見出し画像

ぐるぐる回っている人(現在)

二〇二四年四月五日の二一時から我々は時間を取った。金曜の夜の、脳の中の液体が、脳漿が濁っているだろう週末の夜の時間を選ばれたことで、私はちょっと不安だった。いくばくか、だけね。初めてではないが、今回のインタビュー企画においては、初めての参加者だったから。
何もこんなタイミングに入れるのでなくてもいいよね。と思いつつ、私もこの金曜の夜の番を空けておいたのだから仕方あるまい。どうでもいい、小さな、些細なこと。
そしてスっと、いつものように私は、Zoomで、インタビューを始めた。
まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)


元々根無し草なんですよ

qbc:
今、何をしている人ですか?

スミス:
今は一応会社員をやってます。金融関係の会社に行って普通に業務をしております。おもに今、裏方っていうか、審査とか、そういったことをやってます。

qbc:
その他は?

スミス:
その他は、会社の業務では全くありませんが、個人的にやってるのは、 何でしょうね。
一つは自分を深める、自分を深めるというよりも自分とはなんぞや、っていう「自分取扱説明書」っていうのをずっと人生賭けて書いてたのかもしれませんね。紙に落としてはいないですけど、自分とはどういうものであって、自分をどう使えばいいのかっていうことに翻弄されてきたので、「自分の使い方」「取扱説明書」っていうものを何か人生賭けて今まで考え続けてきたのかもしれません。

qbc:その他は?

スミス:
あとはその過程で、本業でやってることも結構、全然畑違いの世界に異動になったりとか、違う会社に出向したりとかっていうのも結構長かったので。まぁ、人生を通してね、何かを見なきゃいけない、って言うのかしら。

ちょっとスピリチュアル入っちゃうんですけど、その現場、現場にいなきゃいけなかったのかなっていうことを感じます。そういう観点で言うと「自分取扱説明書」と、もう一つ、対になる概念としては、世の中の仕組みを解明したい、っていうところですかね。解明する。何か秘密任務みたいな。全然怪しいことはないんですけど、勝手に思ってるだけですけどね。というのがあったんじゃないかなと。とにかくいろんなところに行かされましたし。自分が好きで、旅行が好きなんですけどね、あちこち行ってというのもあるんですが、行きたいと思って行くんじゃなくて、行かなきゃいけないっていうのか、なんか呼ばれるようなこともかなり多くてですね。そのお金をちゃんと払ってくれるとか、まかなうようにしてくれよって言いたいんだけど、そうじゃなくて、なぜか自腹で行っているとかね。

その昔は、自分自身が本当に自信がなくて、存在価値無し、みたいな自分で思ってた時期が長かったもんですから。あと自分で言葉にできないんだけど何か、焦燥感とか、無価値感みたいなものにさいなまれていたので、スピリチュアルセミナーと呼ばれるものも、何年前だろう。25年ぐらい前から、最近はもう5年ぐらい行ってない、全然行ってないんですけど。約20年間、まぁいろんなセミナー行きましたね。お金と時間使って。

qbc:
会社員と、自分を深めること。その他はありますか?

スミス:
他は。う~ん。お金。結局そこに行きついちゃうんですよね。まぁ、他もつまらんことで言うと、不動産好きなんで、不動産ね。でもその興味もだいぶ薄れてきちゃったし。あと散歩ね。とにかく毎日1万歩以上歩くとかね。そういうことをやっていたり。最近8000歩になったりとかするけど。

最近はあとはいろんな健康法を試すのが好きでして。高城剛さんのデトックス法っていうのを今やってたりとか。
あと毎日、天然塩、海の塩でも岩塩でもいいんですけど、天然塩を1日20gぐらい摂ろうみたいなね。水に溶かして飲んだりとか。そうするとなんか肌がだいぶ変わってきたなとかね。結局、自分自身を使って何か証明したいみたいなね。とどのつまり、その自分を深めることも含めてひと言で言えば、人体実験です。

その人体実験っていう言葉に全部集約されるんですよ。いろんなところに行って辛い思いもしたし、悔しい思いもしたし、人殺してやろうかと思ったときも何回もありましたけど。これは全て、その感情や感覚を味わうっていう、人体実験。そのときに自分がもう死にそう、もう鬱でおかしくなりそうっていうようなことも含めて、人体実験をさせられてたんだなぁって、最近ようやくそう思えるようになりました。

それが何に役立つのか、次どういうことに生かされるのか全くわかんないんですけどね。

qbc:
仕事している時は、どんな気持ちですか?

スミス:
それはそれでもう、ある種割り切ってるので、割り切りながらも本当にやんなきゃいけないときは当然ありますし、遅くまでやってたりしますけど、そうじゃない手空きの時間があるともう、ボケっとしたりね。
一応その、座席には座ってるんですよ。モニターとかは一応見てるんだけれども、なんかボケっとしたりとか、次どこ行こうかなぁとかね、あそこ遊びに行こうかなぁとか。あと気になるものがあれば、ちょっとした手空き時間はネットサーフィンをしてたりね、調べてるんですけどね。

qbc:
仕事は、人生の中でどんな存在なんですか?

スミス:
仕事はある種、食い扶持を稼ぐためのものっていうふうにちょっと割り切ってるところはあります。そこで出世してやろうとか、なんとかやろうとかいうのはもう、昔はあったけど今はもうないので。

qbc:「自分取扱説明書」関連のことをしている時の気持ちは?

