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40代アイドルの人

日本のアイドル文化って根強いというかパワーありますよね。なんていうか、海外のアイドル事情知っているかっていったらそんなこと別にそんな、ないんですけど。
いろんなアイドルいますよね。
私、qbc、小説、描いているじゃないですか。それで、昔、私、あるアイドルグループの中にいる、所属している、自分がアイドルだ、って設定で空想小説を書いたことがあるんです。それは、大学生の時? だったかな。
それで、その時、それを読んだ先輩に、大丈夫か? って言われたのを覚えています。でも、その時、私、その小説で、辛いダンスレッスンなんか頑張ってるけどなんか上達しないみたいになって、落ち込んでる時に、同じグループの〇〇ちゃんから助けられ、なぐさめられたって展開だったんですけど、その小説を読んだ先輩から、それについて、その現実のアイドルグループの中に、想像の私が中に入って、恋愛関係になるならまだしも、同じく頑張ってるいちメンバーになってるって世界の創造に対して、その発想、感受性、大丈夫なのか? って訊かれたんですよね。
あーあ。こわいこわい。
というかですね、思ったんです、そうなんだな、私はその時あの時、一緒に、あのアイドルたちと、がんばりたかったんだな、と。そうですよね、アイドルってがんばってますよね!
応援だ! わーわーわー。
と思う2024年5月11日9時12分に書く無名人インタビュー762回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは ぽんぽこまりー さんです!

年齢:40代後半
性別:女性
職業:アイドル・DJ・ソロシンガー・カウンセラー


現在:やっぱりいくつになっても、やりたいなって思ってることは、全然40過ぎてからもDJできるし、朗読とか書いたりできるし、アイドルやりますって宣言したら応援してくれる人が増えたりとか、そういうこともできるので。

くじらぐも:
今、ぽんまりさんは何をしていますか?

ぽんぽこまりー:
私、本業はメンタルクリニックのカウンセラーをしております。

くじらぐも:
はい。

ぽんぽこまりー:
カウンセリングっていう、実際患者さんが来て、お話を伺いするっていうような、カウンセラーという職業をやってるんですけれども。それを目指したっていうのも、私、48になってからカウンセラーになったんですね。それまではもう全然営業で、百貨店でネクタイの販売をしたりとか、20代の頃とかはアクセサリーを、シルバーアクセサリーとかジュエリー販売をやったりとか、接客業、営業みたいなのをずっとやってたんですけれども。

自分の生い立ちとかも結構、家庭が複雑だったりとか、そういう関係で、自分も子供の頃ちょっと精神的にストレスを抱えたりとか、そういうことが多くて。やっぱり子供のときからね、そういう家庭環境とかでみんな傷ついちゃって病んじゃうというか、そういう方もいらっしゃるので。こう最終的に自分が何をやりたいかっていうのを40過ぎて考えたときに、カウンセラーという職業を選ぼうと思って、そこからちょっと勉強しまして。本業は、カウンセラーをやっております。

くじらぐも:
カウンセラーを志してから、何年ぐらいで仕事に就くことができたんですか?

ぽんぽこまりー:
猛勉強しまして、1年ぐらいですかね。

くじらぐも:
本業のカウンセラー以外については、どんなことをしていらっしゃるんでしょうか?

ぽんぽこまりー:
DJとかアイドルとか朗読とか絵を描いたりだとか…色々やってます。
まずDJっていうのが、ちょっと皆さんどういうことをしてるかなってのはなかなかわかりづらいと思うんですけれども。DJっていうのは、皆さんがご想像してるのってクラブでウェーイみたいなのを多分想像してらっしゃる方も多いと思うんですけれども。

私の場合、今はDJバーとか、DJ居酒屋みたいなのが結構あったりするんですね。ちょっとしたブースがあって、お酒飲んだりとか、ソフトドリンクとかお酒飲まなくてもいいような食事もできるようなところで、DJの機械を置いていて、そこで私なんかはDJとして行きながら、皆さんがご飯食べてるとこで音楽を選曲して流すっていうようなスタイルのDJもいて。

私は元々、高円寺でそういうDJバーみたいなところでやらせてもらったのをきっかけに、DJ活動みたいなのを始めたので。なんかね、ガチガチのクラブでガンガンやってますっていう感じのDJでは、自分でもないと思ってるんです。皆さんが楽しく、音楽を楽しみながらお食事したりお酒飲んだりね、ちっちゃい子とか、家族連れでもお食事しながら楽しくやってるところに、より花を添えるためにっていう感じで、楽しんでもらえたらなっていうのでDJを始めました。

くじらぐも:
DJはいつからされてるんでしょうか?

ぽんぽこまりー:
今年でもう8年目になるんですけども。42歳からDJを始めました。

くじらぐも:
他に、されてる活動はありますか?

