「白銀、穿く」小説:PJ14
はじめに
本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。
01話はこちら。
目次について
本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
表記は「 ✕✕✕ 」が大きな場面転換。
その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
しおり代わりにご活用ください。
14 白銀、穿く
松明に点された火が煌々と、夜に覆われた草原と密林の境界線を明らかにしている。
其の一帯には濃紺色に染められた大小様々な天幕が幾つも張られ、青い衣服の上に金属の鎧を着けた兵士達が忙しなく行き交っていた。
兵士達の間には鎧を身に着けていない人間の姿もあり、腰に提げた小さな鞄から工具を手にして天幕の点検をする者、二つか三つ重ねた木箱を運んで行く者、そして夫々に指示を飛ばす者など、様々な役割を担う人間が集まっていた。
その内の一人、天幕の点検をしていた人々へ指示を飛ばしていた中年の男が、大型の天幕の一つへ歩みを進め、扉の代わりに垂らされた幕を叩こうとしてはっとした表情を浮かべてから、一声掛けて垂れ幕を掻き分ける。
「アダルガー様、ご報告します。天幕の設営は最終点検を残すのみで、あと数分もすれば作業員の手が空きますが、今日の内にやっておく事はありますかい」
中年の男がやや砕けた口調で告げる先は会議室として最低限の機能を持った幕屋で、中は柱に掛けたものと机上に置かれた手燭によって照らされており、机の傍らに立つ装飾の多い青基調の衣服に身を包んだ男性――アダルガー・フォン・ルートヴィヒが、中年の男の目を見て頷いた。
「御苦労、この戦は長くなる。手の空いた者は直ぐに休息を取るように。寝ていても構わん」
「畏まりました。お言葉に甘えますよ」
頭を下げて天幕を後にする男を見送ったアダルガーは、再び机上に目を戻し、其処に広げられた地図を見詰めて青く塗られた小さな木製の駒を置く。
それからアダルガーはちらと対面に座る女性――この場所〈第三ナスス駐屯基地〉の首領であるスペオトス・ベナティクスの顔を見遣り、様々な駒の置かれた地図の上に人差し指で円を描く様にして、東西に横たわる雫型の〈オキュラス湖〉、その南部を示した。
「失礼、話に戻りましょう。
――スペオトス基地首領、我々は此度の『オキュラス湖争奪戦』に於いて、戦略の提案は出来ても、敵国〈フェリダー共和国〉と彼の国の地勢には非常に疎いので、貴女や〈カーニダエ帝国〉の知識人による御協力が無ければ空論を述べる以上の助力は出来ません。
先程は此方のハンソーネが半数の騎兵隊を引き連れて奇襲小隊の援護に向かいましたが、あれは特例。基本的に我々〈フランゲーテ魔法王国〉は、情報も無しに貴国への助勢をする積もりがありません。あくまで我が国に利益があり、貴国からの要請と戦後に見込める――友好関係の継続があるからこその協定。我が国の優秀な戦士をむざむざ死なせる為に来たのではありませんから。
この件に関しては、事前に皇帝陛下との慎重な会議を重ね、御納得頂いております。
――繰り返しとなりますが、スペオトス基地首領。貴女が知っている〈フェリダーの英雄〉の情報、そして、オキュラス湖周辺の砂漠地帯に未だ帝国勢の基地を置かない理由を、お教え下さい」
丁寧な口調で凄むアダルガーの目を見詰め返し、スペオトスが組んでいた脚を解いて、青い裳裾が揺れる。
「…………私が知っているのは、いや……見た事があるものは、六度目――三十年前に戦場に現れたフェリダーの英雄、パンセラと呼ばれた生体兵器と、共和国人の狂気ばかりだ。
パンセラを見たのは一度だけ。私がまだ、いち兵卒だった頃。情報は資料にある通りの事だが、アダルガー殿が聞きたいのはこういう話だろう……」
