小説「枯らす少年と死なずの少女」終

  はじめに
 
 本文中には、人が死ぬ描写、架空の兵器や戦争、政治に関わる描写があります。
 これらは何らかの思想の拡散や批判を目的としたものでは無く、またそれを助長する目的も無い事をご理解ください。
 また、その他にもあなたの好みにそぐわない描写を含むかもしれません。
 本作が創作物である事をご理解の上、お読み頂きますよう、お願い致します。


  終 透過

擬似地球プソイド イアデの終末化現象は、初めの観測から五十年が経過した今でも対抗策はおろか予測も出来ず、昨夜、国際終末観測局からの報告を受けた擬似地球長のノルベルト首相は、本日午前十一時、急遽宇宙鯨うちゅうくじらアルテミスの緊急再起動を要請しました。
 これに伴い、擬似地球上の全ての人々が移住航行を出来るように、新型宇宙鯨の建造も要請したと発表しました』
『こんなに突然…………ひいお婆ちゃんのそのまたひいお婆ちゃん、それじゃ利かない位、私達はこの星で生きてきました。
 それなのに、首相がどうしてあっさりと故郷を手放せるのか……………………すごく、怖いです。不安でたまらない』
『今からまた大昔の宇宙航行をするだなんて馬鹿げてる。太陽系の地球を出てから数千年。僕達のご先祖はようやくこの星を見つけてくれたんだ。もっとこの不可解な新しい現象に向き合うべきだ』
『四日前の首相のスピーチにより、人々の不満が抑えようの無い程に大きくなっています。
 擬似地球首都では六桁に迫る人々がデモを起こし、国家としての機能を失いつつあります。……みんな、どうか、落ち着いて…………』
『政府が公表する終末化現象などは存在しない! 擬似地球、いや、宇宙鯨うちゅうくじらアルテミスに忍び込んだ他国の工作だ! 銀河まで越えて我々をおびやかしている!』
ちまたで流行りだした噂は眉唾だよ。でも、それの所為せいで皆がおかしくなった。もう止まることは無いんじゃないか』
『私達は擬似地球の民であって、最早昔の、何処どことも知らない星の国民では無い。
 今、神は我々を試している。人の善意が必要なんだ』
『首都郊外のスポーツスタジアムが占拠されて一ヶ月、擬似地球内にて、歴史上三度目の擬似地球政府に対立する組織、知恵の樹が声明を発表しました』
『及び腰のノルベルト! そしてそれに従うだけの誇りを忘れた人々よ! 思い出せ! 我々はどれ程の時をかけ、犠牲を払い、この星へ辿り着いたのか!
 ――この星には、初めから月に似た衛星があった。飲み干せない程の水に満ちていた。ながき時を経た人類は、星に寄生するだけの虫ケラから進化した。工業による汚染も、無計画な開拓も、今は無い! 人類は続く限り進化する! 立ち向かうんだ! 一丸となって!
 政府が真に起こすべき行動は一つだ! ただ、俺達に、共に戦おうと、そう言ってくれればいい! 故郷を捨てる様な事はもう必要無いんだ! みんな、嫌だろう!? 俺達の星は此処ここだ! 此処ここが俺達の地球だ! 擬似なんかじゃない!』
『我が星の政府に対立する、知恵の樹の人々よ。また、これを聞く人類よ。結論から言って、私は判断を曲げるつもりは無い。人は、安定した場所無くしては生きられないんだ。
 安定とは、服があって、食べ物に困らず、そして――家がある事だ。戦いのある日々に安定は無い。知恵の樹の人々よ、思い出してくれ…………この星で起きた、戦争の、その原因を…………。
 空気中の微小生物による着衣困難と、それを発端とした多くの不満の爆発。この星で三千年毎に巡る真夏の大雪がもたらした飢饉ききん。それから、大地震……あの地震の時は、戦争と呼ぶには小規模な混乱だった。だが、人が死んでいる。人の手によって…………私は、私の手によって……私の判断によって、この手に掛かった誰一人の命も失いたくない。
 ――終末化現象は、私はあれをこの星の特性だと考えている。不規則に鈍色にびいろのオーロラが現れて、その周囲の、全ての命を奪うんだ。何の予感もさせず、遺品すら残させてくれない。
 …………それに立ち向かう勇気があるならば、私達はここでたもとを分かとう。我々は、違う生き方を選べるのだから』
『――昨今の緊張状態はありますが、だからこそこういった喜ばしいニュースを皆様にお届けしたいと…………え、こ、これを……? どうして、今、だって、私、いや、嫌! どうして! どうしてこんな事をしたの!?』
『大変失礼致しました。映像に乱れが出た為、画面をお切り替えして、速報をお伝えします。……本日、ノルベルト首相が訪問された大陸西部の小学校を含む、ユングブレッター州の大部分が、突如として、か、核に似た爆発に巻き込まれました……。
