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無名人インタビュー:今は難病になって良かったとさえ思ってる人

「苦痛が人類を完成へと導く」と書いたのは誰だったか。
生きているときに苦しいことは必ずあって、それをどうやって避けるのか、受け入れるのか、受け流すのか。いろいろみんなやってんね。良いことばかりの数珠繋ぎにはならない。
煩悶する。
今回の参加者は、人生の真ん中へんで難病にかかった南野原つつじさんです。実は過去にも難病の方が数人いらっしゃったのですが、難病自体には直接ふれていなかったので、今回が初めて難病について正面からお伺いした回になります。
今、地球規模での感染病が流行しています。人類の歴史は病との戦いの歴史という側面もあります。死ななければ経験と知識がそのぶん集団に蓄積されることになりますから、命の長さと文化文明には深い関係があったわけです。(その因果関係が情報化社会で変わりつつあるのですが)。
自らの病をどう受容し、そしてその結果、どうして難病カウンセリングという他者との関与に臨むようになったのか。そのあたりを知るきっかけになれば幸いと存じます。
楽しんで読んでね!

今回ご参加いただいたのは つつじ さんです!

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1,難病カウンセラー

はい、ではどんなインタビューにして行きましょうか?

南野原つつじ:お任せします。

qbc:では今、何をされている方でしょうか?

南野原つつじ:主人の仕事の手伝いと主婦、それからボランティアで、難病や病院に行ってもなかなか治らない心身の不調を抱える方々のお悩みを聞いたりしています。
自分自身難病患者だったので、難病患者さんのしんどさがよくわかるのと、あとこんなふうに考えれば元気が出るかもと言う考え方をお伝えしたりしています。
具体的には大学時代から専攻していた心理学を活かしたり、ニューロセラピーというセラピー、チャネリングの技法などを活かすこともあります。

qbc:オンラインでカウンセリングですか?

南野原つつじ:すべてオンラインです。LINEでやりとりしていたこともありますが、今はほとんどZoomです

qbc:具体的に、カウンセリングで話されることってどんな内容なのでしょうか?

南野原つつじ:なかなか治らない心身の不調の裏には、ストレスが隠れていることが多いんですね。そのストレスの原因になる、その人を不幸にさせるような思い込みを、その人を幸せにするような考え方に変えるように気づいていただくということがメインになっています。

例えば「あの人はいつも〇〇」とか「みんな〇〇」とか、そういう断定的な考え方をされる人が多いんですけれども、現実は〇〇の時もあれば〇〇の時もある。みんなではなく、〇〇の人もいれば〇〇な人もいるというのが、現実なんだと思うんです
その人の考え方の合理的でないところとか、その辺をその人が気づくようにいろんな質問をしたりしていきます。

qbc:メンタルの不調に対するカウンセリングだけではなく、体の病気があることを前提にしたカウンセリングは、珍しいものなんですか?

南野原つつじ:最近はボディーサイコロジストと言って、体に出た症状から心の部分を見ていくような人なんかもちらほら出てきています。
例えば有名な人で言えばおのころ心平さんがそうですし、外国の有名人で言うとジョン・ディマティーニ博士と言う人がいますし、他にも、こういう症状を抱えている人はこういう病気になりやすいとか、そういうことを研究されている人も多くおられます。

おのころ心平さん

ディマティーニ博士

qbc:あ、じゃあもう、こういう肉体的症状を抱えている人は、こういうメンタルの不調も出てるよって分析がもうできてきてるんですね。

南野原つつじ:そうです、そうです。国内外の医師の書かれた本を読み漁ったことがあるんですが、例えば自己免疫性の疾患を抱えている人は自分で自分を攻撃してしまう、責めてしまう人が多いとか、人に気を使いすぎてNOと言えないから、体がNOと言ってるように思われる、という記述は複数の本に書かれていました。
近年は感情と免疫システムの機能の関連性を研究する精神神経免疫学などの研究も進んでいます。
 バイオテクノロジーの世界的権威筑波大学名誉教授の村上和雄先生の著書(生命の暗号)にも、こんな話が載っているんですが、普通は何十年もかけて徐々に進行する白髪化という老化現象が大きな精神的ショックで一気に起こったりする、そういうさまざまな遺伝子のスイッチをONにしたりOFFにしたりするのに、心の持ち方が大きな影響をもたらすと。
従来から自然治癒力を発揮する鍵は遺伝子が持っているといわれてきましたが、遺伝子解読が進むこの21世紀には、心の持ち方が発病に際して最大の問題になってくると。
その他、読みやすい本としてはリズ・ブルボーと言う人が書いたスピリチュアル版家庭の医学「自分を愛して」とか、たくさんの本も出版されていますよ。