スペオトスはそこで切り、机に肘を着いた。
組んだ指に額を当てて、幾つかの呼吸の後に重々しい溜め息を吐く。
「……アレは人では無かった。人が獣に、鋼の刃で構成された獣に化けると資料には書かれているが、研究者共が現実を受け入れられなかっただけだ。
当時目の当たりにした私に言わせれば、フェリダーの英雄とは詰まり、剣の化け物だ。フランゲーテの精巧な魔剣をも凌駕する……魂を得た剣とでも言うべきかな。
私の知るフェリダーの英雄とは、そういう物だ。生き物を兵器とした? そうじゃない、兵器自体がその特性を保持したまま動物の様に振る舞っている。パンセラは……血に飢えた剣そのものだった……」
スペオトスの話を静かに聞いていたアダルガーは、スペオトスがそれ以上の言葉を紡げないのだと悟り、息を吸う。
「六度目の英雄、パンセラ……成程。ではスペオトス首領、貴女は三十年前の戦場から如何にして生き延びたのです。
パンセラが最初に現れた戦場では、たったの三時間で敵味方の区別無く千にも上る人が死に、生き残ったのは後方部隊に居た一部の帝国人のみ。前線は貴女を除き、一人も残らなかったのに」
「…………話すよりも見てもらう方が早い」
そう言ってスペオトスは立ち上がり、訝しむアダルガーの目の前で裳裾を分けて絝と鎧に包まれた左脚を露にして、鎧を外し始めた。
「何を」
「資料にはパンセラの正確な行いが残されていない。私自身、こうなる迄……いや、死体を暴かれる迄は隠し通す積もりだった」
言い乍らスペオトスは外した鎧を地面に放り、腰に差した短剣を抜いて絝を引き裂く。
本来であれば大腿部の素肌が見える筈の其処には、幾層にも折り重なった薄い金属の膜に似た何かが、スペオトスの大腿部を、そしてスペオトスが絝の左脚部分を全て切り離せば、左脚全体が鋼の様な物体に成っている異様な光景が火の光で照らし出された。
「……パンセラは、只殺していただけでは無い。恐らくこれが奴の魔法であり、目的だった。
人の内部に爪や牙を入れ、自身と同じ様な存在へと変化させる。あの生き物にとっては生殖行為が其れなのだろう。そして私は……部分的にではあるが、奴と同じに成り、戦場から逃げる際に、あの悍ましい刃の顔で……笑って送り出されたのさ。
私が一見、五体満足で帰投し、生体兵器の情報提供に協力し乍らもこの事実を隠蔽していたのは……我が身可愛さだよ」
スペオトスが語る中、アダルガーはまじまじとその脚を観察していた己を自覚して視線を外す。
「――では、フェリダーの英雄と呼ばれる生体兵器は、そういう……一種の生殖能力とも取れる性質を利用した兵器であると、貴女はお考えなのですか」
「……どうだろうな。私はこうなってから可能な限り資料を漁ったが、残された情報にはパンセラと同じだと断定出来るものが無かった。
相手が未知の存在なのだから、想像する事も、類推する事さえ可能かどうかなんて怪しいものではあるが、そういうものにだって共通点はある筈だ。現に〈フェリダーの英雄〉等と驕った呼び名で囃し立てられているのも、生体兵器共には『姿を変える』という共通点があるからだ。
まさか、人型で、姿を化け物に変えられて、知能は人間並。それだけの設計図で六度も戦局を変える生体兵器を作り出せる程、フェリダーは無学でも、ただ運が良い訳でも、まして神話の如き存在でもない。
奴等は……我らカーニダエ帝国と祖を同じくするミアキスの民、其の末裔なのだからな」
スペオトスは最後に暗い瞳を地面に落とし、自身の左脚へ目を遣った。
アダルガーはその些細な仕草を見逃さず、然しそれを悟られない様に考えている風を装って視線を幕屋内に巡らせ、顎先を撫ぜる。
「ミアキス……古の国、でしたかな。確か彼の国は、当時は大河であった〈リトラ砂漠〉の西岸に一大帝国を築いたとか」
