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日本を生きやすい社会にしたい人

見たこともない荷物が玄関先に置かれていた。
昨今、物流にたずさわる人たちがめちゃストレス溜めさせられるっていうんで、荷物を家人に渡す必要なんてないんじゃない的言説が世に横行し、玄関先に勝手に荷物が置かれて、置いたらメールでお知らせしてるからいいでしょ? みたいなご時世なので、昨今、荷物がいつのまにか玄関先に置かれていることが増えた。
それ自体は、まああんがい盗まれないし別に別段特段気にならないことではあったのだが、この度私の玄関先に置かれた荷物というのが、奇妙な荷姿をしていた。5kgの米袋くらいの大きさの物が入りそうな、直方体の形。ハコの形はしているのだけれども、でも、見た目がちょっと変わっている。
見た目は、革の、ハラコに似ている。ハラコが張られた箱なのかもしれない。ハラコだと思うのは、毛が生えているからだ。一様の方向に揃った毛並み。の、毛先が午後の陽光に照らされている。段ボールではないことは間違いないだろう。色は、緑色をしていた。なぜ緑なのか? さわろう。
さわってみた。
間違いない、ハラコだなと思った。さわった感じのちょっと粘り気のあるような、でもしっかりした芯を感じるような硬さの毛。これは緑色に染色されたハラコの、びっちり貼られたハコだ。木箱にでも内容物を詰めて、その周りをハラコ革で包みこんだので違いない。
ハラコというのは、元は牛の子宮の中にいる胎児の牛を取りだしてその皮を使ったものらしい。だから、腹の子で、ハラコらしい。
それにしても私は、この荷物を頼んだのだろうか? 何かを頼んだ記憶はなかった。
きっと妻が頼んだものだろう。誰が頼んだかの予測がつき、ハコの緑の正体が分かれば、なんとなく気も落ち着く。SNSに投稿してちやほやいじられるという、さっきとっさに思いついていたプランもとりやめだ。
さきほどは異質で異界でしかたなかった緑が、今はゴルフ場のまばゆいグリーンを思わせる。
良い一日になりますように。今日もこれからの無名人インタビューを応援してくださいね(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは ととまる君 さんです!

現在:世の中の人からすれば、目の前に博士課程に行くような人間がいることは少ないと思うので、すごい珍しがられます。

石井:今、どんなことをされてる方ですか?

ととまる:今はですね、今26歳なんですけどまだしぶとく学生をやっていてですね。
大学院の博士課程の3年生です。博士課程っていうのは、学部の4年間を卒業して、その後、修士に2年間行って、さらにプラス3年間行っているうちの最終年度が今です。同じ大学にもう9年間通ってるってことですね。

石井:どこか留年したとかではなく、もう本当に全ての過程を終えて最後までいらっしゃるっていうことなんですね。

ととまる:そうです。ちゃんとストレートで入学しました。浪人もせずに入学し、留年もせずにストレートでそのままいくと27歳ぐらいで学位が取れる予定です。次の3月にちゃんと論文を出せば。取れるかわかんないですけどね。

石井:お勉強されてる内容にも関わるかもしれないんですけど、どうしてそこまで勉強されようと思ったんですか。

ととまる:安全工学っていう学問分野があってですね、あんまり世の中的にはなじみがないと思うし、僕が大学に入ったときも全然知らなかったです。その安全工学っていう学問を今やってるんですけど。

最初に大学を選んだときは、元々は何か新しいエネルギー、水素とか、そういうエネルギー開発がしたいなと思って、そういうのに関われる分野として化学を選んだんです。そこからいろんな授業を受けて、学部3年生のときに今の研究室の教授の授業をたまたま受講していて、この安全工学っていう学問に初めて触れたんです。そのときにこの安全工学という学問がどういう学問なのかをその先生が説明していて、そのときに印象に残ってる言葉が、「安全工学というのは人道主義的な学問だ」って言葉なんですよね。人道主義というのは、「人の道」とか「ヒューマニズム」みたいな感じに近い意味合いなんですけど。

どういうことかというと、僕らが安全の対象として主に扱っているのは科学技術なんです。その中の一つに、新しい水素エネルギーとか、そういうものも入ってるんですけど、そういう科学技術を世の中で安全に使っていくためには、その科学技術の持っている危険性とかエネルギーとかを適切にコントロールしたりマネジメントしたりしていかなきゃいけないんです。そのときに大事なのは、あくまでもそういった科学技術は、「人間が豊かに生きていくため」にあるものだということなんです。その人間が豊かに生きていくっていうことを大事に考えるための学問としてこの安全工学があって、その人間と科学技術の関係性を考えるような学問なんだ、というふうな話を受けて、あぁそうなんだ、人間が豊かに生きていくことを大事にしている分野なんだなぁと思った、というのが1つですね。
プラスで、さっき元々新エネルギーに関わることがしたかったという、その2つが合わさった形でこの研究室に来ましたね。