qbc:スピリチュアル版「家庭の医学」ってパワーワードですね。

南野原つつじ:こういう本を読むと、いかにもスピリチュアルな感じに思われるかもしれませんが、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校のスティーヴ・コール博士の2007年の研究によると、孤独感を感じている被験者は、炎症にかかわる78の遺伝子が過剰発現となってて、逆に抗体の生成や抗ウィルス反応にかかわる131の遺伝子においては、発現量の低下が見られたそうです。
強い孤独感は、心臓病、アルツハイマー病、関節炎など、炎症を伴う病気のリスクを上昇させ、さらにウイルス性の風邪などにかかりやすくなることを示唆している
なんてデータもあるんだそうです。
その孤独感も「本人がどれだけ孤独を感じているか」という主観的な感情のほうが免疫細胞との関連性が強かったと。
これは一例ですが、他にも、その人がどんな感情を抱いているかということが、どんなふうに心身の健康に大きな影響を持つのかということが、徐々に科学的にも解明されるようになってきてるらしいんです。

qbc:なるほど。

南野原つつじ:私のニューロセラピーの先生、岩田大輔先生もおっしゃってました。
被害者意識から解放されると快方に向かうことが多いと。
感情がニュートラルになると、病状が快方に向かうだけではなく、愛と感謝の気持ちになることができて、人間関係も改善され、イキイキとした自分らしい人生を歩むことができるんだなということを私自身も実感しました。
病気を治すのはあくまでも医師の仕事なんですが、ストレスにうまく対処できるような考え方や言動にシフトして、病気を治す自然治癒力や、良くなろうとする心や元気を取り戻すお手伝いができるといいなと思っています。

岩田大輔先生

qbc:ありがとうございます。内容的には分かってきました。
それで、つつじさん自身は、そのカウンセリングをやられているときって、どのような感覚なんでしょうか?

南野原つつじ:それまで死にたいとかおっしゃるほど苦しんでいた方が、光輝くような笑顔になるのが、ものすごく嬉しくて感動します。2人で涙を流すこともあります。

qbc:人によりけりではあると思うのですが、そこまで到達するのに、どれぐらいの期間を要するものなんですか?

南野原つつじ:LINEでやりとりしていたときは、300通ぐらいやりとりしていたこともありました。
その方は、はじめは間質性膀胱炎という難病で痛くて辛くて、もう生きていても仕方がないっておっしゃっておられたんです。けれども、今は元気になられてお仕事も毎日休まずにいけるようになったとラインをもらいました。
たった数十分で心のトゲが抜けて元気になられた方もおられます。

qbc:すごいですね。気持ちの方向が変わるというのは重要なことなんですね。
この難病カウンセリングですが、世の中に広がっていっている印象はどうですか?
ご自身の体感値で大丈夫です。

南野原つつじ:岩田大輔先生は、ニューロセラピスト養成講座などを開催されて、後進を養成すべくご指導されてます。
今病院に通っていてもなかなか治らない心身の不調を抱えている方はどんどん増えていますので、このような、その人本来の元気を発現させることを助けるような役割を担う方も、今後どんどん増えてくるんじゃないかなと思っています。

2、重症筋無力症

qbc:過去のことをお伺いしていきましょうか。お子さんの頃は、どんなお子さんだったんでしょうか?

南野原つつじ:えっとすごく本が好きで本ばかり読んでいました。いやもう手当たり次第って感じですね
南総里見八犬伝とか、好きでした。子供用のやつなんですけど。

qbc:あ、子供用のですか。古典の八犬伝かと思ってびっくりしました。
なるほど。でも八犬伝は物語じゃないですか。そういう筋書きがあって、というのが好きだったんですかね?

南野原つつじ:子供の頃にNHKでやってる人形劇があって、それがすごく面白かったんですよね。とにかく本が好きでした。
高校のときも文学史の授業ってあるじゃないですか、そのときに「この本読んだことがある人?」 って先生に言われて、結構毎回手をあげてたような気がします。

qbc:日本の作品が好き?

