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自分が日本語を母語として生きていることについて自信を持ちたい中国語教師の人

曲がったこと苦手嫌い。情念にも似た思い。尖った物言いは気合い。燃え盛る。でも泣き虫。
そうそうそうそう、そうなんだよね。そう、そうなんですわ~。まったくもってそう。
私は第二外国語が中国語でした。大学ではね、第一第二と二つ言語をやったりするんですよ。今考えるとなんで中国語にしたんだろうか。楽そうだって思ったからか。
そもそも私って全然! ぜんぜんさ、大学行ってなかったんだよね。いや行ってたんだよねけっこう。でも行ってもずっと部室お酒飲んでたんだよね。部室の冷凍庫にはいつも私のズブロッカが入っていて。ストローね。グラスストロ―の入ったウォッカね。めちゃ安いんですよ。700円くらいだったんじゃないかな。フレイバーあって不凍だし、そのままウイスキーグラスにそのままで飲めちゃうじゃん。だから、好きだった。
最近あんまり見かけないねズブロッカ。
あとはビフィーターね。あれは見かけるねまた最近また。最近また、よく見かけるようになった。ファミチキレベルで見かけるようになった。コンビニチキンばりにみかけるようになった。ハイボール以降、スピリッツをソーダで割るってのが飲み方のトレンドで、ジンをソーダで割るっていうのもね、アリ寄りのアリになったのかもしれない。
中国語で挨拶くらいはできるんですけどね。
ということで本日の無名人インタビューもよろしくお願いいたしますね!!(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは Eico さんです!

現在:ネーティブの先生と違うのは、理屈がわかるっていうのと、学んだステップをお伝えできるっていうところ

安東:今、何をしている人ですか?

Eico:今ですね、日本人の初心者中心に、中国語の発音を教えているEicoと申します。
英語でも中国語でもそうなんですけれども、「ネーティブの先生に学んだほうがいい」とか、「ネーティブの発音に近づけなければならない」とか、そういった想いが私も過去にすごく強くって、特に英語では発音コンプレックスなんかになっちゃったこともあるんですね。
で、中国語は漢字を見ればわかるから簡単だとか言う人もいるんですけど、発音が全然日本語と違ってつまづいたり諦めちゃう人が多いっていうのも事実としてあるんです。中国語の発音を、私が学んできた過程とか日本語でお伝えすることによって、日本人の先生として一人でも多くの方が中国語を楽しむお手伝いができたらなーと思っているところです。

安東:同じ国の、日本の人だったら日本の先生に習ういいところって何だと思ってらっしゃいますか?

Eico:まず、私は大人になってから中国語を学んだので、理屈がわかる、説明できるっていうことが、一番の強みかなというふうに思っているんですね。
たとえば、私は日本語教師でもあるので外国の人に日本語を教えることもあるんですね。そのときに、一番シンプルなところでいくと「“は”と“が”は違う」とか、自分が自然に使い分けているものを、こうですって説明するのは、教え方を学ばないと難しいんですよ。
日本語教育の勉強もしたので、質問に対するお答えはできるんですけれど、たとえば韓国人の生徒ならどんなふうに説明したらわかりやすいのか、インド人の生徒ならどんなふうに説明したらわかりやすいのかっていうところは、もしかしたらネーティブ日本語講師には欠けてるかもしれないと薄々感じてはいたんですよね。
なので、ネーティブの先生と違うのは、理屈がわかるっていうのと学んだステップをお伝えできるっていうとこですね

安東:具体的にどういう言語のレッスンをされてるのか教えていただいてもいいでしょうか?

Eico:私の場合は発音に特化して教えているので、初心者の方でしたら挨拶の発音を、伝わる、通じる発音で言えるようにするっていうのが1つですね。
で、たとえば、外国に自分が行ったとして「コニチハ」って言われるか「こんにちは」と言われるかで印象って変わると思うんですよね。「アリガトゴザイマース」って、ちょっと今わざと外国人っぽく言いましたけど、「ありがとうございます」って言ってくださるかによって、印象が変わる。もちろん「アリガトゴザイマース」でも気持ちは伝わってくるけれども、発音がきれいになると、贈り物のパッケージが美しくきれいになったというような感じで、受け取る側の気持ちもちょっとうれしくなると思うんですよね
初心者の方で「你好」「谢谢」しかわからないとかっておっしゃってる方でも、発音をちょっとお伝えするだけで、コミュニケーションがもっとスムーズになるのです。挨拶の中国語を通じる発音で、カタカナとか使わずに口の形でご紹介するっていうレッスンをやってます。

安東:はい。

Eico:経験者の方の発音矯正っていうのもやっています。中には体当たりで、「中国語いけるわ!」みたいな感じで練習していく方もいらっしゃるんですよね。耳で聴いて口で言えちゃうみたいな人もいらっしゃるんですけれども、やっぱり日本人の癖がついてしまったりする。ネーティブの先生に「違う違う、その発音違う」って言われて「わー!」ってヤケクソになっていく。もしくは「あーまあいいんじゃない」ってオッケーもらったけど、次のレッスンで「違う違う」って言われて凹むみたいなことが起きて、「いったい何が違うのさ!」みたいなことになっちゃうんです。そういった方に対して、ここが違う、ここは合ってるっていう問題の切り分けをして、違うところを一緒にトレーニングするっていうのもやってます。

安東:レッスンの形式は、対面ですか? オンラインですか?