本当は修士まで、4年生から修士2年生までの3年間をやって終わりにするつもりだったんですけど、何か気まぐれで残ってしまって、3年間プラスしてしまいました。まぁその3年間がいつの間にか終わりそうですけど、そんな感じですね。思ったより長くしゃべっちゃいましたけど。

石井:学生生活はどうでしたか? 振り返って。

ととまる:そうですね。学部1、2年生のときとかは本当に何も考えずに過ごしていましたね。授業には出るけれども。1年生のときはバイトもしてなくて、授業に行ってサークルに行くだけの生活でした。僕はバレーボールやってたんですけど、バレーボールサークルに出て、バイトもせずに帰ってくる、という生活でした。もう1つ、学外の活動をやってて。それはまたおいおい話しますけど。そういう生活をしていたんで、あんまりめちゃくちゃ真面目に勉強してるタイプじゃなかったです。本当に一般の大学生と同じ感じでした。ただ、授業にはちゃんと皆勤賞で、1限でもちゃんと出るような学生でしたけど。

石井:一般大学生と同じっておっしゃってたと思うんですけど、そこまで同じだったっていうことは、そのあと少しずれたみたいな感覚があるっていうことですかね。

ととまる:確かに、言われたらそうですね。

石井:特にどういうところですか?

ととまる:周りの同期とかと話してて感じるのは、そもそも修士に進んでるっていう時点で結構他の一般大学生と違うなっていうところもあるし、そこからさらに博士課程に行く人なんて、もう多分、世の中の人からすれば目の前にそんな人間がいることは少ないと思うので、すごい珍しがられます。何やってるの?って必ず聞かれるところもあるし。
あとはそもそも日常的に考えてることが、あんまり人と一致しないというか。それは昔からですね。よく変人変人と言われてました。どうやら考えてることが人と違ったみたいですね。昔はあんまり自覚的ではなかったかもしれないですけど。

石井:最近は自覚的?

ととまる:もう最近はそうですね。修士に入ってからは、「世の中の人たちが考えていないことも考えていたんだ俺は」、っていう感じですね。それは何か自分が優れてるとかそういうことを言うつもりではなくて、シンプルになんか、興味があることが全然違うっていう感じですね。

石井:それ自体は、ご自身から見て、好きな特徴ですか?

ととまる:違うことを考えてるとこですか?そうですね、嫌いではないですね。好きとまで自信を持って言えるかどうかはちょっとわかんないですけど、そんなに嫌いではないです。あんまり多分、群れたくない人なのかもしれないです。仲良しの人はいてほしいけど、同じことを考えたり共感したいとかそういう感じはあんまりないですね。仲良くお話するのは楽しいですけど。

石井:共感が嫌なんですか?

ととまる:いやむしろ、共感できなくても、「そういうのもあるよね」っていう感じに思えちゃうっていう感じです。

石井:無理やりするのが嫌なんでしょうか?

ととまる:自分が「人に共感する」のが苦手なだけなのかもしれないですけど、その人の考え方を尊重するっていう気持ちもあるし、他の人の話を聞いていて面白いから、別に自分と違ってもいいかなっていう感じですね。

石井:共感するのが苦手な場面とかってあるんでしょうか?

ととまる:今までそう思ってきたのは、何か人に寄り添えてるって思ったことがあんまりないからなんです。
例えば、さっきの大学生活のところで学外の活動をしてたって言ったんですけど、自分の生まれ育った地域に子育て団体があって、地域の子どもたちと、お父さんお母さんたちと、あと地域の高校生から大学生ぐらいの「青年」と呼ばれる世代の人たちがみんなで集まって、その中で一緒に子育てするっていう活動がありまして。そこで普段は小学生とか中学生の子どもたちと関わったりするんですけど、その子たちの気持ちに共感してあげられているかっていうと、そういう感じではないなと思うことが多いんです。あんまり具体的な例になってないかもしれないですけど。
自分の中でも考えて、「こうだからこうじゃん」と思う方の気持ちが強くて、他の人の感じ方は、受け入れられるは受け入れられるけど、「俺もそう思うわ」とはならないって感じですね。

石井:理解と共感が明確に分かれている?

