見出し画像

写真と人インタビュー Rulu-008 2023/12/20

“すごく当たり前なんですけど、私以外の人たちにもやっぱ1人1人、その人自身にとっての責任ある人生っていうのが、当然あるわけで。
そういうことって、でも、意識しないとちょっと時々忘れてしまうことがあって。”

第二次世界大戦で死んだ日本人約310万人
東日本大震災で死んだ日本人約2.2万人
コロナで死んだ日本人約7.5万人

数字にして見る何万人には、一人の人生も映りこまない。社会なんて他人の集団でしかない。家族親戚、あと仕事や趣味の仲間、そういう界隈だけで生きていればいいんだと思う。
でも、自分で勝手にそう思ったって、赤の他人は実在するわけで。
他人なんか、どうでもいいんだけど。
でも、どんな一人にだって、自分と同じく一人の人生がある。
それにふれる機会というものが、定期的にあっても、いいんじゃないのか。
まえがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

「写真と人」インタビューとは?

作品を作りあげようとする人の心を継続して言葉に残してゆくインタビューシリーズです。

SNSで募集した無名の人たちを撮影するプロジェクトをしているカメラマンのRuluさんへの連続インタビューです。だいたい月に1回、インタビューしています。並行して、一人の人を撮影し続けるプロジェクトも開始しました。

被写体募集はこちらの記事からどうぞ。

これまでの「写真と人」

1回目は2023/8/2に行われた。
 実際に行われたプロジェクトの撮影の様子を聞きつつ、撮影者と被写体の間に「ゆらぎ」があることを発見した。
 ゆらぎとは、撮影者が撮影に没頭し、それまで意識していた被写体である他人という存在を忘れ、ただシャッターを押し続ける状態のことを意味した。
2回目は2023/8/16に行われた。
 実際に行われた撮影の様子を聞きつつ、引き続き、撮影者と被写体の間の「ゆらぎ」について聞いた。
 プロジェクトの始まったきっかけも聞いた。 
3回目は2023/8/30に行われた。
 実際に行われた新宿歌舞伎町の激しい撮影の様子を聞きつつ、Ruluさんの過去についてすこしふれた。
4回目は2023/9/13に行われた。
 実際に行われた撮影の様子を聞いた。部屋での撮影だった。「ゆらぎ」が発生したかどうかについて聞いた。
 Ruluさんが過去に精神科に通院し、自由連想法のように言葉を紡いだ経験があることを聞いた。“単語がバラバラになって、文字がバラバラになって、洗濯機みたいになって、頭の中でぐるぐる回ってるみたいな感覚”
5回目は2023/9/26に行われた。
 実際に行われたプロジェクトの撮影の様子を聞いた。1回目の被写体と同じ被写体だった。撮影者と被写体について、詳しく聞いた。
6回目は2023/10/25に行われた。
 実際に行われた撮影の様子を聞いた。今回も部屋での撮影だった。
 Ruluさんが、「顔が写ってないんですよね」と言った。その他、窓や鏡といったモチーフの写真についても考察した。
7回目は2023/11/29に行われた。写真集を作るためのダミーブック(手作りの試作本)作成もついて聞いた。過去の撮影を、カメラマンとは違う視点で見返し、新たな物語の再構築をした。

今回のインタビューは、8回目で、2023/12/20にオンラインで行われた。


冒頭

8717(2023撮影)

Rulu:今日はまた、写真の話っていう感じですね。いつも写真の話なんですけど。

qbc:写真集は? ダミーブックはどうなりましたか?

Rulu:ダミーブックを3パターン作ってみようとしています。一つ目が完成して、今二つ目を作っているところですね。
二つ目は、フィルムで撮ったものばかりを集めて、ちょっと主観的なイメージを多くして作ってるような感じで。

一つ目は、もしかしたら説明的過ぎるかなとも思うんですけど。
二つ目は、インタビューした彼女たちのストーリーっていうのが、逆に今度は見えてこなくなってなってしまって。そのバランスが難しくて。なので、それを踏まえて、3種類目のダミーブックを作らないといけないなと思っているところですね。

qbc:作っている時の気分というのはどんな感じなのですか?