南野原つつじ:そうですね。外国の作品て、なんか登場人物の名前が覚えられなくなったりするので(笑)

qbc:今のご病気の事について、もうちょっと詳しくお伺いしたいです。何歳ぐらいのときにご病気だって分かったのでしょうか?

南野原つつじ:49歳のときでした。2013年の秋に、車を運転してて左まぶたがあがらなくなったんです。それからものが二重に見えるようになって。大晦日に大掃除をするときには、腕が上がりにくくなっていて、五十肩だと思ってました。
それで、2014年の正月にいきなり全身に何十キロかのおもりが乗っかってきたような感じになって。それでお鍋に入れていたオタマジャクシも持ち上がらなくなったりして、これは明らかに異常だなと思いました。
お正月だったので夜間救急センターに行ったら、明日すぐMRIのある大きな病院に行ってくださいと。それで翌日、検査してもらうと脳の血管にも首の血管にも何も異常はない。多分この病気だろうと地元の病院を紹介されました。
検査の結果「重症筋無力症」だとわかり、すぐに入院しました。

qbc:そのご病気って、突然かかるものなんですか?

南野原つつじ:人により、いろいろです。

qbc:重症筋無力症。

南野原つつじ:はい。普通、神経が命令を出すとそれが筋肉に伝わるんですけど、その指令を受け取るときに、邪魔をする抗体を自分の免疫が出してしまうという病気です
だから、普通に窓を開ける時とかでも思いっきり必死で開けてるんだけれども、開かなくて。SASUKEってテレビ番組で、ウォールリフティングって、何百キロもの鉄の扉を持ちあげて進むような競技がありましたが、あんな感覚。普通の窓開けるのに、全身で歯を食いしばって力を入れてもむちゃくちゃ重く感じるんです。
なにもしなくても、なにをするにも、とにかく凄くしんどいんです。

qbc:子供時代の話にちょっと戻るんですが、なんていうか、その難病にかかる前は、普通に人生を歩まれていたというか、普通に暮らしていたんでしょうかね?

南野原つつじ:はい。お産と歯医者以外は、ほとんど医者にも行かない感じでした。

qbc:難病になったときって、どんな気分だったのでしょうか?

南野原つつじ:はじめはしばらくしたら治ると思ってたんです。
胸腺腫という悪性の腫瘍があって、それを切除手術すると良くなる人が多いと聞いていたので。
それと、世界的な権威がいた大学病院にセカンドオピニオンで行った時に、「多分秋ぐらいから良くなるでしょう」みたいなことを言われたので、良くなると思ってたんです。
ところが秋ぐらいから下り坂を転げ落ちるような感じで、病状が悪化して。
手も全くあがらないし、自分の頭を自分の首が支えることもできない。物がよく噛めないとか、飲み込めないとか、言葉のろれつもうまく回らない時があるとか。
物が食べられなくなるので、20キロくらい痩せて、やつれました。自分の唾液を自分が飲み込むこともできなくて、自分の唾液で溺れ死にそうになったり。息もできなくて、当時小学校4年生の息子が救急車呼んでくれて病院に行ったこともありました。

qbc:はい。

南野原つつじ:とにかく子供がかわいそうでかわいそうで。
このままずっとこうやって、寝たきりでみんなに迷惑をかけるだけの存在だったら、私なんていなくなったほうがいいのになと思って。
でも、私が死んでしまっても子供がかわいそうだしとか。
そんなことを思って、しょっちゅう泣いてました。

qbc:ベッドで寝たきりの生活だったんですか?

南野原つつじ:そうですね。ほとんどベッドで寝てました。
でも足だけは比較的大丈夫だったので、トイレは自分で行けたんですけど。
でもほとんど何もできない状態でしたね。

qbc:その日によって、動きにくい体の部位が変わってしまったりとか、そういう状況なんですかね?

南野原つつじ:そうですそうです。その日にどの筋肉が言うことをきかなくなるかは、その日になってみないと全くわからない。なので、何か爆弾抱えてるようなそんな感じでしたね。

qbc:それは、どれぐらい続いたんですか?

