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日本にいなくてもいいってことが自らの命を絶つのを防ぐきっかけになってくれたらすごい嬉しい人

外の世界に出ることの大事さがめちゃ大事っていう大事なことを、大勢の人から無名人インタビューでは教わっていて。
それはつまり、日常、常識、今というこの瞬間を客観視することによって得られる、楽しさなんだと思う。
チャップリンの「人生はクローズアップで見れば悲劇だが,ロングショットで見れば喜劇だ」を思いだすんだよねその時。私事はなんかいつも後悔とかあきらめとか残念無念って思うけど、でもハタから見たらそんなんでもなくて、えーいいじゃんそういう人生ガハハ、みたいになったりするわけで。
そのガハハポイントを作りたいわけですよね。人生を。自分の人生を対岸のファイヤーにするっていう。
ファイヤーっていうとなんか不謹慎な気がしないでもないけど。てかファイヤーっていうと大島てる思い出すんだけど。いや、このラインは、あんまりよくないな。
閑話休題。
そう! お話にも、インターミッションが必要なんですよ!!!!! 閑話休題、途中休憩、そう! 途中休憩だいじ。集中しすぎると疲れちゃうから困る。倒れる。大変だーってなんの話をしていたんでしょうか私は? うん。
と思う2024年5月18日8時6分に書く無名人インタビュー769回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは  カメ子 さんです!

https://note.com/sae_369

instagram:https://www.instagram.com/positive369_kameko/

年齢:40代前半
性別:女性
職業:主婦 兼 ライター 


現在:常識って、人それぞれ違うでしょっていう感じなので。その人の常識はその人の常識で、私の常識は私の常識みたいな。大幅にずれてさえいなければですけど、でも本当に個々を尊重してるのがすごい素敵だなと思います。

ナカザワアヤミ:
カメ子さんは今何をされてる方ですか?

カメ子:
今ですね、フリーペーパーのライターをしています。

ナカザワアヤミ:
フリーペーパーのライター。

カメ子:
はい。マレーシアで、フリーペーパーがあるんですけども。そのライターをちょうど今月から始めたばかりです。

ナカザワアヤミ:
5月から?

カメ子:
はい、そうです。

ナカザワアヤミ:
じゃあ本当に最近ですね。

カメ子:
はい、全然新米です。

ナカザワアヤミ:
これはどんなお仕事をされるんですかね?

カメ子:
取材に行って、インタビューをしてそれを記事に書く形なんですけど。ウィークリーなので、毎週毎週あげてて。結構、常に締め切りに追われるみたいです。
まだ私は1回しか行ってないんですけど、インタビューをしに。娘が通ってた幼稚園にインタビューに行きました、つい最近。

ナカザワアヤミ:
これは、日本人向けのフリーペーパー?サイトもあるんですね。

カメ子:
 はい、ありますよ。

ナカザワアヤミ:
そしたら取材だったりライティングは、日本語でされてるってことですか?

カメ子:
インタビューは相手によるんですけど。相手がマレーシア人の方だったりした場合は、インタビュー自体は英語でするんですけど、記事に書くときは日本語に直してます。

ナカザワアヤミ:
じゃあ、そこからもうされてるっていう感じなんですね。

カメ子:
そうですね。

ナカザワアヤミ:
今、マレーシアにお住まいなんですよね。元々は日本で生まれ育って、マレーシアですか?

カメ子:
そうです。 日本で生まれ育って、仕事で一度香港に5年間住んでいて。それで結婚とともに日本に戻ってきて、今は主人の仕事の関係でマレーシアに来てます。

ナカザワアヤミ:
マレーシアで暮らしてどのくらいですか?期間としては。

カメ子:
今3年目ですね。2022年の1月から来てるので。丸2年とちょっと、という感じです。

ナカザワアヤミ:
さっきマレーシア語でインタビューすることもあるっていうお話されてたんですけど、言葉とかは今、カメ子さんは日常会話を普通に現地の方とされてるんですか?

カメ子:
マレーシアの方も英語が堪能なので、英語で話してます。

ナカザワアヤミ:
なるほど。ありがとうございます。お仕事は今月からっていうことだったんですけど、そこまでに何か別の仕事をされてたりしたんですか?

カメ子:
そうですね。結婚をする前、香港に5年間いたのは、客室乗務員と、機内通訳をしていたのですけど。それで、5年間向こうに住んでいて。
それから結婚してからは、日本の横浜にあるインターナショナルスクール、ナーサリーですかね。幼稚園で、ネイティブの先生のアシスタントをしてました。子供たちが英語がそこまでわからないときに、補助する役目です。例えばお腹が痛くなったとか、すごい気持ち悪いけど日本語でも伝えるのが大変なときには、私が聞いてそれをネイティブの先生に伝えるような感じでしていました。

ナカザワアヤミ:
なるほど。じゃあ書く仕事をやっていたというよりは、語学だったりとか、それを活かしたお仕事?

カメ子:
そうですね。そこのインターナショナルスクールのアシスタントさせてもらってたときは、保育士の資格がなかったので、保育士の資格もそこで取りました。

ナカザワアヤミ:
へー。

カメ子:
はい。やはり保育士の資格がある先生の方が、保護者の方も安心してお子さんを預けられるだろうなと感じて。そこは必死に頑張りました。3年ぐらいかかっちゃったんですけど、私は取るのに。

ナカザワアヤミ:
じゃあ働きながら勉強して?