ぽんぽこまりー:
個人で最初はDJやってたんですね、1人でぽんぽこまりーっていうので。そこから、その繋がりで仲間っていうか、DJ友達ができまして、自分のDJチームを持つことになったんですね。そのDJチームっていうのが、「チェケラッチョ極楽」っていう名前の4人組のDJチームですけども、私がリーダーをやることになって、メンバーにハサミ男くんっていう子がいるんですけども、その子がサブリーダーをやって。あとはマスターくう朝さんっていう方と、三ツ星さんという方で4人でDJチームを組むことになって。

そこからまたDJやってるうちに、DJの合間にバンド、LIVEやったりする方もいらっしゃるんですね、いろんな方が。そこでちょっとバンドやってみないかっていうことになりまして、今度は歌うことになったんですね、自分が。それはロックバンドで、2人組でやってたって感じなんですけれども。その活動を2年ちょっとぐらいやってた感じですかね。

ただそれが、結構ガンガンのロックバンドみたいな感じだったので、やっぱり自分がアイドルっぽい曲を何か歌いたいというのがあったんですね。で、恵中瞳さんっていう、演歌歌手なんですけどアイドルっぽい曲も歌われるって方とお友達になっていただいて、それで自分がアイドル路線みたいな感じで、今アイドルとしてもピンでやってるっていう流れになってきたっていう。色々と活動やってますね。

くじらぐも:
本業としては日中にカウンセラーをして、その他の時間はDJとかアイドルの活動に当てられてるんですかね?

ぽんぽこまりー:
そうですね。ただ本業がもう、本当にフルで働いてまして、週休2日ぐらいの勢いでしか休みがないんで。自分の好きな活動、DJとか音楽活動をメインっていうことはなかなか難しいので、自分がイベントに出れるのが月に2回とか3回とか回数決めないとなかなかできなくてですね。

くじらぐも:
ええ。

ぽんぽこまりー:
それでもそういう、楽しんでもらったりとかしていただく方がいるんであればということで、結局。最初はフリーでやってたんですけど、またご縁ができて、IS21SOUND-Tokyo-Eastという音楽事務所に所属することになったんですよ。4月から。そこで所属アーティストということで、お仕事を入れていただけるようになりまして。何かこう、本当に周りの人がすごい方が結構いっぱいいらっしゃって、自分が不思議な感じで流されていってるような、やっていいよやっていいよって方が、すごく親切な方がいっぱいいて、誘っていただいてっていうね。あれよあれよという感じで、自然にそっちの方に行ったっていう感じですかね。

くじらぐも:
DJの活動と、アイドルの活動とは、曲調が違うんでしょうか?

ぽんぽこまりー:
そうですね。まぁでも、基本的にJポップ、歌謡曲よりですかね。元々私、Jポップとか歌謡曲のDJなんですね。で、DJっていうのは元々ある素晴らしい曲、楽曲があるのを、MIXといっていろいろ繋げたりとかして盛り上げるっていうような感じなんですけれども。アイドル活動というのは、やっぱり自分で作詞作曲をしてっていう感じになって、自分で曲を作ることになったので。

私のデビュー曲が「デブのババァとよばないで!」っていう、ちょっと強烈なタイトルの曲なんですけれども、歌はすごくキャッチーですごくいい曲だねって皆さん言ってくださるんですけれども、ちょっとこう、アイドルなんだけど、タイトルにインパクトあるとか、ちょっと面白いよねみたいなことを言っていただけるようになったので、今後そういう活動を広めていければなっていうふうに思ってます。

くじらぐも:
聞きに来るお客さんってどんな人が多いんですか?

ぽんぽこまりー:
音楽がまず好きっていうことですけど、本当に年代も幅広いですよ。あと私、先ほどもちょっとお話しした恵中瞳さんっていう方がいらっしゃって、その方がもう、出るイベントがヤフーニュースに取り上げられたり、日刊スポーツとかに載るぐらいのかなり有名な方なんですよ。で、私がその人の曲を聞いてすごくファンでってことを、SNSで最初言ってたんですね。すごいいい曲、素晴らしいみたいなこと言ってたら、ご本人様から返信が来て。なので聞きにきてくださる方は、そこの繋がりのお客様が多いかもですね。

「ひとみんナイト」っていう、恵中瞳さんのカバー曲を歌っていくっていう選手権があるんですね。そこで、奇数月に予選大会っていうのが開かれるんです。1月3月5月7月9月11月っていう感じで。で、今年がその恵中瞳さんのAnniversary年なんです。

奇数月を勝ち抜いてって12月に本戦があって、その予選を勝ち抜くためには、SNSのポイントとかYouTubeの再生回数とかを稼いで、上位8名しかその本戦に出れないっていうイベントなんですよそれが。で、いきなりそこにバーンと、やってみませんかっていうことをお話いただいて。自分がやりますってことで、チャレンジして、予選に応募したんですね。それで今ちょっと、上位8人に選ばれるかどうかっていうのを戦っていってるんですけれども。

12月の本選っていうのが、もう1位が賞金10万円だったりとか、2位が楽曲提供だったりとか、いろいろこうあって。1位になったら、自分の先ほどお話した「デブのババァとよばないで!」っていうのを、CD化とかグッズとかを作って、本格的にアイドル活動がんばろうかなって思ってますね。

今はそういう状態で、とにかく自分の活動を広めていこうというのを、恵中瞳さんがすごく手伝ってくださって。自分でもええ? って言うような感じで、どんどんどんどんそっちの方向に不思議に流れていってるっていう感じですね。

くじらぐも:
これからどんどん力を入れていきたいのは、アイドル活動になるんですかね?