スミス:
それは自分にとって快感だとか、楽しい喜びとか。楽しいですけれども、そうじゃない。

結構私、元々は感情的な人間でして、瞬間にちょっと怒っちゃったりとかね、感情ががっと上がって血圧が上がっちゃったりとかっていうのは、あったタイプなんですけど、そこを冷静にもう一回見つめ直すみたいな感じなんですよね。自分の怒ってしまった、あるいは腹が立った、許せないんだっていう瞬間っていうのを思い出しながら、なんでそういう風になったんだろうねと。何がそうさせたのかと。
と思いだして考えると、つられてね、その怒りが暴走するときだってあるわけですよ。そういうのを感じながら、頃合いを見てやめる、もうそれ以上考えるのやめようってストップすることもあるし。私が何か悪いのか、相手が何か悪いのか、じゃないんだと。
多分相手の何かの行動に私がすごく反応してしまった。それはなぜだろう。それは子供の頃の経験なのか、何なのかっていうのを思い巡らすっていうんですかね。

qbc:どういうやり方で振りかえるんですか?

スミス:
いろんな切り口があるんです、やり方っていうのもね。ただ椅子に座って思い出してっていうのだと、私、頭狂いそうになっちゃうんで。
旅先に行ったときとかね。どこかに呼ばれる。自分でここに行きたいと思って、行ったところでいろいろふと考えることとか。あとは引っ越しをしたいなと、ここ2、3年ずっと思ってて、部屋は見に行くんですよ。部屋を見に行ってその街を歩いたときに感じることとかね。

本当は何をやりたかったんだろうとか。もっと言えば、私はもう戸籍を汚したことがない人間でございまして、まだ一人者でございますが、なぜずっと一人でいたんだろうとかね、もういい歳をぶっこいてますから、子供だってもう下手すりゃ大人に近い成人と呼ばれる年齢の子供がいても全くおかしくない年齢なんですが、なぜいなかったんだろうと。

なぜ独り身を選んでいたんだろう。だけど、そういうことなんかを思い巡らしながらですね、考えていて、それは自己正当化に過ぎないって言われるかもしれないんだけど、一応、自分なりに結論付けてね、やってますね。答えを。答えというか。

この、なぜ一人でずっと今まで生きてきたんですかっていう、問いがあったとして、その答えとしては、人体実験に忙しかったっていうね。もうそれどころじゃないと。そこまで大事、私にとって意識はしてないんだけど、人体実験とか、いろんなとこ行かなきゃいけないっていうのは必要だったんだろうなと。それは、もう認めざるを得ないってそんな感じになりましたね。

で、冷静に見たときに、多分そういう自分のやりたいことがあって、多分それは家族ができるとね、奥さんだとか子供がいたりすると、そっちを優先しないといけない局面って多々あると思うんですよ。
私も、どちらかというと多分そういうのを大事にしようと思うタイプだったと思って。
となると、自分の欲求を棚に置いて見ないことにするとか、手近のところでとどめておくとか、そういうことをやってただろうと。
となると、満たされない気持ちみたいなものが多分蓄積して、結果的に爆発するとか、結果的に家から出てっちゃうとか、結果的にごめんなさい、離婚してくださいって言ってるのか、わかりませんけど、まぁ、あまり良い結末にはなってなかっただろうなっていうのがものすごく自然に腹にストンと落ちたんですよ、あるとき。もうそれから別に一人寂しいのは、寂しいけど気楽なのも裏腹なんで、こういうのって。それはそれでいいんじゃないっていうふうに割り切ってますけどね。

qbc:
方法という意味では、考えることが多い?

スミス:
考えること、感じることですね。だからいろんなシチュエーション、一つの場所に座って考える、感じるっていうと、刺激が一つしかないから、それこそいろんな場所に行って同じ内容のことを考えるんだけど、ある時は東京です、ある時は軽井沢です、ある時は海外のどこかの街です、っていうふうに変えていくと、感じ方が違う。
特定の場所で何か反応したりね。あと特に私の場合は今後また、来月以降なのかわかりませんが、過去のお話をさせていただくときに詳しくお話しますけど、幼少期の頃から本当にあちこち行ってたんですよ、父親の転勤でね。

全然違う場所とかに結構住んでたので、元々根無し草なんですよ。
だからそういう意味で、安定した拠点が欲しいとか、家族が欲しいとか、あと親の話とかもしますけど、結構親とは疎遠なので、しかるべき理由があってそうなっちゃってるんですけど、そういう満たされないものをずっと追っかけてきてたところから、じゃぁ何が足りないんだっていう観点で、自分の取扱説明書を作るために、いろいろ探してスピのセッションに行って、なんとかしてああしてこうしてっていうのをやってやりまくっていると、いや、元々それが好きだったんじゃないのっていう。
最初っから、別にスピがどうのとか、親がどうのとかじゃなくて、自分とはなんぞやっていうのを、痛めつけながら、実験室で実験している科学者みたいなのが、私の本性なんじゃない? っていうのに、なんか薄々気づいていったって、そんな感じなんですよね。

定まらない。

qbc:
いちおう現在の話を聞くという時間にしていますが、話したい流れが過去なのであれば、ぜんぜん過去についてお話いただいて大丈夫ですよ。

スミス:
大丈夫ですか。そうしたら、あのね、普通に生まれたんですが、私もね、その頃当然ちっちゃくて、そんな物心もついてないし覚えてないんですけど、聞いた話だと、なんかどうやら私を出産するときに母は病気だったんですよね。もっと言えば、がんだったんですよ。私を妊娠していて、女性特有の器官のがんが見つかりましたと。早く手術しないといけませんということで、私は予定日よりもだいぶ早い時期に取りだされたんですよ。
生まれる時に手術しましたっていうのがあって、それはそれでいいよねって当然、いわゆる昔の言い方で言うと未熟児、今の言い方で言うと低成長児なのかな、ちょっと忘れちゃいましたけど。ということで体は弱かったですね。
そこからすぐに3年4年ぐらい経ったときに、父の転勤でちょっと東京から遠いところ、北海道に行って。で、父がちょっと病気になっちゃうんですね。ちょっと生死をさまようっていうのがだいぶあってですね。どれぐらい入院してたんだろう。1年ぐらいいなかったのかな。

qbc:
スミスさんが何歳の頃ですか?

