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「星影、淡く」小説:PJ11

  はじめに

 本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
 それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
 また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。

 01話はこちら。

  目次について

 本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
 表記は「 ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕ ‬」が大きな場面転換。
 その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
 例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
 しおり代わりにご活用ください。

  11 星影、淡く

 の集落は、山野の起伏をそのまま利用して区画を定めていて、高低差または架空索道を起点として地区を分割するという性質から、各人の役割と相互扶助意識の強い集落だった。
 架空索道と人の目が張り巡らされたその集落は〈アラネウム〉と呼ばれ、交通の便も悪く、住民の自立心の高さから外部の者の出入りは厳重に管理されていたが、カーニダエ帝国にいてはその性質こそが秘匿性の高さであるとして重宝され、主に医学薬学の研究所としての役割を担っている。
 グリーセオがアラネウムに赴いたのも、二十四歳の時に戦場で負った傷を一刻も早く完治させる為だった。
 グリーセオはそこで、マギニウムの攻撃や破壊目的以外での利用価値を知り、担当した医師からは『外傷であれば現行の医療魔法で完全にふさぎ、兵士の生存率を著しく上げられる』という話を聞いた。
 後に、アルゲンテウスの遠縁であると知った、とある男から。

 八年前、グリーセオが戦線を自ら退き、故郷の集落で戦に関わらない仕事を見付けては取り組み、抜け殻の様に生活をしていた中、唯一、軍事に関係する訓練から逃れられなかった事があった。
 それが、負傷した帝国人の保護と治療の訓練だ。
 二十四歳の時――十年前に知り、自らの肉体で体験した医療魔法は、この十年間で飛躍的に進歩している。
 目の前で弱々しくも確かに自発呼吸を行っているアルゲンテウスの穴だらけの体をあらためて、グリーセオは現行の医療魔法さえ施す事が出来れば、アルゲンテウスの命は〈第三ナスス駐屯基地ちゅうとんきち〉までの運搬に耐え、その後に静養すれば確実に生き延びると確認出来た。
 その事を共有し、医療魔法を施す道具があるかを確認しようとして顔を上げたグリーセオは、此方こちらへ歩み寄るハンソーネと目が合う。
 かぶとを外し、端正な顔立ちをあらわにしたハンソーネは、アルゲンテウスを挟んでグリーセオの眼前に立ち、眉間にしわを寄せたまま片膝を着いた。
「……私の持ち合わせでは、向こうの彼――奇襲小隊の副隊長か、此方こちらの青年、何方どちらか一人しか助けられない。
 向こうの三人に確認したが、彼らは戦闘で医療道具の類の多くを紛失していて、各人の主張に差異はあるものの、隊長であるグリーセオの指示に従う意思はあるようだ。
 ――迷う時間は無い。何方どちらか一人を決め、治療を施した後に負傷兵を任せて撤退させる外無ほかない」
 淡々と口早に告げられた事実に、グリーセオは呆然と離れた位置に寝かされたツェルダを見る。
 ツェルダはぴくりとも動かないが、負傷した左脚にはきつく布が巻き付けられ、最低限の応急処置を施されている様だった。
「ツ……ツェルダは、息が……?」
 かすれたグリーセオの声に、ハンソーネはしっかりとうなずく。
「あるとも。彼の判断かは知るよしも無いが、くらに前傾して伏せていた事で血管が圧迫され、下ろそうとした途端に出血した。奇跡的に彼は一命を取りめている。
 ――グリーセオ、ここで国家としての部外者でもある私が判断を下す訳にはいかない。お前が決めろ。何方どちらに治療を施すのかを」
 無数の思考と言葉がグリーセオの脳内を埋め尽くした。
 それは浮かび上がった暴力的な情報量とは相反して、冷たい陽光の様に意識を白飛びさせる。
 残ったのは有無を言わせずに視界から飛び込む情報だけだった。
 若い兵士は、不安気ふあんげにツェルダを見下ろしている。
 壮年の兵士は、ツェルダとアルゲンテウスを見比べて、やおらまぶたを下ろした。
 クリスは、ハンソーネがグリーセオに差し出している医療道具の入った箱を見て、目を伏せる。
 ハンソーネは、差し出していた医療道具の箱をずいと押し出す様に、グリーセオをかした。
 ツェルダとは、この日の早朝からというあまりに短い期間の関わりしかないが、グリーセオは彼が居たからこそライガと遭遇するまでの間は戦士として振る舞えた。歳が近い事と、彼の為人ひととなりがそうさせてくれたのは、確かめるまでも無い事だった。
 アルゲンテウスとは、彼が赤子だった頃を知っていても、特別深い関係を築いてきた訳では無い。だが、アルゲンテウスはグリーセオの事をずっと慕い、今回のカニス族追放の件があっても、その姿勢は少しも変える所が無かった。
 焦りと迷いが呼吸を乱し、グリーセオはほんの少しせ返って、夜闇に沈む砂地を見る。
(…………俺は)
 胸中で続けかけた言葉を押し込み、グリーセオは顔を上げてハンソーネが差し出す医療道具箱を掴んだ。
「皆、今から俺の言う通りにしてくれ」
 絞り出した声は如何いかにも頼り無く、グリーセオの迷いがありありとにじんでいたが、その場の誰もが静かにグリーセオの言葉に耳を傾ける。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 11の二

