朝晩お祈りをして信仰と一緒に生きる人
ご存知の人もご存知でない人も、私qbcはインタビュー中、タロットカードをしゃかしゃかしゃかしゃかシャッフルしています。時々カードを引いて、へえ、と思っています。
へえ、戦車。へえ、愚者。って。
私ね、思うんです。タロットカードも出たカードの意味を読み解くじゃないですか。今この時にラヴァーズが出ました。恋人のカードです。さて、この意味は?
僕は、ウムムと、考えたー。
これって、ふつうに人間がする質問と一緒じゃん、て。人間がする質問は、多少は前後の文脈考えてますよ。でもね、500回もインタビューしてきた人にわかることとしては、そういう前後の文脈を意識した質問よりもね、文脈無視、論理論考ブッチぎりの質問のほうがね、回答者に喜ばれるんですよ。
へえ、おもしろいねえ。
おもしろい質問だねえ。
考えたことなかった、そんなこと。
例えば、あなたの人生を三章に分けたとしたら? とか。
新しい発想、できたよ。ありがとう、なんて感想が。
ようするにね、人間の思い込みをブチ壊すには、自分以外の角度からやってきた矢印が必要なんです。ズバアアアアアンって感じのね。わかる? わかってほしい。世界人類のために。
ということでみんなの無名人インタビューよろしくねえ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】
今回ご参加いただいたのは 光子 さんです!
現在:日本の神様と話をするとか何か見せてもらったりとかができる人なんです
石井:今どんなことをしている方か、伺っていいでしょうか。
光子:はい。活動としては、自分のオリジナルのタロットカードを作ったんですね。こんなことを言うと変な人だと思われるんじゃないかといつも思ってるんですけど、日本の神様と話をするとか何か見せてもらったりとかができる人なんです、私。
神様に「神様の得意なことは何ですか」と伺い、「こんなカードを作ろうと思うんですけど参加していただけますか」って聞いてみて、いいですよって言ってくださった神様に得意なこととあとはどんな絵柄がいいかも聞くんです。
こういう絵柄がいいっていう方は、「こういうのにして」ってのを見せてくださるんですね。なので、見せてくれたのをできるだけ忠実に描くか、あとは「何でもいいよ」って方に関しては、こっちから「こんなのどうですか」って提案して、それでいいよって言われたのを描きました。
要は、タロットの形式ありきというよりも、この神様の得意なことが必要な人は、タロットで言うとこういう状態の人だよねというのを、タロットの大アルカナ22枚に当てはめていったんですよ。
そうすると、例えばそのカードがアドバイスで出たとするじゃないですか。アドバイスで出た時に「ちょっとこれするの難しそうだな」と思った時に、「この神様、そういう人をサポートしてくださるのが得意だから、この神様にお願いするといいですよ」っていう使い方ができるカードなんですね。
(こんなカードです)
そういうカードを1年ぐらいずっと作ってて、この度5月に出したんですね。というわけで一応やっていることは占い師なんですけど、「私は占い師なのかな?」ってずっと思ってる感じですね。大丈夫かな、こんなんで。書けるかな?
石井:はい大丈夫です。占いっていうのがお仕事になるんですか。
光子:そうですね、占いをしつつ。
前はね普通に働いてたんです。前は事務職をしてたんですけど、突然病気になって、自力で立つことも歩くこともできなくなって。その後、しばらくしてから原因がわかったんですけど、治療しても治る見込みが割と高くない、完治するとしてもこれぐらい時間がかかるっていう説明を受けて。
病気の名前、脳脊髄液減少症という病気なんですけど、それを聞いて「ずっとこのままここにいるのでいいのかな」と、ちょっと方向転換した方がいいんじゃないかなっていうので退職して、占いをすることにしたんですよね。
今はだからその占いと、あと、友人が声をかけてくれて、その友人の会社の事務の仕事を手伝ってますね。仕事としてはそんな感じかな。
石井:ありがとうございます。どうして占いを選んだんですか。
光子:占いの勉強してたからなんですけど、占い師になったのは。
占いの勉強を始めた理由は、占いが好きな人では別になかったんですよ。元々結構ね、占い信じてなくて、インチキとは言わないんですけど、占い館とかも行ったことがなかったんですね。
思い返せば子供のときには、占いって気になる存在だったんですよね。でもなんだろう、「これに手を出したらいけない」みたいな、「危ないものだ」みたいな感じがあって、気になるけど、タロットとか触ったこともないし、ちゃんと見たこともないみたいな感じでずっと来たんですね。
石井:はい。
光子:ただその占いの話とちょっと別で、16歳のときにある日突然わからないものがわかったりとか、見えないものが見えるように、突然なったんです。それでですね、最初の頃は、ちょっと今までと違う状態だからそれが面白かったんだと思うんですよね。
面白かったんですけど、だから調子に乗ってたのかな。そういうものに近しくいることが危ないっていう意識が全然自分の中になくて、結構怖い思いをしたんですよね、見えないもののことで。それで、「結構これって危ないな」みたいな、最初は突然そういうふうにいきなり分かるとか使えるようになると、コントロールできないんです。
最初振り回されてる状態が、結構ずっとありつつ、そのときに「私はこんなふうに感じる」とか「世界をこんなふうに思ってる」ってこと当時付き合っていた彼氏くんたちに話をすると、引いてるというか、「そんな話をしないで欲しい」みたいなことが結構あって。自分の中で、人に自分が見えないものが見えたりが聞こえたりするお話をするのはタブーなんだなって思ったんですよね。
っていうことがあってそういう部分の自分はずっと隠して生きてきたんです。なんですけど、今は離婚してて、結婚した時もあったんですけど、自分のパートナーとか好きになった人とかに、自己開示がちゃんとできないんですよ。
私はこういうとこがある人だっていうのを、もちろん結婚してたときの元旦那は何となく知ってたんです。一緒にいる時、私が突然びっくりしたりすることがあったからそれとなく知ったんですけど、本当の部分ではね、理解してなかったなというところもあったんですね。
その後に好きになった人とも、仲良くはなっても、自分はそういうとこがあるっていうことを話した時に拒絶されたらどうしようとか、拒絶されたら怖いなっていう気持ちの方が結局勝っちゃって。結局自分の方から、もういいや上手くいかなくて、って思っちゃうんですよ。
そういうことをずっと繰り返してる自分が嫌になって、その時に、「そういえば、占いやってるって人になれば、多少不思議なことを言っていても許されるかもしれない」と思ったんですね。そういう理由で、じゃあ占いの勉強しよう、ということで占いの勉強を始めました。
石井:勉強を始められたのは、いつ頃のお話なんですか。
光子:何歳だっけな、30いくつだっけな。32、3歳かな。
石井:そんなに前のことではない?
