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「慟哭、寂びる」小説:PJ15

  はじめに

 本作「パラレルジョーカー」には、暴力、暴言、戦争や著しい差別などの描写を含みます。
 それに伴い、グロテスクな描写、憂鬱な気分にさせる描写を含む為、苦手な方は本作を読む事をお控え下さい。
 また、本作は創作物であり、実在するあらゆるものへの批判や、思想の拡散を目的とした物では無い事をご理解下さい。

 01話はこちら。

  目次について

 本作では本編中の場面転換を軸にnoteの「目次機能」による見出しを付けております。
 表記は「 ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕ ‬」が大きな場面転換。
 その後に付く「 01の零 」など、末尾の漢数字を見出しの番号代わりとしております。
 例外として、長い節にも小見出しによる区切りを付ける場合がございます。
 しおり代わりにご活用ください。


  15 慟哭どうこくびる

 カーニダエ帝国とフランゲーテ魔法王国の人々が一所に集まる野営地の一角、命辛々いのちからがら帰還した〈第三ナスス駐屯基地ちゅうとんきち〉の奇襲小隊らを迎え入れた看護用の大型天幕は、異様な騒がしさに包まれていた。
「離せ! 一刻を争う! 早くスペオトスを呼べよ! 早く!」
 口々に声を上げる人集ひとだかりの中、その誰よりも必死に声を上げて医師から逃れんばかりに暴れているのは、白髪の痩身そうしん――アルゲンテウス・ヴルペスだ。
 アルゲンテウスは満身創痍まんしんそういの身であるにも関わらず、ほとんど感覚の無い四肢を振り回す様に暴れ、天幕から抜け出そうとしている。
 そうする間にも応急処置で巻かれた包帯は赤く染みを広げ、彼の息は上がり、徐々に力を失っていた。
「ですから! いま伝令が向かっています! 治療を受けて待っ――」
「分かるだろ兵士なら! ……ぁっ、は…………」
 叫んだアルゲンテウスは不意に全身から力を抜いて、弱々しくき込む。
 しかし、そうする間にもアルゲンテウスは何かを告げようと口を動かして、瞳だけは天幕の出入口をにらんでいた。
「……っは、奇襲させたのは敵だ……集落は……兵器の、ために…………」
 そこまでを言って力尽き、意識を手放したアルゲンテウスの体を医師達が受け止めたのと、スペオトスとアダルガーがの天幕に辿たどり着いたのは、同時だった。
 意識を失ったものの未だ息のあるアルゲンテウスを抱えて寝台しんだいに運ぼうとする医師らをほんの数秒見詰め、スペオトスは手近なカーニダエ帝国兵の襟首えりくびつかむ。
 目だけで人を殺すかの様な形相ぎょうそうのスペオトスににらまれた兵士は、短く悲鳴を上げた。
「説明しろ」
「あ、た、えと」
「いい。戻れ」
 乱暴に投げ捨てられた兵士は人波に消え、スペオトスは肩で人をき分けて医師に詰め寄る。
 アルゲンテウスを寝かせて部下に指示を飛ばした医師は、スペオトスの靴音に気が付いて素早く振り向き、言葉をつむごうと口を開いた。
「――お待ち下さい。フランゲーテの医師を呼べ、私の天幕に居る者だ。走れ」
 医師を手で制したアダルガーが、付近に居たフランゲーテ魔法王国の人々へ早口で指示を飛ばし、その成り行きを見守る事無く手振りだけで医師に続きを促す。
「……今、帰還したのは奇襲小隊の隊員のみ五名。内、意識を保ったのは彼のみでした。他四名は」
「いい。彼の言葉を教えろ」
「は、はっ。アルゲンテウスは、錯乱した様子でしたが……確実と思われる報告は三つ。
 グリーセオは〈コーア〉と合流し、戦闘続行中。
 奇襲小隊は全滅、英雄とは似て非なる生体兵器にる反撃。
 反撃に用いられた生体兵器――改め、動物兵器は、フェリダー共和国人が変化した物。国民全てである、と…………」
 スペオトスを含め、医師の声を聞いた周囲に居る人々はその報告に絶句した。
 ささやく声さえ漏れず、天幕内には帰還した奇襲小隊を治療する医師らの掛け声と、彼らが立てる物音だけの空白が満ちる。
「…………他には」
「……アルゲンテウス初め、帰還者のツェルダ・フェネキュス、ラトランス、ファミリアリス、クリス=キュオン・ブラキュルスら生存者は、グリーセオ・カニス・ルプスの指示にて、敵陣〈スナド戦線基地〉より帰投開始。
 その後、周辺集落の敵に捕捉され、十頭余りの動物兵器による追撃を受け、エクゥルサ共々負傷したものの、逃走。
 アルゲンテウスは……退路をたれつつあるグリーセオと〈コーア〉への増援を要請しようとしていたのかと…………推測で補った情報ではありますが」
 記憶を辿たどって語る医師の声にスペオトスは静かに耳を傾けて、彼の言葉が終わると共に裳裾もすそひるがえして振り返った。
「総員、出撃準備! 私も向かう。敵〈スナド戦線基地〉最外周集落を落とし、友軍を救助する! 駆けろ!」
 短い応答の後に天幕内に居た大半の人々が反転し、天幕から駆け出して行く。
 しかし、その流れは天幕の出入口から進入する縦に長い木箱の辺りを起点として二つに分かれ、人波が天幕の外へとあふれ切ると共に、木箱の持ち主があらわになった。
「――フランゲーテ魔法王国より、第一戦力支援中隊〈コーア〉の緊急増員部隊、参上つかまつった」
 彼女はそう言ってスペオトスとアダルガーの顔を見比べる。
「えーっと? あー、そうそう。傭兵ようへい……じゃねぇか、〈コーア〉付き特別遊撃小隊、マリアンヌ隊がおさ――マリアンヌ・フランクリンだ。
 最後の指示しか聞いちゃいないが、アタシの小隊三十名、先行するか?」

