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ここにいても何も得るものはない自分の心の思うままに生きようと正社員を辞めた何かを始めるのに年は関係ないなと思うアスペルガー症候群のwebライターの人

皆さんは夢を溶かしたことありますか? この職業に絶対になりたい、クリエイターになりたい、憧れの人と付きあいたい。夢を叶えたい。
でも諦めた。
そういうこと、ありますか? 人生はさ、100%さ、夢叶うと思う?
誰しもが夢の一部を妥協して叶えたことにして、夢の大半を溶かして、そしてなかったことにしてるんじゃないかな。
これってこれはこの時代の病かもしれないじゃない?
yume ga nai to ikenai みたいな世界観。ふうん現代。
私も夢を捨てたことがある(かもしれない)ボーイです。
さはさりながら、暑い夏です。皆さま水分補給してくださいね。
今は、死ぬまでには到底知り尽くせないほど大量の情報が、インターネットという道具によって手に入れられる時代。こういう時代に、何かをこのタイミングで諦めたりとか、そういうのってまあ、あんまり意味がないのかなって思います。いつ始めても、いつ終わってもいいじゃん、ってね。
今回の無名人インタビューも皆さまの人生行路の方位磁石になりますことを。(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは 光丘月乃 さんです!

現在:本当にバラバラな経験を積んできたんですけれど。もしかしたらこのライターの仕事で生きてくる経験もあるかなと思って、今続けてるんですね。

qbc:今、何をしている人でしょうか?

光丘:私は今、アルバイトをしながらwebライターをやってる者です。
正社員で勤めていた経験があるんですれけど、物を書く仕事をするのが昔から夢としてありました。
副業でライターを始めてる方もかなりいて、夢のままで終わるのは嫌だなと思って。
ダブルワークという道を選んで、アルバイトをしながらライターとして修行を積み、仕事をしていくという形を選んで、今いろいろやってるんですね。

qbc:ライター1本が理想ですか?

光丘:うーん、でもライターといっても、こうして人と話したりとかはそんなになくて、調べて記事を書くっていう形を今は取ってるので。
まあ打ち合わせとかで担当者の方とお話するっていうのはあるんですけれど。まあ基本的にWordPressで記事を落とし込んだり執筆をしたりっていう作業が中心になるので。
今のアルバイトは人と関わって体も動かすし、そういう仕事もやりつつも、ライターとしての仕事で経験を積みたいなっていう。
そういう道が自分には合ってるなって最近思えてきたんですね。

qbc:アルバイト兼ライターになったのは、いつ頃からですか?

光丘:ライターを副業として始めたのが、今年の3月です。
その頃はまだその前職で正社員だったんです。ただ前職では、上の人とうまくいかず結構なストレスがありました。
だとしたら、どんなに茨の道でも自分のやりたかった仕事に力を入れて伸ばしていくのが一番かなと思ったんですね。

qbc:なるほど、すみません、年齢をお伺いしてもよろしいですか?

光丘:もう35なんですね。

qbc:なるほど。今年の3月より前に精神的に爆発するタイミングとかって、なかったんですか? もうこの仕事辞めてやる! みたいなタイミング。

光丘:今までいろいろあったんですけど、(退職を)何度か引き止められていたんです。
ちょっとした田舎の小さなブラック企業で人もいなくて。上の方もかなり癖がある方で「(人手不足だから)誰かを辞させたくない!」っていう気持ちがある人でした。結果的にその人とはうまくいかなかったんですけどね。

qbc:率直に言って、今のアルバイト兼ライターの気分はいかがですか?

光丘:まだまだ学び足りない部分はあるんですけれど。ライターの先輩や編集者の方といろいろ話してて、勉強にもなりますし楽しいなっていう思いがありますね。

qbc:楽しいっていろいろあると思うんですけど、どういう楽しさですかね?
宴会で騒いで楽しい、とは違うと思うんですけれど。

光丘:ずっとさかのぼると、小学校の頃なんですね。学級新聞や文集づくりに関わったのが原点です。
中学校から高校でも、学校新聞でインタビューを誰かにしたりとか。もう昔から文章に関わっていました。
大学でもレポートをたくさん書いたりとかして楽しかったんですけれど、就職活動となると、出版社とか新聞社はすごく厳しく狭き門で、やはりうまくいかなかったんです。

qbc:なるほど。

光丘:これまでまったく関係ない仕事をずっーとやってきて転々としてきて。
ある時、ブログやライターで稼いでる方とかが結構現れているのを偶然知ったんです。「あ、もしかしたら私も頑張ればいけるんじゃない?頑張れば収入を伸ばせたりできるんじゃないかな」と思って始めたんですね。

qbc:webライティングのお仕事を知ったの経緯っていうのはどんなものだったのでしょうか?