ととまる:そうですね。最近それに気づいたところもあって。
ずっと人の気持ちを理解するのが苦手と思ってたんですけど、それよりはむしろ、理解はできてるけど、共感できてないだけなんだなって。
理解と共感が別だっていうのがなんとなく自分もわかったというか。それが正しいかどうかわからないんですけど、そういう理解に到達したかなって。
その文脈でいうと、「相手が何を考えていそうか」ということを理解はできるけど、そこに心から寄り添えたりとか、その感情と同じ気持ちになったりとか、そういうことは苦手というか、あんまりできないし、しないで生きてきたなと思います。
そもそもあんまり自分も感情がない人なんですけどね。感情がないというか、あんまり浮き沈みがない人なので。

石井:楽しいってなることもないんでしょうか、趣味とか?

ととまる:そうなんですよね。
趣味は、4歳からピアノを習っていて、ピアノを弾いたりとかは趣味なんですけど、めちゃくちゃ楽しいわっていう感じではないですね。
例えば、ディズニーランドとかに行ってめちゃくちゃはっちゃけるタイプの人っているじゃないですか。ああいうことは絶対にできないと思います。

石井:それは、しない? できない?

ととまる:「できない」に近いですかね。そんなにテンション上げられないっていうか。
穏やかにニコニコはしてると思います。ニコニコはしてると思うけど、「イエーイ!」みたいなイケイケ大学生みたいな感じにはならないです。

石井:なんでしょう、表現の仕方なんですかね?

ととまる:表出してないだけ、っていう感じでもないんですよね。そもそも自分の中に、「めちゃくちゃテンション上がってなんかメーターの針が振り切れてる」みたいな感覚は全然ないです。

石井:ご友人とかにはどんな人だって言われますか?

ととまる:そうですね。さっき出てきた「変人」はよく言われますね。
あと何だろう。表面的っていう言い方はよくないかもしれないけど、表面的に見られてるなっていう人からは、「優しいよね」とか「そんなに怒らないよね」っていうようなことを言われます。
人に優しいというよりは、「何しても怒らないよね」っていう感じで、優しい人だよねって言われることが多いかもしれません。

石井:ととまるさんを変人と表現されるお友達は、仲の良い方なんですね?

ととまる:そうですね。仲が良くなると段々僕の人間性に気付いてきて、こいつはそんなに良い人間じゃないっていうことが段々分かってきて、そういう辛辣なことを言ってくれるようになってるんですけど。
でもそういう中でも、認めてくれてる部分はあると思うんですよね。認めてくれてる部分としては、勉強は得意なほうであるとか、そういうところですかね。

石井:その方々が一番仲のいいご友人なんでしょうか。

ととまる:そうですそうです。高校時代の友人グループで、男女いろいろいるんですけど、その高校時代の仲良しの子たちが一番私のことを雑に扱いますね。それは、自分のことを理解してくれているから、「こういう人だ」ってわかっているからそういうやり取りができるんだろうなと思いますけど。
その中でも一番仲良しの男友達は、ここ数年になってまたちょっとより親密に連絡を取りだしたんですけど。その子とかはある程度、勉強なり研究なり、認めるところは認めてくれている上で、「でもお前はこういうところがある」っていう、なんだろう、こういうところは変人だというか、具体的にはあまり覚えてないんですけど、うまくいじられてるって感じなんですかね。

過去:ピンチのときにパーッと出ていって、その穴を埋められる。そういう活躍のしかたができるっていうのがすごいかっこいいなと思ったんですよね

石井:ととまるさんはどんな子供でしたか?

ととまる:思い出せる記憶があんまりないっていうのが正直なところで、小学生で明確に思い出せるとしたら、まあ小学生1、2年生なんですよね。
どういうことがあったか断片的にいくつか言うと、例えば迷子になりやすかったです。多分。迷子になった記憶が何回かあります。
自分の一番幼いときの記憶は、合ってればなんですけど、ジグソーパズルを母親に見守られながらやってるっていう図ですね。それが自分の一番幼い記憶だと勝手に思ってるんですけど。
あとさらに断片的なことを言うと、壁に貼ってあるシールを剥がしたがるとか、そういうエピソードですね。

石井:ジグソーパズルの記憶って何歳ですか?

ととまる:多分幼稚園ですね。幼稚園ぐらい、もしくは3歳から幼稚園ぐらいか、それぐらいです。幼稚園だったらもっといろいろ覚えてるから、もっと前かな。幼稚園に入る前のシーンです。3歳ぐらい。

石井:なるほど。ご兄弟っていらっしゃいますか?

