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お子さん4人を離島留学させた人 に、聞いてみた

えータイトルにいきなり誤りがあってー。
4人が全員離島留学じゃないんですすみません!
一人は山村留学です!!!!! 離島ってワードを使いたくてすみません!
ということで本編どうぞ!
まえがき:qbc・qbc康弘(作家・無名人インタビュー主宰)

離島留学とは何か?

離島留学とは、国土交通省の行っている事業です。

 ”島外の小・中学生、高校生が豊かな自然環境や多くの文化・伝統等が残っている離島で暮らし、勉学等に励む「離島留学」を実施する学校が近年増加しています。昨年度改正された離島振興法においても新たに「離島留学」が法に明記される等、注目を集めているところです。
 このたび離島関係自治体の協力を得て、令和6年度の離島留学募集状況の情報をとりまとめました。あわせて、離島留学を希望する方向けの説明会や体験入学等を実施している学校のリストもとりまとめましたので、具体的な受入れの可否等詳細については、それぞれの学校の問い合わせ先までご連絡ください。
※国土交通省では、離島振興に資する取組として、離島活性化交付金を通じて離島留学に係る受入体制の充実等の自治体の取組を支援しています。”

離島留学に4人! の坂本さん

今回インタビューにご参加いただいたのは坂本さんです!

坂本さんアカウント!

坂本さんの無名人インタビュー

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電子書籍
「子どもの才能がぐんぐん伸びる迷わない子育ての道しるべ」

そして、留学の内容はこんな感じです。

長女 高校の3年間 長崎県の壱岐
長男 小学校4年生の1年間 福岡県の地島
次男 小学校4年生の1年間 鹿児島県の種子島
次女 小学校5年生の1年間北海道の鹿追(現在中学1年生 で、同じところに留学中)

また、今回のインタビューは、クルーズ方式で行われました。
クルーズ方式とは、インタビューを音声で聞きながら、チャットで質問案を出せる、新しいインタビューの楽しみ方のことです!

ときどき、私の発言の後に”(  )”が付きますが、それは、そのクルーメイトさんの考えた質問です。言い方などは私がアレンジしていますが。
“qbc:留学から帰ってきて、いつもの日常生活に戻る時はスムーズでした?(ゆり)“

では、早速ですが! インタビューをご覧ください!

「お子さん4人を離島留学させた人 に、聞いてみた」インタビュー

島留学とは何なのか?

qbc:今、子供たちは全員側にいらっしゃるんですか?

坂本:一番上は大学4年生の女の子で、京都に行っています。

二番目が5年制の高専4年生で、一般的には大学1年生と同じ年の男の子が自宅にいます。

高校2年生の男の子も今自宅にいて、近くの高校に通っています。

一番下の中学1年生の女の子は、小学校5年生の時に留学した先にもう一度戻りたいという希望があったので、今年の4月からもう1回北海道に行っているところです。

qbc:じゃあ、今家にいるお子さんは2人?

坂本:はい、そうです。

qbc:お子さんは島留学を経て、どうなりましたか?

坂本:これは本当に個人的な意見なんですけど。一番最初は、高専4年生になる息子が、小学校4年生の時に、福岡県の地島に行ったんですけど。

私たち両親も子供もいい意味で良かったので。弟妹、そして姉である子も、自分たちももう行くもんだっていう感じでした。

一番最初の男の子は、割とどうね? と言って薦めたんですけども。他の兄弟は、それを見ていて何かを感じて、自然に行くという風になりました。坂本家としては、とても良かったと思っています。

で、具体的に何が良かったかと言われたら、ちょっと困るところもあるんですけど。

まず一つは、第三者の介入。親と子だけだと、すごく衝突があったり、見えないところもあるんですけど。

第三者を介して、こういうところがあるよと言ってもらったり、才能を伸ばしてもらえてたり、親が伝えにくいところを見つけて知らないうちに伝えてもらったりしていました。そして、親自身も気づかされることも多かったです。やっぱり、子供も受け入れやすかったんだと思います。

そういった面で、第三者っていう頼るところがあったのが一つ。

あとは、地元では経験できない体験をすごくさせてもらいました。一番最初に行った息子は、漁村留学という形で行ったんですけど。

今は手伝ってくれないですけど、魚のさばき方はそこで覚えたので、今も上手とは言えなくても捌けるんじゃないかなという感じです。
すぐ何かができるわけではないですけど。

10年後20年後、子供が大人になった時に、それが記憶として残って生きる力になるんじゃないかなと信じています。

qbc:坂本家はみんな行くという感じになったんですか?

坂本:そうです。一番最初の息子の時は、「親が言ったので」みたいなことを、面接の時に言ってました。なんでこの島に来ようと思ったの?という質問に対しても、「いや、お母さんが」みたいに、私の顔を見て答えてたんですけど。

だけども、やっぱり本人の主張が大事だと思ったので、面接者の前でしたが「自分の思ってること言っていいよ」と正直な気持ちを言ってもらいました。その時点で、面接駄目だったなぁと思いましたけど…。

でも、面接が終わって、何か感じるものがあったのか、もしダメでも来年受けたいと、息子が言ったので、これも経験として良かったと思っていたら、受け入れてもらえて本当に良かったと今では懐かしいです。

現地に行って、見たり聞いたりして感じるものがあって、自分の中で想像したんじゃないかなと。まあ、私の想像ですけど、海で自分の好きな釣りができるかもとか。

面接が終わって帰る頃、「やっぱ行きたい」って。「えー、じゃあその面接の内容何なん? 」って(笑)。小学校4年生だったので、素直に答えていたと思います。

でも、それを見て、弟も妹もお姉ちゃんも行くようになりました。

小学校4年で地島に離島留学した長男

※参考
https://www.city-fukutsu.ed.jp/fukumaminami-e/_resources/content/1192/202210241010179112.pdf

qbc:最初の離島留学は、誰が言い出したんですか?

坂本:長男が、小学校1年からずっと釣りをしたいと言っていて。私たち両親も好きなわけではなく、釣りに何回か連れては行くけど、1日がかりなわけじゃないですから。

子供だからすぐ飽きるかなと思ったら、もうずっと、また釣りに行きたいって。これ何かないのかなと思って調べたところ、小学校3年生の時に漁村留学を見つけたんですよね。

で、すぐに連絡をしたけど、4年生からしか受け入れがありませんと言われて。そこをなんとか、とか言ったんですけど。やっぱりそこはちょっとダメで。

地島ってどういうとこかな? 行ったらどうなるのかな? って1年間調べて、息子の興味関心もやっぱり続いたので、どうかなと私が提案しました。

qbc:見つけてきたのは誰なんですか?