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 15の二

 音だけは清らかに、高く、暗夜を打ち払う鐘の音に似ていた。
 白銀の細剣が、深紅の甲冑かっちゅうまとうライガの腹部から背中へと突き抜けて、伸びた剣身が縮むと共にライガの姿が砂原に落ちる。
 左の肩口を深く斬られたハンソーネは、大柄なライガを押し退け息を荒らげてい出し、疲労でくらむ目を左右に振って周囲をうかがった。
 周囲で戦闘していたフランゲーテの騎士の内、一人は頭部を失った体だけが砂原に跪座きざしており、もう一人は両脚を失ってもなお、砂を手と剣でいて六人に減った黒衣の騎士らと戦い続けている。
 そして、とは離れた位置に一人、黒衣の女騎士――トラゲはかぶとを外して腹部の手当を終えたのか、今正に三ツ又槍を砂地から引き抜かんとしていた。
 戦闘はまだ終わっていない。
 理解すると同時に立ち上がろうとして、ハンソーネは口中に血の味を覚えたものの、れを飲み込んでしまった。
 不快感を唾に乗せて砂上へと吐き捨て、改めて重たい体を立ち上がらせる。
 二本の三ツ又槍を携えたトラゲが足早に迫り、それを見たハンソーネは細剣を構えようとして左肩の痛みに小さくうめき、刺突の構えから斬撃主体の構えへと変えた。
「ハン、ソーネェッ!」
 憤怒ふんぬき散らして叫ぶトラゲが三ツ又槍を舞う様に振るい、左の槍を大上段から振り下ろす。
 風を斬る三ツ又槍にハンソーネは視線も送らず軽やかにかわして、トラゲの左手首へ素早い斬撃を放ち、けんつと共に一足飛びでトラゲの背後を取った。
 既に引き戻した白銀の細剣、そのきっさきは黒い胴鎧どうよろいの隙間、腰背部ようはいぶから突き上げて心臓を穿うがつ軌道を見据みすえ、ひらめく。
 トラゲが素早く右の槍を振るって背後に居たハンソーネを攻撃しようとするも、狙いを定めたハンソーネはトラゲの背中にぴったりと張り付く形で移動して、一瞬の隙に白銀が狙い通りの道を辿たどり、トラゲの心臓に達して胸元まで貫通した。
「……安らかに。誤った子よ」
 徐々に力を失っていくトラゲへそうつぶやいて、ハンソーネは細剣を引き抜く。
 砂原に倒れ伏したトラゲが動かないの見てから、ハンソーネは歩み出した。
 黒衣の騎士は、まだ五人。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 15の三