カメ子:
そうですね。働きながら勉強して取りました。

ナカザワアヤミ:
実技とかもありますよね?確か。

カメ子:
そうです。でも私、絵がすごい下手で、本当に。実技で落ちました。実技で落ちる人ってなかなかいないらしいんですけど。絵が本当に下手すぎて。合格点に届かなかったんですね。

ナカザワアヤミ:
へぇ、そういうこともあるんですね。

カメ子:
いや、稀なケースです(笑)。なので、本当に保育士にむいているのか?自問自答していました。子供は大好きなんですけど。楽器とかもできないし、絵も下手なので。子供たちと一緒に身体を動かすことを、めいっぱい楽しんでさせていただいていました。

ナカザワアヤミ:
なるほど。マレーシアに来て3年ということだったんですけど、今はどんな1日を過ごされてるんでしょう?

カメ子:
そうですね。ちょうど2022年が、コロナが明けたばかりのときで、まだ日本よりもマレーシアのほうが厳しかったんですよね。マイセジャレタというアプリをダウンロードして、そこにワクチンを2回接種したっていう証明書をインプットしておき、その証明書を見せないと、コンビニとか薬局とか、普通のお店に入ることさえもできなかったときがあって。こっちに来てすごいびっくりしました。カルチャーショックというか、日本よりもすごい厳しいんだなと思って。
子供もまだ2歳だったんですけど、2歳でマスクって結構嫌がって取るときがあったんですけど、こっちは暑いので、ちょっとトイレに行くときに取ってたら、現地の人に、マスクしてないからトイレ入るなとか言われたり。もう最初の1年は、コロナは明けたけど、いろいろまだ厳しいところも残ってたり、家族全員でコロナにかかったりとか。精神面、健康面ですごい打撃を受けた1年でした。健康が大事だなっていうのを思い知らされて。
そこで、体力作りをしていかないと、コロナで子供も私自身もすごい体力が落ちてしまったと感じたので、子供と一緒にテコンドーを始めました。
あとはマンション、こちらで言うとコンドミニアムと言うのですが。コンドミニアムの中に、プールとかジムが普通にあるので、水着でエレベーターで下に降り、そのままプールに入れる環境はありがたかったです。身近でスポーツができる環境だったので今となっては日本にいた時よりスポーツはできている毎日を過ごせています。
あと、朝も本当に早く、子供たちのスクールバスが7時とかに来るんですね。

ナカザワアヤミ:
へぇ、早い。

カメ子:
そうなんですよ。8時とかになってしまうと、車が多くてすごい大渋滞するので。なのでスクールバスは渋滞を避けるために早めに迎えに来るんですけど、もう最初は朝起きるのがつらかったです。5時とかに起きて。お弁当なんですよ毎日。給食がないので。なので毎朝、お弁当の準備をして。朝の支度、学校の支度をして、もう6時50分ぐらいにはコンドミニアムのロビー下に降りていかなくてはならず、バスはロビーまで来てくれるんですけど、そこまで行って長男を見送って、娘が8時半ぐらいとかなので、今は転園しましたが最初に通っていた地元のナーサリーには徒歩で通っていました。

朝すごい早いので、8時半くらいにはもう子供の送迎と朝ご飯と、もう旦那も会社に行ってしまってるので、午前中がすごい有意義に過ごせるというか。そうですね、1日がすごい長く感じられるようになったかなと思います。こっちに来てから。朝は早くてしんどいのですが、そこを過ぎると、そこからは自分の時間が持てるので。その時間で、買い物行ったりとか、家事、洗濯掃除したり。自分のことができるようになったのは、やはりこの2年目に入ってから、自分自身で習い事を始めたりできるようになりました。
ナーサリーに通ってる娘が、大体今は3時に帰ってくるんですけど、1年目2年目はまだ1時とかに帰ってきていたので、掃除洗濯買い物をして、自分もお昼ご飯食べているとあっというまに1時になってしまい。最初の1年は本当にそんな感じで、子供が帰ってきたらバタバタと、おやつ時間、遊び、夕飯の支度とか。
子供と夕方公園、公園といっても、外はちょっと誘拐とか、そういう危険があるので、みんな大体そのコンドミニアムの中に入ってる公園で遊ばせるんですけど。なので、公園といっても毎日同じ公園なんですけど。エレベーターで下に降りていくと、大体1階、2階に公園が敷地内にあるので、そこで遊ばせて。で、天気がいいときはプールに入ったりとか。そうしたらあっという間に夜になって、私の早く寝ないと翌朝5時に起きれないので。22時くらいには力尽きて寝る。

ナカザワアヤミ:
そうですね。

カメ子:
そう、22時とか子供と同じぐらいにはもう寝ちゃってっていう毎日でした。朝に凝縮でばばばばっとやることが終わっていたので健康的な生活ではありました。
それに今はだいぶ楽になりました。子供が帰ってくる時間が遅くなり、朝こうやって送り出したら、もうあと自分の時間なので。買い物したり、ちょっと自分のために勉強をしたり、っていうのができるようになりました。
1年目は心身ともにダメージを受けたなと。自分では英語ができる方だと思っていたのですけど、英語ができたところで、異国の地に住んで新しい環境で慣れるというのはやはり大変なことでした。

