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「騎士、舞う」小説:PJ13

  はじめに

 本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
 それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
 また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。

 01話はこちら。

  目次について

 本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
 表記は「 ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕ ‬」が大きな場面転換。
 その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
 例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
 しおり代わりにご活用ください。

  13 騎士、舞う

 焦茶色こげちゃいろの剣を振り回す様にして突き出された槍をなし、反時計回りに回転させた腕の動きはそのまま、槍の持ち主の胸をく。
 鋼の甲冑かっちゅうに身を包んだ大柄の男が、よろい同様に薄灰色の毛並みを持つ愛馬と共に黒衣の騎兵を過ぎ去れば、黒衣の体がぶるりと七度震えて更に多くの血潮を砂地に流し、絶命した。
「全隊! 遅いぞ! 進めぇ!」
 男は声を張り上げ、夜闇の中から次々と迫り来る黒衣の集団をにらみ、焦茶色こげちゃいろの剣に付いた血をぬぐうかの様に左前腕のよろいに押し付ける。
 からららら、と微細に振動していた剣がよろいを何度も叩き、その振動が収まる内に、眼前に迫る黒衣ら四騎が得物えものを振りかぶっていた。
(四騎同時……なれば)
 男は胸中で呟き、手綱たづなを強く引いて馬を退かせ、焦茶色こげちゃいろの剣身を前腕のよろいこすり付ける様に走らせる。
「メヌエット、退け! より速く!」
 微細に振動する剣を構えながら、男は愛馬の名を呼んで手綱たづなを強く引き、横腹を敵に見せないよう気を配りつつ手綱たづなあぶみを使って馬をる。
 駱駝らくだまたがった黒衣の騎兵らはあっという間に距離を詰め、男は彼我ひがの距離を測って剣を振るい、くうった。
 牽制けんせいにさえならないれを見た黒衣らは口端くちはを上げて迫り、しかし、男の表情は真剣そのもの。愛馬を退かせ、くうを四度ほどって、男はついに愛馬を左手に回頭させる。
 そこに四騎の黒衣が駱駝らくだを加速させて迫り、突き出した槍やなたはじかれ、折れ、突然の出来事に驚く間に、駱駝らくだ共々彼らは無数の刀傷を負った。
 男はそれを見守る事無く、愛馬を走らせて彼らの背後に回り、四騎を次々にせていく。
 彼が過ぎ去った後には傷付いた駱駝らくだが二頭走り去るだけで、他は確実に息の根を止められていた。
 男は肩越しにそれを確認して振動する剣を左前腕のよろいで止め、戦場を見渡す。
「アキッレ! ジェンナロとタロウはどうなってる!」
 不意に横合いから聞き慣れた声が響き、男――アキッレ・ヴィナッチャは周囲に警戒の視線を飛ばしてから声の主、白銀の甲冑かっちゅうまとい、かぶとの頭頂部に付けた青い羽飾りを揺らして青碧色せいへきいろの熊――エクゥルサにまたがり駆け寄って来る女性の騎士、ハンソーネ・トロンバを見た。
「兄上がひきいていた隊士は見付けども、こうも混戦していては……既に私もタロウ殿の刀が放った炎の位置を見失っております。
 我が隊の損耗としては軽微なれど、グリーセオ隊を見付ける前に撤退する事も考えねばなりません」
 冷静に報告と提案を終えたアキッレに、白銀のかぶとうなずく。
「グリーセオ隊の残存兵は既に撤退を始めている。我々が成すきはジェンナロとタロウの回収、そして撤退だな。
 アキッレ、貴様は引き続き敵兵を遊撃し、全隊を私の元に集めさせろ。指揮権を私に戻し、本隊は撤退の準備を行う。
 ――ジェンナロとタロウの回収は、可能な限り、だ」
 ハンソーネの指示に、アキッレは馬にまたがったまま略式の敬礼を示し、戦場へと目を戻した。
 背後で軽やかに駆けるエクゥルサの足音を聞きながら、アキッレは夜闇の戦場で孤立しつつある隊員を見付け、馬を走らせる。
 ハンソーネが下した指示は『最悪の場合は二人を諦めろ』と釘を刺すものであると同時に、ジェンナロと二つ違いの弟であるアキッレに遊撃を任せて『助けたければ最善を尽くせ』と暗に伝えていた。
 少なくとも己の中でそう解釈したアキッレは、ハンソーネの指示を遂行しつつ、味方が隊長の元へ集う最中、全隊を使って二人を、そして今正いままさに戦場で命を落とそうとしているフランゲーテ魔法王国の戦士を救う事に意識を集中させていく。
 兄のジェンナロと、アキッレにとっても友人であるタロウを失うという恐怖や焦りは、アキッレの心中には無かった。
「……斯様かよう窮地きゅうち、ヴィナッチャ家の男には日常と同義。そうであろう、兄上……!」
 その独り言は、覚悟を自らに聞かせる為に。
 アキッレは焦茶色こげちゃいろの剣身を左前腕のよろいに押し当て、目の前で苦戦する隊員を見詰めて大きく息を吸う。
「アキッレ・ヴィナッチャ! 八ツ斬やつぎりのアキッレだ! まさってみせよ、フェリダー!!」
 とどろいた名乗りに黒衣らが一瞬目を向け、振動する剣を構えたアキッレは混戦の直中ただなかに飛び込んだ。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 13の二

