「狭間、暗く」小説:PJ16
はじめに
本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。
01話はこちら。
目次について
本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
表記は「 ✕✕✕ 」が大きな場面転換。
その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
しおり代わりにご活用ください。
16 狭間、暗く
最後に見えたものは、目紛るしく回る景色と、此方を見下ろす漆黒の仮面だった。
奇妙にも、右眼だけが縁に星明かりを反す漆黒の仮面を見詰めて、全身が滅茶苦茶に引き伸ばされる感覚と共に落下し、どぽん、と水と水がぶつかり合う音を最後に、彼の目は暗闇に鎖される。
何故。
その一言だけが体の中を跳ね回り、軈て怨嗟の声へと変わっていく。
彼は特別不出来でも、かといって特別上出来であると褒められた事も無い人間だった。
人並み以上に努力はしても、其れが結果として実ることは終ぞ無い。
(終わりなのか……此処で?)
疑問が浮かび、漂った其れは心に満ちた怨嗟に呑まれ、それを吐く理由とする可く消化された。
『イェネ』
〈スナド戦線基地〉のいち兵士として生き続けていた記憶の中に、優しく名を呼ぶ女性の声がする。
彼に名を付け、その時その時の感情を込めて名を呼び、愛してくれた母の声。
それもまた、暗い底へと沈められ、怨嗟を叫ぶ糧になる。
(許すものか、何があっても、何を言われたとて。許せるものか)
彼の意識は薄く広げられていき、それ以上の思考にはならず、次第に動物程度の知能から、それよりももっと原初の、衝動だけの形へと溶けていった。
(壊せ。壊せ。壊せ)
其れは思考ではなく、反射。
ただそれだけに従って、彼は薄く広がった体を這わせて蠢き、そして、伸ばした体の一部が声を聞いた。
恐怖を覚える程に強く、同じ波長を持った声。
彼は其の声に光を感じて、その方向へと這う。
(あれは、オレだ。……そして、主だ)
本能に突き動かされるまま、彼は暗闇を趨った。
✕✕✕ 16の二
ふと、目が覚めた。
夢も見ず、眠りに落ちた覚えも無いまま覚醒の感触だけが訪れて、困惑した青年は辺りを見る。
傾いた陽の光で影を伸ばす砂岩製の建物が周囲に並び、無駄に広く取られた通りを人々が行き交う景色は、青年――ヒョウの住む集落のそれだった。
名前らしい名前の付けられていない、ただ〈スナド戦線基地〉の守りを固める広大な壁を作り出す為、その為だけに集められた人々が暮らすこの場所は、紛れも無くヒョウの住む集落であり、其の光景に驚愕と歓喜の大波が胸中へと押し寄せる。
浅い呼吸を繰り返して頻りに周囲を見渡し、堪らずに歩き出したのと同時に、遠くに立つ見慣れた人影に気が付いた。
痩せてはいるもののしっかりと筋肉の付いた、ヒョウよりも少し背の高い彼は、ヒョウが兄の様に慕う人物――。
「……マーブ!」
彼の名を呼んで駆け出し、マーブがヒョウを振り返って、ヒョウはぐずりと柔らかい何かを踏んで転倒した。
頭から落ちる瞬間に思わず目を瞑り、砂地に両手を突こうとしたが、掌は肉に覆われた固いもの――人の胴体、肋に似た感触を訴える。
驚き見開いた先に、集落で見掛けたことのある老爺の顔があり、悲鳴を上げて体を起こせば、周囲は歪に破壊された死体と、其れらを舐める様な大火が揺らめいていた。
「ヒョウ! ヒョウ!」
遠くから、ヒョウを呼ぶ声がする。
ヒョウは初め、それを混迷の最中故に張り上げる声だと思っていた。
だが、違う。
焼夷剤を真面に被ったマーブは、痛みに叫ぶ声を使ってヒョウを呼んでいたに過ぎなかったのだ。
「ヒョウ! 何処だ! 無事なのか! ヒョウ!」
叫ぶ声はまだ遠く、ヒョウを中心に丸く囲う炎の何処かから響く。
「……あ、こ、ここだ。ここに居るよ、マーブ……!」
ヒョウはもう、思い出していた。
自身が何を経験したのか。そして、炎の向こうから叫ぶマーブが、どうなっているのか。
「ヒョウ」
声は、足下からだった。
炎を纏う左腕が死体を突き破って伸び、ヒョウの右足を掴んでいる。
腕はヒョウを地の底へと引き込み、同時に足下の死体がぶくぶくと泡立つ様に蠢いて、折り重なったその奥から黒煙が立ち上った。
「お前だけ、生き残ったのか?」
震える顎が落ちて、声は出なかった。
涙が足下の死体へと落ち、じゅうと音を立てて消えて、ヒョウは萎えた脚を畳み、死体の底へと両腕を差し入れる。
「ごめん、ごめん……。今、行くよ」
炎に焼かれる感覚を、ヒョウは心地良く迎え入れた。
✕✕✕ 16の三
砂の丘から見下ろした黒衣の騎兵は、大雑把に見積もって四十か五十。
其れに追われる、金属鎧を身に付けた騎兵――フランゲーテ魔法王国からの勢力〈コーア〉の残存兵は、同数か、僅かに少ない。
(ここまで苦しめられるものなのか……フェリダーという小国に……!)