Rulu:今までは、撮影のこととか彼女たちのことにだけ気持ちや意識が向いていたのが、ダミーブック作りになると、今度は第三者の人が見てどうだろう、伝わるのか、逆にくどいのか、どう感じるかなとか。
センシティブな内容もも含めて、時間を取って向き合ったり話をしたり被写体と互いにしてきたので雑には作りたくないなっていうのがあって。何度も写真を選び直したり並び替えたり、悩んでます。

再会

1586600763(2010撮影)

qbc:今回は、撮影はあったんです?

Rulu:ありました。いつもはSNSで募集して、ほとんど初めて会う人と一期一会のように、その瞬間何かが交差したときの写真を撮ってるんですけど。
今回撮影した彼女は、12、3年前ぐらいから知ってる友人です。

一番最初の写真を見たら2010年とか11年とかで、私がカメラを買ったばっかりの頃かな。
そのときはドレスショップを経営していたので、マネキンだったりとか商品のドレスを撮るためにカメラを買ったんですけれども。でも割と早い段階で、マネキンを撮るのに飽きて「人間撮ってみたい」って。

それでモデルをしている彼女と知り合う機会があって、撮影をさせてもらうようになって、彼女との関係は始まりました。なので、彼女とも2010年だか11年だかに、初めて写真を撮ったんだと思います。
それから、撮影のときだけ会うみたいな関係が定期的にあって。福岡にいた頃の話です。

でも少しずつ会わなくなって、
そうこうしているうちに彼女は、東京に行ってしまって。東京でも被写体、写真に写るっていう活動は続けている、その活動を遠くから見守る、近況だけはSNSで知ってるぐらい距離感になりました。

それから暫くして彼女が帰省するタイミングで再開しました。大学のすぐ目の前に家を借りてたんですけど、家に来てもらって、大学でちょっと写真を。
日付を見ると2016年。7年前ぐらい前ですね。

それからは、物理的な距離もありますし、自分も看護師をしていたりとかで、写真からもうすっかり離れてしまったので、あまり接点もなくなっていたんです。
それから私が東京に引っ越してきたときに久しぶりに会って。そのときは写真を撮ろうとかではなくて、友達として、引っ越し祝いに来てくれてみたいな感じでしたね。

また彼女を撮りたいなっていう気持ちもずっとあったんですけど、別の写真家の方と、密に継続して写真を撮っていたのを見たのと、前ほど彼女も貪欲に、もう「写真撮ってもらわないと死んじゃう」みたいな、そういう切迫感みたいなのが、以前はすごくあった子なんですけど、今はそうでもなくて。
他にもいろいろあって声もかけれずにいたんですけど。

今このインタビューを受けてるのが12月なんですけど、12月なったら来年何しようかなっていうことを考える。
今やってるSNS経由での一期一会の撮影自体も、ペースは落ちてもいいので続けていきたい、撮り続けたいと思っていて。それに加えて、1人の人を継続して撮ってみることも試すべきだと思いました。
それを彼女に話して、承諾をもらったので、2024年は1ヶ月もしくは2ヶ月に1回ぐらいのペースで、1年間彼女を撮るっていうことになりました。

NPC

1244(2016撮影)

Rulu:それで最近会ったとき、12月9日かな。写真を、すごい久しぶりに撮って。ちょっと久しぶりすぎて撮れるかなって。撮れるかなっていうのも変なんですけど、わりといつもそんな感じではあるんですけど。
彼女の方も、結婚して被写体をする機会も減ったりとか、入院していたりとかそういうのがあって、お互いすこしそわそわしながら、撮りはじめました、最初は。

彼女を何度も撮ってるんですけど、まだお互いに壁があるような、そんな感じから始まって。
でもだんだんだんだん、何なんでしょうね。
最初は手応えがなくても、撮ったことがあるから。なんだろうな。今日は何も撮れないかもしれないみたいなことを思う日もあるんですよね、初めてのときだと。撮れるかわからなくて、何も撮れなかったら、本当に時間作ってもらったのに、モデルになってくれた人に申し訳ないなとか、途中で心配になる時もあります。それは被写体が悪いとかもちろんそういうことではなくて。

