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誰かの「やりたい」をちゃんと形にしてあげたい「誰かに何かを伝える」イラストレーター・グラフィックレコーダー・ライブペインターの人

魂はどこにあるか?
今、
君の胸の、
その奥の中の、
内側の液体の、
中の遺伝子の、
その連綿と続く今と過去の、
中と外の、
中から世界の、
海から川への、
の、
宇宙から違う次元への、
愛から僕、君、あなたへの。
片鱗ある? ないよね。
わかってる、ということで、
これから始まる新しい人生の、スタート!
今日の無名人インタビューも、よろしくお楽しみくださいませー!!!(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは TOMMY さんです!

現在:「伝える」イラストレーター

森逸崎:今何をされている方なのか、から教えていただけますでしょうか?

TOMMY:イラストレーターです。
基本的にいつも熊本市内のコワーキングスペースで1人で絵を書いてるんですけど、やっぱり1人で絵を書いてると、仕事なので当たり前なんですけど自分で考えないといけないことが多くて行き詰まったりとかもするので(笑)。あとりえーる・ぎるどさんのように僕と同じ感じの仲間が集う場所に行って、息抜きしたりもしています。
あとはもう一つ、キノコファクトリーのねじろさんというところもそこと同じように利用させていただいていて、一緒に発達障害の方や職業訓練の就労支援施設に対して、ボランティア的に絵を教えたりというのをしているんですよね。
このインタビューもそうかもしれないですけど、絵を書いていると、見えなかったことが見えるようになったり、これまで繋がることのなかった人と繋がれたりするじゃないですか。
もちろん楽しいことばかりじゃないですけど。

森逸崎:うんうん。
今やっていることの中で、一番ウェイトを占めているのって何ですか?

TOMMY:一番多いのはSNS用のアイコン作成ですね。
元々独立するときに、その仕事は主にやっていこうとは思っていて。例えばTwitterとかもそうですけど、買い物するときでさえそのTwitterアカウントで認証されたりするじゃないですか。そういう世の中になるのであれば、きっとSNSアイコンの需要や役割ってとても多くなるだろうなって思って、それで。

森逸崎:では、狙い通り。

TOMMY:そうですね。でも最初はアイコン作成自体、副業でやろうと思ってたんですよ。それこそスキル販売の場所とかあるじゃないですか。そこで1,000〜2,000円とかで出せればいいなって、軽い気持ちで考えていたんですけど。
だから独立直前は普通に就職活動もして内定もいただいてたんですね。
でも、熊本に大きな商業施設ができた時に、たまたま熊本の起業家の方が登壇するイベントがあって。その中の一人の話を聞いたときにもうね、本当に僕が涙を流すくらい感動した方がいらっしゃって。プレゼンテーションの仕方がすごく上手だったんですね。

森逸崎:へえー!

TOMMY:それが「今後AIやITシステムが整っていけば人件費がどんどん削られていくから、自分だけのスキルを身につけておかないといけない」っていう趣旨の話で。そこで、「起業家にしろ何にしろ、今後必要になってくるのは『伝える力』だ」って言われたんですね。
それこそ「プレゼンテーション」そのものの意味というか由来っていうのが、「相手の心に贈り物を届けて、その言葉からその人なりに花開いて行動に移すことだ」ってその人が言っていて。
それを聞いた瞬間、「自分も誰かに何かを伝えたい」って猛烈に思ったんです。
あまりに感動しすぎて、今考えたら気持ち悪いんですけど、その日のうちにFacebookでその人の名前を検索して見つけて、メッセンジャーでご連絡を差しあげてですね。

森逸崎:おお。

TOMMY:涙を流すくらいプレゼンテーションが上手な方って、僕、初めてでした。
その方もすごく嬉しく思ってくれたみたいで、後日、一時間半ぐらいですかね、個別にお話をしていただく機会もいただいて。
それでもう僕は、本当に茨の道を覚悟で、本気で絵をやっていこうって決めました。

森逸崎:その1対1の時間ではどんな話をされたんですか?

