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旦那をもっと大事にしたい人

むかしむかし、ある村に、想妻(おもいづま)という名の若い妻がいました。想妻には、「夫をもっと大事にしたい」という素直な願いがありました。
しかし、想妻は悩んでいました。「どうすれば私の気持ちを上手く伝えられるだろう」と。
ある日、村の古井戸の前で休んでいると、不思議な声が聞こえてきました。
「大事にするとは、派手な行動ではないもの。日々の小さな心遣いの積み重ねよ」
その言葉に導かれ、想妻は少しずつ変化を始めました。
朝は、夫の好きな味噌汁を丁寧に作り、
「今日も気をつけてね」という言葉に、心を込めて。
昼は、お弁当に一言添えた手紙を忍ばせ、
「いつもありがとう」という感謝を形に。
夜は、一日の話に耳を傾け、
「大変だったね」と、労をねぎらう言葉を。
休みの日には、二人でゆっくり散歩をして、
昔のように星を見上げながら夢を語り合いました。
疲れて帰ってきた夫には、温かいお茶を。
悩み事があるときは、静かに寄り添って。
嬉しいことがあれば、心から共に喜び。
辛いことがあれば、そっと手を握りました。
すると不思議なことに、夫も少しずつ変化していきました。
想妻の心遣いに気づき、より優しい言葉を返すようになり、
二人の間に、温かな空気が流れ始めました。
村人たちは、二人の変化に気づき、こう言いました。
「まるで新婚の頃のようだね」
「でも、もっと深い絆が感じられる」
後に想妻は、若い妻たちにこう語りかけました。
「大事にするとは、特別なことではありません。日々の小さな思いやりの中に、確かな愛が育つのです」
そして「小さな心遣い、大きな幸せ」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年11月2日19時31分に書く無名人インタビュー933回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 後藤 さんです!

年齢:40代前半
性別:女性
職業:お茶屋


現在:厳しいけど、楽しいから続けているという感じで、お茶だけでは成り立たないので、バイトをしながらやってます。

qbc:
何をしてる人でしょうか?

後藤:
お茶を作っています。

緑茶、番茶、あと私が野草を採って番茶にブレンドする野草番茶と、ハーブと煎茶を混ぜるハーブ緑茶。あとは手摘みでウーロン茶、紅茶などを作っています。

qbc:
どれぐらいの規模感で作られてるんですか?

後藤:
番茶と煎茶に関しては1人ではなくて、砂子原茶業組合という高齢化人手不足の組合で一緒に作っています。そこの番茶を使って、野草と混ぜて野草番茶を作ったり、そこの煎茶を使ってハーブ緑茶を作ったりしています。

規模感だと、大体、煎茶番茶の茶畑がもう放棄されてる場所もあるんですけど、そこは含めず今現状やってるのが5ヘクタールぐらいですね。ただ、もう人数が少なくて放棄される場所が増えていってる感じです。

qbc:
何年ぐらいやられているんですか?

後藤:
私がお茶に携わりだしてからは10年ぐらいたったんですけど、砂子原茶業組合は50年ぐらいです。

私は元々島根出身で実家は茶問屋なんですけど、高校卒業後は20年ほど関西にいました。お茶には全く興味もないまま関西に行って、美術の専門学校に行って、お茶とは全く関係ない仕事をずっとしてきて、十二、三年前に奈良の茶農家さんと出会って。最初軽い気持ちで茶摘みを手伝いに行ったんですけど、面白くなって、自分のお茶を作りたいってなって、島根に帰って来て7年経ちました。

qbc:
今は、お茶の栽培と…。

後藤:
そうですね、お茶の栽培と販売です。

qbc:
商品の企画は別の人がやってます、とかもあるじゃないすか。

後藤:
全部1人でやってます。自分の商品に関しては。その野草番茶とハーブ緑茶と手摘みのお茶に関しては、完全に1人でやってます。

qbc:
そうすると、自分で卸すものもあるんですかね?

後藤:
砂子原は大規模なので、大きいロットでお茶屋さんに卸すとかあるんですけど。私はすごく小規模でやってるので、商品を作って、できたものをお店に置いてもらうという感じです。卸ではなく小売ですね。

qbc:
あ、なるほど。茶畑として原料を卸すみたいなのはないということですね。

後藤:
そうです。

qbc:
気持ちとか、やられててどんな感じですか?

後藤:
そうですね。お茶自体の需要が、もうだいぶ前からなんですけど、ずっと下降をたどってるので、まあ厳しいですね。厳しいけど、楽しいから続けているという感じで、お茶だけでは成り立たないので、バイトをしながらやってます。

qbc:
今、その通販サイトとかはありますか?

