無名人インタビュー:脳出血して生死をさまよい後遺症があって理想の安定した生活では全然ないけど逆に人生が深くなったと思う人
つい幸福論をふりかざしちゃう。自分は幸福なのか? この人は幸福か? どうだ? どうなのか? と。いつのころからかこの「幸福」という一言にふりまわされすぎちゃってる。
わかってる。幸福の条件はたったひとつで、「自分が幸福かどうか考えないこと」。これだけ。極端な例を引き合いにしても参考にならないかもしれないが、例えばいつ助けが来るかもしれない捕虜の収容所で絶望せずに生き残った人の話がある。彼には毎日していくことがあった。それは何か。足元の地面を歩く蟻の観察をしていた。
自分の境遇とか、未来への期待のなさとか、そういうことではなく、日々自分以外の何かに意識の焦点をあてることができていれば、その人は幸福なのだ。幸福という感覚はない。ただ忘我の恍惚を幸福と言い換えているだけ。
と、いうことを、つらつら考えながらインタビューし、原稿を編集していました。
インタビュー中は共感しないようにしているのですが、今回は感動してしまった。
今回の記事もどうぞあなたの心に何かを残せますように。
お楽しみにね。
今回ご参加いただいたのは なんとかなる さんです!
現在:脳出血で1週間、生死をさまよう
qbc:今、何をされている方でしょうか?
なんとかなる:27歳で障害を持ちまして。病気で脳出血しまして、99%亡くなるって言われて、葬式まで準備されて。
1週間、意識不明だったんです。植物人間で、1週間後に亡くなるって言われてたんですけど、奇跡的に1週間後に目を覚ましまして。
僕、今、45歳なんですけど、当時27歳で、脳動静脈奇形による脳出血っていうので、10万人に1人の病気らしくて。
qbc:なるほど。
なんとかなる:そこから仕事とかがもう。以前だったら物流業でフォークリフトに乗ってたんですけど、それがもうできなくなっちゃって。一応、4ヶ月間入院しまして、リハビリセンターでリハビリを頑張ってやってきたんですけど。
でも家に帰ってきてから、病院の生活環境がすごく良かったっていうのに気づいたりもして。(笑)
qbc:はい(笑)
なんとかなる:そこから、負けるわけにいかないっていうので、毎日10km以上歩いたんです。
僕、体幹機能障害っていうものだったので、バランスが取れなかったんですよ。バランスが取れないんで、自転車とかも乗れないんですけど。もう、歩くたびに転けるっていう形で。
人にたくさん笑われながらでも、毎日繰り返して、歩けるようになってきたんですよ。
しかしそれからずーっと困っている事があって、実は今、就職っていうのが。ちょっと前まで営業の仕事をしていたんですけど、学校へ行ってパソコンの資格とかを取りまして、転職活動中で。
ちょうど今、最後の面接を終えて結果待ちまで来ているところではあるんですけど。(今回も見送り 笑)
qbc:なるほど。では、今何をしている人かと言うと、就職活動中ですか?
なんとかなる:そうです。3次面接の結果待ちです。(今回も見送り)
今まで働いていたところは転職活動のために辞めて、新しいところの結果待ちをしている最中です。
qbc:まさしく生死をさまよっていたというわけですが、それが27歳ぐらいのとき。
今現在は、どれくらいまで回復されてらっしゃるんですか?
なんとかなる:もう、見た目は全然わからない感じになって。
僕の病気は、体幹のバランスが取れないんで、普通に座るぐらいでも揺れるみたいになるんです。でも、走れるくらいまで回復して。
このあいだ脳外科へ行ったら、先生が「ちょっと信じられない」って言っていました。「かなり頑張った?」って言われたけど、リハビリ中は、本当にどれだけケガをしたかわからないくらいのリハビリをしたっていう感じで。(笑)
qbc:退院されてからは、どういう状態だったのですか?