坂本:私が見つけました。

qbc:どこから見つけてきたんですか?

坂本:その時はなんで見つけたのかな?

qbc:パンフレットを見つけたってこと?

坂本:そうですね。福岡の宗像にあるので、40分ぐらいあれば地島に渡る神湊港まで行けるんですが。よく、子供のいろんな行事で出かけてはいたので、アンテナを張っていろんなパンフレットを見ていました。

元々、私の子育ての軸が、体験的な活動をさせたいと。もういろんなことをさせたいと思っていたので。キャンプとか、いろんなところに行かせていました。

それで見つけて調べて、地島小学校に直接電話をしたのを覚えています。すみませんって。留学があるって聞いたんですけど、この学校でしょうか? みたいな。

ちっちゃい学校なので、校長先生が覚えていらっしゃってて。翌年に、坂本さんはよく覚えていますって電話で言ってもらったこともあります。

情報を得るために、いろんなところに電話をしたり聞いたりした覚えがあります。

qbc:これは何年前なの?

坂本:今、息子は19で。小学校4年生って10歳ですかね?

qbc:10年前?

坂本:そうですね。その時、ナニコレ珍百景っていうテレビ番組に、小学校で漁村に留学しているのが珍しいということで、取材が入って、照英さんが来られたんです。うちの息子が悪坊主のように放映されたのを覚えています。

qbc:留学をやめようといった話はあったんですか?

坂本:やめようというきっかけになった一番の材料は主人でした。

主人は公務員ということもあって、割と地に足がついた考えをしているし。息子は特別今の学校で問題があるわけではないし。お金はかかる、労力はかかる、手続きも面倒。何のメリットがあるんだ? と。

私も初めてのことだったので、反論がなかなかできなかったのが一番でした。

qbc:どうやって説得したんですか?

坂本:私の、この熱い思いというか(笑)。

私の生育歴にさかのぼるんですけど。母が目が不自由で、父が海外航路の船乗りで、祖父母に育てられました。周りの大人の方たちがすごく手助けしてくれて育ててもらったっていうのがすごくあります。
今ではすごく感謝してるし、わたしがこうして今いられるのもその方々のおかげだなぁと感じています。

やっぱり、人は関わりの中で、温かみや時には叱ってもらうなど見守り関わってもらうのがいい。そうやって、いろんな人に育ててもらうといいんじゃないかなって。自分はそう感じていたので、子供たちにもいろんな人に触れ合ってもらいたいと思ってました。

あとは、小さい頃から何でも自然体験。リアルの体験は記憶に残ります!その記憶が後々の育ちに関係している。ひいては自立につながる。だから、体験がやっぱ必要と感じていたので。
その2点をするにはどうする? っていう思いがすごくありました。

地島の場合は、補助が少しあるんですよね。自治体によって違うんですけど。補助が出るし、少しお金はかかっても、すごい差ではないのだから。もうこれは投資、子供への教育と思って、私は絶対に行かせてみたいと。

で、息子も釣りが思う存分できると、自分の中のありとあらゆるメリットを伝えました。

地島は船の出る港には車で40分ぐらいで行けて、船でも20分ぐらいで着くので。すっごく遠くじゃなくて、すぐに行けるところだしって主人に言っていきました。

でも、面接の時には、お母さんが言ったからって息子は言ったので、なんか半信半疑な感じで。ただ、釣りができるよって推して、行きました。

qbc:1人目のお子さんは、どんな反応だったんですか?

坂本:いつものキャンプとか、どこかに行く感じ。面接で人とお話をするから、それに素直に答えればいいという感じで、もう練習も何もせずにそのまま臨みました。

どうして行きたいと思ったんですか? って聞かれて、お母さんがって言ったんですけども、それは本当に素直に言ってもらった。

帰る頃になって、さっき言ったような心境の変化が出てきました。ああ、じゃあ受かったらいいけど。んー受からんやったらまた来年申し込んでみようかねっていう形でした。

qbc:嫌だとかは一切なかったということですかね?

坂本:行くまではなかったです。行ってからはいろんな葛藤があったとは思うんですけど。

行くまでは、もう多分釣りができるとか。小学校4年生なので、そういう感じで思ったんじゃないかな。何かあったらすぐ行ける距離だからっていうのを伝えていました。

qbc:当日、お見送りはどこまでしたんでしょう?

坂本:神湊港という、船が出る場所までです。

qbc:当日は、どんな様子でしたか?(Nitta)

坂本:地島は、里親ではなくて1つの寮に行くので、5組限定だったんですけど。だから、港にみんな集結して、1つの船に乗ったんです。

うちは割と、本人が行ってきまーすって感じだったので、いってらっしゃいって感じだったんですけど。本当に印象的だったのは、あるご家族がもう泣きながら見送っていたんですよね。そっちの家族の方をみてあー離れるんだ、みたいな。

それまでは、息子も私たちも、行ってきますみたいな感じ。割とキャンプで2泊3日とか離れていたので。そんなイメージで、私たちはさよならって感じだったんですけど。

でも、船ってだんだん見えなくなるわけですよ。最後、小さくなって見えなくなる…やっぱり、見えなくなるところまで見送ると、ちょっと切なさを感じました。行っちゃったなーみたいな。

qbc:お子さん自身は、楽しそう? 不安?(Nitta) 

坂本:行く時は、ずっと手を振っていました。まあ、本人に聞かないとそこは分からないですけど。

行きたくないとか、隠れてとか、ちょっとトイレに行ってくるとか、そんな雰囲気ではなかった。もう10年前だから、あんまり覚えてないんですけど。行き渋るイメージはなかったです。

地島自体は月に1回必ず親と会わせるように計画されていました。これも自治体によって違うんですけど。4月に行きます。で、5月はゴールデンウィークでこっちに帰ってくるんですよね。

唯一息子がちょっといつもと違うなぁと思ったのは、ゴールデンウィーク終わって地島に帰る時でした。向こうに行く時に、息子がうるうるじゃないけど、なんか落ち着かない表情がすごくあって。口には出さなかったですけど、もしかして寂しいのかな? って感じたことはありました。

けど、大丈夫なん? って声をかけたらいけないと思ってたので。いってらっしゃいって、また来月懇談会か何かで行くねとか言って見送ったのを覚えています。

qbc:その他、留学中のエピソードで覚えていることはありますか?