「大きな施設は隠しておくものだよ。誰も踏み入れない様な秘境にこそ、しくは誰もが気にもめない土中とか、ね。……でもね、大切な物は小さくするに限るんだ。それで、何でも無い様な形にしておいて、こっそり、こっそりとね。そうそう、それでいいよ。だから――」
「戦士長……殿どの……?」
 独りで話し続けていたスナドの背後から声がして、スナドは爛々らんらんと光る双眸そうぼうで〈スナド戦線基地〉の兵士を見詰め返した。
 手燭しゅしょくを片手に不安気ふあんげな顔でスナドを見詰める兵士は、基地の片隅にある井戸に身を乗り出しているスナドへ歩み寄る。
如何いかがなされましたか、水であれば私が御用意しま」
「君はフェリダーにどれ程の忠誠を捧げる?」
「え?」
 兵士の声をさえぎったスナドの言葉に、兵士は聞き返し、基地周辺で戦闘が繰り広げられているというのに純真な笑みを浮かべるスナドの顔にぎょっとした。
「もしも君一人の命でカーニダエが滅びるとしたらどうだろう? いや、もう少し規模を小さくしようね。今この壁外にいる敵兵が、命を捧げれば死にゆくとしたら、そうしたらね、ボクはなんて素晴らしいんだって思うよ。だって祖国が好きだから。個体よりも国だよ。ボクがフェリダーを救えるんだよ。ねぇ」
 詰め寄るでも指示するでもなく、スナドはにこやかに喋り続ける。
「素敵な事でしょ? だって、ボク達は国なんだから。ボクは死んじゃうけど、ボクは国という体の一部だから、本当は何にも痛くもかゆくもない。でもカーニダエは違うよ? 今がその時だって奇襲してきて、集落をいくつか潰せると思い込んでたんだ。それなのに、フェリダーは新しい武器を使ってきて、何十人と死ぬ。ね? それなら、忠誠を捧げるフェリダーが有利になるなら、何にも怖くないんだから」
「な、何をおっしゃっている……」
「…………君、フェリダーじゃないんだ」
 ねた子供の様につぶやき、スナドは兵士の胸倉むなぐらつかんで引き寄せると共に彼の腹部へ赤黒い短剣を突き刺した。
「が、あっ、な、にを……」
 うめき、兵士の顔が赤黒く変色し、変わった部分からぶくぶくと泡に似たふくらみがしょうじて破裂する事無く滑り落ちていく。
 スナドはしたたる直前に兵士を井戸へと投げ落とし、自身のふところに手を差し入れた。
「……私はいつもこうだ、不意に正気を乱し、非効率的な行動をしてしまう」
 無表情のままつぶやくスナドは、ふところから取り出した小箱の細工をいじってふたを開け、中に収まっていたにぶい輝きを放つ六つの宝石から一つをつまみ、井戸に落とす。
「平静になれ。こんな事があっても良い様に此処ここを選んだのだ」
 夜闇に沈んで底の見えない井戸に視線を落とし、スナドは静かに笑った。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 15の四

 現実さながらの明晰夢めいせきむを見ている気分だった。
 水を吸った布が全身をおおい尽くしたかの様に体が重く、皮膚ひふから伝わる感触もひどく遠い。
 目の前を駆けて行った白銀のよろいは、音だけが遅れて届いて、振り向きもしない彼女に対してどす黒い憎悪が浮かんでも、言葉は思い付かなかった。
 しかし、平生へいぜいから『こういう時』を意識していれば、これから成すき事は考えるまでも無く体が動こうとしてくれる。
 今必要としているのは、その動きを少しでも速め、息絶いきたえるよりも先に実行する為の、意志の力。
 最後の一欠片ひとかけらたるれはたった今獲得した。
 かたわらに落としていた三ツ又槍を震える左手で引き寄せ、砂ごと抱き込み、そのまま人差し指を胸元の傷に押し込む。
 痛みは感じなかった。死が近いのだろう。胸の内側に異物感を覚え、指からは生温かい感触がうっすらと伝わった。
(あ、とは……ことば……)
 思考して、肺が機能していない事に気が付いていないトラゲは、そのまま生命活動をやしていった。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 15の五