光子:そんな前じゃないですね。だから、2020年か。2020年ですね。
石井:本当に最近。そこからタロットを作られるところまで、あまり時間が経ってないですよね。
光子:そうです。そうだと思います。ただ、見えないものが見えるとかそういう自分と共存するために始めたはずだったんですけど、タロットを勉強してみたら、まずめちゃくちゃ面白かったんですよ。
めちゃくちゃ面白くて、例えば闇雲に未来を予言するとか、あの人はどんな気持ちなのかっていうのを当てるとかね、そういうんじゃなくて私が出会ったのが、「今ちょうど自分の前にある問題とどう向き合うか」っていうような占い方をする方法だったんですね。
そうすると、例えばですよ、仕事でうまくいくにはどうしたらいいですかっていう問いを立てて引いたときに、最終的に仕事でうまくいくためには、自分のパートナーとのことをちょっと1回振り返りましょうとか、家族の過去のことを1回振り返ってみましょうみたいな、結果になったりして。
結局その行為自体が、問い直されるというか、書き換えられるみたいなやり方をする方法だったので、それがめちゃくちゃ面白かったのと。
後はタロットが初めて届いて、初めて手に持ったときにすごいビリビリビリーってなったんですよ。全身に電気が走るみたいになって、そしたら何となく見えるとか聞こえる、それまでも神様喋ってるのが聞こえたりしたから、何となくではなかったんですけど、ふんわりあったものが、突然すごくはっきり見える聞こえるわかるみたいになっちゃったんですよ。占い始めたのがきっかけで。
それもあったし、あとね占いの勉強を始めたら、あっという間にカード読めるようになったんですよね。その後四柱推命もやって、それもなんかすごい向いてたんだろうな。で、そんな事をして、占いの勉強始めて半年ぐらいかな、半年ぐらいしたら突然病気になったっていう感じですね。
石井:占いの勉強を始めた後に病気になったんですか。
光子:そうですそうです。そっちの方が後でしたね。
石井:タロットを作ろうと思ったきっかけとかって、何かあったんですか。
光子:きっかけはですね、その後「占いをやります」みたいな看板を出して、個人的にやり取りしてお客様に来てもらって、鑑定だとかタロットをお教えするっていうことをしてたんですけど。最初はね普通のタロットを使ってたんですけど、それが物足りなくなったんですよ。
で、もの足りなくなって、そのときに一緒に習ってた門下生の人たちが使ってたカードがあって、私はそれに対して抵抗があったんです。というのもそれが天使のタロットだったんで、ちょっとそこには抵抗があったんですよね。神様と普段コミュニケーションとったりしてるのに天使か、っていうのはちょっとあったんですけど、始めたんですね。
皆のやってるのを見てすごい良さそうだなと思ったから始めたんですけど、ただ始めたら最初体が拒絶反応してすごい寒くてしょうがないとか、頭が痛くなっちゃうとかそういうことがあって。
そのときに、「なんで私神様にこんなに普段、仲良くしてもらってっていうと変ですけど仲良くしてもらったり、よくしてもらってるのに、なんで天使に頼ろうとしてるのかな」って思ったんですよ。
その天使のカードが、「このカードはこういう意味です、これが難しかったら、この天使さんにサポートをお願いしましょう」みたいな使い方ができるもので。同じコンセプトで、日本の神様でカードが作れないかと思ったんです。それがきっかけでした。
石井:神様と天使って、別のものになるんですね。
光子:うーん。エネルギー的に違うっていう感じかな。例えば色んな世界の場所で、そこで信仰されてる神様っているじゃないですか。
私は日本の神様しかわからないけど、多分そこの、世界のいろんな場所の神様もいるんだと思うんですよ。だから天使もいるんじゃないかというか、天使のカードを使い始めたら天使いるんだなとは思ったんですけど、違うものですね。
石井:なので、そのどちらかを神様に頼っているというか、仲良くしてもらっている間はやっぱり神様の方がっていう感じなんですね。
光子:どっちがというか、天使は私が拒絶してたからすごい拒絶反応が出たんだと思うんですよね。だから私が受け入れたら、全然そういうことは起こらなくなったんですけど、ただねもうエネルギーとしては違うものでしたね。
エネルギーってのは例えば神社に行くと、鳥居の外までその神様のエネルギーが溢れている場所もあって、鳥居の中に入るとそこの神様がどういうエネルギーなのかって明確に感じるんですね。それで、そういうエネルギー的な意味でやっぱり天使と神様は違うものだなって感じかな。
石井:そういう活動をされる中で、さっきおっしゃってたパートナーの方との関係は変わられたりしましたか。
光子:そうですね。でもね、やってみて気づいたのは、「パートナーが欲しい」っていうのが別に私が最も望んでたことじゃなかったってことなんですよね。
石井:そう思われてた時期もあったっていう?