後藤:
あ、あります。

qbc:
ネット販売もされているんですね。

後藤:
はい。ネット販売もしてますけど、ネット販売はそんなにすごく売れるっていう感じでもなくて、お店に置いてもらうのが中心っていう感じです。

qbc:
やられていて、どこが一番楽しいですかね?

後藤:
そうですね。作るのが一番楽しくて、手摘みでやってるウーロン茶が今一番楽しいです。

qbc:
どこが楽しいですか?

後藤:
なかなか上手くいかないところです。

qbc:
何が上手くいかないですかね?

後藤:
ウーロン茶がすごく難しくって。紅茶も作ってるんですけど、紅茶の方が失敗しにくいんですよ。ウーロン茶は結構ずっと付きっきりでやらないと、タイミングが結構大事で、時間も目安でしかないんですよ、過程において。

で、一人で手摘み手揉みでやってるんですが、機械を使わずにやってるので、湿度とか気温とか調整できる施設があればまた別なんですけど、そういうのがないので、完全に自分の感覚だけで作るものになって。すごく難しいんですけど、それが面白いという感じです。

qbc:
難しいのが、何で面白いかって説明できますか?

後藤:
そうですね、いいのができたときに、嬉しい。日によっても出来が違うので、何だろう…。やっぱりいいものができたとき、できたときの喜びかもしれないです。

qbc:
お茶以外でも自然で栽培するものって難しそうですが、なぜお茶なのですか?

後藤:
そうですね…出会ったからっていう感じです。

qbc:
出会ったっていうと、そうすると、ご実家はもうあれですよね。

後藤:
そうですね。実家は茶問屋なので、茶農家ではないんですよ。それこそ、仕入れる側というか、いろんな茶農家さんからお茶を仕入れて。煎茶っていうのは合組っていうのがあるんですけど。所謂ブレンドですね。ブレンドをして、自分のところのお茶にするっていうのが茶問屋さんのやることのひとつで。

実家には茶畑とかはなくって、昔からお茶は飲んでいたんですけど、奈良の茶農家さんに出会って、作るっていうところに携わって、興味が出たというか。
それまで本当にずっと興味がないまま、もう島根に帰ることすらないと思っていたくらいだったんですけど、友達に「茶摘みしない?」って誘われて、軽い気持ちで奈良の農園に行って、それがすごい楽しかった。楽しかったっていうところから入りました。

qbc:
摘んだときの楽しさは、何が楽しかったですか?

後藤:
そのときは、お茶作るとかそういう意識じゃなくって、ただ茶畑でお茶を摘むっていうのが。結構農園に若い人もいっぱい来てて、面白い人も結構いたので、最初はそういう楽しさだったんですよ。手摘みのお手伝いをしていて、外でずっとお茶を摘むっていうことがすごく楽しくって。最初はそのぐらいの気持ちでした。

で、今はそうでもないんですけど、特にその時代、私すごいオーガニック狂というか、そういう感じだったので、その農園が無農薬、無肥料でやられていたんですよ。まず、そういうところから入ったっていうのがあるかもしれないですね。
お茶がどうとかっていうより、無農薬とか無肥料っていうところに惹かれて最初は行って、その園主の話もそういう感じだったので、そこに傾倒したというか。その園主さんの話にすごい引き込まれて、そこから入りましたね。

最初は、そこにすごく惹かれて、ずっと通っていたんですけど、そのうちその誘ってきた友達も奈良に移住したんです。そこで、他のお茶屋さんのところのなんですけど、もう1年ぐらいやってない茶畑があって、これやってみないかっていう話がその友達のところに来て、それで誘われて一緒にやる流れになって、お茶作りが始まりました。

その地域で昔家庭用に作られていたはーばんっていう春の番茶を、地域に住むお年寄りに聞き取りして作ったっていうのが最初です。
茶畑の草もボーボーだったし、荒れてたので、その整備もすごい大変だったんですけど、整備から始まって、茶刈りして、はーばんを作るっていう感じでした。最初は遊びの延長みたいな感じで、それを二、三年続けて、友達がただ作ってるだけだから商品化したいっていう話になって。

私は、そのとき野草料理教室に通ってたんですよ、住居のあった京都で。教室で学んだことを家でやる人もいるんでしょうけど、家でやらないんですよ、私が。そのときに、食べれる野草は全部お茶になるよって言われて。お茶ならできそうと思って、野草茶を趣味で作ってたんですよ。
はーばんと混ぜて飲んだりとかもしてたので、友達がそれを見て、じゃあはーばんも商品化して、その野草を混ぜたはーばんも商品化しようよって言ってきて。

qbc:
すみません、そのはーばんっていうのは?