なんとかなる:最初の1年半は、もう本当に何もできなかったんで、家でずっとリハビリを繰り返していて。
退院して帰ってきたばかりのときは、家の中の方が病院より狭かったので、歩くだけで壁にぶつかったりとか、朝も昼も夜もわからない。
僕、脳の病気をしたので、もうわからないっていうか。今まで寝てたのにトイレに起きたら、寝てたことも忘れて。夜中だから何も放送されていない砂嵐のテレビ画面をつけて、じっと見てたような感じで。母がたまたま見にきて「あんた、何してるの?」っていう感じで。何も放送されてないのにって。
僕の記憶が、その当時は認知症っていう形ですかね。もう物忘れが多くて、何をしてたかわからないっていう形で。
qbc:うんうんうんうん。
なんとかなる:満腹中枢とかもなくて、ご飯を食べたのもわからないというレベルだったんです。
なので、毎日日記をつけるようにして。食事した時間とかを、自分で忘れてても日記を見て、ああそうだったっていう感覚を取り戻せるようにとかしてました。
あとは、だんだんだんだん感覚がわかるようになってきてから、これこそ家の中ですけど、左半身の痺れがずっとあったもんで。
qbc:動かせるけど、痺れる?
なんとかなる:そうなんです。脳の病気をした人、よく半身付随の方とかいますよね。僕はそういうのにはならなかったんですけど、痺れがずっとあって。この痺れを何とかしないといけないなっていうので、ギターを始めたんです。
これは誰に習ったわけでもなくて、とりあえず指を動かす。痺れを治さないとっていうのでやってたんですけど、毎日繰り返すことで、だんだん弾けるようになってきまして。面白くなってきて、誰にも習ってないんで、プロの方から見たらすごく簡単なコードしか使ってないんでアレなんですけど。今はコロナになってから行けないですけど、施設とかへボランティアに行って弾いたりとか。そしたらみんな喜んでくれて。そんな感じですね。
qbc:なるほど。
なんとかなる:あとは、障害で味覚がわからないんですけど、甘さが全くなくて。他もちょっとわかるレベルなので、美味しさっていうのはあまりわからないんです。
これは、もう病気してから味覚がなくなって18年なんですけど、料理を作るのが好きで。(笑)
自分で食材を買ってきて、以前から作るのは好きだったんで、記憶を辿って、調味料はこの分量でこれくらいの味だったかなっていうので作ったりして。
うちの母に味見してもらったりとか。「やっぱり味が濃いよ」って言われたら、また分量を調整してっていう感じでやってますね。
qbc:はい。
なんとかなる:あともう1つ、僕は病気して1週間経ってから意識が戻ったって言いましたけど。そのとき、複視っていう病気になりまして、目がずれて二重に見えてたんですよ。
全てがずれて見えてたので、初めは何が何だかわからない感じだったんですけど。それを良くするのに、自分で色彩感覚を持ちたいなと思って、花のアレンジみたいなのも、誰に習ったわけじゃなくて、適当に花を買ってきてやってたら楽しくなってきまして。
qbc:はいはいはいはい。
なんとかなる:ストレス発散で、その3種類は。リハビリを通して趣味みたいになったというか。
qbc:最初は車椅子だったんですかね?
なんとかなる:最初は寝たきりで。それから、ようやく立ち上がれるようになって。たぶん、半月ぐらい。
実は、兄に無理矢理、車椅子に乗せられたんです。「肩を持て」って言われて。お医者さんには「そんなことをしたらいけない」ってすごく止められたんですけど。「いや、大丈夫です」って兄がやってくれたおかげで、何かちょっとやる気が出まして。
なんかこう、僕はこのままじゃ駄目だっていうか、そこからすごくやる気が出て。自分で毎日転けながらでも、やってきた感じ。
qbc:今は、車椅子に乗っていらっしゃらない?
なんとかなる:今はもう普通に生活してる形で、歩いてるんです。
qbc:それはいつぐらいから?