TOMMY:人への伝え方の話もそうですし、あとは、熊本で絵のボランティアをしないかっていう話をくださったりとかですね。
もしその人に出会ってなかったら、僕は多分普通に今も接客業とか販売とかをやっていたかもしれない。
元々人と話したりとか、何かを伝えたりするのは好きだった。だから、その人の話を聞いて、自分にも「手段」が増えた感じですね。人に伝える武器というか。「僕、絵も使えるじゃん!」みたいな。
ただ、去年の3月に起業したんですけど、コロナ禍でものすごく大変でした。今年に入ってからも「もう1年やっていけるだろうか」っていう不安ばっかり抱えて。

森逸崎:「旅するイラストレーター」ができないですもんね。

TOMMY:そうそう。今思うと無謀だったなと思うんですけど、最初は遠くに行きたいからって福岡とかに営業をかけてたんですよね。住んでいた熊本ではあまり営業かけなくって。それで福岡とか遠方の東京とかですね、最初はそういうところに営業かけていたんですけど、コロナの影響でライブドローイングとか似顔絵書く仕事とか、延期や中止になったのがたくさんあったから、すごくきつかったです。

森逸崎:営業先について、地元の熊本を避けていたのはなぜですか?

TOMMY:基本的にやっぱり「恥ずかしい」っていうのもあったし、いろんなベテランの方とかもいらっしゃるし、もうある程度、すでに取引先とか決まってたりとかするじゃないですか。
そういうところにいきなり1年目の何も実績もない人が出てきて、営業かけても何もできないだろうなって感じてたから。「それだったらもう全然知らないところに行って、僕はこういう思いでやってますよ」っていうのを伝えた方が多分伝わるんじゃないかなと思って。

森逸崎:ほほー。
起業する直前は、どんな会社に勤めていたんですか?

TOMMY:ボーダレス・ジャパンっていう社会問題を「ビジネス」で解決しようと取り組んでいる会社があって、その中の「ビジネスレザーファクトリー」という会社に勤めていました。
バングラデシュに「犠牲祭」っていう、神様に家畜を捧げるお祭りがあるんですけど、でもその時に大量の牛革が捨てられてしまうんですよ。だからその会社では、その捨てられてしまう革を利用して財布とか革小物を作って販売したりしてました。
最近言われているいわゆる「エシカル消費」っていう、道徳的な商品。それを5〜6年前からずっとやってる会社で。価格もすごくリーズナブルなんですよね。
そういう「物を大事にする」っていう部分にもすごく共感が持てたのと、あと、お客さんに対してもただ「物を売る」んじゃなくて、お客さんが購入することで世の中に役立っているんだよと伝えられるのはすごくいいなと思って就職した感じです。

森逸崎:そうだったんですね。
その会社ではTOMMYさんは具体的にどのようなお仕事をされていたんですか?

TOMMY:接客販売がメインですね。今やっていることにも繋がるんですけど、そのお店の製品には、オリジナルでお名前の刻印ができるんです。イニシャル入れたりゴールドで名前入れたりとかそういうサービスがあって、その一環でイラストも刻印できたんですよ。
だから僕ともう一人、店舗に似顔絵が書ける女性がいて、その子と一緒に似顔絵を書いたりしましたね。お客様にもすごく喜ばれて。やっぱり一点ものじゃないですか。
牛革にできる部分も限られているし、色や見かけは同じだけど、その人だけが持っている物だと思うとさらにその付加価値が付くっていうすごく素敵なことだなって。その時は全然絵にも自信なかったですけどね。
でも、お客さんが子供の写真を持ってきて、「この子書いてください」って言って、サラサラって書いて。刻印する時にものすごい喜んでくれたりして、それはすごく嬉しかったですね。

森逸崎:おおー。

TOMMY:だけどそれが色々、熊本地震で大勢の人が亡くなったことだったりとか父が亡くなったこともあって、環境の変化っていうのがたくさん重なってしまった時期だったんです。
そしたら、ちょっと接客ができなくなっちゃったんですよね。心の病気にかかって。もう本当に、突然涙が出てきちゃったりとか、人混みにいるだけで震えたりとかっていう状態が続いて。もうこのままだとお客さんにとっても良くないし、自分にとっても良くないかなっていうことで、退職したんですよね。「人生のお休みをさせていただきます」みたいな感じ。

経緯こちら
https://note.com/tommystar/n/n65bbe54d26aa

TOMMY:就職とか仕事を探す時って大抵、みんな社会人経験を軸にするじゃないですか。でも、病気になった時に、もう生まれてからこれまで、小さい時のこととかを一気に振り返って。それでやっぱり絵を描くことが好きだなっていうのもあったので、今に至っている感じですね。

森逸崎:そうだったんですね。ぜひ小さい時のお話も教えてください。


過去:求めて、描いて、伝えて

森逸崎:TOMMYさんってどんなお子さんだったんですか?