坂本:やっぱり、島って少人数なので、めちゃくちゃ役割が多くて。

文化祭で大きな体育館のステージで、1人で沖縄の三線を弾きながら歌わせてもらったり、地元の方が夜中からイカ釣りに出るのに連れていってもらったり。

親子体験という形で、参観日に合わせて魚を捌いて干したり。ホームステイで地元のご家族のところで1日過ごしたり。

お友達と喧嘩もあったみたいですけど、寮母さんがいらっしゃるので、そこで対応してもらったり。

地域の方に丸坊主に散髪してもらったりしました。

病気の時も、島には病院がないので、こちらに連絡があって。宗像まで出て、連れて行ってもらったりもしていただきました。

とにかく本当に少人数なので、良くも悪くも目が行き届く。いろいろ目をかけてもらったし、三線も教えてくださる先生がいて教えてもらって。

中学生になってから、海の声がヒットした時に、地域の行事で歌う横で三線を弾く役をいただいて弾いたり。

その時だけではなくって、ずっと残ってる。多分、いまだに弾けると思います。時々、思い返したように三線を出して弾く場面も何回かありました。

地島って椿が有名で。地島椿まつりが開催されます、よかったら来てくださいというハガキが毎年来ていて。

コロナ禍は行けなかったんですけど、行ける時があったら、自分で電車乗り継いで行ったりしていました。

その1年きりという感じではなかったです。今も行きたいって言ってますから。やっぱり残ってるんだと思います。

qbc:その子にとって、何が一番の変化だったと思いますか?

坂本:帰ってきてすぐは、やっぱり大きな学校に戻ると、あれだけみんなの前で堂々としてたのに、なんかちっさくなってない? って思ったんですよね。

絶対何か変わったとは言えないんですけど。まあ今の行動とか考え方を見てると、何ですかね。

今バイクの免許を取ってるんですけど、つい最近も香月の森っていう公園にフラっと行ってくるとか、釣りも行きたいなとか言っていますね。

具体的にどういうところが残ってるって言われたら、ちょっと説明できないんですが、必ず、将来、何かしら子供たちの役に立つ何かが残っていると思っています!

qbc:ちなみに、地島の小学校には何人いて、戻ってきてからは何人ぐらいの学校に通い始めたんですか?

坂本:地島にいた時は、もう全部で30人いるかいないか。

で、帰ってきたら学年が2クラスありました。1クラスのところもあったんですけど。

qbc:まあじゃあ、全部で300人はいた?

坂本:そんなにはいなかったかも。でも、何百人台ですよね。

次の年も、もう1回行くなら行ってもいいって感じだったので、継続を出そうと思っていたんですけど。

それこそ、ナニコレ珍百景に出たことで、全国から問い合わせがあったみたいで。元々、初めての人を優先すると言われてたので、もう応募しなかったです。

それから、どっか行ったらいいやんって言うけど、いやーもういいかなって言っていました。でも今は、海外に行きたいと言い出しています。

なので、何にもないよりは、やっぱり一旦国内でも留学してると、外に出ようと思う原動力にはなってるのかなと、4人の子供を見ていて思います。


小学校4年で種子島に離島留学した次男

※参考 種子島はいろいろプランがありました。
http://www.town.minamitane.kagoshima.jp/education/ucyuryugaku.html
https://www.city.nishinoomote.lg.jp/admin/soshiki/kyouikuiinkai/kyouikuka/kanrikakari/2982.html
https://town.nakatane.kagoshima.jp/gakko/kyoiku-bunka/kyoiku/sansonryugaku/ryugakutoha.html

qbc:次は誰が行ったんですか?

坂本:次男が小学校4年の1年間で、種子島に行きました。

qbc:これは、どういった経緯からですか?

坂本:まず私は、地島がいいかな、自分も慣れてるし近いしと思ってたんですけど。次男がお兄ちゃんより遠くに行くって言い出して。

条件は1つだけだったので、じゃあ地島より遠いところを探そうと。どんなところがいい? と聞いたら、いっぱい遊べるところと言われたんですよね。

全国いっぱい調べればよかったんですけど、次男のイメージは海というか、南国のイメージが私の中にあったので。ちょっと遠くという形で、種子島や屋久島を調べました。

主人の実家が高知なので、高知はどう? おじいちゃんのところでいいやんって言ったけど、うーんって次男は言って。

種子島はロケットもあるので、そういう意味でも知識として息子もいろいろ勉強になるかなと思って。で、種子島どうかなと思って言って、まあ小学校4年だから、分からないなりにお母さんが言うからみたいな感じだったんだと思うんですけど。

実は、種子島には宇宙留学があるんですよ。息子が行ったところとは別に。そっちがすごく有名で、私はそっちにまず応募したんですよね。

でも、多分そこって、宇宙にすごく興味のある方、作文でも宇宙についてすごく熱く語る方が良かったんだと思うんです。

息子は全然宇宙に興味はなく、結局そこはダメだったんですよ。また調べて、島留学ならあるけどって言ったら、息子的には行くんやったらもうどこでもいいみたいな感じで。

じゃあ、そこに応募してみようかってなって。そこも5組だったんですけど、そこに決まったので行くことになりました。

qbc:反対派はいたんですか?

坂本:この時は、長男の留学が行かせてよかったからって言って逆に協力してくれてました

文化祭とか、いろいろな行事、地元の方との交流会もあって。私たち夫婦も行って、兄弟もみんな行って、他の留学生の方や地域の方との飲み会も経験したので。

主人も目の前でいろんなことを見て、息子の成長も見ていたので。あ、なんとなくこういうことが言いたかったのか、これだったらまあいいんじゃないかっていう。納得したのかは分からないんですけど。

なので、次から反対はなくて。本人が行きたいんやったらいいと思うよって言って、協力してくれるようになりました。

qbc:出発する日、お子さんはどんな感じでした?(Nitta)

坂本:今度はすごく遠いので。ただ、次男の場合は、鹿児島で手を振って終わりじゃなくって、みんなで種子島まで行って式に出て、私たちが帰る形だったので、そこまで何もなかったんですけど。

私たちが帰って1週間ぐらいで、無言の電話がかかってきたことがあるんですね。それは今でも覚えてるんですけど。

今の時代はもうLINEもあって、息子本人じゃないところからでも連絡できるんですけど。昔はもう一切というか、よっぽど何かない場合は、里心もつくし連絡は控えましょうっていうルールがありました。

で、私ももう預けたら、そちらが親っていう覚悟がやっぱりないと、何かあった時にトラブルの元にもなると地島の時に聞いてたので。

こっち側がいろいろ言うんじゃなくて、もうお任せする。ちょっとどうかなって思うことでもお任せする。ちょっと分からない時は、里親さんに相談する、直接子供に言わないというのがあったので。だからあれ? とは思ったんですけど、ちょっと待っていました。

次の夏休みに会った時に聞いたら、実は僕、電話したって言いましたし、寂しかったと言ってました。布団かぶって泣いたって言ってました。

qbc:これは里親制?