スミス:
私がね、3、4歳ぐらい。私は北海道、札幌にいたんですけど、ちょっと祖父母に預けられたわけです、母と父のそれぞれの。あとおじさんとかね。それは岡山県なんですけど、祖父母に預けられて、3ヶ月ごとに転々としてたんですね。母方の、父方の実家、おじさんみたいな、おじさんのところはあんまりいなかったかな。

おまけに私もちょっとその、何でしょうね、そういうだいぶちっちゃい子供で生まれてきたので、言葉がしゃべれない。3歳ぐらいだけど、言葉はうんとかすんとかしか言わない、下半身、膝が悪かったので、あまり歩けない。立ったり歩けるんだけど長い距離は3歳児にしては歩けないわけですね。
病院っていうのも定期的に通ってたんです、東京の病院に。それがまた、私の今住んでる家のすぐそばにあったっていうのがまた面白いけどね。もうなくなっちゃったけど。違うとこに行っちゃったけど。

qbc:
どこにあるんですか?

スミス
三軒茶屋にあったんですよ。ご存知ですか、茶沢通りの北、淡島通りって言う通りがあると思うんですけど、あそこに黒い大きなマンションがあるの、ご存知ですか。
あそこは、もと病院の跡地なんですよ。あのあたり全部が病院だったの。国立の子供専門の病院があったんですよ。
今、成城の方に移転して、大きいのになってますけど。成育医療センター名前をに変えてね。私はそこの古い病院に行っていて、3ヶ月に1回だったかな。子供の頃の記憶あんまりないんだけど、覚えてるんですよ。昔の病院ですから、元々は軍の病院を鞍替えして子供の病院にして、全国から子供が来てるのね。
ちょっと重い病気の子たちが入院したり。私は岡山から、最初、東京まで通ってましたけど。札幌のときは、北大病院だったかな違ったかな。岡山のときはもう東京まで来てくださいって言われたのかな。

それで行ってましたと。
もう何となく、もう断片しか覚えてないんですけど。やっぱりね、入院してる子たちも、外来患者の受付とかで遊んでたような記憶があるんです。パジャマみたいなのを着てた子がいっぱいいたっていうのがあるから。そのときに強烈だったのは、腕がない子とか、足がない子がいるわけですよ。治療のために切断したんだろうね。
ちょっと私よりもお姉ちゃんだったかな、いつも行くといる女の子がいたんですよね。私よりもちょっと上だから、当時の私と比べて3つぐらい上だったのかな。何となく話をしてて、何があったみたいなことを話していた記憶があるのだけど、ある日突然いなくなっちゃったんですね。なのに、当時の僕は、いないのぉ? みたいな。子供だから。
それで、どうやらばあさんが、看護師さんから聞いたのか知らないけど、要は死んじゃったわけですよ。だから、お星様になったね、とかねっていうのを、ばあさんに言われたっていうことを、未だに覚えてて。
なんかそういう意味では、なかなかね。片腕ない子とか片足ない子とかって、話に聞くけど。なかなか間近で見ることって、あまりお目にかかることは少ないかもしれないけど、なんか、そういうの見てたんですね。

だから私は、その後運動もあんまりできないわけですよ当然。小さな頃からあまりうまく使っていなかったから。それでも、親からはそういう子たちに比べればマシでしょう、みたいなことを言われて。そうなんだけどさ、でもちょっと違うくない? もっとケアしてよ、というのはありましたよね。おまけにね、母親がとある宗教入っちゃってね、もうすったもんだ。弟もできちゃってね。2年後、2年親と離れて暮らしてたけど、戻った瞬間に弟ができちゃってさ。

qbc:何歳のときにまた一緒に暮らし始めたんですか?

スミス
5歳ぐらいからまた一緒に暮らし始めました。

qbc:その頃に、弟さんも生まれたと。

スミス:
そうそうそうそう、弟もすぐできた。
っていう感じで、なんかね、もうそっから、一旦離れて暮らしてるからなんかね、よそ様の家にいる感じなんですよね、落ち着かない。うん。自分の家って感覚があんまり無いんですよ。
その頃、小学校ちょうど入るぐらいからかな、なんか変な子、変な子ってずっと言われてて、私自身が周りからね。何でだろうって思ったら、他人、大人の嘘とかが見抜けちゃってたんですよ。だから、図星のことを言ってたんです。すごい嫌がられたんだろうね。大人の何考えてるのかが見えちゃってて。
なんでしょうね。友達の家に遊びに行っても、友達のお母さんと話してるほうが楽しいみたいな、そんな子供でした。

当然ちょっと、あんまり運動もできない。だけど、なんか見えないものまで見えてしまうみたいな感じで、自分でも嫌だったんですよ。普通の子と同じように遊びたかったわけですよ。普通の人になりたいってね、お願いごとを書いてるような子供でしたもん。
当時ね、真剣に悩んでました。なんだけど、もうちょっと大きくなると当時から変わってたんだねって、普通になりたいっていう人ほど変人だっていうのは定説ですから。あぁその頃から変人だったんだね、って笑うしかなかったですけどね。
当時は真剣でしたね。いじめられっ子だったしね。小学校のときはまた、小学校入るぐらいで大阪に引っ越したんだよね、岡山から。

qbc:
家族で一緒に暮らし始めたのは、札幌ですか?