彼女に関しては、何か撮れるだろうとは思うんですけど。
でもやっぱ時間の経過は感じますね。知ってるとか友達とか言っても、彼女にも私にも別の時間がその間、やっぱ着々と流れてるわけで。その中で結婚したり、ライフスタイル、仕事、環境とか状況が変わるわけです。

すごく当たり前なんですけど、私以外の人たちにもやっぱ1人1人、その人自身にとって責任のある人生っていうのが、当然あるわけで。
そういうことって、でも、意識しないとちょっと時々忘れてしまうことがあって。

私、昔から、自分以外の人間がNPCなんじゃないかなみたいな、そう思うようなことが割とちっちゃい頃からあって。

私、自分のお母さんも、母親っていうNPCだと、ちっちゃい頃思ってました。
郵便局の人はもう生まれたときから郵便局員だし、ヤマトの人はヤマトの人だし、コンビニの人はコンビニの人みたいな、そういう感覚がすごくあって。ちゃんと診断してたら、もしかしたら、発達的な問題とか、自閉傾向だったりとか、多少あったとは思うんですけど。
だからそういった、”人の人生”というのをちょっと忘れがちな部分がある。

でも、こうやって写真を撮ったりライフヒストリーを聞くことで、何だろう、ちゃんと人間なんだっていう、解像度が上がるというか、実感するというか。
だから、その人について話を聞きたいっていうのは、そういう自分の性質に、多少は関連があるような気もしますね。

友達

1251(2016撮影)

qbc:なんでまた、一人の人を継続して写真を撮ろうと思ったんでしょうかね。

Rulu:継続、そうですね。
元々やってるプロジェクトの方は、「関係性がないから作れる関係性」っていうのもあると思ってて。利害関係だったりとか、その場限りの関係性に近いから、いろんなことを吐き出したり、いいだろうなっていうのが一つ、自分の中で仮定としてあって。

でもそれとは別に、本当に1回限りでいいのかっていう疑問も、対立してあって。
ある程度、それでいいという確信が自分の中であるんですけど。
なんだろう。関係性を重ねたら重ねたで、また違うものが見えないかな。でも、関係性を重ねた上でっていうのは、どちらかというと普通のことだと思うんですよね。友達とか、会社の人とか家族とか、時間の経過があって人間関係が続いていくのは、すごくノーマルなことで。
どちらかと言えば、1回限りの人と、知らない人と会ってっていう方が、あんまり日常的ではないことだと思うんですけど。

qbc:そうですね。

Rulu:でも一般的には、回数を重ねた方が、関係性が深まるっていう考え方もあるじゃないですか。そのほうが深く踏み込める場合もあるというものがあって。
だから、どちらもやってみないといけないっていうのが、表向きにはあって。

あとは、見る側の人からしたら、何回も撮ってみたらもっとよいものが見られるんじゃないっていう、疑問が湧いたりとかする人もいるだろうし。その疑問に対して、明確に回答できるかって言ったら、片方しかやってないから、やってみないことにはわからないので、両方試してみるっていうのもあるし。わからないから。

あとは単純に、彼女の生き方に興味があるというか。彼女と私は同世代なんですね。女性で、今ぐらいの年齢って、やっぱり結構いろんなことを考える年でもあって。若い頃とは違う悩みだったり考えだったりとかあるんで。
そういったものを、やっぱり彼女と共有したいのかもしれないですね。身近な同年代の友達、同性の友達が少ないので。

彼女は手術をしたんですけど、私も同じ手術を、彼女の数年前にやっていて。女性特有の。
そういった意味で、そうですね、何かを共有したいっていう気持ちが自分に生まれてるのかもしれないと思いますね。

qbc:なるほど。

Rulu:昔に比べると結婚や出産を急ぐ風潮は緩やかだと思うんですけど、データとしての妊孕率というものが存在している。彼女は子供が欲しいんですよね。私はそうでもないんですけど。

682(2010撮影)

qbc:彼女とは、もうお友達なんですかね?