南野原つつじ:すごく大変だったのが、2014年から2015年の前半くらいで。でも、少しずつ元気になってきたんですね。それはありとあらゆる医療、例えば漢方とかオゾン療法とかホメオパシーとか手当たり次第やってみたんですけど。
漢方は私に合わなくてむしろ悪化したし、いろいろな療法をやってもなかなか治らなかったんです。
だから、難病を治した人の真似をしようと思って、治した人の話を読んだり聞いたりしました。
そして、こんなふうに考えると元気になれるのかもしれないと言うことをつかみ始めてから、徐々に元気になってきました。

qbc:なるほど。

南野原つつじ:それで、2017年の9月にバンド組んでライブハウスに出たんですよ。
昔バンドやっていて、ギターを弾いてたこともあって。
自分が本当にやりたいことをやると、今まで眠っていた元気が出てくると聞いたので。
心の奥底でまたやってみたいなと思っていたけど、できなかったことに、あえてチャレンジしました。
結婚してからは全然バンドとかやってなかったんですが、主人はずっとバンド組み続けてて、その主人のバンドが10周年記念のときに、ちょっと出さしてもらえないかって勇気を出して言って、近所のママ友とバンドを組んで出たんです。

qbc:難病ムーブから一転してって感じですね。

南野原つつじ:そのときは、まだ病気が深刻な状態だったので、ギターを肩から下げることも握ることもできなかったんです。重たすぎて。でも、フェルナンデスのZO-3(ぞうさん)というとても小さくて軽いギターならさげられて、ネックも細いので握力がない私でも何とか押さえることができました
それでずっと練習してて、「本番もこんなちびっこギターやったら格好悪いよね」って言いながら、でも本番2週間前になったら、なぜか奇跡的に普通のギターを持って立てるようになったんです。
病気って心や体が動くと元気になると思ってるんですけど、このライブはほんと感動しました。まわりのサポートも厚かったし。このことで、またぐんっと元気になりましたね。

qbc:徐々に回復していくんですね。

南野原つつじ:で、2018年3月に、アメリカのセドナとラスベガスにいったんです。外国なんてムリだと思ってたんですけど、現地で調子が悪くなったらどうしようとか、不安だったんですけど。
で、セドナで私が会いたかったヒーラーさんにみてもらって、「来年の3月からよくなるでしょう」って予言されて、後から振り返ると、ほんとにそのころから薬なしで生活できるようになれてたんですよ。やっぱり心の力ってすごいなと思って。

qbc:心の力っていうか、つつじさんのバイタリティとまわりのサポートもすごいと思いますよ。

南野原つつじ:私、もう二度とね、家族で遊園地なんて行けるわけがないと思ってたんですよ。ハリウッドのユニバーサルスタジオ行くときも、「お母さんは体力もないし、よれよれしてるし、ずっとレストランで座ってお茶してるから、みんなは遊びに行ってきてね」って思ってたら、着いた瞬間みんなに手を引っ張られて、ばーっと連れられて、なんだか知らないうちにいろいろジェットコースターとか乗ってたりとかね。そんな夢みたいなことがかなったんだと不思議でした。
「私は難病患者、もうダメなんだ」って思ったらダメになっちゃうけど、「難病でも4,000m級の山に登山している人がいる」とか、自分が元気になれるような情報を入れていったら、人って案外眠っていた元気が出てくるものなのかもしれませんね。

qbc:つつじさんって、もともとは、難病になる前はアクティブな方だったんですか?

南野原つつじ:アクティブなほうだと思います。放送局FM局で働いていました。
開局する前の参加メンバーとして入れていただいて、忙しくていつも深夜にタクシーで帰宅するような感じでしたね。社外ではバンドやったりお友達と劇団作ったりとか。

qbc:めっちゃくちゃアクティブじゃないですか。

南野原つつじ:それが、結婚退職して、いろいろな活動ができなくなって翼をもぎ取られたような気持ちになってしまって。
嫁としてとか母としてとか、いろいろ与えられた仕事に追われてしまって。本当の自分を生きられてなかったと思うんですよね。でストレスためちゃって。
でも病気になったことで、自分のことを振り返って見つめる機会になりました。
自分が勝手に自分を被害者にしてたなってことにも気づけたんですよ。
それからです、自分の今までの思考・言動・コミュニケーションなどをチェックして、自分改造が始まりました。自分や自分の周りを幸せにしない思い込みが変わると、人間関係もすごく良好になり心身ともに徐々に元気になり毎日が生きやすくなるんだなぁって、実感しました。

3,難病になって良かったと思える

qbc:未来についてお伺いします。ここから5年後10年後、こうしたいといったイメージはありますか?