奥歯を噛み、胸中に呟いた男――ジェンナロ・ヴィナッチャは、救援に来た兵士から受け取った騎馬の手綱を強く握り締めて、並走している兵士に振り向く。
「弓矢はあるか? 後方から射掛け、距離を保ったまま本隊との合流は?」
焦燥感に纏まりを無くした言葉でも、部下はその意図を汲んだらしく頭を振った。
「副隊長、冷静になって下さい。急場凌ぎにはなれど、それでは此方に敵が殺到します。我々はこの砂丘を利用して隠れ、本隊の先頭に、いえ、少しでも本隊に近付く事が先決です」
「しかし吾輩には出来る事を見過ごすなど」
「タロウ殿を死なせるお積もりか」
ぴしゃりと放たれた声にジェンナロは兵士の目を見返し、その顔に強い意志と小さな謝意を感じ取って、奥歯を噛み締め直す。
「……すまない。…………本当に、すまない」
二言目は遠く夜闇の中、黒衣の騎兵二騎を巻き添えに落馬した仲間へ向けて。
「急ごう……! 先導を頼む、最短で」
「無理を仰る……!」
言葉を交わしていた兵士は微かに苦笑して速度を上げ、ジェンナロの前に進み出して砂の起伏を見極めて駆ける。
騎馬が跳ね上げる砂礫を避けつつ、先頭の兵士が選んだ道無き道をなぞるように己が跨る馬を走らせて、右手――先程まで見えていた二つの騎兵隊が砂の丘に隠された時、ジェンナロは不意に北を振り返った。
肌を刺激する『気配』としか言い様の無い何かを感じて顔を向けた直後、後続から馬の嘶きと兵士らの短い悲鳴が上がり、直ぐにジェンナロを乗せた馬も暴れ出し、遠くで濡れた破裂音が響く。
二秒。完全な沈黙が訪れて、丘の向こうからごく短い雨音がした。
その音の理由も分からぬまま、再び走らせた馬上で先頭の兵士と目を見交わしたジェンナロは、小さく頷いて馬に丘を駆け上がる針路を取らせる。
小高い砂丘の上。其処から見下ろした南の方角に、星明かりの宵闇でもそうと分かる程に巨大な血の池が出現し、その赤黒い水溜まりの上に、百体近い数の肉塊が蹲っていた。
✕✕✕ 16の四
遠く左手に見える砂漠の集落から目を外して、グリーセオは瞼を下ろす。
カーニダエ帝国領の〈第三ナスス駐屯基地〉を発ってから半日以上、フェリダー共和国、ジマーマン領の西端である此処〈スナド戦線基地〉への攻撃を始めてからは凡そ四時間が経過しようとしていた。
その間グリーセオは幾度と無く戦い、自らの血も流し、体力、精神力ともに激しく消耗した所に、先程の轟音。
左手に見える集落を過ぎた先に何が待つのか、異常事態が立て続けに起きているこの戦場では、其れを想像する事さえ厭になる。
(アルグとクリスは無事に帰還しただろうか……)
エクゥルサに揺られ乍ら胸中に呟き、グリーセオは溜め息を吐き出した。
〈スナド戦線基地〉から〈第三ナスス駐屯基地〉までの距離はそう遠い訳では無い。
行きは作戦の都合で大幅に遠回りをし、〈スナド戦線基地〉を囲う様に配置された集落の最外周部から奇襲攻撃を開始したが、エクゥルサに無理を強いて走らせれば三時間以内には帰還が叶う筈だった。
しかし、その行方を知る術は今のグリーセオには無い。
カニス族から共に追放された同胞を憂える思いは頭を振って払い落とし、グリーセオは閉じていた目を開けた。
(どの道、此処を生きて切り抜けなければ…………)
声には出さずそう呟いて、見詰める先の暗夜に閉じ込められている錯覚を抱く。
(この夜は――)
