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まちづくりを学んでいる学生の人

去年の末、議員秘書になるべく議員会館にしのびこみ、職歴うんじゅうねんの社会党系出身の先輩秘書につれられて国会議事堂を案内してもらった私qbc。
ベンチャーまるだしIT会社員だった私はスーツ、ネクタイ、全捨て人間で、っぽく見えそうなユニクロの黒いストレッチプルオーバーに千鳥格子のジャケット、靴はクラークスのデザートブーツ(色はボルドー)を履いていく。
国会が始まる前で、静かな議事堂だった。
私は東京生まれで、小学生か中学生の時にも、いちど来たことがあるのだと思う。
議員の地元の駅でビラ配りもした。数か月前の自分だったらもらうのを拒否ってたビラを配るほうにまわっている。年を取っている人はビラを受け取るし、若い人は受け取ってもらいにくい。
と、まあ、まちづくりのことを考えたり、より良い政治なんかをするかもしれなかった機会を逃した結果、今、ここにこうして無名人インタビューを一生懸命している私がいる!!!
とまあ、議員秘書職自体は、ふつうに求人募集しているので興味のある方はお探しくださいねー!!
ということで無名人インタビューはっじまっるよー!!!(主催:qbc)


今回ご参加いただいたのは 塚本健太 さんです!

現在:端的に言うならば学生なんですけど、その中で、まちづくりを学んでいる人間、っていうのが自分の中ではコアにある

ナカザワ:今、何をしてる人ですか?

塚本:何をしてるか、それがすごく難しいところなんですよね。私がやってることを簡単に取りまとめたホームページがあるんですが。
端的に言うならば学生なんですけど、学生として学んでいる中には六つの柱があって、それがそのホームページに書いたような形かなと思っています。

About me…6つの柱
1,都市計画・まちづくり
2,鉄道
3,博物館・美術館/学芸員
4,伝統工芸
5,ジェンダー
6,ピアノ
(ホームページから抜粋)

塚本:その中で、まちづくりを学んでいる人間です、っていうのが自分の中ではコアににある感じですね。派生としてまちの中にある博物館とか、まちにおける人々の営みとしての工芸であったりとか、まちでの人の関係性としてジェンダーであったりとかっていうのにつながっていくのかなと。やはり根本にはまちっていうのがあると思っています。

ナカザワ:6つのうち、一番大きなところでいくと、一つ目に挙げていただいてる都市計画、まちづくりなんですね。

塚本:今は都立大の学部4年生で、来年の春から一橋大学の大学院に入ります。今は数理的な解析をやっているんですが、春からはもっと社会学的な、質的な手法で、まさにこういうインタビューを使いながらの研究になります。そういったやり方で都市に対しての課題を見ていきたいな、なんていうふうに思っています。

ナカザワ:数理的な解析っていうのは、具体的にどういうデータを扱っているんでしょうか?

塚本:今私自身がやってるのは、高経年マンションっていう、いわゆる古い、築30年以上のマンションの研究なんです。
古いマンションがどんどん増えてきている中で、住民の人たちも高齢化して、うまく建て替えができないとか、住民の入れ替えができないっていうのが今の日本全体の課題なんです。
それに対して、国でも建て替えを促進する制度をつくったり、マンションを建て替えやすくするような仕組みをつくったりしてはいるんですが、やっぱりなかなかうまくいっていなくて。
それは、住んでる人の視点が足りてないんじゃないか、と。

国がどんなに建て替えてよって言っても、実際に調査してみると、建て替えたいと思ってない人が大半だった、というようなことが意外とあるんです。そこがちゃんと把握できていないので、網羅的に調べようというのが今やっている研究です。
東京23区の中からいくつかの区を対象に、こうした高経年マンションの住民へアンケートを配布しています。返ってきたアンケートを統計的に解析することで、どういうふうに住民の方たちの考え方の傾向を調べよう、という研究をしていますね。そういう意味で数理的な手法を使って、統計的な感じでやってるっていう感じですね。

ナカザワ:使う数値としてはビルの設計の数値データではなく、人の意識とか考え方のデータなんですね。

塚本:データを集めて、それを分析・解析することによって、国が考えてることと、住んでいる人たちが考えていることと、何がギャップなのか? っていう。
そのギャップが埋まってないからうまくいってないということだと思ってるので、それをちゃんと解明するために今研究させていただいてるっていう感じです。

ナカザワ:6つの柱のうち、一番コアなところは今の話かなと思うんですけど、何でこの6つなんでしょうか。
ぱっと見たときに、本当に興味がいろんなところにあるんだなって思ったんですけど。

塚本:自分が在籍しているところが東京都立大学の都市政策科学科っていうところで、いわゆる学際的な学科なんです。
僕自身今お話した通り、数理的な手法を使っていますし、しかも都市計画という一般的には建築的な領域の中で考えられてる、ザ・理系みたいな分野ではあるんですけど、出身は文系なんです。