坂本:種子島は里親です。

qbc:ホームステイってことですよね?

坂本:そうですね。その当時、小学校5年生の大阪の男の子と、小学校4年のうちの次男の2人を、里親さんが面倒を見る。

qbc:知らない子と一緒なんだ。

坂本:そうです。その年は女の子が2人、男の子が3人で。2人がその里親さん、もう1人がまた別の里親さん、女の子2人がまた別の里親さんっていう3カ所で預かってもらってました。

qbc:泣いた話を聞いた時に、後悔はよぎりました?(りんご)

坂本:予想はついていたので。

どういう形で出るかは分からないんですけども、長男のゴールデンウィーク明けの状況を見て、長男は言わなかったけど、多分あの時すごく寂しかったんじゃないかなと思っていたのと。

あと地島の交流会の時にお話されていたのが、親が寂しいとか帰っておいでねとかいつでもいいよみたいなことを言えば、子供は当然帰るし、もう里心つくから。親御さんの気持ちも分かるけど、やっぱそこを送り出すっていう勇気を持ってもらえるとって。

子供のモチベーションも、来たら来たでカラッと変わるので。そのモチベーションを保ってもらえると、受け入れる側はありがたいですっていうのはおっしゃってたんです。

で、実際に、地島で途中でやめられた方もいらっしゃったみたいで。そこをすごく強調して言われてたので、私はその意識というか、そうだよなって思っていました。

遠いし、一番次男が甘えん坊だったので。予測はついていて、どういう形で出るかなって思っていたし、その電話ももしかしたら息子かもと思ったけど。

ここで親が出て、寂しいんじゃないって声をかけたらいけないんじゃないかと。なので、私は後悔はなかったです。息子はあったかもしれませんが(笑)

qbc:種子島は、どれぐらい親と会う機会があるんですか?

坂本:種子島は、運動会だけですかね。最初と運動会と最後です。

qbc:運動会って何月?

坂本:秋でした。

qbc:夏休みも帰ってた?

坂本:夏休みは1人で帰ってきたので、福岡空港に迎えに行きました。いつもはフェリーなので、なんでその時飛行機だったのかちょっと分からないんですけど。

qbc:変わったなってところはありました?

坂本:たまたま、里親さんが地元で剣道と陸上を教えている方で、いい意味ですごく厳しかったんです。

母の日とかはスマホのテレビ電話を繋いでくれて、話をさせてくださってたんですけど。うちの息子がうにゃうにゃしとったら、お前ちゃんとせんかって言って、私たちの目の前で頭をはたかれている感じだった。

それだけ本当の親と思って、ちゃんとせいよっていう感じで笑って言われてました。そんな感じのところでした。
全然、嫌な感じではなくて逆に本気で面倒見てもらっているのを感じました。

今でも、安納芋の時期には段ボールいっぱいに送ってくださっていて、そのたびに息子といろんな思い出話をしながらお礼の電話をしています。

うちの息子は福岡で突出して足が速くはなかったんですけど、長距離が速いけん鍛えるって向こうでは言ってくださって。地元の、小さい子から大人までのリレー形式で行う駅伝の小学校代表で選んでもらいました。

走ることですごく自信をつけてもらい、里親さんが字を一生懸命見てくれてたみたいで、字がすごく綺麗になって褒められる字になって帰ってきたりしました。
認められて自己肯定感が上がったのか、すごくたくましさを感じました。

この子の場合、出来るのにやらない、みたいなことが多く、自信がない感じで過ごしていたので。
それに、この子と一番下の子の間に流産してしまって。この子がちょうど2歳ぐらいの時だったので、一番手がかけれてないなって寂しい思いをさせてたのだは…と思っていました。

保育園の先生からも、やれるのに自信がなくてやらないんですよね。ガラスのハートですよねってずっと言われてきて。確かにそういうところはあるなと思って見てたので、大丈夫かな? みたいな感じでした。

お恥ずかしい話、この子はなかなかおねしょが治らなくって。この時はもう全然大丈夫だったんですが、やっぱり環境が変わると大丈夫かな?心配もありました。

そういった心配はあったけど、そういったところも克服してたし、おねしょもしてなかったですね。

qbc:1年で、ガラスのハートを克服したんですか?

坂本:結局、自信がなくずっと来てたわけですよ。流産しちゃって、目をかけられなくて、幼稚園が変わって。私たちの意識は、流産した子に多分向いてたから。ほっとくと言ったら語弊があるかもしれないけど、寂しいことも多々あったと思うんですよね。

だから、自信がない。認めてもらえてない感じがすごくあったのかなと、今はなんとなく思っているんですけど。

足が速くて認めてもらう。そのことが私たちにも連絡が来るから、やっぱ褒めますよね。良い循環をすごくもらえたなってその時は思いました。

帰ってきてからも、外で字を書くことがあったら、他のお母さん方から、あらー、字、上手やないって言われて、そこでまた自己肯定感が上がってたのかなと。

福岡では、大会に出れるほど足がめちゃくちゃ速いわけじゃなかったんですが。中学校で陸上部を選んだのも、そういった理由があるのかは分からないですけど、何かしら自信になってるんじゃないかなと思っています。

以前、アルティメットという競技でメダルをもらった経験もあるので、今はそれを続けて頑張っています。根本の自信をつけてもらった気がします、私たちの代わりに。

qbc:アルティメットは陸上の種目?