Rulu:もとはモデルとカメラマンっていう関係で。
簡単に友達って思わないようにしようっていう線引きって、普段してるんですよ。だけど10年超えたら友達だって思ってもいいのかなっていうのが自分の中であって。
別に理由はないんですけど、1年2年3年ぐらいだと、女性同士だとやっぱ一時的に盛り上がって、わあって仲良くなって近くなって。でも、近くなることで何か気に入らないことが出てきたり、他者との線引きがうまくできなかったりとか、そういう問題を抱えたりする、そういうことがあったりするので。

だから基本は友達ではない。自分はカメラマンっていう形、スタンスで接して。
LINEで必要以上に踏み込んだ相談に乗らないとか。撮影している間だけお互いにサードプレイスに居る。

ただ彼女に関してはもう、長いことお互いの近況とか知ってたりとか付き合いもあって、10年経つとさすがに人となりがお互いわかるというか。
2016年に大学で撮影したときに、やっと友達になったなってのかなの思いましたね。そのときはまだ、撮影して6年ぐらいだけど。それからまたさらに時間が経っても縁が切れずにいるし。写真を撮らない時もあったり。そういう付き合いとかもできるようになって。なので、友達ですね。

qbc:継続撮影は、SNSで知り合った人と始めてもよかったんですよね?

Rulu:そうなんですよね。今撮影してる人の中から、誰かを1年間撮るっていうことを。
元々そっちの方が自然な流れかなっていう感じで考えていたんですけど。継続的にもっと何回か撮る人は出てくると思うんですけど、「この人と」って決めて1年間っていうまでには至らないというか。

なんでしょうね。何回か撮ったら、私が必要となくなってほしい、みたいな気持ちもあるんですよ。

だからいつまでも、またこういうことが起こって、こんなことが起こって、こういう気持ちを吐き出したいとか向き合いたいとか、そういうことが続いていくよりも、例えば1回2回3回ぐらい撮りました、それで何かができるっていうわけじゃないんですけど、やっぱり環境が変わったりとか気持ちが整理できたりとか、何か事態が好転したり、彼氏ができてすごくリア充になって、もう写真とか撮らなくてもどうでもいいとか、それってまあ、すごくいいことじゃないですか。

だから、継続しては撮るけど、1年間ずっと撮らせてねっていうのは、終わるが来たときに、それっていつ来るかわかんないじゃないですか、人間の出来事って。
だから途中で来るかもしれないし来ないかもしれないし。だから、そういう気持ちもありますね。

産むことにネガティブ

8759(2023撮影)

qbc:撮影自体は、どうでしたか?

Rulu:はい。7年ぶりの、懐かしい撮影。
最初、私の家の近くの駅で待ち合わせて。

最近、インコを飼い始めたんですよ私。彼女も昔インコを飼ってたんで、インコを見に家に来たいと言っていて、12月9日空いてる?って連絡来たから空いてるよって言って、もしよかったら写真も撮らせてもらえるか尋ねて撮影になりました。

私の家の近くの駅で待ち合わせて、駅の周りをぶらぶら遠回りして、歩きながら家に向かいながら撮ってるような。最初は本当にお互いにぎこちない感じ。感覚を思い出しながら、探り探りみたいな感じで撮ってて。

駅の近くの焼き肉屋さんでランチをして、ランチを食べ終わって、家は後から行くとして、先に周辺を適当に歩きながら。ミッキーかわいいねとか言って。これ著作権どうなんだろう、思いっきりミッキーって書いてあるんですよ。

で、銭湯みたいなところがあって、銭湯の駐車場に選挙のポスターがペタペタ貼ってあって、それに私がちょっと気になって。
最初は彼女なしで写真を撮って、彼女にちょっと、そこ行ってみてって言って、写真を撮って。色のバランスが崩れているんですけど。

ちょっと非現実的な感じ、自分にとっては。

qbc:どの写真ですか?