元々都市に対して広く興味があったと思います。今中心としてやってることは確かに都市計画、まちづくりなんですけど、そこに繋がるきっかけというのは、鉄道が大きいですね。僕が鉄ちゃんなので。笑
ちっちゃいときから電車が好きで、元々は電車のエンジニアであったり、車両とか、そういうところにすごい興味があったんですけど。それだけではなくて、日本って鉄道の駅ができたことを起点に構成されるまちがあるじゃないですか。自分の住んでるところがそういう街だったので、鉄道をコアに広がる街ってどういうことなんだろうな、みたいなことは考えてました。
城下町だと城が中心で、例えばヨーロッパとかだったらそれこそお城を中心にまちができていくと思うんですけど。
日本では鉄道っていうのが都市の発展におけるひとつのキーワードになっている。特に高度経済成長期の東京とか。駅ビルとかも日本特有で、駅を中心に街が発展していくっていうのってどういうことなんだろうなって思ったことをきっかけに、都市ってどういうことなんだろうみたいなところから、まちづくりに入っていったんです。

あと、博物館、美術館のところと伝統工芸にも興味があるんですが、これは大学入ってから知ったものですね。
元々自分は教えることが好きで、最初、教員免許を取ろうかなと思ってたんですけど、入学してから、自分の学科では教員免許を取れない、ということに気づいたんですね。だけど学芸員は取れる、それだったら取ってみたら面白いんじゃないかと思ったんですよね。
そんなだったので、最初は博物館とかもあまり興味なかったですし、とくに美術館は元々僕は美術がすごく嫌いで、全然興味がなかったんです。
ただ、たまたま学芸員のための授業を取ってみたら、みてみるっていうことも結構面白いということに気づき始めて。そこから美術館、博物館とかをよく回るようになりました。3番目のところに書かせてもらったこれぽーとっていうとこでレビューを書いたりとか。

▼これぽーと

▼ウェブ版美術手帖
「100人の読者より100人の書き手を。代表・南島興と執筆陣が語るコレクション展レビューサイト「これぽーと」の思想」

塚本:あとは伝統工芸、美術館の中でも伝統工芸を専門に扱っている美術館があるので、そういったことを発信してたらそのご縁で工芸学生アンバサダーとらくらに繋がったりとかですね、そんな感じで広がっていったっていうことがありますね。

▼とらくら
https://mobile.twitter.com/TCDC_torakura 

ナカザワ:なるほど。

塚本:最後のジェンダーに関しては、都市政策に関連して、福祉の領域の勉強をしたときに、改めて男女差に気づいたことがきっかけのひとつなんですが、それに加えて高校時代に、性教育で知りたいことが知れないっていうモヤモヤとしたものを持ってたんですよね。
大学に上がって自分でいろいろ調べてみると、日本の性教育ってやっぱりこういう歴史があったんだなとかそういうことを知って。
それで、調べてみたいなと思ったときにたまたま見つけたのがこのセックスミュージアム設立準備委員会というものです。ホームページを見ていただくとわかる通り、学術的なバックボーンがあって、設立された方も社会学修士を持っていらっしゃる方なんですよね。元々ジェンダーに関する研究をやってた方で、性に関しての学術的な博物館が一切整備されてない現状を見て、日本にも作ろうと進めてるんです。
ここだったら面白い資料もたくさん集まってきそうだし、自分も学芸員課程を取っているので、資料保存とかで力になれるんじゃないかと携わり始めたのが今の博物館です。

▼セックスミュージアム設立準備委員会

塚本:そういったところでもいろんな繋がりができて、実際に同世代向けの性教育とかピアサポートっていうのを実際やってみよう、とお世話になってるのがこのユーステラスの学生アンバサダーだったんです。
確かに、羅列するとわかりにくいんですけど、軸としてはやっぱり、まちの中で起こる様々な物事を興味ごとに引っ張っていったら芋づる式にいろんなものがくっついて今の状態になっているんですよね。

▼Youth Terrace

ナカザワ:盛りだくさんですね。今一番やっていて楽しいのはどの活動ですか?

塚本:うわー難しいですね。自分が今、前線で活動してるのは、鉄道×まちづくりっていうところで、寒川町鉄道保存会があります。
そちらは今自分の方で代表をやらせていただいていて、実際に寒川町の公園に保存されている、廃線跡を活用していこうと、町や観光協会、鉄道会社とかいろんな全国のところと連絡を取って、お話聞かせてもらいながら少しずつ進めているので、それは結構力を入れてるのかなあと。
もう一つは、まちづくりという文脈では語られないことが多いと思うんですけど、街の中にある美術館の姿というか、美術とは異なる文脈で語られる美術館とか博物館があると思ってるので。直近の8月28日に多摩美術大学美術館とかレビューを書かせていただいたりとか。結構そうですねこれも最近、今、という意味では結構やってるかなと思います。

▼寒川町鉄道保存会(会員募集中です!!興味ある方ぜひご連絡下さい!)

過去:中央線の上にかかっている橋で電車を見てる時間の方が公園で遊んでる時間より長かった子どものとき

ナカザワ:今はいろんな興味をもっていると思うんですけど、どんな子ども時代でしたか?