Eico:今は、全部オンラインですね。

安東:さっき口の形見せるっておっしゃってたんで、映像付きでやってるんですかね?

Eico:発音矯正は、見せてくださいってお願いしています。
スマホでレッスンを受けているかたで、顔の上半分しか写ってない方とかもいらっしゃるんです。角度を変えてくださいって言うんですけど、なかなか変わらず、どうしよーっていうときもあります。こちらとしては最大限、耳で聞いて、言葉でお伝えするんですけれども、お口のところをジロジロ見られるのがいやだっていう方もいるんじゃないかなーと思うと、私を信頼していただいて見せていただくところまでいかないといけないと思います。歯医者に行って、「歯並び汚いから見せません」とか言う人っていないと思うんです。それと同じ。発音をやるなら、お口を見せてくださいと言いたいし、それをお伝えしていきたいなーとは思っていますね

安東:中国語の発音の教師になるきっかけを詳しくお聞きしてもいいですか_

Eico:私は実は英語のほうが学習歴がすごく長くって、もう15年以上習ってるんですよ。
英語をずっとやってる、英語を使う仕事をやってると言えば格好良く聞こえるんですけれども、実は読む・書く中心で、今もそうです。書いた英文をネーティブさんに直してもらいに行くんですね。わたしが書いた文はまったく話にならないレベルなわけじゃないんですけど、言ってる意味はわかるけど、って感じで、もう真っ赤っかになって返ってくるんですよ。ほぼほぼ自分の原文がないみたいな感じで。
ネーティブになりたい、ネーティブが書くように書きたい。そう思っていました。コピー&ペーストして書ける文はいいんですけど、そうじゃない文も書きたい、書かないといけない。だけど、どうしてもネーティブと同じにできないっていう部分があって。いろんな努力をしたけど、絶望感もあって、英語から逃げたくなってたんですね。

そんなときに、たまたま台湾の新入社員で日本語堪能な子が新入社員として入ってきて、上司から「OJTしてください」って言われたんですよ。日本語上手だし喋ってるの聴いたら全然問題ない。見た目もね、台湾の方だと日本人と近いじゃないですか。なので、いい文章書いてきてくれるかなーと思ったら、文章が全然、口語チックというか、できてなかった
最初は、日本語が上手なので、日本語で説明してたんですよ。でも、中国語の原文の意味を聞いても、中国語の原文が理解できてないから日本語で説明できない。聞いても聞いても、的確な答えが返ってこないっていうときがあって。当時、Google翻訳とかDeeplもなかった。Google翻訳はもうレベルがとんでもなく低くて使えない時代だったので、自分が中国語を勉強したほうが速いわと思って勉強を始めたんですよ。それが一つのきっかけです。
もう一つは、その子に日本語を教えなきゃいけないっていうところですね。本人は日本語に自信があるもんだから、「あなたはこう直しましたが、文法的にはこう習いました」とか「どうしてこれじゃダメなんですか?」って言ってくるんですよ。そんなとき、日本語を自然に身につけているから。答えられない。これは日本語を教える勉強を日本語でしなきゃいけないわと思って日本語学習を勉強したんですね。

中国語を勉強して、中国語もできるようになってきたんですけど、いかんせん独学で日本にずっといて勉強してるので、中国語の発音が全然、これじゃいけないなーとは思ってたんですよ。最初の頃は、もうそれこそ大多数の方と同じように耳でコピーしてマネして練習していて、ネーティブの先生にも「わかるからいいよ」なんて優しく言われていたんですよ。まあネーティブの先生としては生徒をやる気にさせなきゃいけないし、ある程度のネーティブさんだと一生懸命聞き取ったらわかるからいいとか、日本人の間違いに慣れているからわかる、という感じだったんですね。
ただ、中国人の友人で日本語堪能な方に、「3歳の娘より下手」って言われたんです。中国の方って、仲良くなってくると結構ズバズバ言うんですよ。ズドーンって感じで落ち込んで、「じゃあどうすればいいの」って思ったんです。ネーティブの先生は「いやー別にわかるよー」なんて優しく言ってくれるわけですよ。そこで日本人の先生に中国語の発音を習いました。そしたら目から鱗100枚落ちるじゃないですけど、こういうことだったんだってわかったんですよ。日本語で説明してもらえるので、ここが違ったんだとか、ここはできてたけどこっちが違ったんだっていうのもわかったので、すごく感動して、自分も一生懸命発音を矯正したんです。ほんとに目から鱗100枚落ちた感じでした。
もし今、中国語の発音であれ? と思ってる人がいたら、私がそんなグルグル回ってやったことを私が伝えればすぐに解決できるじゃないかと思ったんですよ。そこから、私も教える立場になりたいなーと思いました