 フェリダー共和国の騎士らは、魔法の武器を持っていないようだった。
 しかし、それを補って余りある身体能力があり、更には執念深い。
 執念深さを意志の固さと言い換えれば、ハンソーネひきいるフランゲーテ魔法王国の騎士達も負けていないと言えたが、フェリダー共和国の者達が見せる執念は自国の誇り高き戦いとは違う、狂気の領域に踏み込んだ別種のもの。
 そう思う一瞬の間にハンソーネは迫るきっさきなした。
 金属音が砂原に響き、ゆらりと体勢を崩した黒衣の騎士の真横を過ぎ去るように駆け抜け、れ違いざまにその首をねる。
(……グリーセオ、かなしい事だが、こういった手合いは大陸上にれているぞ)
 胸中でつぶやき、素早く目を振って次に迫る黒衣の騎士を探すハンソーネは、味方の騎士達が最後の一人にとどめを刺すさまを目にした。
 最後の黒衣が息絶いきたえたのを見送り、ハンソーネは息を吸う。
「総員撤退! 怪我人も死体も連れて帰る! ガイダ、ツィンク。リヒャルトの治療を!」
 口早に指示を飛ばし、細剣をおさめたハンソーネは首元から小さな笛を取り出し、馬を呼んだ。
 戦闘中は一定の距離を置いて待機するようにしつられた馬達は、その音に素早く反応して騎士の元へ戻り、ハンソーネ他二名が駆っていたエクゥルサは、馬達の動きを真似まねて着いて来る。
「よくしつられた子達だ」
 三頭のエクゥルサに向けてつぶやき、ハンソーネはそでで左目の辺りをぬぐった。
 乾き始めた血がそでに付着し、それを振り落としてから左眼の具合を確かめる為に辺りを見渡す。
 一度はしたたった血液で邪魔された左眼は問題無く動き、痛みも無い。それを認めると同時に、ハンソーネは周囲の景色に違和感を覚えて無意識に細剣のつかを握った。
(ライガは――)
 瞬間、目前の砂原がふくれ上がり、泡の様にはじけて広がる砂の中から深紅の影が現れる。
 咄嗟とっさに反応し、退しさるハンソーネはしかし、背後の馬にぶつかってそれ以上の後退が出来なかった。
 深紅の悪鬼が、砂原の底から引き上げるかの様に剣を振るう。
「隊長!」
 細剣を鞘走さやばしらせてれを受け止めようとしたのと、悲鳴地味じみた声の主が割り込んで来るのは同時だった。
 大柄な男性騎士が砂塵さじん舞う直中ただなかび込み、ライガの腰を抱えて体当たりを食らわせる。
 大きく体勢を崩されたライガの剣は、ハンソーネが振るった細剣ではじかれて狙いを大きくはずれ、激しく砂を巻き上げるだけに終わった。
 が、しかし、憤怒ふんぬに満ちた瞳はハンソーネを捉えたまま。体当たりをしてライガの腰に組み付いた騎士の頭に、外骨格におおわれた左手が迫る。
「やめろ!」
 叫び、ハンソーネは駆け出した。
 細剣を構えたまま彼我ひがの距離二メートルを一息に詰めて、その間にライガが騎士の頭を鷲掴わしづかみにし、剣状のとげえた腹部に抱き込んで体を折り畳み、果実の様に容易たやすり潰す。
「――ッッ!」
 その一部始終を見たハンソーネは、はらの底からき上がろうとする悲鳴と怒号を吸気で殺し、全力の刺突を打ち込んだ。
 放った刺突はライガの左頬ひだりほほからうなじ付近へ抜けてつばまで突き立ち、ライガは血にまみれた左手でハンソーネの右手――細剣を持つ手をらえる。
 いくら身をよじろうとも、ライガの膂力りょりょくと指先までをおおう外骨格の細かなとげが引っ掛かれば、ハンソーネの右手は完全に封じられていた。
「……また、オレだけか」
 つぶやき、ライガはハンソーネをらえたまま立ち上がる。
 二メートルを優に超えるライガの顔に細剣が突き立ち、れを離す事すら許されないハンソーネは右腕を掲げる形で体勢を崩され、その瞬間を逃さず、ライガは手にしていた長剣を捨てて、右手でハンソーネの喉を鷲掴わしづかみにし、軽々と持ち上げた。
 自重と着込んだよろいの重みが全て喉に掛かり、ライガの右手にえたとげが食い込む。