塚本:母親とかに聞くとすごい静かな子どもだったと言われることが多くて、自分自身そうだったと思うんです。
今では前線に立って引っ張っていくことが多いんですよね。例えば部活とかサークルでも代表者とかをやる機会も多いですし、自分がTwitterとかInstagramで発信することも多くなってます。
ただ小さい頃は全然そうじゃなくて、変わってないのはピアノを弾いてることと、電車が好きなぐらいかなと思います。

ナカザワ:ご自身は静かだったなって自覚ありますか?

塚本:ありますね。例えば、ちっちゃい子だと公園とかで結構走り回りたがる子が多いじゃないですか、けど僕はどっちかというと砂場で遊んでいたいタイプでした。自分で滑り台登るの嫌、高くて怖い、とか、ブランコ揺れるの怖いから嫌、みたいな。アウトドアかインドアかっていったらめちゃめちゃインドアです。
あと、うちの近くにJR中央線が走ってるんですけど、中央線の上にかかっている橋で電車を見てる時間の方が公園で遊んでる時間より長かったというふうに母親から言われてます。好きなことにはとことんのめり込むんですけど、友達と遊ぶというよりは1人で楽しむ、みたいな。そういうところがあったのかもしれないですね。

ナカザワ:ちなみに出身は東京ですか?

塚本:そうですね、東京の国分寺です。今も住んでいて、多摩生まれ、多摩育ちです。結局、大学も大学院も多摩ですし。もうちょっと都内の方が美術館が充実しているのでいいなと思ったりするんですけど。たまたまですけどね、なんかそういう感じになっちゃってます。

ナカザワ:静かな子供だったっていうところから、今では前に立っているじゃないですか。そこに至るまでに変化とかってあったと思いますか?

塚本:そこでキーワードになってくれたひとつがピアノだと思っています。5歳からピアノを始めたんですが、元々ピアノ始めたのも、親が通わせたかったからとかそういうわけじゃなくて、僕自身、言葉の発育がすごく遅かったことがきっかけなんです。
3歳児健診のときに、健太くん言葉の発育が遅いから要経過観察です、と言われたぐらい遅かったんですよ。連語が喋れなかったんですね。
それで親が心配して、リトミックに最初連れてってもらったんです。リトミックっていうのは音楽に合わせてスカーフを揺らしたりとか、フラフープを使って音楽を表したりするものなんですけど。
まず音楽の力で表現できるようになってほしい、みたいなきっかけで行かせてもらって。そのあと喋るようになって幼稚園も入って、ちょっと落ち着いたぐらいに、ピアノを始めたのが5歳ぐらいだったんですけど、まだその当時はまだ全然静かな子供でした。

なぜそのピアノがきっかけになったかというと、その後小学校に入ると音楽の授業とかで、歌を歌うことがあるじゃないですか。小学校3年生、ちょうど3年生か4年生の頃だったと思うんですが、そのぐらいから、先生が児童に伴奏を任せてくれることがあって、それで弾き始めたんです。いくつか市内の小学校が集まって音楽会をするような場面で伴奏を任せてくれたりするようになって。
みんなの前で自分の好きなピアノ弾いて、みんなにうわあすごい、と言われる。そういうことが、自分の中で自信をつけるきっかけになったんじゃないの? みたいなことは言われましたし、それはそうだったんだろうなとやっぱり思うんですよね。
ピアノが弾けるっていうことをみんなに褒めてもらえたことで、元々シャイだったんですけど、自分に自信もっていいんだ、と思えたきっかけだったのかなと。
確かによく考えてみると、小学校の時も伴奏したし、中学校高校も、あと大学に入ってから、今も伴奏させていただく機会もあるので。ピアノっていうのは積極的になっていけたきっかけとしてはあるんじゃないかなって思いますね。

ナカザワ:ひとりで電車を見てれば良かった子どもから変わっていったんですね?

塚本:だけど一方で、電車好きだったところはやっぱりずっと変わらず、今まで来ちゃってるわけなんですけど。笑
ちっちゃい頃は何も考えてなかったので、ひとりだけでいいや、というか、それで満足していたんですけど、みんなと一緒にやったら面白いじゃん、と気付いたっていうのは多分あると思うんですよね。
音楽だけの空間じゃなくて、学校っていう空間の中でも、自分を表現できたっていうのは、すごく良かったんだろうなとは思っていますね。

ナカザワ:お友達とか家族以外の人からは、どんな印象を持たれてたと思います?

塚本:それはいつぐらいの時点ですか?

ナカザワ:小学生ぐらいの頃で。

塚本:例えば担任の先生とかの通知表とかで、他の子に気が利くというか、すごい優しくて、いつでも手を差し伸べてくれるみたいなことは書かれていたってことを記憶してますし、確かにそういうところはあったんじゃないかなとは思うんですよね。優しいポジションというか。前に出ていくポジションじゃなかったので、そういう人だったんだろうなと思ってます。
中学校とかになると、どっちかという学級委員とか、そういうところをどんどんやるようになっていくので、そこは多分違ったんじゃないかなあ。
だけど、前に出て行くようになったとしても、自分の中で1人1人、ちゃんと向き合ってたかなとは思うんですけど。そんな感じですかね。

ナカザワ:さきほど、教えるのが好きだった、とおっしゃってたじゃないですか。どういうふうに教えることが好きになったんですか?

