小説「剣闘舞曲」2

本作をお読みになる前に
 この作品は、闘技場で行われる試合を描いたファンタジー小説です。
 怪我や血の描写、魔法の要素、他にもあなたが苦手とするものが含まれるかもしれません。ご了承の上でお読みください。

 また、本作は特定の国や楽器、音楽に対する批判など、作者の思想を広める意図で作られたものでは無い事を予めご理解ください。
  空山非金

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  2:対話

 大陸南西部に突出した半島に、フランゲーテという国がある。
 フランゲーテは様々な武器の生産と、魔法技術の開発にけていた。
 多種多様な武器と、魔法の起点となるマギニウム製品を輸出する傍ら、強大な兵力を有する事から「悪魔の武器庫」などと揶揄やゆされる事もあった。
 しかし、近年ではマギニウムの研究が大陸規模で進み、百年前までは右も左もフランゲーテ産であった魔法技術の品々に諸外国の特性が入り交じる事で、フランゲーテ産マギニウム製品の需要は減りつつある。
 とは言え、今日こんにちのマギニウム製品の礎を築き上げたフランゲーテの技術は今尚いまなお更新を続け、それら製品を扱う専門家・・・も多いので、フランゲーテ――正式な名称で『フランゲーテ魔法王国』の名が落ちよう筈も無く、半島の小国は変わらず活気づいている。
 そんなフランゲーテの技術が進化を続けている理由の一つに、千年の昔から続く大衆娯楽『剣闘舞曲』の存在があった。
 太古、マギニウムが発見されるより前から盛んに楽しまれている娯楽は、闘技場にある。
 戦場で名を上げた兵士が、山野で獣と狩り合う猟師が、荒れ狂う力を抑えては生きていけない犯罪者が、一処ひとところに集められてしのぎを削る闘技場。
 民衆はそれを見て内なる激情を発散し、職人はそれを観て己が技術の出来栄えを確かめ、医学者は負傷した戦士から研修と研究の両得を成し、貴族は次なる戦の駒を見定める。
 目的は人の数ほどあり、フランゲーテの人々は各々の思惑を胸に闘技場に集まっていた。
 やがて、闘技場を中心とした渦は大きく強いうねりを巻き起こして、技術と経済の発展を促す。
 現在から三百年ほど前、フランゲーテの学者がマギニウムを発見した事でその渦は大陸中に波及した。
 万物を歪め、無に有を成し、有を無に帰す微小物質。
 希望と滅亡を孕んだ物質は即座に軍事利用され、闘技場で大衆の目に触れ、四半世紀の内に人々の生活にまで根差す。
 フランゲーテがその名に『魔法』の字を加えたのは、その頃からだった。

  *

 柔らかいソファに浅く座り、若い男は白銀に輝く剣を水平に掲げる。
 左手で保持する剣の鍔には四本の弦が張られており、片側ははばきに繋げられ、もう一方は柄に潜り込んで、今は取り外されている柄頭で蓋をされる部分にある小さなペグに巻き付けられている。
 男は弦の張りを目で確かめ、やがて右手に持つ演奏用の弓で弦を一つ、ついと弾いた。
 甘く伸びやかな低音が響いて、剣身がルビー色に変化して熱を発する。
 男はそれを見てたった今弾いた弦の根元を押さえて弾き直し、先程よりも高くなった音を響かせて剣身の変化を止めさせる。
 フランゲーテ魔法国、中央都市――通称、央都に建てられた闘技場の控え室で、男は愛剣の調律を続けた。

