ブラック企業でお前無価値な人間だってすごい自信をなくした人
むかしむかし、ある村に勤勉(きんべん)という名の若者がおりました。勤勉は「人の役に立ちたい」という思いを胸に、都にある大きな商家に奉公に出ることにしました。
その商家は外見は立派でしたが、中は腐っていました。主人は従業員をこき使い、「お前には価値がない」「代わりはいくらでもいる」と日々罵倒していました。
勤勉は必死に働きましたが、どんなに頑張っても褒められることはありませんでした。月日が流れ、勤勉の心は摩耗し、自信を失っていきました。
ある日、勤勉は力尽き、商家を去ることにしました。帰り道、彼は川辺で座り込み、涙を流しました。「私には本当に価値がないのだろうか」と。
そのとき、一羽の鶴が勤勉の前に舞い降りました。鶴は不思議なことに人語を話しました。
「若者よ、なぜそんなに悲しんでいるのか」
勤勉は鶴に自分の境遇を話しました。鶴は優しく言いました。
「人の価値は、他人が決めるものではない。あなたの中にある、人を思いやる心こそが真の価値なのです」
鶴は勤勉に、自分の羽を一枚抜いて渡しました。
「この羽を持っていなさい。自信をなくしたときは、これを見て自分の価値を思い出すのです」
勤勉は鶴に感謝し、羽を大切に持って村に戻りました。
村に戻った勤勉は、鶴の言葉を胸に、少しずつ自分のできることから始めました。お年寄りの手伝いをしたり、子どもたちに読み書きを教えたりと、人々のために尽くしました。
やがて、勤勉の優しさと勤勉さは村中に知れ渡り、多くの人が彼を慕うようになりました。
ある日、都から商人がやってきて、勤勉に「私の店で働かないか」と声をかけました。その商人は、従業員を大切にし、互いに高め合う商売をしていました。
勤勉は喜んでその申し出を受け、再び都へ向かいました。今度は、自分の価値を信じ、生き生きと働くことができました。
後に勤勉は、自分のような経験をした人々を助ける場所を作りました。そこで彼はこう語りかけました。
「誰にでも価値があります。それは他人が決めるものではなく、あなたの中にある思いやりの心なのです」
そして、勤勉の教えは「自分の価値は自分で見出すもの」ということわざとなって、広く伝わっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年9月14日16時40分に書く無名人インタビュー891回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 長池涼太 さんです!
年齢:30代後半
性別:男性
職業:フリーランス(ブラック企業研究家)
HP:https://www.ryota-freedom.com/
X:https://x.com/nr880622
Facebook:https://www.facebook.com/ryota.nagaike.1/
現在:『涼しく生きる』というブラック企業や労働問題、キャリアを専門に発信しているメディアを運営を主にコミュニティスペースの管理人、NPO法人の広報等もやっている
qbc:
今何をしている人でしょうか?
長池涼太:
職業はフリーランスで、主に『涼しく生きる』というブラック企業や労働問題、キャリアを専門に発信しているメディアを運営していて、そのフリーランスの活動の一環で水戸のコミュニティスペース本拠地という場所があるんで火曜日と木曜日は管理人をやっていたりとか。
あとはNPO法人教員支援ネットワークT-KNITという教員支援を主な活動としてるNPO法人の広報もやっているという感じです。
qbc:
フリーランスでは何をされてる?
長池涼太:
主にっていうとブロガーになりますかね。
qbc:
どこかと契約してるわけじゃないですね。フリーランス。
長池涼太:
会社に属してるとかではないので。特にそのNPOとは業務委託という形にはなってるんですけども、そこ以外は特に契約っていう感じではないですね。
qbc:
ブロガーも個人事業主とやられてるってこと?
長池涼太:
そういうことです。
qbc:
ブロガーとNPOとあと何をされてる?
長池涼太:
コミュニティスペース本拠地という場所で管理人を火曜日と木曜日はやっています。
qbc:
その他にされてることってあります?
長池涼太:
決まって定期的にやる仕事は主にその三つで、ライターをたまにやってるとか、ブラック企業とはちょっと関係ないんですけど、HSPという概念ってご存知ですかね。心理学の話なんですけど。
qbc:
できればHSPっていうのをこういうふうに理解してるっていうのは、説明していただきたいですね。
長池涼太:
1900年代に、アーロン博士っていう海外の心理学の研究者がいるんですけども、その方が提唱した概念がHSP。要は例えば五感が鋭いとか、何か人のことを言うことを真に受けてしまいやすいとか。敏感な人とか繊細な人っていう呼ばれ方をしていて、繊細さんの本とかが一応結構ベストセラーにはなってるんですけども。要はその繊細な人・敏感な人を心理学用語で、HSPと一応呼んでるところがあって。
今回のブラック企業とは別事業という形でやっていて、HSPに該当するであろう人が大体2割ぐらいって言われてるんですけども、主にそういった人を対象にしたHSPの人向けの交流会とか勉強会もやっているという感じですね。
qbc:
交流会主催をされてる?
