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職業「自分」〜無職から大学教授そして

嫉妬されるほど優秀でごめんなさい!

15年間大学の教員をやっていました。

この度、大きな改革をし過ぎて、大学を追い出されました。なので裁判で2年間闘って、ようやく勝ちました!

でも復職はしません。大学を転々として、3つ目の大学でようやく落ち着いて、定年まで働けると思ったらこれです。

善かれとおもってやった、学ぶ力と稼ぐ力を向上する教育カリキュラムでしたが、最後は反対派に実権を握られてしまいました。
実際に体験して分かったのですが、大学は伏魔殿です。
嫉妬が渦巻いていました。

東北の片田舎のFランク大学は、教員の程度もFランクです。
学生たちが自分たちより優秀になると、手抜きがばれますからね。

ゼロから始まる職業人生

バブル新卒なのにベンチャーに就職

新卒当時はバブル期で会社は選び放題だったのに、
なぜか空気清浄機をつくっているベンチャー企業に新卒で就職。
入社3年目にして、会社の改革を考えました。
いまでいう「働き方改革」です。
それを実行するために、労働組合をつくったところ、
社長をはじめ幹部連中のかんに障ったみたいです。
労働争議となって、会社を辞め無職に。
ちなみに、その会社そのあと倒産しました。

非常勤の助教授って何?

それから社会人大学院へ入学し、博士課程まで進みました。
博士号はとれなかったのですが、ラッキーなことに小泉政権で生まれた株式会社大学で助教授になることができました。
しかし、ここも問題が多し。
助教授なのに非常勤という訳のわからない状態。
あまりにも理不尽なので、大学という制度について、国会質問で不正を追及してもらったこともありました。
いまの大学制度を守ったのは、私が声を上げたからです。
大学人のみなさんには感謝して貰いたいところです。
ちなみに、この大学も残っていません。

楽しかった愛媛、そして東北へ

そのあと、無事に愛媛県の大学に職を得ましたが、5年間の任期付きでした。
そこで、地元企業との産学連携や社会人基礎力事業などを開拓して、その実績を携えて東北の大学へと転職したのです。
いま思えば、この愛媛時代の4年間は最高に楽しい日々でした。

震災復興支援の10年

ようやく終身雇用を得て、新しい職場に移って1年が経とうというときです。
東日本大震災が発災。
家族4人を抱え地縁も血縁もない土地での罹災でしたが、幸いなことに大きな被害はありません。そんな状況でも、不安より先に次にすることを考えていました。

震災後は学生と一緒に、仮設住宅の住民調査と支援を8年間つづけました。さらに、民間の復興支援のリーダーによる講座と、その講座の記録を利用した震災ワークショップを全国展開するなど、復興支援に丸10年間携わってきました。

嫉妬させるほど優秀でごめんなさい

さらに、その間、私は自分の授業改革に取り組み、東北でのアクティブラーニングの第一人者として自他共に認められるようになりました。
その知識と経験を活かして、大学のカリキュラム改革の機会を得ました。

しかし、それがよくなかった。
古株の教員たちの嫉妬と反感を招いたのです。

いま思えば、その土地に何の関係もない新参者の私が、復興支援や授業改革で目立っていただけでなく、たった3年で教授に昇進していたのですから、嫉妬を買ったのでしょう。

それに、学内政治に全く関心のない私が、正攻法で協力者を集めて、改革を実現したのですから、古株の連中にとっては恐怖でしかありません

結局、上手いことはめられて、追い出されました(笑)
あなたたちを嫉妬させるほど優秀でごめんなさい

アンラーニングがあるからやってこれた

見ての通り、私は毎度、空挺部隊のように、全く知らないところへ一人で乗り込み、その場、その場で頭角を現してきました。
そして、周囲の同調圧力に負けずに、自分の信じた道を歩いてきました。

それができたのも、その時、その時でアンラーニングができたから。
私は新しい状況に遭遇したとき、それまでの経験や知識をいったん脇に置くことで、その場を見極め、適切で効果的な行動ができたのです。

なので、これからは、アンラーニングの実践者として、みなさんの人生を切り開くお手伝いをしていきます。
まずは、この場で私がこれまで経験してきた、アンラーニングを実現する方法をこの場で少しずつ綴っていきますので、よろしくお願いします。

職業「自分」
アンラーニングナビゲイター 
山崎泰央


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