ととまる:姉が1人います。3つ上に姉が1人いてその2人姉弟ですね。

石井:お姉さんとの関係ってどんな感じでしたか。

ととまる:お姉さんとの関係は、昔は結構面倒見てもらいながら育って、あるときお姉さんが中学生ぐらいになったときぐらいから段々、使用人みたいな扱いを受けてましたね。そんな大げさじゃないですけど、例えば「お茶いれてきて」とかそういうレベルです。それに文句も言わずに「はいお茶いれました」って従うっていう。

で、さらに進んで向こうが高校生になったときには、もうほぼ会話する機会がなくなっちゃったんで、そこからはしばらく離れたんですけど。
自分が大学生になったぐらいになったら、また会えば話すようになって、何だかんだ気にかけてくれるというか、何か物を買ってくれるって感じですね。
向こうが社会人になってすぐで、僕がまだ大学生のときみたいな、そういう関係のときは、何か服買ってきたよとか、買い物してきてくれるとかそういう感じでした。
僕は自分からそんなに積極的に喋りに行きはしないけど、言うことは聞くとか、確かにそうだなと思ったらその通りにするとか。
僕は結構家では無口なんですけど、僕は無口でも向こうが気にせずベラベラ喋ってくる人なんで、関係性としては親よりも姉との方が仲良しですね、相対的には。

石井:ご両親ってどんな人ですか?

ととまる:最近思ったんですけど、その両親ってどんな人って聞かれたときに答えられることが全然ないなって思ったんですよね。

石井:それは過去の記憶とか振り返っても?

ととまる:何をされたかっていう記憶はあるんですけどね。例えば、どういうことについて叱られたかとか。例えば、勉強しなさいって言われたことはあんまりなかったけど、何か態度が悪いとか姿勢が悪いとか、主に母親ですね、これは。母親が言ってたのはそういう人に対する態度とか、姿勢もそうだし。

石井:姿勢は結構記憶に残ってるんですね。

ととまる:朝ご飯を1人でキッチンで食べるときに、母親がその周辺をずっと動き回ってるんで、その都度言われてましたね。あとは何かな。基本的に家庭内の小言が全部私のところにやってくるっていう感じですかね。
自分が小中学生ぐらいのとき、私が家で1人朝ご飯食べていて、もう父親は仕事に行ってるし、お姉さんは高校生でもう出発していて、母親だけがその周辺にいるっていう状況が生まれると、大体父親とかお姉さんへの愚痴も含めて、俺が怒られるみたいな。怒られるっていうか、いろいろ愚痴が溜まってるんだなっていうのを聞くみたいな、そういうことが多かったですね。
だから、そういうふうに「何か言われた」ということは覚えてるんですけど、「母親がどういう人か?」っていう質問をされたら、どうやって答えるだろうなって最近思ったんです。
どういう人かっていうと、なんか難しい。父親も父親でそうなんですよね。父親も、昔されたことはいろいろ覚えてるんですよね。僕はゲームボーイ世代なんですけど、ゲームボーイってわかりますか?任天堂の一番最初の世代のゲーム機なんですけど、ゲームボーイを買ってもらってやっていて、日曜日のお昼にお昼ご飯ができているけどまだゲームやってたら、それをパッて取り上げられてゴミ箱にバッて捨てられたっていう記憶。

石井:強烈ですね。

ととまる:とか、強烈なやつはもちろん覚えてますね。それ以外にも、いろいろ多分素晴らしい記憶があるんだろうと思いつつ、そういう強烈な記憶はちゃんと残ってるけれども、どういう人かって言われると困るというか。そんなに(父親が)怒りっぽかったわけじゃないんですよ。総じて言えば優しい人だし。でも、ある瞬間にそういう突如機嫌が悪いときがあるみたいな。それがあんまり測れなかったのかもしれないですね。どういうときには機嫌が良くて、どういうときには機嫌が悪いとか、そういうことがあまりわからなかったから、ビクビクまではいかないけど、「あんまり気を逆なでしないでおこうかな精神」はそこで根付いたかもしれないです。

どういう人かっていう質問に答えようと思うとうまくいかなくって、それは多分、両親にあんまり興味がなかったからだ、と自分の中では思うんですよね。

石井:それはずっとですか?

ととまる:中学生以降はそうで、中学1、2年生ぐらいから段々家で無口になったんです。誰とも口きかないみたいな。家族誰とも口きかない、必要なこと以外は喋らない、みたいな感じにいつの間にかなってしまったんですよね。そこからずっとですね。

石井:学校では、じゃあ、お喋りだったとかそういうわけではない?