後藤:
春の番茶ではーばん…奈良の都祁っていう地域で昔家庭用に作られていて、呼ばれてた名称がはーばんだったんです。
そのはーばんと野草を混ぜたはーばんを商品化しようっていうことになって。
それまで私すごい自信がなかったんですよ。もういろんなことに、あらゆることに自信がない人で。そのときもすごい言い訳をして。はーばんは作るけど、野草の方は1人でやってるから収量もないし、当時は京都の住宅街に住んでいたので野草を探しに行くのも大変だし、とかなんかいろんな言い訳を並べて、できないみたいなこと言ったんですよ。そしたら友達に「そうやってなんでも言い訳していつもやらないでしょ」って言われて、すごいショックを受けたんです。自信のなさから何事もいつもできない言い訳を探してばかりだったので。

そんな最初から大量に作ろうと思ってないし、できる分でいいからやろうよって言われて。で、もう言い訳もできないし、やってみようってなって、やったらできたんですよ。そんな量は多くないですけど野草はーばんもできて。それまでいろいろ言い訳して、いろんなことから逃げ続けてたんですけど、やったらできるんだっていうことが、そのときにわかったというか、今までいろんなことから逃げてた自分が何だったんだろう。とすら思うというか。

そこから、はーばんと野草はーばんを商品化して作ってたんですけど、私が京都に住んでて別の仕事もしてたので、ずっと奈良に通ってるのもすごく大変だったんですよ。
奈良に移住するか、島根に帰るかっていう選択肢がそこで出てきて。もうそのとき結婚してたんで、子供はいないんですけど、1人で決断はできなくて。旦那は京都生まれで、長いこと大阪にいた人なので、田舎やだって言われて。奈良も相当の山ん中だったんでお茶作ってたのは。
もう田舎がとにかくやだって言われて、住んだこともないので当たり前なんですけど。島根も嫌だって言われて、どうしようかなと思いながら、しばらく平行線でした。旦那は元々は古着屋をやってたんですけど、それがうまくいかなくなって、運送業とかしてたんですよ。自分が全く興味がないことをしていて、遠距離ではないんですけど、夜走る仕事だったので、生活も逆転してるし、良くないなっていうのはずっと思ってたので、そういうところからも説得して。

あとは、ちょうど奈良か島根かで迷ってたときに、関西の友達に島根で起業してる友達を紹介してもらったんですよ。その人たちは、玄米を麺にして売っていて、島根ではうまくいってる事例として取り上げられてる人たちで。
そのとき私、パタゴニアっていうところで働いていて、そのパタゴニアに玄米麺を作ってる子が来てくれたんですよ。島根に帰るか迷ってるっていう話をその子にもして、そしたら助成金もあるし、そういうのも紹介してあげるよみたいな感じで軽く話をして、そのときは別れたんですよ。その玄米麺を作ってる子は、今私が住んでる雲南市っていうところに住んでいて…。

qbc:
これって、お茶を本格的にやるまでのお話ってことですか。

後藤:
はい。お茶作りをもっとちゃんとしたいと思って、島根に帰るか奈良に移住か迷っているところに、その島根で起業してるっていう人を紹介してもらって。

同じ頃、ちょうど大阪で島根の移住フェアがあるという話を聞いて、移住フェアにも行ったんですよ。私は、出身が出雲市なんですけど、その玄米麺を作られてる方が雲南市の方で、その移住フェアで会ったのも雲南市の市役所の方でした。実は、玄米麺を作ってる方にもこの間お会いしたんですよっていう話をして。
島根は地元だけれども私の実家は出雲市の割と街中なので、野草を続けるにしても、お茶畑続けるにしてもちょっと自然がそんなに多くない感じで、そうなると採りに行ったりっていうことになるから、どうしようかなっていうのはずっとあったんです。

雲南市は、私が高校卒業と同時に関西に行ったんで、立ち入ったことのない土地だったんですよ。その市役所の人に、移住ツアーっていうのもあるよって言われて。集団のツアーではなくて、私が興味あるところをいろいろ紹介してくださる無料の個人ツアーができると言われて、それに行きますってなったんです。

qbc:
すみません、ちょっと、時間的に巻いて、移住しましたっていうことにしてもいいですか。その移住したときに、何か特別な出会いがありましたか?

後藤:
そうですね。砂子原茶業組合とはそのツアーで出会っていて、市役所の人が紹介してくれて。行ったら…

qbc:
行ったら、それで一旦移住を決めたという感じでいいですか。

後藤:
砂子原で決めたっていうよりは、雲南市いいなってなって自然もすごくいっぱいあって野草も採れそうっていうところで、旦那も説得して、結局その助成金も取れるっていうことになったので、移住しました。

qbc:
ありがとうございます。で、お茶作りを本格的に始めたっていう感じですね。

後藤:
はい、すいません。ちょっと長かったですね。

qbc:
お茶以外って何をされているんですか?

