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無名人インタビュー:統一教会から脱会の人

今回もタイトル釣りしたくてついメインの話ではないところを入れこんでしまった。。まあ統一教会の話もしますよ! でも私は特定の宗教について良いとか悪いとか、そんなことは言ってませんからね!!
ということで、榊あまねさん回です。先日インタビューを公開したアンデルセンのりこさんのメルマガでこちらのインタビューを知っていただいたそうです。
ご自身は場面緘黙症、ご家族はアルコール中毒。20代のころに統一教会に入り、結婚して韓国へ行き、でもその結婚生活に疑問を抱いてお子さんと一緒に日本に帰ってくる。も、ほんとこういう人生もあるんだなって思いながらお話おうかがいいたしました。
楽しんでいただけたならば、もっけの幸い。

今回ご参加いただいたのは川原実さんです!

インタビューはこちら!

インタビュー中に出てきた本はこちら。

あとがき

無名人インタビューのバリエーションとして、不幸人インタビューというのを作ったらいいのかなと思うくらい。時折ですね、非の打ちどころのない不幸のお話をお伺いします。
父親がアル中で、母親がそれをカバーして働きづくめ。本人は場面緘黙、20代で入信し、いわれるがままに結婚。でもその生活はおかしいと思い、今に至る。
その過去に対して、それってこうだったら良かったのにね、良い親戚がいたら変わっていたかもとか、そういうのは無意味に思う。何人かハイパー不幸な話を聞いて思った。評価することに意味はない。もしかしたら評価は現代理性の悪食なのかもしれんね。

でも榊さん今は楽しそうだよ。まあ、過去も楽しいことがなかったわけではないだろうと思うし、その時その時で人間は生きているんだよなと思う。

インタビュー終わって、インタビューどうですか? と質問したら、話しやすかったと回答をもらう。
話しやすいってどういうことですか? と聞くと、人は人、自分は自分と別れて聞いてもらったこと、と言われる。

人の不幸を聞いて、私は実はあんまりなんにも感じていない。同情も共感もしてない。ただそういうこともあるのだなと思う。おどろくし、好奇心も抱くけど。
でも、そういうことは細かいことで、ただひたすら、その人がそのままいることあること、について耳をかたむけることがとても大事なことではないかと思う。いやそれ以外いらない。傾聴ともちがう。相手を認めるということは、ただ相手の話を無心に聞くこと。
赤塚不二夫がつかまえた一言。「これでいいのだ」。で良い。

インタビュー後に送られてきたメールで、

「希望を残す生き様」とは私自身が笑って生きることなんだなぁ、と感じています。

とあった。そういう生き方もあるんだろうし、そうじゃない生き方もある。
自分の中に信じられるものを持っていられるかどうか。それが他人から与えられた教義ではなく、自分の生得したものであればこそ、心から笑えるんじゃないだろうか。

マガジンで過去インタビューも読めますよ!

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