ぽんぽこまりー:
そうですね。DJは自分でもうチームを持っているので、あともうDJ歴8年もあるので。繋がりのお店でもう、自分のイベントを持ってるんですね。チェケラッチョ極楽御殿っていう、先ほどのチームの。それが津田沼のMediterraneoっていうお店で、3ヶ月に1回、看板イベントとしてやらせていただいているイベントなんですね。

それで、そこが拠点として、都内では亀戸IN THE AIRというお店があって、そこも繋がりで紹介していただいて、チェケラッチョ極楽御殿・都内編みたいな感じで、イベンテイターとして、DJさんも自分でオファー出して頼んで出てもらって、っていうようなことも自分で全部やってまして。

イベントを作っていったりとかそういうことをこれからもやっていきたいですし、両立はさせたいと思ってるんですね、DJとアイドル活動っていうのを。

アイドル活動も、やっぱり私なんか年齢行ってますし、49歳とかね、もう結構遅咲きもいいとこだろうっていうふうに皆さん思っていらっしゃると思いますし。皆さんみたいにモデルのような、すごいスタイルがいいとかね、特別美人とか全然自分はそういうわけでもないので、それなりの年齢で体型もぽっちゃりしてる感じで、おばさんですっていう、見た目もこう、やっぱりアイドルで売るのはどうなの?って思ってる方もいらっしゃると思うんですよね。

ただ、結構そういう界隈で私のことすごく応援してくださるファンの方が有難いことにどんどんどんどん増えてきまして、ライブ見に来てくださった方が、もうファンを通り越してマネージャーになりますってサポートしてくれたりとか、結構そういうのがここ1ヶ月2ヶ月であって、すごいみんな応援してくださってまして。

自分でも欲張りなんですけど、アイドル活動やったり、DJ活動やったり、本業のカウンセラーも頑張ったりとかですね。

あと私、劇っていうか朗読を自分で台本書いたりするんですけれども。そういうイベントにも何回か出させていただいて、朗読っていう独特の世界っていうのも今後やっていきたいとか、いろいろやりたいことがありまして。そういった感じ。欲張りなんですけど、全部まんべんなくやっていきたいですね。

くじらぐも:
幅広くやられてるんですね。

ぽんぽこまりー:
ですね。だからいっぺんに全部することができないですし、身が一つなので、1個1個、今このときはアイドル活動頑張ろう、このときは朗読のやつ書いたし頑張ろうとか、DJをこのときにやろうとか期間を決めてですね、1個1個やっていこうと思ってます。

今はお店なくなっちゃったんですけど、新高円寺にパンクキャッツってお店があったんですけれども、そこでバンドのときにライブやらしてもらったりとか。私絵も描くんですけれども、そのお店でグループ展をやらせていただいたりとかしまして、いろいろ作品を展示してくださるっていうところがあったんですけれども。

そういった具合で、絵も描いたりとかですね、結構やりたいことが多すぎちゃって、まとめるのがすごく大変なんですけど。まあそれを1個1個やっていけば、できなくはないのかなと。

私、もう成人してる子供が2人いるんですよ。なので、子供が成人してから、自分がやりたいことがどんどんできるようになってきたっていうのが、40過ぎてからですね。皆さんやっぱり若いときにね、やりたいことができる方もいらっしゃれば、私みたいにちょっといろいろ事情があって、若いとき、自分で言うのもなんですけど苦労をしたりとかね、もうできる環境じゃなかったって人も、もちろんいらっしゃると思うんですけれども。

やっぱりいくつになっても、やりたいなって思ってることは、全然40過ぎてからもDJできるし、朗読とか書いたりできるし、アイドルやりますって宣言したら応援してくれる人が増えたりとか、そういうこともできるので。皆さんはいろいろ諦めないでチャレンジ、年齢とか関係なくしていってもらいたいなっていうような気持ちではありますね。

くじらぐも:
40代になって、気持ちの面で、ガツガツ活動ができるのはどういう理由だとお考えですか?

ぽんぽこまりー:
ちょっと深いというか、そういう話になっちゃうんですけれども。私、兵庫県に生まれたんですよね。今は標準語で喋ってるんで、全然関西人に見えないとか言われるんですけども。関東に出てきてかなり、30年以上経ってるのと、最初は接客販売をやってたので、関西弁だとすごく目立つじゃないですか。結構ガツガツしてるっていう印象を持たれやすくて、関西人の女性が。それでちょっとあんまりあれかなと思って、標準語にこう直して、今はこっちでやったりとかしてるんですけれども。


過去:自分が不幸だなとかそういうだけじゃなくて、どうやったらプラスに変えていけるかなっていうような感じで、常に変換してきたって感じですかね。

ぽんぽこまりー:
40過ぎて、パワーというか、やると思ったきっかけは、やっぱり幼少期が結構、生い立ちが複雑で。両親はもう他界してるんですけども、ちょっと今の仕事にも繋がってる、カウンセラーの仕事の本業にも繋がってるんですけれども、自分自身が母親からすごい虐待を受けてたんですよね。

くじらぐも:
はい。

ぽんぽこまりー:
それは何なんでかって言うと、口唇裂っておわかりになりますかね。元々生まれつきの奇形みたいな感じ、顔面奇形なんですけれども。

くじらぐも:
はい。唇が途切れてるみたいな。

ぽんぽこまりー:
そうですね、ウサギみたいな口で。そういう奇形の状態で生まれるっていう状態で、私は生まれてきたんですね。で、うちの母親ってのがすごく完璧主義の人でして。自分の子供が障害を持って生まれてきたっていうのが認められなくて、全部それがもう反動で暴力に繋がるっていう、私をこう殴ったり蹴ったりっていうのに繋がっちゃったっていう感じだったんでしょうね。