光子:というか、不思議なことがわかるとか、そういう自分を抑えて生きてきて、こういう自分をね、拒絶してたんですよね。そうすると別に特にすごくやりたいことってなくて、その当時。料理か美容しかやりたいこともなかったんですよ。そうすると気持ち的に暇だし、「みんな結婚してるし」とか「みんなパートナーいるし」みたいな、そういう「みんな携帯持ってるから私も欲しい」みたいな感じですかね。
それで、パートナーっていうふうに思ってたんですけど、ただ自分自身を受け入れて、かつ対外的にも自分はこういう人ですって出し始めたら、「私これを使って活動したかったんだね、本当は」って感じだったんですよね。だからそうね、自分がどうしたいかだな、「別に合わせる必要ないな」みたいな感じになったんですかね。
石井:考え方としては大きな変化だったんですね。
光子:そうですね。あとこれは、占い師を始める前、タロットを学んでた時のことなんですけど、子供のときに父が不倫してるんじゃないかっていう時があったんですね。その時のことがすごく自分の中では傷ついてて、父のことを悪い人だと自分の中で思いたかったんですよ。「私は父に愛されてなかった」みたいに思いたかったんだと思うんですね。
それでね、自分が心の深い部分で、潜在意識で思ってることって、要はそれが色眼鏡になっちゃうんですね、潜在意識の中で思ってることが。何ごともそういうフィルターを通して物事を見ちゃうんです。だから、自分が愛されてない愛されないっていうフィルターを通して物事を見ると、実際は愛されていたとしてもそれに気づけないんですね。
それで占いの勉強をしていく最中で、自分の中にそういうフィルターがあることに気がついて、過去の父のことがあったときに悲しかったこととかを思い出して、夜中にすごい泣いたときがあって。
そのときに小学生だった私に、「今の私ならなんて声をかけてあげようか」みたいな、そういうやり取りを、自分と向き合ったって感じかな、したことによって自分の中の父のイメージがガラガラって変わったんです。
父はひどいやつだと思ってたんですけど「母にこんなにあれもこれも、あれもこれもやってあげてた」「自分にもこんなによくしてくれた」ってことを突然思い出したんですよ。
そしたら、例えば元夫とも復縁する気は全然ないですけど、元夫にも、すごい私愛されてたんだなとか。結局その後、私の方から拒絶した彼にも大事にされてたんだなっていうこととか、いろんなことに気付いたんですよね。
だから、こっちからわざわざ愛されることとか、愛される自分をつくるとか、そういうことに力を注がなくていいと思うようになったんですよ。
そういうのも含めて、パートナーはどっちでもいいって消極的な言い方にもなるけど、でも、例えばですよ、結婚してる間大変だったってのもあるけど、「パートナーがいながら自分を偽ったり、自分の感情とかね、欲求とか抑えて生きるよりも、1人でいる方が楽じゃん」って思うようになったって感じかな。
過去:音楽する才能がある人をサポートする人なら価値あるじゃんって、それを自分の価値にしようと思ったんですよね。
石井:今のお話とも通じるところがあるかもしれないんですけど、光子さんはどんなお子さんでしたか。
光子:わかりました、子供のときですね。子供のときは、元気な子。いいのかな、こんな言い方で。
外で遊ぶのが好きな子で真っ黒に日焼けしてる、ただの食いしん坊な子でした。ただ昔からね、日本的なものとかがすごく好きな子供ではありましたね。着物とか、日本的なもの、神社とか昔から好きだったし。ただね霊感とかは全然なかったです。
私の母も見えないものが見えたりとか、そういうわかるような人だったんですね。それで父方の祖母、だから母と血が繋がってない祖母もそういう人で、千里眼とか近所の人とかに呼ばれてたらしいんですよ。とかだったり、父方の祖父のお父さん、だからさらにおばあちゃんとも血が繋がってないひいおじいちゃんもお坊さんで不思議な体験をしたりとかしてて。
なんかね、血の繋がってる人、その3人はそれぞれは繋がってはないけど私とは繋がっている人たちには、そういう人が結構いたんですよね。だから不思議なことがわかるとか見えるってのは割とうちの中では普通のことだったんです。でも自分はそういうことはなくて。小学生の時に友達がトイレでお化け見たとか言っても、大変だねみたいな、そういう子供でしたね。
これは私は全然覚えてなくて、親の話を聞くことでしか知らないんですけど、まだ喋れなかったとき、1歳ぐらいかな、それぐらいの時に親が、雅楽で使う笙ってわかりますか。雅楽で使う楽器の名前なんですけど、笙っていう楽器のCDをかけてたらしいんですよ、家で。
そしたら突然オーディオに向かって、ひざまずいたらしいんですよ。ひざまずいて拝んでたらしいんですよ。それで親にも手を引っ張って、喋れないから手を引っ張ってこうしろってするだけらしいんですけど、一緒に拝んでってしたらしいんですね。
要は神社で流れるような音楽なわけですけど、それに対して拝んでたっていうようなことがあったらしくて。面白かったって親がその後何度も話してて、そういうところはあったみたいです。でもただの、焼けた食いしん坊でしたね。
石井:覚えてはいらっしゃらないんですよね、そのエピソードのことは。
光子:そうですね。小っちゃい時すぎて。
石井:覚えてらっしゃるとこからすると、本当に食いしん坊。
光子:ただの食い意地の張った、声のでかい子供でした。
石井:それはいつ頃までの描写になりますか。小学校、中学校?