TOMMY:あまり活発な方ではなかったですね。でもそんなにおとなしいっていう方でもなかったかも。本当に、どこにでもいる感じの子でした。
でも、どちらかというと野球とかサッカーとか、そういう活発に集団でするようなスポーツとか結構苦手で、インドアで絵を書いたりとか映画を見たりとかっていう方が、やっぱ小さいときから多かったですね。

森逸崎:今振り返ってみて、その幼少期の性格に影響しているものって何かありますか?

TOMMY:そうだなあ、強いて言えばなんですけど僕、男ばっかりの3人兄弟で、その真ん中なんですね。
兄がすごく活発的だったのと、あとは下の弟がちょっと病気がちだったっていうのがあったから、どちらかというと親がその長男と弟の方にばかり構っていたかな。その2人に手がかかる感じだったから、「自分がしっかりしないといけない」っていうのもあったのかもしれないですね。だからどちらかというと、「いい子にならなきゃ」っていうのがすごく強くって、今もそうですけど、責任感は人一倍あると思います。

森逸崎:へえー、周りの大人たちにはどんな人がいたんですか?

TOMMY:周りの大人たちはそうですね、普通だとは思う。でも父がね。すごく厳しかったんですよ、僕が小さい頃からずっと。父が亡くなるまで、僕は一回も褒められたことがなかった。

森逸崎:それは他のご兄弟に対してもですか?

TOMMY:長男や弟に対してもそうでしたね。父の性格的なこともあるし、あと、あんまり言っちゃいけないかもしれないですけど、熊本の地域柄っていうのもあって(笑)  父は「ザ・九州男児」って感じ。表では厳しくしといて、その陰で母親や周りの友達とかには褒めているっていうことが多かった気がします。それから、父が怒る度に母がフォローに入るみたいな役割でしたね。だから母はすごい今も仲いいです。

森逸崎:お父様には、具体的にどんなことで怒られたりしましたか?

TOMMY:例えば、風邪を引いて学校を休んだりとかするじゃないですか。で、横になりながら、僕も真面目だったんでNHKの教育番組とかしか見てなかったんですよ。でも、それだけで怒られました。「お前学校休んでるのに何でテレビ見てるんだ!」って。「寝なきゃいけないだろうが」ってめっちゃ怒られました。
だから友達の誕生日会とか呼ばれたときとか、友達のお父さんがすごい優しかったりすると、「あー取り替えて欲しいな」とか思ってた。「一日だけでもいいから取り替えてくれないかな」って思うくらい、些細なことで怒られてましたね(笑)

森逸崎:あはは(笑)
小さい頃のTOMMYさんは、お父さんに何をして欲しかったですか?

TOMMY:もうね、とにかく少しでもいいから褒めてもらいたかったですね。今もかなあ。きっと僕はずっと、父から褒められたくてこれまで頑張ってたんだろうなって思いますね。結局最後までずっと褒められなかったですけど。
今実家から離れて一人暮らしをしているんですけど、帰る度に仏壇であったりとかお墓参りしたりとかはするようにしてるんですね。そこで父に対して近況報告とかしながらね、「遠くからでいいから」とか、「いつか何て言ったら褒めてくれるだろう」みたいな感じで思ってます。「頑張れ頑張れ」って言ってくれてるかな、ってね。
家で褒めてもらえないから、その分学校とかで褒められるようにめっちゃ絵を描いてたっていうのもあったかもしれない。

森逸崎:お父様がとても大きな存在だったんですね。
学校ではどんな絵を描いていたんですか?

TOMMY:アニメとか、ドラゴンボールとか、ドラえもんを描いたりとかですね。友達から何かあるごとに「この絵描いて」って言われて描く、みたいな感じ。その時は絵を描くことは友達を作るためのツールでした。
あとは、僕は宮崎駿さんのアニメがすごく好きだったから、トトロとか魔女の宅急便とか。
父には褒められないけど、その同級生とかの反応がとてもあるわけですよ。だから余計嬉しくて、もっと絵を上手になろうって思って。一人でひたすら絵を描いているっていうのが多かったですかね。目立ちたかったんだと思います。今も目立ちたがり屋なのかもしれないけど。

森逸崎:学校生活自体はどう過ごされてたのでしょうか?

