述の文章を書いたり、それに同意した方々は『伝えたいこと』さえ重たく、鬱陶うっとうしく感じているのかもしれません。
 辞書をひけ。
 スマホでポチっと、一分もいらないから。
「綺麗な魔法が頭に浮かんで、それをえがきたかった。綺麗な魔法もあるって、自分の表現で誰かに伝えたかった」
「自分の考えを残しておきたかった」
「思い付いて、絵や文章で表現できるから。なんとなく」
 些細ささいとさえとらえられる事でも、作者がそう思ったのなら、それがその作品での答えなのです。
 答えたくない意図があるなら、それを伝えれば良い。それくらいの優しさ、持っても損しませんよ。
 しかし、たずねる方も気を付けなければいけません。
 自分なりに考えた上で「どういう意図なんでしょうか?」と言わなければ、そりゃあ鬱陶うっとうしく思われる。
 人に意図をたずねておいて、自身の発言の意図を示さなければ、勘違かんちがいの応酬おうしゅうです。
 折角せっかく、魔法の言葉があるんですから、現実でも魔法を使って、創作物でも人々を魅了みりょうする魔法をかけられたら、素敵じゃないですか。
 創作物で、多くの人々の思いの力が敵をける。そういう描写がありますよね。
 現実世界の〈平和〉という魔法は、知恵という魔法を持つ人間だからこそて、壮大だからこそ、多くの人の力が必要です。
 でも、その力は私達、人間の誰しもが持っている力。
 何度も何度も、手を替え品を替え、平和という言葉がとなえられるのは、ちょっとやそっとの人数――一億や、十億じゃ、足りないから。
 人はうっかり忘れるものだし、新しく生まれた人達は当然、知る所から始める。
 でも、そんな魔法が実現したら、やっぱり素敵。
 素敵の才能は誰しもに。
 だから、こんなエッセイ作品を書きました。
 意外でしたか? 〈魔法の言葉〉の後半では、怒りくるった様な文章を書いていたのに、って。
 批判だけじゃないよ。っていうヒントは、少しづつ散りばめておきましたから。読み返してみると、私の呪文じゅもんが分かるかもしれませんよ?
 呪文……。
 のろう、文言ぶんげん……恐ろしや。
 魔法を使うには、呪文を詠唱えいしょうする?
 魔法は恐ろしい……なんと危険な存在か!
 なのに、簡単に使えてしまうし、悪にも善にもなる、だって!?
 魔法って…………魔法って、何なんだぁーーーッ!

魔法恐怖症の魔法使い

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