 その苦痛にうめく最中、ライガはハンソーネの細剣を顔から引き抜き、刃を握って手放させ、遠くに放った。
「テメェら、カーニダエに付く事がどういう事か分かってねぇだろ。……いや、フランゲーテなら自然でもあるか。
 ――知られたくねぇよなぁ、テメェの国の秘密が漏れて、フェリダーが利用してます。なんて。寄ってたかって大陸中から責められちまうもんなぁ!」
 ライガが放つ怒号に答える者は居らず、三人の騎士は怒りをあらわ得物えものを構えてライガを取り囲む。
「…………死ぬぞ、コイツが」
 冷たく睥睨へいげいするライガをにらみ返し、最も若い男性騎士――ヨハンが動いた。
 手にした長槍をしならせ、回転させながら突き込む槍を視界のはしで捉えて、ハンソーネも動く。
 ハンソーネの動きに反応したライガは右手を握り込もうとして、足をさらう程の強風に動きを切り替えた。
 その一瞬の隙にハンソーネはライガの右腕を両手でつかみ、思い切り持ち上げた両脚で挟み込んで、そこを支点にライガの右手から首を逃がす。
 ハンソーネが動く間にも〈コーア〉の騎士達はライガへの攻撃を畳み掛けていた。
 突発的な強風に両足の爪を砂に突き立ててこらえるライガに対し、背の低い女性騎士――ツィンクが刃の広い短剣を水平に構えて駆け寄り、ヨハンとは別の男性騎士――バストロが、身の丈程たけほどもある大剣を振り下ろす。
 ライガと対峙たいじする四人の騎士、その夫々それぞれに目をるライガは足を砂に埋めたままり足で振り下ろされる大剣をかわし、その間にハンソーネはライガの右腕にしがみついたまま頭部へ蹴りを放った。
 岩でも蹴ったかと思わせる手応えの無さにハンソーネは人知れず絶句し、ライガの顔を再度蹴ってつかんでいた深紅の右腕を離してり、放り投げられた愛剣の元へと駆ける。
 五メートル近く駆けて細剣を拾い上げ、ライガへと顔を向けるまでの数秒間に、状況はまた変化していた。
 ヨハンの長槍がライガの足の爪に絡めて踏みつけられ、そうするライガに短剣を振るおうとしたツィンクが胸元を殴り付けられて吹き飛ばされ、バストロが振り上げようとした大剣が凶暴な右手につかまれ、押し留められる。
雑魚ざこが……ッ」
 吐き捨てると共にライガの心音が大きく響いた。
 大地を揺るがしているかの様な心音は深紅の外骨格をにぶく輝かせ、心音に合わせて右腕のとげが伸びる。
「うあぁぁぁ!」
 悲鳴に似た雄叫おたけびを上げたのはヨハンだった。
 長槍を手放し、伸び続けるとげに拳を振り下ろして、れが効かないと見るやとげの隙間をってライガの右腕に組み付く。
「バストロさん! 回避!」
 仲間達の戦闘を見届けながら、ハンソーネは駆けていた。
(あと一歩、いや、二歩……!)
 砂地に足を突っ張って、ヨハンがライガを押し込もうとし、バストロは身をよじってライガの右手から大剣を逃がそうとする。
 その瞬間にもとげはバストロの喉元に迫り、ついにバストロが大剣を手放した。
 瞬間、ヨハンの姿がかすむ程に素早く、大きく振り回され、天高く放り投げられる。
 ハンソーネが引き絞った細剣をライガの背中へ突き出し、向こう側では体勢を立て直したツィンクが、真正面からライガに突っ込んでいた。
「テメェにオレが――」
 言うかたわら、ライガの体が回転する。
「斬れるワケねぇんだよ!」
 直後、刺突を放っていたハンソーネの右肩に衝撃が訪れ、左の指先が砂に触れ、顔面から砂原に落ち、吹き飛ばされたのだと悟った。
 度重たびかさなる戦闘と負傷に意識が薄れ、体が言う事を聞かない。
 ハンソーネが最後に知覚したのは、背後で響く甲高かんだかい音と、その少し後に訪れた何かが砕ける音だった。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 15の六