塚本:多分小学校のときからだったとは思うんですけど。ペアで勉強したりとか、学校で授業受けてるときとかにわからなかったところを同じクラスの人と教え合うことってあるじゃないですか。多分最初そういう感じだったんですけど、そこで、ただ先生の授業を聞いて、それを自分が勉強するんじゃなくて、自分自身がこうやって言葉にして他の人に説明するってことが楽しいっていうか、面白いなって思えたんです
それは、大学で教職を取ろうと思ったところにも繋がってるのかなと。結局とれなかったわけですけど。笑

例えば中学校のとき、うちの中学校はすごく厳しくて、テスト前になると学級委員は予想問題を作れとかって言われてたんですよ。今思えば結構ブラックだったけど、それが結構面白かったですね。
あと、高校のときは特に生物の授業がアクティブラーニングっていう手法の先駆的な先生がいた学校だったので、先生は素材を提供して、あとは生徒自身で議論をして進めていく、という授業だったんですよ。そのときにみんなで一緒に教科書を読み込んで、これはこうじゃない、って話し合う、そういうのがすごく楽しくて。自分で学んでいってそれを人に説明するとか、一緒に学んでる仲間と議論をするとかっていうことがすごく楽しいなと思えたんです。そういう面白いことができるなと思ったのが教員とか、ある意味学芸員もそうですね。もちろん学芸員については、それができるというのは学芸員課程を取ってから思ったんですけど。

なんで面白いと思えたのか。最初のきっかけは多分、小学校のときに戻るんだと思うんですけど、その後も中高と、教えるっていうより学び合うっていうのが正しいのかもしれないんですけど、学び合っていくっていう経験が楽しかったから、教員やそういうポジションに興味を持ちました。
教職自体は取れなかったものの、アルバイトでは塾の講師を4年間ずっとやってきました。主に中3とか高3の生徒を持たせてもらってたんですけど、やっぱりその時も自分が教えるというよりは、僕自身もブラッシュアップしないと彼らに負けていきますし、わからない質問もあるんですよね。そういうときは、わからないからちゃんと調べておくねって。
教えるという言い方にしても学ぶっていう言い方にしても、アウトプットし続けないとできないので。それがある意味、教えるってことが好きってことにつながったんじゃないかな。それが自分にとっては楽しいことだったと思うんです。だから大学院に入院しちゃうっていう選択肢をとっちゃった原因ではあるんですけど、そんな感じですかね。

ナカザワ:ちなみに、学び続けること自体は別に人と一緒にやらなくてもできることもあると思うんですけど、発信したりだとか自分で引っ張っていくみたいな立場にいってる、そこのエネルギー源って何なんでしょう。

塚本:多分、それは自分が感じる課題を解決するには、やっぱりひとりでは難しいからだと思うんです。それはまちづくりにおいてもジェンダーにおいても、例えば自分が主催している寒川の鉄道保存会とかについてもそうですし。
好きになればなるほど、そこの粗というか、ここを解決できたらもっといいのに、みたいのがいっぱいあるんですよね。それに対してもちろん自分自身だけでできることもあると思うんですけど、実際に具体的に何かやっていこうって考えたときに、いかに多様なアクターを集めるか、いかにいろんな人に入ってもらってみんなで考えられるか、というところでその課題が解決できるかが決まると思うんですよ。まちづくりこそがその真骨頂みたいなものだと思うんですけど。
自分ひとりで解決できない課題が、好きだからこそ見えてくる、だからこそ、みんなで解決するためにいろいろやってるっていうのがシンプルな形なのかなと。

ナカザワ:見えてきた問題を解決するためにはいろんな人がいた方がいい、っていうことは自然にわかってきたものなんですか?

塚本:自分の今いる学科にレジェンドみたいな先生がいらっしゃるので、まちづくりのメソッドというか、まちづくりに多くの人を巻き込むっていうことはその先生から学んだということもあると思うんですけど、感覚的には多分理解はしてたと思うんですよね。
多分そういう、集団をマネジメントしてひとつの目標に向かって、立場が違う人、意見が違う人、をまとめる。それが醸成されたのは、今までお話しなかったんですけど、高校のときの経験がひとつあると思っているんです。
高校のときは東京都立国立高校っていうところに通っていて。そこは日本一の文化祭と呼ばれる文化祭をやっていたところだったので。毎年1万人、2日間で来るようなところなんですよ。