光子:11歳のときに、突然そういう感じじゃなくなって。っていうのも、突然そのときに原因不明のめまいが始まったんですよ。今考えれば、結局立てなくなった病気の脳脊髄液減少症はそこから始まってたんですけど、高いとこから落ちたりしたら、その衝撃で硬膜っていうところに穴が開いて、髄液が漏れるっていう病気らしいんです。
木に登るのとかも好きだったし、鉄棒から落ちたこともあるし、結構おてんばだったんですよね、日に焼けてるぐらいだから。だからどっかのタイミングで落ちて、漏れ始めたんだと思うんですよね。
で、11歳のときに突然めまいがするようになって、それから何かずっと体調が悪くて。いろいろ調べても全然原因わからなかったんですけど、ずっと体調が悪くて、食いしん坊ではあったけど、それまでとはちょっと違ったかなって感じですね。
石井:それが中学生のときに?
光子:小学校5年生ですね。
石井:なるほど。中学生高校生はどんなお子さんでしたか。
光子:そもそも学校嫌いだったんですよね。小学校のときも。
中学生のときは、学年中の男子にも、なっちゃんというあだ名で呼ばれてて、なぜか。全然知らない別のクラスの男子にもいきなり。いや、初対面だからさすがにその呼び方は、ってこっちが思うぐらいその呼び名が浸透してるっていう。
なんだろうね、マスコットキャラクターみたいな子だったのかな。別にモテてるとかそういうんじゃないんですけど、そういう位置付けの子供でしたね。
石井:なるほど。それ自体が嫌だとか、そういったわけではなかった?
光子:全然、嫌だというよりも、別にそういうふうに呼ばれてるな、みたいな感じですね。先生にも呼ばれてたし。
石井:中学生のときは特に学校は嫌いとかは?
光子:学校はそもそも嫌いなので。
石井:どこに行ってもなんですね。
光子:学校は別に楽しいと思ってる子では、ずっとなくて。別に嫌いとか、すごく行きたくないというほど積極的に嫌だったりとかいじめられたりということは全然ないですけど、普通に行かなきゃいけないから行く場所でした。
石井:それは高校生までずっと。
光子:そうですね。高校生は高校1年の時に、突然いろいろ見えないものがわかったりするようになって、なんか翻弄されてて。あとは最近よく言われてるHSPってあるじゃないですか、ハイリーセンシティブパーソンというか、むしろエンパスってわかります?
石井:共感ですかね。
光子:そうです。私の場合はね、人の感情を自分にトレースしちゃうんですよね。子供のときはあまりなかったけどやっぱりいろいろわかるようになったぐらいから結構あって。だからねなんだろう、自分の感情が落ち着かない感じがずっとあって、そういう苦しさはありましたね。
高校生のときはすごい校風も自由な学校で、授業中は寝てて、部活ばっかり一生懸命やってる子で、早弁して、昼も何か食べてみたいな、結局食いしん坊なんですけどね。だから高校生活自体は結構エンジョイしてたと思うんですけど、多分そういう部分があったんで、同時にもやもやした苦しい感じはずっとありましたね。
石井:なるほど、ありがとうございます。高校卒業した後って、どういう所に進まれたんですか。
光子:大学に行きました。芸術系大学に行ったんですけど。あんまりね、これ言っていいのかな、上野の動物園の隣にある変人がいっぱいの国立の芸術系大学に行ったんですよ。
行ってて、なんか変な人がいっぱいいるのと、日本中から本当に音楽と美術ができる子が集まった環境で。すごく特殊な環境でね、とにかく苦しかったです、大学生のときも。
石井:なるほど。
光子:そう、申し遅れましたが音楽やってました。
自分が入学して、半年も経たずに「無理だ」と思って自分の中で挫折したんですよね。それは卒業しないとかそういうことじゃないんですけど、音楽する自分を諦めたんです、そこで。
私才能ないじゃん、じゃないけど、それよりも、人間関係が苦しくて。それまでは行ってた高校もすごい落ち着いた校風で、いい子しかいない学校だったんですね。だから、いじめとかも全然なかったんです。本当に全くなくて、それまで自分が生きてきた環境と人間関係が違いすぎるんですよ。友達っていうか、友達じゃなくてライバルなんですよね。
その子がいるときにはニコニコ楽しく話してるのに、その子がいなくなると突然悪口を言ったりとか。あとは、私の友達がリサイタルをするっていうのでチラシを置いてたりすると、そのチラシをね、同じ楽器の専攻の子たちが破ってたりとか、そういう人間の汚い部分をすごく見る学校で。
みんな変わってるし、でもみんなまだ何者にもなってなくて。みんなすごく才能があって自分がそれまでいた場所では一番だったのに、集まってみたら自分よりすごいやつがいるってことに一番最初打ちのめされるんですよね。
それで、そこに入れるのも一握りなのに、その中からプロになれる人も一握りなのかな、わかんないけど。でも本当に一流になれる人ってもっともっと、本当一つまみじゃないですか。だから、すごい変な環境だったんですよね。
もうね、その環境、競争社会で生きていくってことが私はそもそも無理、っていう感じでした。
石井:その大学を選ばれたのってどうしてだったんですか?