 アキッレと共に〈コーア〉の部隊と一時合流したグリーセオは、いまだ砂漠を歩いているジェンナロと重傷のタロウを救援する人員を走らせて、れを追おうとするフェリダー共和国の兵士らをアキッレと共に斬り捨てつつ、夜闇に乗じて針路しんろを変えた。
 敵部隊からも砂漠の集落からも離れた二人は、道中で思わぬ収穫をする。
 その『収穫』から二分後。
 星明かりだけが照らす砂上に深紅のきらめきを認めたグリーセオは、くらからび上がり、砂原をころげて顔を上げた直後、高らかに指笛を吹いた。
 グリーセオにとって僥倖ぎょうこうである収穫。それは、主を失って怪我も無く放浪していた青碧色せいへきいろの熊――エクゥルサだ。
 〈第三ナスス駐屯基地ちゅうとんきち〉でしっかりと調教されたエクゥルサはグリーセオの指笛で攻撃の指示を受け取り、今正いままさに白銀の騎士へとどめを刺さんとしていた深紅の悪鬼――ライガへ、長くたくましい前肢まえあしを振るう。
 以前グリーセオが見た時よりも、生物の枠を一回りも二回りもはずれた様な姿を取っているライガと言えど、不意の攻撃への反応は間に合わず、幾つかの破片を散らして深紅の影が一メートル近く吹き飛んだ。
「総員撤退だ! 動ける奴はハンソーネ伯爵はくしゃくを拾え!」
 駆け出しながら声を荒らげて付近の騎士へ指示を飛ばしたグリーセオは、両手を小刻みに振るって〈マクシラ〉を篭手こてから短剣へと変じさせる。
 全速力で駆けたグリーセオはそのまま砂上にせて動かないハンソーネをぶ様にまたぎ越し、砂の波を巻き上げて憤怒ふんぬ形相ぎょうそうを浮かべるライガと対峙たいじした。
 骨とも金属ともつかない甲冑かっちゅうの奥で、ライガがグリーセオを認識し、両目を見開く。
「ッッッグリィィセォォオ!」
 獣の咆哮ほうこうを上げ、グリーセオの左手側から砂原を斬り柘榴色ざくろいろの長剣が迫り、グリーセオはれに右の短剣を振り下ろして体重を掛け、空中で前転する事でかわし切った。
 グリーセオが着地すると共に、右手の長剣を振り抜いたライガの左脚が、そのかかとからえた剣状のとげが眼前に迫り、グリーセオは立ち上がりざまに左の短剣を振り上げる。
 鋼の短剣と深紅の棘脚とげあしがぶつかり合って耳に痛い程の金属音がとどろき、ライガの蹴りがグリーセオの頭上を過ぎ去って、当のライガは両手で砂をつかむ様にしてグリーセオをにらんでいた。
 その右手には長剣の黒いつかが無い。
 そう認識する間にもライガは左脚を引き戻し、深紅の外骨格に覆われた五指を開いてグリーセオへび掛かって来る。
 息付く暇も無くり出される両手の爪を、両の短剣で受け流しながら、グリーセオはうめき声を漏らした。
 此処迄ここまでに負った傷が、ライガの猛攻を受け流すたびに衝撃を受け取って悲鳴を上げ、肩から腹へと生温なまぬるい血液の伝う感触が思考をはばむ。
 それでもなおグリーセオはました集中力でライガの爪やとげらし、はじき、徐々に後退あとずさって、引いた右足がくうを踏んだ。
 悲鳴も無くグリーセオは体勢を崩し、その一瞬の隙にライガの放つ左の貫手ぬきてが顔に迫り、左脚を軸にして無理に体をひねる。
 ばつ、と右耳から何かの切れた音がして、しかし、グリーセオはそれに構わずライガの左腕を逆手さかてに持った右の短剣で絡め取り、同様に逆手さかてに持ち替えた左の短剣をライガの鳩尾みぞおちへ突き立てた。
 鋼の盾を刺したかと思う程の重たい手応えが左手に伝わり、眼前でライガがうめく。
「この剣……何で……」
 ライガの言葉の意図を探ろうとする思考を振り払う様に、グリーセオはライガの左腕を離して胸元を押しやり、ライガから退しさった。
 深紅の外骨格、その腹部から大量の血を流して砂原を濡らすライガは両膝を着き、グリーセオはライガを警戒しつつもハンソーネを担ぎ上げた騎士らの元へと駆け出す。