ナカザワ:ずいぶん大規模なイベントですね。

塚本:そうなんですよ。コロナになってからは違いますけど、自分がいた頃は2日間で1万人来るから高校の廊下を歩けないくらいだったんです。
なぜ1万人来るかというと、それぞれのクラスの出し物がすごい手が込んでいるんですよね。
クラスの出し物とかいろんなものを作ったりとかするにしてもやっぱり、お互い部活があったりとか、高3生は演劇をやるんですけど、お互い進路であったりとか塾に行ったり、勉強することもしなきゃいけないし。一方で夏休みが終わったら本番だし、みたいなところで。
それぞれクラス40人それぞれいろんな考えがある中で、もちろんその作業してくれる人もいればしてくれない人もいたり、休む人もいる中で、そういう人たちをいかにうまくまとめて、文化祭の日に間に合わせて、多くの人に楽しんでもらうかっていうところですよね。当時からそういうことが好きだったんです。

▼NIKKEI STYLE「1万人集客 都立国立高校「日本一の文化祭」を拝見」

中学校のときから学級委員やっていたし上手くできると思ったんですけど、高1のときに大失敗したんですよ。自分自身がオーバーワークしちゃってクラスの人はついてこられなかった。うちの高校は3年間クラス替えがないんですけど、1年生のときにすごいギクシャクした雰囲気になっちゃったんですよね。
その時思ったのは、自分の思いだけ伝えて、やってやって、っていうふうにしても動いてくれないし、動いてくれないのにはそれなりの理由がある。だからそれ以降に組織とか運営していくときに、なるべく個人個人というかそれぞれメンバーの考えをしっかり聞くようにしています。大学のサークル運営にしても、まちづくり団体運営にしてもそうだと思いますし。
それってまちづくりに対しても同じで、まちに住んでるってなると本当にいろんなバックグラウンドの人がいるわけなので。

例えば寒川町の鉄道保存会だったら、公園に線路だけ残されてるんですけど、その線路が全然うまく活用できてないから、うまく活用できたら面白いよね、という感じで進めてるんです。そのためには、今まで放置されているものを今さら活用する必要ないじゃん、という人に対して、なぜこういう活動したら面白いか、ということを理解してもらえるようにしなきゃいけない。
だからそれを聞いた上で、何かもうひとつ、これやったらおもしろいんじゃないですか?っていうことをやっていく。
そういう意味で、多くの人に参画してもらうっていうことはやっぱり自分自身大事に思っているんです。その根幹は高校のときの文化祭のマネジメントで失敗したことというか。そういうときにやっぱここがいけなかったな、だからもっと話聞けばよかったな、とか。そういうところがあるとは思ってるんです。そこにさらに、大学で学んできたことを付加して、実地で動いてるみたいな感じなのかなと。

ナカザワ:運営も、アウトプットのひとつなのかもしれないですね。

塚本:そうそう、運営がすごく大変だったのは、夏の響演2021ってイベントで。これは都内の国公立大学7校で毎年やっている合同演奏会なんです。
去年、この幹事をやったんですが、その時期ってまだコロナに対する制限がすごかったんですよね。2020年のときはもちろん中止になってるんですけど、去年のこの演奏会が再開するときってちょうどまた夏になって感染者が増えてきている中だったので、完全にクローズにしてオンライン配信するだけにするのか、それともお客さんを入れてやるのか、みたいなところで、委員さんでバチバチしてたんですよ。
自分は副委員長というポジションだったんですけど、委員長さんはお客さん入れたい派で、ホールが言ってる許容量は当時50%だったんですけど、そこまで入れるのは全然いいんじゃないかっていう意見だった。一方で他の委員さんは、完全にクローズでやるべきだ、みたいな声があって膠着しちゃっていたんですね。
これはやばいなと思って、まずは話を聞かなきゃ始まらないので、対立してる委員さん以外の委員さんも含めて、個別でいろいろ話を聞いていって、最終的には知り合いの方を事前予約で入れましょうと。事前予約してもらって入ってもらう形にして、入れない方に関しては、10月にプレミア公開っていう形で配信をやって。リアルタイムで配信はしなかったんですけど、ちゃんと動画の編集とか全部自分1人でやって。それを公開しましょう、みたいな形で。
そうするとオンラインでも、聞きにこられなかった人でも聞きにこれるし。演奏者本人と近しい方はタイムリーに聞いていただけるみたいな形にしたりとかして、なんとか折衷して乗り切る、というか。やっぱりそういうところにある意味繋がっているのかなとは思うんですよね。

ナカザワ:今にちょっとずつ繋がってきますね。

塚本:交渉というか、その過程自体は、実はまちづくりにもすごく活かせることなんだと思うんです。これからまたやっていく中でいろいろ出てくるので、いろんな大変なことが。そういうときに多分、何かしら活きるんじゃないかなとは思ってるんですね。

未来:ちゃんと続けられていれば何かしらできてると思うので、こうあってほしいっていうことはあまりないかもしれない

ナカザワ:最後に未来の話をさせていただこうかなと思ってて。10年後とか、そのぐらいのときってどうなってると思いますか? あるいはどうなっていたいですか?