ナカザワアヤミ:
なりほど。

カメ子:
私あんまりその、人付き合いがうまくないので。朝のバス停とか行くと、総勢100名ぐらいいるんですよ、コンドミニアムのロビーに。50人ぐらいが同じ学校に行くので、バスが2台にわかれていくんですけど。子供だけで50人なので、親を入れると普通に100名はいるんですよね。1人の子に1人親がつくと考えると。でも1人の親で例えば3人兄弟とかで同じ学校だと、もっと増えるので100人以上は多分ロビーにいたんですけど。そうやって子供たちを朝送った後や夕方帰りのバス待ちのちょっとした時間でロビーで井戸端会議みたいなものがたまにあり、私はもうできればさっさと家に帰りたい。あんまり、輪の中に入ってとかいうのが苦手だったので。
そういうのも、最初はそうですね、人付き合いとかそういうのも、どこに住んでてもあると思うんですけど、新しい環境に行って慣れるまでは、やはり1年ぐらいかかりました。

駐在なので、基本は働けないんですよね。VISAを変えたら働けますが、その作業が大変なのでほとんどの方が働いていませんね。なので、人のことが気になる人もいたり、人の子供が気になる人もいたり。変に時間があるからでしょうかね。全く気にしない人とかだったらいいんでしょうけど、気にしちゃう人とかは最初は結構それがストレスになったり。

私は2年目で引っ越したんですね。前住んでたところに日本人があまりにも多かったので、ちょっと静かなとこに行きたいなと思って。ちょうど主人の会社も、会社と子供の学校も近い場所があって、そこは日本人があまり住んでない。今の場所なんですけど、ここにしようって言って子供にとっても主人にとっても、会社と学校から家が近くなるので、一石二鳥だねって言って引っ越すことになりました。
今の場所は、本当に最高です。日本人もほどよく、このコンドミニアムに住んでいる日本人は数えられるぐらいしかいないので。前のときは、本当に息子の通ってた学校だけで50組で、他にも日本人が住んでたので。もう本当に、どうだろう80~100組ぐらいいたんじゃないですかね。前住んでたとこが日本で言ったら都心で、今住んでるところがちょっと郊外っていう感じです。緑も多くて、もっとローカルな感じで。すごい、私は住みやすいですね。人のことをよい意味で気にしなくてもいいし、変に日本語も聞こえてこないので、楽です、過ごしやすいです。

ナカザワアヤミ:
お子さんが、小学生くらいですかね?日本で言うと小学生くらいと就学前ですか?

カメ子:
そうですね、未就学児と。今年5歳になるのが下の子で、今年9歳になるのが上の子です。

ナカザワアヤミ:
2人とも日本で生まれて、一緒にマレーシアに来たっていう感じなんですかね?

カメ子:
そうです。

ナカザワアヤミ:
なるほど。今、結構忙しくいろいろ動かれてるかなと思ったのですが、最近、何でもいいんですけど、カメ子さんが楽しかったことってどんなことですか?

カメ子:
楽しかったこと?なんだろうな。やっぱり旅行ですかね。ここにいると、ちっちゃい島とか、シンガポールとかも行きやすいですし。当たり前ですけど日本と違った場所に旅行にもいけるので。
子供が、乗り物が大好きで、上の子が。カリビアンクルーズっていう、シンガポールから出てるクルーズツアーで大きな船があるんですけど、それに乗ってマレーシアにあるペナン島まで行って戻ってくるっていう船旅をしたんですけど。
それは今でも楽しかった、もう1度行きたいなと子どもたちも言っているので、いい思い出になってますね。私もすごい楽しかったです。

本当に日本にいたら多分できないような経験が、こっちではできるので、それは子供にとっては、私にとってもですけど、いい経験になりますね。

ナカザワアヤミ:
日本と具体的にどこが違ってきますか?

カメ子:
食べ物ももちろん違いますし、船に乗ってる人たちも、結構欧米の人が多いんですよね。オーストラリアから来てる人とか。

ナカザワアヤミ:
なるほど。

カメ子:
そうなんですよ。あともちろん地元のマレーシアの人とか、いろんな国の人に会うので、子供たちにとっては、ヒジャブというイスラム教の人は頭に全部かぶっていて目だけしか見えない顔隠し布のようなものを見ても、特に今4歳のうちの娘は全く抵抗がなくて。あの人はどうしてあんな恰好をしているの?と疑問にも思わないようで、もう本当にちっちゃいときからその姿を見てるので、そういういろんな肌の色の人とか、そういう宗教的なものを持ってる人とかを自然に受け入れていますね。
あと、1日に5回メッカに向かってお祈りする際に音楽(コーラン)が流れるんですけど、そういうのも日常の1コマという感覚です。日本で言うと、夕焼け小焼けみたいな感じで、それが5回流れるんですよね。そういうの全然自然に聞けたり。人がみんな違って当たり前、その変わった人を見て何かちょっとおかしいよねっていうのは全くないですね。肌の色とかそういうのは違うのが普通と思うので。”郷に入っては郷に従え”が子どもたちは自然に身についている感じです。