退ぉけぇぇぇ!」
 絶叫し、騎上で赤銅色しゃくどういろの剣を振るうジェンナロが黒衣の兵士とれ違えば、首や腕、脚から血液を噴き出させた彼らが悲鳴を上げる。
 背後からとどろく悲鳴には耳も傾けず、ジェンナロは眼前から迫り来る黒衣の兵士らをにらみ、更にその先、砂原に倒れていたタロウを担ぎ上げ、駱駝らくだまたがろうとする大柄の黒衣をにはみ付けた。
「タロウ殿! 目を覚ませ! タロウ・サンノゼぇ!」
 ぐったりとしたまま黒衣の肩に担がれるタロウに呼び掛けながら、眼前に迫ったなたを振り上げた剣で払い、引き戻す動作でなたの持ち主の首を斬る。
 そのぐ先から新手の黒衣が今度は槍を突き出して来て、ジェンナロは左肩を引く様にり、右肩の金属鎧で迫る穂先をらした。
 狙いをれて勢いを失った穂先には目もくれず、ジェンナロは赤銅色しゃくどういろの剣身を左腕の鎧に短く走らせる。
 瞬間、意識を失っても手放しはしなかったタロウの二刀が小さく爆炎を上げて、あぶみに片足を掛けていた男の背中を焼き、更に周辺の黒衣の兵士らが短くうめき声を上げた。
 青碧色せいへきいろの熊――エクゥルサの走行に押し負けた槍はジェンナロの鎧にはじかれて吹き去り、ジェンナロは隙を見せた前方の兵士二名を斬り付けて、エクゥルサにその間をう様に突進させ、タロウを担いでいる大男との距離を慎重にはかり、そのくびね飛ばす。
 繊細かつ、鍛え上げられた兵士のくびねる程の力を必要とする一瞬の動作の行方を確かめる暇も無く、ジェンナロの眼前には他の黒衣の兵士の槍が三本、迫っていた。
 ジェンナロはそれを左腕と剣を同時に振るってはじき、脇腹に激痛を覚えながらも、最も接近していた兵士の腹を狙って剣を突き出し、刺した剣をひねって駱駝らくだの上から砂原へと引きり落とす。
 いで迫るのも、黒衣、黒衣、黒衣。
 遠くで燃え盛る炎があると言えども、視界のほとんど封じられた夜間での戦闘は、ジェンナロに永遠を錯覚させた。
 それでもジェンナロの闘争心を奮い立たせる物は、目に映る脅威よりも多く彼の胸に浮かび続け、彼の体と頭を冷静に動かし続ける。
「負けられぬ理由なら、吾輩わがはいの方が多いぞ! フェリダー!」
 胸中の確固たる想いを吐き出し、ジェンナロはこの日何人目とも知れぬ敵兵を斬り伏せた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 11の三