「グリーセオ殿!」
不意に後方から声が上がり、グリーセオは弾かれた様に振り向いた。
目を向けた先ではアキッレが馬の速度を上げてグリーセオに追い付こうとしており、グリーセオは自身が駆るエクゥルサに速度を少しだけ落とさせる。
「どうした、アキッレ男爵」
「あの集落、何か妙ではありませんか? 建物の崩壊があった様ですが、人の気配がまるで…………何か、予感ですが、何かがおかしい……」
自信は無くとも何かを感じ取っているアキッレの言に、グリーセオは左手――東に見える集落を見遣る。
集落の建物が轟音と共に崩壊したのはつい先程、グリーセオ達から見て南方に位置していた時の事だ。
アキッレに指摘されて注意を向けてみれば、夜闇に沈む集落は大規模な崩壊が起きたとは思えない程の静寂に包まれ、まるで集落自体が死に絶えたかの様に沈黙している。
「私は此度の戦闘中に起きた事を全ては聞いていませんが、未知の動物兵器が出現したとの報告と、先程の生体兵器の存在がどうにも気に掛かっております。
この二つは何か、繋がりがあるのでは。そして、その繋がりこそが先程の轟音と結び付く……例えば、新たなる魔法とか、そういう物に由来するのでは無いかと」
静寂を恐れる様に言葉を重ねるアキッレを、グリーセオは肩越しに見て軽く頷いた。
「フェリダーが何か、ここ二十年間には無い動きを見せているのは確実だ。然し、そうであっても敵もまた人間だ。俺が遭遇した動物兵器は、何れも兵士が姿を変えたもの。如何なフェリダーと言えど、国民を兵器にする魔法を開発したとしても、使用するとは思えない。その後に待つのは国民の離散と国家の崩壊だ」
グリーセオは言い終える間際に左手を挙げ、続く騎士らに西へ向かう合図を出す。
「……俺がそう思いたいだけかもしれないが、それでも、俺はそう信じたい。彼らだって人間だ。俺や、アンタと同じ様に」
黒い影として佇立する砂岩製の建物群が近付き、グリーセオは砂の起伏に合わせてエクゥルサを繰り、針路を僅かに南へと逸らした。
集落を遠巻きに見詰めたまま、南側を回り込んで集落西側から南下してくる筈の〈コーア〉の隊列を探す。
「貴方は……戦場に立つには優し過ぎる……」
遠ざかりつつ発されたアキッレの声を聞き、グリーセオは手綱を握り締めた。
(……優しさを忘れれば、戦士は只の人殺しだ)
そう心に浮かべても、自身の剣が鈍った瞬間もまた同時に想起され、グリーセオは奥歯を噛む。
後続の騎士が乗せている、意識を失った白銀の騎士――ハンソーネの言葉が、そして族長から下された現状が、グリーセオを苛み、頭痛を起こさせた。
✕✕✕ 16の五
星明かりを浮かべる血の池は、飢えた砂に吸われて徐々にその水位を下げていく。
ジェンナロはその光景を横目に馬を走らせ、先を行く部下の脇から見える〈コーア〉の隊列にも目を遣った。
血の池に浮かんでいた無数の肉塊は漂う様にして池の中心に向かい、その水位が下がってみれば、肉塊達は短い手足か何かを使って這っているのだと分かる。
突然の出来事に隊列を乱したらしい本隊は、それでも各人が直ぐに元の列に戻ろうとしており、追手の攻撃が絶えた事もあって何の滞りも無く集合しようとしていた。
「だが、然し……うむ、解せぬ。何が起きている。此れは……決して、決してフランゲーテのものでは無いのだ。そうであるものか……!