なんかね、単純だとわかりやすいんですよね。英語できなくなった→英語うまくなった→英語教えるとか、中国語で留学した→通じなかった→中国語の発音練習した→うまくなった→教えるとかだったらわかりやすいんですけど。私は、語学の世界の中、英語と日本語と中国語のなかでグルグル回って、中国語に行き着いたんですね。

安東:趣味や、最近楽しいなーってことはありますか?

Eico:最近ですか…今一番関心があるのは、うちで育てているアサガオがいつ咲くかです。

安東:ずっと育ててらっしゃるんですか?

Eico:そうではなくって、今年たまたま浅草に子どもを連れて行ったときにもらいました。
暑かったんですけど、その頃は今後観光が緩和されるかもしれないみたいなニュースが流れたときがあって、そうすると浅草って外国人観光客でめちゃくちゃ混むんですよね。なので、浅草見に行こうっていう話になって浅草に行ったときに、浅草ってアサガオのお祭りみたいなのが開かれる関係で、アサガオの種を浅草文化観光センターで配ってたんですよ。で、あっ! と思って持って帰ってきて、アサガオって、まつ さんはどうかわかんないですけど、小学校1年生で結構育てる植物じゃないですか、違うかな…

安東:育てますよね、植木鉢で。

Eico:育てますよね!地域性があるかもと思ったんですけど。私もそうだったし、私の子どもたちも1年生でアサガオ育ててたんですよね。で、懐かしいなーと思って、最近育ててなかったので、「ちょっと植えてみっか」と思って、プランターに植えたんですよ。そしたら、全然、おっきくなるんですけど花を咲かせる気配がない。おっきくなって緑の葉っぱはツヤツヤ、ツヤツヤしてるんですけど、全然つぼみをつける気配がなく。
もう夏終わるじゃん、もうお盆も過ぎてどうなるんだろうと思ってたら、最近なんか慌てたようにつぼみをガンガンつけ始めて。でも、まだ咲かないんですよ…。で、何色の花が咲くかも、もちろんもらったアサガオなのでわからないですし…いつ咲くんだろうと思って、毎日見てます。

安東:8月ももうすぐ終わりますもんね。

Eico:ちょうど1週間~2週間くらい前に1個目のつぼみを見つけて、8月中に咲くはずだって思ったんです。でも、全然アサガオにはやる気はなく。ちょっとずつ大きくなって、枯れてはないんですけど、すくすく葉っぱをつけているので、8月中に咲かなくてもいいからいつか花を咲かせてくれたらいいよって、最近思うようになりました。(※8月31日に無事アサガオは大輪の花を咲かせました)

安東:お子さんと一緒に浅草のお祭り行ったっておっしゃってたんですけど、お子さん何人いらっしゃるんですか?

Eico:子どもは2人です。

安東:おいくつぐらいなんですか?

Eico:中学生と小学生二人です。

安東:お子さんと普段どんな感じで過ごされてますか_

Eico:子どもが小さい頃に、保育園の先生も周りの方たちも、よく周りの方から「今だけよこんなに甘えてくれるのは」とか、「今が一番いい時ね」なんておっしゃってました。
でも全然、ずーっと手がかかるんですね。反抗期もそうだけど、反抗期で黙るわけではなくずっと喋ってるというか。今は夏休みが終わったのでもう学校に行ってるんですけれども、夏休み中はもうずーっとひたすら話しかけられているっていう状況で。これも今だけなのかと思って耐えようとは思うんですけど、「もうお母さんひとりにして!」って思うときはあります


過去:いいよいいよおいでおいで楽しいよーみたいな感じで受け入れてくれるっていうか、そういうのを感じるところに寄って行っちゃう

安東:小さい頃はどんなお子さんでしたか?

Eico:割とインドア派でした。外に出て遊ぶっていうよりも、家の中で本を読んだり折り紙したりするのが好きだったなーと思います。

安東:ご自分ではどんな性格的だったなと思いますか?

Eico:おとなしいっていうことはなく、割と言いたいことをそのまま言っちゃうっていうことが多かったなーと思いますね。私関西出身なんですけど、そのときってやっぱ、ボケとツッコミ、面白いことを言わないと相手にされなかったりとか、そういうのもあったなーと思います。
だから、一生懸命頭の中で言うこと考えてたりとか、そういうのもありましたね。

安東:お友達との関係はどうでしたか?