で、うちの父親が、もう亡くなってるからあれなんですけど政治家だったんですね。そういった繋がりで、お母さんは結構貧乏な家庭で生まれて、政治家の人と結婚してお金持ちになって、みたいなことだったんですけれども。政治家って、仕事がうまくいってるときはいいんですけど、選挙とか受からなくなったら、はっきり言って借金、選挙に例えばすごくお金かかったりして借金を背負ったりとかするわけですね。

ちょうど私が小学校1年生、2年生ぐらいの時に父親が仕事うまくいかなくなってしまって、それまでお金持ちだったのが、どんどんどんどん転落していっちゃったんですね。仕事がないっていうような状態で。

結局もう、うちの父親っていうのがお酒に溺れるようになってしまって、もうアル中みたいになっちゃったんですよ最後。政治家だったのも、もう全然仕事もなくなっちゃってっていう状態で。それで母親も精神的にもおかしくなってしまって、もうさらに暴力、子供に手をあげるってなったりとかして、どんどん家庭崩壊みたいな感じになってしまったんですね。

くじらぐも:
はい。

ぽんぽこまりー:
そういうこともあって、小さいときは鼻が曲がってたりして、手術して今わかんないって言われるぐらい、よく見ると今でも曲がってるんですけれども、そういう状態で。容姿でやっぱり、顔面で結構、小学校からもういじめられたりとか。

あと中学校は、父がもう中2で亡くなってしまったので。中1中2中3と、私全部中学校違うんですけども、親戚の家を転々としてっていうような感じになっちゃったんですね。母親も精神的におかしくなっちゃったんで、そういう病院に入ってまして。もう最後も全然私のことわかんないくらいに、かなり精神的におかしくなっちゃったんですね。で、そういう経験があって、母が実は高校3年生のときに自殺してしまったんですね。

そういうのもあって、自分が若いとき、10代20代のときにできなかったこと、っていうのを40代になって、やるようになりました。こういうような経験もすごく繰り返してるけども、それでも立ち上がって、みんな私と同じか、もしかしたらもっとひどい環境にいる人もいるかもしれないけど、こういう生い立ちの人も、ここまでこう自分でも頑張ってやってるよっていうのを、見てもらいたいっていうのもありますし。そういう所がある人も、自分もやれるんだよっていうふうに思ってほしいんですね。

くじらぐも:
ありがとうございます。幼少期から高校生の頃まで伺ったんですけれども、その後、環境が変わるようなことっていうのはあったんですか?

ぽんぽこまりー:
先程も言いましたけど、私、兵庫県出身なんですけど、東京に出てくるきっかけっていうのが、実は3個上に兄がいたんですね。今はちょっともう行方がわからなくなっちゃったんですけど、事情があって。

私元々、何で東京出てきたかっていうと、コピーライターにすごい憧れてて。高校のときに部活は放送部に入ってたんですけども、朗読だったりとか、そういうラジオ番組ですね、今で言うカセットテープで作るようなラジオ番組なんですけれども、それにちょっとのめり込んで、制作をするようになったんですね、そのときに。それで、コピーライターになりたいと思って。

高校のときに1回、高校の放送部でNHKの全国大会に出るっていうきっかけをもらって。自分が書いたラジオ番組の台本が、NHKのコンクールで3位の賞をいただいたんですよ。それで自分がそういう台本を書いたりとかコピーライターとか、広告関係の仕事を見つけたいっていうふうなことを思って。それで、東京に兄が出てきたら、そういうジャーナリストの学校に行かせてあげるっていうことで、出てきたんですね。

ただ先ほどもお話ししましたけども、母がそういった死に方してしまったんですけど、死んだときには保険が、色々温情で出たんですね。兄がそのとき成人してて、21か22ぐらいだったんですけれども、兄がそのお金を全部引き継ぐことになったんですけれども、そういう話で東京に出てきたんですが、兄がお金を持ち逃げして失踪してしまったんですよ。

それで私ももう、高校卒業してしばらく関西にいたんですけども、そこから、もう右も左も誰も知り合いいない、東京で1人ぼっちになっちゃったんですね。友達もいないし、親戚ももちろんいないしっていうことで。さあどうしようと思って、これだけじゃもう、生きていかなきゃいけないしっていうことで、学校はもう2年制だったんですけども、辞めざるを得ない、お金がなくなっちゃって。

それからもう、パチンコ屋で住み込みで働いたりとかですね、自分が生きていくためには、家を提供してくれるようなところを、住み込みさせてくれるところで働いてっていうのをやってたんですね。

やっぱり自分もそのとき、10代20代とか一番きつかったですかね。ただ、困った時に何かしら助けてくれる人が必ず現れるんですね。いろいろ手を差し伸べてくれたりとか、そんな事情があるんだったらこっちに来なよとかって、すごい助けてくれる人とかが必ずいて。やっぱりそういうのがあったので、自分はこう生きて、人に支えてもらって、今までやってこれたんだろうなっていうふうに思いますね。

くじらぐも:
そういった経験を経て、今のご自身に影響されているなということはありますか?