あと、マレーシアは子供にすごい優しい国で。子供がいるとレストランなどでは結構話しかけてきてくれて、食事のときとかも、相席みたいな感じでレストランがいっぱいで座れないようなときとか、こっち来て座っていいよとか言ってくれて、一緒に座ったりとか。
静かに食べないといけないとかそういうのも特にはないので、結構ガヤガヤワイワイしてる中で、子供たちも自分たちの思うままの言葉を喋って、食事の時間を楽しんでます。
日本だと、みんなで食べるときは静かにして食べようねとか、特にレストランなど、大勢いるときは暗黙の了解ですよね。でもそういうのがこっちはゆるくて、母達にとっては気にしすぎなくてよいので気が楽です。子供が泣いたりしても、あやしにきてくれたり。うるさいなという目で見られたりはしないです。

ナカザワアヤミ:
なるほど。

カメ子:
本当に子供のことは可愛いと言って気にしてくれるけど、いい意味で大人のことは全く気にしない(笑)だからどんな服装をしてても、50代とかのおばちゃんが短パン履いてたりとか、おしりのお肉がはみ出たりとかしてても、全く気にしてないと思います。この歳でその短パン履くの?とか、全くそういうのがなく、みんな本当に好きな服を自分の好きなように着て、好きなものを食べて。
こっちの人の方が、何か本能で生きてるなってすごい思いましたね。香港に住んでるときも、なんか他人のことはあんまり気にしないのがすごい楽だなと思ってたんですけど。マレーシアもやっぱり同じアジア圏なので、何か似たような感じの人たちというか。多民族で、イスラム教の人、中華系の人、インド系の人、あと欧米の人もいるので本当に人のことは気にしない、っていうのが私は心地よいです。

悪く言ったら、マナーはあまり良くないのかもしれないですけど。すごい生きやすいですね。こうでなければいけないっていうのがあんまりないので、みんな個々の人間として扱ってもらってるというか。なんか違っていいんじゃないみたいな。別にこうじゃないといけないっていうのはないよねっていう。
常識とかっていうのが、多分全然日本と違いますね。常識って、人それぞれ違うでしょっていう感じなので。その人の常識はその人の常識で、私の常識は私の常識みたいな。本当に個々を尊重してるのがすごい素敵だなと思います。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。違う場所の視点が面白いですね。

過去:あの経験がなかったら、海外とか行こうと思ってないし、英語にもそんなに興味を持たなかったと思うんですけど。やっぱそれがあって、もっと世界の人、世界を見てみたいし、もっといろんな人といろんな人の話を聞きたいなって思って。

ナカザワアヤミ:
さかのぼって過去の話をお聞きしたいなと思うんですけれども。カメ子さんはどんな子供でしたか?

カメ子:
私は次女なんですけど、姉がいて私なんですけど。たぶん次女だからというか、姉の方が箱入り娘みたいな感じで、何でも親にとっても初めてのことをするじゃないですか。長男長女とかって。なので、親も神経質になるというか。
だったんですけど、私は2番目なので受験とかにしても、ほんとに2度目のことをする子なので、特に気にかけられる事もなく放置。いい意味で放置で、好き勝手できてたので、比較的のびのび育ったと思います。
父親が、2番目は男の子が欲しいと思ってて私が女の子だったので、父はそのまま男の子がよかったとなという思いを引きずっていたのか?ちょっと男っぽく育てられていた記憶かあります。父親とサッカーをしたり野球をしたり。親が共働きだったので保育園だったんですけど、幼少期から男の子と遊ぶ機会がすごい多くて。なので男勝りで活発な子でした。外遊びがすごい好きでしたね。

ナカザワアヤミ:
うんうんうん。

カメ子:
で、時代的にはちょうどそのファミコンがちょうど出てきたときだったので、そういうのが好きな子はそういうの買ってもらって、ゲームしたりっていうのがあったんですけど。うちは親がそういうの反対だったので、一切買ってもらえず、ゲームとかはちっちゃいときした覚えがなくて、今の子よりも全然外で遊んでたと思います。今の自分の子供たち見ててもそう感じますね。
もちろん変な人とか、変質者は多分その時代もいたんですけど、共働きが当たり前の時代だったので、公園に親がついてくとかいうのもなかったので、子供たちだけで公園で遊ぶっていうのも全然普通。保育園のときから子供たちだけで遊んだりとかをしてたので。そういった意味では、結構早い段階で自立してたのかなーと思います。今の子よりも。

今は何か、親がすごい手をかけてるなーっていうのを、感じますね。日本でもそうだし、習い事とかも幼少期からすごいしてる子が多いし。

私は、塾は行ったことがなくて。習い事って言っても、スイミングスクール、英会話教室に通ったくらいで、中学生になっても塾は行かなかったんですけど、それなりに勉強もできたのかな。
高校に行ったらもう、普通に中の中、普通になっちゃったんですけど。中学のときはそれなりに勉強もスポーツもできて苦労していませんでした。

中学ではバスケットボールをしてて。部長をしてたんですね。すごいバスケ部って目立つ子も多く性格がきつい子が集まってるような部活だったんですけど、まとめるのもすごい大変だった。今思えばまとめきれてなかったんだろうなと思うんですけど。
もう、今の時代だったら先生が訴えられちゃうぐらいな事が平気で行われていて。スリッパで頭叩かれたりとかは普通だったし。体育館を閉め切って、サウナ状態にして夏休みは毎日練習してたりとか。水が全然飲めなかったりとか、先輩から順番に水を飲めて低学年の時は午前中、数回水を飲めればいいかなぐらいの感じのすごい上下関係でした。
外周りを走る時も私は学年では1番早かったのですが先輩の事は抜いてはいけない雰囲気だったのでわざと失速して走っていたり(笑)