  *

 モーグ、プレスティアと入れ替わる様に、次の戦士達が入場した。
 一人は長大な箱を背負い、全身を覆うプレートアーマーを着込んだ身長一六〇センチ前後の女。
 そして、対するもう一人もまた女だった。
 細剣と呼ぶにはやや幅の広い刃を持つ剣を左の腰に提げ、急所だけはしっかりと守るように作られた軽装の鎧を身に着けた、一七〇センチを優に超える女。
「決戦の日、剣闘舞曲祭の最終日を飾る第二試合! 北から現れたのは王華おうかの騎士! ハンソーネ・トロンバ!」
 司会者の声が響き、細剣を提げた女――ハンソーネが騎士団式の敬礼を見せると、会場が沸き立った。
 歓声の最中、司会者は大きく息を吸ってその音を拡声器に通す。
「そして、対する南側! 傭兵団を纏め上げる劫火の剣槍けんそう! マリアンヌ・フランクリン!」
 ハンソーネとは対照的にに気軽に手を振って見せる鎧姿の女は、場内に膨れ上がる声を浴び乍ら背負っていた箱を置く。
「さあ、両名。準備が出来たら開始線にお立ち下さい」
 拡声器を通して響く声に、ハンソーネは地面に描かれた白線の前へと真っ直ぐ進んで行く。
 一方のマリアンヌは地面に置いた箱を開けて中身を確かめ、右手でそれを持ち上げた。
 陽光を通して輝く無色透明な三角錐のそれは、騎兵用のランスだった。
 マリアンヌはそれを右手に握り、重心の偏りを感じさせないしっかりとした足取りで開始線の前に立つ。
 両者の距離は十メートル、一跳びでは詰められない距離に引かれた開始線の前から試合は始められる。
 会場全体に声を届ける司会者は客席の最前列、運営委員会や特別来賓者席のある席に着いており、闘技場の舞台には彼とは別に地上で試合の判定を行う審判員が立っている。
 審判員は二つの開始線からやや離れた位置に立ち、ハンソーネとマリアンヌの顔を見た。
「二人とも、準備は」
「待て」
 審判員の声を止めたのはハンソーネだった。
 右手よりも頑強そうな篭手を填めた左の手を挙げて審判員を制し、その手でマリアンヌの硝子槍がらすやりを指差す。
 場内が静まり返り、人々は固唾を飲んで成り行きを見守った。
「お前、クシフォスハーモニーを美術館と間違えたか? そんなモノで何を斬る?」
 ハンソーネの声に場内がざわついた。
 試合開始前に選手が言葉を交わす事自体は珍しく無い――むしろそれを楽しみにする客も少なくはないのだが、一週間に渡る剣闘舞曲祭の中でハンソーネから話し始めたのは初めての事だったのだ。
 波紋が広がる闘技場内、その渦中で、当のマリアンヌは鎧を鳴らして笑った。
「お前の、骨の髄を斬る。――アルモニカ。それがこの槍の名だ」
 凛と響いたマリアンヌの声で、一瞬の静寂が訪れてから場内は再び沸き立った。
 その波に乗って司会者の声が響く。
「両者そこまで! 試合を始めます! 準備は良いか!」
 司会者の叫びに、ハンソーネは背筋を伸ばす。対するマリアンヌはランスの穂先を下ろし、どっしりと構えた。
 それを見届けた審判員が司会者と目を見交わして、右手を挙げる。
「第二試合、開始!」
 審判員の声で観衆が沸き、ハンソーネは素早く抜剣した。
 剣身に複雑な波模様の走る皆焼刃ひたつらばが点々と陽光を返して、中程にめ込まれたマギニウム製の仄青ほのあおい宝石が爛々らんらんと輝く片刃の剣。
 その輝きを見て、マリアンヌはがつがつと鉄の靴を鳴らす。足踏みで取られたリズムは、試合に注目して沈みゆく歓声を塗り替えて、ばちっと一際大きな火花を散らした。
 劫火の異名の由来はマリアンヌの槍ではなく、靴にあった。
 何度も散った火花が闘技場の地面を舐める炎に変わり、網目模様に張り巡らされていく。
 くるぶしに届く程度の炎、それ自体は攻撃では無い。だが、マリアンヌの前に敗れていった者達はその光景に呑まれて敗れたと言っても過言では無かった。
 しかし、ハンソーネは足下を走る炎に臆すること無く駆け出して、十メートルの距離を詰める。
 あっという間に詰まる距離にマリアンヌはランスを横に構え、兜の奥からハンソーネの目を見た。
 その獰猛な瞳から射抜く様に刺突を繰り出す意志を読み取って、相手の動きに備える。
 ハンソーネは彼女の予想通りに正中線を狙った刺突を繰り出して、ランスの槍身を削る様に得物を擦れ合わせる。
 途端、マリアンヌの得物『アルモニカ』が美しい悲鳴を上げた。