ぽんぽこまりー:
影響というか、やっぱり虐待とかですね、そういった思いって、経験したものじゃないとわかんないってのは正直あるんですよね。そのカウンセラーという今の仕事を、自分でも天職だと思ってるんですけれども。そういう事情があって心を病んでる子供たちとか、子供に限らずに、年は関係ないんですけれども、そういうことで社会貢献じゃないですけども、お話を聞いていくことで、その人がちょっとでもこう、生きてたいとかね、そういうふうに思っていたりとかしてくれたら嬉しいですし。

あと、バンドでも慰問ライブみたいなのやったことがあって。デイサービスで、ご老人の前で昭和の懐かしい曲を歌ったりとかですね、そういうボランティア活動みたいなのをちょっとやったことありまして。そういった活動を一生懸命やっていくことで、ちょっとでも楽しいなっていうふうに思ってもらいたいなっていうのはありますね。

くじらぐも:
30代以降はどうでしたか?

ぽんぽこまりー:
私、実はバツ2で、2回離婚してるんですね。子どもたちは、2番目の夫の子どもなんですけども。今思えば自分も悪いとかあったと思うんですけれども、30代以降、そういうのでかなり苦労もしたので。

今カウンセリングやってる上で、夫婦関係、離婚問題とか、そういうのもちろんあるので、そういったところもね。そういうので、自分の経験を生かしてできないかっていうのを、常にマイナスをプラスに変えて考えれる、チェンジする力が自然に付いたというか。自分が不幸だなとかそういうだけじゃなくて、どうやったらプラスに変えていけるかなって考えて、常に変換してきたって感じですかね。

くじらぐも:
なるほど。ご自分の性格は、どんな性格だと思いますか?

ぽんぽこまりー:
性格は、自分ではね、結構暗いところもあると思ってるんですけども。周りからは、明るいとかね、朗らかだからすごく安心するとか、すごい言っていただけるんですけども。でも結構悩んだりとかね、しますし、もちろん。くよくよすることもありますしね、全然普通の人間なんでね、特別でも何でもないんで。でもやっぱり、一番自分の長所っていうのは、諦めないことですかね。何事もね。諦めないですね。とにかくそれが、性格というのか、諦めないですね、とにかく私は。

くじらぐも:
これまでとか今の生活の中で、幸せだなと感じた瞬間って、ありますか?

ぽんぽこまりー:
子供たちの成長はもちろんなんですけども。やっぱりこう、ライブとかに来てくれた方がすごく仕事で疲れてたり、いろいろね、プライベートで落ち込むことがあったりして、こうガクッとなってて、私のライブとか来てもらって、いやもうすごい元気もらったとか、すごく癒されたよっていうようなことを言って、楽しんでもらうことが、一番自分も幸せだなって思いますね。

くじらぐも:
ぽんまりさんが活動をする原点って、人に楽しんでもらえることなんですかね?

ぽんぽこまりー:
そうですね。自分も若いときに、楽しいことなんて何にもないみたいなこと、思ってた時期ってあったんですよ正直。なので、何か趣味みたいなのを、音楽が好きでも何でもいいんですけど、自分もカラオケ好きとかね、そういうのを、ちょっとでも楽しいっていう思えることを提供したいなっていう気持ちでおりますね。

くじらぐも:
今の達成度って、どれくらいになりますか?

ぽんぽこまりー:
そうですねー。達成度はまだまだどれくらいとか言えないくらいですね。アイドルと言っても、去年始めたばかりで、私まだ持ち歌が1曲しかないので。バンド時代に作った曲が1曲あるんですけども、私アレンジとかそういうとこまで詳しくないので、ありがたいことにお友達のね、音楽家の方とかがアレンジしてくれたりしてるんですね。そういったことで、私は周りがすごく良い方が多いのでね、本当助けられてるっていうのがありますよね。感謝感謝感謝ですね。

くじらぐも:
今、過去のご自身に声をかけるとしたら、どんな言葉をかけられますか?

ぽんぽこまりー:
10代のときの私に声をかけるとしたら、今の苦しい気持ちはずっとは続かないよと。楽しい50代が待ってるよっていうふうに言いますね。はい。今年で50なんで私。

くじらぐも:
過去を一言で言うと、どんな言葉になりそうですかね?

ぽんぽこまりー:
過去はもう、自分で言うのもなんですけど、「苦労」ですかね。

くじらぐも:
それに対して、今、一言で言うとどうなりますか?

ぽんぽこまりー:
「喜」、喜ぶっていう字ですかね。一言で言うと。

くじらぐも:
今は性格が明るいとよく言われるとのことですが、昔はどんな性格でいらっしゃったんですかね?