 飛行物体の観測は無く、また一般の方より寄せられた映像から、爆発は地下から起きたと考えられるそうです。政府直轄の各組織が救助と避難誘導に動いています。慌てず、近隣の州に住む方は、政府の徽章きしょうを目印に誘導に従ってください。繰り返します――』
『ユングブレッター州の悲劇から五年、未だに続く地下核爆発に関して、専門家を招き、お話を伺おうと思います。――ハインチェさん、よろしくお願いします』
『よろしくお願いします。……まず、これを観ている皆様に、簡単な自己紹介をさせて下さい。――私、ハインチェ・ミュラーは、今日こんにちまで過去の戦争兵器の文献を研究し、それらに関する著書を幾つも出してきました。
 これまで私には何度も、兵器狂いのマッドサイエンティストだとか、戦争を望む野蛮人だとか、そういった言葉が投げ掛けられてきました。今、改めてこの場をお借りして言います。――私は戦争が大嫌いだ。二人の息子が喧嘩する様も、はたから見れば異様なまでに苛烈に止めてきた。
 …………今回の地下核爆発は、今までのものとは全く異なります。六度の爆発を経て、彼らは何かを掴んだ。私はあの爆発を、縮握核しゅくあくかくと仮に名付けました。
 思い出したくも無い映像でしょうが、あれを見て、皆様は気付かれただろうか? 今回の爆発は、どーんと外にただ広がるのでは無く、広がって、縮んで、恒星の様に長く輝く。恐ろしい、青い光に。
 …………これは、一定範囲内の物質を光の波に乗る程小さく分解して、効率的に放射能を拡散しているのです。……落ち着いて聞いて下さい。我々は、あの光を観測した人々は、皆……被爆しています。非常に軽微ではあるものの、人の寿命を、無差別にえぐり取る、悪魔の兵器です』
『十年の内に相次いだ核爆発は、我々知恵の樹には関係ない。やめてくれ、次の会議に行くんだ、もう撮るのはやめろ。俺だってこんな事望んでない……こんな筈じゃなかったんだ』
『擬似地球政府は……いえ、私、擬似地球長ジグムント・フォン・グートマンは、新型宇宙鯨うちゅうくじら三隻の早期出航をここに宣言します。
 無作為に選出され、同意した方のみ搭乗を開始し、一隻につき二千万人の搭乗を確認し次第、静止衛星軌道上から鰭掴きかく遊泳を開始させます。
 ……………………私は、無力な首相だ……この星の百分の一も、この戦地から遠ざける事ができない……。お願いだ……みんな……どうか、生き残ってくれ…………』
『新型宇宙鯨うちゅうくじら、プソイデ一号機は、本日未明、擬似太陽圏を離脱しました』
『三号機までが旅立ったら、私達はどうなる? まだ建造は続いてる。そうだろう? 誰が敵かも分からない星に居たくない』
『発進を目前にしたプソイデ二号機を襲った縮握核しゅくあくかく爆発の光は、七十時間をようやくく衰え始めました。政府は三号機の再点検と共に全ての搭乗員の見直しを――』
『あの酷い事件から二百年が経った。った筈だろう? どうして、まだ戦争をしてるんだ。皆、何に怒ってるんだ』
『終末化現象は近年減少傾向にある。これは今年の寒波が大きく関わっていて――』
『――以上の事から、終末観測制定局は、各地の研究施設と協力して如何いかなる状況下でも生き延びる不老不死の新人類を作る計画を発表し、これをヒト胚芽はいが保存計画と合併、遥か未来に再興する為の、最初の人・・・・計画と呼称する事を宣言しました』
『人が人を作るのは何も不自然な事じゃない。それが、機械にる物じゃないのなら』
『皆疲れてるんだ。夏と冬は気温の所為せいで生身では外に出られない。春も秋も、風が強くて鳥や羽虫一つ見付けられない。生きてる心地がしないんだ』
『アンブロス、枯れない人……私達は彼にそう名付けました。彼は目に見えず、ほとんど重さを持たない根を持っています。その根で周囲八十メートルのあらゆるエネルギーを吸い上げて、どんな状況でだって生きびる。時間を掛ければ自己蘇生だって出来ます。
 前身のイブ計画から得た体内の完全循環もあり、老いない。まさに最高傑作よ。……彼なら、いえ、彼があと5人居れば、人類の再興は百パーセント成功します。――ようやくここまで来たの』
 多くの人の声や、物音がする。
 乾いた破裂音、何か重い物が崩れる音、怒声、泣き声。
 その最中に、最後の声がのこされていた。
『――縮握核しゅくあくかくが、眩しい…………私はそれを肉眼で見た。一人目のアンブロスが行った、本部シェルターの方…………。
 この記録は第零のシェルターに送るけど、もう、……誰も、シェルターには入れられない。人は、信用出来ない。
 ――第七研究所に逃がしたアンブロスも、先の爆撃で中核を破壊されてるかもしれない…………イブ達はまだ残ってる。あの子達が最後の希望…………ごめんね、一人にして……ごめん、でも、これしか思い付けなかった…………頑張った――』
 小さな発砲音が、その声を止めさせた。