「……ああ。カーニダエではどの地方でも語り継がれている御伽噺さ。
太古のミアキス帝国、その最後の王は、北方の〈グラーツィア山〉にて神々に触れ、絶対なる力をその身に授かった。
然し、ミアキス帝国にはグラーツィア山を神聖視し、不可侵の地であるとしていた小さな宗派があった。
――フェリフォミア教。現在のフェリダー共和国の前身とされている其の宗派が、グラーツィア山を侵したとして王への反旗を翻し、その事に激怒した王は授かった力を振るい、フェリフォミア教とそれに賛同した人々を大河の向こう側……現フェリダー共和国のある、荒野へ放逐し、更にはその地から水を全て奪い去った……と。
――御存知であれば、無駄な時間を取ってしまったかな」
「いえ、カーニダエ帝国成立迄の昔話があるとは存じて居りましたが、詳細までは。
然し上手く準えたお話です。フェリダー共和国の立地はお世辞にも良いとは言えない。何故人が栄えたのか、その答えが流刑地であれば、確かに得心がいきます」
「いや、強ち法螺話とは言えないんだ。
――アダルガー殿、先程の質問が残っているな? 私が……いや、カーニダエが砂漠地帯に基地を置きたがらない理由が」
アダルガーはやや緊張した面持ちでスペオトスの瞳を見返し、地図の前を空ける様に僅かに後退った。
スペオトスはそれを受けて机に近付き、机上に転がされていた細い棒を手にして地図上を指し示す。
「今の御伽噺を、私はグラーツィア山の地下から広がるマギニウム鉱床地帯を指しているのだと思っている。……正確には、私と研究者共が、と言うべきかな。
カーニダエ帝国の地下に広がっているマギニウム鉱床は、一つ一つは小さいものの、張り巡らされた網状だ。そして、それらは北東のグラーツィア山へと近付く程に複雑に絡まり合って規模が大きくなり、純度が高まって採掘の危険性も桁外れに跳ね上がる。
――だが、莫大な鉱床地帯はグラーツィア山だけでは無い。大陸有数の、唯一と言ってもいい程のマギニウム鉱床の塊が……此処だ」
地図をなぞる様に動かしていた棒の先が不意に紙面から離れ、フェリダー共和国全土を円を描いて示した。
「此処とは……いや、そんな、まさか……そのままの意味で……?」
アダルガーの掠れた声に、スペオトスは静かに頷く。
細い棒を地図の傍らに置いて、スペオトスは改めてフェリダー共和国の描かれた地図上に手を着いた。
「フェリダー共和国の地盤。その全てがマギニウムを大量に含んだ鉱石であり、これが、カーニダエ帝国が攻め倦ねている理由。
フェリダー共和国は、真面な生き物が生存出来る環境じゃ無いのさ。マギニウムに汚染された水を飲めば、まず間違い無くカーニダエの人間も、フランゲーテの人間も只では済まない。其れは動物の肉や植物だって同じだ。
……カーニダエ帝国が歴史上最も前線を上げられた記録を見ても、その地は辛うじて汚染の程度の低い土地。フェリダー共和国の土地からすれば僅か五分の一程度。
…………私は、良く言えばだが……こんな事の為に、何れ滅びる狂気の国家なんぞを牽制する為だけに、カーニダエの民を侵攻させたくなかった。上層部に危険性を訴え、せめて確実且つ安全な物資の輸送方法が開発される迄、現状維持を訴えたんだ。
――これが、私がオキュラス湖から離れたこの地に〈第三ナスス駐屯基地〉の本部を置き、慎重に過ぎる采配を執る理由さ」
話し終えたスペオトスは静かに机の前から椅子へと戻り、軋む音を立てて腰を落ち着かせた。
アダルガーはスペオトスが席に戻っても尚、地図をじっと見詰め続けて、軈て思い出したかの様に息を吸う。
「……もし、フランゲーテ魔法王国がフェリダー共和国を滅ぼす目的を持っているとしたら、貴女は、輸送手段の他に、何が必要とお考えですか」
そう言ったアダルガーの瞳は獣の様にぎらぎらとした光を宿していて、スペオトスはその目に僅か乍ら驚愕の色を浮かべた。
「仮に、ね…………。