 細剣を通してハンソーネの右手が、その骨が、ぶるりと震え出し、跳び退しさってもなお頭の奥に響くアルモニカの悲鳴に顔をしかめる。
「これが」
 独りちようとして、ハンソーネは慌てて迫り来る穂先を弾いた。
 また、ランスが歌う。
 地面を走る炎の熱とは関係の無い汗がハンソーネの背中を伝った。
 マリアンヌは刺突と薙ぎを繰り返してハンソーネを圧倒し、それを受けても弾いても相手のランスが歌う。
 その歌が響くとハンソーネの感覚が揺さぶられ、七度目には目眩を覚えた。
 ハンソーネはその歌から逃れるべく駆けるが、重装備のマリアンヌはその動きを先読みしてランスを突き出してくる。
 足下に広がる炎の網は、既にハンソーネを捕らえていた。
「どうした! まだ一小節も踊ってないぞ!」
 マリアンヌが吠え、穂先がハンソーネの目前に迫る。
 ハンソーネはそれを細剣では受けずに左手で掴んだ。
 掴んでしまった。
 熱気で濡れたランスが僅かに歌い、ハンソーネがそれに顔を顰めたのと同時にマリアンヌはランスを捻った。
 手の中で回転するランスが一際大きく歌い、ハンソーネの視界が黒く塗り潰された。
 誤った。そう思う間にハンソーネの横腹にランスが叩き込まれ、ハンソーネの長身が吹き飛ぶ。
 マリアンヌの攻撃はそれだけでは無かった。落下した地面の先には炎の網が待つ。ハンソーネはそこに落ちて鎧の無い部分、特に首や頭を焼かれ、転げる様に逃げる。
 視界はまだ戻っていない。
 炎の音と熱が邪魔をして、マリアンヌの足音が掴めない。
 そこに、風を斬る音。
 慌てて振った細剣は、ランスを弾いて再び歌を奏でる。
 途端に膝から下の感覚を失ったハンソーネは、地面に左手を着いた。
 手を着いた位置は運良く炎の無い部分だったが、痛覚も訴えない脚はきっと焼かれている。
 薄ぼんやりとした視界に、硝子槍の輝きが強く光っていた。
 まだ、審判は下っていない。
 ハンソーネはそう己に言い聞かせ、試合開始からたちまち崩された呼吸を整える。迫る輝きを見つめて、細剣を握り直し、強い呼気と共に全身を伸ばした。
 細剣がランスと擦れ合い、低い歌が響いて、輝きは離れていった。