ととまる:学校ではめちゃくちゃ喋ります。もちろん仲良しの子はいるし、むしろベラベラ喋るし、よく笑うし、結構明るめの人間として生きてきたと思います。逆に、家ではもう一言も喋らないっていう。いつからかなんかそういう感じになっちゃったんですよね。

石井:なるほど。それはどうしてなんですかね。お家で話さないっていうのは。

ととまる:母親は、私がはっきり喋らないとか、小さい声じゃ聞こえない、みたいなことをよく言うんで、いやそれは確かにわかるけれども、そもそもそんなに大きな声を出して伝えたいことがないんですけどみたいな。
明確なきっかけが、さっきの、家族の愚痴を自分が聞くようになったときですね。その愚痴は大体母親と姉が何かトラブってるとか。母親と父親がトラブることはあまりなかったので特に母親と姉ですね。姉が中学や高校に行き出してから姉が反抗期になって、そこがぶつかっている愚痴を私が母親から聞いて、「そんなにぶつかんなくてよくね?」みたいな。そんなにぶつかるんだったら、別にお互い何も言わなきゃいいのにな、干渉しなきゃいいのにな、みたいに思っていて、自分はそうしようと思っちゃったのかもしれないですね。関わらないようにしとこうみたいな。トラブるの面倒くさいし。
っていうことと、あとはなんかもういろいろ説明するのが面倒くさいというか。それは私が悪いのかもしれないけど。話が合わないと思うんですよね。両親に対してそんなことを言うのはおかしいかもしれないですけどね。多分話が合わないから、何か喋る必要があるのか?と思っちゃったのかもしれないです。だから、明日何時に起きるとか、明日はお弁当いるいらないとか、朝ご飯食べる食べないとか、家には何時に帰るとか、そういう業務連絡は一応しますけど、それ以外に何かプライベートな会話というか、学校で何があったとか、今何をやってるかとか、そういう会話は一切しません。

石井:今に至るまでの出来事でものすごく印象に残っていることだったり、影響を受けたようなことって何かありますか。

ととまる:影響を受けたこと。そうですね、家族の、周りの人からですかね?

石井:どんな出来事でも。

ととまる:心に残ってることで言うと、自分は先ほどの通り、あまり人に共感できない人間だったので、あんまり映画とかドラマとかを見て感動して泣くみたいなタイプでもなかったんですけど。
振り返って、あのときは感動したかもなって思うことがあって、それは小学生ぐらいのときなんですけど。うちの父親が野球ファンで、ジャイアンツファンなんですけど、私が小学生のときは食卓のテレビでよく野球中継が流れてるっていう家庭だったんです。家族みんなでジャイアンツを応援していて、あるときの試合で印象的な試合があって、その試合が自分としてはすごい感動した試合だったなと、振り返って思うんです。どういう試合だったかっていうと・・・、野球にはお詳しいですか?

石井:最低限の野球漫画が読める程度ですかね。

ととまる:そうですか。延長で12回ぐらいまでやった試合だったんですけど、ジャイアンツは最初にスタメンでキャッチャーをやったメンバーの他に2人キャッチャーがいて、9回で同点で延長戦に入ると決まった段階では、すでに選手交代して最後の1人がキャッチャーをやってるような状況だったんです。そのキャッチャーがバッターボックスに立ったんですけど、そこで頭にデッドボールを受けて、もうプレー続行ができないってなってしまった。そのときジャイアンツには交代できるキャッチャー登録の選手が1人もいないから、誰が次の回のキャッチャーをやるんだ?となったときに出てきた人がいて、その人が木村拓也選手って言うんですけど。

その人はその翌年にくも膜下出血で亡くなっちゃうんですけど、その人が出てきて、その後1イニング分をキャッチャーとして出場して、無事に試合を終えたんですね。
その人は、昔キャッチャー経験が少しだけあって、プロに入っても1、2年しかプレー経験がなかったけど、そこからずっと違うポジションをやってもう10年以上のベテラン選手だったんです。だけど、キャッチャー経験があるのは自分しかいない、ということに気づいてそこでバッと試合に出て、しかもちゃんと結果を出して帰ってくるっていう、その姿。それがかっこいいなと思って、めちゃくちゃ印象に残ってて。

もうちょっと広く捉えて、どこに感動したかっていうと、チームが本当にピンチを迎えたとき、もう誰も替えがいなくてどうしようっていうピンチのときに、パッと出ていってその穴を埋められる、そういう活躍のしかたができるっていうのがすごいかっこいいなと思ったんですよね、自分の中では。
その感動ポイントは、結構今の自分がこういうふうに活躍したいとか、こういうふうな仕事とか生き方をしてみたい、ってところに繋がってるかもな、と今思っていて。普通に通常モードで皆がうまくいってるときにはそれでOKだけど、何か欠員が出るとか、何かピンチが起きたとかそういうときに、自分がそこに助けに入ったりとか、穴を埋めたりとかしてそれを何とか乗り切るっていう感覚が、自分としてはすごく充実感があるなっていうふうに思う活動なんですね。なので、その野球の試合は結構印象に残ってるかもしれないです。

未来:日本がもうちょっと心豊かに生きていける国であってほしいなと思いますね

石井:そのお話はこれからの進路選択にも関係しそうですか?