光丘:確か今年の初めぐらいだった気がします。
きっかけはよくは覚えてないんですが、今の仕事がちょっと嫌になって、資格でも取って別の仕事をやろうかなと思ってネットで検索したとき、たまたまwebライター講座っていうのを見つけました。会社員の方とか主婦の方もwebライターやってますよ、みたいな記事を見て。これはいいなと思って、私も頑張りたいなって思ったんですね。
あとは、二つ目の仕事を辞めたときに、発達障害(アスペルガー)の診断をされて、今後の道を模索してたところもありしてました。
で、前職はもう7年間勤め上げたんですけど「この会社を人生最後の仕事にしたら後悔する」と思ってた矢先にライターの仕事を知ったんですね。

qbc:はい。

光丘:前の会社は、上の一部の上司以外はすごくいい人が多くて、なんとか続けられたっていうのがあったんですけど。ちょっとトラブルというかいろいろありまして。
発達障害、介護の仕事、病院の看護助手、ホテルの正社員など…
今まで本当にバラバラな経験を積んできたんですが、もしかしたらこのライターの仕事で生きる経験もあるかなと思って、今続けてるんですね。

qbc:今、不安はありますか?

光丘:継続の案件をいただいてますけど、それがずっと続くとは限りませんし。
自分で仕事を取りに行くっていう形にはなるんですけれど。逆にそれが、自分を成長させる行動なのかなって思ってますね。

qbc:ご自身では、自分はどういう性格だと思われますか?

光丘:すごく、口下手。口下手というか話下手っていうか。

qbc:口下手は、表現の部分じゃないですか。以前インタビューした方で、場面緘黙症の人がいたんです、小学生の時に。でも、その方は自分の性格を負けず嫌いって言ったんですよ。
表現できるできないと性格は、関係があるけど、必ずしも原因と結果の関係ではないなと思って。

光丘:私の場合、あまり自信が持てないっていう性格もあります。
あと、さっき話したアスペルガーの関係で、一つのことに集中すると、周りが見えづらくなるとか、今もライターの仕事やってると家族に呼ばれてたりしても気づかなかったりとか、結構あって。
ホテルの事務とか清掃の仕事をやっていて、作業に集中しすぎて同僚とか上司に呼ばれても、気づくのが少し遅れたりとか、あったんですね。

qbc:それは、ご自身の中では悩みなんですかね?

光丘:いや、場面にもよるんですけれど。今は基本的に家でライターの仕事やってるんで、家族も私のアスペルガーの事を知ってるので、今は大丈夫ですね。

qbc:今、一番楽しいことはなんですか?

光丘:今楽しいことは、まあ普段の生活を楽しむことですね。
読書、愛犬の散歩、スポーツジム通い、買い物とか。
本当にもうそんなにお金があるわけでもないんであまり贅沢はできないんですけれど、そういうささやかな幸せが身近にあるのは嬉しく思います。
あと、文通やってるお友達が遠くに住んでて、その人たちと月1回ぐらいのペースで手紙を交換することですね。

qbc:リアル紙でやる文通ですか? 切手を貼って。

光丘:そうです。

qbc:文通相手はどこから探されたんですか?

光丘:文通相手募集の掲示板とか、あと紙で送られてくるメルマガみたいなものがあって。日本郵政が出してるリーフレットみたいなのに募集がのってたりとか。それで見つけましたね。
住所とかは交換したい人にしか公開されないので、安心して使ってました。

qbc:それは、いつ頃からですか?

光丘:ここ3ヶ月の間に始めた人もいれば、もう1年以上続けてる方もいますね。
文通自体の利用は、もう2年以上ですね。

qbc:文通の楽しさって、なんですかね?

光丘:いろいろな便箋のデザインとかシールとか、文具が結構好きです。この便箋かわいいなとか、この色のペン素敵だなとか、手紙の内容ももちろんそうなんですけれど、それを見るのも、楽しみの一つですね。

qbc:やりとり自体に関しては、どんな楽しさがあるんでしょうか?

光丘:文通相手の人、同じ趣味の読書とか、この本読んだよとか、うちのペットにこんなことがあったとか、こういう漫画が面白かったとか、そういう。
文通相手の人たちも私にちょっと似てる部分があって。仕事も住んでる場所も全く違う人たちなんですけれど、その世界を知るのが楽しいなっていうのがあります。

qbc:インターネットと文通、どっちが良いですか?