坂本:フライングディスク。あんまりメジャーではないんですけど。そこでも力を発揮しています。

チームは決まってなくって、そこで集められてチームになるんですよ。だから、コミュニケーション能力も必要だし、声かけも必要なんですけど。そこの先生が言うには、うちの息子はその辺ができてるから、大会ごとで違いますけどメダルもらえてたりして。

コミュニケーションとか、人と仲良くなるというのは、やっぱり面倒を見てもらったり、上下関係なく関わってもらったのもあるのかなという気がします。

qbc:留学に関して、子供を1人で行かせるという不安に、坂本さんはどうやって向き合ってきたんですか?(Nitta)

坂本:よく私も周りから、寂しくないですか? 大変ですねって言われるんですけど。私自身は全然、行け行けって感じなので。そこに大変とか寂しいはあまり。

ナニコレ珍百景で、親へのインタビューもあったんですよね。うちともう1組インタビューされたんですけど、うちはボツになったんですよね。それはなぜかというと、寂しさが全然なかったからだと思うんです。これは自己分析ですけど。

寂しいですか? ってインタビューされても、4人のうちの1人だし男の子だし全然元気にやってくれてるみたいなので、こちらとしても嬉しいです、良い体験していますって答えてしまったんですよね。

もう一方は女の子のところで、その方は放映されてたんですけど。本当に寂しそうに、すごく心配です、でも行くって決めたからには応援したいと思いますみたいな。ちょっと内容は覚えてないんですけども。

寂しさが対照的だったんです。その方は作ってたわけじゃないとは思うんですけど、それが一般的なんだなって気づきました。

元々、私は寂しいという感情があまりなくて。おかしいのかもしれないけど。そこでの体験が次に繋がるんだっていうワクワク感の方が大きいので。一般的なところとちょっと違うのかなという気もします。

高校3年間を壱岐高校に留学した長女

※参考
https://www.city.iki.nagasaki.jp/soshiki/kyoiku_somuka/ryugaku/125.html

qbc:3番目は誰が?

坂本:長女が長崎県の壱岐高校に行きました。この子は、高校3年間ですね。

qbc:高校の間ずっと?

坂本:もう高校生になると、調べたことはないんですけど、1年だけは逆にないんじゃないかなと思います。

私の子育て論は体験的活動という形で、働いてた同僚にも話していたので。その同僚には、うちの長女と同い年の女の子のお子さんもいたので、よく子育てのことを話してたんですけど。

その同僚の学校にパンフレットが来たみたいで。これうちの学校に来たんやけど興味あるんじゃない? って言って、娘が中学3年生の時に見せてくれたんですよね。

体験入学もあると聞いたので、じゃあちょっと行ってみる? と娘に聞いたら、娘はもう地元の進学校にははなから行かないと決めていて。

4人の1番上で、私立じゃなく公立に行った方がいいんだろうって自分なりに思ってくれていたみたいで。自分の成績で行けるところという感じで進路を決めていたんですよ。

女の子だし、ものを作るのも好きなのでデザイン科でいっかっていう感じで決めてたところで、そのパンフレットを見せました。

1番上の娘は、大人数が嫌いなんですよね。あんまり好きじゃないみたいで。その点、壱岐は自然いっぱいで。わーここすごくいいって言って、体験入学で先生たちの話を聞きました。

離島留学をする人は、中国語専攻か、歴史文学。壱岐は歴史が深いみたいで、歴史を探求するコースと中国語の2つから選ぶ感じだったんですけど。

実際に中国語の先輩を見て、面白そうだと。元々韓国語に興味はあって、中学校の時も自分で勉強してたので、中国語も面白そうだと。

先生の熱いお話では、中国語は今から需要がありますみたいな。普通、留学はお金かかるけど、うちの高校からだと提携している大学が中国にあるので、少ないお金で留学もできますって言ってもらって。

結局、コロナで娘は留学には行けなかったんですけど。娘にどうする? って聞いたら、私はこっちに行きたいと言ったので、留学に行かせました。

qbc:送り出す時はどうでした?

坂本:ここも里親さん制度なんですけど、とってもいい里親さんで。その年の女の子3人を預かってて、次の年から女の子5人預かってもらってるところだったので。もうベテランな感じでした。

基本、子供が嫌って言ったら、やっぱり子供の意思があるのでやめようと思ってたけど。なんとなくみんな行くって言ってくれてたので行ったんですけど。

エピソードとしては、離島留学とはちょっと関係ないかもしれないんですけど。

中学校までは、長女は前に出るタイプではなくって、いつも人のためにいろいろしたい子でした。福岡で災害があった時もボランティアに行きたいということで、実際にボランティアに連れていって。中学生なので保護者も一緒にということで、下の妹と弟も連れて行ったんですけど。

陰に隠れて人のためにやりたいっていうパターンの子で、そこは今も変わってないと思うんですけど。高校に入ったら、私が知らない間に生徒会に入ってて。

保護者会で、娘さん生徒会で頑張ってますって言われて。え、生徒会? みたいな。バレーのマネージャーもやると言っていました。

そうやってスタートして、最初はすごく良かったんですけど。4月後半ですかね。やっぱり電話がかかってきて、私もうできない、みたいになりました。

結局、大学生みたいな生活になるわけですね。部活終わって帰ってきて、お風呂も順番だし。ご飯もみんなで片付けしたりお手伝いしたりする。

そうすると勉強する時間が夜遅くになる。もう私勉強できないかもみたいな感じになってましたね。で、もう部活も辞めた方がいいのかと聞いてきたので。

私の役目としては、やっぱ聞くのは聞くのと。あとは、今までの経験上いつでも帰っておいでよは、まだダメだと思って。自分で決めたことだから、もうちょっと頑張ってみて。部活のことも、どういう状況かが私からは見えないから、先生に連絡取ってみてもいいよって言ったら、自分でちょっと聞いてみるって言って。

うちの長女は、自分が我慢すればいいやって思うタイプなので、先生にも弱音を吐けなかったんだろうなと思うんですけど。

先生にちょっと連絡して、どんな様子かを最初に聞いてみたら、こういう状況ですって。やっぱり、娘が言うようなことと同じ状況だったので。

部活に来れなくなったら、友達との距離も開いてしまったのもあったので、ちょっと考えてみますと先生に言ってもらいました。

留学生っていうのは、実際、自分の身の回りのこと全部じぶんでする。こういう生活をしているんだって。だから、部活に来る時間を取ろうと思ったら、かなり大変だっていうのを、先生が他の部活の方に言ってくれたりしました。

できる時に来てもらう、それでもいいんじゃないか? みたいな話になったみたいで、担任の先生とも相談しながら、結局続けさせてもらうことになりました。

qbc:坂本さんも、先生とお話をしたんですか?