――感覚、あの感覚は北…………敵基地からだ……。隊長……? いや、その様な筈が無い。では生体兵器が? 然し、うぅむ、此れ程の規模の……だが――」
「副隊長!」
自覚無く声に出していたジェンナロは、前方から発された声に顔を上げる。
「声に出てます! 今は貴方が要! 気を確かに!」
兵士に叱咤されたジェンナロは目を丸くして、それから自身の頬を叩いた。
「すっ、済まん! 静かにしていよう」
「指示は出して下さいね!」
声を荒らげているものの、真実ジェンナロを想っての叱責に、ジェンナロは苦笑する。
「弟に追い付かれる訳だ……全く……」
努めて抑えた声音は馬の足音に掻き消され、ジェンナロは両手で固く手綱を握り締めてから緩く持ち直した。
✕✕✕ 16の六
死が可逆のものであれば、どれほど良い事だろう。
幾人もの血に染め上げられた幼い両手を見下ろして、ライガは思った。
清潔な様でいて何も無い、地下深くの施設内で、ライガは同じ年頃の子供を何十人と殺し、生き延びている。
毎月、短い時は毎週のように大人達から殺し合いを強いられ、たった一つの些細な違いが彼らの生死を分けた。
――もしも、死が可逆であれば。
其れを想い、ライガは小さな両手を握り締める。
温度を失いつつある血液が拳の隙間から溢れ出して、歪な外骨格を纏うライガの細い腕を伝っていき、足許の死体に滴り落ちた。
死という過ちさえも許されて、再びの機会を与えられたなら、ライガが殺してきた彼らや彼女らは、地上に出る事が叶っただろうか。
(…………本当に。もしも、魔法が本当に摂理を覆すのなら、こんな酷い事を覆してくれたらいいのに)
周囲の惨状から視線を逸らそうとする眼を意志の力で捻じ伏せて、ライガは殺した一人一人の顔を見詰める。
その中には、昨晩大人達に許可されて言葉を交わした者も居た。
戦いの最中ではそんな事を微塵も思い出さなかったのに、落ち着きを取り戻したライガは当時の記憶を克明に呼び起こす事が出来て、然し相手はもう動かない。
(オレは殺人者だけど、彼奴は未だだった。そう、言っていた……)
堂々巡りの思考は、軈て背後で開く扉の音に止められた。
「おめでとう、ライガ」
顔触れは変われど、白衣を着た大人達は生き残ったライガを見て必ずそう言う。
(……オレがもっと強く、大きくなったら、次はお前達の番だ)
胸中で呟き、ライガは白衣の大人に向き直ってその後に着いて行き、子供達の死体が転がる広い部屋を後にした。
(そして、コイツの次はコイツ等を使ってるヤツだ。
――いや、違う。もっともっと外側……こんな世界を作ったヤツ等を殺してやる。絶対に……絶対に……!)