後藤:
お茶以外は学童ですね。学童のバイトに行ってます。

qbc:
それ以外は何されてますか?ご飯食べるとか日常の生活以外の部分で。

後藤:
神楽ですね。神楽をやってます。

qbc:
神楽というと。

後藤:
神楽というと、何だろう神事の時などに神社で舞う舞です。

qbc:
神楽をやるというのはどういうものですか?

後藤:
それは雲南市で友達になった方にちょっと手伝ってって言われて、行ったんですけど。面白そうって言ったら、来る?って言われて。またそれも軽い気持ちで行って、そっからずっと続けてるっていう感じです。

qbc:
それはサークルみたいなものじゃなくて?

後藤:
あの神社の神楽ですね。社中があって、佐世神楽社中というところに入ってやってます。

qbc:
これは練習がどれぐらいの頻度であって、本番が毎年あるみたいな感じですか。

後藤:
練習は毎週あって、そこに関連する神社のお祭りとか、あとは呼ばれて行ったりとかですね。そんな感じです。

qbc:
それ以外は何かありますか?お茶、学童、神楽以外で。

後藤:
ええ、お茶、学童、神楽以外で。メインでやってるっていうことはそれぐらいですかね。

qbc:
何か趣味とかはないですか。音楽聴いたりとか。

後藤:
音楽はずっと好きです。

qbc:
音楽、聞いてるんですね。

後藤:
音楽は雑食なので何でもいきますね。そうですね。だから、テクノトランスも行くし、ヒップホップも好みはあるんですけど、ロックも結構全ジャンルいろいろ好きです。

qbc:
アーティスト名で言うと?

後藤:
アーティスト名、最近はこれといって、でも、ずっとたまは好きですね。
この人がこのバンドがすごく好きとかはないんですけど…レディオヘッドとかも好きです。そうですね、基本的にこれだけがすごく好きみたいなのはないかもしれないです。

qbc:
音楽以外は、他になにかありますか?

後藤:
音楽以外は元々絵を書くのが好きだったので、美術の学校も行ってて、デザインの仕事も長くやってたので。なので、最近はZINEを書いたりとかっていう感じ。ZINEを書いたり、お茶を表現するみたいなイベントをやったりとか。お茶を飲んで、表現してもらうみたいなイベントをやったり。そうですね。過去やってたこととミックスさせるみたいなことはやったりしてます。

qbc:
ZINEは何テーマだったんですか?

後藤:
ZINEはお茶テーマです。お茶をテーマにイラスト描いたり、文章書いたりっていう感じで。

qbc:
画材は何で書かれているんですか?

後藤:
絵は、私ペンなんですよ。ペン画です。

qbc:
色も使っている?

後藤:
色、使ってないです。もう白黒だけですね。

qbc:
ありがとうございます。周りの人から性格って何て言われますか?

後藤:
性格…。それが結構わかんないかもしれない。なんかこうだねってあんまり言われないんですよね。旦那には外面がいいとは言われます。

小さい頃は、すごいおとなしい子だったんですよ。
いじめにも遭ってたし、登校拒否とかもしていて、結構暗い子だったんですけど、中三のときにすごいクラスが良くって、何とは言えないんですけど、人の中に入るコツみたいなのがわかって、そっからは全くいじめられなくなりました。初対面の人とかも、全然緊張せずに話せるし。社交的な場とかでも全くあの、引っ込むこともなくなり、っていう感じですかね。

qbc:
自分ではどんな性格だと思いますか?

後藤:
自分では、自分では…。難しいですね。自分の性格。そうですね、割と1人が好きです。あんまり人にはそう見られてないかもしれないですけど、1人が好きですね。1人の時間が好きだし、あんまり人に興味がないかもしれないです。

qbc:
身近な人、家族、パートナー、親友とかにみられる性格の一面ってあります?先ほどおっしゃってたようなことで。

後藤:
旦那に言われるのは冷たい、そうですね、冷たいって言われます。ドライを通り越して、冷たいみたいな。多分、自分が好きなことにはバーってなるんですけど、人に興味がないっていうのも含めて、多分冷たいんだろうと思います。実家でもそんなに干渉しないのでお互い。私はずっとそれで育ってきたので、別におかしいと思ったことはないんですけど、旦那にあんたの家族冷たいねって言われて、そうなんだみたいな感じ。だから、多分私も冷たいんだと思います。

自分の性格ってすごい難しいな。
あとは、すごいこだわりますね、好きなことだけですけど。好きなこと以外は全くこだわらないです。

qbc:
好きな食べ物なんですか?

