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限界が近くなったところで、娘が来てくれた気がするんですよね。人

人間についてのインタビューをずっとしてきて、思うのは、人間はぜんぜん同じじゃない。目鼻口ついて、日本語喋って、食べて飲んで寝てしてるけど、でもそこは同じだったとしても、でも、違うよぜんぜん。
こんなにも違う人間を、同じように扱うのって、めちゃ大変。
同じ人じゃないのに、同じ言語を喋らなければいけない苦痛。
同じ人じゃないのに、同じ国家で生きなければならない問題。
同じ人じゃないのに、同じ家で暮らさなければならない親子。

まー大変。まー大変だから、宗教によって、その生に意味をつけてあげてなんとか納得して過ごしてきた幾星霜なんかがありましてー、ゆあーんゆよーんでも現代日本には宗教がボコっと抜け落ちてしまってるじゃないの。
東北震災の時に、お坊さんがお祈りしながら行脚していたのを見たけど、でも僕qbcはね、もっと宗教が前のめりにあのときのディザスター発言をするべきだったと思うよ。
神社をパワースポットごときにとどめておくなとゆーか。
人間に生きる意味なんてあるのだろうか。
ないよ。だから私たちは考えていることを話し、だから私たちはその話を聞くよ。人間は、人同士の間で話される物語の中にいないと、生きる意味なんて見出せないのさ。
ということで無名人インタビューgo!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは なっちゃん さんです!


現在:本気で人を好きになった、そして感情が全部出てきた、そんな6年間だったって言えばいいですかね。

きさい:では最初の質問です。今何をしている人ですか?

なっちゃん:今は、そうですね、家族の中で、主婦をしたり。自分のお小遣い稼ぎにパートに行ったり。あとは発達障害のある一人娘を育てたり。そういう役割を生きてきたけど、今、自分自身に立ち戻ろうとしている人です。

きさい:その役割の割合としてはどんなイメージですか?

なっちゃん:えっと、主婦2、子育て3、パート含む自分5ですかね。ずっと9割近く役割をしていて、1割が自分だったんですけど、たった今は、役割と自分が半々ぐらいになってきたかなっていう感じですね。すごく意識しないとそれが難しくて。それこそカウンセリングとか自己啓発とか、あと心理学が好きなので、本を読んだりとか。いろんなところに頼りながら、自分に戻ってきている感じです。

きさい:なるほど。自分自身に立ち戻ろうと思われたきっかけ、転換点はありますか?

なっちゃん:はい。それは、ある出逢いと別れがきっかけです。友人、親友みたいな存在だった女性。
出逢った頃、自分ではにこにこして感じのいい自分だって思っていたのですが、苦しみとか不安とかをないものとして、隠して生きていたみたいで。でもそれが限界に近づいて鬱々としていたときに、友人が繋いでくれたのがその親友です。
親友は、ヴォイトレをしてくれました。鬱々として自分を無くしていた私が唯一思い出せたやりたい事が、歌うことだったんです。

その子との出会いで、なんていうのかな、感情を取り戻したというか。すごくね、ヴォイトレとか楽しいことはもちろん、ぶつかることとかもたくさんあったんですよ。内側をさらけ出し合うみたいな感じ。自分の中の隠していたマイナスの感情とかもいっぱい出てきて。プラスの感情ももちろん出たんですけど。

そこら辺で、私自分のこと全然見てなかったなっていうのに、気づいて。それでもまだまだ内側ではなく外側ばかり見てしまっていたんですけど、、そうこうしているうちに、その親友が一昨年、1年半前の4月に、自死しちゃったんですよ。

きさい:え、そうなんですか?

なっちゃん:はい、、自死しちゃって。自分にとってすごく大切な存在だったので、私も苦しくて苦しくて。生きていくのがこわくなってしまって。それこそ死にそうになっちゃって。で、どん底の中で、彼女との関わりを思い出したり周りの人との関わりに助けられながら、自分の内側をより一層見つめ続けて、生きていかなきゃ!ただ生きていくのではなくて、自分を本当に生きていかなきゃ!って思ったんですよね。

きさい:ヴォイトレをしてもらっていたのはどれくらい前なんですか?