Eico:私、小学校のときってすごく太っていて、けっこう男の子にいじめられてた記憶があるんですよ。デブとか…今だったら考えられないんですけど、あだ名にデブってつけられるとか。
そういう子だったので、女の子で仲いい子はいたけど、仲良くしてもらってる感覚はあったんですよね。たとえば班分けとかでも、仲いい子がいるときは「○○ちゃん一緒になろう」なんてなるんですけど、「しょうがないから○○ちゃんと一緒になった、私と一緒にやってあげます」みたいな、そういうクラスのときもあって、けっこう女子の輪っていうのは苦手でした。どうしたものかなーっていう感じでしたね、小学校のときは特にそうでした。

中学に入ると部活が忙しすぎて、そんな「輪」とか言ってる場合じゃなかったなーと思います。中学の時はクラスの中では仲いい子もいたし。でもやっぱ女子の集団っていうのがなかなかうまくいかなくって、部活の女子の先輩に呼び出して怒られることもあったりして、女子の集団には恐怖感みたいなものもあります。

安東:具体的にどういうところが怖いな、苦手だなと感じてらっしゃいましたか?

Eico:その場にいない人の悪口を言うとか。グループがあって、そのグループに入ってない子は知らんぷりというか「グループじゃないからダメ」とか。
しかもそのグループがけっこう生き物のように生まれ変わっているので、昨日は入れてもらった人のグループが今日は入れてもらえなくなったとかそういうのがある。

中学1年生のときになぜ先輩に呼び出されたかっていうと、剣道部で初心者でまったくできないからどうしようって思ってたら、3年生の先輩が「うまくなるから大丈夫!」って励ましてくれてたら、2年生の先輩が「何あれ」みたいな感じになっちゃったんです。その2年生の先輩的には3年生が1年生のへたっぴな初心者と仲良くしてるのが気にくわなかったんだと思うんですけど、「3年生の先輩が迷惑に思ってんだけど」と呼び出して注意を受けました。
当時の剣道部では「目立つものがダメ」みたいなのがありましたね。
「平等感」って変なんですけど、えこ贔屓とかずるいっていう感覚かな。そういうのが、周りに思わせないようにしなきゃいけないっていう、そういうのがちょっと苦手でしたね

安東:初心者で剣道を始めたきっかけは何かあるんですか。

Eico:それは、親に「痩せるために運動部に入れ」って言われていて、中学になったら「運動部以外ダメだ」って言われてたんですよ。痩せてる人が全員運動神経がいいわけじゃないんですけど、私は太ってるうえに運動神経もよくなくて走るのも遅いし、花形のバレー・バスケとかのクラブは無理っぽい。消去法でいくと、運動部では水泳か卓球か剣道ぐらいしかもう自分がいけそうな部活はないと思って、水泳・卓球・剣道を見に行こうと思ったんですよね。
で、卓球は、人間関係が大変だっていう噂を聞き、「こりゃダメだ」と思ってやめたんですよ。「水泳か剣道だ」って思って、剣道場とプールを見に行きました。剣道場見に行ったら、3年生の先輩が、すごく良くしてくださって。「来なよ来なよ」みたいな感じで。そこに友達と二人で見に行ったんですけど、すっかりその先輩のトリコになり、先輩と友達の影響で、剣道部に入りました

安東:トータルで剣道部の活動はいかがでしたか?

Eico:剣道部は、自分の基礎を作ったなーとは思うし「入って良かったなー」とは思います
わたしは剣道はそんなに強くなくて、後輩にレギュラーをとられるっていうことも経験しました。後輩がレギュラーになって私は先輩から落ちたんですけど、その後輩たちはすごい優しかったですね。一緒に練習したりとかしました。「弱いなりに親しみやすい」というかっていうところもあったかなーと思いますね。あとは最大の成果は痩せたことですかね。

安東:最初の目的の。

Eico:そうそう。あっという間に痩せました。笑っちゃうんですけど、中1の夏ぐらいに私だとわかんないってことがあったんです。通ってた中学校には、1学年8クラスあったんですよ。クラスが離れていて同じ小学校から同じ中学に進学した子が、すれ違っても私だってわかんなかったっていうことがありました。

安東:そんなに変化して、周りがわかんないぐらい。

Eico:別人になったと自分でも思うし、周りもそうだったみたいです。

安東:さっき「運動部に入れ」って言われたっておっしゃってたんですけど、子どもの頃は親御さんとどんな関係でしたか?