後藤:
好きな食べ物。その時々によって変わりますね。

qbc:
今は?

後藤:
今は、豚汁です。今食べたいものかもしれない。


過去:デスクワークやだなって。ずっと座ってやってんのも、エアコンも結構きつかったんで、夏なのにフリース着て仕事してるとか、何かそういうのも嫌になって、やめようって思って。やめました。

qbc:
子供の頃、どんな子供でしたか?幼稚園とか覚えている範囲で。

後藤:
覚えてる範囲は、もう、暗い、おとなしいですね。
そのときから絵を描くのは好きだったので、なんか休憩時間もワーッて遊ぶっていうよりは自由帳に絵を描いていたり、本読んでたりとか、そういう感じだったと思います。

qbc:
どんな本を読んでいたんですか?

後藤:
児童書ですね。好きだったのはミヒャエルエンデの「モモ」っていう本とか。

qbc:
遊びって、どんな遊びだったか覚えてますか?

後藤:
遊びも、私、運動が苦手なので、みんなで運動するとかあんまりなくって、それでも仲良い子と鬼ごっことかはしますけど。印象に残ってるのは、小学校3年生のとき、同じように絵を描くのが好きな子が2人いて、3人で漫画の交換日記みたいなのをしてました。少女漫画だったんですけど。それぞれが自分の作品を書いて、連載するみたいな、交換日記をしてました。

qbc:
なるほど。御両親からどのように育てられましたか?

後藤:
両親から。そうですね。うち、おじいちゃんもおばあちゃんもいて、割と幼い頃というか、小学校のときとかは、お母さんもすごい熱心だった気がします。なんか漢字とか算数とか、お母さんが書いた問題とかもやらされてました。
おばあちゃんが、結構本当に意地悪ババアで、孫にも意地悪というか、性格悪かったんで、よくおばあちゃんと喧嘩してましたね。多分、性格が似てるんだと思います。
お父さんもすごい短気で、優しい部分もあるんですけど、なんか割とすぐいらいらする人で、リモコン投げられたりとか、ちょっとしたことで。なんかそういうので嫌だなって思ってたっていう記憶はあります。

qbc:
お父さんご自身も意地悪なんですか?

後藤:
いや、意地悪ではないですね。
いらちです。お父さんは、いじわるっていうところはないんですけど。

qbc:
おばあちゃんは意地悪で、自分と似てるっておっしゃっていましたね。

後藤:
そうですね、旦那から言われるので、ああ、私、おばあちゃんの血引いてるわって思います。

qbc:
ちょっと意地が悪いということですか?

後藤:
なんかいけずって言われますね。そんな言い方せんでもいいのに、みたいな言い方したりとか。おばあちゃんほどひどくはないと思うんですけど。

qbc:
小学校はどんな子供でしたか?

後藤:
小学校も暗い子供です。

qbc:
中学校は?

後藤:
中学校も中1のときに登校拒否してて。いじめで。中2のときも、行けたり行けなかったりっていうのをしてて、そのときもおとなしい感じですね。もう男子とも喋れないみたいな。
中3のときのクラスが良くて、そんときに人としゃべるのが全然怖くないっていうのが発覚して、そっから何か第2フェーズに入った感じです。

qbc:
何で登校拒否して、何で怖くないってわかったんですかね?

後藤:
ずっと幼い頃から暗かったので、いじめられやすかったですね。何かその具体的にすごいいじめをされたってわけじゃないんで、ちょっと無視されたりとかっていう対象になりやすい感じだったんですよ。
脱却の仕方もわからないし、とにかくおとなしいし無視されて、もう何も言わないし。次に無視のターゲットが別に変われば終わるしっていう感じでいって。
中1の時に結構いじめが酷くて不登校になりました。
中3の時ですね、人に入るコツがわかったのが。そのコツを詳しく言えないんですよ。でもなんか入れるようになったんですよね。

qbc:
高校はどんな感じですか?

後藤:
高校もそのままですね。何か別に、それなりに楽しくっていう感じで過ごしました。

qbc:
このあとの進路、進学はどうなるんですか?

後藤:
絵はずっと好きだったので、親もそっち方面だろうと思っていたので、それで大阪の専門学校に行きました。とりあえず、出雲を出たいっていうのは、ずっとあったんですよ。
今でこそネットがあるんですけど、当時はネットもないし、情報がないんですよ。サブカルがすごい好きだったんで、そういう情報も雑誌が多少あるけれども、その雑誌も島根に全部入ってくるわけではないので。本もないし。
映画とか観たいって思っても、レンタルビデオ屋にもないみたいな。雑誌でこういう映画があるって見かけて、すごい観たいって思っても、島根にはレンタルですら入ってこないみたいなのもたくさんあったし。
なんかもう、いろいろ。おしゃれにも興味があったので、服とかも買いたいけど、島根にないみたいな店もいっぱいあったので、とにかく都会に出たくて、大阪の専門学校を選んで、そこに行きました。

qbc:
学生時代はどうでしたか?