スミス:
いや、大阪ですね、大阪からスタートしました。母親たちは札幌にいて私は家族と一緒に暮らしていない空白期間があって、私は岡山、母親たちは札幌にいましたから。次、大阪に転勤になったので、大阪に行って家族一緒に暮らし始めたと。

だから本当に自分の家とか親とかそういう存在っていうものがしっかり確立する、ちょうど確立させようかしまいかっていう段階で、転々とする生活を送ってたので。
何かね、確固たるものがないって感じなんですね。
うん、置き場所がない。
何か、荷物みたいな。
そんな感じ。
定位置がない。
定位置に定まらない。
定位置が定まらない、存在っていうんですかね。
そういうの、すごくありました。

qbc:今は?

スミス:
今、それが私だと思ってる。
それは10年ちょっと前ぐらいに自分の居場所を探そうっていうので、まぁ違う観点もありますけど、鎌倉にとある家を買ったんですね。
そこがもう私の本拠地だと思ってましたが、いろいろあり、地震があったりね、いろいろありまして、手放しましたと。

qbc:
それは何歳くらいの頃?

スミス:
家買ったの? 35歳、36歳、37歳。13、4年前ですね、地震の前ですから。2009年から2年ちょっといたんですね。
面白い人たちとは出会えましたけど、地震が来て、本当に海のそばだったもんですから。で、電気止まっちゃったりとか、通勤にも支障が出るような状態でしたので。

あともう一つね、分不相応もいいっていうか、自分の管理能力を超えた家を買ってしまったので。戸建てを買っちゃったわけですよ。婿入り道具だという感覚で買ったんですけど、要はケア、メンテナンスがしきれなくて。で、もういいや、一旦ゼロにしようと東京で買いかえようなんて思ってて、とりあえず売ったんですね。

売ってまた、鎌倉の違う場所に家を借りてまた住むことになったんですけど。こういうところで、何なんだろうなぁ、自分の居場所が欲しいって言ってんだけど、飽きちゃうんですよ。なんだこの飽き性はって思って。
その後また東京に戻ってきて転々として、その頃には体調を崩したり仕事上で上手くいかない期間であったりといろいろありました。僕、会社を憎んでたりとか、あいつ殺してやるとか、いろいろ思ってた時期はもちろんありました。

それがつい最近ぐらいまで、程度はだんだんと弱くはなってますけど、やっぱ、あり続けたわけですね。不本意な自分が、もう嫌だ、認められないとか、いろいろありましたけども。

なんでしょう。
で、その最たるとどめは、今住んでる家、非常に狭い、もう1DKのね、普通の家ですけども、絶対住みたくないと思ってた三軒茶屋になぜか来てるでしょう?
なぜか。
そこでまた面白い人たちといっぱい出会うわけですけど。そういうのを通してみると、なんかもう、いちいちこだわっているのが面倒くさいっていうふうになっちゃったんですよ。そのこだわりって本当に大事なの? どうでもいいよね。と。

qbc:
こだわりとは?

スミス:
いやもう、やっぱり他人からどう思われるかでしょうね。
他人から、羨ましい、いいなとか。自分でも他人よりも上だ、みたいなね。
何でしょう、もう、小汚い発想とか小賢しいっていうんですか。こういうのがね、やっぱ元々そういうのが強いタイプだったんですけど、自分が落ち目になってても、それをやっぱり捨てきれないわけですよ。

それは自分を苦しめてるんですよ。
それがあるがゆえにね、自分で自分を苦しめてるっていうことに気づいてなかったし、それに薄々気づいてでも見たくないから、無いものとしてたわけですよ。ダメージを受けちゃうから。ダメージを受けるっていう段階でまだまだ甘いな、お前はって話なんですけど。なんかそういうところで、何でしょうね。どうでもよくなったというか。ちょうどその鎌倉に家を買ってた頃にパワハラとかにあったりもしたし、そこで体調崩してっていうのがあったんで、それでちょっと会社を休んでたのは1,2 ヶ月かな。だけどそれから、なかなかあんまりうまくいかなくてっていうところがあったりとかっていうのが、転機っちゃ転機ですよね。転落したっていうふうに思い込んでましたけど。
でもそこからね、内面の世界に突入していったような気がする。本当の意味で。

qbc:
これも、何歳くらいの頃?

スミス:
それはね、37とか8。ちょうど出世する選抜のタイミングで一番大事な時期にきちゃったのよね。37か8。それぐらい。40前だよね。
その頃に、何かそういうのが、自分もダメダメになったし、人と会いたくもない時期にもあったし、劣っている自分を見せたくないとかね、そういうのを思って何をやったかっていうと、自分のことを全く知らない人たちがいるところに行こうと思って、旅をしまくってたんですね。
週末は大体家にいなかったです。当時付き合ってた女性がいたり。だからその人が遠方にいたから、ちょっと行ってたというのもあるんですけどね。

だから、ほんとね、その頃は辛かったです。
もう笑顔がなかった。
笑うことない。
もうどれぐらい結構、長い期間、無表情、本当に。
うん。
怒りしかないみたいな。そんな感じでしたけど。
そういう時期を経て、だけど旅先では忘れられるんですね。そこにある種、今から思うと最初は良かったけど後はちょっと現実逃避になってたかなぁとかね。

結局スピリチュアル的な世界の用語で言うと、内面探求っていうのがスタートしちゃったっていう感じがするかもしれません。今から思うと。
それがなかったら普通に暮らして普通になんか仕事してこういうもんだと割り切ってたのか、さらに上を目指して、転職してキャリアアップしてどうのこうのと、もちろん今も無くはないけども。
なんかね、間違った方向、自分本来の自分とかけ離れたところで頑張ろう、頑張ろうっていうのを、さらに進めてたような気がします。

今ちょうどお話しながら、あ、そういえばそうだと気づきながら、今、話してんですけど。

qbc:
うん。

スミス:
だから10年ちょっとかけて、旅をする。自分の人体実験ですよね。
自分のそういう、もう動けないような状態にもなりながら、だけど毎日、どういうわけか4キロ5キロ歩いてたりとかね。うん。
閑職だったときは本当に毎日4、5キロ歩いてました。そしたら17キロ痩せちゃったとかね。また10キロ以上太っちゃったんですけども。
そういう体。体というよりも身も心も人体実験したんだなと思ってね。何のためにそれをやってんだ、俺は、と思ったけど。

qbc:
それが、鎌倉以降の10年という感じ?