光丘:私、パソコンで打つのも好きなんですけれど、手書きで書くのも好きです。
今のバイトには駐車場を見る仕事があるんですが、その時は暇な時間が多少あります。お客様が来ない時間に、「この記事はこういう見出しを付けよう」とか、メモ書きで案を練ってます。
ちょっとした時間に手書きで何かを書いたりとか、あと日記も2年ぐらいはつけてますね、手書きで。手書きでもパソコンでもどちらでも好きなんで。

qbc:日記は、どういった内容ですか? 筆記用具とかは?

光丘:いや、日記は本当にさらっとこんなことがあったとか、いい天気だったとか。
日記帳は、通販で買った本当に分厚い3年日記っていうのを今使ってます。
そんなに一度に長く書けなくても、1日1回手書きで何か書こうというこだわりがあります。

過去:今は細々と好きな仕事もやれるし。自分の家族や親戚とか自分の時間も大切にできるので、今が一番楽しいかなって思います。

qbc:子供の頃はどんなお子さんでしたでしょうかね?

光丘:子供の頃は今よりも、おしゃべりが下手でした(笑)本ばっかり読んでいて、1人で文章書いたり、絵を描いたりとか。
友達もいたにはいたんですけれどそんな、アクティブに遊び回る子供ではなかったですね。
田舎だったので田んぼ、川とかに連れて行かれたりとかはありました。

qbc:性格でいうと、どんな感じの性格だったんですかね?

光丘:こだわりが強かったです。昔からもう。
例えば地図帳をずーっと読んでたりとか。普通の本も読みますけど。
図書館で何か1冊いいなって面白い本を見つけると、しばらく出てこなかったりとか。

qbc:情報を得るのが好き? 集中する対象ってなんだったんですかね?

光丘:活字に触れるのが好きだったんですね、昔から。
得意なことに関しては何でも集中しちゃったりするんですけれど。
学生の頃は理系の数学とか理科とかが本当に苦手で、そっちの点数が取れなかったりとか。

qbc:小中はどんな感じの子でした?

光丘:ちょっと変わった子だって言われてましたね。
自分自身では、口下手を直そうと思っても、どういうきっかけで直せばいいのかなって。
で、高校の頃、文章書くのも好きだし、新聞部に入って人にインタビューして、ちょっとずつ、大学でも友達作って積極的にできるだけ友達に話しかけたり、アルバイトを通して人に話しかけたりとかして。
本当に少しずつ少しずつではあるんですけれど、何とか直してったんですよね。

qbc:ところで、どんな本が好きでした?

光丘:読書遍歴でいうと。小学校低学年ぐらいまでは、絵本ではなくても、絵の多い本とか。漫画もたまに読んだりとかして。
で、中学校に入るとそうした本よりは雑誌や新聞を中心に読んでました。
例えばファッション誌。ファッションには詳しくないんですけど、たしかノンノとかセブンティーンとか。あと野球観戦が好きなので野球の雑誌も読みました。
あと、家に入ってくる地方紙。中高生の頃は本というよりは、新聞や雑誌の方が読む確率は高かったですね。図書館にある新聞とか雑誌も含めて。自分で買うこともたまにありましたけど。
コラムを読んじゃったりとか編集後記とかを読んでました。

qbc:雑誌を全部読んじゃう人ですか? 読みたいところだけ拾い読みじゃなくて。

光丘:モデルさんがかわいい服を着て写真撮られてるみたいなイメージなんですけど、そういう部分を見た後、活字のある部分も読んでいたみたいな感じでしたね。
あ、インタビュー記事も読んでました。

qbc:そういったところをなぜ好きになったかって、わかります?

光丘:周りの子が「モデルの〇〇ちゃんはかわいいよね」みたいな話をよくしてて。
私も話題に付いていけたらなっていう思いと、口下手を直したいっていう気持ちがちょっと前にでてきて。流行についていきたかったっていうか。

qbc:なるほど。

光丘:確か、ある女の子にもっと明るくした方がいいよって言われて。それが多分ずっと心の中に引っかかってて。
でもいきなりそんな急に明日からしゃべりましょうっていうふうにはできないから、少しずつ直していこうって心がけましたね。

qbc:noteを読むと大学は地元を離れて東京に行かれたということですが、大学生なって、変化はありましたか? 中高生の時に比べると、自由になったかなと思うんですけど。

光丘:自由な分、何ができるかっていうのを考えて。就職活動も控えてたから、もうちょっと話せるようになりたいなっていう気持ちはありましたね。
友達はいたにはいたんですけれど、うまく関係が続かなかったりとか。
あと、面接で面接官の人に不愉快な印象を与えないようにするために、模擬面接をいっぱい受けたりとかしてましたね。

qbc:ちなみに今も話すことは悩みですか?