――まずは継続して戦闘する方法だろう。それも、此方はフェリダー共和国への一気呵成をその土地の特性で封じられているのだから、これ迄以上の戦果を挙げ続け、戦線を維持せねばならん」
「だがそれも、相手が退いてしまえば意味が無い」
「――然り。更にはつい昨日、劣化型ではあるものの、生体兵器に近い変身魔法とでも呼べる代物が、この地で使用された。
生存者の話に拠れば、矢の様な物が敵兵に突き刺さった直後、フェリダーの戦士が化け物に成った……とな。
この技術が確立されているとしたら、高速で相手に追い討ちを掛ける事さえ封じられている。何せ死体が兵器として蘇るのだから。
――其の確立如何を探らせる奇襲小隊も、反撃を見舞われていると来たものだ。
フェリダー共和国の討滅には、本当に……何もかも足らない。千日手が最善手というイカレた状態さ」
「……詰まり、奇襲小隊または〈コーア〉の分隊が情報を持ち帰る事を祈るしかない、と」
「…………情けない話だ」
「失礼致します! 基地首領、奇襲小隊の隊員が一部、帰投しました!」
突然、幕屋の垂れ幕を跳ね除けて〈第三ナスス駐屯基地〉の兵士が現れ、スペオトスは裳裾で左脚を隠して立ち上がった。
「すぐ行く。意識のある者はその場で待たせろ」
「はっ」
「アダルガー殿、フランゲーテの騎士は伊達ではないな」
「はは……御同行しても?」
「その方が早い」
早口でやり取りを終え、アダルガーとスペオトスは天幕を後にする。
松明の光が斑に照らし出す夜の中、二人は先に走らせた兵士を追って行く。
空は広く、星々が暗幕を彩る天蓋は、まだ夜を届けたばかりだった。
✕✕✕ 14の二
視界に映る仲間達の苦戦を意識の外へ追いやり、ハンソーネは深紅の甲冑を纏うライガを睨む。
全身の各所から剣状の棘が伸び、どんな動物にも似つかない凶暴な顎に呑み込まれているかの様な頭部は、目だけが人間の其れだった。
深紅の悪鬼と成り果てたライガが、膝を屈める。
ハンソーネはその僅かな動作だけを見て白銀の細剣を構え、瞬きをしないよう目を見開いた。
瞬間、赤い光条が真上に伸び、其れがライガの残像だと認識するや否や、ハンソーネは上を向くと同時に左腕を掲げて身を守る。
衝撃は直ぐに訪れた。
金属製の甲冑を着込んだハンソーネの体が易々と持ち上げられて宙に浮き、遅れて腹部に痛みを覚え、反射的に閉じようとする瞼を意志だけでこじ開けたハンソーネは、視界に映った深紅に向けて苦し紛れの刺突を放つ。
突き出した細剣の鋒は空を穿ち、ハンソーネは次いで背中を打たれて空中を三メートルも飛ばされた。
砂原を転げて朦朧とする意識の中、遠くに足音を聞き、今度は敢えて瞼を下ろす。
(目で追えないのなら、音で読むしかない)
己に言い聞かせる様に胸中で呟き、背後で風を切る音を聞いた瞬間、左拳を地面に突き出して前転する。
顔の前を何かが横切り、やや遅れて風が兜の中に入り込んだ。
僅かな足音、からからと骨か軽い金属の擦れる様な音、そして、息を吸う音。
次なる行動を決めたハンソーネは目を開き、上体を起こし乍ら素早く振り返って勢いのままに細剣を振るう。
白銀の刃は、眼前で柘榴色の長剣を振り下ろさんとしているライガの右膝へ吸い込まれる様に迫り、それに反応したライガが右脚を上げようとして、ハンソーネは全神経を回転を掛ける筋肉に集中させた。
夜の砂漠に白銀の三日月が瞬き、ライガの右脚、膝から下を斬り飛ばす。
対するハンソーネは、ライガの剣によって兜の面部分、その左半分を叩き斬られ、そこから覗く古い火傷痕のついた顔に浅い傷を負っていた。
跳び退ったライガは着地の瞬間、右足を先に下ろしてしまい体勢を崩して転倒する。
滴った血液で左の視界を失ったと言えど、その機会を逃すハンソーネでは無かった。
膝立ちの体勢から即座に駆け出し、此方を睨むライガを見開いた右目で捉え、鋭く息を吸う。