 広大で閑散かんさんとしたフェリダー共和国。其処そこに住む人々の生活に欠かせず、様々な用途に役立つ動物が、古くからその地に住まい、現在では家畜化によってより効率的な消化器官と代謝能力を獲得した駱駝らくだの一種だった。
 駱駝らくだの『一種』と言えども、フェリダー共和国にはその種以外の駱駝らくだは存在しない為、その生物はフェリダー共和国とカーニダエ帝国の共通語たる〈ミアキス語〉で『駱駝らくだ』としか呼ばれない。
 駱駝らくだたちは少ない水と食糧で生き長らえ、余分に吸収した栄養は大小の二つに分かれたこぶの中に蓄えたまま過ごし、緊急時――フェリダー共和国の戦士を載せて戦場を駆ける際などに、蓄えた栄養は運動や生命活動へ回される。
 その生態故に持続力は並の馬とは比べ物にならない程に高く、仇敵きゅうてきであるカーニダエ帝国が用いる青碧色せいへきいろの熊――エクゥルサであっても、直線上であれば追い越す事が可能な程に足も速い。
 しかし、トラゲがまたがる黒褐色の駱駝らくだ、その前を駆ける深紅の獅子しし――ライガは、人が手を加えて千年以上も経つ駱駝らくだと並走しても息一つ上げず、安定した走行を十分じっぷん以上も続けていた。
 それも、ライガは隊列に合わせるく加減しての走行だ。
 トラゲはライガという生体兵器が秘めた能力を改めての当たりにして全身が総毛立そうけだつのを感じ、深紅の獅子ししから視線を外して正面、夜闇の中から上がるいくさの声に耳を傾ける。
 叫び、金属音、乱雑な足音、それらは薄く立ち込める砂煙と共に押し寄せて来て、トラゲは背中に掛けた二振ふたふりの三ツ又みつまた槍の内一つを右手に握り、深呼吸を繰り返した。
「トラゲ、オレが道を開く、指示があるなら飛ばせ」
 ふと発されたライガの声に視線を下ろすと、深紅の獅子ししがトラゲを振り向いて見上げている。
 トラゲはライガの目を見返して数瞬、思考を巡らせて、手にした三ツ又槍で先を示した。
「トラゲ隊の目的は敵軍を減らし、可能であればグリーセオ・カニス・ルプスをつ事にある。隊員の視界内から離れない様に動け。
 もしも我等われらの目から一分でも離れる事があれば、分かるな?」
 トラゲの言葉に、ライガは鼻を鳴らして加速していく。
 星明かりに照らされて薄灰色にも見える砂原の中、複雑にうごめ影目掛かげめがけ、宝石のごとく煌めいて深紅の獅子ししが飛び込んで行った。
 ライガを知っている身であればれが生き物だと認識出来るが、何も知らない敵増援部隊の兵らは深紅の光条が差すと共に首や四肢を飛ばされる、何らかの魔法だと認識してった事だろう。
「英雄などでは無い……あれは……」
 複雑に入りじる感情に口を動かされ、トラゲはつぶやいた。
「……あれは、フェリダーの罪だ」
 左手を上げ、もう一振りの三ツ又槍のを握り締めて背中から取り外したトラゲは、ライガが瞬く間に五騎の敵兵をったのを見てから左の槍を大きく振り、次なる標的を指し示す。
 トラゲの指揮に合わせて隊列も動くが、ライガはそれが到着するまでに次々と敵兵を殺していく。
 カーニダエ帝国の増援部隊が異常事態に気が付くまでに、ライガは実に十七騎もの敵兵を殺し尽くしていた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 13の三