坂本:その頃はメールもあったので、メールで連絡していました。バレー部の顧問の先生との連絡とかいって、こっちからというよりも向こうから連絡が来てたので。その返信のついでに、どうでしょうか? っていう感じで聞いていました。

qbc:他の子は小学生で留学しているじゃないですか。長女さんが高校で留学したのは、何か理由はあったんですか?(Nitta)

坂本:長女が小学校4年生の時に、社会の勉強で茶摘み体験の話題が出て、ゴールデンウィークに入ったら、そういうところに行ってみても面白いねみたいな話を先生からされました。

茶摘みの体験に行ってみたらいいねって先生が言ったけどっていうので、茶摘み体験に行ってみたんですよ。

で、そこに行った時に、山村留学に来ませんかっていう張り紙があって。えー山村留学って何? っていうのから始まって。1年間そこに行って暮らすっていうのがあるのを知って、これ良くない? って娘に言ったら、娘も、ここにあるんだ、いいねっていう話にはなったんですけど。

同じ時期に、地元のジュニアのバレー入らん? って友達から誘ってもらってて。私は山村留学に行かせたかったけど、本人は悩んでました。留学にも興味があったみたいで。

でも、やっぱり近くの友達に誘われて、ジュニアに入ったら山村留学はできないよって言ったんですが、結局バレーを選びました。5、6年は、もうジュニアに入っていたので、行く機会がなかったです。

中学校であるかどうかは、私もその時知らなかったし、調べてもなかったので。中学校は地元に行きましたね。息子がいろいろ行く間に、中学校もあるんだ、高校もあるんだみたいな感じで知りました。

でも、中学高校は行ったら1年で、簡単な体験っていうイメージじゃなかったので、そこはあんまり考えていませんでした。

qbc:茶摘み体験は、どこにどのくらいの期間行かれたんですか?

坂本:1日です。八女っていうお茶が有名なところに家族で行きました。弟たちもみんな連れて遊びに行きました。

茶娘っていって、籠を被ったり服も着させてもらって、そういう体験もさせてもらったので。八女にいたら、そういうことがいろいろできるのかなという感じです。


小学校5年で山村留学した次女

※参考
https://www.shikaoi-study.jp/

qbc:次女は、小学校5年生で北海道の鹿追町に。きっかけは何でしたか?

坂本:次女が小学校4年生の時は、長男と長女の卒業と入学の時期がちょうど重なっていたんです。だから、その時にどっかにまた行って入学となったら大変だなと思って。

次女に5年生でもいい? って聞いたら、いいよって言ったので、5年生で行きました。

場所を鹿追町に決めた理由は、この子は動物が好きなんですよね。で、動物で何か体験できるところはないのかなって。

最初に思い浮かんだのは種子島。1回行ってるし、亀とか動物じゃないかね、ダメ? って聞いたら、そういうんじゃないって言われて。私がイメージするのは、犬とか馬とか、って。

じゃあ北海道みたいな。もう本当に短絡的なんですけど。だからもう、他を調べてないんですよね。

北海道で2つ視察に行かせてもらったんですけど、鹿追町は近くにライディングパークがあって、下校後自分で行ったり、お世話させてもらったりできるみたいで。

じゃあ、もうここが良くない? って感じでした。視察で面接受けて、これで受け入れてもらえたら行けるけどみたいな感じで、どうにか入らせていただいた感じですね。

qbc:距離は気にならなかったですか?

坂本:いやー。これ私の性格だと思うんですけど、全然調べてないんですよね。だから、決まってから動いて。めちゃ遠いんですよ(笑)。

qbc:北海道という時点で、もう全然違うじゃないですか。

坂本:もう本当違います。びっくりしました。今もヒーヒー言ってますけど。

でも、そこもどう捉えるかかなと思っています。すごく大変だけど楽しいし。こんな経験、親としても絶対ないなって思ってます。めちゃくちゃ遠いです。

qbc:次女が1番最後だったんですよね。

坂本:そうですね。

qbc:旅立つ日はどんな感じでしたか?

坂本:この子も一緒に行って私が帰るって感じなので、この子は寂しいって言葉で言ってました。でも、始まったらもう、暇はないぐらいいろんなことがあるので。

ここは、里親さんじゃなくて留学センターなんですけど。留学センターの方がいろんな行事も組んでくださってるし、地域でもいろいろあるし。ここにも今5人仲間がいるし。

小学5年生で行った時より、今の方がすっごく楽しいみたいで。もうやっぱり慣れ親しんだところだからか、電話がかかってきますけど、いつもワントーン高い声で話している感じです。

ただ、5年生の時は、性格もあるんですけど、次女は割と周りを見てから最後に動くみたいなタイプだったので。今の次女と比べて、まあ小学5年から中1っていう変わり目でもあったと思うんですが、5年生の時は自分をあんまり出せてなかったんだろうなって思います。

様子を見て、周りに沿いながら過ごしてきた感じなのかなって気がします。

北海道は、スピードスケートとスキーがすごくて。娘は小5までやったことがなかったんですけど、もう1ヶ月足らずで習得していました。

今はLINEも繋がっているので、各個人じゃなくて、みんなで今日はジャガイモ掘りをしました、鹿の骨を拾いに行きましたとか、グループLINEで動画とかがバンバン来るので。もう、すぐそばにいるような感じです。

比べてみて、10年前のどうしてるのかなーっていうのはないですね。

qbc:小学校の時のエピソードは何かありますか?

坂本:やっぱり少人数だったので。前からピアノをやっていたのもあるんですが、文化祭でのピアノも曲を1つ任されてやっていました。

スピードスケートは、私もテレビでしか見たことなかったんですけど、テレビのようには上手くはないですけど目の前で一生懸命滑っていたし。

いろんな発表も、役割をもらって積極的にやってるみたいだし。

馬に乗ったり、こっちでは本当に体験できないですね。コタンっていう氷でできてる何かのイベントにも参加したり。
また、エゾリスをみることもあります。今、ブームのシマエナガもかわいいので、どこかでホンモノ見たいって言ってました。

本当に、すごい体験経験ばっかりですね。

qbc:全然違う文化ですよね。

坂本:人もすごくあったかいですし。まあ、どこもそうなんですよね。種子島も、壱岐も。

運動会に出ても、もう昭和の運動会なんですよ。ビデオやカメラを持ってる暇がないぐらい、親も出るんです。種子島は、本当にそんな感じでした。

qbc:みんなで参加する?

坂本:そうです。だから、兄弟が行った時も、兄弟が参加できる場面があったからですね。

北海道に先週行ってきたんですけど。リレーは私も走りましたし、太公望やタイヤ引きにも参加。綱引き負けたねーとか親も悔しがって本気で。

だから、留学センターの親も一致団結してという感じなので、全国に知り合いができる感じです。

留学すると何が変わるのか?

qbc:4人全員に関して、通っていたのは地元の小学校ですか?