なんとかなる:これね、実はね、自分でも不思議なんですけど、1年かからなかったです。(笑)
もともと寝たきりで、車椅子から歩行器になって、歩行器をとって杖になって。杖になったくらいから、自分で杖をつきながら毎日10キロ歩くようになって。
その中で、自分でどれだけ杖なしで歩けるかっていうのを自分で試しながら。その間は本当に何回転けたかわからない。人に笑われた感じですけど、それでもやってきてたら、今度は杖がなくても歩けるようになってきて。
そこから走れるかなってなって、そうしたら走れまして。それも簡単ではなくて、かなり何回も挑戦して挑戦して、最後は走れるようになって。今では普通に生活できてるんですけど。
僕はバランスが取れない病気なんですけど、やっぱり人に何かを頼まれたりとか、電車の中でいきなり高校生に突っ込まれたりとか、そういうことがあるんですよ。
見た目がもう全然わからないので、逆にお医者さんから「ヘルプマークとして、杖を持っていてください。それで自分でアピールして」って言われて。
qbc:なるほど。とっさに人が現れたりみたいなときは、バランスを崩しちゃうと。
なんとかなる:普通の平坦な道でもちょっと凸凹があったりするじゃないですか。普通の方であれば、バランス取れる人はそういうところへ乗っても何もないんでしょうけど。
僕、実はそういうところだと重力がそのままかかってきて、バランスが崩れちゃうんですよ。だから、凸凹の道はすごく歩きにくいっていうことです。それでも今は、リハビリのおかげで歩けてますけど。
qbc:じゃあ、もう30歳ぐらいのときには、日常生活は1人で送れてたっていうことですか?
なんとかなる:そうです。
qbc:すごい。
なんとかなる:自分で料理作りながら。逆に、そのときは母が入院しまして。家に1人になってしまうんですよ。そのときに兄とかがみんな、もう結婚していたものでいなかったんですけど。
兄が僕のことを心配して来てくれたんですね。親がいない間、僕を見るって来てくれたんですけど、何でも、料理とかも作るし、洗濯とか家のことを全部してたもので、逆に兄の1人分増えたっていう形になって。(笑)
逆に兄にびっくりされて、「何でもできるし、すごいな」って言われて。
それからですね、病気して困っていらっしゃる方の助けっていうか。自分が体験したことを人に、苦しんでる方に希望を与えられたらいいなと思って。(笑)
qbc:病気の後は、いつから働いていらっしゃるんですか?
なんとかなる:実はですね、退院してリハビリを繰り返しているときですかね、その帰りにいつも杖をつきながら寄っていたコンビニがあったんですよ。そこで「朝の3時間だけでもバイトできないですか」って聞いて。でも、僕が杖をついてるのを見てたもので、「レジとか打ったりできる」って言われたんですけど、「挑戦させてください」っていうことで働いて。1年8ヶ月ですかね、そこでお世話になって。
走ったりもできるようになってたんで、普通にできるようになってから勤務時間も増えてきて。それでやってたんですけど、自分に合わないことがいっぱいあって、転々としてたんですよ。
qbc:うんうんうん。
なんとかなる:その中で、僕自身がそこから、このまま生きていくのに何か資格がないと駄目だなっていうので、パソコンの資格を取って。僕、そういうのが全然できなかったので。
健常者のときはフォークリフトへ乗ってた、そういう体を使う仕事だったので。全然違う形へ移すしかないと思って、それから資格を7個取ったんです。
その資格を持って、今、転職活動してる最中で。
qbc:あ、なるほど。キャリアチェンジのための転職なんですね。
なんとかなる:そうですね。僕、今までのところは体に合わないっていうのもありますけど、やっぱり自分自身の病気が。僕自身もどこまでできるのかっていうのが、突然のことでよく分かってなかったんで。
挑戦させてもらうっていうか、一度やってみないとわからなかったっていうのがありますね。
勤め先の会社さんとかに、本当に申し訳ないことをいろいろしましたけど。そこで「すみません」って謝りながら辞めてきて、自分に合う道を見つけながら。いい方向へ向かうように、大きいところへ行きたいってステップアップしていった形で。
qbc:今までのお仕事は、どんな感じだったのでしょうか?
なんとこなる:今までの僕がやっていたところは、営業だったり、外回りをしていたんですけど。
でも今回のところは、僕が取ったパソコンの資格がすごく生かせる内容だったんで。今までやっていた外回りのところは、全然そういうのがなかったんで。
今回のところは、受かれば自分のスキルと、あとは収入も全然変わるので。これはもう、また自分の挑戦だなと。
過去:
qbc:なんとかなるさんは、お子さんのころはどんな子どもでしたか?
なんとかなる:活発で、サッカーをするような、体を使うのがすごく好きな少年だったですかね。僕は、生まれが鹿児島なんですよ。今は三重県に住んでるんですけど。
子どものころは海のそばだったので、海の近場の方だとかで遊んだり。兄とすごく仲良かったので、いろんな人とも遊んでいたっていう。
ホームで遊ぶんじゃなくて、アウトドアっていうか、外で遊んでいた方が多かったですね。
qbc:性格は?