長池涼太:
主催でやっています。
qbc:
そうすると、ブロガーです。コミュニティスペース管理人です。NPOの広報をやってます。ブラック企業の何をされてる?
長池涼太:
ブラック企業も結局さっきのブログの中で発信してるのでブロガーの活動の中の一つになっちゃう。
qbc:
ブロガーの活動の中のブラック企業。
長池涼太:
そうです。ブログの中で発信しているということで。
qbc:
この四つの中でいうとどれが自分のメインでされてる感じですか。
長池涼太:
メインは本当にブログというかブラック企業になりますね。メインと言われると。
qbc:
ブラック企業について何をされている?
長池涼太:
ブログで情報発信をしているという形で、自分も昔会社員をやってたんですけども、その際にいろんなブラック企業に勤めてきたので、その当時の体験談的なことを発信したりとか。
あとはコミュニティスペース本拠地という場所の管理人をやってて週2回そこにいるので、そこに来る人でたまに現在ブラック企業に勤めていますとか、もしくはブラック企業じゃないにしろ転職関係で悩んでるとか相談したいって方がたまに来るのでそういった人の相談とかに乗るってこともありますね。
qbc:
ブラック企業の情報発信って何をされてるんですか?
長池涼太:
主に僕は建設会社と学習塾と農業で会社員として勤めてきた経験があるんですけども。特に農業で言うと、結論から言えばクビになったんですけども、クビになるときに社長に30分ぐらいぶっ続けて人格否定込みの説教、罵詈雑言を30分ぐらいノンストップで言われ続けたっていうのがあって。典型的なパワハラなんですけども、そういったのを受けてきたりとか、まだ塾はパワハラはなかったんですけど、長時間労働とか過労死するんじゃないかってレベルの残業をこなしていた時期もあったので。
主に長時間労働とパワハラを軸に、ブラック企業ってこういう事案があるので気をつけましょうとか、ホワイト企業は逆にどんな形なのかとかってことも発信していきたいですし、できることなら転職活動とかの段階で、例えば求人を見てこれはブラック企業だなとかわかって、あらかじめブラック企業を回避できればよりいいかなって考えています。
qbc:
生活費はどこで稼いでるんすか。
長池涼太:
ブログ自体からもその広告収入という形で収入があるのと、NPOの広報は業務委託って形でやってるので、そこからもお金を多少いただくって形と。
もう一個あったんですけども、僕以外にブロガーの方っていっぱいいるんですけども、そのブロガー向けのコミュニティのイバライターというコミュニティを運営してるんですけど、イバライターは有料のコミュニティで月1,000円なんですけども、そこも多少収入の毎月いくらってのと。
あとは不定期なんですけど、ブログに関するセミナーとかもやってるのでそこからの収入って感じですかね。
HSP交流会・勉強会も有料でやってるので、そこからも少し収入はあるという形です。
qbc:
なるほど。ご趣味は何ですかね。
長池涼太:
趣味ですか。趣味はメダカ飼育ですね。メダカ飼育を10年ぐらいやっていまして、水槽が僕の部屋に三つあってその中でメダカをメインにあとはエビとか貝とかも一緒に飼ってるという形ですね。
qbc:
その他何か趣味にあります?
長池涼太:
趣味ですか。あとはドライブですかね、車を持ってて、そんなに遠出はしないんですけども、水戸市内とか車でぶらぶらしてるってことはあります。
qbc:
なるほど。その会社を辞めてって言ったらいいんですかね。独立して働くようになってから何年目ぐらいですか?
長池涼太:
開業してから5年ですね。2019年6月に開業届を出しています。
qbc:
そっからはいわゆる会社勤めをしてない?