 僕とイーファが入った第零研究所の地下居住区画は、五十人は住めそうなくらいに大きくて、けれど生活感の欠けた清潔な家だった。
 僕たちは色々な部屋を巡って、誰も居ない事を確認してから、同じ部屋で眠った。
 その夜――地下だから昼も夜も無いんだけど、眠くなったから夜という事にする。地下に降りる前は夕方だったし、きっと外も夜だった。
 それで、二人で大きなベッドに入って、手を繋いだまま眠って、起きてから昨晩気になっていた部屋を調べる事にした。
 その中の一つ、ホログラムの暖炉があって、おままごとセットみたいに小さなキッチンがあって、赤くてベッドと同じくらい大きなソファと、それに近い大きさの壁掛けモニターがある、木目の温かな部屋で、僕たちは沢山の映像や、音声記録を再生した。
 何度も休憩をとって、何度も睡眠をとって、全部じゃ無いけれど、半分近くの記録を観た。
 僕とイーファは、どれを見ても心が苦しくなって、だからたまに娯楽映像も観た。
 それを流している間は夢中になれたけど、どうしてか辛い気持ちは忘れられなくて、二人で何度も、何度も何度も涙を流した。
 涙が引いてから、イーファは決まって同じ事を、ちょっとずつ変えて言ってた。
「……最後まで観よう。全部は観れなくても、私達を作った人達の最後の記録が、ちゃんと理解出来るように」
 イーファは凄い人だと思う。
 僕は、途中の記録で知ったけれど、最後の戦争の中に居て、頭を吹き飛ばされた所為せいで知能に影響が出てるらしい。
 だからか分からないけど、イーファの様に、昔に居た人達の事を強く想えない。
 僕が大切にしたいと思えるのは、イーファと、イーファが大切にする人。
 でもイーファは、記録を観乍みながら、僕には悪い人としか思えない人に対しても、涙を流せる人なんだ。
 研究所の人は僕のような『アンブロス』を最高傑作だと言ってたけれど、僕には優しさが足らない。全然、最高傑作だって感じがしない。
 だから僕は、イーファを絶対に守ろうと、そういう気持ちが胸とかお腹の底から湧き上がって来るのを感じたんだ。