 二頭のエクゥルサが駆け出して数分、並走するエクゥルサの騎上からハンソーネの溜め息が聞こえた。
 グリーセオはそれに目だけを向け、進む先、東にうごめく無数の影を見据える。
「…………グリーセオ、答えをまだ、聞いていなかったな」
 二頭のエクゥルサの足音で消えてしまいそうなハンソーネの声、グリーセオは聞き間違えかと自身を疑いつつも、右、並走するハンソーネの方へ顔を向け、此方こちらを見詰める白銀のかぶと――その奥の鋭い双眸そうぼうと目が合った。
「お前に厳しい選択を委ねた身として、そして今、こうして着いて来ている戦士に向ける言葉では無いと承知の上で、……それでも、背中を預けるに足りる者かどうかを確かめさせて欲しい。
 お前はまだ……いや、お前はまた、戦えるのか?」
 先程よりもはっきりと発声したハンソーネから視線を外し、グリーセオは進む先の戦場を見据える。
 応急処置だけを施したツェルダを若い兵士に任せ、一足先に〈第三ナスス駐屯基地ちゅうとんきち〉へと送り届けさせ、アルゲンテウスに魔法を用いた治療を施す最中、残った壮年の兵士とクリスからは彼らが知る限りの戦況を聞き、ハンソーネが率いて来た部隊〈コーア〉の情報とり合わせて現状の推察を立てたグリーセオは、五頭のエクゥルサを二手、正確には三つに分けて再配置した。
 一つはツェルダと若い兵士を乗せた、即時帰投組の先発。
 続く二つ目は、治療を終えたアルゲンテウスと壮年の兵士を乗せた一頭と、有事に備えて武器を集中させたクリスの駆る護衛一頭の、即時帰投組の後発。
 そして、余った一頭をグリーセオが受け取り、ハンソーネと共に〈コーア〉と合流して全隊の撤退をはかる合流組だ。
 速歩はやあしで駆けるエクゥルサに揺られながら、頭の中で現状を整理したグリーセオは、次にクリス達と合流する前にハンソーネと話していた事を思い出し、緩やかに息を吸う。
「殺して生きるか、生きる為に殺されるか」
「何?」
「ライガは、戦いを躊躇ためらった俺にその選択を迫った。ハンソーネ伯爵はくしゃくが割って入る前の事だ。
 …………あの時、俺は決められなかった。今もまだ、選択肢がその二つだけだなんて、到底思えない。……だからこそ俺は、傷の数が多く致命的なアルゲンテウスの治療を優先したし、ツェルダの命も諦めたくないから、一刻も早くと、危険を承知した上で先に走らせた……」
「――別に、私はその選択をとやかく言うつもりは無いさ」
「だが事実、俺は若い兵士をそれらしく説得して、私情を優先した事は否めない。あれは……あれは俺に言い聞かせてたんだ。ツェルダの傷は一箇所、それに応急手当もして、出血も無くなった。だから大丈夫、まだどうとでも出来る、はずだ。そう、言い聞かせた」
「…………」
「……殺して生きるって言うのは、そういう事だと思う。
 食う為に、危害を加える敵を排除する為に、れだけじゃない。はみんな、自分自身に『殺したって仕方が無かった』と言い聞かせる為だ。
 背負うには、知性の割にちっぽけな人の心じゃ、重たすぎる……。
 俺はれを今日までに知っていて、彼奴あいつも……ライガも、れを悟るだけの経験をしてきたんだろう」
 思いを吐露したグリーセオに、ハンソーネが返す言葉は無かった。
 人の言葉を理解しないエクゥルサ達の規則的な足音だけが続き、グリーセオはわずかな間瞑目めいもくして、深呼吸を繰り返す。
「……アルゲンテウスが、クリスが、二人がこんな戦場に居るのも、俺の所為せいだ。
 俺が、八年間、ただ自責の念から逃げ続けて……、フェリダーの密偵を殺す事さえ出来ず、おさに追放され、その罰に巻き込んだからだ。
 身の丈に合わないむなしい願いは、この胸にだければいい。そんな幻想に人を巻き込んでいいはずが無かった。だから……」
 グリーセオはそこで一つ、深呼吸をして、かたわらに居るハンソーネを見た。
 ハンソーネは前方を見詰めてグリーセオの声だけを聞いていたようだったが、短いに気が付いてグリーセオを振り向く。
「……俺は、生かす為に殺す。
 それが、俺というちっぽけな人間に出来る限界で、戦う為に必要な覚悟だった。
 ――ハンソーネ伯爵、こんな事に巻き込んでしまい、本当に申し訳無い」
「…………はっ。〈若き英雄〉とは、文字通りだった、と」
「なんだって?」
 精一杯の覚悟を鼻で笑われたグリーセオは、片眉をね上げ困惑をあらわにした。
「いや。ほんの少し聞きかじっただけさ。此度こたびの奇襲小隊を率いているのは、かつて〈カニス族の若き英雄〉と呼ばれた人物だとな。
 どれ程の猛将かと思案してはいたが、蓋を開けてみれば腕が立つだけの戦士だった訳だ」
「……ハンソーネ伯爵、そういうのは鼓舞のつもりで?」
「まさか、英雄サマを虚仮こけにしているのさ。
 腕は立っても己の分析にはうとい、戦場で叩き上げられた戦士に過ぎない。とな」
「…………はぁ。手厳しい事で」
「グリーセオ。お前の八年間は無為むいであり、未来ある者達を巻き込む一因にもなった。それは変えられない事実だろう。
 ――だが、忘れるな。お前の戦う背中を見て生きてきた者だって居るんだ。クリスとう彼女がそうだろう。……それから、アルゲンテウス。
 彼らを真に想うなら、揺るがない信念を用意しろ。戦いでも、その他でもいい。あのライガとか言う、弁の立つ敵にも揺るがす事の出来ない、そして己にも揺るがされない、そういう信念だ」
「信念……」
「そうだ。生かす為に殺すだろうが何だろうが、その仔細しさいに口を出すつもりは無い。だが、信念ある戦士とそうでない者とでは決定的な違いがある。
 お前も数々の戦場で、他の戦士とは異なる……言い表せない強さを持つ者と対峙たいじした経験はあろう。
 それは、実力とは別に余計な考えが有るか無いかの差でもある。お前が彼処あそこに着き、剣を抜くまでに決めておくのは、れだ」
 ハンソーネはそう言って口をつぐみ、正面を見据える。
 信念。その言葉を反芻はんすうして、グリーセオは暗夜の行軍を続けた。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 11の四