今思えば色んな意味で矛盾した環境で過ごしたバスケ時代6年間があるからどんな職場でもやり切れたのかなって思うぐらい。学生時代の部活、特に中学のときの夏休みとか、本当にきつかったです。でもその時を乗り切ったので社会人になってから矛盾な事があっても受け流せるスキルは身についていたと思います。役立ちましたね。精神的に強くなれたから。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。
結構,活発という話だったんですけど、人からはどういうふうに言われることが多いですか?性格とか、こういう人だよねとかっていうところで。

カメ子:
そうですね。人からは、うーん、頼りにされていたかなと思います。背も大きくて運動神経は良かったので。ただ実際の自分はめちゃめちゃあがり症で。人前で顔が赤くなってしまうのがすごい恥ずかしくて。で、赤くなってる自分がわかりさらにまた赤くなってしまうという。ゆでだこみたいでした。

ナカザワアヤミ:
なるほど。

カメ子:
小学校6年生とかになると学級委員を中学生になって任されたりとか、上に立つことが多かったんですけど、実際の自分はすごい恥ずかしがり屋で、本当に前に立って喋るだけでも震えてしまう。声も震えてしまうくらい恥ずかしがり屋でしたね。

思春期というのもあったのかもしれないのですけど、周りが思ってくれている自分と本当の自分のギャップがすごいありましたね。周りはそうやって頼りにしてくれていましたが実際の自分は、もう本当に内心ドギマギしまくりで。自信がありませんでした。中学、高校は周りの期待する自分になろうと葛藤していたと思います。

ナカザワアヤミ:
人前に立つ役割っていうのは、ご自身で選んでやられてたんですか?その学級委員長とか、部長とかっていうのは。

カメ子:
そうじゃないんですよ。推薦で。小学校6年生のときの担任の先生が、中学校にこの子はこういうタイプですというような内容の書類を事前に中学校に提出していたんですね。そこに、学級委員とかに向いてると思います、というふうに書いてくれていたので中学校の先生が事前に学級委員を決めていたという感じです。

バスケ部の部長も、自分で進んで手を挙げてなったわけじゃなくて、練習中に先生の言う通りに動けるとか、部員の子達に声掛けをよくしているなど多分そういうことで部長に選ばれたというだけで。それらを総合的に考えてみんなを引っ張っていけるんじゃないかなって、本当に周りの願望ですよね。そういうポジションで頑張ってほしいっていう感じで、やらせてもらってたんですけど。
実際の自分は全然違ったっていう。プレッシャーにもすごい弱いし、試合とかでもなかなか勝てなかったりしたので。本当に部員みんなとても運動神経がよくて恵まれていたのに、それをまとめきれてなかった、活かしきれていなかったなーと思います。

ナカザワアヤミ:
うんうん。

カメ子:
メンタルがすごい弱かったです、多分。多分というか弱かった。弱かったですね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。ちょっと時間軸とんじゃうんですけど、そこから今お仕事で結構海外に行かれたりとかはしてるっていうところですけど、その職業を選ぶにあたっては、どんな理由があったんでしょうか?

カメ子:
海外に留学をして、それで戻ってきたときに英語を使った仕事をしてみたいっていうのは漠然と思っていて。英語が使える仕事といえばその当時は空港しか思いつかなくて。空港なら英語を使えるなっていうのがあったので、それで空港の仕事をしたいと。

最初は、グランドスタッフ(地上職)だったんですけど、そこで成田で仕事をしていて。もう夏とかすごいですよね、チェックインカウンターの仕事だったんですけど、100人ぐらいを1人でもうひたすらチェックインをするみたいな。さらにクレームもすごいし。そこですごい対人スキルのような事が磨かれたというか。いろんな人に出会うので。

あと、チェックインカウンターでの作業スピードがどんどん速くなっていきましたね。
それは毎日だいたい同じことの繰り返しなので。
ただ行き先によって、例えば、シンガポールで乗り換えてヨーロッパのドイツまで行く場合シンガポールで1回ピックアップしないといけない場合と、そのままシンガポールはお客さんだけ飛行機を乗り換えで荷物はそのまま預けたまま最終地点でピックアップできるという場合と、その人の持っているビザの関係でいろいろ分かれるんですね。そういうのをパスポートを見て、瞬時に判断しないといけなかったので、パスポートとその人の行き先と、乗り継ぎがないか、必要なVISAは持っているか、などを見てたり適当にチェックしているようで実際はかなりいろんな確認事項を行っているんですよ。今は機械でかなり認知できてるはずですが、当時はアナログだったので。
1度に複数のことを同時進行できるスキルは、本当に空港の仕事によって身についたなって思います。

ナカザワアヤミ:
さっき香港に行かれてたっていう話だったんですけど、それは別のお仕事ですか?