光丘:今は、そうですね。今までやってきた仕事のおかげで、場数を踏んできたっていうのもあるんですけれど。昔ほど苦手意識はなくなってます。
でもライターとして仕事の幅を広げたいなっていう気持ちがあって、今でも職場の人、今のバイト先の人とも上手く話せるようになりたいなとは思ってますね。

qbc:大学時代ですが、特別なエピソードはありますか?

光丘:大学の外で知り合った友達もいて、その子たちといろいろ飲みに行ったり、いろいろいい経験になったなと思うんです。
普段出会うことのない、同じ学校にいたら出会うこともないはずの友達と、どんな仕事を目指してるかとか、こんな夢があるよとか、そういう話ができたのはすごく今となってはいい経験だったなって思います。

qbc:中高では学校新聞を作っていたいたということですが、大学ではどのようなことをされていましたか?

光丘:授業で雑誌を作るっていうのもやってて。ネットで知った、スポーツやってる人を取材してみるというボランティアのライター活動に参加してみたりもして。
それも楽しみの一つでした。

qbc:学生時代と社会人になってからの今、どちらが楽しいですか。

光丘:一概には比べられないですけど、今が一番ですね。
楽しいのは、派手に遊ぶとかそういうことではないんですけれど。
今は細々と好きな仕事もやれるし。自分の家族や親戚とか自分の時間も大切にできるので、今が一番楽しいかなって思います。

qbc:あ、今のアルバイト兼ライターと学生時代の比較ではなくて。
正社員時代と学生時代を比べると、どっちが楽しかったですか。

光丘:その二つで比べたら、学生時代ですね。正社員の仕事は、ホントに責任が重かったっていうか。

qbc:やっぱりそういうことですか。大学新卒後の就職は、どうだったんですか?

光丘:大学卒業後は、大手企業の関連会社の介護施設に入ったんですけれど。そこでも正社員だったんですけれど、不規則勤務っていうのもあったし、介護職で人とすごく関わる仕事だったので、もう疲れ果ててしまって。
その頃に、地元が東日本大震災に被災して、うちのまわりに大きな被害はなかったんですけれど。震災の映像を見て、原発事故もあって、自分の心も体も本当に参ってたから、地元に戻ってもう1回やり直そうかなっていう気持ちが出たんですね。
それで今の福島で働くことにしたんです。

qbc:じゃあ新卒採用のときは関東だったんですね。

光丘:妹も関東の大学に行ってる関係で、2人で住んでて。で、そこから通える職場を選びました。
それで福島での再就職が、うちの母の知り合いに看護師さんがいて、その看護師さんのつてで、看護助手に。
ちょうど震災で仕事も求職の求人の数も激減してたので、それしかないなと思って、やってたんですけど、看護師さんはとてもきつい方が多くて、1年は続いたんですけど、よく1年もったなって今になって思います。

qbc:なるほど。2011年に福島に戻り、そこから病院のお仕事をされ、病院の看護助手を辞めた後に、直前の正社員のお仕事に就かれたんですかね?

光丘:その前に、病院の仕事を辞めた後に、アスペルガーだと診断されました。
昔から持病で自律神経失調症があり、かかってたお医者さんがいまして。中学校でいじめにあって、それで精神を病んでしまっていて。そのときからかかってるお医者さんなんですけど。
その先生が、発達障害だっていう診断をして。で、就労移行施設で仕事をしないで勉強してから、前職の仕事についたって形でしたね。地元では有名なホテルで、そこの裏方で働いていました。

未来:何かを始めるのに年は関係ないなってことがよくわかったんですね。

qbc:5年後10年後、あるいは死ぬときにはみんなからこう思われていたいなど、未来に関するイメージって、今どういうふうに持たれていますか?