Eico:お父さんは仕事が忙しくてあんまり家にいなかったです。お母さんは私が小学校に上がるときくらいに仕事を始めました。
私は末っ子なので、相当お母さんにはいろんなことを甘えたし、手がかかったと思います。「わがままだ」と姉二人にも言われながらも、お父さんにはいろんなとこ連れてってもらったし、お母さんにもいろいろやってもらったなーっていうのは思いますね。

ただ、もっと甘えたかったっていうのはどこかにはあったなーって思います。でも、母親的には下が仕上がれば終わりって言ったら変ですけど、だんだんステージが上げられると思うんですよね。私も今、子どもを持っててそう思うんですけど、下が小学校に上がったら、下が中学に上がったら…みたいな感じで、区切りになってるようなところがある。
お姉ちゃんのときとかお兄ちゃんのときとかにわかってることって、親ってけっこう「もうあれとあれね!」みたいな感じでまともに取り合わないということもありました。「あれとあれでしょ」みたいな感じで、私よりも親とお姉ちゃんが物事をわかってるんですよ。でも、そういうときにもっといろいろ聞いてほしかったーとか、一緒にいてほしかったとかそういうのはありましたね。子どもを産んでから、最近気がつきました。

安東:末っ子っておっしゃってたんですけど、ご兄弟との関係はいかがでしたか。

Eico:3歳年上と5歳年上の「偉大なる姉二人」がいて三姉妹なんです。5歳年上の姉とは話が通じなかったです。雲の上の存在でした。小1と小6なのでもう共通言語がない状態ですよ。姉二人は歳が2歳差だから共通の世界、共通の言語は持ってるけど、私はない。お姉ちゃんたち二人に混ぜてもらうとか教えてもらうっていうことがけっこう多かったなーっていうふうに思います。

安東:教えてもらっていたのは勉強とか習い事とかですか。

Eico:それもそうですね。お料理とかもそうだし、友達付き合いとかもそうだし。仲が悪いわけではなくすごい仲良くしてたなーと思って。ワイワイワイワイ、よく喋ったりしてたなーっていうのは思い出しますね。

安東:今のお仕事を始める前のお話をお聞きしてもいいですか?

Eico:私関西出身なんですけど、就職して上京したんですよね。そのときは理系だったので、研究員というか開発員を目指していました。食いしん坊だし、美味しいものを作れたらいいなーなんて思って、社会人生活をスタートしたんですよ。
なんですけど、体を壊してしまったというか、元々あんまり研究開発に向いていなかったようで、適応障害になっちゃったんですよね。1か月ぐらい休んでこれは無理だって思いました。理系で院卒だったら研究開発しなくてどうするの、もったいないよーってさんざん言われて、親にもさんざんもったいないなんて言われたんですけど、できないからもういい、適応できませんでした。
そこで、英語が研究員の中ではまだできたほうだったので、人手足りないから行ってって言われて、国際部門に異動しました。国際部門で、一人目の子ども産んで休んで復帰して、また二人目の子ども産んで休んで復帰して、それで、台湾の後輩が入社してきた、ということになります。

安東:大学のときに理系だったっておっしゃってたんですけど、英語も大学のときに勉強されてるんですか?

Eico:いい質問ですね。農学部で、果実の研究をしていましたが、受験英語を学んで、ある程度読み書きできるけど話せない状態で大学院までいきました
大学生で研究が始まると論文読まなきゃいけないですし、たまには英語で話すプレゼンテーションとかも聞く機会はあったので、そのときに付け焼き刃で一生懸命聞くとかそんな感じでした。

まあでも英語けっこう好きだったんですよ、当時、ちょうどフィリピンの方でSkype英会話なんていうのが浸透し始めた頃だったので、そういうのにチョコチョコッと登録してやってみたり、続かなくてやめたりとか。就職に有利だよと聞けばTOEICをチョロッと受けてみる。そんな感じでした。

安東:農学はどういうきっかけで興味を持たれたんですか?

Eico:アサガオ育てることともつながるかもしれないんですけど、昔からすごく植物が好きでした。植物を育てるのが好きで、お花が咲いたりするのも好きで、わー綺麗だなーとか、育って実がなるとかそういうのには興味がありました。
当時は進路を決める物差しが偏差値で、A大学とB大学で農学部はこの偏差値、B大学だと工学はこの偏差値だから、農学部と工学部どっちにする?みたいな感じで、やりたいことではなく、偏差値とテスト内容を重視していて、農学部だったらこの大学入れるかなみたいなところがあって受けました。
もちろん、植物も好きだったので、農学部を受験して受かってうれしかったんですけど、私、高校で生物をまったく勉強してないんですよ。高校で物理と化学しかやってないのに農学部を目指してしまった。生物の勉強は好きだったけど中学校までの勉強で終わってるんですよ。

その後は、研究室は、お花と野菜の研究室か果物の研究室か迷ったんですよね。私はさんざんさんざん迷ったんですけど、お花と野菜はすごく人気が高くって、華やかで、私は競争するのが嫌になりました。果物も、雰囲気がすごく良さそうで、先生たちも優しい感じの人が多くて先輩も良さそうだったので、環境で果物を選びました

安東:剣道部のときも人で選んだっておっしゃってたんですけど、どういう雰囲気とかどういう人を魅力的に感じますか?