光子:大学を選んだ理由はですね、全く将来のことを考えてなくて、高校のときに音楽か哲学しかしたくないと思ったんですよ。だから哲学科のあるところか、あとでも音楽は、「私大お金かかるから国立しか受けないで」って母に言われたんで、ほとんど記念受験で受けたら受かっちゃったって感じだったんですけど、受かっちゃったとか言っちゃいけないな。そんな感じで受かったからそこに行ったんですよね。
石井:おうちが近かったというわけじゃない?
光子:まあ電車で行けばそんなに遠くはないですけど。
石井:なるほど。大学卒業して以降のことを伺ってもいいですか。
光子:これちょっと大学の時と被るんですけど、大学生のときに諦めた私は何をしようかと思ったかというと、付き合ってた彼氏がすごい音楽ができる人だったんですよ。だから、この人のサポートをして余生を過ごそうと思ったんですよね。
石井:すごい決意ですよね、余生っていう。
光子:というより、税金を使って学ばせていただいているわけじゃないですか。そのことに対して教授がね、「音楽家にならないやつはクズだ」とか言うんですよ。
まあねちょっと変わってて、最初のオリエンテーションでも副学部長さんが、「あなたたちはあなたたちの友達を蹴落として今ここにいるんです、そのことを肝に銘じてください」っていう話をしたりするとか、結構叱咤激励のある学校で。教授の、「こんなに税金使ってもらってるのに音楽家にならない奴はクズだ」っていうのを結構真に受けちゃったんです私は。
だけど、そのまま諦めて、音楽で身を立てるのはちょっと無理だ、無理そうだと思ったんですよね。でも、このまま何も音楽に全然関係ないとこに行っちゃったら、私クズなんだって思って。そうしたときに音楽する才能がある人をサポートする人なら価値あるじゃんって、それを自分の価値にしようと思ったんですよね。決意というよりも逃げでした。
だからね、そうなったのは、占いの勉強を始めるまで自己肯定感が低かったっていうのもあったと思います。だからそういうのを真にうけちゃったし、そうやって自分の価値を保たなきゃいけないと思ったんですよ。
石井:自己肯定感の今おっしゃってくださった低さって、多分音楽だとか競争の環境っていうところもあると思うんですけど、何か他に原因とかそういうものってあるんですか。
光子:そうですね。これは一般的な話ですけど、自分に丸をつけられる理由が、自分のできること、容姿も含めて自分の持ってることとか、そういうことに対してしか自分に丸をつけられない人ってのは自己肯定感が高く保てないんですよ。
一般的に言うと、自己肯定感って、「そのままのありのままの自分でOK」って言えることが自己肯定感が高い状態なんですね。何もできない、何も持ってない自分でもOKって。
だから、例えば親に期待されて育ったとかそういうことで、勉強ができる自分でなければ価値がないとか、こういうふうに思うとどんどん自己肯定感が下がるんですよ。だからある意味親の期待とかそういうのもあったかな。そういうのもあって、自己肯定感は高く保てないところもあったし、自分に結構厳しい、今もそういうとこあるっちゃあるけど、ずいぶん軽減しましたね。
完璧主義とかそういうことによって、やっぱり下がるんですよね。そういう育ってきた環境とか気質的なもので、自己肯定感が低いってことだったのだと思うんですけど。
さっき話した潜在意識の話じゃないですけど、「自己肯定感が低い」ってのはいろんなことを、そういうフィルターで見るってことなので、すべての物事に対して、自分になかなか丸をあげられないような性質になるわけですよ。だからそういうとこがあったかなって感じですかね。
石井:ご両親ってどんな方でしたか。
光子:親ですか。
石井:両親、ご家族ですね。
光子:父はね、ずっと楽器をやってる人で、今もセミプロで活動してるんですけど。ただ、父はそれこそ大学時代に、芸大とか行きたかったみたいなんですけど、男は普通に家庭をちゃんと築かなきゃ駄目だから、普通の大学行きなさいって言われて、普通の大学行って、普通のサラリーマンですね。
母は本が好きな人でほわっとしてるんですけど、たまに言う事がすごい辛辣っていうか、言うことが的確すぎて「もうちょっと言葉をオブラートに包んでいただけます?」みたいな喋り方をする天然ボケの人でした。かつ、いろいろ不思議なことがわかる人でしたね。
石井:ご両親との関係性はどんな感じでしょうか。
光子:母はね、私が24歳の時に亡くなって。父とは小学生のときのことで、不倫疑惑があったので、当時父のことは嫌だったし父のことを嫌な人だとずっと思いたかった。関係は悪かったです、ずっと。というか表面上は良いように繕っているところがあったんですけど、私の中ではずっと父が怖かった。自分の中での記憶を書き換えるまでずっと父が怖かったですね。
石井:それを書き換えられたのが、割と最近?