長池涼太:
会社に勤める形はもうそこからはずっと、開業してからはしてないですね。
qbc:
今どんな気持ちで普段生活過ごされてますか。
長池涼太:
不安とは違うんですけど、フリーランスって会社員と違って、毎月20万が入るみたいなそういう形ではなくて、稼げるときは稼げるし稼げないときは稼げないって感じで。金銭面とか生活への不安は抱えてる、そういう不安は常につきまとうかなってのもあり。
逆にフリーランスになったことで、会社員のときよりは自由が利くようになったかなって感じもあるので。だから自由っていうメリットとその金銭面の不安定さっていうデメリット等の狭間というか、その二つが常につきまとうような気持ちというか、そういう気持ちがなってますね。
qbc:
サラリーマンを辞めたきっかけってなんだったんですかね。
長池涼太:
サラリーマンを辞めた。僕が最後にサラリーマンをやったのが農業法人だったんですけども、ただそこが僕が技術的に及ばない部分もあったんですけど、入社3週間でクビになっちゃいまして。
クビになる際に社長にも罵詈雑言言われて、一番覚えてるのが、30分人格否定をぶっ続けでされた最後の方で、「お前は価値のない人間だ!」って社長に言われたんですけども。それがすごく心に残ってて。
農業を辞めてから、またハローワークに通い始めて転職活動は職業相談とかはしてはいたんですけど、社長に言われたお前は価値がない人間だって言葉がすごい引っかかって。正直その頃は働くこと自体がトラウマになっちゃって、表面上転職活動はしてたんですけど、会社員として働くこと自体が怖くなっちゃった部分はありまして。
qbc:
いつぐらいのときだったんですか。
長池涼太:
そのクビになったのが27歳のときですね。
qbc:
27歳。今から何年前?
長池涼太:
今から8年前ですね。
qbc:
その開業届を出す前にブランクがある感じですかね。
長池涼太:
そうですね。ブランクが。クビになってから3年ですかね。だから。
qbc:
なるほど。ハローワークに通われてってことですね、当時は。ハローワーク通われてどんな感じだったんです?
長池涼太:
まずは職業相談という形で僕にどんな職種や業種が向いてるかみたいなことをハローワークの職員と相談する。当時20代ってこともあって、異業種とかもまだ大丈夫とハローワークから言われていて。
求人とかも紹介はされていたんですけど、農業をクビになったときの社長から言われたお前は価値のない人間というのがすごい頭に残っていて、求人は当時も応募しようと思えばできたんですけど、それよりもトラウマが勝っちゃった感じで、当時はひたすら職業相談をやってるだけみたいな感じでしたね。
qbc:
はいはい。つまり3年間ずっとってことです?
長池涼太:
ハローワークに通っていたのが、クビになってから3ヶ月か4ヶ月ぐらいでして。今の涼しく生きるってブログを始めたのが、クビになった2ヶ月後ぐらいでして。ちょうどハローワークに通っている途中ぐらいで、今のブログを始めたっていう形なんですけども。
当時たまたまネットを見ていたら、インフルエンサーのブロガーの方がツイッターに当時いまして、その方が自分と同じような経験をして会社を辞めて、ブログを始めた方がいまして。その方がそのブログで稼いでブログで食っていけるようになったみたいな話をしてるのを見て。
ブログを始めて2ヶ月後ぐらいにそのブロガーの方が東京でイベントをやるというので、僕も行ってきて。その方のブログの話をいろいろ聞いたときに、自分もブログで食っていきたいなみたいな感じが当時芽生えてきたので、それがクビになってから4ヶ月後5ヶ月後だったんですけど、その段階でブログに本腰を入れようと思って、ハローワークに通うのもそこで1回止めちゃって。それからは、今のブログに注力し始めたという感じでした。
クビになった翌年2017年なんですけども、茨城県の坂東市に当時リバ邸茨城(現いろり邸)っていうシェアハウスが当時できまして。ブログをやってた中でリバ邸茨城の関係者と繋がることができました。
立ち上げ当初で住人を募ってる状態だったんですけど、シェアハウスに何度か通ってるうちに僕は当時はブログが食べていくまでは程遠い状態で、転職活動もハローワークに行かなくなって滞ってる状態だったので、「1回ここで環境変えて頑張ってみようかな」っていう気持ちが芽生えたんです。クビになった1年後に、坂東市のリバ邸茨城っていうシェアハウスに移住してそこから約半年ほど坂東市に住んでいた時期がありました。
ちなみに坂東市のシェアハウスで何やってたかというと、坂東市って高齢者が多い地域で「若い人が欲しい」とか「力作業とかいろいろ手伝ってほしい」っていう形で僕は当時29歳だったんですけども、結構仕事はいただけて。
例えば農作業の手伝いとかお祭りの屋台の手伝いとか、あとは台風が来た後に保育園の屋根が落ち葉とかでめちゃくちゃ汚れちゃったらしくて屋根の掃除を頼まれたりなどの単発のアルバイトをシェアハウスにいた半年間やってきました。