なっちゃん:6年前くらいかな。

きさい:出会ってから6年経ってから、そのようなことがあったということですね?

なっちゃん:そうですね、はい、、。出会った頃は、自分ではつらいのに気づいてなかったけど、考えてみれば、娘が発達障害があるっていうことがわかったりして、必死だった頃でした。あと、夫とも気持ちが通じ合わないなみたいなのがあったり。自分の母とも、あまりうまくいってなくて。
いや、表面上はうまくいってた。私、うまく取り繕える人だったので、表面上はうまくいってそうに見えるんだけど、私が無理して成立している感じだったんですね。そういうつらいときに、理解しあえると心から思える彼女と出会ったんです。

きさい:そうなんですね。何で出会われたんですか?

なっちゃん:まず、親友と繋いでくれた子との出会いから。ママ友みたいな感じ、娘が同年齢で。一緒に習い事をしたりとか、ちょっと家族っぽい関係っていうのかな。出会ったのは児童館で、リトミックをそれぞれ習いに来てたのがきっかけですね。

きさい:へぇ。

なっちゃん:で、その子とヴォイトレをしてくれた親友は、カフェで知り合っていて。そこに私も行くようになって、、みたいな感じです。

きさい:なるほど。出会いがあって、それからこの5、6年間の推移があったと思うんですけど、その間どんなお気持ちでしたか?

なっちゃん:歌を習ってはいるんだけど、それよりも「自分がどんな生き方をしてきて、これからどんな生き方をしていくのか」っていうのを学んだ数年間だったなと思っていて。歌はそのきっかけでしかなかったのかなって思っていて。

きさい:はい。

なっちゃん:人間関係のごちゃごちゃが本当にいろいろあって。そのヴォイトレしてくれた親友も、繋いでくれた子も、みんな揉めに揉めたんですよね。今思うと、共通の学びがあってあの場に集まったんだなって思います。みんな、何て言うのかな、依存的な生き方をしていたというか。同調圧力というか、みんな仲間だよねみたいな、そういう感じが強かった。表面上の仲良しというか、、みんな仲間だよねって言っておきながら裏ではちょっと悪口言ってるとか。なんか女子によくある感じっていうのかな。

その自死をしてしまったヴォイトレをしてくれた親友が、元々不安が強い子だったんですけど、人間関係のそういうごちゃごちゃの影響を一番受けてしまって、パニックになっちゃって。カフェで暴言を吐いてしまったりとか、不安定な面が全出しにしなってしまって、カフェ出禁になっちゃったんですね。その件では、わたしも多くの反省点があってとても自分を責めたのですが、、。

それからも自分なりに親友を大切にしたかったので、どうにか向き合っていこうと継続的に連絡を取っていたんですけど。
結局、何て言うのかな。自分の人生は自分が生きるしかない。人のことじゃなく自分のことしかできないんですね。親友は、自分を生きることがつらくなって死を選んでしまった。。

、、そうですね、もうこれはあれですね、言ってしまうと、そのヴォイトレしてくれた親友は女性で私も女性なんですけど、、恋愛感情があって。それで、私も混乱して彼女も混乱して、、みたいなことがあって。
彼女はあまり自分のことを話したがらなかったのでわからないですけど、私は女性を好きになったのは本当に初めてでびっくりしちゃっていて。今思うと、それぐらい大切だったっていうだけのことかなと思っているんですけど。だからこう、本気で人を好きになった、そして自分の感情が全部出てきた、そんな6年間だったって言えばいいですかね。。

きさい:それをきっかけに、カウンセリングだとか自己啓発、心理学本を読んだっていったようなお話もありましたが、どんなことを学ばれましたか?