カメ子:
そうですね。そこから転職をして。グランドスタッフの仕事後、それを2、3年して。
その後に、沖縄で、現地採用でツアーコンダクターを1年間だけしていたんですよ。離島にだけ飛ぶんですけど、沖縄を拠点として、奄美大島とか小浜島とか石垣島とか離島を飛ぶツアーコンダクターでした。
すごい大変でしたけど、楽しくて。ここでも沢山の方に出会えて過ぎ去れば全て良い経験です。(笑)
本当は大好きな沖縄の航空会社で働きたかったんですね。沖縄にあるトランスオーシャンが就職先第一希望でした。サーフィンもその当時していたので目指せ色黒客室乗務員でした(笑)。残念ながらそこの試験には合格できなくて。やはり地元の子たちを優先に合格させてあげたいという思いが試験の時に垣間見れ、そこで悔しいけれど諦めがついて。
それならば違う道を考えようと思い、不動産の受付をしたり、外車の受付をしたり。それを派遣社員で数年しながら本当は何をしたいのかを模索していました。
ご縁で香港航空という航空会社の客室乗務員の試験に合格でき、それで、ベースが香港なので香港に住むことになったんですよね。

なので、どうして客室乗務員になりたかったかと言ったら、もう本当に単純なんですけど、世界中のご当地グルメを食べてみたかった事と、あとは世界中に仕事を通して行ける。
スーツケースをひいて颯爽と空港を歩きたい。
もう本当にそういう浅い理由すぎて恥ずかしいですが、それで客室乗務員になりました。

それから気が付いたことは、グランドスタッフの業務の方が客室乗務員の業務より数倍大変だということでした。もちろん訓練も沢山あり客室乗務員も大変です。どちらも経験したので言えることですが、私個人の意見ではです。クレームを受けやすいのはグランドスタッフ。客室乗務員にクレームする人ってあんまりいないんですよね。飛行機の上で、ギャーギャークレームしても飛行機の中だと同じ席に居ないといけないのでお客さんも逃げられないじゃないですか。。それが
気まずいと思いクレームが少ないのかもしれません。
グランドスタッフに対してはクレームした後に去っていけるじゃないですか。ずっと同じ空間にいなくていいので、言いたい放題言えるのかなと思っています。
どんな業務の仕事が好きかによるのでしょうが、、私は客室乗務員の仕事の方が楽しめました。どんなところが?と話し始めたら長くなるので省略します。また話す機会がある時に是非。

ナカザワアヤミ:
留学もそうなんですけど、最初に海外に行こうと思ったのって、どんなきっかけだったんですか?

カメ子:
高校で課外活動みたいなのがあり、それで2週間サンフランシスコに留学が出来たんですよ。それがきっかけです。

ナカザワアヤミ:
へー、高校であったんですね。

カメ子:
そうですそうです。高校のカリキュラムの中に、夏休みに2週間海外に行けるよっていうのがあり、それで2週間サンフランシスコに行かさせてもらって。
語学センターみたいなところに行って。住まいはホームステイだったんですけど、友達3人で行って、3人とも違う家にホームステイして、でも通う学校は同じところで。初日でクラス分けとかがあるんで英語のレベルに合わせてその子に合ったレベルの教室に入って2週間授業を受けるんですけど。
私が入った教室は、日本人が2人とかで、全部で10人ぐらいいたんですけど、イタリアとかから来たおじちゃん、おばちゃんがすごい多くて。そこで、君はまだ学生だよねって言われて、そうですって言って。その時、おじいちゃんが『君は親のお金で来てるんでしょ?それはすごい幸せなことだよっ』て。僕たちは自分でお金を貯めて、自分たちで働いたお金で、リタイアしたから今から自分たちがしたいことをしようと思って、こうやってサンフランシスコに来て英語を学んでるんだよって言われて。こんな学生の時に海外に来れて、こうやって学べてるっていうのがすごい幸せなことだよって。そのときにイタリアのおじちゃんおばちゃんたちから、すごい言われて、そこで、すごい自分達は恵まれた環境にいるんだなって。実感できました。

話が飛ぶのですが、当時は我が家の家庭環境はかなりぐちゃぐちゃだったんですよ。それで思春期もあり、自分ってなんかかわいそうな子だろうと、自分で勝手に思ってたんですけど。
でもそうやって海外に来たら、見る人から見たら、学生でこんなサンフランシスコに来て勉強できてるっていうのはすごい幸せなことで。あ、そうか。こうやって来れてることってすごい幸せなんだなって、気づきと共に視野がすごい広がりました。高校生だけど、全く年代も違う住んでる場所も違う人に会ったのはとても刺激的で。
日本にずっと住んでたら、きっと自分を悲劇のヒロインみたいに、自分が一番かわいそう、家庭環境も悪くてとか、親のせいにしたり、なんかそうやって生きてたんだろうなって思うんですけど。そうやって海外に出たことで、高校生ながらに、世界ってこんなに広いんだと。いろんな考えの人がいるし、自分ってまだまだ若いんだって。高校生だから当たり前なんですけど。
やっぱりそう恵まれた環境にいて、まだまだ若いし、やりたいことできるなって。でも日本で自分のやりたい事あるかな?ってそのときに思い、それが海外に行こうに繋がったのかもしれないですね。

それで高校で英語の授業に力を入れてバイトもして自分でも少しお金を貯めて、アメリカのアイオワ州の学校に留学しました。

ナカザワアヤミ:
なるほど、そこが最初の海外体験のきっかけだったんですね。

カメ子:
そうですね、すごい狭い世界で悩んでたし、かわいそうな人っていうふうに自分で思ってました。いや全然だなって、思えたきっかけになったので。たった2週間だけだったんですけど。すごい、あの経験がなかったら、海外とか行こうと思えなかったと思いますし、英語にもそんなに興味を持たなかったと思うんですけど。それの経験があって、世界を見てみたいし、もっといろんな人の話を聞きたいなと思い。