 シェルターで過ごしてから、九日。
 シェルターには機械の時計とカレンダーがあったから、それくらいの時間を過ごしたんだと九日経ってから知った。
 しかもその機械は全部の部屋にあるものだから、僕とイーファは一緒になって笑った。
「どうして気付かなかったの、こんなに分かりやすいのに」
 って。
 イーファの提案で、僕たちは一度外に出る事にした。
たまには外に出なきゃ。健康に良くないよ」
 僕が枯れない橋から出る時に悲しくなった時と同じ事を言って、イーファは僕を真っ白な街に連れ出してくれた。
 あの時と違ったのは、イーファが笑顔だったこと。
 白い街は骨みたいで寂しい感じがするけれど、イーファの白色は違う。全然違う。
 それはきっと、イーファが生きてるからだ。
 沢山の記録の中で、平和だった頃の記録も勿論あった。
 特別じゃない事で笑って、世界でただ一人だけの人達が笑い合って生きてる映像。
 イーファみたいに真っ白じゃ無いけれど、皆、笑うと顔が白く――明るくなる。
 あても無く二人で街を歩き回って、記録で見た所を見つけ合う中で、僕はイーファに訊いた。
「ねぇ、僕も笑うと白くなる? にーっ! どう?」
 最初はきょとんとしてたイーファは、僕がそう言うと吹き出した。
 やっぱり、イーファの笑顔は人類で一番明るい。
 その日のお出掛けは、それが一番の発見だった。

 十五日くらいだったかな。
 僕とイーファは一通りの記録を観終えて、味と香りと色だけが着く、栄養は単なる水でしかない飲み物を飲み乍ら、これからの事を話した。
 イーファはちょっとだけ悲しい様な、寂しい様な顔をして、辺りを見て、僕の顔に目を戻した。
「……分からない。一緒に居た皆の事は今でも忘れられないし、その時の……別れた時の辛さもそのまんま……。つ――わ、私達、どうしたらいいんだろうね」
 最後に困った様に微笑むイーファを見て、僕はえて『つ』の続きをくのをやめた。
 その日は――いや、それから一週間は、僕達は『これから』を禁句にして生活した。
 映像を見て、本を読んで、話して、音楽を聴いて、たまには外に出て、帰る。
 そんな生活をずっと続けるんだと思いそうになった時、イーファが『これから』を口にした。
 僕はずっと、その時を待ってた。
「……ねぇ、アーダム。これからの事なんだけど…………私と同じような子を探さない?」
 イーファの言葉を聞いて、僕はそんな凄い事を思い付きもしなかったけれど、僕たちに出来ることはそれしか無いと思った。
 言葉だけが記録にあった『ヒト胚芽はいが』の場所も、そのやり方も分からない。
 どうしてもしたい事も、思い付かない。
 僕たちは生きる為に必要な事が無いから、やらなきゃいけないことも無い。
 けれど、最後の記録には確かに『イブ達』という言葉がある。
 どんな形かも分からないものを探すより、イーファみたいな人を探す方がきっと分かりやすい。
 随分長く考えた様な一瞬で、僕はイーファに頷き返した。
 おっきな声で返事もしたと思う。

 シェルターの中に、携帯機器が残ってた。
 地図にもなって通信端末にもなる腕輪を、普段繋がない方に着けて、僕とイーファは手を繋いで旅を始めた。
 目指したのは第零研究所がある街の北西、第三研究所が建てられた、山間部の小さな町。
 記録を見て過ごす中で、僕はある程度、枯れ野の侵食を抑えられる様になった。
 と言っても、これも色んな情報からイーファが見つけてくれた事だ。
 前みたいに急に木が落ちてくる事も、崖崩れを起こす事も無く、灰になった斜面には苦労したけど、僕たちは旅を進められた。
 北西の町までは歩いて十日は掛かるらしい。
 僕にとってはへっちゃらだけど、イーファは街を出る前に渋い顔をしてた。
 僕たちの旅は、三日で終わった。
 それは、山の中の狭くて平らな場所に居た時。シェルターから持ってきた折り畳み式の枯れない小屋を開いて一晩明かし、辺りを見た時だった。
 正面――西側の山肌に古い建物があるのを、僕が見つけた。
 建物まではすぐだった。二時間もってない。
 黒と赤茶色の、森の腐葉土に溶け込むような平屋がそこにあった。
 二人して不安な顔をし乍ら、僕たちは玄関らしい扉を開けて、硬い廊下を歩いてすぐ目に付いた扉を開けて、その子を見付けた。
 イーファみたいな、真っ白な髪と肌の女の子が、壊れた天井から垂れ下がる太いケーブルを首に巻いて、だらりと浮いていた。
 その子は、まだ生きていた。
 けれど、どれだけの間そうしていたのか分からない。
 下ろしてあげても、何度声を掛けても、呼吸はするのに、ぼうっと目の前を見詰めてるだけ。
 生きているのに、心だけが死んでしまっていた。
 第零研究所の記録で、僕たちは僕たち自身の弱点を知っていた。
 イーファには見せたくも無かったけれど、イーファも一緒にその子の最期さいごを見届けた。
 二日かけてその子を埋めてあげた後、建物を出る時、僕はどうして、イーファが蛇みたいなケーブルを見ていた事をかなかったんだろう。