光子:そうですね。3、4年ぐらい前ですね。
未来:神様は高額献金なんかしなくたって、ちゃんと幸せにしてくれるというか、本当は今でもみんな幸せなんだよ、っていうことを伝えるカードでもあるかなと。
石井:例えば10年後とかってどんな風になっていると思いますか。
光子:それなんかね、割とよく聞かれるんですけどね、私そもそも欲があまりないんですよ。それは問題だと、割とずっとそれこそ学生の頃から言われてたんですけど、物欲とかも低いし、食欲はありますよ。食欲はあるんですけど、他が結構薄くて。だから10年後にどうなってたいとかを、割とちゃんとイメージするのが苦手なんですけど。
それこそ占い師で活動を始めた理由、ブログとかあとはYouTubeもちょっと出したりしてる理由は、脳脊髄液減少症のことを知ってる人を増やしたかったんですね。っていうのは見つけるのがすごい難しい病気で、特殊な検査をしないとちゃんと見つけられなくて、MRIとかだと映らないんですよね。原因不明の頭痛とかめまいとかで悩んでるけど、結局わかんない人とか多分いっぱいいて。
そういう人たちが例えばご本人でもお友達でも、私のことを知っている人がいたら、「こういう病気があるみたいだよ」って言って、「それかもしれないな」ってふうに、そういう感じで病名に早くたどり着くっていうことができるかもしれないって思ったのもあって。
だから、有名になりたいというのとも少し違うけど、私のことを知ってる人が多くなりたいっていうのがね、その活動を始めるときに思ったんですよね。だから10年後にはそれがいいかな。
石井:はい。
光子:あとはですね、カードを作るのでいろんな地方の神社に行ったりとか、神様が得意なことがカードに入ってるわけですね。
普通、神社とかだと、ご利益という形の捉え方をしてるんですけど、ご利益とはまた違って、それぞれの神様が得意なことですね。例えば「どうしたらいいかとか、こっちに進むといいよっていうのを教えてあげるよ」みたいな方だとか、あとは「見えないものを見通す力、第3の目を強化するのが得意だよ」っていう方とか、色んな方がいて。それを知っていると、もっと神様と仲良くなれたり、神様からご支援いただきやすくなると思うんですね。
例えばですよ、須佐之男命様っていう神様がいるじゃないですか。詳しくないかな、ごめんなさいね。そんな方がいて、古事記とかだと暴れん坊として出てくるんですけど、そういう方に「協調性を私にくださいというか、もたらしてください」みたいな、協調性とか求めても結構難しいんですよ。
っていうのは一番最初に話しかけられた神様は須佐之男命様だったんですけど、一番最初に言われたのが「人の心配ばっかしてねえでてめえのことやれや」って言われたんです。怒鳴られて。しかも巻き舌で、すごい声の大きさで。早朝に神棚の前ですごいびっくりして。神様が喋ると思ってなかったので、そのときは。
そんなことがあって、その後も大宮氷川神社とか、何か悩んでるときに行くと、「お前はどうしたいんだ」って聞かれるんですね。
それで「私は○○がいいです」と言うと、「じゃあそれが全てだろう」って。「誰が何と言おうとそれが全てだろう」っていう言い方をされるんですよ。周りがどう言うとか、どう思うとかじゃなくて、お前がどうしたいかが全てだろうっていう方なんですよ。
そういう方に「協調性をもたらしてください」とか言っても、しょうがないですよね。他の神様で、協調性というか受容することが得意な方もいますよ。
なので、このカードを広めたいな、10年後広まってたらいいな。
石井:ありがとうございます。カードが広まるっていうのは、タロットのカードを使って実際に占ってあげた方が増えるのか、それとも単純にカードがカードとして売れていくだとかそういうことなんでしょうか?
光子:そうですね。持ってる人がいっぱいで、私ね講座もしてて、そのカードの講座も早速やったんですけど、こないだ。そうね、だから「この神様ってこういう神様だよね」っていうのが、みんな知ってるっていうか通説みたいになるといいなと思ってますね。
石井:なるほど。
光子:神話の中のイメージとかで、この神様ってこういう神様だよねってみんなが持ってるイメージが結構それは違うよというか、ご本人からすると結構誤解されてかわいそうだなみたいな神様もいらっしゃるんです。私がかわいそうとか言っちゃ失礼だけど、なんか気の毒だなって思う方とかもいて。
だから良い意味で、広まるといいな。大丈夫かこんな話、すいません変な人みたいですね、変な人なのかもしれないけど。
石井:ありがとうございます。一点気になったのはやりたいことがない姿勢をおっしゃてる反面、お話を聞いてる感じパワフルだなと。
今のお話もそうですし大学生活の音楽に関するエピソードとかも結構そういうふうに思ったんですけど、原動力みたいな部分は何になるんでしょうか。
今の活動に対してはさっきおっしゃってくださった病気に対する認知を広めるというところが結構強くあるんでしょうか。
光子:その多分ね、まず音楽を諦めた時点で私の中にやりたいことがなくなったんですよ。
大学1年生のときが、やりたいことがなくなったとき。だから占いの勉強始めるまで10何年かがやりたいことがないっていう感じで。
今の原動力は、一つには子供を食べさせなきゃいけないっていうのもありますけど、病気になったタイミングでね、私は死ぬことになっていたかなと思ってるんです、自分では。
ちょうど病気になる2ヶ月ぐらい前かな、なんかね、夢を見たんですよ。職場で立てなくなって救急車が迎えに来て、救急車なんですけど看護師さんが出てきていろいろ介抱してくれて。「もう大丈夫ですよ」って運ばれるシーンになって、その看護師さんが看護師さんじゃなくて、悪魔だったっていう夢でそこで目が覚めたんです。要はお迎えに来る夢だったんですよ。
でね結局、救急車じゃなかったんですけど、本当にその夢と全く同じようなシチュエーションで立てなくなったんです。職場で立てなくなったんですよね。っていうのを病気になってしばらくしてから、妹に「こんな夢見た」ってLINE送ってるのを見つけて、「はっ、怖い」って思って。
その後に私の祖父ですね、母方の祖父なんですけど、36歳か7歳で突然過労死、寝てる間に突然死んじゃったおじいちゃんが、「お前は頑張りすぎる、俺みたいになるな」って言われたりとかして。だからそこで死ぬことになってたんだろうなって思ってるんですよね。
その頃本当に体がきつくて、体調も悪かったんだと思うんです、多分ね。倒れる直前とか結構何ヶ月か。でもずっとその頃「私この生活続けてたら死ぬか病気になるかのどっちかだな」って思ってたんですよ。
だからあそこで死なないで命拾いした、死ぬことになってたのが死なずにすんだ。だったら自分のできることをするしかないっていうのも原動力になってると思います。
石井:ありがとうございます。何か他に、今の時点でやってみたいことはありますか。先数年で。
光子:そうねー。神様とカードを作ったときにいろんな神社に行ったんですよ。そのときに、福岡の宗像市にある宗像大社に行って、船に乗って大島って島にも行ったんですね。
宗像大社って九州本土と大島っていう島と、世界遺産の女人禁制の沖ノ島っていう三つの島にあるんですよ。その大島に行ったときに「ほんっとにここから帰りたくない」と思って、ここに住みたいって思ったんですよね。だから引っ越ししたいかな。
石井:なんでそう思われたんでしょう?
