小説「剣闘舞曲」3

本作をお読みになる前に
 この作品は、闘技場で行われる試合を描いたファンタジー小説です。
 怪我や血の描写、魔法の要素、他にもあなたが苦手とするものが含まれるかもしれません。ご了承の上でお読みください。

 また、本作は特定の国や楽器、音楽に対する批判など、作者の思想を広める意図で作られたものでは無い事を予めご理解ください。
  空山非金

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  3:裂風

 剣闘舞曲祭の最終日、第三試合は二人の男戦士が対峙した。
「続く第三試合! 健闘を称え合い続けた二人に代わって現れたのは新進気鋭の剣士達! 南側、実力未知数、四色に輝く剣を携えて、亜麻の剣士! レベク!」
 興奮冷めやらぬ司会者の声に合わせ、場内を歩く若い男が観衆に手を振る。
 会場は幾分か黄色い声援が多く響き、レベクはそれに複雑そうな笑みを浮かべた。
「そして、北側! 昨年は第三位! 今年もクシフォスハーモニーを掻き乱すのか!? 暴風の剣闘士! ヘロン・ウィウス!」
 レベクが現れた方向とは反対に位置する通用口から、身の丈二メートルはあろうかと言う大男が進み出る。
 ヘロンは分厚い鎧を要所にのみ身に着けており、右手に鞘――と言うよりも大きな革にくるまれた大剣を抱えていた。
 司会者の言葉を聞いたヘロンは、その大剣を片手で軽々と持ち上げると、それをぶんぶんと振った。
「おい! 俺は別に掻き乱しちゃいねぇだろ! ボケ!」
 その後にも司会者席に向けて更なる怒号を飛ばすヘロンだったが、彼の元に駆け寄った審判員と何やら話をしてからは、鼻息を荒くしたまま開始線に着いた。
 レベクはそれを遠巻きに見て、不安を抱き乍ら愛剣と、剣の鍔に張られた弦、そしてそれを弾く為の弓の具合を確かめる。
 他の試合が行われている間、もっと言えば早朝から点検した得物に不備がある筈も無く、レベクは剣と弓を納めて恐る恐る開始線の前に立った。
「レベク……家名は?」
 尾を引いているのであろう苛立ちを顔に残し、ヘロンが問う。
「あ、ありません……田舎の農村で、楽団の人に引き抜かれたんです。なので、家名とかは……」
 レベクの答えに頷いて、ヘロンは笑った。
「そうか。よくここまで上り詰めた」
 レベクがヘロンの言葉に引っ掛かりを覚えつつも曖昧に頷いていると、ヘロンは不意に笑みを消す。
 三十センチ以上も高い位置からレベクを見下ろすヘロンの目は、レベクからは頂点捕食者のそれに見えた。
「ここがお前の到達点だ。死ぬ前に降参しろよ」
 びりびりと響くヘロンの低い声。
 レベクはヘロンの威圧に身を固くした。その緊張を解そうと、愛剣の柄頭に触れる。
『テラ』
 大地、そしてこの世界を表す古代文字の凹凸を、革手袋越しに確かめると、レベクは不思議と冷静になれた。
 目の前、十メートル先に立つ大男を見詰めて、レベクは柄頭から手を離す。
「僕の父は、楽団に着いて行くか迷っていた僕にこう言いました。……『実らなければ出来は分からない。でも、どんな不細工でも、成ったら喜んでやるんだ』って」
「あ?」
「戦わずに不毛の大地を歩くより、僕は戦って、結果を作り出します!」
 ぴんと張ったレベクの声を聞いて、ヘロンはがしがしと頭を掻いた。
「よく分かんねぇけど、やるんならやるぜ。本気で」
 にたりと笑うヘロンに、レベクも笑い返す。
「随分重い腰ですね」
 ぴくりと跳ねたヘロンの眉を見てか、審判員が手を挙げた。
「試合を始めます! 準備は良いか!」
 審判員の声に、レベクとヘロンは無言と静止で肯定を示す。
「第三試合、開始!」
 振り下ろされた手と同時に、レベクが素早く剣と弓を抜き放ち、ヘロンは大剣を包んでいた革布を背後に投げ捨てた。
 レベクの剣は雪の様に白い白銀だ。陽光を強く返して眩い光条を浮かべ、主の『指示』を待っている。
 対するヘロンの剣は複数の金属を織り交ぜて組み上げられた、機械と呼ぶ方が近いような外観をした片刃の大剣だった。
 ヘロンは大剣の刀背みねにある第二の柄を左手で掴んで地面から引き抜き、ぐるりと回して本来の柄部分を握り直す。
「オルガノン。俺の剣の名だ。こっから先は声が聞こえねぇだろうから、教えといてやる」
 緩く構えた状態で言うヘロンに、レベクは真剣に頷いた。
「ありがとう。僕の愛剣はテラ。弓の方はヴェントだ」
 律儀に答えるレベクを見て、ヘロンはオルガノンを正面に構える。
 レベクはヘロンの動きを注視しつつ、じりじりと接近していった。
 両者の一合目を見逃さんとして、闘技場内が完全な沈黙に包まれる。
 