塚本:いろいろ活動をやったりとかはしているんですけど、僕自身1回始めたことはなるべく長く続けたいと思ってるので、いずれの活動も全部持続してるってことがまず大事かなと思います。細々とながらも。
就職をしたりとかすると、おそらく必然的に時間が取れなくなるとは思いますけど。あと、とらくらは、学生アンバサダーなので、僕自身は大学院生という形であと2年間猶予をいただいてるわけなんですけど。学生から外れちゃったらサポートメンバーとして回っていくんだろうなと思うのですが…。とはいってもやっぱり続いてほしいですね。
まず活動自体が全て続いているってことは大事かなと。打ち上げ花火的に、打ち上げて、流行に乗って、みたいなのではなくて、細々とでもいいから地に足の着いた活動を続けたいとは思っています。
なので、学外でやってる活動についてはもちろん10年後もやっぱり携わっていたいなという思いはありますし、逆にちゃんと続けられていれば何かしらできてると思うので。こうあってほしいっていうことはあまりないかもしれないですね。とにかく着実に続けることってのは多分あるかなとは思ってます。

ナカザワ:なるほど。10年後、32歳ですよね。

塚本:32歳、その頃はもしかしたら家庭を持っているかもしれないし、それって全然つかめないことではあるんですけど。だけど少なくとも今やってることは続けていられればいいのかなとは思っていますね。それがやっぱり一番理想かなと思っています。

ナカザワ:ちなみに、今日出てきた話だと、教員免許を取れなかったっていうところが思い通りじゃなかった部分だと思っうんですが、もし、教員の免許を希望通り取れていたら、今頃、そしてこれからも含めて、どんな人生だと思います?

塚本:実は大学の併願先で教育学部を受けてたんですよ。元々まちづくりに入っていくきっかけとして、特に僕自身、鉄道と結びつく地理の分野がすごく好きだったので、地理歴史専修みたいなところを受けていて、そこは不合格だったんですよね。都立大より志望度は高かったので、もし受かって教育学部の地理歴史に行ってたら、当然のことのように教員免許は取ってただろうし。
教員になったかどうかはさておき、地理を学んでいたとは思うんです。博物館とか美術館の学芸員の資格はとらないだろうし、となると多分伝統工芸とかも絶対やってなかったでしょうね。ジェンダー分野に興味があったとしても、博物館でお手伝いしようなんてこと絶対思わなかったので。

だからそれは全然違う話になってたんじゃないかなと思うんですよね。まちづくりで、いち鉄道好きな人として、例えば鉄道車両を保存しようとか、そういうところへ携わるってことはあったかもしれないんですけど。そういった意味では全然違ったんだろうなあなんていうふうには思いますね。
僕自身はどっちかという鉄道から興味が広がっていったので、いわゆる人文地理とか、人々がどういうふうに鉄道の影響を軸に生活してるか、みたいなことに興味を持ったかもしれないですけど。もしかしたら突然、地質とかにハマって、全国を掘りに行ったりとかしてるかもしれない。都立大学自体は、地理のところも同じ学部の中に入ってるので、いくつかその授業を受けると、地質とかの授業結構面白かったりしたんです、やっぱり。もし専門でやっていたらやっぱりこういう方向に行ったのかもしれないなって思うことが結構ありますね。ブラタモリに出てくる先生みたいなことをやったのかな、とか。

ナカザワ:確かに。どうなってるんだろう、というところの発見は変わらずお好きなのかなって感じしますね。

塚本:確かにそうですね。それで大学院で社会学の方向に切ったというのもあると思うんですけど。数量解析とか広角的な研究って、How toというか、どのように街を良くするかっていう方に焦点を置いてることが多いんです。だから街の人々はどう考えていて、それじゃどうしたら良くできるかっていうことですね。
今度大学院でやりたいと思っている、社会学的な観点でのまちづくりは、それはなぜ起きたのかっていうことを見ていくんです。つまりHow toじゃなくて、そのHow toの、そもそもなぜそれが良いとされてるのか?っていうことですね。やっぱり4年間やっていて、そういうことが施策というかまちづくりをしていく上での根幹にあるんだなと。
もちろんそのHow toのところというか、どのように良くするかっていうところも大事ではあるんですけど、一方で前提となるところをもう一度疑い直すというか、そこだけは本当にいいと思ったけど、なぜ?とか本当なの?みたいなところも、見るのが面白いなと思ったので。そういう好きなところ、なぜなのか探求したいなって思うところってのはあるんでしょうね。

ナカザワ:最初に聞けばよかったんですけど、Rural Laboさんに入ったきっかけとかってどういう? いつごろからですか?