「隊長! 後方より奇襲! 小数ながら、未知の動物兵器を一頭連れています!」
 ハンソーネひきいる増援部隊〈コーア〉の後方から駆け付けた部下の報告に、部隊員を集め始めていたハンソーネは白銀のかぶとの奥で目を見開いた。
「……全隊、撤退を始めろ。
 此処ここより南にある集落の横を過ぎて〈第三ナスス駐屯基地ちゅうとんきち〉へ!
 六名、腕に覚えのある者だけ私に続け! 其奴そいつを……〈フェリダーの英雄〉をつ!」
 素早く指示を飛ばし、ハンソーネは自身のるエクゥルサを転身させて部隊後方へと駆けて行く。
 背後からは遠ざかる足音とぴったりと着いて来る足音が重なって響き、やがてハンソーネに追従する騎士らが周囲に撤退を呼び掛ける声が上がり始めた。
 部下達の声を遠くに聞きながら、ハンソーネは冷や汗を垂らす。
 報告にあった動物兵器が本当に〈フェリダーの英雄〉なのかどうか、確信はおろか情報さえ無い。だが、しかし、後方からの奇襲とそれを報告した部下の慌ただしい様子に、予感だけを抱いていた。
 五年前、自国――フランゲーテ魔法王国内の武闘大会にて対面した、マギニウムを肉体に取り込んだ生体兵器、れに成りかけていた青年を思い出して。
 わずかにかぶりを振り、ハンソーネは嫌な予感を振り落とそうとして、その動作の最中に視界の端で深紅のきらめきを捉えた。
 遠い、だが、確かに見た事のある輝き。
 グリーセオの報告と、直接相対あいたいした記憶がハンソーネの脳裏を駆け巡り、ハンソーネは白銀の細剣を抜き放ち、きっさきで方角を示した。
「居たぞ! 此処ここ彼奴あいつつ! 続け!」
 ハンソーネの指示に後方から六人分のときの声が響く。
 その声だけでハンソーネは誰が続いたかを悟り、深紅のきらめきに向かう一分余りの時間を使って、現在可能な戦術を頭に浮かべ続けた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 13の四