鋒をライガの左眼に定め、鋭い刺突と共に呼気を放ったハンソーネの刃は然し、横合いから飛び出して来た黒い三ツ又槍の穂先に逸らされた。
「失敗作が」
ハンソーネの細剣を槍の穂先で絡めて捕らえた黒衣の騎士が呟く。
細剣を引こうとすれば黒衣の騎士は間合いを詰めつつ槍を繰ってハンソーネの動きを封じ、一瞬の戸惑いを見逃さずにもう一方の三ツ又槍で刺突を繰り出し、ハンソーネは身を捩って胴鎧をぶつけ、鋭い穂先を逸らした。
黒衣はその逸らされた槍を一瞬手放し、弾かれた勢いを利用して手首を軸に回転させて槍の柄でハンソーネの脇腹を打ち据える。
「フランゲーテのお貴族様が何の用だ、おい」
漆黒の兜の奥から女の声が響き、ハンソーネは答えずに左手を黒衣の襟へと伸ばす。
其れに反応した黒衣が身を捩った瞬間、ハンソーネは左手を引いて腰を捻り、三ツ又槍の拘束から細剣を取り戻した。
黒衣の女騎士が反応するよりも素早く跳び退り、距離を置いてライガの姿も共に視界に捉えたハンソーネは、細剣を構えたまま息を吸う。
「ちょっとした遠征だよ。思わぬ事態に巻き込まれたがな」
「はっ、魔法大国では嘘を吐く為の教練が無いのか? エクゥルサと青い装飾品、フランゲーテがカーニダエに協力しているのは自明だろう。
それとも、言えない理由でもあるのか? なあ、ハンソーネ・トロンバ」
目の前の女騎士から名を呼ばれ、ハンソーネは兜の奥で右目を見開いた。
ハンソーネは長きに渡って前線に立ち、多くの戦を制して来た騎士である為、異国にもその名は轟いている。
しかし、それはフランゲーテ魔法王国と直接対立した国家や組織での話であって、過去数百年に渡って他国との通商は疎かその実態さえあまり知られていない小国で、ハンソーネの名が広まるとは思えなかった。
フェリダー共和国に入ってからハンソーネが名乗ったのは、カーニダエ帝国の人間を除き、まだライガが孤立していた時のみ。だが、目の前の女騎士はハンソーネを知っている。
――一体、何故。
思考を巡らせる一瞬間に、黒衣の女騎士は一歩踏み出し、その背後では何時の間にか右足を取り戻したライガがゆらりと立ち上がった。
思考を切り替え、眼前の二人を相手取る戦術を脳裏に浮かべ続けようとして、黒衣の女騎士が先に動く。
彼女は二本の三ツ又槍を足許の砂原に突き立て、空いた両手で、兜を外し始めた。
ハンソーネはそうする女騎士と、その背後のライガ、夫々に目を遣り、ライガは女騎士の背後からゆったりと歩いて現れるも、その視線は訝し気に黒衣の女騎士へと向けている。
留め具を外し、漆黒の兜を脱いで星明かりに照らされたその顔は、ハンソーネの両目を見開かせた。
「何を驚いてる? お前の名を知る異国の人間など幾らでも居るだろう。それがたとえ、お前が救い出した戦災孤児であれ、な」
驚愕に細剣の鋒が震える。
「……トラゲ、なのか、本当に?」
「流石は善良で勇猛な騎士サマだ。御明答だよ」
黒衣の女騎士――トラゲは手にしていた兜を被り直し、砂地に突き立てていた三ツ又槍を引き抜いた。
「――何故、何故だ。何故君が此処に居る!」
「故郷に帰ったからさ。あの戦でお前が救い、護送中に卑劣な野盗に襲われ、消息を絶った子供達は……くく、少年兵だよ。フェリダーの。私達は私達の意思で護送隊の寝込みを襲い、殺して、故郷に帰り着いた。それだけだ」
息を呑み、そして、ハンソーネは一つの瞬きで躊躇いを吹き消し、鋭い瞳でトラゲを射抜く。
「では、決着をつけよう。君の、君達の誤った道に」
呟く様に言い、ハンソーネは駆け出した。
それと同時にトラゲが二本の槍を構え、その背後に居たライガが駆け出して来る。
✕✕✕ 14の三
フェリダー共和国の兵士に成りすました謎の男を撃退して数分、グリーセオとジェンナロは黒衣の兵士や黒褐色の駱駝などの死体を横目に、星と遠くに見える集落の灯りを頼りにして西へ西へと歩き続けていた。