なっちゃん:自分が、自分を生きていなかったっていうことに改めて気づいたというか。亡くなった彼女も、そこを抜けようとしていた。1歩先に行っていて、私のことを引っ張りあげようとしてくれていたと改めて感じました。

同じ学びをしていた、、いわゆる共依存みたいな関係を作りやすい私達だったんですよね。そういうんじゃない関係になりたかったけど、アダルトチルドレンというか愛着障害というか。そういう、自分でも意識しない部分でどうしても出てきてしまう生き方の癖があって。。それで関係がうまくいかなかったんだなっていう風に、冷静に自分達に起きていたことが見えた。それは大きな学びです。

きさい:うんうん。

なっちゃん:そういうのって気づかないと多分ずっとそのまま、息苦しい人間関係しか作れない自分で生きていくと思うんですよね。私は家族も息苦しくて、そこから、家族から逃げたかったんですね。娘はもちろん大事に思ってはいるんだけど、私は亡くなった彼女とだけでなく、家族もすべて共依存的な関係を作ってしまっていたって気づいてしまって。

うまく言えないんですけど、支配されやすいっていうのかな。相手に合わせすぎてしまうというか。それで相手がどんどん支配的になっていくという。凸と凹が合わさるように、お互いが無意識に求めている関係性がマッチしてしまうんですよね。

きさい:はい。なるほど。

なっちゃん:相手が悪いっていうことではなく、結局自分の内側にあるものがその関係を作っている。。
気づいてから少しづつ自分の言動を変えてきて、今は夫とも娘とも、自分の母親とも、友だちとも、、自分の中で共依存的な関係になっちゃっていたかなって思う身近な人たちと、ほど良い距離感になってきていて。

自分の感情を見ないふりしないで、自分のしたいようにするようにしています。それこそ、今何をするかっていうのも、自分が求めてしてると思っているんだけど、実は無意識に相手に求められていることをしていたりとか。そういうのが普通だったので。

今は本当に自分優先にしているので、特に身近な夫とかからすると、私が思い通りの行動をしなくなったので、ちょっとイラついたりはするみたいです。私自身は、すごく楽になりましたね。
亡くなった彼女と出会い、学びがなければ、まだずっとあんな沼の中にいたかなと思うと、本当に感謝しかないなって、思います。

きさい:自分優先になった例とかってありますか?最近の出来事だったりとか。

なっちゃん:例えばパートに出るのでも、家族優先だったっていうか、娘のこれがあるから私はこの時間からパートには行けないとか、夫がいるから日曜日は家にいなくちゃいけないとか。それでやりたいようにやれない!って思っていたんですけど。それはただの自分を生きない言い訳だったと分かってしまったので。

最近だと、日曜日にパートに出ても夫と娘2人で何とかするだろう、私は1人になって自分の仕事に没頭したいからそうしよう、ということで日曜日も隔週でパートに行っています。

仕事の内容も娘の状況に合わせて選んでいたんですが、私が娘のためにしなくても、本人が自分でどうにかできるな、だから大丈夫かみたいに思える事が増えてきて。ちょっとね、癖でまだ合わせようとするところはあるんですけど、やりたいこと、本当に自分がやりたい仕事を、やりたい時間帯で、やりたい曜日に、やっています。

きさい:そうなんですね。

なっちゃん:仕事以外でも、娘が家にいても出掛けたければ、何時から何時出かけてくるねって言って出かけます。食事は自分が作らないと駄目だって思ってたんだけど、夫に夜ご飯担当してもらったり。今は、そんな感じでやっています。

きさい:ありがとうございます。娘さんは今いくつぐらいですか?

なっちゃん:今、中学1年生です。中学1年生なんですけど、不登校で。不登校だったというか。その経緯もね、いろいろあったんですけど。簡単に言うと、フリースクールにずっと行っていたんだけれども、何だか私の状況、この共依存的な生き方に自分で気づいて、変わってきたことの影響がすごくあるような気がします。今、時短ではあるけど、中学校に行くようになって。フリースクールにはほぼ行かなくなったんですよね。チャレンジ中です。

発達障害もあるので、いろいろとすごく生きづらいみたいです。それがあるから余計に娘に対して、私が何とかしてあげなきゃ!みたいなのが強く出ちゃっていたなっていうのは思っていて。これもまた、やっぱり共依存的な感じだなと思うんですけど。今は、以前より信じて見守ることができるようになったなと思っています。

きさい:ありがとうございます。現在のところで、先ほど自分のやりたいこと自分のやりたい時間に没頭できるっておっしゃってたのが、主婦とパートと、あと子育てとかやってらっしゃるっておっしゃってましたが、それを中心に割り振ってるような形ですか?