スミス:
そうですね。だから鎌倉から出て、また代々木公園、代々木上原に引っ越したんです。
そこが元々社会人1年生のときに住んでた場所なんですよ。その住んでた当時、社会人1年生のときに住んでたマンションの、真裏のマンションに引っ越してたっていうね、全然気づいてないんですよ。

あれ、昔住んでたところの裏じゃないのここ? みたいな。
要はもう一回原点を見つめ直せって言われてんだろうな、と思ってましたけどね。当然荷物が入り切れる、荷物をとりあえず押し込んだような家だったんですけど、物置のような家だったんですけど。

目黒に行って渋谷、広尾に行って、いろいろ物件の買い逃しだとかなんとかだっていうのがあって、もう何かとりあえず、どうでもいいと、もう1回実験してみようと思ったんです。それが5年ぐらい前ですかね、4年半か4年半前。

もっと狭くてもいいんじゃないかと。部屋は。生活費コストを落としてみようと。家賃、前のとこちょっと高かったんで、家賃を許せる限界まで落としてみようかっていうふうに思ったんですね。
どうせもう週末は旅行行ったりとか家にいないから、もう狭くてもいいんだと。毎週海外は無理だけど、月に2回はうまく東南アジアとか行けばそれなりに安く楽しく過ごせるからいいや、と思ってたんですね。
当時は渋谷の広尾の方にいたので、近辺ですね、港区とかあの界隈ですね、南麻布とか麻布とかあの辺も昔住んでましたから、行ったんですけど。なんかピンとくるものがなくてね。

その、不動産屋さんが、ちょっとね。普通じゃないんですよ。
なんかね、ちょっと神がかってる人で。若いお兄ちゃんなんだけどめちゃくちゃ色が白くて。日本人なんですよ。日本人なんだけど、なんかちょっと普通の存在とちょっと違うなっていう感覚があって、ちょっとね、ピントがずれてるんですよ。
ピントがずれてて、最初は希望するエリアの物件を何件か見せてくれて、何か違いますね~と。そしたらある日ね、ここはお勧めです、ちょっと希望するエリアじゃないと思うんですけど、ここは絶対見てください、みたいなことを言われたんですね。

資料を送りますとか言って、三軒茶屋じゃないかよと。一番住みたくないとこなんだけど、と思って。でもまぁ行ってみるかと思って会社帰りにちょっと立ち寄って外からちょっとその建物を見てみようと。
三軒茶屋、相変わらず駅ごちゃごちゃしてるし、駅からちょっと歩くし、どうなんだろうと思ったら、その建物の周りだけは道もまっすぐだし、ちゃんと静かなとこだったんですね。
本当にあの、幹線道路のすぐそばなのに。なんでここの区画だけちょっと違うなと思って。で、いろいろサービスもしてくれたんですね、新築で建って1年、誰も入居者がいないっていうね、その部屋は。
そこに私今住んでるんですけど、1年以上空き部屋になってますと。家賃をちょっと下げますとか、1ヶ月フリーレント、1ヶ月の家賃無料ですとか、そういうのが今じゃ考えられないけど、当時は普通にあって、敷金も1ヶ月でいいです、礼金はありませんとかね。

もういいよ、ここで。
もう面倒くさいからって許せる範囲だしと思って。最初の1年生、社会人1年生の頃に住んでたとこよりちょっと広いぐらいのね、8畳と台所がちょっと付いているような家なんですけど。暮らせるんだろうここで、と思ったら、まぁいいや、もう三軒茶屋、意外と許せるからとりあえず実験してみようと。
どうせ飽きたら、もう1年もかからずに引っ越せばいいやと思って、引っ越してきたんですね。

そしたらば最初の1年、1年弱かな、違う違う、引っ越してすぐネットでね、不思議な占い師を見つけるわけですよ。三軒茶屋に住んでる占い師さんを見つけちゃうわけですよ。その人のブログを読むようになって、またけったいな経歴の人がいるなと思って、占い師さんなんですけどね。
これは会いに行かなきゃいけないと思ったんですよ。

関西人の人で、私も十年ちょっと大阪にいましたし。っていうので、その占い師の先生のつながりで、いろんな面白い人と出会っていくことになる。と同時に、占い師の先生にも定期的に見ていただいているっていうのもあるし、そこのつながりでいろんな、また違うセッションとか、違う人を紹介してもらったりとかっていうのもあって、なんか自分取扱説明書の執筆のスピードが速くなったのはあると思います。

何かすごい脈絡がなくてごめんなさいね。

結局引っ越しっていうのも旅行と同じで。
引っ越しをすることで、その変化、飽き性だっていうのもあるんですけど、引っ越しをすることでその、刺激を変える、その刺激を変えることによって自分を深く知るっていうのはあるんだと思います。