ととまる:そうですね。多分今言ったようなときに一番自分が充実感を感じられそうだなっていうのは、過去の経験上もいくつかそういうポイントがあって思ってるので、そういうふうに仕事ができればいいのかなと思いつつ、でもそういう仕事って何なんだろうって考えると、あまり今見えないですね。どういう仕事がそういう仕事なんだろうと思って。

石井:今就職活動をされている?

ととまる:そうなんですよ。

石井:そうですよね。

ととまる:でも、就職活動らしい就職活動はしてないです。できてないし、してないっていうのもあるし。修士を卒業するときも、ドクター(博士課程)に進学するか、就職するかを考えていて、一応そのときもいわゆる就活はやっていて、ある1社に内定はいただいてたんですけど、そのときもいろいろなことを考えて、「内定しました」という連絡の電話を受けたその電話口で、「ごめんなさい行けません」って言ったんです、そのときは。別にその選択自体は今、全然後悔してなくて、進学して学ぶことはたくさんあったからよかったなと思うんですけど。

今改めて就活みたいなことを考えると、何か今のいわゆる就活、何か一斉にみんなでやる就活みたいなのは全然やる気が起きないな、というのもあるし、あんまりその場に入っていけないなっていう心的なブレーキがあって、そこには自分がやりたいことはないだろうなって思っちゃってるんですかね。
そもそも、博士を取った学生の就職活動はそれとは別枠でやるのが普通なんですけど、かといって、今の自分がやってる研究テーマをそのまま続けていけるような仕事をするのもなんだか気が乗らず、関連した仕事をするのも気が乗らず、というのが正直なところですね。なんか、完全無気力サボりモードに入ってしまって、主だった就職活動という就職活動はできてないというのが現状ですね。

一方で、就活って意味ではないけど、自分のやりたいことに近そうな人とか、自分が調べて面白そうだと思った活動をしている人に会いに行ったりとか、読んだ本に出てきたNPOを立ち上げた人に興味を持って、その人が作ったNPOに見学に行ったりとか、そういう、仕事に直結するかどうかはわからないけど、自分が面白そうだと思ったところに勝手に行く、みたいなことはやってます。それは就職活動と言っていいのかわかんないですけど。

石井:最近一番面白いなって思ったものってありますか?

ととまる:面白いなと思ったのは2つあって。
1つが、僕は今noteのブログを去年の7月からずっと毎日更新しているんですけど、そのnoteの自分の記事にイイネをしてくださった人がいて、その人のブログを見たら、面白そうな活動してるなぁと思ったので、その人に会いに行った、というのが1つあります。どんな活動をしてるのかというと、元々小学校の教員をされていた方なんですけど、元々は小学校の中で探究学習っていう、先生が一方的に教える授業ではなくて、子どもたちが主体的に学ぶ内容もやり方も決めて、自分たちで発表までする、みたいな理科の授業作りをしていた先生が、教員を辞めて、子どもたち向けに探究学習ができる個人塾みたいなものを自分で場所を作って始めた、という話をそのブログで知ったんです。
その先生に直接連絡をして会いに行ってお話したときに、子どもだけじゃなくて、大人向けにもそういう探究学習ができるようなコミュニティを作りたいっていうお話があったので、それは面白そうだなと思ったんです。実際に今年の6月ぐらいにそういう大人向けの探究学習コミュニティ「大人の探究横丁」が発足して、そこに自分も勝手に参加させていただいてるっていう感じですね。それは楽しくやってます。

石井:面白いと思ったことに今まさに関わってる状態なんですね。

ととまる:そうなんです。でもそれはお金にはならないんで、食い扶持を稼ぐというよりはシンプルに、ただ楽しそうだからやってるっていう遊びになっちゃってますけどね。本当はそういうのが仕事だったら楽しいのかもしれないです。