ぽんぽこまりー:
やっぱりその生い立ちとかもね、ちょっと酷かったので、PTSDみたいなのをすごく自分は持ってたんですよね。コンプレックスもありましたし。親のことで、心的外傷、ストレスみたいなのもすごくあったので。昔はかなり根暗だったと思います。表には出さなかったし、周りからはかなり明るいと思われて「能天気ぱーこ(ぱこ)」ってあだ名が付いてたくらいでしたけど。素は根暗でしたね。てか今も根暗な部分ありますしね。難しいですけどね、でもそれを乗り越えた先には、待ってることもあるので、自分で扉を開くことができるようになりますけどね。

そのとき苦しくても、やっぱり人間って成長していくじゃないですか。失敗を繰り返し、こういうふうに積み重ねて、あんとき駄目だったなっていうのを反省と繰り返しながらですね、こう生きてくじゃないですか。昔は苦しかったけどっていう、私よりもっとひどい環境だったりする方はいっぱいいると思うんですね、児童養護施設とかね、現在入ってる方とかもちろんいらっしゃいますし。だからそこで、何かこう、やさぐれて欲しくないなっていう、そういう子たちとかね、いろんな苦労した人生の方で、自分はどうせ、みたいなふうに思って欲しくないなっていうのはありますね。

くじらぐも:
40代のお話に戻りたいと思うんですけども、カウンセラーのお仕事に出会ったきっかけはなんですか?

ぽんぽこまりー:
カウンセラーを目指したっていうのはですね、私の友人がきっかけですね。派遣の仕事とかも私やってたんですけれども、そのときにすごく仲良くなった子がいたんですね、私より5歳か6歳ぐらい年下だったんですけれども。その子とちょいちょいLINEとかしたりとかしてて、ある日、ぱったりラインが来なくなっちゃったんですね。どうしたのかなと思ってたら、その子が突然死で亡くなっちゃったんですね。

その繋がりの方と、あの子全然最近LINEくれないんだけど、どうしたかなーなんて言ってたら、あの子亡くなったらしいよっていうのを聞いたんですね。それでびっくりしちゃって。いやそんな人間って簡単に命が、突然死ってことも、やっぱり自分も絶対ないとは言えないですし、何かそういうことがあるのかと。

遺された家族って、突然死とかもうショックじゃないですか。どうしたらいい、どこにぶつけていいかわかんないっていうような気持ちでいらっしゃると思うんですね。自分もね、母親の自殺だったりとか、あと実は友人もね、自殺して亡くなったりとかしてるんですね私。なので、その辺のストレスっていうのはすごく重大な問題で。

私は日本人の国民性として、人に相談したら申し訳ないとかね、結構迷惑かかるんじゃないかとか、そういう国民だと思うんですよ日本人って。誰にも相談できないっていうので、死を選んじゃったりとかね。そういうのがあると思うんですけど、ストレスとかそういった、誰にも言えないっていうようなことを言える存在になりたかったっていうか。そういうので、40代になってカウンセラーって仕事を選んだっていう感じですね。

くじらぐも:
カウンセリングの仕事をやってみて、どうですか?

ぽんぽこまりー:
めちゃくちゃ大変です。

くじらぐも:
ええ。

ぽんぽこまりー:
もう精神科って、変な言い方すればもう死にたいっていう人が、たくさんいらっしゃるんですよね。来るだけでもやっとの思いで、もう這って来たみたいな方もいらっしゃれば、なんでこんなとこ来なきゃいけないんだ、家族に連れてこられてっていう方もいらっしゃれば、いろんな方がいるんですけれども。

自分でもここまで大変なんだなっていうのは、覚悟はしてましたけど、やっぱりめちゃくちゃ大変なんですよ。ただ、ちょっとでもその人が、最後もう一瞬だけでも笑顔になってもらえたら、もう本当にこっちのもんだなっていうふうにいつも思ってて。

実際通っていただいて、本当にカウンセリング受けて良かったって言って、もう本当に出会えてよかった、あなたがいなかったらもう私はどうなったかわかんないっていうふうに言ってくださる方もいっぱいいるし。あと自分もカウンセラーになりたいですって言ってくれる人もいるんですよ。すごくひどい状況の、家庭環境の方なんかも、いらっしゃるので。リストカットでもう手がボロボロの方も、10代とかでもそんな状態の方も来たりとかですね。

いくつになっても希死念慮が取れないっていう、死にたいんですっていう方がもう、結構な人数で来られるんですけども。その方々も、1日で多かったら6人7人とか聞かなきゃいけないんですけれども。ここまで大変だなっていうのは、正直覚悟はしてたけど、自分もどうしてあげたらよかったのかな、本当に自分がこうやって、ちょっとでもその人が踏み出すきっかけを作ってあげれたのかなっていうのは、いつも自問自答してますね。

くじらぐも:
死にたいとおっしゃっている方には、具体的にどんな言葉をかけられるんですか?

ぽんぽこまりー:
まずもう、今日出会えて、今話してくださってることに感謝ですよっていうことを、よく来てくれましたね、ということを言いますね。私が今ここまでいろいろ話を聞いて、私はあなたに生きて欲しいと思いますよ、実は私もこういう経験してるんですよって言うことで、やっぱみんな驚かれたりとかね。先生もそんな経験されてるんですか、と言う方もいらっしゃるんですよ。自分なんかもう、先生に比べたら全然じゃないですかとかね、言ってくださる方もいるんですけど。よくここに来てくださいましたねってことは必ず言いますね。

くじらぐも:
カウンセラーのお仕事で、今後、こうしたいなというものってありますか?