TOMMY:小中高あんまり変わらなかったですけど、中学校のときは生徒会とかに入ってて、高校のときは生徒会長とかもやっていました。
それで高校のときにですね、土曜日に全校集会があったんですよ。毎週土曜日にその集会で「生徒会長からの言葉」っていうのがあって、毎週全校生徒の前で話をしてたんですよね。
やっぱ毎週だと、10代の高校生には中々のものでしたね。木曜日くらいに話す内容を考えて、金曜日に練習して、だいたい10分くらい何も見ないで話続けるっていう。
多分それで今人前で話すのがあんまり抵抗なくなったのかなって思ってて。
その後学習塾で英語の講師をやったりとか、あとは予備校の進路指導であったりとかをやって、人の前で話さないといけないケースがすごく多かったんですけど、話し始めたらそんなに緊張しないっていう感じ。

森逸崎:例えばその集会ではどんな内容のお話をしていたんですか?

TOMMY:校長先生みたいな話をしてましたよ。そんなこと言ったら本当に退屈な話に聞こえるかもしれないけど(笑)
校長先生とかがよくやってる、天気の話から始まって、こういうことに気をつけましょうとか、こういうことをやりましょうとかっていう話。温暖化についてとかニュースの話とか。
でもやっぱり「今週は笑わせようかな」とか思って、テレビの話題を振ったりとか、あとはその時CDがものすごく売れていた時代だから、流行りの曲をピックアップして「この歌詞の意味、みなさんわかりますか?」とか。
そうやっていくうちに、「自分は何かを人に伝えることがしたいんだな」って思うようになりました。

森逸崎:「描く」「伝える」っていうことを含めて振り返った時に、今のTOMMYさんの人格形成に一番影響している出来事って何ですか?

TOMMY:あー、大学生活ですね、きっと。
大学一年生の時に遊びサークルというか、「みんなで旅行に行こうぜ」みたいな、旅行がメインのサークルに入ってたんですね。
でも、人ばっかり多くて「これは何のためのサークルなんだろうか」とか思ってすごい冷めていて。僕は英語科にいたので、やっぱりサークルを辞めて英語をしっかり勉強しようと思って。英語を勉強しながら、留学に来ていた交換留学生とかと仲良くなって、日本語を教えて、英語を教えてもらってっていうのをやったりとか、夜通し遊んだりとかをしていました。
そこで、「人生は限られているから、やっぱり国籍とか性別とかそういうのを取っ払っていろんな人に会いたい」って思うようになって。

森逸崎:「いろんな人に会いたい」と思うようになったのはどうしてですか?

TOMMY:うん。父に褒められなかったっていうのが根本にあると思うんですけど、僕は基本的に多分、ものすごい寂しがり屋なんですよ。すっごい寂しがりやで、一人でいると、もう本当に寂しくて寂しくて仕方ないんですよね。
だから人と会って、僕は誰かの心であったりとか、あと今やってますけど、インターネット上に何かを残したいんだろうなって最近感じてます。作品だけじゃなくて記憶であったりとか。
僕が頑張ることで次の世代に、「こういう頑張り方で何とか乗り越えたよ」っていうのも伝えたい。それもその寂しさの裏返しかもしれないですね。伝えて、僕のやってることや意志っていうのを継いでもらいたいってことだと思います。

森逸崎:「残したい」?

TOMMY:そう。ちょっと矛盾するかもしれないんですけど、僕、一人だと寂しいけど一人で生きたいと思っている人間でもあるんです。今40代なんですけど、多分もう結婚とかしないと思うんですよね。
そう考えたときに、子供はまず残せないっていうハードルがあるから。その代わりではないけど、絵をたくさん残したいんだろうなって思って。そうやって人の記憶に残りたいっていうのもあるだろうと思います。

森逸崎:ほほー。
ご結婚されないというのは、note自己紹介に記載されていた「マイノリティ」という一面からでしょうか?

TOMMY:そうです。僕は全然隠してはいないんですけど、自分でもよくわかってないんですよね正直。純粋に「人が好き」なので、恋愛対象が男性がメインではあるんですけど、実際には大学のときに彼女とかもいて、結婚もすごく考えていたんですよね。
それで結構20代、30代ぐらいまでずっと結婚を考えてましたけど、僕はその、一人の人をずっと愛するよりも、たくさんの人を愛した方がいいんじゃないかなって。変な言い方ですけど、いろんな人に時間を費やした方がいいのかなっていう感じになって。