もう1つはさっきNPOって言ったものです。私がたまたま買って読んだ本の中に『政策起業家』という本があって、その本を書いた著者の方が作ったNPOです。その人は、医療的なケアが必要な子どもたちを預かることができる保育所を作れないか、ということを考えて実際に作ってしまった人なんですけど。その人の本を読んで、「政策起業家」と呼ばれる人たちがいるんだということを知りました。政策起業家っていうのは、今の社会制度や政策を変えるために、政治家になるのではなくて、その制度や政策が実現できるんだということを、まず自分が起業して実際にビジネスを回して事例を作ってみて、その事例を持って「確かにこんなことができるから、制度を変えてくださいよ」と政治家に訴える、という人たちなんです。

そういう人がNPOを作ったという話が本の中に出てきて、へぇすごいなぁ、面白そうだなぁ、と思ったので、新卒採用のところに「ちょっと見学させてください」っていう感じで直接メールしたんです。この時期(9月)なんで当然新卒採用は終わってるんですけど。そうしたら「いいですよ」って言っていただいたので、行ってきました。
お話できたのは1時間ぐらいだったんですけど、その本に出てきた政策起業に関わった方と人事の方とちょっとお話させていただいて、この「政策起業」という社会との関わり方はすごく面白そうだなと思った、って感じですね。それに本当になるか、なれるかどうかはわからないけれども、ただ普通のサラリーマンになるよりは全然面白そうだなと思いました。

石井:今おっしゃった2つの「面白い」の共通点みたいな部分ってどういうものなんですか?

ととまる:共通点、そうですね。・・・あんまりお金にならないってことですかね。

石井:お金にならないことの方が面白そうだと。

ととまる:そうですね。お金をたくさん稼ぎたいっていう感覚、それで私腹を肥やしたいっていう感覚は全然ないです。自分が生きていくためにはそんなにお金は必要じゃないので。
食べ物もこだわりはないし、服にもこだわりはないし、贅沢がしたいわけでもないから、「自分のお金」はそんなに必要ないんだけれども、「自分がやりたいことをやるためのお金」は必要だなと思う、という感じです。多分NPOを作ったりとか探究学習の塾を作ったりみたいなのは、「自分のやりたいことを実現するためのお金」なんで、それは必要だなと思うから、そこは気になってますね。本当はやりたいけど、それがお金を生むものではないから持続できなそうだなぁと思ってるかもしれないですね。
質問に答えられてない気がしますけど。

石井:大丈夫です。それってもしそのお金っていう制約が外れたらそれをされるんですか?

ととまる:お金の制約が外れたらやるかもしれないですね。でも、だとしたらやればいいじゃん、ってなりますよね。

石井:お金の制限がじゃあなかったとしたら、来年、それ以降で一番やってみたいことってどういうことなんですか。

ととまる:お金の制限がないとしたら、今関わっている活動はいろいろあるにしても、本当にお金の心配がなくて何でもいいよって言われたら、今は何か東南アジアに自分の住む家を置いた上で何かしたいです。

石井:他の国ではなくて、東南アジア。

ととまる:そうですね。日本以外の国に行きたいと考えたときに、でも日本での活動もし続けたいから、なるべく日本に帰ってきやすいところいうことになるとアジアになって、その中でも、僕は冬があんまり好きじゃないんで、年中温かいところとして東南アジアぐらいがちょうどいいかなと。
距離が近くてちょうどいいかなと思って、東南アジアに拠点を置いて定期的に日本に帰ってくる、みたいな感じの生活スタイルでできることをやりたいです。さっきの探究学習コミュニティはほぼオンラインコミュニティなので、日本にいなくてもできるといえばできるんです。でも、NPOみたいな仕事は日本に行かないとできないこともあるだろうし、一方では、リモートワークでできるものもあるのかもしれないですけど。

もう1つあるのが、さっき一番最初の方に言った地元の子育て活動で、それは一応細く長く続けていたいなと思う気持ちがあるので、そのために何回か帰ってきて、でも生活拠点は東南アジアに置いておくっていう、なんかそういう感じですかね。だいぶ抽象的ですけど。
やりたいことって言ったらそうなります。「やりたい生活」かな。仕事って感じじゃないですね。仕事として取り組むことは何でもいいのかもしれないです。
でも教育とか子どもとか、そういうのは結構キーワードかもしれないですね。

石井:仕事の内容ってよりは、それ以外の部分で条件みたいなものがあるんですかね。

ととまる:そうですね。そっちの方にだいぶ重きが置かれてますね。理想的には(前に上げたようなこと)が仕事になって、そういうところから少しずつお金をいただければいいのかもしれないですね。ただそうすると、いよいよここまでやってきた研究は何も関係なくなりますけど、それはそれで別にいっかっていう感じもあります。