塚本:これ、とらくらが元々きっかけだったんですよ。とらくらとRural Laboで今年の5月だったかな、ゴールデンウイークぐらいにイベントをやろうという話になったんですね。それを担当してたのが僕で。
Rural Laboさんと一緒に今年の5月の連休明けぐらいに、伝統工芸と地域活性の未来、みたいなイベントをやったんです。僕自身がとらくら側の窓口としてやってたので。それで、塚本さんぜひ入ってくださいよ、みたいな形でRural Laboに入ってみた、っていうのが最初のきっかけですね。

結構Rural Laboが面白かったんですよね。
何が面白かったかっていうと、僕自身は先ほど話したように東京の多摩地方に生まれ、多摩地方で育ち、大学も多摩地方の大学に行く。対外的に見られるとずっと東京の人っていうか。東京の目線から都市とか、街を見る目が育っている。
一方でRural Laboに入ってすごい衝撃的だったのは、衝撃的というか面白いなと思ったのは、北は北海道、南は沖縄まで、いろんなところでいろんな活動をしていているメンバーがいて、そのバックボーンも、都市に生まれてそこから田舎に行った人もいるし、田舎で生まれて田舎で育ってそのままその地元にいたりとか、全然違う地方に行って面白いことやったりとか。
やってることも人によってさまざまで。サウンドスケープって音と人の環境やってる人もいるし、古着屋さんやってる人もいるし、コミュニティハウス、理学療法士の勉強してるんだけど、大阪に空き家を借り上げてコミュニティハウス作って今度シェアキッチンやるんですとかって人もいたりとか。
いろんな背景から、まちっていうか都市を使っている。
これは自分の大学の先生が言っていたことですが、「都市計画をずっとやってると、都市計画の人間って、まちをつくるために都市を計画するというか、まちを作ることを目的としちゃうんですよ。ただ、住んでる人ってまちをつくるために何かやっているんじゃなくて、その場所、都市を使ってるんですよ」と。その結果としてできたのが今のまちなわけであって。
そこに計画っていうのはあんまり入ってなくて、人々が生きてきた結果というか、人生が出た結果として、今のまちが構成されてるはずなんですね。

だからそれを体現してる人たちが、Rural Laboにはすごいいっぱいいるし、自分のバックグラウンドでは見えなかったことっていうのがみえるんです。いろんな人とお話させてもらって、どういうことやってるんですかとか、どうしてこういう企画を始めたんですか、みたいなところとか。15,6人かな、もっとやったかもしれないんですけど、全国各地で活動されてる中ちょっとお話させてもらって。
たとえば、生物を研究しててなんでまちづくりやってるんだろう?っていろいろ気になって聞いてみたら、今自分が行ってる大学のキャンパスがすごい山の中にあって、たまたま町にインターンしてみたら、こんな感じで人口もね、広島市内からもっと広島の田舎の方に今いろいろやっててそれですごい興味を持って今こういった活動に入っています、あ、なるほど。とか。そういったいろんな視点でまちを捉えてる。都市を都市として使ってる声っていうのが聞けたりとか。そこからすごく自分自身刺激を受けたっていうのはやっぱり入ってみて面白かったことなんですよね。
だからそれがきっかけで、元々面白い話が聞けるだろうなあと思って、とらくらがきっかけだったとは言っても、それで入ってみたらやっぱり案の定すごく面白くて。

ナカザワ:活性化というか、おっしゃったように、まちを使う、どう上手く楽しく使うかっていう視点ですね。

塚本:地域活性化って、なんかあんまり好きじゃないんですよね、この言葉。地域活性化って、元々正せば、ある意味霞が関的なというか。中央から地方をもっと回さなきゃみたいな文脈ですよね。別にそんなこと言われなくても、人々は別に生活しているし。それはすごい当たり前のことなんですよね。
もちろん要因はあるわけですけど、人が少なくなっちゃってるから活性化しなきゃってのは要するに、中心が言ってることですよね。だけど、実際はその地に暮らす人々が、その地なりにやってると思うんですよね。
その地に暮らしている人々が、そこでどう生きてるかっていうことを、僕自身やっぱり知らなくて、知る機会がなかったので、実際いろんな人と話して、なるほどって聞けたってのはやっぱすごい大きな経験かなと思ってます。

ナカザワ:ありがとうございます。実は最後に「地域の活性化とは何だと思いますか」って聞こうとしてたんですが、その前に答えていただけました(笑)

塚本:本来であれば、そこに人が住んでて、何かしら活動していればもうそれは、活性化されているはずなわけじゃないですか。ただ、例えば人口動態的な問題、一時期人が増えていってとか、その後はずっと少子高齢化が続いていたりとかっていう、大きな問題もあるし。都市の方が端的に言えば便利だっていうことで人口が流出しちゃってるっていう問題もあるし。だからこそ、本来だったら自然に活性している、というか回ってるところを、何とかしなきゃいけないというニュアンスが政策的には感じられるんです。
だけど地域活性とは何かって言われたとき、元々住んでた人たちが自然にやってたところは尊重するべきだと思ったんですよね。それはRural Laboでいろいろな話を聞いてて思ったことというか。
そうですね、あとは、ひとつキーワードとして長い間っていうのもあるのかな。長い間、地域に根ざしてとか。そういうのが多分活性化する意味でのキーワードなんだろうなとは思ってはいます。

だからこそ、自分自身は寒川っていうところでひとつ、実践をしたいと思うし、もちろんだけど、大学院に入って学ぼうとするものとしては、それだけじゃなくてそれは学術的に捉えるとどうなのかみたいなところももちろん見たいと思っていますし。
私にとっての地域活性っていうのは、地域ごとの暮らしというか生活が続いていく、そこにお邪魔しながらも、一緒に何か面白いことやっていく、それを長く続ける。それが活性っていうところに続くんじゃないかなあなんていうふうに思ってます。

