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「良太」 5話完結 短編小説

 朝のホームルーム、やたらと声を張り上げて教師が登壇した。
 根気が強いのか麻痺しているのか、何度も何度も席に着かせようとする声を無視して良太は他人の机上に座っていたが、あまりのしつこさにちらと見やると、教師の表情は普段と様子が違っていた。
 出来の悪いアニメーションのように固まった顔で声を張る姿に教室中が気付くまで、荒波が落ち着いた隙間を縫って血色のいい硬直顔が動く。
「今朝、見吉が警察に補導されたために欠席するとの連絡があった。」
 脳裏に今朝のパトカーを走らせて、良太は口を噤む。
 見吉とは、良太が臀(しり)を乗せている机の持ち主であり、悪友の名前だった。教師が現れる前に見吉除く仲間との話題に出ていた名前が、直接に彼を呼ぶわけでもなく口に出されたことに良太はざらりとした危機感を覚える。
 頭の奥からサイレンやら人々のざわめきが湧き出て、それらが良太を炙(あぶ)り出すような予感がしていた。
「深夜、一人で飲酒と喫煙をしている所を、パトロール中の警官が見つけたそうだ。」
 ゆっくりと確認するように言う教師は、深刻な話をする際の癖に「そのため」という畏(かしこ)まった接続詞を一際大きな声を出した。
「一時間目の内容を変更して、この教室で手荷物検査を行うことになった。警察の方がいらっしゃるそうなので、各自、自分の席で待機。」
 ここで教師は沈黙し、生徒一人一人の顔を眺めだした。 良太の他にも自席から離れていた生徒達がそそくさと移動を始め、良太もそれに習うべく立ち上がり、普段よりも軽い体に戸惑った。その最中。
「里中、坂木、岩磯はちょっと廊下に来い。」
 生気の無い教師の命令と、二十余りの生徒の目が里中良太と他の二人を刺す。
 出そうにも声が現れないので、良太は軽く顎を引くことしか出来ずにそれを了解の意思表示とした。あとの二人がどうしていたかは分からないが、教室のどこにも声は居なかった。
 門番のように引き戸を開けて待つ教師の前を通り、廊下に呼ばれた三人は教室に向かう形で自然と並んだ。
 春の終わりとも思えぬ寒さを感じる廊下で、良太の視線は落ち着かなかった。教師が引き戸を締め切るその時まで在らぬ推測が音も無く飛び回っていた。
「お前達、前に不要物持ち込みで注意されたよな。……今日も持ってきてるか?隠しようがないから、正直に。」
 壇上にいた時よりも落ち着いて見える教師は、瞳を真黒にして三人の前に立ち塞がった。
 沈黙の後、見吉とも良太とも関わっていない岩磯は「持ってきてません。」と小さな声を出した。
「わかった。岩磯は席に着いてろ。」
 短い命令に応え、岩磯が引き戸を閉める音を合図に、良太はポケットの膨らみを露わにする。
 手の上にはソフトの煙草ケースとライター。
「これだけです。」
 良太の告白を聞いた坂木は、慌てながら「お、俺も。」と、細長い手足を揺らして似たような持ち物を出した。
「わかった。」
 返答はそれだけに、再び沈黙が訪れる。
 空に走る光を見て、雷鳴を待つような気分で良太は身を固くしていた。ひとつも動かない教師の手に注目してしまう。
 坂木は説教を食らって相手の声を待つ時、決まって咳払いをする。その声だけが何度も廊下で反響していた。
「それ、見吉に持たされたんだ。」
 良太と坂木の間にある空気を見つめ、教師が長い沈黙を破った言葉がそれだった。
 え、という音にすらならない声が良太の口から漏れ、それを聞いた教師が良太の目を見る。
「煙草は見吉が渡した。いいな。煙草は、見吉に押し付けられたんだ。」
「い、いや、これ、俺が」
 動揺に震える坂木が正直に言おうとした続きは、教師の異様な無表情が向けられたことで塞(せ)き止められた。
「そういう事にするんだ。そうすればこれ以上大きな事にならない。見吉も、今更罪が重くなることも無い。いいか、そうしろ。今からそういうことだ。」
 教師の念押しは二人が頷くまで続き、通路から若い女教師が出てきてもぼそぼそと何やら呟いていた。
 女教師は良太と坂木を見て何やら察したように目を丸くしてから、教師を呼んだ。
「そろそろ二年生の教室を回るそうです。それと、昼休みに緊急会議を……。」
 教師は状況に合わない高い声で応じ、酷い不快感を覚えながら良太達は教室へ急かされた。
 引き戸を通ってから、教室に警官が訪れるまでの間、何人もの生徒と目が合い、その目がすべて見吉のものであるように思えた。

良太


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