Eico:無理しなくていいっていうのがあるのかなーと思います。努力して必死になって追いついてっていうところではなくて、いいよいいよおいでおいで楽しいよーみたいな感じで受け入れてくれるっていうか、そういうのを感じるところに寄って行っちゃうというところはありますね。

安東:そういう環境にいるとき、ご自身はどんな気持ちになりますか?

Eico:安心感がありますね。それこそ装わなくていいので楽っていうのもありますよね。

未来:日本語を母語として生きているっていうことについては、自分で自分を認めて、自信を持っていただけたらなーって

安東:5年後、10年後、もっと先でもいいですけど、こういうことやってみたいなーとか、こういう人でいたいなーとかっていうのはありますか?

Eico:私は自分が一番で輝くよりも、人を支えたいって思っています。なので、中国語の発音のサポートをしたいなーっていうのもそうだし、自分が最近、意外に資料づくりとかPowerPointづくりが向いているのかもしれないっていうのに気がついたんです。上司とかからもダメ出しを受けてるんですけど、完成した資料は意外に評価は高いんです。もしかしたら、そういったことで人のお手伝いができることもあるかもしれないって思いました。
人の悩み事やお困りごとをサポートできるようなことで、お金をいただいて貢献させていただく、手伝わせていただくっていうことができたらなーっていうふうに思っています。

安東:支えになりたい、助けたいのはどんな人ですか?

Eico:一つはやっぱり過去の自分かなーと思いますね。自分が過去あんなにグルグルグルグル回ってて、「私はなんにもできないんです」「やりたいことが見つかりません」「なにもかもできません」「今の状態続けるしかありません」みたいなことをいろんな人に言ってたんですよね。ずーっと、言い訳上手だったんです
言い分けをここ数年、取っ払ってみると、「ああなんだ、こんな世界もあったんだー」って気づきました。自分から殻に閉じこもろうとしてただけでした。過去の自分と似たような方がいらっしゃったら、殻をガツンって破るのではなく、コンコンってノックして、外の世界もありますよってお伝えしてみたいですね。

あと家族っていうのは大切だなーと思っています。「女性活躍」という言葉に、私けっこうガックリきたタイプなんです。なんかもう、「これ以上何をしろと?」。産んで働いて輝け、育てろみたいな、「やーもうむりむり」みたいなのもあったんですよね。子どもの支えになりたい。それは、もしかしたら自分がもっと支えてほしかったからっていうのを代償してる可能性もある。自分に言い訳したくない子どもがこうしてほしいというときに、さっと「わかった!」って言って動ける。具体的に言うと、昔あったのは「お迎えにきてほしい」って保育園から電話があったときに、「ちょっと待ってください、ちょっと待ってください」って言って先生に電話して、会社でも周りに謝り倒して必死こいて保育園行くと、子どもがしょんぼりして下を向いていることがありました。自分は周りにすんごい謝ってすんごい頑張ってきたのに、何をしてたんだろうと後悔しました。子どもが病気のとき、すぐに来てほしいと思うときにすぐ行けるようになりたいなーと思っています。

助けてほしいって言われたときに助けられるような状態でありたいそのためには自分に余裕がないと無理だなーって思うんです。仕事とか家庭とか考えて頭がグルグルグルグル回ってる時は、自分が頑張ってそうやって支えてるつもりでも、どこか空回りしてたりキャパオーバーになってたり、苦しんでたりとかするんです。サポートしてる人が苦しんでて、サポートされてる側はうれしいんだろうかって思う。苦しんでるときは自分ができることだけをする。苦しんでないフラットな状態で、子どももそうだし、中国語の発音で困っている人をフラットな状態で受け止められる存在でいたいなーっていうふうには思っていますね

安東:「フラットな状態」っていうのは、Eico さんにとって具体的にどういう状態ですかね?

Eico:自分に余裕がある、かな、やっぱり。
スケジュール調整が私すごく苦手で、3つぐらい予定が入ってくるといろんなことが抜け落ちちゃうんですよ。買い物行くの忘れるとか、子どもたちも「お母さん忙しいとき忘れるもんね」って、最近はもう怒らなくなってきました。この間も頭がいっぱいになりすぎて、子どもの塾から「教材の受け取り、あと3分で終わるんですけど」って電話かかってきちゃって焦りました。スマホに予定も入ってる、メモも書いてる。なのに忘れている自分。「これはもう頭と時間がパンパンになってるなー」って思ったんですよ。その日ちょっとバタバタ、いろんなことをやってたっていうのもありましたが、時間に余裕を持ちたい。

で、もう一つ言うなら精神状態かなって思いますね。どうしても、目の前の事に囚われたりは、末っ子だったって話にもつながってくるんですけど、周りの人から結構ダメなところを指摘されることが多かったんですよね。周りの人は良かれと思って忠告とかアドバイスしてくれてるだけなのに、自分はそれがダメなんだって勝手に脳内変換して、「だから自分はダメだから、もっと頑張らなきゃいけないんだ」って思って人生を過ごしていたんですよ
最近思ったのは、忠告やアドバイスを言ってくれる人たちは、別に私が変えようと変えまいと、そこは別に責任を持って言ってくれてるわけではなくて、思ったから言ってるだけなんだーって思ったんですよね。だから人にそうやってアドバイスしてもらったときも、精神状態を「ああダメなんだダメなんだ」って思うんじゃなくって、「あっ、そういう面もあるんだなー」って受け止められるというか。で、変に自分を卑下しないとか、そういうところで心を穏やかに保ちたいなーと思っているところですね

安東:ご自分が教える立場にいるときは、伝え方などで意識されてることはありますか?