 よろいを外させたジェンナロの手当てを終え、グリーセオは周辺の物資をき集めて革袋かわぶくろに詰め込んでいた。
「……よし。ジェンナロ男爵だんしゃく、動けるか?」
 周辺に目をり、いで革袋かわぶくろの中に必要最低限の物資を確認したグリーセオが、顔を上げた先でよろいを着け直しているジェンナロに問う。
「ええ、なんとか。お陰様で命拾い致しました。この御恩は」
せ、まだ問題はある。まずは……足をどうするかだ。友軍に救援を求められないか?」
「信号……空気に反応して輝く粉が、三つ。しかし、気が付くのはフェリダーの者が早いでしょう」
「……かく歩こう、タロウは俺が」
「いえ、吾輩わがはいが。グリーセオ殿には御守おまもり頂かねばなりますまい」
「――それもそうだな……。頼んだ」
 言葉をわし、グリーセオはジェンナロに手を貸して気を失ったままのタロウをかつがせ、二人は夜闇の砂漠を歩き始めた。
 一歩、また一歩と踏み出せば、ジェンナロの手当てをしていた時から続いている妙な静けさを二人分の足音が際立きわだたせ、グリーセオとジェンナロは戦いが行われているであろう方角へ、音だけを頼りにして歩く。
 警戒心を緩めないよう、しきりにこうべを巡らせていたグリーセオは、夜空の地平線上に四角い影を作る、集落のある方角から歩いて来る人影に気が付いた。
「……ジェンナロ、このまま歩け。何があっても本隊との合流を優先しろ」
「はっ」
 静かに力強く、肯定の意を示したジェンナロの声を背に受けて、グリーセオはジェンナロから少し距離をとり、真っぐに向かって来る人影をにらむ。
 夜闇の中に馴染み、金属の光沢がややあるものの、甲冑かっちゅうでも無ければ、青色の布も身に付けていないれは、フェリダー共和国の兵士で間違いが無かった。
駱駝らくだから落ちたか……? やるしか、ない)
 胸中で覚悟を決め、グリーセオは両手を振るって鋼の篭手こてを二振りの短剣へと変じさせる。
「……覚悟があるなら来い! せる……!」
 彼我ひがの距離は二十メートル程度、背の高い痩身そうしんの黒衣は、グリーセオの声に何の反応も見せず、ふらふらと進み続けた。
 その足取りに、グリーセオは違和感を覚える。
 砂を踏み慣れている様子はあり、足取りこそはっきりとしているが、彼の右手はなたを強く握り締め、肩や背筋には余計な力が入っていた。
 彼は明らかに、戦い慣れていない。
 グリーセオは目の前の黒衣が五メートルを歩く間にそう判断し、一歩、相手が踏み出して右半身へ重心が振れたその瞬間、砂地を強く蹴り出し、相手の左手に回る様に駆け出した。
 近付いて見ればその顔は若く、き出しの両手は血で汚れてはいるものの、兵士にしては細い。
 瞬時にれを見て取り、グリーセオは黒衣が反応する瞬間に合わせて左の剣を振りかぶった。
 黒衣はその動作を気にもめずに右腕を、その手に握ったなたを振り上げて応戦する意思を見せ、グリーセオは彼がなたを振り下ろす動きに合わせて左の剣を振り下ろし、なたの腹をしたたかに打ちえる。
 グリーセオの腕力に負け、黒衣はあっさりとなたを手放し、しかし、黒衣は悲鳴地味じみた声を上げながらグリーセオにつかみ掛かって左の拳を振り上げた。
 拳が突き出される最中に右の剣を篭手こてに戻したグリーセオは、その拳を手の平で受け止め、ひねり上げながら左の剣も篭手こてに戻し、黒衣の喉をつかまえる。
「兵隊ごっこが戦場に出しゃばるな」
 左手を封じられ、首をめられたまま空を仰ぐ様にさせられた青年は、漏れ出す息でうめき声を上げて、右腕でむなしい抵抗をするも、やがて気を失って全身から力を失った。
 グリーセオは人の喉を締める嫌な感触を左手に刻みながらも、右腕で気を失った彼の体を受け止めて、砂原に横たえる。
「……恨んでくれていい」
 つぶやいた声は誰の元へも辿たどり着かず、グリーセオは黒衣の青年を後にして先を行くジェンナロを追った。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 13の五