なんとかなる:明るいっていうか、悩まないっていうか。(笑)いつも笑ってたんで。
あまり考え込まないっていうんですかね。
qbc:学校生活はどんなでした?
なんとかなる:勉強は全然できない子で。友達も多くて、人付き合いはうまかったっていう感じですかね。(笑)
qbc:友達と遊んだ記憶が大きいですかね。
なんとかなる:大きいですね。僕は勉強するっていうタイプでもなくて、活発に友達といろんなところへ行って、冒険してたっていう。
鹿児島にいたとき、本当に冒険して。山の中へ入って行って、いろんな沼とかにはまったりとか、そんな記憶がありますね。冒険心が大きかったっていう感じですかね。
山っていうか結構大きい森もあって、両立してたような形ですかね。
qbc:三重へは、いくつくらいのときに?
なんとかなる:小学校2年生ぐらいに、父の仕事の関係で引っ越しました。
僕は鹿児島ではすごい大都会に住んでいると思っていたんですけど、実は鹿児島でもすごく田舎の方で(笑)三重県へ引っ越して来たときにわかりました。
三重でもサッカーしたりとか、外で遊ぶ方が多くて。
qbc:なるほど。それから高校へ行って、と。
なんとかなる:僕が脳の病気をしたのは、遺伝があるのかもしれないんですけど。
僕が高校1年生のときに、父が脳梗塞で倒れたんですよ。そのころはもう、きょうだいがみんな結婚して家を出ていて。
qbc:お兄さんたちは、結構年上だったんですね?
なんとかなる:僕は、5人きょうだいの一番下なんですね。兄とかが、もうみんないなかったので、僕が家を守るのに学校を辞めて働いたんですよ。
初めは焼き鳥屋さんとか、接客業で働いたんです。お客さんとの関わりがすごく好きだったので。でも、2年間働いたら、そこから少し遠い場所へ行ってお店を持つことを言われまして。
でも、母を置いて1人で行きにくいっていうのもあって。あとは、若かったのもあったので、もうそこで断念して辞めまして。そこから、今度は工場系の方で。それが物流です。
qbc:10代のころ?
なんとかなる:20代になってました。19歳ぐらいから、工場系へ移ったという形です。
qbc:病気以外の部分も、わりと濃密なお話ですね。
なんとかなる:以前もいろいろなことをしてました。本当に、転々としてたんで。
qbc:そのときは、どんなことを考えていらっしゃったんですか? 若くして働いている中で。
なんとかなる:僕は高校1年生のときからそういう形になって。実は、恥ずかしながら高校もあんまり行きたいと思ってなかったんです。(笑)
もともと働きたいなっていうのがあったんですけど、父がそんなふうになるとは思ってなくて。そうなったときに、親はやっぱり、学校を出てもらいたいっていうのは、どこの家庭でもありますよね。ずっと言われてて、一応、3年生まで引っ張っていくんですけど。
でも、やっぱりいろいろな意味で駄目かなっていうので。自分で夏休みにアルバイトをして。でも、今はどうかわからないですけど、僕らのときは、バイトとかすることは駄目だったんですよね。
qbc:あれ、お父さんが倒れた後、働かなきゃなと思いつつ、働き出したのは高3の夏休み、ということですか?
なんとかなる:そうです。
そのときに先生の方から、「そこまで働きたいという気持ちがあるなら、1回社会へ出てみて、もう1回自分で決めた方がいい」って言われて。それで行ってみたら、やっぱり僕自身も働く方が良かったっていうか。
若かったけど、収入も得られて家庭に協力もできるし。働いた方が自分なりになれるかなって、そこで退学届を出して。「もったいない」って言われましたけど、3年の11月で辞めて。
qbc:辞めちゃったんだ。
なんとかなる:周りから「もったいない」ってすごく言われましたけど、僕、実は後悔もしてなくて。今、振り返ってみたら、自分が障害者になって、いろんな意味で、若くして働いて来たっていうこととか、いろんな部分で経験をたくさんしてきたからわかるっていうか。その分、心優しくなったっていうか。ありがたいっていうか。
障害を持ってから、障害にもありがたいなって。今まで気づけなかった、普通に体が不自由な方を見ても、相手の痛みとか体のことはわからないけど。自分がなってみたら、表には出さない痛みとか、すごくあるんですよね。
qbc:うんうん。
なんとかなる:いろんなね、こんな大変な思いをしてたんだなっていうのを、すごく肌で感じて。それがわかってきたんで、いろんなことを感じられるようになったっていうか。
味覚がないのも、人には全然わからない。「本当に味覚がないの?」って言われるぐらいまでもってきたもので、それもすごく強くなったなっていうか。
qbc:お父さんは、倒れてからどうされたんですか?