森逸崎:うんうん。

TOMMY:だからもう本当に、なんていうんでしょう。40代になったからだとは思うんですけど、一人を愛するって気持ちにはなかなかならなくて。一応パートナーはいるんですけどね。だけどとりわけ制約というのはなくて、逆に「色んな人のことがすごく好き」って感じで。年齢性別問わず幅広く。今やっている仕事で幅広い年齢層と繋がった縁っていうのもあるけど、僕が会った人はみんな好き。
正直何が「マイノリティ」かもわからないし。
なんといったらいいのか、多分今まで声が上がらなかっただけで、たくさんそういう人がいるっていうのは、すごく当たり前になってるし。「少数派」って感じでもなく、「いろんな人がいて当たり前ですよね」とか「そういう考え方もあるよね」って、普通に楽しめばいいと思います。その中で、やっぱり苦手な人とかは少なからずいるから、でもそれはそれで当たり前だと思うから、喧嘩さえしなきゃいいのかなって思いますね。

森逸崎:TOMMYさんが「一緒にいて心地がいい」と感じる人って、どんな人ですか?

TOMMY:心地がいい、か。そうだな…。
そうですね、多分、僕と同じように、「世の中のことを良くしたい」と思っている人とかかなあ。そういう人は、一緒にいて心地いいです。
でも、形だけの人とかは、逆に苦手かもしれない。
例えば今「SDGs」とかっていう言葉が使われるじゃないですか。それで、やっぱりSDGsって色んな目標があるから、変な話、やろうとしてることに無理やりくっつければ、「世の中のためにいいことやってるぞ」みたいなアピールができてしまう。それがあまり好きじゃなくて。
「弱者」って表現したら少し違うし失礼かもしれないけど、一人で頑張れない人が世の中にはやっぱりいて、そういう人たちと一緒に走ったりとか手を差し伸べて「次の階段までは一緒に上がろう」っていうような人、そういうビジネスをやられている人とか、漠然としていますけど、そういう寄り添い方が必要なんじゃないのかなって。

森逸崎:ちなみにTOMMYさんの中で、「形だけの人」と「本質的に実行できている人」の線引きって、具体的にどこなんでしょう?

TOMMY:おー難しいな…。大丈夫ですかこれ、炎上とかしないですか?(笑)
そうだなあ。本当に言い方悪いんですけど、なんかすごい有名なYoutuberの方とか、信者がたくさんいらっしゃるような方いるじゃないですか。きっとそういう方はカリスマがあるからこそそうなれるんだと思うんですけど、若者とかが良く考えもせずに「この人が言っていることは絶対正しい!」と妄信してしまうような、そしてそれをビジネスにしているような方は、少し違うんじゃないかなって思います。そう言った人を集めて、お金を稼ぐ手段にしているなって若干感じた時とかは、ちょっと引いてしまう。

森逸崎:ほうほう。

TOMMY:今僕、自分でも言えるくらいすごく頑張ってるから、今までもクライアントや色んなところに手紙書いたりメール送ったりしてきたんですね。多かれ少なかれ、世の中の役に立つようなことをしている会社の方がほとんどだったから。
そういう会社や人から、例えば「ありがとうございます」の一言でもリアクションがあれば、それ自体もすごい嬉しいけど、だけど今まで全くリアクションがない人から、例えば僕が本当に有名になって新聞とかメディアに出るようになってから声をかけられるっていうのは、ちょっと違うかなって。そういう人は、僕は信用しないって決めています。
やっぱりその「ありがとう」の一言が、頑張っているクリエイターにとってどれほど救いになるのかってことを想像できる人こそ、僕は世の中に種を蒔いてくれる人だと思うから。
あんまり言うと怒られそうだからこの辺にしておきます(笑)


未来:次の世代へ残すもの

森逸崎:冒頭に「旅するイラストレーター」や「ライブドローイング」というお話がありましたが、今後やってみたいことを具体的に教えていただけますでしょうか。

TOMMY:はい。実は先週、大阪でやってきたんですよライブドローイング。
ホテルのランチスペースがあって、その大きなガラス窓から外に向かって、道ゆく人に見えるように絵を描いてきました。それが結構反応がよかったから、今後は熊本もそうですし、全国の系列のホテルに広げていけたらと思っています。あとはもう別の業種のクライアントを探す感じ。僕、オーダーを受けるのは「一業種につき一企業」って決めていて。

森逸崎:あらま。それはどうしてですか?