だから私、生まれてこの方、引っ越しした回数が、子供の頃、転々としてたのも含めてしまうんですけど、今のこの家で23回目なんですよ、確か。22回目だか23回目だか。もう覚えてないけど。次引っ越そうかなと思ったらたぶん24回目。25回目か。
だから2年に1回引っ越してんのね。2年、2年足らずで2年弱で1回引っ越してる計算になりますね。
だけど、今、三軒茶屋も何だかんだもう5年弱いますからね。5年間、そろそろもういいだろうと思ってたけど。

という不思議なご縁でね。本来行く必要もないっていうか、行く必要もないと思ってたし、行きたくもないと思ってた場所だったけど、こうしてみて、不思議な占い師さんと出会いました。そこのつながりの変わったお姉さまたちにいっぱい会いました。
ちょっと面白いことやってるqbcさんっていう人とお知り合いになりました。今こうしてインタビューしていただいてるわけですし。

あとはちょうどコロナがあってね、その頃はコロナがあって、この狭い家で仕事やりながら自分の家兼オフィスとして仕事をするのはちょっと辛いなと思ったんだけど、こと食事に関しては三軒茶屋でよかったなぁと思いましたね。デリバリーの種類が多い。意外とそのときに意外と三軒茶屋っていいじゃないって思ったんですよ。やっと思えたっていうのかな。
あとは空港、空港にタクシーで行くのはめちゃくちゃ早くていいっていうのはありますね。

っていうふうに。何かそういうのをきっかけに、何でしょう、過去嫌だったなとか思ってたことも、今から思うと実はこういうことだったんだよね、とか良かったよねとか、いやなんだけど絶対許さないかっていうと、そうでもない。
そこには新しいスキームもあっただろうし、やむを得ない状態でそうなっちゃってたんだろうなぁとかね、しょうがないねとかね。っていうふうにちょっと自分をだいぶ許すようになったのかもしれません、もしかしたら。それは年を取ったかなっていうふうに言われたらそれまでなんだけどね。

正論が通じる世界

qbc:
性格は? 周りの人からは、なんて性格だって言われます?

スミス:
うん。まぁ頑固だよね。
気は利くとか。なんかやっぱサポートをしてるとか。
結構、我は強いです。我が強いとは言われます。
損してるね、ともよく言われます。

qbc:
損してる?

スミス:
損してる。だから、あんまり人付き合いって八方美人でもないし、嫌なものは嫌って言っちゃうタイプだから、それは顔にも出ちゃうし。
なんでしょうね。
そういうので、世渡りが上手いかどうかっていう観点で言うとうまくないよね、損してるねっていうタイプですね。だけどやっぱり、仕事やら何やらは早い、パパッとやっちゃう。

一時期、私も本当に日本が合わないんだろうか、じゃ海外でも行くかって思ってた時期もあった。
アメリカとか行くと楽ですもん、生き抜くのは。生き延びるの大変だけど、ちょっとだけアメリカにいましたけど、大変だけど、何か言いたいこと言ってそれはそれでいいんじゃないっていうのは、ストレスは無かったんですけどね。
英語がそこまでもう本当にペラペラな感じではなかったのであれでしたけど。

qbc:
自分自身では。ご自身ではどういう性格だと思っていらっしゃいますか?

スミス:
私ですか?
基本的に。やっぱ探究心は強いですよね。納得するまで調べ続けるとか。自分が納得しないと動かないとか、うん。そういう意味で頑固なんですね。

自分なりの、独自の何か理論体系とか、理屈づけっていうのが、何か行動をするときには何かネックでもあり、それがあると、あぁ素敵にやれるみたいな。まぁ、使いにくい人ですよ。自分で言うのもなんだけど。どうしてくれんねんって感じですけどね。

やっぱり実は素直なんですね、実は素直で、だけど変になめられたくないから、僕は何も知りませんとか、私は好き勝手やりますよとかって平気で毒づいちゃうんですね。ちょっと、あまのじゃくなんでしょう。

(間)

qbc:
過去一、自分をうまく使った人間を教えてください。

スミス:
過去一。基本的に上司とかそういうの馬鹿ばっかだと思ってるんで。

qbc:
自分をうまく利用したって人でもいいですよ。

スミス:
うまく利用した、悪い意味で利用したってことと、いい意味で利用した、うまく使いあげた。うまく私を活用してくれた、両方でいいですか? 両方含んでも。

qbc:
いいです。

スミス:
で、いくと。私ね、一時期、まだ30過ぎ、29後半、30ぐらいのときにある霞が関の役所に出向してたんですよ。そこのね、上司っていうのは官僚ですよね。
私をよくうまく使い倒してましたね。それも、その気にさせるのがうまいんですよね。自分も、もう死にそうな感じで頑張ってるわけですよ、その人も。何とかしてやんないとなっていうのもあるんだけど、またそれがうまいわけですよ。手抜くのもうまいし。
っていうその人だと、今、ぱっと顔が浮かびましたね。

官僚、キャリア官僚ってこういう人たちなんだみたいな感じでした。っていうのは、やっぱり、使い方がうまかったなって思いますし。
だから、私をうまく使ってくれないと、まず相手にしないから、みたいなそういう流れが、そんな感覚ってのが、今、強いのかもしれません。

qbc:
それは、よく使った評価? 悪い意味で利用された評価?