農業でクビになったトラウマがあって働くこと自体がトラウマになった状態は継続してたんですけども、単発のアルバイトを繰り返す中で、仕事をくれた方と直接やり取りすることが多かったんですけど、「ありがとうございました」って感じで感謝される機会が多かったもので。自分って役に立たない人間なんだっていう自己否定に入ってる期間が1年以上あったんですけど、シェアハウスの単発のアルバイトを通じていく中で、徐々にそういった劣等感とか自己否定感みたいなものもなくなってきて、シェアハウス卒業する頃にはだいぶトラウマも晴れてきた状態まで持ってこれたので。
また水戸戻って頑張ろうって感じで、シェアハウスを卒業して水戸に戻ってきたのが2018年の年明けでした。
qbc:
はい。
長池涼太:
戻ってきた2018の年明けはまだブログだけでやってたんですけど、ブログで食べていくまでは稼げていなかったので。
塾講師を正社員でやってて、塾講師時代の貯金を切り崩して生活はしていたんですけど、2018年の春先の段階で貯金がもうだいぶやばくなってしまいまして。
お金が本当になくなりそうな状態になっちゃって、さすがにまずいと思ったので水戸のいろんなイベントに参加して知り合いを増やしていってた状態だったんです。Facebookで繋がってる方が多かったので、Facebookで「仕事ください」みたいな投稿をしまして。ありがたいことに数名からお仕事を単発ですけどいただけたりとか、1人がラーメン屋のアルバイトを紹介してくれました。そのラーメン屋も僕も行ったことがあって、ラーメン屋の方と顔見知りだったので一応形式上面接はしたんです。
結局人員が足りて大丈夫だってなって、ラーメン屋で働くことは流れちゃったんですけど。その代わりそのラーメン屋の店主の麻雀仲間の中の1人が運転代行の事業をやってる方で、その運転代行の方が逆に人が足りなくて探してるって話をしていて、ちょうどそれが僕の面接のすぐ後だったので僕の名前を運転代行の人に出したら、その運転代行の人が僕の学生時代の同級生だったということが判明しまして。
運転代行のやってる同級生と連絡を取って近所のファミレスに待ち合わせをして、運転代行の話を聞いて僕は運転代行の仕事としては未知だったんですけど、同級生も結構気遣ってくれるという形だったので、僕は「やります」って即決して、それが2018年の5月だったんですけども、そこから約1年その運転代行でアルバイトをすることになりました。
qbc:
はいはい。
長池涼太:
ちょうど運転代行のバイトを始めたぐらいから、ブログのアクセスと収益も増え始めて両方がうまく回り始めたというような形で。
翌年2019年の4月に運転代行の事業をたたむっていうことになっちゃって、バイトはなくなったんですけども。ただ、ちょうどその頃はブログがブログ単体の収益と一番そのときは全盛期というか、ブログだけでも何とか回るぐらいには稼げるようになったのでそのまま4月5月とブログだけでやっていって、2019年6月に開業届を出して正式にフリーランスになったというそんな流れですね、開業までは。
qbc:
はい。フリーランスの意味が違ってますかね。どうでもいいんですけども。フリーランスはデザイナーとかが契約するみたいな技術で契約するみたいなやつなんて、そこで私が誤解してしまいました。
長池涼太:
でもそういうところはちょっと違うかもしれないですね。デザイナーとか会社とかどこからか何か仕事をいただくというか。
qbc:
そうそう。基本的に業務委託契約でやってるのがフリーランスですね。
長池涼太:
そうですね。そういう意味では違いますね。ブログはもう自己完結というかそういう形なので。
qbc:
完全に個人事業主さんですよね。
長池涼太:
そうです。ちょっと言葉のあれが若干なんですけど。
qbc:
その相談する相手っていうのは、当時から最初のパワハラ、農業辞めたときから相談する相手っていらっしゃったんですかね。
長池涼太:
相談は・・・でもその高校時代の先輩とか、あと先生が結構相談とか、そういう話はしてましたね。
qbc:
信用回復に至るほどではなかったんすよね、相談っていうのは。
長池涼太:
何に至る。
qbc:
自信を回復したかったのかなと思ってるんですけども、相談することでその自信の回復っていうのは得られたのかなと。
長池涼太:
クビになってからってことですか。
bc:
はい。
長池涼太:
クビになってからは、でもそこは逆に相談というよりも、何だろうな・・・でも相談か。一応相談はしてはいましたけど、別に何か直接的にどうこうなるというか、そういう感じではなかった。なかったと言ったらあれですけど、自信を取り戻すところはシェアハウスのほうが逆に大きかったかなと思いますね。
qbc:
そうですね。ブログで影響を受けたブロガーさんって誰なんです?