Rulu:選挙ポスターが貼ってある写真ですね。

qbc:ありがとうございます。

Rulu:やっぱり、今の社会が生きにくいよねとか。
あと最近女性の人とよく、「子供を今この時代に産みたいか産みたくないか」みたいな話題になったりすることがあるんですよね。モデルの方達とも。
独身で子供がいない女性の中には、とてもじゃないけど産めない。この今の社会じゃ、産んで育てられると思えない、という話になることもあります。
なので、やっぱり政治的なこととか、住む上で切り離せなくなってきている、っていう意味で、こういうポスターに目が止まるのかもしれません。

qbc:ありがとうございます。

Rulu:自分がまだ若い頃は、普通に20代後半までに結婚して、子供を2人ぐらい多分産んでいてとか、そういうのが当たり前の未来として、自分にみんなにあるみたいな感覚が何となくあったんですけど。
今はまた、時代が変わっていて。結婚も遅くなってるし、結婚をしない選択をする人も増えたし、子供を産む年齢もどんどん遅くなってきてて。

でも遅くなってきてるとはいえ、30代でいろんなことやって、気がすんだり落ち着いたりして40代ってなったときに、結構その、出産のほぼリミットで。
一般的には35歳を過ぎると、妊娠しやすい確率っていうのがどんどんどんどん減っていくので、35歳がピークですね本当は。そこから妊娠しやすさが下降していって、40代前半っていうと、早い人だと生理が上がっちゃう。
閉経する人もいるし。そしたらもう有無を言わさず、出産の選択肢が遮断されるというか。

女性は身体的なそういう期限、リミットがあるので、老いることとか年を重ねることに対して、やっぱ本能的に潜在的に敏感。男性よりナーバスになるのかなと思いますね。
男性は結構、おじいちゃん近くても、奥さんが若かったら子供を作ってたりとかするので。そういう意味ではやっぱりちょっと、いろいろ考えるものがあって。

それから、そういうものとは別に、国の力が弱くなってるというか。
やっぱり、安定して稼いで子供を育てる経済的な問題をクリアできるか。単純に言えば、将来への見通しが今立たないから。
今子供を産むと、寿命も長いし、長い人生を歩んで、その子は生きないといけないので。そういうことを考えると、私はもう、ちょっとネガティブな気持ちになってしまう、産むことに対して。何となく、そういうのがありますね。

インコかわいい

8927(2023撮影)

Rulu:その後、公園に行きたいなと思って。
向こうの方に公園があったなと思って、そっちの方に歩いて行って。でも歩いていく途中の橋ぐらいのところで、結構強い光がバーって日が射して、光と影のコントラストがすごい強い状態になってて。冬の光だから夏とは違って、なんだろう、ちょうど斜めに長く伸びるような影って、この季節独特だなって思ったりして。

昔はそういうことを考えなかったんですけど、妙にそういうことを思って、冬なんだみたいな、冬の光だっていう感じで。強い光が葉っぱに当たって、すごい明るいとこと、すごい逆に強く暗い影が落ちるところとある光景がとても気に入って。ここで写真をたくさんたくさん撮って。

それで、選挙のところまではまだピンとこないというか、そんな感じで撮ってたんですけど、ここで景色に対して自分が心が動いて、その中に立ってる彼女に対しての心が動いてシャッターを切って、撮ってるときに、今日のハイライトここだったんだとか思ったりするんですよ、自分の中で。

今日はここでの光景を撮るために来たんだなって思って。
この橋を渡った先に公園があるんですけど、ここでもう撮れちゃったなと思って、どうしようもう撮れちゃったって言って、行く行かないどうするって聞いて。行かなくてもいいよって彼女が言って、じゃあ家行こっかって、うんって言って、帰りました。

だから結構、撮影時間短かったですね。
何分ぐらいかな、1時間ぐらいかな。多分、1時間も経たないぐらいだったかもしれないですね。

qbc:あ、それで最後にインコの写真。

Rulu:そうですね。インコの写真は、qbcさんに送るかどうか、わかんなかったんですけど、うちの子かわいいで。
でも彼女がインコをかわいがってる写真を見ると、子供とかもこういうふうに可愛がって、優しい、いいお母さんになるんだろうなとかちょっと思ったり。してるうちにいい時間になったので。
それからバス停まで彼女を送って、見送って別れるました。

qbc:撮影全体を振り返ってみて、どうでしたか?

Rulu:橋のところの光が、本当に綺麗。うん。

8834(2023撮影)

qbc:エモーショナルな部分ではどうでしたか?