  ‪‪✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 15の七

 馬やエクゥルサにまたがった戦士達が、遠く、離れて行く。
 ライガはれを見開いた両眼でまばたきもせずに見詰め続け、心臓を傷付けられてにぶくなった身体にむちを打ち、砂原をっていた。
 声はおろか呼吸さえ怪しい喉はれ、それでもなお、敵を目指してう。
(何にも知らねぇヤツらが、考えたつもりになって、踏みにじる……。その痛みも苦しみも知るヤツらでさえ……! 領地の隅に〈トラッシュ〉を作る……!)
 不規則に、ひゅうと喉を鳴らして、ライガは一際ひときわ強く――しかし、今迄いままでよりも弱々しい力で砂を握り締めて、腕を引きつつ体を前へと進めた。
 わずか、半歩にも満たない距離を。
(間違えたまま、認める事さえ忘れたヤツらを、オレは…………作り直させるぞ。殺して、殺して、壊し尽くして……!)
 脳内に木霊こだまする声が心臓を震わせて、ライガの肉体が変化する。
 外界へ向けて突き出していた剣状のとげがライガの体へと戻って行き、甲冑かっちゅうに似た形からより生物的な流線型へと変わり、顔も平たい形状から前後に、斧頭ふとうの様に突き出して、ライガはいずる事に特化した蛇とも蜥蜴とかげともつかない生き物に成った。
 先程よりもいくらか速くなった動きで、砂上に頼りない小道を描いてうライガは、死んだ黒衣の騎士らを横目にしてう内に出血が治まり、進む速度が緩やかに増していく。
(待て……! 待てよ……! オレは……――)
 もう影すら見えなくなった南方をにらんで胸中につぶやいた時だった。
 右手に、胎児の様に体を丸めて息絶いきたえたトラゲの姿を見て、ライガの心臓が強く拍動する。
 心音は徐々に大きく、強くなり、砂を震わせて、ライガの姿がゆるゆるとただの人間の形へ変わっていった。
 獅子ししたてがみに似た赤い長髪が心音に震わせられる空気で揺らめき、あわい深紅色の輝きを放つ。
「……お前が死んだら、コドコドはどうなるって言ったよ。なぁ」
 答える者は居ない。敵は退き、トラゲ隊は文字通りに全滅した。
「偉そうにしてたヤツも……ただ生きていたいからそれに従ったヤツらも、このさまだ。
 なぁ、トラゲ。テメェにはまだやって貰わなきゃ――」
 言いつつ、ライガはふと己が剣を手放している事に気が付く。
 ライガに持たされた剣――正確には魔法を仕込んだ漆黒のつか〈コルヌ〉は、ライガの意思に応じて刺した生物を吸収し、武器へと変える力を持っていた。
 ライガはの力をトラゲの死体に行使しようとして、しかし、何処どこかへ、おそらくグリーセオに倒された辺りで手放してしまっていたのだ。
「――クソッ!」
 いた右手を握り締め、砂を殴り付ける。
 舞い上がった砂は周囲に響き続けているライガの心音で棚引たなびき、微風そよかぜに乗って流されて行ったが、ライガの目にそんな景色は映らず、にじみ、歪んでいた。
「テメェは何の為に生まれた!? 何の、為に……! そんなもの分かり切ってるクセして、誰もが、何奴どいつ此奴こいつも! 下らねぇ事ばっか並べやがる!!
 幸せに死にてぇならそう言えよ! 助けて欲しいなら……人質も、金も、報酬も、そんなもの、必要あるかッ…………!
 ――このッ……糞共くそどもがッ! テメェら全員、死ねなくでもなりゃ少しは大人しくなんのか!? クソ、クソ、クソが……!」
 心音を響かせたまま、ライガは砂原にうずくまって叫び、涙を流す。
 一頻ひとしきり言葉を吐いて、言葉にならない情動のままうなり声を上げて、只々ただただ、拳を砂原に振り下ろし続けた。
 そうする中で、ライガの胸中では一つの言葉が結ばれていく。
 純粋で、むなしいだけの夢想。
「……………………出来ないなんて、嘘だ……。皆、平和が良いに決まってる……。分かってんだろ……なぁ……」
 己の心音にき消されそうなほど小さい声に、答える者は居ない。
「テメェらが、つくるんだよ……! オレが何もかも壊す! 壊したその後で……!」
 星空をあおぎ、ライガは大きく息を吸った。
 心音がとどろく。
 れを受けて震える砂が潮騒しおさいに似た音を立てて、その間隙かんげきに、ライガは吐き出した。
「オレが英雄に成ってやる! テメェらが思う都合のいいヤツじゃねぇ! 世界を――人を変える英雄に! だから……――ッ!
 テメェらは駒だッ! フェリダー!!」