ぽんぽこまりー:
カウンセリングだけだと、どうしても補いきれないところは正直あったりすると思うんですけど。どうしても精神的に、ある程度は投薬治療っていうのも一つの手じゃないですか。ただやっぱりそこじゃないと私は思ったんですよ。自分もその、実は20代の時とかね、どうしても不安定だったときにお薬もらったこともありましたし。

人間、ちょっと疲れてきたり、心が荒んできちゃったとかね、そういうときはお薬が必要なときはあると思うんですけど、ただ、そういった精神的な薬ってすごく強いんですよ。副作用で太っちゃったりとか、余計に頭が混乱しちゃったりとかもあって、本当によくないんですね。なので、根本的な治療とかね、そういうことをカウンセリングも含めて、できるだけ薬を飲まないで回復してほしいなっていう気持ちはありますね。

なので、自分もいろいろ考えてたんですけど、カウンセリングをやりながら、音楽イベントやるとかね。こういう、いろんな融合で、話を聞く場所があって、+イベントで楽しんだりできたりとかね、そういうのがあったらいいですねって、そういうのやってみたらどうかなって考えてます。


未来:今やってることを、いつまで経っても変わらないねって言われることが一番ですかね。

くじらぐも:
これから5年後10年後、あるいは死ぬときまで想像してみて、未来についてどんなイメージを持たれますか?

ぽんぽこまりー:
正直、皆さんが思ってらっしゃるカウンセラーって、結構稼いでるんでしょうとか、そういうイメージが、もしかしたらあるかもしれないですけど、全然稼げないんですよカウンセラーって実は。全然普通の会社員ですし、そんな給料なの? ってびっくりされるくらい、安月給なんですけども。ただ、自分もどんどん年老いてきて、仕事できるかなとか、そういう不安もあったりとかですね、いろいろあるんですけども、未来。そうですね。何年後かにも自分が歌を歌ってたりとかですね、年を取ってもおしゃれしたりとかですね、そういう感じで、自分らしく生きれてたらいいかなと思いますね。

くじらぐも:
ぽんまりさんにとって、自分らしい状態っていうのはどんな状態ですか?

ぽんぽこまりー:
今やってることを、いつまで経っても変わらないねって言われることが一番ですかね。

くじらぐも:
今している活動の目標みたいなのってありますか?

ぽんぽこまりー:
もうアイドルをせっかく始めたからね、本当に紅白出たいぐらいの勢いですね(笑)

くじらぐも:
うんうん。

ぽんぽこまりー:
国民的アイドルになりたいなと思います。

くじらぐも:
国民的アイドルには何歳ぐらいになっている予定ですか?

ぽんぽこまりー:
今年50で、アイドルは1年前に始めたので。そうですね、国民的アイドル、70歳ぐらいですかね(笑)自分が、例えば寿命が75歳ぐらいだったら、死ぬ5年ぐらい前に国民的アイドルになれればいいですかね。はい。

くじらぐも:
ぽんまりさんにとっては、未来は明るいものですか、暗いものだなと思いますか?

ぽんぽこまりー:
もしかしたら、暗くなっちゃうのかもしれないんですけど。やっぱ今までも自分が結構逆境に負けないで笑い飛ばしてきたっていうのがあるんで、未来は明るいと信じてます。

くじらぐも:
これからの人生で、これだけはやらずに死ねないなということはありますでしょうか?

ぽんぽこまりー:
結構もうDJやったり、自分の好きなことやってて、写真集とかも出してるんですよ私、グラビアで。なので、そうですね、なんだろうな。思いつきで、パッと楽しいことをやっていられたらいいなと思いますけどね、その都度その都度。

なんかね、自分もちょっと、私、今のカウンセリングの仕事で発達障害の方の話とかもすごい聞いてるんですけども、あるじゃないですかADHDとかASDとか。自分もちょっと、ADHD傾向だなっていうところがすごく実はあってですね。患者さんとかも、自分発達障害なんですよとかね、そういう方もおられるんですけど。あっ大丈夫です、私もねADHDなんですよって言ってるぐらいなんで(笑)ADHD傾向な人って、結構思いつきでパッと言っちゃったりとか、いろいろスケジュール埋めちゃったりとかするんですけども。

発達障害、障害ってついてるんですけど、障害だと思わないで、個性だと思ってほしいんですよね。それを全然活かした職業っていっぱいあるんですよ。例えばカウンセラーなんてもう最適です。

ADHDとか発達障害で悩んでるんですよって言われて、私もそうなんですよ、でも全然カウンセラーできますよ、とかっていう感じで。ええっ?てみんな驚かれるんですけど。先生がADHDなんて本当ですかなんて言われるんですけど、私多動ですねとか言って、笑ったりとかして、もう結構すっきりしたとかね。そんな、普通のことなんだなっていうふうに思ってくれる人が多いですかね。そんな感じで毎日やってます。

くじらぐも:
なるほど。もしも、お金も時間も無限にあるとしたら、明日は何をしたいですか?

ぽんぽこまりー:
お金がめちゃくちゃあるんですか。そしたらもう、そうですね、8時間とか縛りがないってことですよね。うーん。私、実は海外旅行とか1回も行ったことないんですよ。日本から出たことないんですね。そしたら、海外でちょっといろいろ活動したいですかね。英語とかもちょっと勉強してね、いろいろ活動とかしたいですね、機会があれば。

くじらぐも:
海外でどんな活動をしたいですか?