子供の血に濡れたライガの小さな足が、白い通路に足跡を刻む。
徐々に掠れていく其れは、ライガの手足が人の形に戻る様を写し取っていた。
✕✕✕ 16の七
砂岩製の集落を背後にして、グリーセオを乗せたものを含めて七頭の動物兵器――馬とエクゥルサらは南下し、意識のある騎士四名の誰かが重い溜め息を吐いた。
グリーセオ達が通過した集落の西部と南部には馬やエクゥルサの足跡は無く、東部に差し掛かって其れ等が目に付いたのは良かったものの、〈コーア〉の本隊は一足早く撤退を続けているのか、影も形も無い。
本隊から逸れた事実を強調するかの様な無音の中、血の臭いだけが漂う集落南東部は夜の闇が一層深く見えて、グリーセオもまた溜め息を吐き出した。
そうしてからグリーセオは手綱を繰り、すぐ後ろを駆けているアキッレの馬と自身のエクゥルサを並走させ、眉間に皺を寄せているアキッレの横顔をちらと見遣る。
「駱駝の足跡は無い様に見えるが、この臭いだ……アキッレ男爵、アンタは此れをどう見る?」
先程アキッレに呟かれた言葉もあり、重たい口を開いたグリーセオは進む先――南を見詰めたままアキッレの返答を待った。
「…………皆目見当もつきませぬ。本隊が撤退していると思いたいのは山々、然しこうも血の臭いが立ち込めては、本隊が壊滅状態にあったとて、驚きはしません」
「だが死体も無い。相当な数が南下しているのは事実だが、追手を打ち負かした様にも見えない」
「ええ。ですから見当がつきませぬ。何故集落が崩壊したのか、追手は何故、何処に消えたのか……」
アキッレは続く言葉を言い掛けて止め、また声に出そうとして「いや」と小さく打ち消す。
そうする理由を汲みかねてグリーセオは傍らに目を遣り、同様に此方を見ていたアキッレと目が合った。
「――どうした?」
「…………うむ……。我々は一体、何を相手にしているのだ……」
消え入りそうな声に、グリーセオは内心で頷く。
たった一日、いや、半日の間に不可解な事が相次いで起こっている。
フェリダー共和国の兵士が未知の動物兵器へ姿を変えた一件以来、ライガという不死の如き生体兵器、反撃の準備をしている様で確実な一手を打ってこない相手。アキッレに言われて振り返ってみれば、本当に不可解な事ばかりだった。
(スナド戦線基地の長は何を考えている……?)
そう思えば何もかもが相手の掌の上の様な気がしてきて、然しそれでは見す見す兵士を死なせる相手の意図が読めない。
「グリーセオ殿……カーニダエはこの様な戦いをずっと……?」
アキッレに問われ、グリーセオは直ぐに頭を振った。
「いや。大局での決定打は無くとも、基本的にはカーニダエが敵地を落として進攻するか、フェリダーに阻まれて作戦が失敗するかだ。今回の様な……何一つ分からない事態は無かった。少なくとも、俺が戦ってきた間は」
「では此れこそが〈フェリダーの英雄〉出現による変革でしょうか」
「それもまた違う……と、思う。記録に拠れば、生体兵器の出現を機に大敗を喫する事が増えても、特攻とも反撃ともつかない今は異常だ」
そう返したグリーセオの声を聞いて、アキッレは目を細める。
「もし……奇襲小隊を生かさず殺さずの状態に追い込み、戦果以上の自国の兵を死なせる事が目的で……其れ自体が特攻なのだとしたら?」
「そんな事は無意味だ。俺が率いていたのは三十に満たない小隊。其れの奇襲は敢えて受けて、基地に近付いたら更に死体を増やして逃げ返させるなんて……そんな…………」
言い止して、グリーセオは振り向いた。
その動きに気が付いて、後続の騎士達三名が訝し気にグリーセオを見る。
「アンタ達、死んだ仲間を載せたよな?」
グリーセオの言葉に彼らはより一層困惑の色を深くして、白銀の甲冑姿――意識を失ったままのハンソーネを抱えている小柄な女性騎士が口を開いた。
「下ろせとでも?」
「違う。それはフランゲーテでは必ずなのか? それとも――」
「ハンソーネ隊長の指示です。一体何故そんな事を? 仲間の遺体を可能な限り連れ帰るのはおかしいですか?」
「ああ、いや、違う……そうじゃない、そうじゃないんだ…………」
怒りの色を滲ませる女性騎士に頭を下げる様に俯き、グリーセオは並走するアキッレに向き直る。