長池涼太:
あんちゃさんという女性のブロガーがいるんですけど、その方のブログを見て始めたのがきっかけでした。
qbc:
なんだろ途中の話聞いてないからですけど、なんで急にブロガーっていうふうになったんすね。ブログでいけるっていうような感覚になったんですかね?
長池涼太:
自信に関しては今思うと浅はかな部分が正直あるんですけど、あんちゃさんととかもクビになったではないんですけど、会社員時代に僕に近い苦労はされていたらしくて、その辺に親近感を覚えたってのは大きかったかなという感じでして。イベントもあんちゃさんのだったんですけども、そのイベントに行ったのがきっかけでブログに専念したって感じだったんです。
僕元々学生時代もミクシィとかで文字での発信はずっとやってたんで、文字媒体で書くってのは慣れていたので、そのベースがあって謎の自信は今もっとあったのかなと思います。
qbc:
ありがとうございます。性格って周りの人からなんて言われたりします?
長池涼太:
僕の性格ですか。そうですね。内気とか地道に物事をやる人みたいなことはよく言われますかね。
qbc:
自分ではどう思っていらっしゃいます?
長池涼太:
でも多分自分もそこは似たような感じで、やっぱりこれまでの人生振り返って、何か一発当てるみたいな経験ってほとんど記憶になくて。あくまでも小さいことをコツコツ積み重ねていって、気がついたら大きいことをやり遂げてるみたいな感じでいつもやってたので。そこは他人から言われることと自分が思ってる自分のことは割と一致して。
だから僕も座右の銘が、塵も積もれば山となるっていうのを公言してるぐらいなので
、そういう感じでコツコツやるとか真面目にコツコツやるってことは大事にしてますし、それは実際他人からも言ってもらえるかなと思います。
qbc:
ということは、ブロガーになったっていうのは。そんなに大きな転換点っていう感じはご自身ではないことですよね。急にブロガーっていうところにトライするわけじゃないすか。
長池涼太:
はい。そうですね・・・ブログ。転換点ですけどなんか気がついたら初めてだとか、そういう感覚。
qbc:
逆に今やってることとガクッと感じじゃなかったってことですかね。
長池涼太:
でもそういう感覚かもしれないですね。
qbc:
変わった?変わってない?
長池涼太:
変わったというのは?
qbc:
例えば、急に日本のサラリーマンが明日からオーストラリア行ってくるわって言って行ったら急に環境が変わりますよね。
長池涼太:
そうですね。
qbc:
長池さんの場合は、例えば全くオンラインで書いたりすることがないのに、急にオンラインで始めたら、急に変わったなっていう感じがする。ブロガーになるっていうことは長池さんなんでそんなに大きい変化があったわけではないのかなと思っての今の質問ですね。
長池涼太:
生活環境は全く変わってないですね。ずっと実家暮らしなので。生活リズムがそれで変わったとかもなくて、生活の一部にブログが加わったぐらいな感覚なので。
確かにブロガーになったからそんなに大きくどうってのはそうないかもしれないですね。
qbc:
家族、パートナー、親友など身近な人から言われる性格の一面とかありますか?
長池涼太:
性格。でもやっぱり穏やかとか内気とかがやっぱり多いですかね。そういうニュアンスが。
qbc:
あんまり変わらないですかね、自分でも身近な人でも距離のある普通の人たちでも。
長池涼太:
そこはたぶん変わらないと思いますね。
過去:転換点。でもやっぱり農業クビになったところですかね、僕の中では。
qbc:
子供の頃はどんな子供でしたか?
長池涼太:
子供の頃は、やっぱり結構内気だったのは昔も今もずっと変わらないなって感じで、今と比べると子供の頃より人見知りが激しかったかもしれないですね。
僕は今水戸に住んでるんですけど、幼稚園の年少年中と栃木に住んでて、そのときは家から幼稚園のバスで通園していたんですけど結構泣いてたような記憶はあったりしますし、小学校とかも友達はいましたけど、あんまりガツガツ話すタイプではなく、むしろ結構無口な方だったので。当時は喋るというかコミュニケーションが苦手な部分はあったのかなとは思いますね。
qbc:
どんな苦手意識だったかって覚えてます?