なっちゃん:やりたいことですか?あとは、ウクレレの弾き語りをやりたくて。彼女にね、ヴォイトレしてもらったことと繋がっているんですけど。仕事も自分のやりたいことですけど、趣味がメインなんじゃない!?みたいな、そんな感じです。

きさい:なるほど。役割と自分自身が5対5になったっておっしゃってましたけど、その5割の部分が趣味っていうようなイメージになったってことですか?

なっちゃん:うん、そうですね。仕事も含めつつ。

きさい:趣味をやられてるときってどんなお気持ちなんですか?

なっちゃん:趣味やってるときは、なんだろう、インナーチャイルド、自分の中のもっと遊びたかった自分、ただただ自分で楽しみたかったなっちゃんっていうか、自分の内側の子供が出てきて笑ってるような気持ちっていうのかな。そんな感じですね。

過去:本当に自分というものがなかったと思います。小学校前ぐらいまでに結構怒られていたからか、自分がなくなっちゃっていたから、ただ流れに乗ってボーッと生きていた感じです。

きさい:子供の頃は、どんな子でしたか?

なっちゃん:子供の頃のことは、あんまり覚えてないなって思ってたんですよね。母から聞くイメージが強くて。だから、母の口調になっちゃうんですけど、あんたは口から先に生まれたような子だった、あることないこと言うような子だった、みたいな。

あとは近所の子に怖がられてた、とか。あと、近所のおばちゃんに、なっちゃんは幼稚園で先生がピアノを弾いてみんなが一緒に歌っているような状況でも、ちょうちょが飛んでたら飛び出していっちゃいそうな子よねって言われた、とか。
なんか、母から聞くイメージは結構そういうマイナスなイメージ。そういう子供だったのかなって思っているけど、実際どうだったかはわからないです。

きさい:あんまり覚えていないのは、何歳から何歳ごろのことはそんなにっていう感じですか?

なっちゃん:母に怒られてる場面とかは結構ポッと覚えてるんですけど、例えばこういうことが好きでこういうことして遊んで、楽しかったな、、みたいな記憶がないというか。小学生ぐらいの頃は記憶があんまりないですね。

きさい:なるほど。自分ではこの言われていることについて、どう思いますか?

なっちゃん:これに関しては、なんかもっと、私そのものを認めて欲しかったなって思います。なんていうのかな。私らしさを認めてもらってなかったかなっていう感じはしますね。

きさい:今振り返るとっていうことですかね?

なっちゃん:そうですね、今振り返ると。

きさい:当時どう思っていたかはやっぱりちょっと、少し雲がかかってますか?

なっちゃん:当時どう思っていたか、本当に覚えていなくて。

きさい:はい。ありがとうございます。小学校くらいのうちはそんな状況だったということで、中学校以降はどんな子供でしたか?

なっちゃん:中学生のときは、部活でいじめに遭ったり。だけど、同じ部活じゃないちょい悪な友達がいて。その子の後ろをついて回って、悪いことをしてみたりとかしていたかな。あとは、そのちょい悪な子がXのファンで。私も歌声が好きだなって思って、都内のライブに行ったりもしました。

きさい:はい。X JAPANですかね?

なっちゃん:そうです。なんていうのかな、多分今思うとそういうところでバランスを取っていたのかなと思うんですよ。

きさい:当時の思い出って何かありますか?

なっちゃん:当時の思い出は、そのちょい悪な友達と学校を抜け出して、そのちょい悪な子が誰かのオートバイに乗ってる後ろに乗って遊んだりとか。
完全に私そういうキャラじゃないんですけど、その子といる時はそんな感じでしたね。本当に自分というものがなかったと思います。小学校前ぐらいまでに結構怒られてたからか、自分がなくなっちゃっていたから、ただ流れに乗ってボーッと生きていた感じです。なんかあんまり自分自身がこうしたくてこうだった、みたいな記憶が、やっぱり中学生ぐらいもないですね。

きさい:そうなんですね。いつごろからありますか?

なっちゃん:高校生ぐらいですかね。

きさい:どんな出来事を思い出しますか?

なっちゃん:高校生のときは、友達の家に結構遊びに行ってて、友達の家族にもかわいがってもらったなっていう記憶とか。あとは部活が楽しかったなっていう記憶があります。

きさい:なんの部活ですか?