 がつがつと鉄靴てつぐつで石畳を踏む音、その荒々しさから足音の主が苛立いらだっている事をいやが応でも知った黒衣の兵士らは、現れた砦主さいしゅ――スナド・ル・フィッシャーの逆鱗げきりんに触れぬよう姿勢を正して迎え入れた。
「報告せよ。フランゲーテの紋章有りとはまことか」
 平生から冷酷さと狂気をはらむスナドの声音に怒気までも乗せられ、黒衣の兵士らは緊張した面持ちで観測班のおさに視線を送り、その場の視線を一身に受けた中年の男性兵士が一歩進んでスナドと向き合う。
「ま、まことに御座います。この区画の観測班員ら三名が、増援の敵部隊に〈フランゲーテ魔法王国〉の紋章有りとの報告をし、私が確認した所、該当の紋章、そして装備の共通する意匠いしょうを確認致しました。
 ――更に、フランゲーテのぜいは青い布や羽飾りを身に着け、現在は此方こちら、南東の城壁から観測可能な距離にて基地の騎兵隊と交戦中。
 ……それも、我が方の劣勢に御座います」
 中年の男性兵士が眉間にしわを寄せたまま報告を終えると、スナドは腰にげた望遠鏡を取り出して、石造りの外壁から乗り出す様に戦場を見詰めた。
 それを見て、中年の男性兵士はそのかたわらに立ち、他の兵士らに口許くちもとが見えない様に右手を添える。
「ス、スナド戦士長、それからもう一つ報告が御座います……」
「申せ」
「敵増援の何らかの魔法により、戦場の一部分にて〈紅血こうけつ〉の活性化が見られました」
「何? ……その報告、敵兵が見たと捉えて良いのだな?」
「はっ。そして一名、捕虜とされております。こちらは確認してぐに独立偵察隊に申告し、戦士長の指示が入り次第、すぐに動けるよう手配致しました」
ただちに部下一名に出立しゅったつを伝えさせろ」
「はっ」
 小声でのやり取りがあり、中年の男性兵士がスナドのかたわらから消えて、しばらく戦場を観察していたスナドは、仮面を戻して背後の兵士らに振り返った。
「おい、其処そこの六名、ただちに伝令部隊を編成し、南方第一、第二集落の部隊に待機命令を伝達せよ。何があっても攻撃するな、とな。行け!
 ……残りは引き続き観測。敵軍増援部隊の報告を書面にまとめ、提出。此度こたびいくさ、長引かせたく無くば死ぬ気で敵の弱点を洗い出せ」
 スナドがその場から離れる最中に下した指示に、兵士らは短い返事と共に素早く外壁のふちに張り付き、各々の仕事へ戻っていく。
 スナドはそれをちらとも見ずに苛立いらだちをあらわにした靴音を立ててその場を離れ、少しの後に進む先から足早に駆けて来る黒衣の騎士を見た。
 その装備は〈スナド戦線基地〉の兵士らとはやや異なり、スナドはぐにれが何者かを理解して息を吸う。
「トラゲ殿、其方そちらは」
「スナド、ライガの蘇生が終わった。だが、消耗が激しいな」
「運用は?」
「難しくはない。あと二回は死んでも問題無いだろう。ただ、今行かせる事に利点はあるか?」
「夜だからこそ、敵を逃がしてもそれ程有用な情報を与える事にはならないだろう。そもそもグリーセオに一度敗北してる故、どの道宝の持ち腐れだ」
「分かった、出撃させよう。
 ――カーニダエにフランゲーテがくみしているというのは本当か?」
「…………ああ。どうやってか〈紅血こうけつ〉も見られたらしい。此度こたびいくさ、本当に最後となるやも知れぬな」
 スナドと話しながら同じ方向へ歩みを進めていたトラゲは、スナドのその言葉で一瞬足を止めて、再びスナドの真横に着いた。
「ではもう〈獣兵隊じゅうへいたい〉も出すのか」
「いや、今は駄目だ。一頭でも逃亡を許せば手が付けられん」
「……では、私はここで。ライガと共に出撃しよう」
「トラゲ殿が?」
「ライガとて〈獣兵隊じゅうへいたい〉と同じ事。監視役が必要なのでな」
「……御武運を」
 スナドの言葉を聞き、トラゲは〈スナド戦線基地〉の外壁、その内側へと下りる階段へと向かい、姿を消した。
 スナドはそのまま外壁上を歩き、肉眼で夜闇に沈んだ砂原に目をる。
 城砦じょうさいの外壁、その周辺の集落は既に鎮火作業が終わったのか、もうほとんど炎の光が消え、小さなあかりがぽつぽつと見えるだけになっていた。
 しかし、記憶にある建物の影は其処そこに無く、黒々とした影はいびつ
 スナドはそれを見て後ろ手に組んだ拳を固く握り締め、正面、夜の漆黒に沈んだ西方をにらみ付けた。
「……屈辱は死をもって償わせるぞ。カーニダエ」
 その声を聞く者が居れば、平静とも取れる声音だったが、黒い仮面の奥でにぶく輝く瞳は、殺意を凝集させた星だった。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 11の五