当時、高校生でしたが、イタリアのおじいちゃんはすごお茶目で。本当に喋れないんですよ、英語。本当に、チャオ!とか。イタリア語喋ってるけど。だから英語は本当に私達レベルで片言だったんですけど、でもこの歳(60~70歳)で英語を学ぼうと思っていたことがすごいなと。
それが今の自分のモットーに繋がったんですけど。何歳からでも挑戦できる、と言うのが今の自分に繋がっています。年齢の壁はぶち破れます。

マレーシアに来てから初めてテコンドーを習い始め、先生に、テコンドーって、私のイメージだと、かかと落としの時、足をすごい90度ぐらいあげてしたり、ブルース・リーみたいな、足技がすごい多いんですけど、私でもできますかね?
と質問したら、 年齢に合わせてもちろん指導できるし、40代なら足をあげる角度も子どもと同じようにはいかないだろうし、でも型を習うのは大人の方が得意だったり、無理のないように指導していくので一緒にやっていきましょう。と言われて。ホッとしました。自分で勝手に無理だと思い線引きする前に、その道のプロに聞いてみたり、トライアルに行ってみたりすると意外にできてしまうものです。これからも自分で自分の可能性を狭める前に動いてみようと思っています。

恥ずかしがって、自分はもう何歳だからやるのやめようとか、やる前からそうやって思ってしまうのは勿体なくて。年齢とか言っても、こちらの人は全然気にしないんですよね。テコンドーだったら、その年齢だったら、ここまで上がれば良しとしようみたいな、そんな感じで。逆に対策を練ってくれる、この年齢だったらここまで頑張ろう、この年齢だったらここまでいけるよねっていうのを、決めるのはこっちじゃなくて向こうだから、そういうのはすごい恥ずかしいとか思わなくなりました。年齢にとらわれず生きれるようになってきていますね。

未来:自分で決めて自分で動く、これを他人のせいにしてると、やっぱりいつまでも動けなくなっちゃうし。

ナカザワアヤミ:
今後のことについてもちょっとお聞きをしたくて、これからというか、今後将来についてカメ子さんはどんなイメージをお持ちですか?

カメ子:
私が今月から始めた記事を書く仕事も、本当に偶然巡り巡って紹介してもらったアルバイトなんですけど。でもすごい自分が多分将来やってみたかったことに知らぬ間に繋がっていて。もう30歳過ぎたあたりぐらいから、30歳過ぎてなくてもですけど、それぞれの人生を歩んでて、それを聴いたりすることが私にとってはとても為になるし、楽しくて。

それで私がやってみたいのが、”Youはどうしてここに住んでるの?”のあの番組がとても好きで。それがきっかけです。
世界中のいろんなところに住んでる日本人に、どういう経緯でここに住むことになったのかとかいうのをインタビューしていきたいんですよね、将来。それでそれを1冊の本、雑誌にしたいなと思ってて。それが今の目標です。
いろんな人の人生を聞いて、やっぱりみんなそんな楽しいだけの人生じゃないじゃないですか。いろんな苦悩があったり選択をしながらここに来てる、ここに住んでるっていうのには、もう本当に自分の意思で来てない人とかもいたりすると思うのですが、それでも何かそういう経緯を巡り巡ってそこに住んでるっていうのが。それはきっと偶然じゃなくて、全部運命というか。
まさしくこの無名人インタビューとかも、私が受けてみたいなと思ったのは、自分もインタビューする側にいつか行きたいなというのもあり、そういう想いもあり友人から紹介していただけたのだなと思っています。

ナカザワアヤミ:
うんうんうん。

カメ子:
なので、今だったらこうやってZoomで世界中の人とお話ができたりするんですけど、できれば現地に自分は行ってみたいなと思って。現地に行って、そこで住んでるその人の姿
、背景を見ながらお話をして記事を書けたら最高だなって思ってて。それを5年後とかには叶えたいですね。そうやって、近場でもいいから直接出向いて記事を書いてみたいなって思います。デジタルな時代だからこそアナログを大切にしていきたいと。
まだまだ自分が行けてない国もいっぱいあるし、現地に行ったら現地の人とも会えるじゃないですか、肌で感じてこれるのってとても重要だと思っています。現地に行ってインタビューをして、それを本とか雑誌にまとめるのが夢です。

今電子ブックとか、いろいろiPadとかで本を見れる時代ですけど、そういう雑誌とか紙とかの媒体も、そのまま残していきたいと願うので、そういうのを協力できたらなって思いますね。

ナカザワアヤミ:
インタビューを通して本にまとめたとして、インタビューに参加してくださった方だったり、読んでくれた方に、どんなふうに感じてほしいですか?