スミス:
よく使った評価ですね。よくぞ使いこなしてくれたと言う感じね。

qbc:
なるほど。

スミス:
いや、もう本当に忙しかったんですよ。もう本当に忙しくて、帰ってくるいつも夜中の1時とか2時とかだったんで。
だから、常に顔を合わしてるわけですよ。仲良くないとそれは嫌だよねっていうところもあったんだけど。だけどやっぱり自分で少し、一応ね、上司になる人だから、ましてや外部の民間企業から来てもらってる人たちが部下なわけだから、もう役所に行きたくありませんとか言われちゃうと困っちゃうんで。

気を遣いながらも、でも、役人の水準の仕事をやってもらわないといけないっていう立場だったと思うから、駄目出しをしょっちゅう毎日のようにやられましたけど、でもそれでもへこたれずにというか、気分よくやらせるように、フォローとかそういう気遣いは非常にうまい人でした。

自分自身も遅くまでやってるし、それで7時ぐらいに帰られたらこの野郎って感じですけど、じゃさよならとか言ってまた何時間後、また会いましょうみたいな感じで、やってましたからね。とにかく忙しかったね、あの頃は。

qbc:
その時の感情は? 喜怒哀楽。

スミス:
感情。喜怒哀楽は。
これがね、不思議と、意外と合う業務のうちの一つなんだなと思いましたね。大変なんだけど、時間的な拘束はすごいあるんだけど、合間合間は結構抜けるというか、手空きな時間が結構多いので役人って。拘束時間は長いけど手空きの時間があるっていうのと、やっぱり何でしょう、やっぱり頭を使う仕事なんですよね。ロジック作るのが仕事なんで。なんだけど、意外と向いてるかもって思いましたね。

qbc:
具体的に、どんなお仕事だったんですか?

スミス:
私は、不動産関係の税制の担当だったんですけど、いろんな業界団体の人とか、事業者の人たち、いろんな人がこうやってくれ、あぁやってくれとか、いろいろ調整もしながら役所の中の調整もやりながら、物事を、企画を進めていくっていう仕事だったんですけど。
そこの調整の時間、打ち合わせの時間とかも夜9時からとかね、そういうような状況だったけども、税制だったら財務省だとか、総務省とかにこんなのでこの税制でまけてくださいみたいなのをこうね、持っていって認めてもらわなきゃいかん、というのがあるわけですね。
そういう調整業務とかロジックですね。いろんなデータ引っ張り出して、要はこじつけでもいいから作るわけですよ。っていうのが、何なんだとか思ってましたけど、意外と向いてるかもって、この感覚。
できちゃう。できちゃってるんだけどって。っていうのは、なんか自分でもびっくりしましたね。

qbc:
シンプルに、感情はどんな感じでしたか?

スミス:
感情で言うと、びっくりしたっていうのかな、意外と、あ、俺できるかもって。なんか嬉しい! みたいな。あと新しい発見ですよね。あ、こういうことできるんだ~って。うわ~俺、こういうことできちゃったよ~って。うん。
新しい可能性に気づいたっていうんですか。なんか体はもう大変だったし、もう毎週毎週ね、麻布十番にあった酸素カプセルに入りに行ってましたもん。

やってたんだけど、でも体力は何かやっぱり身についたんでしょうね。そういう激務だったけど、金曜日、日付上は土曜日のAMとかに帰ってきますけど、その日のまた6時半ぐらいに家を出て、飛行機に乗って遊びに行ってたような人ですから。温泉入ったりとかね。
何かバイタリティみたいなものが、潜在的なものがちょっと出てきた、表に出てきたのかもしれない。開花したのかなっていう感覚がありました。

何かそこは、嬉しいとか楽しいとか悲しいとか、むかつくとかっていうんじゃなくて、発見でしたよね。新しい自分が見えたっていうか。2年経って出向はもうまた戻ったんですけどね。その直後に、今の会社にちょっと転職したんですけど。

出向していたときは、やっぱり、感情で言うと、もうやってらんないよ、もう嫌だなっていうようなことを言いながらも、心の奥底では新しい自分を見て喜んでたって感じかな。
新しい自分を見ることに感動してたって言った方がいいかもしれない。

qbc:
家族恋人親友、身近な人からは、なんて性格を言われますか?

スミス:
やっぱ頑固だよね。あと何考えてるかわかんないとか。
あと、冷たそうに見えて、あったかい人。
あとは、女心がわかんないって、昔の女に言われましたねぇ。男の見栄がわからんのか、みたいな感じだったけど。
あとは、親から子は、親からは何考えてるかわかんないって言われましたね。
あと生真面目すぎる。これも言われましたね。身近な人に。友人とか、昔の付き合ってた人とか親とか。

qbc:
生真面目とは?

スミス:
生真面目って、今ふと思いましたけど。生真面目って言われてたのは、実は自分の中の理想を追求するっていう、探究心というのかしら、多分それが、一般的な人よりかは激しいのかもしれないですね。それをもって、頑固であったり、生真面目って言い方になってたのかもしれません。

だから一つ、役所に行ったときにびっくりしたのは、びっくりというか落ち着いたって言った方がいいのかな。やっぱり役人の、特に官僚と呼ばれる人たちの、なんていうんだろう、クオリティの追求度ってのは半端ないわけですよ。水準が高いんで。
ちょっと調べておいてって言われたら、はいって普通にネットで検索したりとか何とかってするじゃないですか。そのレベル感が違うっていうのを、まざまざと見せつけられたわけですね。ここまでを要求するのかここの人たちはと思って、普通の感覚で言うと、これ全然要求水準に満たしてないんだけど、みたいな感じで言われちゃうから。凝りに凝りまくるわけですよ。こういう感じ? みたいな。
役所はね、なんか当たり前の水準感が高い。当たり前のスタンダードが高いところに設置されてるっていうのがあって、それがね、私にとっては、最初はびっくりしましたけど、なんか心地よかったんですよね。それぐらいするよね普通、みたいな感覚で会話ができたから。

あとは私、大学はちょっと希望とは違うところ、希望のところに行けなくて、違うところに行き、大学院が希望のある学校に行ったんですね。そこにやっぱ入ったときも全く同じ。
ちょっと調べといてとか、ちょっと調べとけよっていうふうに、完成度の高さたるや、そこまでやんなくていいんだけど、みたいな。
役人の世界も全くそれと同じだったっていうね。役人をいっぱい輩出している学校だったからっていうのがあるのかもしれないんだけど。そこでね、なんかすごくそれは大変だから嫌だと思う人もいるんだろうけど、うん、私はすごく心地が良かったんです、それで。
当たり前の、自分の興味に対する忠実度っていうのかしら、素直度っていうのかな。それがすごい高いところに設定されている人たち。そういう人たちは大変なんだけど、楽しいっていうのかしら。

qbc:
スミスさんは、何をしているときが一番楽しいんですかね?