「再出撃だ。ライガ」
 意識を取り戻し、部分的に残っていた外骨格を全て人間の形に戻したライガが、受け取った少ない食糧を食べ終えた頃、トラゲは石造りの部屋に入るやいなやそう言った。
 ライガはそれに言葉もうなずきも無く、木箱に腰掛けたまま溜め息を吐き出して顔を上げる。
「それから我が隊の十名、ワジャとリバを除く者達でライガを援護するく共に出撃する。分かってはいると思うが、ライガの逃亡を監視する役割でもあるぞ。
 ――ワジャ、リバ、お前達は我々に不測の事態があれば、即座にガーランド領とカルニボア機関へ報告せよ」
 トラゲの指示に、ライガの周囲に居た黒衣の騎士らが返答し、手早く準備を始めた。
 鉄靴てつぐつの音や衣擦きぬずれで騒がしくなる室内で、トラゲもまた壁に立て掛けていた三ツ又槍を手に取り、それを保持する部品の付いた革帯に肩を通す最中、木箱に腰掛けているライガと目が合う。
 ライガはそれを待っていたかの様に、静かに口を開いた。
「…………グリーセオは生きてんのか」
「……さぁな。だが、報告は上がっていない。撤退したか、増援部隊と合流したんだろう」
 トラゲが口早に返すと、ライガはしばらくの間沈黙する。
「――カーニダエ帝国には甲冑かっちゅう騎士なんか居なかったはずだ」
 沈黙の後にライガが発した言葉で、石造りの室内には静かな緊張が流れた。
 トラゲの率いる黒衣の騎士ら、その誰もがライガに視線を注ぎ、トラゲもまた鋭い視線でライガを見る。
「お勉強はちゃんとしていた様だな」
いやってほど叩き込まれたからな。――あの銀色の奴、カーニダエじゃねぇだろ」
「仮にそうだとして、お前に逃げる選択肢は無い」
 トラゲが言った瞬間、ライガは鼻で笑った。
「別にそんな期待しちゃいねぇよ。ただ、戦術が変わるだろ」
「お前はただ、一人でも多く殺す事に集中していればいい」
獣兵士じゅうへいしを四頭、用意させろ」
 ライガの要求に、室内には先程までよりも濃密な緊張と危機感が肌を刺す様に満ちる。
 黒衣の騎士らの中には得物えものに手を掛け、ライガに殺気を向ける者まで現れた。
 空気自体が静電気を帯びたかの様な緊張感の中、トラゲだけは冷静にライガの眼前に立つ。
「今のお前が操れるとは思えん。却下する」
「兵隊を作れる程はな。けど、四頭は従えられる」
「…………駄目だ。今は一刻を争う。私が率いる九騎、これだけだ。以降の発言は厳重な懲罰ちょうばつ対象とする。リバ、城門まで付き添え、ライガの発言を確認し次第、コドコドを処分する」
「は、はっ」
 ややどもったリバの返答の後、その場の余計な緊張感は緩やかに霧散していき、誰もが押し黙った。
 次に発せられたのは、一番に装備を整えた騎士がライガに向けた「立て」の声と、ライガを一時的に拘束する為に続く簡素な指示、それだけだった。