光丘:やっぱりライターは、何があってもずっと続けたいなって思います。
今のアルバイトは、長く続けてる方もいらっしゃるんですけれど、体を動かす仕事なのでどれくらい続けるかれるかわからないんですけれど、今の生活スタイルをしばらく続けたいなと思ってますね。
ライター活動が、もしレベルがどんどん上がってそれ一本で食べれるようになったら、アルバイトはしないでライターだけでなく、もっと幅広い仕事をして生きていきたいですね。
例えば私、電子書籍を1冊書いてまして。子供の頃からの夢で、小学校の文集に将来の夢は本を作りたいって書いたんですね。それは今でも変わってなくて。
ちょっと電子書籍は出したんですけど、やっぱり紙の本も出したいなっていう気持ちがあります。死ぬまでに1冊は出したいなって思ってます。

qbc:はい。

光丘:たしか小学校2、3年生ぐらいの頃に、クラスで作った文集に将来の夢を書く欄があって、本を作りたいって書いてました。
昔のものを整理したときにそれをたまたま見つけてしまって。今と同じことを考えてたんだなっていう、懐かしい気持ち。
これまで、ずっとずっとかけ離れた仕事をしてて。このWebライターの仕事をして、やっぱり私は書く仕事がしたかったんだなっていう昔の気持ちが蘇って、今はとても、収入はちょっと少ないんですけれど、充実してますね。

qbc:webライターの最初は、単価が安いですからね。でもその中で、心が折れずに3ヶ月やっているんですから、モチベーションがあるってことだと思いますよ。

光丘:最初は本当に、言っちゃ失礼なんですけれど、10記事書いて2000円もいったかな? びっくりするぐらい安くて。
でもこの3ヶ月で、週25時間アルバイトの月収とwebライターの仕事を足したら、前職のお給料に届くかなー、というぐらいまで今きてますね。正社員だった頃のお給料が、田舎の中小企業ってこともあって、とっても安い給料だったんですけれど、

qbc:今、ライターのお仕事の手応えは、どんな感じですか?

光丘:ライターのコミュニティに入ってまして、そこで昔の赤ペン先生みたいに記事添削をいただくんですけど、それがすごくためになってますね。頑張ってる仲間もできてますし、そのコミュニティの存在がすごく励みになってます。
ライターってどうしても1人で孤独になりがちで、クライアントさんとのやりとりもネット上になりがちだから、仲間っていうのを作りにくいなと思ってたんですけれど。
コミュニティのおかげで、私以外にもやってる人がいるんだなって。主婦をやりながらとか、仕事をしながらとか。本当にそれが励みになってますね。

qbc:なるほど。死ぬときに、まわりからこう思われたい、みたいなイメージはありますか?

光丘:なかなかイメージが湧かないんですけれど、妹の娘、姪っ子にはいろいろ教えてあげたいなと思ってて。
姪っ子からもいいおばちゃんだったなとか、親戚の子供たちからも、いい人だったなって思われてたらいいなって思うんですね。うまくは言えないんですけれど、悪い印象だけは与えたくないなって。

qbc:今までしてきた一番悪いことって、なんですか?

光丘:悪いこと。学生の頃に友達と飲み歩いて遊んでいたとか、そんな感じですかね。
悪いことは、大学行って親にちょっと苦労をかけてしまったので、親に死ぬまでに恩返しはしたいな、何か恩返しできることはしていきたいなって。毎日何かを手伝ったりとか。

qbc:なんというか、お話お伺いしてると、もっといろいろできそうですよね。

光丘:自分が口下手だからといって、自分の幅を狭めるのではなくって、人生は一度きりだから、生きてるうちにいろんなことにチャレンジしていきたいなっていう気持ちはあります。
今後チャレンジしてみたいことが音声配信で、今流行ってるっていうか、それを通して何かいろいろな人と関われたらなと思うんですよね。

qbc:なるほど。前職のお話なんですが、今まで7年辞められなかったのに、なんで辞められたのかなって。きっかけはなんだったんですか?

光丘:すごく言いにくいんですけど、職場の人とトラブルがあって。現場の上司が間に入ってはくれたんですけれど、それがあって、もういいやってなっちゃったんですよ。
自分の心の思うままに生きようって。
ずっとここにいても何も得るものはないなと思ったんです。

qbc:今までもそういうタイミングはあったと思うんですよ。
社会人として10年以上過ごされてきて、辞めようと思うのはそれが初めてというわけではなかったと思うんです。