石井:研究を活かすとなるとどういう選択肢になるんですか。

ととまる:研究を活かすなると、今の研究テーマを引き続きできるような大学組織とか研究所に勤めながら自分の研究を続けていくか、またそれに近い研究を行っている企業に行って企業の研究としてやるか、とかですかね。

石井:その選択肢は、今の時点で全く捨てるとはおっしゃってないと思うんですけど、それがもしなくなるとしたらどうですか。

ととまる:それがなくなったら全然違うことを考えると思います。今の自分の研究に関わることを仕事にすることも、どこかの組織に所属したら多分ある程度はできていくのだろうけれども、それで充実感を得ている自分があんまり想像できないんですよ。最初、大学を選んだときは水素エネルギーとか、新しいエネルギーシステムに関わることをしたいって思って、大学にも入ったしここまで来たんですけど、今振り返って思うと、そもそも俺は理系じゃなかったんじゃないか?っていう思いはしてます。

石井:結構前からですね。

ととまる:そうなんです。どっちかというと理系科目が得意で、数学とか化学とか物理とかが好きで、大学もそれで選んで、化学を選んで入った後も・・・、理学系と工学系ってわかりますか?

石井:はい。

ととまる:純粋に化学を追求する方と、「エンジニアリング」という工業利用を考える方に大きく道がわかれたときに、自分としてはどっちかというと、純粋に何かを突き詰めるよりも、新しい工業利用とかの方に行った方が自分にフィットするかなと思って工学系を選んだんです。けどそのときは、「(苦手ではないし、)なんだかできそうだったから」という感じで選んだのかもしれませんね。根本から興味があったかと言われると、そう言われたら確かにあんまりそうじゃなかったかもしれないなっていうのは最近思いました。大学を選んだ時から根本の興味が違ったのかもしれないです。その時は気づいてなかったんですけど。

石井:ありがとうございます。死ぬまでに一番やってみたいことってどんなことですか?

ととまる:死ぬまでに、ですか。そうですね。この質問、答えられる人いるんですか?

石井:いや、出て来なかったら大丈夫なんですけど。

ととまる:いやでも答えたいですね。なんだろうな。もうあんまりあれなんですよね、強烈にやりたいこともない人間なんです。さっきの「海外に住んでみたい」とかそういう、「やってみたい」ぐらいの、強烈にそうしなきゃイヤだ、みたいな感じではないんですよね。人生経験として1回ぐらい海外に住んでもいいんじゃないか、ぐらいの感じ。あとは今現在の日本の情勢とかも考えて、そういう選択肢を持っておいた方がいいんじゃないかっていうネガティブな意味合いもあります。
基本的に自分にとっては、自分の知り合いとか自分が知っている身の回りの人たちが幸せに楽しそうに生きていてくれればそれでいいなと思っちゃって。
でも、死ぬまでに、と考えると、強いて言えばなんなんですかね。もうちょっと日本社会が生きやすい社会になってほしいっていうか、なってほしいじゃ駄目だ、もしできたらしたいかもしれないです。死ぬまでというよりはただの願望かもしれない。
日本社会がもう少し若者に優しい国であってほしいって感じですかね。それは今自分が若者に分類されるからそう思うのかな。大人になってもそう思っているかどうかはちょっとわかんないですけど。
日本がもうちょっと心豊かに生きていける国であってほしいなと思いますね。

石井:今はそうじゃない?

ととまる:そうですね、なんか殺伐としてると感じてしまいますね。どこでもそうなのかもしれないですけど。

石井:ありがとうございます。言い残したことなどありますか。

ととまる:そうですね。今日1時間喋ったことを振り返って思うと、なんかもう答え出てるなって思いました。自分の中では答えが出てるような気がしてるけど、結局それを選べてないだけなんじゃないかって思いましたね。
それを選ぶことについて、何を気にして選べてないんだろうっていうのは疑問として残りましたね。それが最後に引っかかってます。あんまり自分でわかってないんですけど、でも最近うっすら考えていたことを、一生懸命言語化したらこうなりましたっていう感じですかね。そんなところです。

あとがき

死ぬまでにやってみたいことを聞いてみて、国に言及された時は少しびっくりしたんです。

でも素敵だなと思いました。
若者に優しい国、心豊かに生きていける国。

これを読んでくださるみなさんは、どう思うでしょうか。

どこかでみなさんの感想にお会いできたら嬉しいです。

インタビュー担当:石井

編集協力:生きにくい釘

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