なっちゃん:吹奏楽部でしたね。本当は合唱部に入りたかったんだけど、合唱ってダサイのかなってそのときは思って、吹奏楽部が何となくかっこいい感じがして。クラリネットを担当して、全員の音が合わさる瞬間がすごく楽しいなって思いつつ、そんなに本気で練習はしなかった記憶があります。

きさい:そうなんですね。

なっちゃん:あとは、友達とよくカラオケに行っていたなっていう感じです。カラオケが好きで、何かと言えばカラオケ行こうって言って。

きさい:歌っているとき、どんな気持ちなんですか?

なっちゃん:歌っているときは、自由な感じがしたのかもしれないですね。あとは、心が開くというのか。割といつもは自分を出せないタイプだったと思うんですけど、歌っている時は自分を出していいんだみたいな感じだった気がします。

きさい:そこから大学や、大人になっての生活はどんなふうでしたか?

なっちゃん:短大に行ったんですけど、初めて自分がやりたいことをやっている感覚だったかもしれないです。幼児教育に関する勉強をしたんですけど、その勉強内容がほぼ興味がある内容で。特に興味があった心理学も学んだけれど、あとリトミックとか、ピアノとか。あと、手作りの紙芝居を作るとか。子供を相手にするので、遊びの要素がある勉強内容が多かったですね。勉強も、学校自体に行くこと自体が楽しかったです。

仲間とも、勉強が忙しくてあんまり遊ぶ時間はなかったんですけど、同じようなことが好きで集まってるので、気が合うというか。その仲間とは長期休みのときに旅行に行ったりもしました。短大の頃は、自分らしくいられる事も多かったような気がします。

きさい:心理学に興味があったのはこの短大の頃からですか?

なっちゃん:高校生の頃、本当は心理学を学んでカウンセラーになりたいなっていう気持ちがあって。ただ、カウンセラーは狭き門で仕事に結びつかないなとか自分なりに考えた結果、子供と接する仕事は魅力的だし、あとは短大の幼児教育科では、児童心理が学べるので、いいんじゃないかと。資格も取れて仕事にもなると思ったんですよね。
そうそうそう、心理学といえばずっと、人の心とか自分の心とかに興味がありましたね。

きさい:今のお仕事には繋がってますか?

なっちゃん:えっと、そこなんですけど。ずっと保育士しかしてこなかったんですけど、今は急に、全然違う仕事をしているところで。
たった今の仕事には繋がってないんですけど、今ちょうど保育士に戻れたら戻りたいなと思っているところなので。そしたら、繋がってるってことになりますかね。

きさい:今されてるお仕事は差し支えなければ、何ですか?

なっちゃん:今は、黙々と掃除がしたくなって。その一つ前は放課後等デイサービスで、発達障害の子供と接していたんですけど。今も、やっぱりどうしても子供っていうワードが自分に染みついていて、掃除は掃除でも、子供の病院の掃除をしてるんですね。で、掃除をしながら、今入院している子供のことが気になって仕方なくて。そんな時に、病棟保育士っていう存在を知って。それだ!って今感じています。

きさい:資格は同じなんですか?

なっちゃん:資格は保育士の資格があればできるんですけど、ただ、狭き門で。資格とは関係ないけど、病棟保育士の勉強をするような講座もあるみたいです。思ってるだけじゃなくて、それも受けて勉強をしながら、求人を探してみようかなって思っています。

きさい:短大出てからずっとそうやって子供に関わる仕事をされてるイメージですかね?

なっちゃん:そうですね、子育てに専念していたとき以外は、そんな感じです。

きさい:ありがとうございます。今おっしゃっていただいた人生を、3章に分けるとすると、どこで分けますか?

なっちゃん:3章に分ける、面白いですね!

きさい:はい、難しければ2章でもいいんですけど。

なっちゃん:生まれてから高校卒業までが1章。短大から結婚するまで、が2章。それで3章は結婚してから今まで、って感じです。面白い!3章に分けるって。

きさい:おっしゃってる区切りの理由ってありますか?

なっちゃん:区切りは、1章は、親の思い通りに生きている自分という感じで。2章が、自分らしさを思い出して楽しんでいる自分、かな。3章は、今度は新しい家族の中の役割を生きる自分、、

きさい:ありがとうございます。そこからまた自分の道に向かって歩まれてるっていうことですね?