光丘:トラブルの原因が、私が現場の仕事もありながら、自分の仕事もやっていて、本当にいろいろいろいろやらされてて、パンク状態で。
で、その時丁度、溜まってた事務の仕事をちょっと片付けてから現場の仕事に行こうと思ってたら、それでちょっと注意されて、現場中心でやってるスタッフさんに。
なんで来ないのよ、みたいに言われてしまって。
今までもそういうことはあったんですけど、ああもういいや、と思って。
正直な気持ちを話してしまうと、正社員のときにあれもやれこれもやれってすごくいっぱい頼まれた頃に比べたら、ここ最近ライターの仕事でいろいろ頼まれる方が、成長もできるし、勉強にもなるから、お金にも少しはなりますし、いいかなと思ったんですね。

qbc:ランサーズの認定ランサーも取られて、直接契約もできたそうですね。

光丘:一つの過程として。認定ランサーも直接契約もまだ始まったばっかりなので、まだまだこれからかなと思うんです。
本当に上の方がいっぱいいるので、紙の本を出すっていう目標までは、まだまだ届かないなと思います。

qbc:もしもの未来の質問をしています。もしも、新卒で出版社に入っていたら何をしたかったんですか?

光丘:さかのぼって考えたら、学生の頃、雑誌の編集をやってたから、雑誌を作りたかった。
人生の大きな目標は、本を作るってことだったので。まだまだそうですね。通過点というか。

qbc:ご自身の中で、書くことへのチャレンジは早かったと思います? 遅かったと思います?

光丘:学生の頃の就活で、一度は夢が破れたんですけれど、また違う形で挑戦できるのは嬉しいことだなって今思ってます。

qbc:あらためて、ご自身の性格についてどう思いますか?

光丘:ガンガン喋る方ではないんですけれど、諦めが悪い方です。

qbc:まわりからはなんて言われますか?

光丘:同じことを言われます。特に親からはそういうようなことを。うちの両親も、「正社員辞めてライターなんておかしいんじゃないか」っていうことを最初言ってたんですけれど。
最近は「記事見せてくれ」とか言ってきて、関心を持ってくれてるみたいです。理解してくれてるのかなって思いますね。

qbc:ご両親とは、どういう関係ですか?

光丘:今一緒に暮らしてるんですけれど、あまり私に干渉もしてこないので。
ただ両親もちょっと歳なので、負担がかかることはなるべく手伝うようにしてますね。

qbc:最後の質問です。言い残したことがあれば、お伺いしています。

光丘:いくつになってからでも、挑戦するのは遅くないっていうことですね。
これは、もう、本当に最近そう思います。
ライターを始めてから、いろんな立場の人に、オンラインですけれど出会って、うちの両親ぐらいの年齢の方にも会ったりして。
何かを始めるのに年は関係ないなってことがよくわかったんですね。
私は若い頃から何かやってないと意味ないんじゃないかっていう気持ちがどこかにあって、この歳でwebライターなんて遅いんじゃないかっていうのもあったんですけど。
やっぱりいろんな年代の方たちと関わってみて、そんなことはないって思ったんですね。

qbc:ありがとうございます。

光丘:ありがとうございます。

あとがき

さあさあみなさま今回の無名人インタビューはいかがでしたでしょうか?
感想はコメント欄に忘れずに残していってくださいね。
夢を諦めるとか、チャレンジしないっていうのは、いったいどういうことなんでしょうかね。私は、いつのころからか恐れる心自体があんまり意味ないなって考えるようになったので、何かをしない、っていうのはあんまりないんですけど。
そもそも怖い、不安、恐ろしいとかいう感情は、死なないためのセンサーだと思ってるんですよね。
似たようなものに、苦味酸味があって。これはこの味が食べられなかったり腐っているものである場合もあるから、ちょっと食べにくい味だなと感じてしまう。まあ、じっさいに生命に関わる食べないほうがいい場合もあるんだけど。だから特に子供は苦い酸っぱいはNGですよね。これは味覚における死なないためのセンサー。
で、怖い不安恐ろしいは、人間の行動における死なないためのセンサーだと。新しいことをするのは怖い、それはもちろん死ぬ可能性があるから。でもちゃんと考えれば、それで死ぬ可能性はけっこう薄かったりする。なので、何か新しいことをする場合、怖いとかの感情部分は無視して、ほんとうにそれをしたら生きるか死ぬかで判断したらいいのだと。
怖がらなくていいよと。
極論、感情はいらんのよ。きっと。物事の吉凶、やるかやらないかは論理ゲームで判断して、感情ってあいまいなセンサーはいらん。
まあ、感情がなくなるときっと今私たちが抱いている人間という像はかききれて、きっと、自分であるという意識も消えて、こんな考察なんかもきっときっと意味なし不要の介になるのだと思うよ。あばよ。

インタビュー担当:qbc

編集協力:ことり☆

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