ぽんぽこまりー:
音楽活動、DJとか歌ったりとか、あと絵を描いたりとかね、できれば嬉しいですし。いろんなことにチャレンジしたい、デザインとかもやりたいですし、絵を描いてね、自分で言うのも本当変なんですけど、手先が結構器用なんですよ。自分でハンドメイドの作品を作って売ろうかなと思ってるぐらいなんで。アクセサリー作ったりとか、そういうのでも販売とか、時間が無限にあったら、そういう時間に使えますし。お金があったら自分のプロデュースっていうか会社も全てできますし、本当にそういう個人事業主として、作品作って、歌うたいながら生活したいですね。

くじらぐも:
やりたいことが無限に出てきますね。

ぽんぽこまりー:
そうなんですよ。困ったことに、子供が成長して手が掛からなくなったら、どんどんやりたいことが出てきちゃって(笑)お人形を作るのが好きなんですね、ぬいぐるみみたいな。そういうので、結構作品、アクセサリーも興味があって、自分で作ったりとかしますし、レジンアクセサリーとか。

あと100均とかで材料を買ってきて、高く見えるようにどんだけ作れるかとかやったりするんですね。イベントで実際買ってくれたりとか、そういう人もいるんですけど、アクセサリーとか作ったって言うと。結構いろんなことにチャレンジしていきたいなっていうのはありますね。

くじらぐも:
もし、お子さんがいなかった人生だとしたら、今されてることって前倒しになっていたかなって思いますか?

ぽんぽこまりー:
いやー、なってなかったかと思いますよ。子供がいるいないにかかわらず、やっぱり自分も人と違うんだなとか、そういうトラウマ的なものがかなりあったので、若いときって悶々としてた時期って、すごい長かったんですよ。なので、子供がいるいないに関わらず、DJとかやり始めたのは40過ぎてからだと思います。多分、おそらく。

くじらぐも:
今お話してすごく、やっぱり私も明るい方だなって思うんですけど、明るくなったのって何歳ぐらいからなんですか?

ぽんぽこまりー:
やっぱり子供を産んでからですかね。ある一定の時期を過ぎて、悩んで、嫌だなと思いながら生きるのがもう疲れてきちゃって。人生って1回しかないじゃないですか。それで落ち込んだりとか、長く鬱々としてたらつまらないですよね。なんで、結構やもう本当にDJも、40過ぎてからですかね、人生楽しまないと、あと何年生きるかわかんないなぐらいの勢いで。

兵庫県出身で、阪神淡路大震災とかもありましたので、そのときに友達も何人か亡くなったりしてるわけですよね。阪神大震災があったときって、私達の世代がちょうど成人式の年だったんですよ。私がちょうど20歳のときに。1月の17日っていう、3日前ぐらいに成人式をやった人たちが、3日後に亡くなってるわけです。で、もう、20歳の記念に、成人式で撮った写真が、そのまま遺影になってる方もいらっしゃるわけです。

そう考えると人生楽しく、落ち込むことも未だにありますけど、残り何年生きれるかなって、病気にならない保証もないですし、そういうのを考えると、自分の人生最後はね、死ぬとき笑ってたいですよね。

なので、ある一定の時期を過ぎて、子育てを経験して、そういうふうに思うようになりましたかね。私の人生、ずっと落ち込んでていいのかなみたいな、悩んでていいのかなみたいな。悩みなんかもう誰でもあるし、大丈夫でしょみたいな感じで思ってた方がいいんじゃないかなって思うようになりました。

くじらぐも:
なるほど。もしもの質問ですけど、もしも、ぽんまりさんの生い立ちが円満な家庭であったなら、今の生活はどんなふうに違ったと思いますか?

ぽんぽこまりー:
あのまま、親が政治家で、金持ちのまんまで、何も世間を知らない人になってなくてよかったなと思っています。悲しかったりとか苦しい思いって、経験しないとわかんないんですよ。だからこそ今、苦しい人の気持ちをわかってあげれる自分がいるので。もう何もわかんない、人の痛みもわからない、お金出せば愛も買えるんでしょ、っていう人にならなくてよかったと思ってます。

くじらぐも:
なるほど。今のぽんまりさんの生活は100点満点中、何点ぐらいですか?

ぽんぽこまりー:
うーん、50点ぐらいですかね。

くじらぐも:
残りの50点は、何をしたら埋まりそうですか?

ぽんぽこまりー:
まりーちゃん、まりーちゃんとか、もっともっとファンが増えたら嬉しいですね(笑)

くじらぐも:
なるほど。では、インタビューも終わりとなりますけれども、言い残したことであったりとか、読者の皆さんに伝えたいこととか、何かありますでしょうか?

ぽんぽこまりー:
諦めなければ何でもできますよっていうことを言いたいですね。

くじらぐも:
あとは大丈夫ですかね?

ぽんぽこまりー:
皆さんに笑顔で頑張っていただきたいなって思います。それだけですね。

くじらぐも:
ありがとうございます。

ぽんぽこまりー:
ありがとうございます。

あとがき

先日、「シリアルキラー展」というものに行ってきました。連続殺人鬼の罪状と、本人が描いた自画像や絵画を淡々と展示しているものだったのですが、どの人ももれなく生い立ちが荒んだものでした。
遺伝による特質、環境で変わる性質。いろいろあると思いますが、今回のインタビューで「どんな大人になるかって本当に人それぞれなんだなぁ」、ということを心から感じました。ぽんまりさんは、楽しい遺伝子が春真っ盛りですね!これから応援させてください!

【インタビュー・編集・あとがき:くじらぐも】

【編集:なずなはな】

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