光子:まずね、そう、今自分が住んでるのは関東なんですね、首都圏に住んでるんですけど。だから、こっちの自然とはもう全然違う。本当に自然がすごい自然で、自然がそのままですごいエネルギッシュなんですよ。
あとねそこで出合ったおじいさんというか、ちょっと島の真ん中ら辺が高くなってるんですけど、船着場から沖ノ島を遥拝する場所、拝む場所っていうのが、船着場のちょうど反対側にあるんですね。だから、2キロぐらいの山道、上がってから下るっていう道を歩いていかないとお参りできないんですよ。
その帰り道にね、軽トラのおじいさんが私を通り越して止まってくれて、「波止場に行くんだったら乗せてあげるよ」って言って乗せてくれたおじいさんがいて。そのときに話した方がすごくいい方だったのもそうなんですけど、「これ見えたんですけど沖ノ島ですか」って撮った写真を見てもらって話して。「そうそうこれがそうだよ、よく見えたね。見えない日も多いんだよ」とかいろいろ話したんです。
そのときにその方がそこで生まれ育って、毎日、遥拝所っていうんですけど沖ノ島をお参りするところに行ってるって話を聞いたんですね。
そのときにね、最高じゃんと思ったんですよ、正直。こっちにいるとみんな観光とかね、信心深い人もいるけど神社に行ったりとかするけど、要は信仰と生活が一体になってる人って基本的にあんまりいないですよね。こっち、こっちって言っていいのか、現代人かな。
だけど、おじいさんのあり方とか、あとね私も実は朝晩お祈りをしていて、信仰と一緒に生きる、共に生きるっていうあり方がすごく自分と馴染むなっていう感じがあるんですよね。
だからママ友とかに占いやってるとかもそうだし、神様と喋るなんて話は絶対しないですよ、絶対しないです。そう、だから本当に普通の人なんですよね、私普段。だから普通の人としての生活を一生懸命維持してて。でも本当は信仰とともに生きているっていう自分のあり方が、そのままでいられそうだなって思ったって感じかな、ここに来たら。
石井:最後に、今おっしゃってた力みたいなものがなかったとしたら、どういう性格というか今に、なっていると思われますか。
光子:何か見えるとか聞こえるとか分かるってことがなかったらですよね。
石井:はい。
光子:どうなってたかな。それは病気もなかったらって言うことでいいですか。駄目かそれは。
まず、こんなにあっという間に占いできるようにならなかったと思いますね。だから占い師はやってないと思いますね。そうね、だってそもそものきっかけはそこだから、占い師はやってないでしょうね。
石井:占いが早くできるようにならなかったっていうのは面白いですよね。やっぱりその経緯があったからこその占いのスキルといいますか。
光子:そうですね。だから最初は「このカードはこういうことを描いてる」ってことを学ぶんですよ。描いてあるのを見て、カード引いて、勉強してノートに書いたやつを見ながら最初はカードを読むんですけど。
でもね、本当に読めるようにって言うか、このカードがどういうカードかってことを完全理解というか、腑に落ちるぐらいかな。完全に自分のものにしたらもうね、本当に引くときは忘れるんです。覚えたことは全部忘れるんです、まず。
そうしないと、「これこれはこういう意味だから、ここにあるからこうだね。あなたこうみたいですね」って言ってもね、全然駄目なんですよ。
だからその全部覚えた上に全部忘れて、読んでるときは直感じゃないけど、やっぱりねちょっと普通に読んでるのと違うんですね。だからそれは全然できなかったと思うんですよね、なかったら。
だからもしそうすると、今みたいにお客様の喜んでくださる感じとかもなかっただろうと思うし、占い師として成立しなかっただろうなっていうのはあります。
ただですね、私はいつも思ってるんですけど、見えるとか何か聞こえるとかね、本当は誰もが持ってることだと思うんですよ。何となく勘がいいとか、何となくこう思ってこうだったとか、直感の良さとか虫の知らせとかあるじゃないですか。そういうのをより磨いていったというか拡大していったのが、神様と喋るとか見えるとかそういうことなだけなんですね。
だから誰でも持ってる本当に普通のことなんですよ、っていうのはね常々思ってます。だからいやここまでじゃなかったらって話なんですね、多分。それもね、違うかな、ごめんなさい。
石井:ありがとうございます。ここまでがなかったら占いだったりそういったところは、きっと行かなかった?