争いの声はまだ遠く、其れが徐々に南下していくのを感じ取ったグリーセオは手振りだけでジェンナロを導き、進行方向を変える。
「ジェンナロ男爵、まだ歩けるか?」
グリーセオはそう声を掛け、目を凝らしてジェンナロの顔色を窺うが、彼は相当な傷を負ったまま歩き続けても尚、疲労の色をあまり見せなかった。
「ええ。フランゲーテの騎士がこの程度ではへばりませぬ。グリーセオ殿こそ、戦い続きでお辛かろう」
「……そうだな、俺は暫く戦場を離れていたから、正直かなり応えている。向こう三日は休みたいものだ」
「ははは。では、早く本隊と合流しましょう」
ジェンナロの明るい声にグリーセオは答えられないまま、小さな溜め息を零す。
遠い音と集落の静かな灯り、そして夜に沈んだ砂漠の影の中で蠢く無数の何か。グリーセオが其れ等から読み取ったのは、本隊の南下、そして撤退だった。
その事実を胸に仕舞っておく為に、グリーセオは敢えてジェンナロを励ましたのだ。
罪悪感を覚え乍ら歩く砂原は、まるでグリーセオを地の底へ引き摺り込もうとする魔物の様に思えて、グリーセオは眉間の皺を深くする。
そうして一歩、踏み出した時だった。
戦闘の音とは異なる方向、遠くから金属の擦れる音を聞いて、グリーセオは素早く振り向き、同時に両腕を振るって篭手を短剣に変えて構える。
「何か来る! ジェンナロ、先を急げ!」
「背後から!?」
驚きを言葉にして進む足を速めたジェンナロもまた振り向き、グリーセオはその目の前に立ち塞がる様な位置を取った。
ジェンナロに背を向け、暗闇の砂漠に目を凝らす。
まだ遠いが、一騎。駈歩の動物に跨った人影が一直線に此方へ迫り、その頭頂部で揺れ動く青い羽根飾りを見て、グリーセオは力を抜いた。
「待て、ジェンナロ。彼奴に見覚えは?」
「見覚えって……」
グリーセオの背後からやや遠ざかったジェンナロの声がして、次いで大きく息を吸う音が響く。
「無い筈が無い……あれは、吾輩の弟。アキッレです……!」
「…………よし」
ジェンナロはそう言って手を振ったのか、グリーセオの背後から金属の軽くぶつかり合う音が何度かして、グリーセオは両腕を振るって短剣を篭手に戻した。
接近した一騎の影はグリーセオ達に近付く程に速度を落として、夜空の下、面甲の無い兜を被った男の顔が露になる。
ジェンナロがアキッレと呼んでいた彼の顔は、確かにジェンナロと似ていない事も無かったが、グリーセオの目には大分印象の異なる男に見えた。
「兄上、御無事で……! それから、此方の方は」
「グリーセオ。グリーセオ・カニス・ルプスだ」
「貴方が、あの……。お二人とも、先程私の元に伝令が参りました。我らが部隊〈コーア〉の後方より、敵軍の奇襲あり。ハンソーネ隊長と六名の騎士が迎撃に当たり、残る兵は帰投せよ。と」
「アキッレよ、何故隊長が?」
「……生体兵器による奇襲であるとの事です」
その報告に、グリーセオは眉を跳ね上げる。
「まずいぞ。アキッレ、馬でもエクゥルサでもいい、貸してくれ。俺も加勢する」
「なりません。我々は貴方をお助けする為に」
「俺達はフェリダーを討つ為に此処に居る。その為には、ハンソーネ伯爵の力を失う訳にはいかないんだ」
「しかし……」
グリーセオに詰め寄られ、馬上で口篭るアキッレはちらとジェンナロの方を見た。
グリーセオもその視線を追ってジェンナロに目を遣り、二人に睨まれたかの様にジェンナロは目を泳がせる。
「いやっ、吾輩は、しかし……うぅむ。隊長を心配するのは吾輩とて同じ。ですが、ここは隊長を信頼するほか」
「ジェンナロさん……隊長は、どんな奴だっけ……? なあ」
不意に発せられた声にその場の全員が、ジェンナロの肩に身を預ける人影――意識を取り戻し、傷だらけの顔を上げようとしているタロウに視線を移した。
「タロウ殿」
「ハンソーネ隊長は無理する人だ。あんた、行けるんだろ?