 深紅の獅子ししが凶暴なあぎとから槍を握ったままの右腕を吐き捨て、馬上の兵士へ向けてび上がる。
 右腕を失い、左腕だけで体をかばおうとした兵士は大きく目を見開き、小さく鋭い呼気を聞いた。
 次の瞬間には、兵士と獅子ししの間にエクゥルサにまたがった白銀の騎士が割り込み、深紅の獅子ししが低いうなり声を上げて宙を舞う。
「撤退しろ! ハンソーネ隊長が討伐される!」
 白銀の騎士を追って現れた甲冑かっちゅう姿の男に言われ、兵士は声も出せずに馬の横腹を蹴り、その場を離れていった。
 の状況を耳で理解したハンソーネは、いた左手で後続の六人に指示を飛ばし、眼前で砂原に着地した深紅の獅子ししへ白銀のきっさきを向ける。
「ライガ……あわれな生体兵器よ、人の言葉が分かるのなら聞け!
 ――我が名はハンソーネ・トロンバ。フランゲーテ魔法王国が第六騎士師団をひきいし、王華おうかの騎士だ!
 の名を告げた上で申し込む、私と一騎ちをせよ、フェリダーの英雄!」
 朗々と語られた声に、周辺にはやおら静寂が訪れ、深紅の獅子しし苛立いらだつ様なうなり声を上げながらも、その姿を変え始めた。
 その変化はものの三秒で終わり、顔の各所と首から下に深紅の外骨格をまとった長髪の青年――ライガが砂漠に立つ。
「……悪いがオレに判断は許されてねぇよ。追って来てる隊長サマに言ってくれねぇか」
 ライガがそう言ってちらと背後の夜闇に目をった瞬間、ハンソーネはエクゥルサを走らせ、白銀の細剣を突き出した。
 ライガはそれを外骨格におおわれた左手でなし、迫るエクゥルサの巨体もかわして何事も無かったかの様に立ち続ける。
「一騎ちじゃないのか?」
「たった今お前が蹴った話だ」
 そう返したハンソーネはエクゥルサをる手を止めずに再びライガへ迫り、突き出した細剣をライガが右のてのひらで受け止めた直後、白銀の甲冑かっちゅう姿がくらを蹴って空中に踊り出した。
 ライガはつかんだ細剣のきっさきに外骨格の五爪ごそうを絡めてらえ、び上がったハンソーネを背後へと投げる。
 その先には、ハンソーネの部下が馬に乗って駆け込んでいた。
 ハンソーネは大柄な彼に受け止められ、ライガの周囲を回る馬上で体勢を整えるや否や、ぶ。
 細剣を引き絞り、再びの刺突に構えたライガはしかし、背後からの足音に反応して砂地に左手を突き出し、目も向けずに右脚を振り上げた。
 外骨格におおわれた深紅の右脚が、そこから突き出した無数のとげが背後から迫った騎士のよろいを切りき、嫌な音を響かせながら騎士はライガのかたわらを過ぎ去って行く。
 片腕で逆立ちをしたライガは、次に迫るハンソーネの細剣を右腕で大きく払いけつつ、振り上げていた右脚を眼前のハンソーネ目掛めがけて落とした。
 風を切って迫る深紅の右脚に、細剣をはじかれたと同時に体勢を崩したハンソーネはえてそれに任せて回転し、左の拳――それをおおう白銀の篭手こてを打ち込む。
 がぁんと金属音が轟き、振り下ろされた深紅の右脚が砂原を穿うがって煙を巻き上げた。
 ハンソーネはその煙から逃げる様に砂を蹴って退しさり、二度三度と巻き上がる砂煙を見詰めようとした直後、不意に左前方へと顔を向けた。
「バストロ、来るぞ!」
 砂煙に突進を仕掛けんとしていた仲間にハンソーネが声を掛けた瞬間、彼――バストロへ向けて深紅の影が飛び出し、エクゥルサにまたがっていた騎士が落馬する。
 彼を乗せていたエクゥルサは驚きのままに駆け出して、落ちたバストロの元へ向かうハンソーネはぐに、ライガと組み付き合うバストロの姿を砂原の上に視認した。
「バストロぉ!」
 叫んだのはハンソーネでは無い。
 彼女の背後、漆黒の長槍をたずさえて馬にまたがる青年――ヨハンだ。
 ヨハンはライガとの距離が五メートル以上も離れているにも関わらず長槍を突き出して、漆黒の槍が鳥の鳴き声にも似た甲高かんだかい音を発する。
 音は砂をき分けて吹き散らし、バストロを抑え込んで馬乗りになろうとしていたライガをも吹き飛ばして、砂原に波模様を刻み付けた。
 戦場を薄くおおう砂煙の皮膜の下に、青い衣服を着たバストロの甲冑かっちゅう姿が立ち上がり、ハンソーネがわずかに安堵あんどした直後。
 砂漠を揺るがす程の雄叫おたけびが上がった。
 声の主はライガだ。
 辺りには目眩めまいを覚える程の低く強い心音が雄叫おたけびに重なって鳴り響き、叫びながら背負っていた剣を抜き放って砂を穿うがち、立ち上がったライガの姿が、変わっていた。
 二メートルを超える筋骨隆々な肉体が陽炎かげろうに似て揺らめき、背丈がわずかに伸びて、外骨格越しにも大きく見えていた筋肉が更に膨らみ、全身にえていた深紅のとげが、小刀の様に、より鋭利に、より大きく突き出していく。
(……グリーセオ。お前は彼を、人であると認め続ける事が出来るのか)
 心音が砂漠に響いている。
 ライガは変貌へんぼうを終え、荒い息を吐き出す人とも獣ともつかない、深紅の骨で出来たかぶとおおわれた様なの顔は、憤怒に満ちた悪鬼だった。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 13の六