後藤:
大阪、すごい楽しかったですね。あの出雲、島根全体かもわかんないんですけど、出雲はちょっと陰険な部分があって、京都と似たような感じ。言われる京都の印象と似たような感じだと思うんですけど、ちょっと陰険な感じがあって。
大阪は結構、直接何でも言ってくれるっていうのがすごい楽で。なんかおかしいでとか、それ変やでとかも、もう直接バンって言ってくれるみたいなのが、私はすごく楽で。
あと美術の学校なんで、ある程度似通った人たちが集まるというか、ジャンル的に。そん中でもいろいろあるんですけど、それもあってすごい楽しかったですね。

qbc:
なるほど。ありがとうございます。その後どうなんすかね卒業後は、

後藤:
卒業後は私学校行ってたんですけど、授業を真面目に受けてたタイプではなくって、パソコンが全然使えなかったんですよ。卒業しても、当時まだそんなにパソコン1人1台持ってるっていう時代でもなかったんで…あ、でもぼちぼちそういう感じだったのかな。

最初は古着屋で働いていて、その後スナックとかでも働いてて、行ってた学校と関係ない仕事をした後に、そのスナックのお客さんからイラストの会社を紹介されて。ちょうど女の子が辞めたから、紹介してあげるよって言われて、イラストの会社に行ったんですよ。実は、イラストレーターもPhotoshop使えないんですって言ったけど、勉強してくれたらいいよって言われて。割と緩やかな会社だったんで、そこでイラストレーターとPhotoshopを遊びながら覚えたっていう感じで。
そこも結局会社がうまくいかなくなって、辞めることになって。転々と他のデザインの仕事をしながら、10年ぐらいデザインの仕事をしてました。

qbc:
その他、何か変わったことはありましたか?

後藤:
変わったこと、変わったことは特になかったんですけど、別にデザインが好きっていうわけでもなかったんですけど、できるからやってるっていう感じで。
どっちかっていうと遊びの方がメイン、メインというか、20代なんで遊びたい盛りなんで、だからそのときはクラブとかいっぱい行ってました。っていう感じの青春時代でした。

qbc:
デザイナーを10年後に辞める?

後藤:
辞める。それは何か、ずっとデスクワークの仕事が嫌になって、元々結構飽き性っていうのもあるんですけど。なので、会社は転々としていて、同じ会社に10年じゃないんで。それでデスクワークやだなって。ずっと座ってやってんのも、エアコンも結構きつかったんで、夏なのにフリース着て仕事してるとか、何かそういうのも嫌になって、やめようって思って。やめました。
なんかちょっと海外とか行きたいなと思って。なんかタイとかラオスとか行って。

qbc:
それは、何歳のときですか?

後藤:
それが、28か9かそのぐらいですね。

qbc:
なるほど。あれでも、満10年ではないってことですか?

後藤:
あ、満10年じゃない…、どうかな。いつまでやってたんだろう。

qbc:
専門学校で、20歳ですよね。

後藤:
そっか、だから30ぐらいまでやってたのかな。

qbc:
なるほど。

後藤:
ちょっと私もその辺が曖昧になってますね。

qbc:
アラサーで海外行ったって感じですね。

後藤:
そうですね。で、戻ってきてから無職が1年ぐらい続いてて、そのうち貯金がなくなるじゃないですか。焦ってきた頃に、すごく環境問題とかに傾倒したときがあって。それもあって、パタゴニア受けてみようってなって、パタゴニアに入社したっていう感じですね。

qbc:
パタゴニアと環境問題がぱっとわかる人は少ないかと思いますが、会社ですよね。

後藤:
友達が働いてたんですよね。そんなに環境問題興味あるんだったら、ちょうどその子が辞めようか迷ってるところで、私辞めるし受けてみたらって言われて、そうかと思って受けたっていう感じです。

qbc:
それは、島根ですか?

後藤:
じゃないです。そのときは京都に引っ越してましたね。

qbc:
なるほど。海外から帰ってきたときはどこに帰ったんですか?

後藤:
行く前に、旦那が大阪でやってた古着屋がうまくいかなくなって、旦那は京都出身なんで地元に帰ったんですよ。

qbc:
結婚はいつだったんですか?