Rulu:エモーショナルな部分。難しいな。どう思ったんだろう。
ハイライトきたと思って撮ってるときは、ちょっと懐かしいじゃないけど、彼女らしい輝き。ちょっと安心しましたね。彼女だなと思って。

すごい大人になったなというか。
ある程度年齢重ねてからの10年前って割と最近みたいな感じがしなくもないんですけど。写真を見ると、すごい時間経ったんだな、10年って長いんだなって思いました。

qbc:このいただいた写真フォルダは、一番最初に会った時のものもあるんですか?

Rulu:ありますよ。追加で送ったんですけど、フォルダ2個ありますか?

qbc:ありますあります。

Rulu:2つめに送ったフォルダの最後9枚が、7年前のやつなんですね。1182の、机に突っ伏してる写真とか、傘が飛んでってる写真っていうのは、私の大学で撮ったもので。

1182(2016撮影)

qbc:あ、2つめの写真フォルダは、時代が混在してるんですね。

Rulu:そうですそうです。それより前が、もう2010年とか11年とか。

mixi

1020955475(2010撮影)

qbc:昔と比べて、どうでしたか?

Rulu:撮ってる間もやっぱり過去のことを思い出して。対比が出てくるんですよね。2010年11年とかはちょっともう黒歴史というか。ちょっと直視するのが自分的にはちょっとしんどい部分もあるんですけど。
でもこのときって、もう、私も彼女も、なんだろうな。すごい何にもなくて空っぽで、すごく飢えてたような。

10年前、2010年。
それこそ彼女は、もういろんな写真家の被写体になって、とにかく仕事の時間以外はずっと誰かに写真を撮られていたし。写真に撮られてないと、自分が保てないぐらいちょっと不安定で、すごく焦燥感みたいなのがあって。
生き急いで、ひたすらひたすらたくさんたくさんの写真に撮られて、その中でしか息ができませんみたいな感じの頃で。

そういう彼女の方が先に被写体をやってて、私はカメラ買ったばっかりで、撮らせてもらって。

だから、その頃を知っているから、今っていうのは、写真がないと死んじゃうっていうのから、なくても普通に生きていけるようになったんだなっていうことを、すごく感じながら撮影していました。
安心したっていうのは多分、そういう意味でもあるのかもしれないです。
彼女は彼女だなっていう、その安心感もあるし、今は落ち着いて暮らせているっていうのもあって。

彼女とも、この話は一緒に話したんですけど。
でも、彼女が言ってたのは、
でもちょっと寂しいって言ってましたね。あの時の気持ちがもう自分にはなくなってしまったことに対して、ちょっと寂しいって言ってたけど。
でも、戻りたくはないんだろうなとは思います。
けど、それがなくても平気で生きられるようになって、多分、穏やかでしあわせなんだけど、ちょっと寂しさもある。

9594(2010撮影)

qbc:この頃って、素人で写真に写りたいって人はまだ珍しかったんですね。

Rulu:特にこの2010年代の頃は、被写体という言葉がまだ一般的じゃなかったし、こうしてモデルじゃない人、一般の人が写真に写るっていうこともなくて。
モデルになりたいわけじゃないのに、何でそんなことしてるのって、周りの人が不思議に思うような感覚もあって。

それでもやってる人っていうのは、自分の中でちょっと処理できない、言語化できない葛藤があったりとか、または一種のSOS。例えば自傷行為をするとか、それに近いような。なんかもう、誰かに気づいてほしいとか助けてほしいとか、切迫性を持った人が、多かった気がします。

今はインスタで、おしゃれな写真とか綺麗な写真とか映える写真を撮ってもらってる人を見て、私も綺麗に撮ってもらいたいとか、あとはそれをアルバイトにする人、有償でモデルを引き受けて、カメラマンのモデルをしますっていう人もいたりとか、その場合はそこまでの切迫性ってないんですけど。
でも、やっぱり一部の人にはありますね、そういうのが、うん。