 ――心意しんい式完全自在魔法。
 砂をき詰めた大きな箱の中に書かれた文字列を、白い装束の男がれを書いた棒で指し示す。
「魔法とは、マギニウムを多量に含んだ物質が引き起こす、物質本来の働きとは全く異なる超常的な現象を指す言葉だ。
 この現象を引き起こす微小物質がマギニウムであり、現象の発現と、それから発現に要する条件は、物体により一つ一つ異なる。
 それ故に、魔法は再現や量産が不可能なものであり、この世界――ヌロヴェルブムにれていながら、極めて扱いが困難な物質だ」
 白い装束の男はそこで言葉を切り、砂から棒を離してその先端部分を左手でもてあそんだ。
「ただし、これには例外がある。
 一つ、マギニウム――この場合はマギニウムを含んだ物体を指すが、そのマギニウムが単一の大きな物体であれば、砕いたり分割したとて、出力こそ下がるものの、同様の魔法を持つ物体として数自体は増やせる。
 例えば、カーニダエ帝国の地下に眠る鉱脈であり、そして――」
 男は一拍置いて、こつ、と足元の石畳を右手の棒で叩く。
我等われらがフェリダー共和国の地盤そのもの。れらが良い例だ。
 そしてもう一つは、人間だ」
 男の言葉に、彼の目の前、石を切り出した簡易的な椅子に座る少年が、ぴくりと表情をゆがませた。
「マギニウムに満ちたこの世界に生きとし生けるものは、マギニウムを掌握し、操るすべを生まれながらに持っている。当然だな。その身に宿る物質を全く操れない生物など居ないのだから。
 そして、特にそのすべけているのが、人間。動物よりも複雑な思考を可能にした人間に膨大なマギニウムを宿してやれば、後はその者がマギニウムをぎょする心意しんいさえ持ってさえいれば、肉体を自在に変化させ、宿した魔法の発現を意識一つで可能にする超越者と成るのだよ。
 れを安定して生産する事さえ出来れば、フェリダー共和国はヌロヴェルブム初の魔法量産技術を実現した国家と成るのだ」
 薄く笑った男の顔を見て、少年は自身の胸元、心臓の辺りに手を置いて、石畳に落としていた視線を上げる。
「オレは、それになれたんですか?」
 少年の問いに男は胡乱うろんな笑みを浮かべたままわずかに頭を傾けた。
「どうかな。マギニウムを宿してぐに死ぬ個体は少ないからね。
 ――コドコド、君はまだなかばだ。ライガに追い付きたければ、その力を制御し続ける事が出来るのだと示さなければならないよ。
 その身に宿した魔法を完全に己の物として、我が国に、フェリダー共和国に勝利をもたらさなければ、ね」
 男の言葉に、少年――コドコドは力強くうなずいた。
 それを見て男は笑みを深め、コドコドの頭をでる。
 手狭てぜまで冷たい石造りの小部屋の中、男の声が再び響いた。
 コドコドを完全な兵器として運用する為に。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 13の七