後藤:
結婚はもっと後です。

qbc:
なるほど。付き合ってた状態だったんですね。

後藤:
彼氏の状態のときに、京都で一軒家を借りたんですよ。海外行くし家賃もったいないから、私もそこに引っ越すってなって、京都に行った感じです。
そっから海外行って、なので、そこに帰ってきて、無職でプラプラしてたとこに、友達にパタゴニアどうって言われて、パタゴニアに入ったっていう感じですね。

qbc:
なるほど。奈良の人に会うまではどういう感じなんですか?
京都パタゴニアで働く、奈良に行く、感銘を受ける、そして?

後藤:
パタゴニアで働きながらお茶畑に通うみたいなことをしていて、その間に結婚っていう感じです。

qbc:
何歳のときに?

後藤:
32歳のときに、結婚は。

qbc:
結構、昔ですね。

後藤:
そうですね。

qbc:
お茶がもう、10年ぐらいとおっしゃってましたもんね。移住はおいくつのときですか?

後藤:
移住がね、37。

qbc:
結構あるんですね。でも移住っていうか戻ったって感じなんですか?

後藤:
そうですね。Uターンなんですけど、でも出雲じゃなくて雲南市っていうので、なんかJターンって言うらしいですけど、なんかそんな感じで戻りました。

qbc:
人生の転換点を1ヶ所だけ指定したら、どこになりますか?

後藤:
環境問題に興味が出たときですね。それは、京都に使い捨て時代を考える会っていうのがあって、そこに槌田劭さんっていう人がいたんですよ。もう、おじいちゃんなんですけど。槌田劭さんは、その原発ができたときから原発の反対活動されてる、アバンギャルドなおじいさんで、その人がすごい哲学的な人だったんですよ。で、その話がすごく面白くて、もう教祖様みたいに私の中でなってしまって。槌田さんに出会ってだいぶ考え方とかがガーッて変わったっていう感じですね。

qbc:
今ぱっと調べたら使い捨て時代を考える会は、去年50周年だそうですね。88になられるのかな。

後藤:
もうそんなお年だと思います、うん。もう当時からおじいちゃんだったんで。

qbc:
京大の助教授だったそうですね。何となくそういうイメージですね。

後藤:
科学者で…物理学者だったんですけど。科学と平和が結びつかないっていうところで京大を辞められて、っていう方で。その方がすごい多分、人生にだいぶ影響を及ぼしました。

qbc:
なるほど。ありがとうございます。


未来:私もいつまでお茶を続けるかなって思っていて、今実家の元々やってた合組を勉強しようかと。

qbc:
5年10年、20年30年の未来をイメージして、最後死ぬところまでイメージして、どんな未来を思い描いていますか?

後藤:
そうですね。ちょっとお茶がどんどん需要が減っていってるので、どう考えても。砂子原も高齢化なので、いつまでやるかわかんないっていう状況なんですよ。
私もいつまでお茶を続けるかなって思っていて、今実家の元々やってた合組を勉強しようかと思っていて。

qbc:
合組ですか?

後藤:
合組。ブレンドですね、煎茶の。

qbc:
5種類を混ぜるとか、そういう感じですか?

後藤:
そうですね、いろんな茶農家さんの煎茶(荒茶)を買って、それをブレンドして仕上げするんですよ。
いろいろ特徴がある煎茶が品種でも違うし、あと蒸し方とかでもいろいろ変わるので、そういうのをブレンドするっていうのをお茶問屋さんはやってるんですよ。

qbc:
なるほど。ありがとうございます。

後藤:
それを父親が元気なうちに教えてもらって、そっちも覚えたいなと思っていますね。そう、未来で決めてることって言えばそれぐらいです。

qbc:
お茶の良さってなんなんですかね?

後藤:
お茶の良さがね、私も語れなくて、語れなくてっていうか、作る方から入ってるので。その自分が興味が出たのが作ることだったので。飲む方の良さがうまく語れないというか。

qbc:
お茶を飲んでもらうのと、お茶摘み経験で言ったら、どっちを売りたいと思いますか?

後藤:
お茶摘み。そうですね、作る方が好きなので。売りたい?

qbc:
例えば、パッケージツアーとして、お茶摘み体験できるよみたいな。

後藤:
お茶摘み体験は何度かやってるんですよ。

qbc:
それとお茶の販売でどっちが自分の中でやりたいですか?

後藤:
いや多分ね、私ね、ビジネスが全然駄目で。多分、販売の方にあんまり気持ちがいかないんですよね。

qbc:
全然売り上げの話っていうのではなくて、自分がやりたいことってどちらですか?

後藤:
やりたいことは、自分が作ることです。

qbc:
それでお金がないと困るからお金にしてるだけであって?

後藤:
そうですね。もう何か、実験してていいよって言われたら、ずっと実験してたいです。

qbc:
でも何か実験って言っても、明日結果が出るわけじゃないじゃないすか。いらちっておっしゃっていましたが、大丈夫なんですか?