スミス:
自分の仮説が当たったときだね。
自分なりの読みが当たったとき。将来こういうふうに変わっていくだろうな。なぜならこういう理由、こういう理由、こういう理由、で実際どうだったか。そのうちの全部は合わなくてもいいんだけど、一つ当たってて、はい、こういうふうになったとか、何かを読み当てた、すごい、みたいな。

qbc:
それは、どこまでの範囲ですか? 時間的にとか、友達の結婚を当てるのか、なのか。どのサイズ感? 距離感、スパン。

スミス:
えっとですねえ。難しい質問しますね~、本当に。

それで言うと、今ふと思いました。すごい、このインタビューって。自分の、今まで自分が気づいてないことに気づかしてくれるインタビューだなと。

何かね、身近なことは、もうどうでもいいって感じなんですよね。
大きな方向性とか、時代がこう変わっていくとか、大局観に持って、仰々しいけど、経済はこうなっていくとかね。例えば景気がどうなっていくとか、個人の趣味、多様性ってのはこんな感じで、今までは10の幅だったんだけど、20の幅になるとかね。
ていうところに頭がいっちゃうんだよね。だから現実的じゃないかもしんない。自分の実生活がボロボロだからそれを立て直さなきゃいけないっていうのは、課題なんですけど。

頭がなんか違うとこ飛んじゃうような感じがあって。
そういう意味では、役所のやっててよかったなと思ったのは、正論が通じる世界だったんですよ。正論、意義を議論するみたいな。そんなどうでもいいじゃんみたいに思うんだけど。意外とこういうの好きだったんだみたいな。

qbc:
突拍子がなかったとしても、ロジックが合っていればそれはおかしくないって話ですよね。

スミス:
そうそうそうそうそう。それで、だけど全般全体で見たときに、ちょっとやりすぎだよね、そうなっちゃうとこういう影響が出てきちゃうよね、とか。

結局は、それとなく普通っぽいものに落ちつくんですよは。結局はそうなんだけど、こういう議論を経て、この、なんなんだこれは? っていうものになっちゃうんだけど、そういう巡り巡って、そういうふうに落ち着いてるっていうのが見えて、なんだかんだ言いながら役所は適当にだまくらかしてるのかなと思ったのが、そうじゃないんだって見えたのが、私としては、中に入ってみて知り得たことっていう意味では、ね、良かったなと思ってるんですけど。

官僚の思考パターンっていうのが、あそこで体得ができたっていうのは、大きいかもしれません。体得ができたまで言わないかもしんないけど、何となく彼らの思考パターンっていうのが、感じ取れるようになったっという意味では、その後、自分なりに将来どうなるのかとか、いろんな例えば、コロナの対応はどうだったのかとか、何でもいいんですけどね。

そのときに政府は何を思ってるのかとか。
っていうのが少し深みを持てるように見えてきたっていうのが、あそこの、霞が関と言われてるところに少しいたっていうのは、意味があるのかなっていうふうには、感じてますけどね。

終わりに。

インタビュー終盤で引いたカードは戦車の逆位置。
思うのだ。人はどこまで人を知るんだろうかって。自分のこともわからないし、他人のこともわからないし。わかるといえば、科学で証明されたことだけな気がする。しかも、なんか、こういう限定的な状態でだけですよみたいな、役に立つのか立たないのかわからないようなびっちびちのぎっちぎちのひしめく前提条件に言いくるめられた、その場限りみたいな真実、結論、論理で。
まあいいでしょう。
これが人類の歩んできた道のりなのですから。

ともあれ、私は、インタビューを終えて面白かったなと思った。
インタビュー翌日に文字起こしと編集の依頼を担当にかけ、数日で仕上がる。私は数日間原稿を置き、三軒茶屋の元軍の病院で、元子供の病院だった跡地に建ったという黒いマンションを見に行った。あった。
今では中国人に買い占められて、サブリースでずいぶん高く家賃をつけられているらしい。

マンションの前にはカフェがあって、午前9時過ぎ。あんま、人いなくてさ、そこで原稿をすこしやりながら、文字起こしルールの修正案を担当にチャットで投げかけながら、した。
時折、音声を聞き直す。インタビューの音源を聞き返すと、こんなこと喋ってたっけ?
と思ってみたりする。忘れてたかもしれない。
しょせん他人の記憶だしな。
どんな書いても、忘れるものさ。

今晩、またスミスさんにインタビューをする。わけだが、どうなるのだろうか。そもそもこのインタビューに目的はあまり設けてないが、探ったり、内面に潜ったり。何かが見つかればいいなとは思う。
結局参加者にほだされるのだ。
今回のインタビューのテーマは発見なのかもしれない。まあ、発見のない、自分の知らない気持ちを口にすることのないインタビューなんて、面白くないけどもな。
時は過ぎるかもしれないが、人の中身には濃く、深く、血の色のような、記憶が、まさに、きざまれたり、しているものな。
忘れられない。体は覚えている。20240412。

裏無名人インタビューのご応募はこちらから。

#裏無名人インタビュー #無名人インタビュー #インタビュー #人生 #コミュニケーション #失敗 #引っ越し

いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!