 マリアンヌの肩鎧が飛んだ。
 それは花弁の様に舞って、地面に落ちる。
 ランスと交差したハンソーネの細剣、その刃長が二倍にも伸びたのだ。
 アルモニカに込められた魔法により、視覚、聴覚、脚の痛覚の感覚不全に陥った筈のハンソーネは座り込んだまま的確な刺突を繰り出してランスの穂先を逸らし、マリアンヌの喉元、装甲と装甲の隙間を穿うがたんとした。
 マリアンヌは咄嗟に体を反らし、致命傷は避けたものの左肩を抉られ、今はハンソーネから距離を取っている。
 二メートル、三メートルと距離を空けて観察してみても、ハンソーネの細剣はマリアンヌのランスよりも短い。交差したとて、きっさきが空を斬る程度の間合いがあった筈だ。
 それなのに、刺された。
 その事実を飲み込めず、マリアンヌは靴を鳴らす。
 苛立ちを火花に変えて、テンポを上げていく。
 場内を駆け巡る炎もそれに合わせて強く、大きくなり、座り込むハンソーネを焼いた。
 火に押される様にして体勢を崩し、ハンソーネの姿が炎に隠される。
 それを見て、マリアンヌはランスを構え直した。
 常に内側から冷気を発している霊槍れいそうアルモニカは、靴鎧の魔法で生み出した炎の熱気によって結露を纏う。
 ぽたぽたと落ちる水が足下を走る炎の網に触れて蒸気になり、重々しい靴音を立ててハンソーネの許へ向かうマリアンヌの姿は、さながら地獄の処刑人だった。
 であれば、炎に身を焼かれて縮こまるハンソーネは宣告を待つ罪人と言ったところか。
 そう思い、マリアンヌは高揚を口の端に表した。
「勝ったつもりか」
 その高揚感を邪魔する者が立ち上がる。重心は定まらず、細剣のきっさきで足下を確かめ、見当違いの方向を見つめ乍ら、ハンソーネは笑った。
「怖かったか、私の愛剣が」
 これは時間稼ぎか、挑発。またはその両方だ。
 マリアンヌは胸中に呟き、間合いに入る前に刺突の構えを取る。
 その瞬間、ハンソーネが声を出して笑った。
「その位置から構えるのか、余程怖かったと見える」
 その言葉を聞いた瞬間、マリアンヌの脳内に火花が散った。
「見えて!」
 一息に踏み込み、ランスを打ち込む。直線で腹を穿つ刺突。
「ねぇだろうが!」
 怒号と共に腕を伸ばし、腰の捻りを加えた渾身の突き。
 それは吸い込まれる様にハンソーネの鳩尾みぞおち目掛けて飛び出し、そして、マリアンヌの視界に一条の光が閃いた。
 マリアンヌの手元に当たって反射し、消える光。
 銀色の光。
 光速の剣閃が、マリアンヌの右前腕を断ち斬った。
 ランスの重さに引かれ、腕を突き出す本体・・に押し出されて、回転し乍ら落ちていく前腕を、マリアンヌは見た。
 痛みと受け入れ難い光景に呻き声を上げ、マリアンヌは退さがる。一歩、二歩と退り、不意に左腕を掴まれて体勢を崩した。
 僅かに屈んだ顎に細剣の鍔が当てられ、銀の刃はマリアンヌのくびを舐めている。
「降参の合図を。お前の腕が焼けて付かなくなるぞ」
 相変わらず視界は戻っていないらしいが、その分マリアンヌを捕まえた左手は猛禽類の様な力強さで、それに反して冷徹な声だった。
 ハンソーネの言葉に、マリアンヌは目を動かす。落とされた右腕はすぐに見つかった。
 それは炎の網の目に落ちていて、それを認識した途端、マリアンヌの膝は笑い出した。
 今から足掻いたとして――いや、足掻こうとした瞬間にハンソーネはマリアンヌの首を掻き斬るだろう。
 マリアンヌの思考よりも先に、本能がそう理解していた。
 それ故に、マリアンヌは両手を挙げる。
「マリアンヌ・フランクリン、降伏! 勝者、ハンソーネ・トロンバ!」
 審判員の声が響いて、運営委員の人々が魔法道具で消火活動をして医療班の道を作る。
 医療班が到着する迄の間に、マリアンヌは右腕を落とされた瞬間を思い返していた。
 ハンソーネはアルモニカの『音響神経阻害』に驚き、防戦に回っていたが、それは恐らく神経阻害以上の仕掛けを警戒しての事だろう。
 そして、視界を失った状態で立ち上がって見せ、挑発した。
 それはつまり、どこかの段階でマリアンヌが挑発に弱い事を見抜いたが故の言動――。
 マリアンヌは兜を脱ぎ、右腕の鎧を外し、その場に落としてから息を吸った。
 大地の焼け焦げる、戦の後の匂いがする。
「なぁ、ハンソーネ……」
 呼ばれ、ハンソーネは声の方向に顔を向ける。
「アタシが挑発に乗るって、どこで確信した?」
 マリアンヌの問いに、ハンソーネは眉を上げた。
「最初と、私がアルモニカの穂先を掴む時かな。勿論気が付いたのはその後だが、お前が距離を取って火の手を増す間隙かんげきがあったから、そこで」
 たった今まで斬り合っていたとは思えぬ程の気軽さで答えるハンソーネに、マリアンヌは苦笑して腰に手を当てた。
「はは、アタシもまだ甘かったって事か」
 マリアンヌの声に、ハンソーネはかぶりを振る。
「いいや、判断は間違えていないと思う。火力を上げれば空気が薄くなり、思考もままならないだろう」
「でもお前にゃ通じなかった」
「騎士団は生半なまなかな訓練をしないからな」
「なんだそれ」
 素っ頓狂な声を上げるマリアンヌに、ハンソーネは笑う。
「まぁ、そうだな…………音響魔法の他に、毒でもいぶされてたら負けたかな」
「それは闘技場じゃ使えねぇよ」
「実戦なら?」
「使った事ある。と言うか、普段は弓兵を従えてるからなぁ」
「ああ、それはまずいな。勝てそうにない」
「だがそうならアンタは」
「お、お二人とも、手当てを」
「ちょっと待て」
 怖ず怖ずと声を掛けた医療班を制するハンソーネに反して、マリアンヌは無い右腕を医療班に差し出した。
「こっちは付けてくれ。話してていいよな?」
 常軌を逸した言動に、医療班は表情を引きらせてマリアンヌを座らせる。マリアンヌは医療班の指示に従い乍らも、顔はハンソーネの方に向け続けた。
「で、アタシと実戦で遭遇して、それならハンソーネは弓兵を計算に入れて動くだろ?」
「そうだな。まずは危険を承知で懐に入り、弓兵の腕前を見る」
「で、撃ってこないなら良し。撃つなら……」
「うーむ……困ってしまうな。服やロープで剣を振り回すかな」
「はんっ! そりゃダメだね。アルモニカのは伝導式音響魔法だ」
「なるほど、それで握った時の方が被害が大きかったのか」
「そういうこと。アンタの負けだな」
「悔しいな。ここでは勝ったのに」
「ま、そうさ。一対一ならアタシの負け。アンタの太刀筋が目で追えない」
「うーむ、しかし……ふーむ…………」
 たらればの戦闘に頭を悩ませるハンソーネの顔を、彼女の為に駆け付けて待っていた医療班が覗き込む。
「あの、そろそろ手当てを……」
「ああ、すまない。頼む」
 そう言って、飲み薬やら傷の手当てやらを受けつつ、ハンソーネとマリアンヌは言葉を交わし続けた。
 治療が終わり、完治しても話が終わらないので、二人は運営委員会に連行される形で会場を後にし、観衆は挨拶も忘れて去っていく二人を温かな笑い声で見送った。

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