Eico:教えてる側から言うと、上から目線でちょっと申し訳ないんですけども、たとえば10個改善するべきところがあったとしても、10個は言わない。言えて1個か2個。優先順位を、私の中で言うことを選ぶっていうことですね

あとは、必ずいいところを見つけるよう気をつけてます。教えるとき、特に私は発音っていう、いわば声の出し方を指摘するわけなので、中には自分を否定されたように思っちゃう方もいらっしゃる分野なんですよね。ただ、中国語の音としてこういう現象があるから、こういうふうに舌を動かせば、口を動かせば変わりますよっていうところをお伝えする。発音にはいいところ、いろんな要素がある、音の出し方にしても、その中で「ここはできてらっしゃいます」と。で、その中でもここをもう少し変えるとっていう、その変えるところも10とか20のうちから1個、最優先を選ぶんですね。「ここをこういうふうに変えるともっとより良くなりますよ」っていうふうにお伝えします。
中には「今でも通じてるんだからいいんだよ」と思ってしまわれる方がいらっしゃるのは重々私も承知しています。実際ね、なかなか伝え方が難しいなーと思う場面もあります。それでも、発音のレッスンを受けたいっておっしゃってくださっている方が、目の前にいらっしゃるわけですから、気持ち良く、私の指摘を受け取っていただきたい。そうするには、いいところを伝える、問題を切り分ける

あとは、発音は技術ですって、仕組みについてお伝えするというところですかね
「感覚的にちょっとこうなんだよね」って言われても、それこそ例えが古くて恐縮ですけれども、長嶋茂雄監督みたいな擬音語で通じる人はそれでいいんですけど、それだとほとんどの方が「えっだから何が違うの?」みたいになっちゃうと思うんです。発音の音の中でここはできてるけどここはこういうふうになってるからちょっとこういうふうに違う、こういうふうに相手には誤解される可能性があるっていう音の仕組みを伝えて、その後も、「ここをこういうふうに改善すればこうなります」って全部ステップでお伝えするっていうところを教えるときは気をつけてます

安東:いろいろ伝え方を考えてレッスンされてるんだなって思ったんですけど、自分が教えてる方とか関わってる方にはどういうふうになってほしいですか?

Eico:日本人であることを誇りに思っていただきたいと思っています。
もしかしたら「日本語母語話者」とかにしたほうがいいかもしれません。今はもうグローバル化の時代ですから「日本人だけど、私の第一言語は英語」っていう人がいるかもしれないんでね。
私が20年前、10年前とか英語に必死になっていた頃は、「日本人のここがダメだから英語がダメだ」みたいな本が流行って、勝手に心を痛め、勝手にコンプレックスを持つなんてこともありました。日本語を母語とするからこそ、私が日本語で中国語の音を伝えられるわけです。日本語がダメな言語なわけでも何でもなく、きちんと、日本語という体系立った、ルールに従った言語です。だから、日本語を使ってきているっていうことで、そのうえでさらに外国語をのせようと思ってらっしゃる方については、自信を持っていただきたいです

それは過去の自分が「英語ネーティブになりたい」とか思ったこともあったし、なれないと思って絶望したこともありました。台湾の後輩が「外国人ってすぐバレるんですー」なんて言ってるのを聞いて、「えっなんでバレちゃいけないんだろう」って思ったこともあります。そんなとき、自分の中でも「あれ、なんで私、日本人じゃないって思われたいんだろう」って、気が付きました
彼女の言葉が自分の過去を投影してたっていうのもありますね。台湾の言葉を母語として、今、日本で日本語で仕事してるわけなので、それを誇りに思っていただいて全然いいのに、全然問題ないのにどうして?って思いました。私も、自分だってそうだと気が付きました。日本語でこうやってインタビューも受けさせていただいて、お話しさせていただけるっていうのは日本語が母語でこれだけ人生を過ごしてきたからであり、日本語でこの情報キャッチできたわけですからね。
そういったところも、日本人である、日本語母語話者っていうことをおごる必要はないんですけど、自信を持ちたい、アイデンティティを認めたいということにつながると思います。自分が日本語を母語として生きていることを、自分で自分を認めるっていうこと。いい悪いではなく、こういうことなんだって認める。で、自信を持っていただけたらなーって思いますね。

安東:ありがとうございます。もしもの未来の質問っていうのをしてるんですけど、もし中国語に出会ってなかったら、台湾の子に会社で出会ってなかったらどういう人生になってたかなーと思いますか?