「ハンソーネ伯爵は先日の――フェリダー共和国が兵士を動物兵器に変えさせた事を知っていたか?」
水を向けられたアキッレは進行方向とグリーセオを見比べる様にして思考を巡らせ、頷いた。
「……ええ、私共も、爵位を持つ者には報せが入っております。敵の矢に注意せよ、と」
「俺が見たのはまだ息のある兵士に矢が突き立ち、フェリダーの兵士が変わった瞬間。それと、此処。スナド戦線基地の外壁から敵の兵士が落とされて、その時に破裂する様に動物兵器に変わり、奇襲小隊を襲ってきた時だ。
――もしもアレが、死体にも効力を持つなら……」
「莫迦な。それこそ無意味でしょう。死んだそばから使うならばまだしも、敵は我々に撤退の余裕を与えている」
「動物兵器に変わる時、フェリダーの奴等は爆発するんだ。理由は分からない、でも、集落の崩壊は其れじゃないのか?」
「我々の退路を断つ為に? 然し、現にその作戦は失敗しているでしょう。本隊が足止めされているなら合流出来た筈。動物兵器に追われているならば足跡が付く」
「分からない、分からないんだが……でも、おかしいんだ。アキッレ男爵が言った様に、まるで死体の数が必要かの様で……」
「憶測の域を出ません。グリーセオ殿、ハンソーネ隊長の指示は確かに其れを危惧しての事かもしれませぬが、敵の目的はそうだと仮定しても不鮮明。敵の指揮官が無能であり、不確実な魔法を実験して失敗したと言われる方が納得もいきます」
「そうだ、納得がいかないんだ。フェリダー共和国は……おかしいと、常軌を逸していると、帝国の戦士ならば殆どがそう言う。そういう相手なんだ。だから」
「フェリダーの英雄を追加する為……」
ともすれば聞き逃してしまいそうな小さく掠れた声を、その場の誰もが聞いた。
声の主は先程の女性騎士の元から響き、グリーセオ含む四人の視線が其方に集まって、女性騎士もまた自身に預けていた身を起こそうとしているハンソーネを見て目を丸くしている。
「そう考えれば辻褄を合わせられるだろう……。フェリダーの英雄は、無数の死体を使って作るのだと。アレが……ライガが不死身に見えるのも、魂が犠牲者の数だけあると考えればまだ得心がいく。どうだ?」
細く荒い息を上げて言うハンソーネに、答える者は居なかった。
「……そう仮定して、この後の戦に不死身の戦士が少なくとも二体は出てくると心構えをする外無い。未知の敵であると言うのなら、最悪を想定し続け、目の前で起きた事は事実だと受け入れるしか無い。
――グリーセオ。今は一人でも多く生かして帰還する事に集中しろ。私はこの様だが、其れを忘れた事は一度たりとも無い。
いいか、全員聞け。友軍は生かせ。敵軍は殺せ。同情はお前の、若しくは大切な者の死で返される。敵を侮るな」
ハンソーネが言い終えると、騎士達は夫々に答える。
グリーセオだけが、苦々しい表情で頷いて進行方向へと顔を向け直した。
(殺して……一人一人の人生を終えさせて。そうして、自国だけが残ればそれで良いのか……? それしか――)
胸中に言葉を浮かべかけ、遠い大火を受けて赤々と輝くライガの姿が甦る。
『殺して生きるか、生きる為に殺されるかだ』
(違う。それだけな筈が無い。もしそうなら、何故カーニダエの俺とフランゲーテの彼らが共に居る……? 敵は敵だと、そう思い込むだけが正しいのか? 敵になれば…………ハンソーネは、此処に居る騎士達を殺せるのか……?)
そう考えて、今度は自身の声が甦った。
『生かす為に殺す』
(あの時、俺はそう言った……。然し、それではハンソーネと何が違う?
もしもこの先、フランゲーテがカーニダエを攻めたとして、アルグやクリス、カーニダエの人々を生かす為に、俺は彼女を殺せるか……?)
がち、と両手の篭手が音を立てる。
決して折れず、毀れず、錆びる事も融ける事も無い、不朽の双剣。
(人は、生きる可くして此処に在る。其れは他の生物を食って生きる事だが、人と人とがそうする必要は無い。国家ほどの大きな繋がりを作れるのなら、大陸でだって同じ事が出来なくてはおかしいだろう……!)
軋んだのは、両の篭手と、割れんばかりに噛み締めた奥歯。
(――なら、俺は……何の為に戦える……! 俺は、俺は…………俺はッ!)