なんとかなる:17年間、ずっと家で寝たきりで。喋ることもできなかったんで、ずーっと母が介護をしてました。だから、僕も頭が下がる思いで。17年間、ずーっと。本当にどこへも行かなかったですね。出かけるのは、本当に買い物ぐらいです。だから、ようやったなって。
父は17年経ってから亡くなって、もう今はかなり時間が経ちましたけど。
未来:言葉で励ましながら
qbc:5年後、10年後にこうなってたいですとか。あとは死ぬときに、人からこう思われていたいですとか。未来って、どういうイメージを持たれていらっしゃいますか?
なんとかなる:自分が障害を持って挑戦したことを、60歳になっても未来へ行っても、体の不自由な方の励みになるっていうか、こんなことになったけどこんなふうになってます、「そんなに落ち込まなくていいよ」って言いたいなって。そういう人になりたいなって。
qbc:働くということとは別に、そういう活動もしていきたい?
なんとかなる:そうなんです。実は、僕の最終的な目的は、そういう施設じゃないですけど、僕はそういう免許もないですけど、そういう人たちに関わりたいなっていうのは思っていますね。
そういう人たちの助けになればいいなと思って。
qbc:なるほど。
なんとかなる:今、思い出しましたけど。入院生活しているとき、僕は当時27歳だったのですが、脳の病気をされる方って、だいたいみんなご高齢の方が多いわけですよ、一番若くても60代の方で。
周りのみなさんから言ったら、僕は孫みたいなものなんですけど、だから誰からもぼくが病気だって信用されなくて。「自分の孫みたいな年齢の人が、自分と同じ病気をするわけない」って言われたんですけど。
qbc:なるほど。
なんとかなる:1人の70歳近いご婦人が、その方も半身不随で。車椅子で生活している中で、壁に当たってて前に進めなくて、いつも助けを求める人だったんですよ。
僕はその人を言葉で励まして。毎日やってたら、その人が歩けるようになりまして。立つことができて。僕はもう泣いたんですけど。そういう方がたくさんいて。
僕が思ったのは、いろいろ体が不自由な人はいるけど、普通の人だとやっぱり「助けたい」っていうのがあると思うんです。でも、それをすることは逆に、体が不自由な人のためにならないような気もしてるのがあって。
言葉で励ましながら、やる気を出させる言葉で体を使わせてあげてあげれば、その方みたいに、人に助けを求めてた人だったのに自分で立てるようになって、歩けるまでいったんで、本当に最後に感謝されて。やっぱり脳ってわからない部分があるので、そういうふうにしていったら、人って変わるのかなって。
qbc:うんうん。
なんとかなる:僕、自分自身がここまでやったんで、その分の体験でわかるっていうか。
僕は介護に関する勉強もしてないので、知識も何もないですけど。自分の体のことで、そういう仕組みなんじゃないかなって思ってます。
qbc:今現在は、そういう支援団体みたいなところに所属したりっていうことはないってことですか?