南野原つつじ:私自身、一時は絶望の真っ暗闇の中に突き落とされたような感じになったんですね。
でも私の前を照らしてくれる人がいっぱいいて、私の前は真っ暗闇だと思ってたけど、実はこんな道もあんな道もあるんだと思えたら、立ち上がる元気が少しずつ出てきたんです。
かつての私と同じように、今病気などで絶望して悩んだり苦しんだり立ち上がれない人がいたとしても、だれかがその人の前途を照らしてあげれば、もしかしたら立ち上がれたり一歩を踏み出したりするきっかけになるかもしれないじゃないですか。
だから今度は私の番。自分がしてもらったこと、教えてもらったことをまた誰かに伝えていきたいなっていう気持ちがあります。ブログなどを書いて情報発信しているのもそのためだし、そういうことが今の私の生きがいになってると思うんです。

qbc:つつじさんには、いろいろなものをパワーに変えてしまう力があるんですかね。

南野原つつじ:人一倍めんどくさがりで、へなちょこな私ですが、それでもこんな私になにかしら力をもたらしてくれるものがあるとしたら、それは病気が私にくれた恵みじゃないかなと思うんですね。
災いは災いのままだと思うとしんどいけど、それを例えばオセロでね、自分の目の前にたくさん並べられた敵の石の先にたった1枚希望の石をおくことができれば表裏がひっくり返る。今まで苦しみが多ければ多いほど、ひっくり返れば喜びが大きくなる、そういう考え方ができる人とできない人では、発揮できる様々な力に大きく差がつくと思うんです。
例えばビールの缶でも、上から見たら円だけど、横から見たら四角ですよね。
四角しか見れない人はいつまでも四角しか見えません。
自分のことを不幸だとしか思えない人も、ちょっと視点を変えてみるだけで人生が大きく変わるかもしれない、こういう物事のとらえ方の切り替えを教えてくれたのは、ほんと病気だったと思います。

qbc:ポジティブな人とネガティブな人の違いは何か? って話があって、不幸な出来事が起きなかった人がポジで、そうじゃなかった人がネガなのか? って。
そういう分け方じゃなかったんですよね、ポジの人にも不幸なことが起きている、ただその不幸な出来事に対しても、ポジティブに解釈できる人間がポジティブなんですよね。

南野原つつじ:そうなんです、見方、とらえ方なんですよね。
でね、ポジティブを求めすぎる、ポジティブに偏りすぎるのもよくないそうなんです。
ポジティブになろうとこだわる思考が、うつの原因という説もあるくらいです。
そもそも良いことと悪いことは裏表。いいことだけ、悪いことだけというのはあり得ない。良いことだけを求めようとしても得られないのに、得られない自分や境遇を責めてネガティブになるのだと。
臨床心理学の大家、河合隼雄先生が「二ついいことない」というようなことをおっしゃっているんですね。
一つ良いことがあったら、一つ悪いことがある。
宝くじ当たったら働くのがあほらしくなって身を持ち崩すとかね。あの人は広い家に住めていいなぁとか思ってしまうけど広い家の人は広い家の人で実は掃除や管理がむちゃくちゃ大変とかね。
一つ良いことがあったら一つ悪いことがあると思っていたら、そうそうつまづかなくなると。逆に、悪いことがあったらその裏側のいいことを考えて、そのための試練だと思えば乗り越えられるようになったり、賢くなったり強くなったりできる。

qbc:そうですね。

南野原つつじ:でも、私たちはどうしても自分にとって都合の良いほうばかりを選んで、悪いほうを遠ざけてしまうんですよね。
蓮の花はきれいで好きだけど泥は嫌いとかね。泥がないと花は咲かないのに。ニュートラルな物の見方がなかなかできない。
そこで、「あなたが苦しいと思っていることはほんとうに苦しいことだけですか? あなたがいいなと思って憧れていることはほんとうにいいことだけなんですか?あなたが辛いと思っている○○のおかげでこんなことを学べたということはありませんか?」というようなことを様々な角度からご本人に気づいていただくような質問をたくさんします。
そういう裏側に気づいてもらうようなワークを、特殊なテクニックを使ってカウンセリングの中で行っています。
これは私が病気からの学びで得たものです。

qbc:無名人インタビューでは「もしもの未来」も聞いています。もしもですね、つつじさんが難病を発症していなかったら、どうなっていたんでしょうか?