長池涼太:
今もあるかもしれないんですけど、「自分がこう言ったら相手はどう思うだろう?」みたいなことは常に考えていましたかね。逆にそれで本来は言った方がいいようなことも言えなかったりとかってのもあったかもしれませんね。
qbc:
小中高ってどんな過ごされ方をしたんですかね?
長池涼太:
小学校は学校に行って友達が結構いたので友達とゲームをするか、あとはたまに外で野球したりとかはしてるって感じでした。あとは小・中学生の頃は、塾2回と習字水泳が1回で週4回習い事はあったので友達とも遊び習い事もやってるような過ごし方っていう感じで。
中学校は塾だけはなったんですけど、塾は週2は継続で中学校は僕テニス部に入ったんですけど、テニス部が僕が2年生になるときに、元いた顧問が異動で別の学校に行っちゃいまして別の先生が新しくテニス部の顧問になったんですけど、その顧問に変わってから部活の空気が一気に悪くなっちゃいまして。
当時ぎりぎり体罰があったもので、僕はやられてないですけど部長が殴られたりこづかれるみたいなことはあったりしましたし。常日頃顧問が怒ってるみたいなそういう感じだったので。
中学校は部活抜きだったら普通に楽しかったんですけど、部活がそういう感じで空気感もすごい悪かったので、学校には普通に行ってたんですけど部活に行くのに関しては正直苦痛というか、行きたくないなと思いながらずっと行ってたようなそういう感じでしたね。
逆に中3の6月で部活は引退してそこから高校受験に専念するんですけど、部活が終わってからは、逆に友達と遊ぶ時間が部活がなくなったことで増えて、部活を引退してから受験までが結構楽しかったですね。
高校から私立になったんですけど、僕も高校受験する段階で、中学校から高校行くにあたって環境を変えたいという思いがあったので、同じ中学校の人があんまり行かない私立高校二つを受験しました。私立でお金がかかるので、親からは「学業特待生で受かったら県立受けなくていいよ」と言われたので、それで私立の方で頑張って、二つ受けたうちの片方が本当に学業特待生で受かったので、私立が終わった段階で県立受けずにその私立の高校に入学するってことを決めたという感じで。
高校に入ったら、最初のクラスは同じ中学校の人が1人もいないクラスだったので、本当にガラリと環境は変わった感じだったんですけども。最初の友達が1人できるのに時間がかかったんですけど、できてからいろんな人と仲良くなって、高校生活も全般的に楽しかったなと思いますし。
あとは1年生の2学期から演劇部に入ったんですね。なので2学期以降は勉強と部活の両立をやりながら、忙しい日々を過ごしていたんですけど。勉強も部活もありって感じで充実していたなって感じもありますし、大学も行くんですけど、高校が一番僕の中では一番楽しかったし、思い出はあるって感じは今もしてますね。
qbc:
農業の前に2社経験されてるっていうことだったんですけど。
長池涼太:
農業の前は、僕が大学を出たのがちょうど東日本大震災のときでして、リーマン・ショックもあって就活がかなり苦しい時代だったので、僕も卒業するときに内定ないまま卒業しちゃったんですね。卒業してから就活を続けていたんですけど、その中で入ったのが建設会社の事務だったんです。
紹介予定派遣という形で入って働いたんですけど、そこは農業ほどあからさまではなかったんですけど、上司の圧がすごくて、それで2ヶ月で辞めちゃったという感じでした。建設会社を辞めてからまたすぐ就職活動を再開してその後入ったのが学習塾でした。
学習塾は11月入社って中途半端な時期だったんですけど、学習塾に入ってから4年ちょっと、2011年の11月にその塾に入社して、2016年の2月までこれも正社員で勤めたという感じでしたね。
qbc:
なるほど。ご自身の人生の転換点って言ったらどこに置きたいですか。
長池涼太:
転換点。でもやっぱり農業クビになったところですかね、僕の中では。
qbc:
なんでシェアハウスですんなりって言い方あれですけど、めちゃくちゃ上手くいったっていうような感じのストーリーで聞いたんですけど、なんでそんなに一般企業駄目だったんすかね。
長池涼太:
そうですね。
qbc:
合わないわけですよね。
長池涼太:
会社員というか、その会社も今思うと合わなかった。僕にも非はあるんですけど、合わなかったなって感じはありますけど。
qbc:
会社員なのか、その会社なのかって言ったらどっちだと思います?