カメ子:
それが一番私の原点に戻るんですけど、高校生の自分が感じたような。
日本にいて、今自殺とかもすごい多いじゃないですか、いじめられたりとかして。そういう子たちって、学校と家と、多分そのくらいしか世界がない。学生のときって、当たり前ですけど世界が狭い。そうするとその狭い世界で、自分はこんなで、これしかできなくてって思い悩んでる子がすごい多いと思うので、出来たら…老若男女いろんな人に見てほしいとは思うのですが、特に見てほしいのは、やはりそうやって学生のほんと思春期の子たちが、世界中に住んでる日本人を知って、山あり谷ありの人生、どういう経緯でここまで来たかなどを読んでヒントみたいなものをキャッチできたら、現状の狭い世界で生きてなくていいのかなー、ここにいなくてもいいのかも?と思ってもらえたら。

本当にいろんな人がいて、自殺しようとしたりとか、大事な人が亡くなってもう日本に住んでいたくないと思ってとか、いろんな経緯で、海外に住んでる人もたくさんいると思うんですけど。そうやって、日本にいなくてもいいんだよ、あなたの世界だけじゃないんだよって。もっとこんな世界もあるよっていうのを見てほしいので。それがその自らの命を絶つのを防げるところまで行くかわからないのですが、でも何かきっかけになってくれたらすごい嬉しいなって思いますね。
これからの世代の子たちが、そうやって自ら命断つのは本当にもったいないし、もうちょっと生きてたら、もっと、いろんな経験ができるんだよっていうことを、本当に知って欲しくて。
私が将来作る本、雑誌を読んでほしい人たちは、日本の学生さんたちをメインに日本人に向けて書きたいです。世界中の人に届けたいというよりは偏った教育を受けてきてしまっている日本の方に届けたいです。
それは今の日本の人たちが、こうでなくちゃいけないとか、学生じゃなくても、やっぱり思いとどまっている人がすごい多いかなって思うので、いろんな生き方してもいいんだよっていうのを、最終的にそこが伝わったら、本を作った甲斐があるなって思えると思うので、そこですかね。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。もし、高校生のときに、知らない世界とか世界の広さを知るっていうところを経験しなかったら、今どんな人生だったと思いますか?

カメ子:
きっと広い世界を知らないまま枠にはまった日本人で過ごしていたと思います。枠にはまったっていうのは、例えば親が行ってほしいような大学を自ら選んでそこを頑張って受験して、4大とかに行って。卒業したら親が喜ぶような場所に就職して。それで親が孫を見てみたいと思うだろうからと早めに結婚して。
多分今より全然若い年代でママになっていた気がするんですけど、結婚も早くて、子供を産むのも早くて、それで専業主婦。じゃなくて働いてたとしても、週5で普通にフルタイムで働いて、、そんな人生だったのかな。

世界を知らない、ザ・日本人で生きてた気がしますね(笑)ザ・日本人って何かって、こういう言い方があるのかわからないですけど。枠にきっちりはまって、もうそのレールからはみ出さないようにずっと生きてたと思います。日本人専用のレールに沿って、日本人しか乗れない列車に乗って、死ぬとこまで、終点まで行ってた気がします。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。カメ子さんの方から話しそびれたこととか、言い残したこととか何かありますか?

カメ子:
そうですね。まだ現在進行形なのですが、私の姉が引きこもりなんですね、約10年間ずっと。そうなってしまったのも、日本に住んでいるのですが、こうでなくてはいけないっていう枠から抜けられずにいる。もちろん他にも理由はあります。そして、すごい苦しんでるのも私なりに理解しています。でもやはり周りができることって限られているのも10年間で実感しました。どんなに周りが動いても結局は自分が決めて自分で動き出さないと何も変わらないので、そういうのも含めて、自分で動いてほしいですね。自分で決めて自分で動く、これを他人のせいにしてると、いつまでも動けないのが現状で。

私の姉は時間がかかってしまっていますが、今年に入ってようやく動き始めているように感じています。最終的に引きこもってしまう人とか、今はすごい多いなと思っていて。
この無名人のインタビューも、私なんて本当に素人だし話すのも下手だし、でも最終的に自分で決めて動いたから、こうやってご縁をいただけることに繋がったりました。そういう、怖くても一歩を踏み出してほしいなっていうのを、もし冊子とか雑誌とか販売できるようになったら表紙の裏とかに何かメッセージで書きたいなと思っています。自分の座右の銘とともに。”何歳からでも挑戦できる” と ”自分で決めて自分で動く” この2つを何かプレゼントしたいですね。プレゼントというのかな。想いとして届けたいですね、いろんな人に。それが身近な姉を見ててそう思うので。将来的にそこにも繋がりますね。こうやって私が動いてる原動力になってます。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございました。

あとがき

インタビュー後にカメ子さんと雑談していたときにもお話したんですが、『日本人専用のレールに沿って、日本人しか乗れない列車に乗って、終点まで行く』というのが印象的な言葉でした。
たぶんですけど、日本人専用のレールは、途中下車とか途中乗車がすごく難しそうで、多少乗り心地悪くても乗ってれば終点まで連れて行ってくれそうな気がします。そして、乗ってしまったら、乗っていない人がいることすらわからなくなりそう。
それに乗るのも乗らないのも才能なのだということを思えたのは、私自身がインタビューなどでいろんな方の話を聞くことができたからだと思います。

インターネットの発展した現在、世界の広さなんて簡単に調べられるようになったと思いきや、見える世界はどんどん狭く偏ったものになりがちなのは切ないですね。
メディアの方にお話を聞いたとき、どんなメディアをフォローしているかによって世界の見え方が変わってしまう時代だとおっしゃってました。メディアは世界を見るためのレンズだと。

自分の偏りにとらわれたくない、そんなあなたにおすすめなメディアは、この無名人インタビューです。

【インタビュー・あとがき:ナカザワ】

【編集:mii】

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