 イブ達を探すようになって、一年。
 第五研究所までは行って帰ってでひと月だった。
 五つの研究所を巡ったけれど、イーファと最初の子以外、イブ達はその痕跡すら見当たらなかった。
 十六人は居た筈なんだ。この世界のどこかに、昔の記録だけど、確かに居た筈なのに。
 僕たちは疲れない体なのに、心は疲れちゃうから、しばらく休む事にした。
「もしかしたら向こうから来るかもね」
 イーファはそう言って、街に幾つも文字を残した。
 白い壁に、色んな色と、落書きも添えて。
 ある時、僕たちは分かれて文字を書きに出掛けた。
 東は危ないから、北西と南西に分かれて、街の端っこの建物に文字を書いて周り、西側で合流する計画だった。
 僕が西側に着いた頃、陽はとっぷりと暮れて、夕焼けの白黒の街の中、イーファが第零研究所へと続く大きな道の真ん中で手を振っていた。
 僕が駆け出すと、イーファも走り始めて、笑い乍ら僕から逃げた。
 僕を揶揄からかうイーファは珍しいから、僕は何故だか楽しくなって夢中で追い掛けて、イーファが第零研究所に入った所で、僕はイーファの姿を見失った。
 でも、足音だけはしていた。
 硬い建物を蹴る音が上に向かっていて、そういえば第零研究所の上には行った事が無いと思い出して、何もはまって無い窓から地平線に沈む夕陽が見えるくらい高い所に着いて、僕はようやくイーファに追い着いた。
「イーファ、みーつけた」
 広い部屋の真ん中に立って、夕陽を背にするイーファは、何だかとても綺麗だった。
「ふふ、アーダム。遅かったね」
「だって、足音だけで追っ掛けたんだよ? 頑張ったでしょ」
「私がわざとそうしてたとしたら?」
「もう、今日はなんでそんなに意地悪なんだよ……」
 イーファが横を向く。
 笑ってるのに、明るくない。
 そういうイーファを、いつの日だか見た気がしてた。
「今日が最後だからかな」
 僕は、イーファの言葉を信じたくなかった。
「全然、見つからなかったもんね。怪我しそうにもなったし、次は……これからは、どうしようか?」
 僕がいても、イーファの横顔がうつむいて、もう、笑ってくれない。
「私ね、やっぱり、全然忘れられないよ。もう九百七年も経つのに、未だに夢に見る…………パウル、ヴィクトーリア、ゲルダ、ツァック、ケネス、ガウナに……まだアーダムに話してない人達も、沢山、沢山沢山、たーくさん、ずっと胸の中で生きてる…………」
 イーファが零す涙が、晴れた夕陽の上に、雨みたいに降ってた。
 僕はイーファを抱き締めたくて歩き出して、イーファはそれに気が付いて僕から逃げた。
 何もはまって無い、風が吹き込んでくる窓辺まで逃げて、イーファはそれでも僕を見てくれなかった。
「どうしても忘れられなかった……。あの日、アーダムが来て、すっごく期待してた…………私――皆を忘れる事を、諦められるのを、期待したの……」
 第零研究所に来てから、僕は少しだけお喋りが上手くなったのに、この時、僕の頭の中は瓦礫がれきになった第七研究所で目を覚ました時みたいに真っ白だった。
 綺麗な白じゃない。縮握核しゅくあくかくみたいな、全部が見えなくなる白。
「そんな事を考えたのに、今では皆の事を絶対に忘れたくないって思ってる。記録みたいに、皆の事は残ってないから、私は忘れちゃいけないって…………でも、どんどん、私……アーダムとの思い出で満たされて、そうしている内に…………今日、ツァックの遺言を、一部だけ書こうとして、私、間違えてた……」
 自分に心底失望した様な顔をしてから、イーファはようやく僕を見てくれた。
 夕陽がイーファを背中から照らしている所為せいだったのかもしれないけれど、その時のイーファの瞳に、僕はこの街の建物を重ねてしまった。
「ねぇアーダム、私は皆の事を、どれだけちゃんと覚えられてる? 私はカメラみたいになれないよ。残さなきゃいけないのに、憶えなくちゃ、忘れたくないのに、皆が……本当に、消えちゃう…………!」
 止まらない涙を、何度も何度も両の手の平で拭って、イーファは窓辺に座った。
 たぶん、その時に、僕はイーファよりも早くに、覚悟を決めてしまっていた。
「アーダム…………これから、どうしよっか…………」
 涙声のイーファが呟いて、僕はイーファの顔をもっとしっかりと見たくて、歩み寄る。
 ゆっくり歩いて、賢くない頭で頑張って考えた。
「イーファは……疲れちゃったんだね…………休んでも休んでも、もうどうしようも無いくらい、疲れたんだよね……?」
 ふわりと吹いた風が、僕とイーファの髪を揺らした。
 心も、きっと。
「……うん。私、あの建物で姉妹を見付けてから、ずっとそればっかり考えてるの。…………ツァックと重ね乍ら、私も…………天国に行きたい、って」
 僕が窓辺に着いた頃には、イーファの涙は治まっていた。
「…………分かった。イーファ、覚えてる限りの話をして。勿論、此処ここに残すんだ。間違っててもいいよ。……だって…………これは、悪口だと思うけど、……僕たちが観た人達は、皆、何かを間違えてたから」