――アキッレさん、頼む、この人と、隊長を助けに行ってくれ」
タロウの掠れた声が響き、それだけ言ってタロウはぐらりと体勢を崩してジェンナロに担ぎ直される。
数秒、三人は視線を交わす事無く迷い、沈黙し、軈て、とんと何かを叩く音が馬上から響いた。
「……グリーセオ殿、行こう。兄上、タロウ殿を頼みます。我々は隊長の元へ向かう傍ら、本隊から救援を向かわせます。それまで本隊を目指して歩いて下さい」
アキッレに言われ、グリーセオは念を押す様にジェンナロの目を見て頷き、アキッレの手を借りて鞍の後ろに乗る。
ジェンナロはそうするグリーセオを見詰め乍ら後退り、意を決した瞳でグリーセオとアキッレを見比べた。
「二人とも、御武運を……!」
「兄上も、お気を付けて」
「ジェンナロ男爵、あと少しの辛抱だ。ハンソーネ伯爵達は必ず連れて帰る」
グリーセオが言い終えるや否や、アキッレは馬を走らせた。
まず向かう先はコーアの本隊。遠ざかるジェンナロとタロウの姿を見送って、グリーセオは暗い砂漠に目を移す。
生体兵器。その言葉が指す人物を心に浮かべたまま。
✕✕✕ 14の四
漆黒の三ツ又槍が二本、左右から同時に迫る。
ハンソーネは体を反らしつつ其れに敢えて突っ込み、三ツ又槍の柄に腹と背の鎧を打たせて引き絞った右腕を突き出した。
トラゲの喉許に迫った鋒は横合いから伸びた柘榴色の長剣に押し出される様にして狙いを外れ、更に返す刀でハンソーネを斬らんとする真っ赤な刃を見、ハンソーネは左手でトラゲが持つ三ツ又槍の一つを掴んで側転と共に跳躍し、トラゲの胸元を蹴り飛ばす。
風を斬る柘榴色の長剣が眼前を過ぎ去り、蹴り飛ばした勢いのまま手の中から槍が抜けて離れた。
そのまま落下する最中にハンソーネは身を捩って砂原を転げ、巻き上げた砂煙の中で瞼を閉じ、ライガが立てる外骨格の音を頼りに細剣を振るう。
風を斬る音と共にハンソーネは目を開き、跳び退ったライガの姿と突進してくるトラゲ、二つの影を捉え、立ち上がると同時に刺突の構えを取った。
トラゲの三ツ又槍の一つが突き出され、視界の端でライガが駆け出して死角に入る。
迫る槍の穂先は細剣の鍔で打ち据えて逸らし、トラゲがやや遅らせて突き出した本命の三ツ又槍、其れを左の拳で打ち上げて顔の真横を通過させ、透かさず槍の柄を左手で捕らえた。
捕らえた槍は引き込むと同時にハンソーネの背後へ向けて突き出させ、背後で規則の崩れた足音を聞き、ハンソーネはそのままトラゲの腹部、鎧の隙間へ向けて細剣を突き出す。
トラゲはそれに反応して最初に逸らされた左の槍、其の石突でハンソーネの細剣を弾こうとするが、鋒は揺るがなかった。
ハンソーネの鋭い吐息と共に白銀の剣身が伸び、刃に触れていた槍の柄が削れ、トラゲの胴鎧、その隙間を縫って脇腹に深々と突き立つ。
「ぐっ」
トラゲの小さい呻き声を聞き乍らも、ハンソーネは次の行動に出ていた。
突き立てた細剣を鎧の隙間に沿って動かしてトラゲの腹を斬り裂き、抜き放ち様に背後を斬り払う。
その行動に対応したライガが、白銀の細剣を鎖骨の辺りから伸びる外骨格で受け止め、五指を揃えて深紅の角の様に成った左の貫手を繰り出した。
貫手の軌道を予測するハンソーネは思考する間も無く掴んだ槍の柄を突き放し、その勢いを借りて左に回転する。
背中の鎧が断続的に音を立て、背後にある筈のライガの左腕に目掛けて左肘を突き出したハンソーネは、肘当てとライガの腕が衝突した部分 を起点として更なる回転を加え、引き絞った細剣を突き出した。
深紅の外骨格と白銀の鋒が衝突する瞬間、ハンソーネは鋭く息を吐く。
ハンソーネの指示を受けた愛剣〈トロンバオネ〉の剣身が瞬間的に伸び、ライガの左脇腹を穿いて頑強な背骨に当たり、ハンソーネは其れを断ち斬らんと踏み込んだ。