TOMMY:そこはやっぱり義理というか、お世話になってるからですね。僕が無名だったときから、僕の作ったイベントの企画書を読んで、そして僕を信じて「じゃあやりましょうか」ってなったグループなので、僕もそのグループを信じていて。そこが全国にあるホテルなんですよね。だから、ホテル業はもうそのグループだけって決めています。
他で決めたいのはあとはカフェとかレストランとか。飲食業だと個人店が多いから、ちょっと被らないようにしようとは思ってますけど。例えば新規店舗出すからってその店のガラスに描かせてもらったりとか。あとはコロナでちょっと人が来ないからってところでも。
逆にね、僕は客寄せパンダでいいと思ってるんです。正直なところ遠い場所なのであれば交通費とかもらったほうがいいとは思うんですけど、それも費用を抑えて、予算相談してもらって、色んな場所、ガラスだったりホワイトボードだったりイーゼルに描きたいって思っています。そこを入り口にして、僕の活動だったりイラストを知ってもらえたら、それはとても嬉しいですね。

森逸崎:うんうん。
大阪のホテルでのライブドローイングは、どんな絵を描いたんですか?

TOMMY:大阪の時は、事前にホテルから「ご当地の物を入れて欲しい」っていう希望があったので、大阪の有名どころを真ん中に描いて、その両サイドにまた食べ物系を描いて、って感じにしました。当日そのホテルに到着して知ったんですけど、そのホテルの名物が朝食だったんですよね。だからぶっつけ本番で、そのホテルの朝食をイメージできるようなイラストを描きました。

森逸崎:今回の出来栄えはどうでした?

TOMMY:いい反応をもらえたと思います。今回初の試みで、反転して見えるようにも書いてみました。文字がちゃんと道路側からみた時に読めるように。で、やってみたら、できた。
で、道ゆく人がめっちゃ驚いてましたね(笑)「この人は何してるんだろう」みたいな。みんなぽかんとしてた。
ホテルの人も、びっくりしてくれました。

森逸崎:何分間くらいで描けるものなんでしょうか?

TOMMY:正直このときは「似顔絵を受けつつライブドローイングする」って感じだったので、一日中。似顔絵はだいたい1枚につき30分〜1時間くらいでしたね。ライブドローイングでガラスに書いては、似顔絵希望者がいたら対応する、そんな感じ。
ガラスに描くときは、大体白のペンで完結するような絵を書くんですよ。ちょこちょこっと青とか黄色・ピンクも使うかな。でも、最低限の色で。

森逸崎:そのスタイルになったのはどうしてですか?

TOMMY:学習塾の講師をしていた時に、小学生に英語を教えていたんですけど、よく英単語のスラッシュカードってあるじゃないですか。りんごの絵が書いてあって、「これはappleです」みたいな。それの代わりじゃないですけど、よく教える単語の絵をホワイトボードにばって書いてたんですよね。それができるってことに気付いた時に、「ぶっつけ本番で絵を描く、ができるじゃん」ってそもそもなって。
あとは、グラフィックレコーディングもよくやっていて。誰かが話してるときに、その会議のまとめというか議事録を絵で残していく。セミナーとかだと登壇者の方がいらっしゃって、その話の内容も全然僕知らないんですけど、話されてる内容をホワイトボードにまとめるっていうのをやっていました。その名残ですかね。最低限の色で、ぶっつけ本番で描くっていう今のスタイルになったのは。

森逸崎:グラレコ自体はいつからやられていたんですか?

TOMMY:それも最近で、熊本のイベントですね。
ちょっと話逸れますけど、実は熊本市は「フェアトレードシティ」って言って、フェアトレードを推進している街なんですよね。その10周年記念イベントがあったんですけど、たまたま会場の下見にイベント担当の方が来た時に、僕がブース開いてイラスト葉書を置いていて。そしたら後日、その担当者の方が葉書を見て「何か手伝ってくれませんか」って連絡をくださったんです。
僕自身、もともと勤めていた会社がそういうフェアトレードに近いことをやっていた会社だったので、そのイベントにすごく関心があった。自分がやりたいこと、絵を通じて世の中のためになるようなこと、っていうのが重なったから、それでグラレコのお手伝いをしました。

森逸崎:そうだったんですね。
大阪の件も、熊本のイベントの件も、やってみて率直にいかがでしたか?

TOMMY:すごく緊張しましたけど、引き受けたことで、自信が付いたって感じがします。
だからこそ、これまでSNS中心の仕事から飛び出して、イベントやったり、旅をしたり。そういうことに今年は力を入れたいですね。今またコロナ感染者が増えてきているから、微妙ではありますけど。それでも頑張りたいです。

森逸崎:今後の話で、5年後、10年後もしくは自分が死ぬときは、どういう状態でいたいですか?