 深紅の外骨格をまとう時、ライガの体の芯は冷え切っている。
 体内の熱を失う程に、ライガは心臓を中心に張り巡らされたれと、全身の骨と同化しているれにおおわれ、本能の泥に沈められるかの様な感覚を覚えた。
 右前方から突き出される漆黒の長槍。風か何かを押し出すそれは、右手の剣で振り払えば乱されて霧散むさんする。
 人の域を超えて鋭敏になったライガの感覚は、本人の意思とは関係無く外界の情報を正確に伝え、肌で触れてしまえば相手の感情をも受け取ってしまう。
 槍を払いけたその直後に、白銀の細剣が刺突を繰り出す。的確に心臓を狙うれを受ける訳にはいかない。ライガは瞬時の判断で左腕を突き出し、そこから伸びる剣状のとげで絡めてらし、一歩、大きく踏み込んだ。
 それでも、あの時――コドコドを抱き締めた時、ライガは十二年の人生で初めて、純粋な善意がこの世界に存在するのだと知った。
 右腕を引き戻し、白銀の騎士へ向けて横薙よこなぎの斬撃。
 単純な事だった。純粋な悪があるからと言えど、純粋な善が存在しない証明には足らないのだ。
 白銀の騎士が退しさり、くうった柘榴色ざくろいろの長剣に身を任せ、半回転する。
 そのコドコドを、自分の様な化け物にしてはならない。
 左手から迫っていたもう一人の女騎士が、振り抜かれた柘榴色ざくろいろの長剣にたじろぎ、ライガはそれを見守る事無く地面を蹴り出して、漆黒の長槍をたずさえている騎士に背中から衝突する。
 コドコドという小さな少年との出会いが、苦しみにもなり、希望にも成った。
 剣状のとげが無数に生えるライガの背をもろに受け止めた騎士が、背後でうめき声を上げて、白銀の騎士を含む視界内の四人が動く。
(オレは、この糞滓くそかすみてぇな世界を許さねぇ。何も知らずに、考えた気になって戦う此奴等こいつらも、罪の意識から逃げるだけのグリーセオも、カルニボア機関も、フェリダーも、カーニダエも、全部……!)
 ほんの一瞬ずつの違い。
 迫る刃達のわずかな速さの違いを見切り、ライガは両腕を下ろして交差させ、突っ込むと同時に振り上げた。
 断続的に幾つもの金属音と、ぶつりと肉の切れる音がして背後に過ぎ去り、ライガは砂原に爪先つまさきを突っ込んで振り返る。
 馬上の一人と、砂地に足を着けた五人の騎士達には、致命傷らしきものは無い。
 それはライガとて同じ事だが、現状の疲労は相手方に多く見られる。そして――
「全隊広がれ! 数を減らすぞ!」
 黒衣の騎兵が十騎、戦場までの案内を務めた兵士を帰らせたトラゲ隊が駆け付けた。

つづく

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