ナカザワ:なるほど。持続的な部分の視点を言ってくださった人は、あんまりいなかったかもしれないです。

塚本:自分自身がやっている、ほかの活動も細く長くできたらいいですっていうようなことをことあるごとに言ってるんですけど、大きなことをぶち上げなくても、少しでもいいから、牛歩でもいいので、続けていくっていうことがやっぱり大事なんじゃないかな、とは思うんですよね。だからRural Laboも例えば、辰野の取り組みとかも、あれもすごい長くやっていらっしゃるし、交流人口を増やすっていうことでいろいろやってると思うんですけど。継続している活動だと思うので、そういうことをいろんなところで進めていけたら多分それはその地域にとっての活性っていうことに繋がるんじゃないかなと思います。

ナカザワ:最後に言い残したことがあれば、お願いします。

塚本:多くのまちづくりに携わってる人々が考えることとしては、どうやってまちづくりを民主化するか、つまり多くの人に携わってもらうのかっていうことがあると思うんです。
例えば最近SNSだとTikTokとInstagramが若い子たちが流行っていて、それの時間の取り合いみたいな状態になってるっていうふうに言われたりするじゃないですか。なんでTikTokがTwitterとかInstagramを押さえて、いまだに伸びてるかっていうと、いろんな分析を見ていると、自分で選ばなくていいっていう、自分の好きって思った動画がAIで自動的に判別されて流れてくるっていうのがあるっていうふうに聞いたことがあるんです。

とらくらとかでも若い子たちに伝統工芸の面白さを知ってもらうみたいなことでTikTokとか、やっぱりそれをやろうとしたときにそういうことを勉強して知りました。ある意味受身的な、受動的になっちゃってるっていうのはいろんなところで懸念されているんですよね。
一方でまちづくりとかっていうのは、それぞれの考えがあって、それぞれの思惑があって動くものなので、ある意味受動とかまったく逆の存在だし、なにかやりたいと思ってもそれを実現するにはめちゃめちゃ手間がかかる。いろんなところに掛け合わなきゃいけないし。本当にすごく面倒なんですよね。だからこそ、実現したときにいろんな人にとっても良いものになると思うし、自分自身はそれがすごく楽しいと思っています。
もちろんそれはまちづくりだけじゃなくてもいいとは思うんですけど、受動的な楽しさだけに溺れるんじゃなくて、何かしら、自分が能動的に動く、能動的っていう言い方をするとなんかちょっと違うような感じもするんですけど。まちづくりみたいなものは、自分で能動的に動かなきゃいけないし、調整しなきゃいけないし、本当に大変なこともあるけれども、やっぱり楽しいからこそ、もっと興味を持ってもらえたら嬉しいなっていうことは私自身思ってます。

学生のまちづくり・ものづくりコンペティションがその一つとしてありまして。これは去年出場して今年は運営として参加させてもらってるんですけど、やっぱりその提案を見ると、いろんな視点から、福祉の視点からまちを良くしたいとか、公園をもっとこういうふうにして良くなるんじゃないかみたいな、いろいろ面白い提案が上がっているので。
受動的な楽しみが増える中でも、それの逆を行く存在としてまちづくりがあるし、その面白さをもっと知ってほしいなっていうことは思っています。いかにまちづくりを楽しんでくれる人を増やすか、ということがまちづくりが今後できるかどうかに関わってくると思ってるので。今回のインタビューでも、想いを伝えられたらいいのかなというふうに思っていることでした。

▼ネットワーク多摩 多摩の学生まちづくり・ものづくりコンペティション

ナカザワ:ありがとうございます。まちづくりに関わる多くの人が、ある意味共有している思いを話していただけたように思いました。

あとがき

一見何の関係もなさそうなものから一人の人の思考が出来上がっていく感じ。まさにそういう「感じ」としか言えないのですが、いかがだったでしょうか。

さて、塚本さんはRural Laboインタビュー読了後アンケートからご参加いただいた、スピンオフのような回となりました。まったく狙っていなかったのですが、個人的には答え合わせのような感覚を覚えました。(これは重言なのか)
まちづくりはなぜ難しく、おもしろいのか。地域の活性化の本質とはなんなのか。これまでインタビューしてきたなかで浮かんできた素朴な疑問について塚本さんなりの答えを言語化していただいたことが、答え合わせに感じた理由なのだと思います。齢27になると答え合わせなんてもうしばらくしてないんですけどね。
まちづくりって全員関係あるのに知らなくても結構生きて行けちゃったり、あるいは慣習的にうまく回っていたりする分野だと思うんですよね。ただ近年のプレイヤーの増加状況をみるに、当たり前だと思っていた生活の基盤を見直すことが必要になるほど、社会は変化してきているんでしょう。

人生において、文字通りの答え合わせを最後にしたのっていつなんだろう、と思う秋の夜長でした。

インタビュー担当:ナカザワアヤミ

編集協力:あおい

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