TOMMY:そうだなあ。今半年間で下絵も合わせて1200枚くらい書いてるんですけど、流石にこのペースだと体壊しそうなんで、5年後はもう少しペースを落とした上で、最初に言っていた若い人たちだったり、発達障害をお持ちの方だったり、心の病気にかかっている人とかの支えになるような絵を書いていきたいし、そういう若い人たちの「やりたい」を形にしていきたいな、と思っています。

森逸崎:え、ごめんなさいちょっと話逸らしちゃうかもしれないんですけど、なんで1,200枚という膨大な量が描けたんですか?

TOMMY:驚きますよね。僕も驚いてます、この量。実は毎日、朝の8時にTwitterで「今から描きます」って宣言ツイートして10分間くらいでパパッと書いているんです。何かをパッと見て描いて、見た人が何の絵かすぐわかるような絵。
それで朝イチ自分で書いてみて、今日はこういう調子だから、仕事に取りかかれるとか取りかかれないかな、みたいなのを自分で把握しにいっている感じですね。仕事の絵が書けるときには、そのまま仕事をして、「ちょっと今日は描けそうにないな」っていうときは、仕事とは関係ない気分転換の絵を描くって感じ。「描かない」という選択肢はないので、やっぱり毎日書いてますね。

森逸崎:へえー!体調把握のための日課でもあるんですね。

TOMMY:そうです。多いときは一日に20枚も30枚も描くこともありますね。やっぱり、独立してから、「描くスピードもサービスの一環だな」って感じたから。ずっと「パッと見て絵にする」という練習をずっとやってたんですよね。
例えば似顔絵とかも。普通似顔絵ってその人の顔をずっと見たりスマホで撮影した写真をずっと眺めて描いたりすると思うんですけど、僕はもう、残像だけで描いてました(笑)
写真を30秒だけ見て特徴を覚えて、それからスマホを伏せてその人の絵を残像で描くっていう感じ。第一印象ってだいたい30秒くらいで決まるっていうじゃないですか。僕はその第一印象を大事にしてますね。

森逸崎:残像で描くって初めて聞いたかもしれない(笑)

TOMMY:一回驚かれたのがですね、去年かな、僕がよく行くバーに東京からいらっしゃってたお客さんがいて、「あと3日ぐらい熊本にいる。後から友達も集まるんだ」みたいな感じで話をされてたんですね。で、後日そのお客さんのお友達もトータル5人くらいかな、集まって。でも聞いたらみんな東京やら大阪やら住んでる場所がバラバラ。そのとき「何年ぶりかにやっと会えた」「やっと旅行ができるようになった」って言っていたので、せっかく熊本に来てくれたのだから何か記念になるものができないかな、と思ってたんですよね。
それでお話した翌日にも会えたので、写真も何もない状態でその人たちの似顔絵を一気に描いた時には、「何で描けるの!?」ってめっちゃ驚かれました。
怖いでしょ、見た瞬間にね、顔を覚えるんですよ。

森逸崎:それでは5年後は、少し今の描くペースを落として、より色んな人に価値提供するウェイトを増やしながら、若い人たちの「やりたい」を形にしていく、と。

TOMMY:そうですね。

森逸崎:ご自身の「やりたい」ではなく、他の人の「やりたい」を実現することが上位にくるのはどうしてですか?

TOMMY:やっぱり、どうしても残したいんでしょうね、きっと。普通に僕が生き物の順番として、人間だからね、死んでいつかいなくなるわけだから。若い人、次の世代にちゃんと残せるようなものっていうのが必要かな。それも含めて仕事だと思うので。そういう、誰かの「やりたい」をちゃんと形にしてあげたい。

森逸崎:「5年後」と区切って教えていただいたということは、10年後はまた違った状態になっているということでしょうか。

TOMMY:10年後はもうちょっとリタイアしたいかもですね(笑)
僕が若い人たちの「やりたい」を形にできて、その人たちが僕にこう、変な言い方ですけど経済的なバックとかいただいたら、それこそ僕はそのお金を使って海外に行って、バングラデシュとかそういう貧しい国のところに行って、無料で描いていきたいです。
やっぱり絵は万国共通だから、猫とか犬とか描くだけでも子供ってすごく喜ぶじゃないですか。真っ白な状態の紙からいきなり絵ができるってすごく感動することだと思うので、僕はそういうことを最後までやって死にたいですね。

森逸崎:「もしもの未来」という質問なんですが、もしも、この世の中から絵というものが存在していなかったとしたら、TOMMYさんの人生ってどうなっていたと思いますか?