坂本:そうです。地元の近くの小学校です。

qbc:福岡だと、いわゆる都市に近いんですかね?

坂本:いやいや、福岡でも田舎の方です。都市に比べると、めちゃくちゃ田舎だと思います。

悪い意味ではないんですが、中途半端な感じかなと思います。都市でめちゃくちゃ教育に力が入っていて揉まれてますという感じでもなく、自然体験をすごくしますという感じでもない。

qbc:鹿追や種子島に比べたら、田舎ではない?

坂本:もちろん、もちろん。鹿追や種子島は、お店も近くにあんまりない感じですから。

qbc:留学させるにあたって、その前にキャンプ行ったり、週末いろんなところに連れて行ったりしていたことは、留学のステップとして必要なことでしたか?

坂本:いや、これは多分、私のわがままというか。自分の原体験上、五感を使って体験的な子育てをすることが、5年後10年後に絶対役に立つって私は思っているので。

私が祖父母の家で餅つきをやってた時に、臼取っていう合いの手を入れたり、蒸して丸めて鏡餅にしたり、よもぎを取ってきてねって言われたり、そういうのを自然にやってきていたんですけど。

大人になって、子供の保育園とか小学校で、できる人いますか? ってなった時に、やりますよって自然に言える。それって自信があるというか。自然に身につけてきたことだけど、大人になってこうやって役に立てるんだってすごく思ったんですね。

なので、小さい頃にやったこと。例えば、頑張って毎朝走ったことも、やり続けるという意味で大人になってからも記憶に残ってるというか。小さい頃のことが、大人になっても手とか記憶とか体に残ってるというのをすごく感じたので。

子供たちに何が残るか分からないですけど、いろんなことを取り入れられる範囲で取り入れて、体験させておきたいなって思っています。

で、私だけの力じゃ絶対無理。自分の家でキャンプを毎日するとかできないと思って。だから、アンテナを張って、いろんなところで体験させてもらう場所を探していた感じです。その先の、離島留学ですね。

qbc:期間の話で。1年間の留学と、2泊3日のキャンプや茶摘み1日体験との違いって何かありますか?(りんご)

坂本:1日や2泊3日は、結局楽しかったり良い場面だったり、成功する楽しい体験だけが多いと思うんですよね。

次男は、小倉というところで1週間のサバイバルキャンプにも参加させたことあるんですけど。水も自分たちで1キロ離れたところに汲みに行くとか、電気もないとか、そういったプログラム体験だったんですが。

やっぱキツいとか、ものがないのをどうにかしなきゃいけないとか、寂しかったとか、良いも悪いも全部含めての体験という意味で、やっぱり期間はいるんじゃないかなと思っています。

私が体験させたいというのは、技術的スキル的に体験させたいんではなくて、気持ち的マインド的にいろんなことを乗り越える力もつけてほしいなってすごく思っていて。

それが、やっぱ社会人になった時とか、何か挫折を味わった時に活きるんじゃないかとすごく感じているんですよね。

だから今の教育も、親が先に手を出してやるっていうんじゃなくて、待ってみて失敗させてみて。でも、いつでも親はいるんだよって安全基地みたいな状態でいれたら一番良いんじゃないかなと思っています。

期間的には、そういう意味も含めて長い方がいいのかなと思っていますね。

qbc:留学から帰ってきて、いつもの日常生活に戻る時はスムーズでした?(ゆり)

坂本:本人たちに聞いてみないと本当の中身は分からないですけど。普通に学校に行くこと自体は大丈夫でした。先生たちから前に出て紹介というか挨拶させられた感じですかね。

だから、受け入れ的には大丈夫だったと思います。

qbc:離島にいた時は、無言の電話とか、キツいという意味でアクションがあったわけじゃないですか。戻ってきた時は、1ヶ月ぐらい経ってもキツいとは特に言ってないってことですか?

坂本:そうです。そうです。普通に、何があった? って感じで過ごしてました。良くも悪くもですね。

離島の時は朝早くに起きて、何キロも歩いて、夜も早く寝てみたいな規則正しい生活をしていたと思うんですけど。こっち帰ってきたら流されるというか、もう友達も夜遅くまで起きとうみたいよみたいな。

qbc:離島での生活をこっちでもやるわけではなくっていうことですね。

坂本:そうです。そうです。だから、剣道や陸上も、私としてはもっと伸ばしたいなって思っていたんですが、こっちの環境になるともうみたいな。で、やっぱりそれは親から言っても難しい。

なので、もっと行かせたかったです。

qbc:離島留学に関して、デメリットは何ですか?

坂本:やっぱり、合う合わないかというのは、本当に行ってみないと分からないところがあります。行った後の努力とか受け入れ方、解釈かなと思うので。絶対いいよという確証はないかなって。

あとは、補助があってもお金はかかります。離島留学だけに関しては、補助があるとそこまでかからないけど。

北海道の例でも分かると思うんですけど、行き帰りの空港や飛行機代、宿泊代や手土産。やっぱり見えないものは、すごくあるかなと思います。

行事も、行く行かないじゃなくて。もう、こことこことここは実親さんは来てくださいねって最初から条件として入っていて、そこは行かないといけないので。そのお金がかかるのと、労力もかかるし、時間も取られるっていうのはあります。

日頃の状況はお任せなので、分からないというのもあります。全部知っておきたいよって感じだったら、デメリットですね。

怪我や病気の時は、もうそれもお任せになるので。すぐにそばには行ってやれないですね。

あともう1つ。実は大事だとすごく思うのは、やっぱり覚悟。

どうしても実親だし、子供のためと思って、ああした方がいいんじゃないか、こうした方がいいんじゃないかって、やり方に対して不満に思う場合もあると思うんですよね。

でも、そんな時も、もうお任せをしとかないと上手くいかないというのをすごく感じているので。デメリットで言えば、お任せすることができないとやっぱり難しいなって。

里親さんや寮の方と仲良くというか、預かってもらっているという思いでいないと上手くいかないなと思いました。

qbc:今回の留学以外に、教育において基本的に大切にしていることを聞きたいです。

坂本:やっぱり、体験経験。できればリアルなもの。

失敗って思うんじゃなくって、それも意味あることだなと捉えて欲しいです。

やっぱり、高校大学と受験ってあるけれども。落ちたとしたら、それは落ちた先で自分がどう楽しむか。ご縁だなって思えるかどうか。

人生の中の通過点だから、そこがすごく大事なんじゃないよって子供たちにも言っています。

世間的には、何々高校に行ったらめちゃくちゃいいとか、何々高校行ってすごいよねって言われるけど。でも、すごいって決めるのは、周りで。あなたたちじゃないし、親じゃないから、別にどの高校に行っても、どの選択をしてもいいんじゃない? っていう。