 ずっしりとしたオルガノンの重みを両手で受けて、ヘロンは胸の内に沸き立つ興奮をじっと堪えた。
 一合目、そこで確実にレベクの出端を挫く。
 その一点に集中し、噛み締めるように足を踏み出す。
 睨み合う両者が動いたのは、彼我の距離が二メートル――つまり、双方のきっさきが触れ合いそうになったその瞬間だった。
 ヘロンは正面に構えていた大剣の先を不意に下ろし、突進する。対するレベクはそれに反応して左に駆け出した。それを見逃さず、ヘロンは大剣を素早く捻って水平に斬撃を繰り出す。
 その行動はレベクも予想していたのだろう。レベクは一蹴りで大剣の間合いから離れ、そして、吹き荒ぶ暴風に腹を打たれて更に後方へ弾かれた。
 馬がいななく様な風の音が吹き去り、それと同時にヘロンは大剣を大上段に構えて振り下ろす。
 ヘロンの持つ大剣、オルガノンは周囲の空気の流れを歪め、刃の方向へと打ち出す魔法が仕掛けられている。その魔法が最大限の効果を発揮するのは、質量が大きく、尚且つそれを全力で振り回した時。
 二度目の暴風は先程よりも強く、大きく、そして見えざる攻撃としてレベクを襲った。
 荒れ狂う風の咆哮と共に、体勢を崩したままのレベクの体は一メートルも後方に吹き飛ばされて、地面に叩き付けられた。
 ヘロンはその機を逃さずに大剣を肩に担いで駆け出す。落下の衝撃に呻くレベクの声を聞き乍ら、大きく跳躍し、その勢いを借りて空中で大剣を大上段に構える。
 投げ飛ばすつもりで押し上げた大剣に引っ張られて関節が悲鳴を上げるも、ヘロンはその体勢から全力で大剣を振り下ろした。
 ヘロンが叫んだ裂帛れっぱくの気合いは巻き起こる風に吹き飛ばされ、見えざる風の魔獣がレベク目掛けて飛び込んで行く。
 防御のつもりか、レベクは迫る風に向けて剣と弓を掲げているが、もう遅い。
 ヘロンはそう高を括っていた。
 