なんとかなる:何もないです。
qbc:スッて入れそうな気はするんですけど。
なんとかなる:僕、友人で特別養護老人ホームで働いてる子がいて。僕だったら絶対合ってるから、来てくれないって言われて、一度行ったことがあるんですよ。
そしたら、みんなが1ヶ月経たないうちに、入って1週間ぐらいで僕のことを「先生、先生」って言ってくれて、利用者さんが親しんでくれる人ばっかりだったんです。
でも、僕はバランスが取れないんで、倒れそうになったおばあちゃんを助けたときに、僕も同じように倒れちゃったんです。
物だったらね、落としても大丈夫かなと思うけど、やっぱり人の命なんで。自分では責任が持てないなっていうのがあって。いたし方なく、人付き合いはすごく好きだったんですけど、そっちの方面で断ったっていう形で。ここらへんが一番難しいのかなっていうのが、自分ではあるんですよね。
僕が思ってるのは、自分はそういうことはできないけど、自分で言葉で励ましながら、そういう場所を作ってやってあげたいなっていうのは、思ってるんですけど。
qbc:言葉のサポートだけでもいいと思うんですよね。例えばzoomで話してあげるとか。「お話サポート」みたいな。
なんとかなる:僕、本当に知識がなくて。実は何をどうしていいのか、さっぱりわからなくて。実は、さきほどzoomに入るのにも手間取ってしまって。
そのへんの知識が全くなかったんで。あればしたいなと思ってるんですけど。
qbc:なるほど。ちょっと考えてみます。
気持ちの面では、こういう気持ちでいたいとか、ありますでしょうか?
なんとかなる:後退はしたくないんです。前向き、前に進んでいきたいっていうか。
実は自分の体、頭蓋骨を削って手術してるもんで、支えてるのが筋肉だけなのか。そのせいか、肩とかがものすごく凝るんですよ。でも、普通の感覚でいくと、重たいと言われるけれども、そんなに重さって感じないかもしれないですよね。でも、僕は頭の重さがモロにわかるというか。(笑)錘を乗せてるような感覚が、ずーっと毎日続いてるんで。
それが、年齢を重ねるごとに、だんだん重さや痛みが大きくなってきたというか、増してきてるので。
そういう、頭が重い感覚になっちゃってるんですけど、自分が辛さを感じながら生活するっていうよりも、笑顔で笑いながら楽しみながら生活していきたいなっていう未来。そういうのを思ってますね。
qbc:今、何をしているのが一番楽しいですか?
なんとかなる:ギターを弾いてるのが一番楽しいですね。時間を忘れて、気づいたらもう3時間弾いてるとか。
僕は、リハビリでやってただけなんですけど、自分が痛みを忘れるんですよ。リズムとかですかね、歌を歌いながら弾くので、それで痛みが緩和されてるというか。終わるとすぐに痛みがくるんですけど。そんな感じですね。
qbc:もしもの質問っていうのもしていて。もし脳出血がなかったら、という未来は想像できますか?
なんとかなる:たぶん、僕は普通に過ごしてたら、平凡な生活をしてたかなって思います。
あのときに倒れる前は、物流業でフォークリフトに乗って、普通に働きながらやってたんで。
普通の方みたいに結婚して子どもが生まれて、家を建ててっていうのは。僕と同じぐらいのそこで働いてる方は、だいたいみんな落ち着いて。今、子どもも2人いて家を建ててっていう人が多いので。
そういうふうになってたのかなっていうのはあるけど。
逆に、今、僕は障害を持って、その人たちから「すごいな」って言われるように。
理想の、安定した生活では全然ないですけど、でも、逆に心的にすごいなって思われてる方が、何か強くなってきたというか。たぶん、年齢も45歳ですけど、普通の45歳だったら全然そういう、家建てたりとか普通の生活してたのかなって思いますけどね。
qbc:はー。
なんとこなる:障害を持ってからの方が、楽しいじゃないですけど、楽しいっていうのは変な言い方なのかなって思いますけど。人生が深くなったっていう感じですかね。
感覚的にはそんな感じですね。たぶん、知らないこともたくさん知りましたので、それも逆にありがたいなと思って。収入とか、そういうお金面じゃなくて。内面的なもので、深いものになったなっていうのを、すごく感じます。
qbc:深いって、どういう感じのことですか?
なんとかなる:人生の中で、普通の45歳だと、収入もすごく増える年齢だと思うんですよ。でも、僕はそっちの方じゃなくて。
人を温かく包めるような、いろんな幅から見れる、目が行き届くっていうか、視野が広がったっていうんですかね。いろんな目から見れるっていうか、優しく人を包めるようになってきたなっていうので。心的に深くなったっていうか。
qbc:それは、どうしてそうなったんでしょうか?