長池涼太:
僕は多分その会社とは思ってるんで。僕は正直、機会があればまた会社員はやりたいと思ってます。
qbc:
そうなんですね。
長池涼太:
別に特に転職活動するわけじゃないんですけど、全然機会があれば。話がもしそういういい話があれば全然前向きに考えたいと思っててますね。
qbc:
何が良くなかった?その会社っていう言い方もあれかもしれないですね。その上司ですよね。
長池涼太:
そうですね。
qbc:
っていう感じだったんですよね、話は。
長池涼太:
そうですね。建設会社は総務部にいたんですけど、総務部で係長とか課長とか上司はいたんですけど、僕の中では面接の段階で若干合わないのかなって思った節も実はあって。面接担当がその課長だったんですけど、僕は1988年生まれなんで『ゆとり世代』なんですね。その課長と面接したときに多分本人はそんなに深い意味は多分なかったと思うんですけど、ゆとり世代を馬鹿にするような発言があったので、そこに違和感を覚えたのはあったんです。
qbc:
とはいえ、説教されるのは関係ないもんね。合わなかったらごめんねっていうのは、双方あると思いますけど。
長池涼太:
あとは建設会社が事務だったんですけど、今考えると思うんですけど、事務自体が自分自身があんまり合わないというか、僕に適性が多分なかったのかなってのは当時はわかんなかったんですけどそれはあるかなとは思いますかね。
未来:いろんな人と出会って、その中で自分を認めてくれる人とか、そういう人との出会いをどんどん積み重ねていきましょうっていう感じですかね。
qbc:
未来ですね。5年10年30年、最後自分が死んでしまうっていうところまでイメージをして、今未来どういうふうにイメージができますかね。
長池涼太:
別にフリーランスに固執するつもりもないので、フリーランスも続けると思うんですけど、もしかしたら10年後は普通に会社員をやってる可能性もあるかなとか思ってますし、それともこのままフリーランス1本でやっていくのか二つのイメージは今んとこあるかなって感じで。
僕が未来を考えるときってあんまりなんか収入がどうだとかっていうのは本当は考えた方がいいんですけど、あんまり考えないというか優先順位が低くて。それよりは今もその仕事で付き合いある方とかがやっぱりいるんですけど、いかにそういう人と長く良好な関係を築けるかなみたいなところは、常に考えてるかなって感じですかね。
qbc:
あとはどうごめんなさい、人間関係を優先してるって言い方ですかね。
長池涼太:
そうですね。
qbc:
ありがとうございます。言いかけたもの、どうぞ続けてください。
長池涼太:
今僕は独身なんですけど、結婚願望は別にないわけではないので、結婚して子供ができてとか普通にあるというかそういうことも未来の時間では考えられるかなとは思ってるので。
僕の周りで結婚願望ある人ない人が割とわかれてるようなイメージがあるんですけどやっぱり結婚否定派の意見も聞くことがたまにあるんですけど、僕はあんまりそういうタイプじゃなくて、普通にいい相手というか機会が全然結婚とかには前向きなので。そういうところもぜひしておきたいなというかそこら辺も前向きに一応考えてるとこですね。
qbc:
なんかどんな人がタイプなんですか。
長池涼太:
タイプというか合いそうというか僕自身がそんなにガツガツ喋るタイプとかではないので。これも周りの人によく言われるのが、僕はどっちかっていうとリーダーとかボス的な人よりもボスの右腕みたいなポジションのほうが向いてるみたいなことも言われることが多いので。
僕のイメージは、自分と同じような感じであんまり喋らないようなタイプだと逆にお互い気を遣うのかなという考えもあるので、個人的には結構喋るタイプの女性の方が逆につきやす付き合いやすいのかなというイメージはありますね。
qbc:
ご両親からどのように育てられたと思っていますか。
長池涼太:
親からは「○○大学行きなさい」とか「就職で大手に行きなさい」のような口出しは全くなかったです。大学から就職するときも僕は茨城での就職しかほぼ考えてなかったんですけど、別に東京でもいいみたいな感じだったんで、進路的なものは一任されてました。
今思うと子供の頃ももちろん一般常識的なことは言われたんですけど、そんなに変に口出しされたってのはなかったので、いい意味で放任主義な親だったのかなと思いますね。
qbc:
ありがとうございます。もしもの未来っていう質問をしてましてですね。もしも、農業がないパワハラ上司ではなくブラックではなかった場合、どんな人生だったと思います?