多分、何だろう。
特にヌードになる人。ヌードまで撮るとか、撮影のためだったらどんな廃墟でも行くし、冬に滝とか川に入ったりとか、雪の中に長襦袢とか薄着1枚で裸足で撮影をするとか、過酷な撮影をしたがる傾向にある人。

普通に生きてたら、普通の感覚だと、そんなことしなくていいんですよね、多分。
そんなことをしなくてもいいし、脱がなくてもいいし、それを公開されなくてもいいし、スマホのフィルターで盛って写真を撮ってればいいだけの話なんですけど。
そういう不自然なことを起こそうとする心理って何だろうっていうのが、自分の中で、追求したいものとしてあって。

qbc:なるほど。
Rulu:そうだ。大事なこと忘れてたんですけど。
彼女に写真を撮らせてほしいって言ったときに、あの頃の私達って何だったんだろうねみたいな、なんであんなに気違いみたいに、写真撮ってたんだろうねって言って。

彼女の家に昼過ぎに写真を撮りに行って、それこそお風呂場だったりベッドルームだったり、ベランダに出たりとか。寒い中、カメラのバッテリーが切れるまで7時間8時間ぐらい、もうぶっ通しで、朦朧としながら、時々船を漕いでウトウトしながら、それでもバッテリーが切れるまで正気に返らず撮影を、写真を撮ってたりしたこともあったし。

あれは一体何だったんだろうっていうことを、今だからこそ考えられるかな、みたいな。

そういうことを、撮りながら考えたいよねっていう話をしました。

自分たちが経験してきたことだから、わかるようでわかんない、とても言語化には至らない。ていうのがあって。今それを、写真撮りながら、定期的に会って、一緒に考えようっていう話をしました。

qbc:なるほど。
Rulu:でも彼女は、今撮っている彼女たちの10年後の姿でもあるわけですよね。
今の私というか。

だからそれを、やりっぱなしじゃなくて、考えていくっていうことも必要なんじゃないかなっていうことを、考えていました。

0363(2010撮影)

qbc:当時って、何を使って被写体募集をしていたんですか。
Rulu:その当時は、mixiとかに載せてました。
一般の人に声をかけて承諾をしてもらえるみたいな時代じゃなかったから。元々写真に撮られることに興味がある一部の人を探して、mixiの写真コミュニティみたいなところで、写真を撮らせてくださいって言って募集をして、そこで会って撮らせてもらって、みたいな。

今のプロジェクトみたいに明確な手法としてやっていないけど、でもやってることは一緒だったなって思います。私は、同じようなことをずっとやってるんだなって。

qbc:当時のモデルさんって、どんな人たちだったんですか?
Rulu:そのころのモデルさんは、すごいアングラとかサブカル界隈の方が多かったですね。やっぱり病んでる女の子が多かったりとか、サブカルに傾倒してるような子だったりとか。

こういう世界があることを知ってるのも、ごく一部の人たちだけだったし。
インターネットって言っても、大勢の人に広く目に触れるわけではなかったですね。

qbc:最初のmixiは招待制でしたし。
Rulu:そうですね。
今撮影しているモデルさんで、ちょっと下の方だと、mixiって名前は聞いたことあるけど、実物は知りませんみたいな感じで。もっと若い子は、mixiって何ですか、みたいな。

終わりに

mixi懐かしいですね。私が始めてふれたSNSでした。
今回のインタビューで、私と他人の距離というテーマが明確にでてきたなと感じたのですが。
もうなんか、他人多いですよね。
他人なんて、世界規模で言ったら、何十億人っているし、この地球上に。自分が生きている間に、生まれて死んでいった人も含めれば、もっと多い。

まえがきでも数字を調べたので、あとがきでも調べると。
1日に約40万人。
1年だと約1億4600万人。
これを、仮に70年生きるとすると、約102億人。
70年生きている間に、約102億人の人が生まれるわけだ。
今の地球人口が79億人(そんな増えた?)とすると、合計で約180人の他人と過ごすわけだ。
うーん何言いたいかよくわかんなくなっちゃった。忘れん坊だねえ。

制作・まえがき・あとがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

編集:なずなはな(ライター)

#無名人インタビュー #インタビュー #コミュニケーション #写真 #カメラ #rumica


いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!