なんとかなる:リハビリ中に笑われたりとか。あとは障害を持ってから、差別されまくってきたこともたくさんあったんです。もう本当に酷い目に遭わされたこともありますし。年齢が若い子から、無視されることもたくさんありましたし。
それが繰り返されるたびに、確かに初めは腹が立つこともあったんですけど、だんだん、逆にありがたいなと思い出して。変な態度を取ったりとか、理不尽なことをしてこられたりとか、そういうことが繰り返されるうちに、逆にそういうことがわかるなって思えてきて。
表面ではあんまりわからないことが、障害者にはやっぱりたくさん起こってるんですよ。表じゃなくて裏側で。
qbc:裏側というと? それは病院とかで?
なんとかなる:あらゆる面でですね。職場とか生活面とか、それこそご近所付き合いとか、あとは出先とか。
生活面だけでも、やっぱりちょっとしたことで、障害を持ってるっていうだけで、いろんなことがあるんですよね。偏見ではないんでしょうけど、やっぱりそういうのが出てるのは。
qbc:どんなことなんですか?
なんとかなる:若い子とか、年齢だけじゃないんでしょうけど、歳を取ってる人もあるかもしれないですけど。やっぱり「障害者が」っていう目で見てくる方たちがいて。
どういうふうに思われてるかわからないですけど、差別される扱いをされたりとか。喋りかけても、本当に顔も見ないとか、そういうことがたくさんあって。
一般の人っていうのは、いろんな障害者の人がいるじゃないですか。障害の種類がたくさんありますけど。やっぱり一般の人って、そこまで深くわかってらっしゃらないんで、みんな同一レベルで見てるのかなっていう。障害者の中でも、すごくいろんなことができる人もいるし。一般の人よりも、全然すごい知識を持ってる方もいっぱいいらっしゃるんで。
qbc:はいはいはいはい。
なんとかなる:そういう方でも、障害者っていうひとつの括りにしちゃって、同じ扱いをしてる人もたくさんいるのかなって思いますね。
qbc:なるほど。ありがとうございます。
今、2つの方向でお話いただいていると思うんです。
ひとつは、障害者はじめ自分と同じ立場にいる人を応援したいって気持ち、「気持ちが変わっていけば治るところも出てくるよ」というお話。
それから、外に向かって「障害者はこうだよ」って伝える部分。
どっちの方がやりたいことですか? 外へ「障害者はこうだよ」って伝えることと、内側に対して「治るところも出てくる」と伝えること。
なんとこなる:これはちょっとアレなんですけど。両方って言ったら変かな。
僕、自分が外側で人に対していろいろやってあげることとか、さっき言った趣味のこととか、いろんなことをやることで、自分自身のモチベーションが上がっていくっていうか、内面が変わってくるような感じで。
自分も、人に対して言うことをやるけど、その自分もその人のおかげで良くなってるって言ったら。言いたいことが伝わりますか?
qbc:大丈夫ですよ。
リハビリを続けたり、前へ進もうっていう気持ちがあるから、回復に向かっていく。行動がいろんなものを変えていく。世の中に対して働きかけたりすることが、良いエネルギーになって自分に返ってくるんでしょうね。良いエネルギーが回っていくような感じというか。
なんとかなる:そうですね。
qbc:最後に、言い残したことがあればお願いします。
なんとかなる:僕、今日、インタビューっていうのを初めて受けて、全然何も知らない状態だったんですけど。少しでも、みなさんの希望っていうか。みなさんもいろいろ頑張っていらっしゃるんで、そういう人たちのためにエールっていうんですかね。おこがましいですけど、そういう元気になれるようなことにつながっていけばいいなって思ってます。
qbc:ありがとうございます。
なんとかなる:ありがとうございました。
あとがき
「前向き」であることは、過去に何が起こったではなくて、過去の捉え方である、と。
トラウマ事件があったから性格が暗くなるのではなく、過去を苦しみとして捉えるから後ろ向きになるのだと。まあ、でも、それがそうなるのは仕方がないのかもしれない。いや、まあ、今回のインタビュー参加者さんが言うように、周囲の助けによって世界は見違えるのかもしれない。
人の話を聞き、そのことでその人のサポートができる。
ここのところ、無名人インタビューのコンセプトと近しい人のお話を聞く機会が多く、やっぱりこの活動はもっともっと広げるべきだなと思った次第です。
今回の参加者の方、ありがとうございました!
皆様からのご感想をお待ちしております。感想はコメント欄にね!!
編集協力:有島緋ナ
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