後藤:
それは大丈夫ですね。好きなことは。

qbc:
なるほど。お茶がなかったら、槌田先生との出会いもなかったら、今何が残っていますかね?

後藤:
何が残ってるんだろう。旦那との出会いもなくてっていう感じですか?

qbc:
それはいいですよ。言い方あれですけど、それは残しましょう。

後藤:
そうですね。多分、友達の(私が)いつも言い訳してやらないでしょっていう一言もだいぶ強烈なんで、それがなかったら多分やってないんですよ。それがなかったら、お茶とも出会ってなかったら、多分まだデザインの仕事してるかもしれないですね。

qbc:
エアコン寒い寒いって言いながら?

後藤:
寒い寒いって言いながら。多分、結局何か自分ができることってなると、そっち方面になると思うんですよね。

qbc:
何か違うものと出会っていたりという可能性は感じないですか?

後藤:
違うものと出会ってる…。

qbc:
その傾倒するものは、お茶だったわけですよね。今のシナリオでいうと。違うシナリオは考えにくい?

後藤:
違うシナリオは考えにくいですね。ていうのもなんか結構私、これがやりたいと思って入るタイプじゃなくて、本当に流れてきてるので、多分流れで何かに出会ってたら、そっちに行ってるかもしれないです。

qbc:
ただ逆に、もしかしたらその無限の可能性があるみたいな。

後藤:
そうですね。無限に可能性はあったと思います。

qbc:
何か別な栽培か、例えばオンラインサイトの運営なのか、それとも他の食べ物を育てるみたいな、こっちが可能性高そうですか?

後藤:
でも、栽培なあ。どうだろう。野菜とか一回挑戦したけど、ほったらかしにしてしまったんで。やっぱ何か、好きなことじゃないと続かないんだろうなっていうのは思うんですよね。

qbc:
YouTubeも田んぼだって言ったりするんすよ。例えば、地道に育てていってね。ブログも田んぼですよ。

後藤:
でも、note書いてるのは楽しいので、割と文章書いたりとかはしたかもしれないです。
もう全然わかんないです。そう、今まであんまり自分で何かこれって決めてきてないんですよね。ずっと。

qbc:
なるほど、ありがとうございます。ブラックユーモアとか好きなんですか?

後藤:
好きですね、はい。ブラックユーモアは好きです。

qbc:
ありがとうございます。たまで一番好きな歌、おすすめの歌はありますか?
スピッツが若い世代に人気あり、たまもまだまだね。

後藤:
まだまだね、まだまだ。そう、だいぶ天才だと思うので。たまで好きなのは「そんな僕が好き」っていうのと、「まちあわせ」ですね。

qbc:
あ、知らない。誰の曲ですか?

後藤:
「そんな僕が好き」は知久さんで、「まちあわせ」は石川さん。裸の大将みたいな格好をしている人です。

qbc:
私もライブに行ったことあります。

後藤:
そうなんですね。

qbc:
はい。最後の質問がですね、最後に残したことはっていうので、遺言でもいいし、読者向けメッセージでも、自分自身に対する独り言でも何でもいいです。最後に言い残したことがあればお伺いしております。

後藤:
はい。最後に言い残したことは、旦那をもっと大事にしたいです。補足すると、もう本当に私自分が興味があることにバーってなるので。本当に冷たい冷たいって言われるのもすごいわかるんですよ、旦那に。旦那の話に興味がなかったりとか、なんかすごい適当に相槌打ったりとか。ただ、根底に甘えがあるんですよね。許されるって思ってるから、偉そうにしたり、してる自分を律したいです。

そんな感じですかね。それはずっと引っかかりながらできてないんですよ、多分。前から優しくすることができてないので。もうちょっと行動として、ただおばあちゃん、お父さんの流れを見てると、お父さんもすごいお母さんに冷たいんで。でも、多分すごく愛情表現が下手くそなんですよ。娘に対してもそうなんで。優しい心は持ってるんですけど、できないんですよね。

私もそれがすごい見てわかるんですよ。私もそういうところがあって。すごい大事なんだけど、それを行動で表せないというか、なんか多分照れもあって。良くないなと思っていて、ちょっと行動で優しさを示したいと思っています。

qbc:
ありがとうございます。

あとがき(編集)

楽しいからこそ頑張れる。好きなことだからこそ頑張れる。人に与えられた人生の時間がそれぞれどれくらいかは誰にも分からないけれど、「今」ある時間を自分らしく生きるために、生きるモチベーションをどう維持していくかが大事なんだろうなあ。効率や理論に縛られるだけじゃなくて、自分の直感も信じて生きていきたい。

【インタビュー・編集:qbc】

【編集・あとがき:kusano】

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