 ‪‪ ✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 11の六

 無数の怒号渦巻く戦場が、近付いてくる。
 グリーセオはれに芯から恐怖を覚えて小さく震え、エクゥルサの手綱たづなを固く握り締めた。
「グリーセオ、私は〈コーア〉の指揮をる。お前は確か――独立遊撃部隊、だったか。働きに期待しているぞ」
 ハンソーネに見えるよう、大きくうなずき、グリーセオはエクゥルサの速度を上げて夜闇にうごめく大勢の影の中へと踏み込んで行った。
 信念。
 ハンソーネから提示されたれにぴったりと当てまる物は、未だ見付けられていない。
 しかし、この作戦に参加してから、いや、カニス族の戦士と成った時から、人を殺す以外の道に変える事など出来ないと、改めてはらを決める時間はたっぷりと与えられていた。
 二秒。
 瞑目めいもくしてから開いた眼は、黒い影の中から青い布や羽飾りを見分け、を持たない人間――黒衣の、フェリダー共和国の兵士を判別する。
「……また、戻る。俺は、グリーセオ・カニス・ルプス。カーニダエ帝国の戦士だ」
 自身へ向けて呟き、グリーセオは右手を小刻みに振るって鋼の篭手こて〈マクシラ〉を短剣へと変じさせた。
「ぅうおおおおお!」
 裂帛れっぱく雄叫おたけびを上げ、青い布を首に巻いた戦士が乱戦の最中へと突っ込み、その叫びに反応した隙を突いて、黒衣の兵士ら三名を立ち所に斬り伏せる。
 人、三人分の重みが、グリーセオの右手にしたたった。

つづく


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