今、高校の例を挙げましたけど、選ぶ時は大体、全部通過点だから失敗じゃないからって言っています。

長女、次男は短期留学で海外にも行っているんですが、それに対しては投資だと思っています。他のいろんなものを買い与えるより、そういうところに使いたい。

子供たちの友達には、あんたの家、変わっとうよねって。スマホは買ってくれないのに、そういうところの方がお金かかるのに、よう行かせてくれるよねって言われると聞いたこともあります。あー、やっぱそういうものかと思って聞いています。

息子がナニコレ珍百景出るまでは、テレビも一切置いてなかったんですよ。受ける教育よりは、自分から掴み取る教育を意識していたので。

下の子2人はお恥ずかしながらできてないんですけど。上の子は、もうずっと本を読み聞かせしていたから、やっぱり上2人は今でもよく自分で本を読んでいます。下2人は反省。

なので、やっぱり本もリアル体験だと思ってるんですよ。リアルは、脳で使われている部位も違う。
教育で言えば、やっぱり本にもなるべく触れさせたいなと思っている。

長女は、今度大学4年で卒業で、本当は就職なんですけど。海外行っていろんなもの見てみたいかなってポロっとまた言い出したので。主人は就職やろ就職って言ってますけど。

それも人生のうちの1年。自分の人生だし、行きたいんだったら行ってもいいんじゃないって。まあお金のことは、自分でバイトせないけんやろうし、そういった具体的な話は後になるのかもしれないけど。

お金がないから行かないよっていうのは最初からないような教育をさせていきたいなと思ってます。

qbc:留学のメリットは何ですか?

坂本:日頃、親だけではできない体験、経験ができること。第三者の場所、人との関わり。そういったものから子供が受ける影響。

留学をさせなかったら、自分の身の回りだけの生活になると思うので、親もいろんな刺激を受けるし、経験をさせてもらう。そのおかげで、親と子のコミュニケーションも良くなる。

やっぱり、いろんなところに目が向くし、アンテナが向くし、広がりが出てきたと思います。それは子供にとっても、親にとっても。

qbc:これは絶対言っておきたいことはありますか?

坂本:よく離島留学の話をすると、それをした方がいいよって言われていると思われる方もいると思うんですけど。

人生のうちの1つの選択だとわたしは思ってて。うちは、たまたま今話したメリットが合致したから離島留学だったんですけど。

子供主体で、子供のやりたいことを伸ばしていったり、認めていける環境がすごく大切なんじゃないかなと思います。

近くの学校に行くのが当たり前じゃなくて、流されるって言ったらちょっと変なんですけど。子供は何が好きで、可能性があってっていうのを時々考えたり見たりすることも大事なのかなとすごく感じます。

離島留学を考え始めると、やっぱりいろんなことを考えるし。実際に離島留学しようかな、しないかなで、しなかったという人もやっぱりいるんですけど。

その向き合った時間ってすごく真剣に考えた時間で、すごく貴重な時間だと思います。それぞれの人生といったらちょっと大げさですけど、子供も親も本音を話し合える場になると思うので、離島留学でそうなってくれる人がたくさんいるといいなと感じました。

インタビュー後雑談まとめ

インタビュー後に設けた雑談タイムのまとめです!

留学の期間と影響:
留学の期間が1年と3年でどう違うかについての議論がありました。特に高校生や中学生の進路に関わる話が出てきました。

親のサポートと子供の意思:
親が子供の留学や体験をサポートする際、子供自身の意思を尊重することの重要性が強調されました。

費用について:
留学にかかる費用についても触れられており、自治体による補助の有無が大きく影響することが示されています。

自然体験の重要性:
子供が自然体験を通じて成長することの大切さが話されています。特に都会に住む子供が自然の中での体験を通じて感じることの違いについてのエピソードが共有されました。

留学や体験の適齢期:
留学や体験を始めるのに適した年齢についても話がありました。幼少期からの体験が後の成長に大きく影響するという考えが共有されています。

親子留学の形態:
小さな子供の場合、親子留学という形で家族全員が一緒に住むことで、安心して体験を積めるという話もありました。


クルーメイト感想

ゆり

貴重な時間をありがとうございました

・環境を変えることで、親にはさせられない体験や経験を積める
・スキルではなく、何かを乗り越えるマインドが育つ(数日のキャンプではなく、留学という期間)
・挫折を味わった時に自分で立ち直れる力
・子どもの好きや興味、意思を尊重して、任せる(預ける)勇気
・離島留学を一つの手段として子どもと向き合う
大学4年間キャンプリーダーとして子どもと関わってきた経験を思い出し、共感しました。それを子育ての中で体現されていてとても心に響きました!
インタビューを聞くのは初めてでしたが進め方や傾聴の仕方なども大変勉強になりました!
このような機会をいただき、感謝しております。ありがとうございました!

Nitta

本日はありがとうございました。
具体的なエピソードをお伺いしていく中で、坂本さんが子育てにおいて、「様々な体験をしてほしい」「色んな大人に接してほしい」「子どもの意見を尊重する」といったことを重視されている核の部分が見えていったのがおもしろかったです。またそういった考え方が坂本さんご自身の原体験に基づいていることがわかりました。
普通に90分間お話しするよりも、インタビューという形でお伺いすることで坂本さんがどのようなことを大切にされているのか、どのような方なのかがよくわかっておもしろかったです。
坂本さんご本人も、楽しくお話ししていただいていたのが印象的でした。
クルーメイトという形で関わらせていただけて良かったです。
本日は貴重な体験をありがとうございました!

りんご

本日はありがとうございました!
とても楽しく聞かせてもらいました

坂本さんと同じように、私も「子どもにできるだけたくさんの経験をさせたい、たくさんの人と関わってほしい」と思うのですが、いざ自分自身に置き換えるとなかなか坂本さんほど思いきれないことも多いのではと思いました。
坂本さんの子どもを送り出す勇気や覚悟を見習いたいと思うとともに、きっと子どもを信じることが大切なんだろうなと感じました。
今回リアルタイムでお話を聞けて本当によかったです!
ありがとうございました!

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