長池涼太:
そのさっきのクビになったところのとこですかね。
qbc:
いい上司だったとしたら。
長池涼太:
実は農業に転職するにあたって、僕自身が大学で農業を専攻してたのもあるんですけど、農業で独立という願望もあったんですよね。
農業はある程度働いて独立するってパターンが多いらしいんですけど、僕もいずれ自分で農業をやろうかなって思いもあったので、もし僕が行った農業が特にハラスメントとかもなく平和に行ってれば独立したかわかんないですけど、長く農業はやってたのかなと思いますね。
qbc:
独立はしなかった?
長池涼太:
独立はしなかった。
qbc:
自分の一番幸せな瞬間ってどんなのかみたいなのってあります。
長池涼太:
自分が一番幸せな瞬間。
qbc:
この瞬間が幸せなんだみたいな。
長池涼太:
答えになるかわかんないんですけど、逆のイメージで言うと僕はすごく忙しい状態ってのが嫌いというか苦な状態でして。例えば会社員のとき塾のときとか特に仕事が謎に多かったので、会社員なので多少しょうがない部分もあるんですけど、尋常じゃない仕事量だったので、それこそ家でももうずっと仕事してるような状態。休みが少ない上に。そういう状態が自分の中で一番なんかきつかったってのはあるので。逆に今は今で金銭的な不安はありつつ、当時よりは幸せというか、そういうふうに思えてるのはフリーランスとしていいかわかんないんですけど、いい感じに暇というか、空白の時間が多少なりともある。
何もない時間とかに幸福感とかそういう感覚を覚えるタイプなのかなと思いますね。
qbc:
なるほど。収入に関係なく書きなよって言われたらどんなことを書くんですか?
長池涼太:
それはブログでってことですか。そうですね。収入関係なく。
qbc:
パトロンがついて何でもいいよ。あなたの書くものなら月これぐらい払うよみたいな。アクセス権ついて1円払うよみたいな。広告つけなくてもね。
長池涼太:
多分本当にお金のことを度外してもし何か書くってなったら、多分日常で感じたことを書くみたいな感じですかね。日記みたいな。
今も日記になるとこはあるんですけど、今はブログなので働き方に関する発信が多いんですけど、本当に何も考えずであれば普段の例えばここ行きましたとか。そういえば趣味でカメラもやってて、一眼レフのカメラを持ってるんで、たまに公園とか自然の多いところで写真撮ったりはしてるんですけど。行った先々の写真撮って、何かこういう生き物いましたみたいな、多分そういう本当に典型的な日記みたいのは多分書くのかなと今思いました。
qbc:
なるほど。そっちの方が幸せですか、人生。
長池涼太:
だと思います僕は。
qbc:
今やってること全部の生活と、好きなことだけ書いてる生活だと好きなことだけ書いてていいよの方が幸せですかね。
長池涼太:
そうですね。書きたいことを書ければそれが一番ベストかなというか。今のブログも結構自由にやってるつもりではあるので。今のブログも割とさすがに例えば過去の勤務先出すとか、それは駄目だと思うので、もちろん最低限のルールとか常識は弁えて書いてはいるんですけど。
ブログだと、こういうテーマの方が稼ぎやすいというのも多少あるので、そこら辺を常にと考えてやってる部分がある点では、確かに日記的なものだと頭に出たものを書けばいいと思うので。その点では確かに本当のザ・日記みたいな方が幸せというか、ストレスはより少なくなるかなって思います。
qbc:
ありがとうございます。最後の質問は最後に言い残したことはっていうので、インタビューの、終わっての独り言でもいいし、遺言でもいいし、読者メッセージでもいいです。最後に言い残したことがあればお伺いしています。
長池涼太:
僕が実際そのブラック企業で農業で「お前は価値ない人間だ」って言われてすごい自信をなくして、精神的にどん底に落ちた時期があったんですけど、でもシェアハウスのアルバイト中はいろんな人から感謝されるという経験があったので。会社とか一つの場所で何か価値がないとか、すごい変なこととかすごい何かディスるようなことを言われたとしても、別の環境とか別の人と関わると、評価が一転するってことは、僕はあると思ってます。
なので、特に今何か会社に限らないんですけど、自分の周りの人に評価下げるというかディスるようなことを言われてるような人は、自分を認めてくれるような人との出会いっていうのは、大事だと思うので。
僕も実際その学生時代の先輩や先生とか、シェアハウスとか今のフリーランスの生活もそうなんですけど、やっぱり周りの人があって成り立ってる部分は結構あるので。
いろんな人と出会って、その中で自分を認めてくれる人とか、そういう人との出会いをどんどん積み重ねていきましょうっていう感じですかね。
あとがき
ブラック怖いのう、怖いのう。
【インタビュー・編集・あとがき:qbc】
【編集:さりあ】
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