渦巻く葛藤の中心で、グリーセオは無音の絶叫を上げた。
体の震え以上には表へ出さない様に努め、只々、夜闇を睨む。
広大な砂漠の灰色だけが、行く先に広がっていた。
✕✕✕ 16の八
生きる事にあれやこれやと理由を付けたがる人間がいるが、それはあくまで『結果の補足』でしか無く、慰めや安心を欲する弱い心がそうさせる。
結果そのものはいつだって単純だ。
生きていれば正解。死ねば不正解。ただ、其れだけ。
彼が掲げる信念は其れだけであり、だからこそ彼は意識を取り戻したと自覚した時、小さく笑った。
(……正解だ。あの時、彼処で一旦は負けた事が正解だった。けど、半分だ。彼奴らは生きてやがる。負かして不正解だって教えてやらねぇとなぁ)
その声は不思議と音にはならず、彼は辺りを見回して今いる場所を確認する。
右手には〈スナド戦線基地〉を囲う、石造りの広大な外壁が聳え、左手――おそらく南には記憶と齟齬のある集落らしき影が見える事から、彼は意識を失った瞬間、カーニダエ帝国の兵士による攻撃を受けた地点から動いていないのだと悟った。
数秒の内に思考を巡らせて、彼は南へ向けて脚を進め、違和感を覚える。
驚き混じりに見下ろした脚は、意識を失う前よりも近くにあり、赤黒く変色して五指からは鋭い爪が伸びていた。
「――ッ!」
驚愕して跳び退いた己に付き従う脚は踏んだ砂の感触をはっきりと伝え、彼の意のままに動く。
そして、更なる違和感に彼は背後を振り向いた。
(な……)
意識の上で零した声が、獣の唸り声として耳に届き、彼は振り向いた先――顔の付け根、首に繋がる尾の無い獣の身体を見る。
意識を失う直前、その瞬間までは当たり前であった己の肉体が、赤黒く硬い外皮に覆われた、猫科の獣に似た形へと変貌を遂げ、彼の意のままに動いていた。
(なんだよ、これ……)
言葉を声にしようとしても矢張り、獣の唸り声が喉の奥から零れるだけで、人の鳴き声にはならない。
(オレは……獣兵器にされたのか……?)
フェリダー共和国のいち兵士であった彼――サビロイは、噂程度で〈獣兵器〉という単語を耳にし、同時に其れが戦死した兵士を再利用する為の、新たに開発された魔法による現象であるとは聞いていた。
しかし、サビロイ含め人間である彼らの部隊とは別軸で運用される予定であった筈だし、獣兵器が単独で運用される等という噂は聞いたことが無い。
それもまさか、サビロイ自身が獣兵器に成るなど。
そこ迄考えて、サビロイは笑いが込上げるのを感じた。
恐怖や緊張からでは無い。純粋に生を歓喜しての笑い。
人間だった頃とは異なり、僅かに高くなった唸り声がくるくると喉の奥で鳴る程度ではあったが、サビロイには寧ろ其れが心地好く感じていた。
(正解も正解。大正解だ……! オレは、生きてる! 意識もある! 人間の時より頑丈そうな体、軽やかな動き、爪と――)
胸中で語り続け、サビロイは口の中で舌を転がし、鋭い牙を舐める。
(牙だってある! ハハハ……!)
哄笑するつもりで口を開け、そして、閃く儘にサビロイは吠えた。
がう、と腹の底から息を吐き出して、サビロイは駆け出す。
(殺せる。まだまだ殺してやるぞ、カーニダエ!)
赤黒い獣が夜の砂漠を疾駆し、砂岩製の崩れた集落の中を突っ切って駆けて行く。
道中、獣に成り損なったのか、蠢く肉塊を横目に通り過ぎようとして、サビロイはふと足を止めた。
そして、思い付いた儘に肉塊の元へと戻り、逃げるとも縋るともつかない奇怪な動きを見せる肉塊を見下ろして、サビロイは笑う。
(たしか、弱肉強食っていう言葉があったよなぁ)
眼前の弱々しい肉塊と、逞しく靭やかな獣へ変じた己を言葉に重ねて、サビロイは大きく顎を開いた。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?