なっちゃん:あ、そうですね!

未来:もう、もうやりたいことはやるし、行きたいところには行くし、言いたいことは言う。もう、自分を隠さないっていう感じですかね。

きさい:そしたら、続いて未来について、もっと聞いていきたいと思います。5年後10年後、あるいは死ぬときまででも大丈夫です。未来について、今からどんなイメージをお持ちですか?

なっちゃん:そうですね。もう、もうやりたいことはやるし、行きたいところには行くし、言いたいことは言う。もう、自分を隠さないっていう感じですかね。

きさい:具体的な行動プランってあったりしますか?

なっちゃん:行動プランは、今47歳なので、体が動く時間っていうのも考えて。今後10年、定年ぐらいまで病棟保育士をやる。本気で仕事をする。その後は…その後は考えてなかったな。その後どうしよう。

きさい:考え中ですかね?

なっちゃん:そうですね。あと、今、徳之島に友達がいて。徳之島には割と早い段階で遊びに行きたいなと思ってるんです。2年以内くらい。

きさい:鹿児島の奄美諸島の島ですか?

なっちゃん:そうです。

きさい:いいですね。

なっちゃん:近いことしか見えてないかもしれないですね。あとはウクレレの弾き語りを、もうちょいでできるようになると思うので。それを楽しみたいです。

きさい:そうですね。それが近いところのイメージですかね?

なっちゃん:はい。

きさい:もしもの未来質問っていうのをさせていただいてるんですけど、もしも、自分らしさを、結婚してから思い出せてなかったら、今どんな人生になってたと思いますか?

なっちゃん:あぁ、これはもう、正直に言ったら、亡くなった彼女みたいに死んでいたような気がしますね。

きさい:あぁ、うんうん。

なっちゃん:そんな気がします、本気で。

きさい:どこかでふっと、って感じのイメージですか?

なっちゃん:まぁ、自死のイメージですね。多分そのぐらい本当は苦しかったんだと思うんですよね。

きさい:あんまり自覚されてないとはおっしゃってましたけど、いつかはそれが出てくるんじゃないかって思われてたような感じですか?

なっちゃん:そうですね、多分限界が近くなったところで、娘が来てくれた気がするんですよね。娘が来てくれて、それが娘にとって良かったか悪かったかは?なんですけど、私は娘に集中できたので現実的に生きていられたというのはあるので、助けに来てくれたかなっていう気はしますね。

子育てしていると結構強くなるので。強くなって、やっとなんとか娘を鏡にしながら自分の弱さを見ることができるようになってきたと思います。亡くなった彼女の一押しも大きかったんですけど。だから今、生きている。そう、自分らしさを思い出せなかったら死んでたと思いますね。ははは。

きさい:最後に言い残したことはありますか?読者向けでも自分に対する独り言でもインタビューの感想でもOKです。

なっちゃん:なんだろう。自分の人生は、自分しか経験していないことだから、それを記事にしていただいて誰かが読んでくれて、自分は経験したことないけど、こういう経験した人がいるんだなって知ったことで、その人にとって何かいい影響があればいいなって思います。

じゃあ自分はこう生きよう、とか。そういうことってあると思うんですよね。私も人の経験を知って、勇気づけられることがあるから。
記事を読んでくださった会ったことのない誰かが、「生きる」「生きよう」と思ってくださるとありがたいなって思います。

きさい:ありがとうございます。

あとがき

「これが無ければ生きていられなかったと思う」という転換点が、様々な人の人生にあることを実感しています。その瀬戸際から「この声が他の人に届けば」と願う人がいることも。無名人インタビューではよく噛みしめます。自分自身がそういう人の声に救われて生きてきたな、とも。

最近、現代で芸術が占める意味についての文章を読みました。私自身は、他者が作る芸術を通して「こんなこと考える人もいるんだ」と知り、生き残ってきたなと思っています。が、人によって人生のよすがになるものは色々です。
一人一人の大きな転換点に接させてもらっていることに感謝して、ありがとうございました!

【インタビュー・あとがき:きさい】

【編集:mii】

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