 ヘロンが跳んでくれて良かった。レベクは心からそう思っていた。
 オルガノンが巻き起こした二度の突風にさらされ、地面に叩き付けられたレベクは、ほんの一瞬の隙を願っていた。
 思考が判然としない中、体に染み付いた動作で腕を起こし、愛剣のつばに張られた弦に弓を当てる。
 奏でるのは、火炎の歌。
 テラに張られた四本の弦は音程を変えるフレット部分が無く、弦たちはそれぞれ一音しか出せない。それは、畢竟ひっきょう特定の音を出す事が出来れば、いや、弦の振動を刃に伝えさえすれば用を成すことを意味している。
 テラが理解する歌は四つ。
 火炎の歌、氷雪の歌、雷電の歌、黒孔こくこうの歌。
 レベクはその中から、火炎の歌に起死回生の光を見出していた。
 弦に当てがった弓を震わせて、最も大きな音が鳴る様に弓を引く。
 瞬間、弦の振動を受けた刃が赤熱し、爆発的な蒸気が巻き起こった。蒸気は風の流れを可視化して、ヘロンが撃ち出した突風の獣が姿を現す。
 斬撃の軌道を写した突風を見て、レベクは右足を蹴り出して身体からだを左に転がした。
 直後、レベクの背中を突風の余波が襲い、レベクは必要以上に地面を転がされる。
「起きんな!」
 脳が揺れる中でヘロンの怒号が聞こえ、レベクは次なる攻撃に備えるべく立ち上がり乍ら火炎の歌を素早く二度、三度と弾き続ける。
 テラの刃が溶け出してしまいそうな程に紅く輝き、刀身の周りに炎を生み出した。
 レベクが剣に炎を纏わせる様子を見て、ヘロンは接近を止めて踏み出した足を軸に大剣を振り回すのを、レベクは見た。
 一回、二回、回転数を増す毎に会場の空気はヘロンに、彼が振り回すオルガノンに吸い寄せられていき、テラの纏う炎も棚引く。
 ヘロンが次に打ち出そうとしているのはこれまでの突風とは比べ物にならない威力になる。
 レベクはそう気が付いた瞬間に弾ける限りの火炎の歌を奏で続けた。
 風の音で弦が奏でるメロディは聞こえないが、レベクは機械的に弓を動かし続ける。
 そして、十回転の後にヘロンが叫んだ。
 十一回転目は大剣を持ち上げる様にして螺旋を描き、それが頂点に達した――大上段の構えに変わった時、離れた位置にいるレベクからも見える程にオルガノンが激しく振動していた。
 レベクは振り下ろされる大剣に合わせて、地面に膝を着く。姿勢を低くして、一文字に斬る構えを取り、静止する。
 レベクが睨み据える先で、ヘロンの大剣が地面を穿った。
 巻き上がる土煙は起きたそばから左右に吹き散らされ、とんびが鳴く様な甲高い音と共に風の刃が迫る。
 レベクはそこで敢えて一秒の間を置いた。
 見えざる攻撃を見切り、吹き飛ばされる土を合図にして燃え盛る愛剣を水平に振り切る。
 炎を置き去りにしてルビー色に輝く刃が走った軌跡が、爆発した。
 テラを包んでいた炎は、剣が蓄えきれなかった熱が漏れ出していたに過ぎない。
 待たされ続けた火炎は獣の唸り声を上げて高く、空へ向けて立ち上り、嵐とぶつかり合う。
 レベクはまだ炎を溢れださせている剣を一歩踏み出してから振り、爆炎を押し進めた。
 轟き続ける音のせいで耳鳴りが酷い。だが、レベクは進撃を続けた。
 一歩踏み込み、剣を振る。
 ヘロンが打ち出した莫大な烈風を散らし切るまで。
 爆炎が視界を埋め尽くす中、四度目の斬撃はただの剣によるものだった。
 はっとして刃を見ると、テラは元の白銀色に戻っている。
 レベクがそれを見た瞬間、眼前の炎が膨らんでレベクを襲った。いや、炎の奥から打ち出された風に吹き飛ばされたのだ。
 幸いと言うべきか、仰け反る程度で済んだレベクは急いで服に着いた火を叩き消し、遠くから響く重い足音に顔を向けた時には剣の間合いにヘロンが迫っていた。
 大剣を引き摺る様にして突進を仕掛けるヘロンは、レベクの左斜め下から斬り上げようとしている。
 それに対し、レベクは前方へ駆け出した。
 ヘロンが放つ斬撃を腰を屈めてかわして、背中で暴風のいななきを聞き乍らテラの弦を弾く。
 奏でたのは氷雪の歌。
 密着する程の距離に迫ったレベクを迎え撃つ為、ヘロンが持ち上げた大剣を今にも振り下ろそうとしている。
 レベクはその鬼気迫るヘロンと目を見交わして笑った。
 無自覚に笑うレベクに、ヘロンが僅かに驚いて大剣の軌道が振れた。
 オルガノンの刃はレベクの真横を過ぎ去り、必要以上の力で打ち込まれた大剣は深々と地面に潜り込む。
 その一瞬を突いて、レベクはオルガノンの刀背みねにアクアマリン色に輝くテラの刃を走らせる。
 空気をも凍らせる冷気をまとった刃が過ぎ去ると、オルガノンの吸気機構が霜に閉ざされた。
 レベクはまだ手を止めない。
 振り抜いた剣に従って体を回転させ、その最中に氷雪の歌をもう一度奏で、ヘロンの首に刃を当てた。
 突然の冷気に仰け反るヘロンを追って、レベクはヘロンの首を捉え続ける。
「僕の勝ちです」
 笑顔で言うレベクに、ヘロンは顔を引きらせた。
 数秒の沈黙の後、ヘロンが大剣から離した両手を挙げる。
「し、勝者! レベク!」
 司会者の声に続いて、会場が沸き立った。
 それを聞いてレベクは刃を下げ、黒孔こくこうの歌をほんの少しだけ奏でて弦を押さえる。テラの刃が白銀に戻ったのを見届けて、レベクは剣と弓を納めた。
「なあ、それ……」
 ヘロンの声に顔を上げると、ヘロンは刃を当てられた首を手で温め、空いた手でレベクの剣を指差していた。
「これは、マギヴィオラという種類の武器です。演奏と戦闘を両立させるので、かなり難しいですよ?」
「ちっ、ちげぇ! そんなの扱える気がしねぇ! そうじゃなくて」
 レベクの勘違いを訂正して、ヘロンは首を掻く。
「正直、その剣の細さと、お前の体格で……甘く見てたんだよ。こんな奴、風で吹き飛ばして、剣を折ってやれば終わりだ。って」
 そう言うヘロンは悔しさを滲ませて唇を噛んだ。
「悪かった。言っても仕方ないんだけどな、謝りたかった」
「は、ははっ、意外と律儀なんですね」
「意外とってなんだ! 神経だけは図太いのな!」
 優しく怒鳴ったヘロンは「まったく」と零し乍らも手袋を外す。
「ありがとうよ。良い試合だった」
 差し出されたヘロンの大きな手を、レベクも慌てて篭手こてを外して握る。
 オルガノンを振り回すだけあって、岩石で出来た様に固く、温かい手の平だった。
「こちらこそ。ヘロン」
 二人を見守っていた観衆が、再び大きな歓声を上げた。