「そんな鈍でオレがッ!」
叫び、ライガが体を振るえば鎧を着込んだハンソーネの体躯が持ち上げられて振り回され、細剣を掴んだライガにまるで人形の様に放り投げられる。
「斬れるワケねぇんだよ、糞ッ滓がッ!」
怒号したライガが駆け出し、砂原に落ちたハンソーネは霞む視界でその姿を見て、絶望が鎌首を擡げるのを感じた。
『〈魔法〉の意味を知れ、ハンソーネ』
✕✕✕ 14の五
フランゲーテ魔法王国は、大陸の歴史上初めてマギニウムを組み込んだ道具を作り出し、更にはそれを武器に転用して戦争の方法を変えさせた。
現代にまで影響を残し続けている〈魔法〉は未だに安定した量産が難しく、武芸に長けた戦士にのみ許された貴重な装備であり、其れを手にした戦士は一騎当千の兵と成る為、大陸上――ヌロヴェルブムにある国家間での戦は少数精鋭での決着が基本とされ、戦力の逐次投入も珍しくはない。
それ故に、どの国も魔法を欲し、他国に負けない魔法技術の研究に明け暮れている。
だからこそ、マギニウムが引き起こす現象は総じて〈魔法〉と呼ばれ、魔法に魅了される人々は後を絶たなかった。
そんな情勢の変化を横目に、大陸をも巻き込む莫大な流れの原因たる旧フランゲーテ王国の王は、国家の名を『フランゲーテ魔法王国』へと改めると共に君主の称号を『国王』から『魔法王』と改め、それを省略して『魔王』を名乗るようになる。
当時――初代魔法王が起こしたその行動は民草には理解されず、またその真意は公にされないまま世代を経ていった。
そして、現代の魔法王であるアポロムズィーク・フォン・フランゲーテは、特にその『魔王』という呼称を気に入っており、公私問わず頻繁に用いている。
騎士としての戦果を挙げて帰還し、叙勲を受けた時、ハンソーネは王から叙勲の他に求める褒美を訊ねられ、咄嗟に現魔法王が頻りに『魔王』を自称する理由を聞いた。
その純粋に過ぎる質問に王は笑い、ただ一言。
「己を戒め続ける為に」
と、答えた。
その一言だけで、ハンソーネは王の本質を悟り、今まで以上に深く礼をして褒美を受け取った。
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魔法とは、人を惑わし、禍する法則。
それを引き起こすマギニウムは、悪魔が人を誘う為に大陸全土に隠した毒入りの果実であり、毒は、適切に扱えば薬へ転ずる。
生み出した責任を、葬り去る事ではなく、正しく導いて果たす事ができるのが、人間であるのなら。
人間とは、なんと恐ろしく、なんと気高き生き物か。
私はそうありたい。
貧しき出自であろうと、心だけは気高く。
ハンソーネの絶望を胸の底に押し沈め、奮い立たせたのは、若き頃の記憶と、同じ本を二冊も擦り切れるまで読み込んだ大衆小説の一部だった。
霞みかけた視界が明瞭に戻り、暗夜の砂漠を風より速く駆けて迫る深紅の悪鬼を捉える。
「トロンバオネは、斬らぬ」
呟き、長剣を握る右手以外の三つの肢で駆けるライガの動きに合わせ、間合いを取りつつ右腕を引き絞った。
実時間では二秒か、三秒。ハンソーネはそれを倍近い体感で思考し、刺突を打ち込むべき箇所を狙い、ほんの僅かにライガが攻撃の挙動を見せた瞬間、砂を蹴りライガの足許へ滑り込む。
真っ赤な瞳がハンソーネの姿を追い掛け、それと同時にぶくりと筋肉の膨らんだ右腕が振り下ろしを加速させた。
しかし、そんなものはハンソーネの予測の範疇。
ハンソーネが狙うは一点。ライガの外骨格とその奥に感じた人間の骨格の隙間、貫通を許す細剣の厚み丁度しか無い、其処。
引いた右腕を撃ち放ち、深紅の肉体に鋒が侵入した刹那、ハンソーネは鋭い吐息を発した。
つづく
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