 ‪‪ ✕‬‪‪✕‬‪‪✕‬ 15の八

 雷鳴に似た轟音ごうおんがして、グリーセオはこうべを巡らせた。
 空に薄い雲はあれどいかずちもたらす程のものは遠くにも見えず、正体不明の予感に背後を振り返る。
 夜に沈んだ砂漠地帯は相変わらずの影一色で、その上をグリーセオや並走する騎士らが乗る動物兵器たちが立てた砂煙が揺らめく膜を張り、小さく、像を結ばない不安と深呼吸を促す静寂が胸のうちくすぐって、何かが足下を駆け抜けて行った。
 感じた。そうとしか言いようの無い何かを追って、グリーセオが進む先へ向き直ったと同時に、同様のものを感じ取ってかエクゥルサがねて足を止めたがり、周辺の動物兵器らもまた悲鳴に似たいななきを上げて大きく速度を落とす。
 馬の中にはハンソーネ含む三名の意識を失った騎士が乗せられたものもある為、グリーセオはえてエクゥルサに停止の指示を出し、青碧色せいへきいろの毛並みを撫でて落ち着かせてやろうとした。
 その、直後。
 進行方向、遥か南東にある集落の辺りで先程耳にしたものと同様の遠雷が幾重いくえにもとどろき、暗灰色の影として景色に張り付いていた建物の形が揺らぎ、倒壊していく。
「何が起きている……?」
 誰に問うでも無くつぶやいた声は途端に引き返して来た静寂の中で明瞭に響き、辺りに居る〈コーア〉の騎士らから『分からない』という意味の声が漏れた。
 その声にグリーセオは現実へ引き戻された気がして、再び周囲をうかがう。
「――怪我人は。何とも無いか、誰も?」
 混乱した頭で現状を確認しようとしたグリーセオの声を聞き、騎士らは各々異常が無い事を告げて、それに曖昧にうなずきつつ背後を振り返ったグリーセオは、少しも景色が変わっていない事に独り胸を撫で下ろして右腕を掲げた。
「進路を変える。目的はそのままに、本隊との合流、そして一刻も早い撤退。だが、それはあの集落の先だ。我々は南西側を駆け抜け、先んじて撤退を始めている本隊に合流。――行くぞ!」
「応……!」
 戸惑いちに発せられた返答は、疲労か、不安か。
(――いや、何方どちらも無いはずがない)
 胸中に独りちて、グリーセオはエクゥルサを走らせる。
 その指示は全速力を出させるものでは無かったが、エクゥルサはグリーセオの意図に反して速く駆けた。

つづく


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