南野原つつじ:面白くなかったと思いますね。難病にかかったからこそ、今の私があると言う感じです。難病のおかげでいろんなことを学べたし、いろんな人とつながりができたし、生きがいができました。

qbc:どこが、一番変わりましたか?

南野原つつじ:今までは「〇〇になりたい」だったんですよ。今は、病気の部分も含めて、駄目な部分も含めて、「ありのままの自分」で生きていると言う感じがします。

qbc:重要な感覚だと思うので、しつこく聞くのですが、「〇〇になりたい」というほうが、未来へ向かうパワーがみなぎっている感覚だと感じるんですよ。
で、逆に「ありのままの自分」は現状維持みたいなイメージがあって、パワーが感じられない。
でも、それでも今の「ありのままの自分」の方が良いと感じられますか?

南野原つつじ:「〇〇になりたい」って、よく言われるのが Be good.
良き母であったり良き妻であったり、本来の自分以外の自分になること。
今は、多少よれよれしてても、ぼけぼけしてても、ぽんこつでもありのままの自分で、✖✖な自分も受け入れて、嫌わずに愛する。
自分を大切にして自分がやりたいことをやる。
今までは他人軸というか、変に気を遣ってばかりで、自分がやりたいことをやりたいって言えなかった。
例えば、私はものを書きたいなとずっと思ってたけど、ライティングスクールに行くようになったのも、病気になってからなんですよね。
この思いを誰かに伝えたいっていう、ものすごく強い気持ちができたので、ちょっとでも伝わるようにと思ってライティングのスクールに行けたんです。
心理学の本格的な勉強を始めることができたのも病気になったおかげ。

qbc:はい。面白い。

南野原つつじ:それまでは、やりたいことをしたいとかって、自分のために時間やお金を使うっていうの、変に気を遣って言えなかった。
いろんなことを人にお願いすることができなかったんです。
でも、寝たきりになったらお願いせざるをえないじゃないですか。
松下幸之助が、成功の要因をきかれて、「病弱だった、学歴がなかった、貧乏だったから」って言ってるそうなんですね。
「病弱だったからこそ人の力をうまく借りれた、学歴がなかったからこそたくさんの人の知恵を集めることができた、貧乏だったからこそお金を大切にすることができた」って。
私も病気になったからこそ、人の力を借りられるようになった、死にかけたからこそ、生きてるうちにやりたいことをやると思えるようになれた、そういうのが自分にとってすごく大きいことだと思っています。

qbc:人生の充実感で言うと、今現在はどんな感覚ですか?

南野原つつじ:今、ほんとに充実感がありますね。

qbc:過去最高?

南野原つつじ:過去最高かも(笑)

qbc:今、怖いものはなんですか?

南野原つつじ:やっぱり家族の健康かなぁ。自分はもう死にかけてるので、いつ死んでも悔いはないっていうのあるんですけど、やっぱり家族の健康が一番気になりますよね。

qbc:それでは、最後に言い残したことがあればお伺いします。

南野原つつじ:今辛いしんどい苦しい人たちが、災い転じて福にしよう! って思えるようになられますように……。

qbc:ありがとうございました!

南野原つつじ:こちらこそ、長時間本当にありがとうございました。gbcさんとお話できて本当に楽しかったしうれしかったです。素晴らしいお時間をありがとうございました。

あとがき

あなたはこのインタビューを読んで、どう思いどう感じましたか? ぜひコメントを残していってくださいね。そして話してみたいことがあれば、ぜひ私の無名人インタビューにご応募してください!
と、いうわけで。
「苦痛が人類を完成へと導く」と書いたのは、チェーホフでした。「六号病室」という作品。これが本文らしい。

苦痛は人を完全に向かはしむるものと云ふでは無いか、又人類が果たして丸藥や、水藥で、其苦痛が薄らぐものなら、宗教や、哲學は必要が無くなつたと棄つるに至らう。

極論、苦しみは文化の母ということだ。
インタビューをしながら考えたのは、日本は、日本語しかないので物の考え方を複数持つということに慣れていないのかもしれない、ということだった。いまここではないどこかへ行くことは可能なのに、そこから脱出するすべをなかなか見つけられない。
若い20代へのインタビューをしていても、実はその撞着を感じる。思考の行き止まり感。
それを解きほぐしていくのもこのインタビューの役割なのかもしれないなって思ったりした。

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