Eico:面白い、面白いですね、その質問。どうなってたでしょう。あのまま、英語を嫌いになり続けて腐っていていたかな。韓国語に手を出してたかもしれません。

安東:ああ、もう別の言語に!

Eico:いや実はね、理由があって中国語を学ぶのを選んだんですけど、韓国語と相当迷いました。「あのハングルの文字読めたらどんなに素敵だろう」っていう思いはあったんですよね。

安東:中国語と韓国語と迷って、決め手は何だったんですか?

Eico:実利的な理由です。世界の日本語学習者の数は、中国語母語話者が断トツ一番なんです。日本語を使って日本語を教えてても、中国語がわかったらすごいスムーズなんですよ。そして、ちょっと中国語がわかると、生徒たちは喜ぶんですよね。で、「実は中国語習ってるんだ」みたいなことを言うと、「うん、中国語教えてあげる、先生!」とけっこう生徒に好感を持っていただける「私も学習者だから、あなたたちも頑張ろうよ」って言うと、「がんばります!」みたいな話になるので、それがよかったな

あともう一つは、今はちょっと下火ですけれどインバウンドですね。当時は中国人の観光客がたくさん日本に来ていて、銀座の町を歩けば中国語がどんどん耳に入ってくるような状態でしたので、話せたらいいなーって思いました。韓国語を耳にするよりかは、中国語を耳にする機会のほうが私は多かったですね。通訳案内士の英語の資格を持っていても、やっぱり中国のお客様が日本に来る機会が一番多いんですよね。中国語を使っている人たちと英語でコミュニケーションはとれたとしても、第二外国語でコミュニケーションするんだったら、ズバッと相手の母語でやったほうが効率いいなって思うんです
だから、私の周りには、韓国よりも中国のほうが、韓国語よりも中国語のほうがたくさん触れ合う機会があった感じでした。

安東:いろんな言語に触れてきてると思うんですけど、言語学習の何が好きとか、どういうところがいいなって思ってらっしゃいますか?

Eico:哲学的なお答えになるんですけれども、終わりがないことです。どこまで行ってもゴールがないことが嫌だった時期もあります。「いつまでやればいいんだよー」って、若い頃は思いましたけど、今は「終わりがないからこそ続けられるんだ」って思っています。なんだったら一生できるし、これはもう最高の趣味、楽しさではある

あとは、言語が生き物だってことですかね。日本語だってだんだん流行語だったり使ってる言葉だったりが変わってくっていうのが面白いですね。

安東:インタビューはこれで最後になるんですけども、もうちょっと喋りたかったこととか、言い残したことはありますか?。

Eico:先ほど最後にご質問していただいた語学の学習方法ですね。英語と中国語、それに加えて日本語も多少は勉強しました。「言語ってどうやって学習したらいいですか」って自分も思ったし、生徒さんにも聞かれることがよくあるので、そのお話がね、もしできたらよかったなー。
話し始めたら1時間でも喋っちゃうかもしれない。これは失敗したあれは失敗した、こういうのやってみたとかかじってみたとか、いろんなことをやってきました。わたしはすんなりとは勉強が進んでいません。しかも外国に留学も駐在もしてない中でやったことがいっぱいあるので、もし機会があれば、もし聞いてもいいっていう方がいらっしゃったら、ぜひお話しさせていただけたらと思いますね。

安東:ありがとうございます。

Eico:本当にありがとうございます。

あとがき:青空すみれ(編集協力)

Eicoさんが、「“自分に余裕のある状態”で暮らしたい」とお話しされていて、私も最近似たようなことを考えていたので、強く印象に残りました。“自分に余裕のある状態”だと、大きな波(出来事)にも落ち着いて対処できるし、困っている人にソッと伴走できるので、“自分に余裕のある状態”の人でありたい、それを意識して暮らしていきたいと改めて感じました。ご参加、素敵な気づきをありがとうございました。

あとがき:安東まつ(インタビュアー)

終わりがあるから頑張れる。終わりがあるから美しい。
なんなら終わりが見えないと苦しくなってしまうことが多く、自分で強制終了させることも多々ありました。嫌なことはもちろん、好きなことでも。
「終わりがないからこそ続けられるんだ」という言葉は、私を少し自由にしてくれました。「続ける」って選べるんだなと。なんだったら、何度やめたっていい。またやりたくなったら再開もできる。それも「終わりがない」もののよさなんじゃないかと思いました。
終わってしまう尊さ、終わらない楽しさ、どちらも感じられる人になりたいです。

インタビュー担当:安東まつ

編集協力:青空すみれ

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