『はぁ……いっぱい話した。もう何を話してて、何を話してないか分からないよ……』
『お疲れ様イーファ。ここまでにする?』
『ううん、まだ…………ちゃんと残さなきゃ』
『僕は飲み物と撮影のお手伝いしか出来ないけど、他にして欲しい事があったら言ってね』
『うん。ありがとう……………………アーダムは? 残すこと』
『えっ、僕?』
『そうだよ! 一緒に残そう。ううん、映って! ほらここ。ほら、おいで』
『え、でも僕は話す事無いよ……』
『考えて! アーダムが一番忘れたくない事とか、考えとか、記憶のこと!』
『急に言われても…………うーん、どうしよう………………』
『…………』
『そう、だなぁ………………………………何年経っても忘れられないものって、なんだろう……。どうしても忘れなかった事は、その時になってから分かるけど、……けれど、忘れたくないって、そう思えるものなら、決められ、ます』
『ふふっ、なんで敬語なの』
『わ、分かんない、緊張してる』
『あははっ。――それで?』
『え、えーっと、僕がどうしても忘れたくない、そう思えるものは……イーファのこと』
『…………』
『生まれて初めて、そう思ったんだ。――あ、僕の名前は、アーダムです。アーダムが生まれたのは、この子、イーファと初めて会った時』
『…………』
『独りぼっちだった僕の所に、すっごく綺麗な女の子が、走って来てくれた時。……僕の長い人生で、一番大切な人と、初めて会ったあの時』
『…………うん』
『僕はきっと、イーファの事を忘れないよ。でも、忘れちゃいそうになったら、必死に、必死に思い出すんだ。思い出の中で、出会った時からまたやり直す』
『……………………』
『今日は一旦休もう? 今日の録画は僕ので終わり。また明日、イーファの思い出を聞かせて。イーファが忘れたくない事を、ぜんぶ』
『……………………ありがとう、アーダム』

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