  ***

 地鳴りを生み出す歓声を聞き、青年は瞑想を止めた。
 胡座あぐらをかいた脚に載せていた二振りの木刀を取り、立ち上がる。
 木刀を腰の後ろ、背中側に取り付けた革鞘に納めて、青年は机上の鉢巻を手に取った。
 額に当てる面に書かれた故郷の人々の寄せ書きを改めて読み、皆の顔を呼び起こす。
 老若男女、様々な顔がその筆跡から蘇り、青年は独りで頷いた。
 そこに、扉を叩く音が響く。
「タロウ・サンノゼ選手、準備が出来ましたら退室を。試合の時間です」
 扉の向こうから男の声がした。
「了解。すぐに行きます」
 短く答えて、タロウは鉢巻を着ける。
「こっからは俺の番だ。皆に祝わせるぞ、盛大にな」
 独り言を零して、タロウは愛刀たちの柄頭を軽く叩いた。

  ***

 その木製の盾は室内灯の光を受けてきらきらと瞬いていた。
『ルテニスさんはもう、ただの戦士なんですから、隠密戦なんて考える必要ないでしょ?』
 若い職人の男が笑う姿を思い出して、壮年の彼――ルテニスは微笑む。
 木材にしてはつるつるとした質感の、鋼を溶かし込んだ盾の表面を撫でて、ルテニスはそれを左腕に装備した。
『すごい! 剣闘舞曲祭に出られるなんて! お、俺の武器で、通用しますかね……』
 故郷に置いてきた職人の彼を思い起こし、ルテニスは当時彼に掛けた言葉を呟く。
「大丈夫。お前は立派な職人だよ。ルシアー」
 人々の声が遠くで沸き立ち、ルテニスを現実に引き戻す。
「優勝して、お前に自信を付けさせないとな」
 独り言を残して控え室の扉を開けると、今まさに扉を叩こうとしていた運営委員会の男が目を丸くしていた。
「ああ、丁度良かったかい?」
「は、はい。次は貴方の番です。ルテニス=ササン選手」
「分かった。行こう」
 ルテニスは外套がいとうをはためかせて通路を歩いた。
「央都は思いのほか暖かいな」
「雪国と比べたら、央都は暑いくらいかもしれませんね」
 ルテニスの呟きに答えた男の顔を見て、ルテニスは微笑む。
「ああ。良い場所だよ。ここも」
「よかったです」
 笑顔で答えた男の声を最後に、会話は途切れた。
 二人分の靴音が、闘技場に向かっていく。

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