光子:そうですね。ただの神社好きだったかな。観光で神社に行くのが好きな人だったかな。でも人間的には、もうちょっと屈折してなかったかもしれないな。その部分をいかに隠しながら生きていくかが、16歳17歳ぐらいからのテーマ、20年ぐらいのテーマって言っちゃ変か、だったので。
そういうのを密かに持って生きなくて良いってことは、もうちょっと屈折せずに、いろんなことをエンジョイしたかもしれない。けどそんな人生はなかったか、へへへみたいな感じですかね。
石井:ありがとうございます。言い残したことがあれば、お伺いします。
光子:なんだろう。言い残したこと、なんだろう。
最近カルト宗教のこととかで、結構大変なことになってるじゃないですか、この1年ぐらい。 日本がかな、世間が、なってて。
私がやっていることは、神様とカード作りました、っていうことで、すごい宗教的だと思うんですね。だから、何だろう、時代的には結構やばかったかも、っていうのは思ってるんですよ、一個。
石井:はい。
光子:でも、だからこそ、神様は別に高額献金とか求めてないよとか、いつもあなたのそばに神様とかご先祖様とか仏様だったりとかいるよ、とか。みんなね、みんな全員守られてるんですね。それも見えるものなんですけど。
だからみんなちゃんと守られてるし、導かれるようになってるんですよ。だからみんな最初から大丈夫なようにできているんですよね。
だからそういう高額献金しないと幸せになれないとかじゃなくて、誰でもちゃんと最初から幸せになるように準備されてるよって、それをちゃんと自分の中の、そういうものを受け取る部分をね、研ぎ澄ませて、もっとすんなりとニコニコして生きられるように、なれるよっ、ていうことをね、多分伝えたいんですよね、そのカードで。
でも多分「神様とカードを作りました」っていうと、一見、嫌だなとか、変だ、気持ち悪いとか、カルトだろうみたいに思う人もいるかなと思うんですよ。
でも、そうね、そういう意味で時代があれだったなとは思うけど。
本当、神様は高額献金なんかしなくたって、ちゃんと幸せにしてくれるというか、本当は今でもみんな幸せなんだよ、っていうことを伝えるカードでもあるかなと。
あとは、同時に、世界の仕組みじゃないけど、「こういうふうにできてるよ」っていうか、「これは準備されてて、これは自分でしなきゃいけないことだよ」みたいなことを、神様が教えてくれたのが、カードに描かれた情景、22枚から読み取っていくと、「結局こういうことか」みたいなのがね、その中に入ってるから。
だからみんなが別にお金いっぱい払わなくても幸せになれるじゃん、っていうふうになって欲しくてやっているというのが、あるかなって。だからカルトの話はしなきゃなって最初に思ってたのに、忘れていまして。思い出しました、ありがとうございます。
石井:ありがとうございます。最後に一点だけいいですか。
光子:お願いします。
石井:幸せになれるとおっしゃっていたと思うんですけど、幸せになるってどういう状態だと思われますか?
光子:幸せになれるっていう言い方をわかりやすいようにあえてしたんですけど、本当はね、もう全部みんな持ってるんですよ。
なんか最近のスピリチュアルとか新興宗教みたいなこと言ってるけど、今、私。でもね、そういうことじゃなくて。
例えば、今日も目が覚めた、今日も朝が来た、今日もご飯が食べられるし、今日も着る服があって、家がある。しかもスマホが使える。これって、本当、当たり前のことだと思ってるけど、当たり前じゃないですよね。
ていうことに気がつくと、だからもう最初っから神様はいろいろやってくれてて。「私に何もいいことしてくれない」と思ってるかもしれないけど、そうね神様だけじゃないけど、いろんなものが、あなたが幸せというか、今のあなたのその状態を作るためにみんな尽力してるよってとこなんです、まず最初は。
石井:はい。
光子:で、だから、ごめんなさい、質問なんだっけ。幸せになるってどういう状態か。
石井:今仰ってたイメージでした。
光子:幸せになる、そうねえ。だからね。
単純にね、顔でも心でも体でも、笑顔でいられるっていうことがね、幸せだと思います。
だから、その状態がどういうものなのかは、人によります。それが幸せだと思ってます。
でもだから、笑っていられないっていうことは、やっぱりそれは何かがわだかまってるから、それは幸せとはちょっと言いづらいかなって思いますね。
でもね、本当はみんな幸せでいられるはずなんだと思います。
めっちゃ宗教っぽいわ、ごめんなさい。
石井:いえいえ、ありがとうございます。
あとがき
神様って怒るんだ、と思いました。
神様のこと知らないな、とも思いました。
毎年神社に行くくせに。
でも知らないながらに
神様はきっとずっと私たちを見てるんだから
そりゃ言いたいことはたくさんあるよな、と思いました。
存在を知ったからといって
次の日の私に大きな変化が起こったわけではありませんでしたが
すこし、世界の捉え方とその広さと、あたたかさが変わりました。
光子さん、ありがとうございました。
【インタビュー・編集・あとがき:石井】
https://note.com/nodoka154
【文字起こし:komima】
https://note.com/caramel0720/
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