TOMMY:たとえ絵がなかったとしても、多分僕は別の手段を使って何かを伝えていたと思います。僕は歌を歌うのも好きだから、歌ったりとかね。あとは最近はnoteの更新もできてないけど、言葉を使うこともできるでしょうし。
なんだかんだで、「誰かに何かを伝える」ということは、やっていたと思います。形を作るものっていうのは必ずしもアートじゃなくてもあると思うから、僕はそれを探して、それを見つけて、それを使って、伝えることやってると思いますきっと。うん。だから僕、英語も勉強してるんです。伝える対象が全世界の人になったとしてもできるように。

森逸崎:もし今目の前に、昔のTOMMYさんのような人。「私なんて」と思ってしまっている人がいたら、「自分の価値の決め方」について、なんとアドバイスされますか?

TOMMY:「人と比べちゃいけない」っていうことですね。
TwitterとかSNSで、上手な人をフォローすればするほど、色んな人の作品が目に入ってくるんです。それを見ると「自分なんて」って思っちゃうから、まずは人の絵と比べちゃいけない。比べるべきは過去の自分なんですよね。たとえば一ヶ月絵を描き続けて、前の月と比べた時に少しでも上達しているのであれば褒めないといけないし、自分のこと好きになっていいと思います。

森逸崎:うんうん。

TOMMY:そりゃ僕もやっぱり人間だから、いまだに比べちゃうことありますもん。でも、自分の価値を決めるのも自分だから、自分の絵とちゃんと比べなさいってことですね。
今Zoomのアイコンに出てるキャラクターも自作の「TORAくん」って子なんですけど、僕のメインキャラクターなんですね。僕は自分のキャラクターを作る時にもものすごく愛情を注いでるから、他の人と比べたり「自分なんて」と思うこと自体が、そのキャラクターに対しても失礼だと思うから。

TOMMY:ちなみにですねこのTORAくんを作った経緯もありまして、今年が寅年じゃないですか。だから起業した時に「2022年もちゃんと仕事を続けられるように」ってこのキャラを作ったんです。
だからこの子にちゃんとスポットライトを当てて、「僕のキャラクターですよ」っていうのイメージが定着するように、色んなところで使ってます。

森逸崎:そうなんですね。願掛け。

TOMMY:そうです。願掛け。

森逸崎:今日は本当にありがとうございました! 濃ゆかった!(笑)

TOMMY:ね。1本の映画ができるぐらいですよね。本当になんでもやるし、本当に倍速で経験してる感じ。
今回2回目のクラウドファンディングだったんですけどね、「こいつ情報量多すぎだろ」って感じで紹介文というか訴求文も書いてたから、失敗したんですよ。自分でも「これは書きすぎたな」と思うくらい。
でも最低ラインのご支持はいただいているし、クラウドファンディングって目標額を達成することがゴールじゃないから。今回利用したサービスはCAMPFIREだったんですけど、その担当の方もめちゃめちゃ親身にさなって話を聞いてくれて。「1回目は成功しましたけど、2回目失敗したとしても、TOMMYさんが伝えたいことは心に響いた人には響いたと思いますから」って言ってくれて。僕はあの、それを信じています。

森逸崎:最後になりますが、何か言い残したことはありますか?

TOMMY:僕すごい欲張りだからいろいろあります、すみません(笑)
でもそうだな、僕は基本的に真面目なので、すごく悩むんですよ。先月とかもめっちゃ泣きながら絵を描いていたんですけど、でもその多分、色んな今社会情勢とかがくらいから、色んなご事情があって、色んな人が色んな悩みを抱えて生きていると思うんですね。
だけど、音楽でも文字でもなんでもいいから、何か心の支えになるようなもの。心の拠り所となるようなものを一つでも見つけて、一日の終わりにそれを見返したりして、次の日を少しでも明るく生きて欲しいなっていうのが僕のメッセージですかね。

森逸崎:ありがとうございます!

—--

あとがき

実はご応募いただいてからインタビュー実施まで、かなり間が空いてしまったTOMMYさん。日程調整メールでその旨をお伝えした際、なんと「私もオーダーを受けてからイラストを描いておりますので、様々な方との対応をされていることが想像できました」「ご無理なきように」「どうぞ体調崩されませんようにご自愛下さい」などなど、本当にお優しい言葉の数々をかけてくださいました。(本当にありがとうございます)
「自分なんて」と思っている人に希望を与えたい、と仰っていたTOMMYさん。お話する中で、その優しいお人柄や、責任感の強さ、行動力を垣間見て、私自身とても勇気をもらいました。これからも引き続きよろしくお願いいたします。

インタビュー・編集担当:森逸崎海

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