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無名人インタビュー:シゾイドパーソナリティ障害の人

ちょっと上級すぎるかもしれない。今回はシゾイドパーソナリティ障害の方で、
「社会的に孤立していて、対人接触を好まず、感情の表出が乏しく、何事にも興味や関心が無いように見える」という性格特徴がある、という人。

今のところもっとも刺激的なインタビューだった。話し方がまったく他の人と違う。同じ日本語を話しているし、おそらくこういったことを言ってるんだろうという推定はできるんだけれども、それが合ってるか分かるまではかなりミステリアスでした。
会話が成立したんだなって分かった今ではややこしい話し方をする人(私と違う話し方をする人)だなってくらいですが。
で、その複雑怪奇な話ぶりをそのまま書くか書かないか迷ったのですが、基本そのままで載せました。めまいをお楽しみください。
名前がころころ変わる方ですが、waffleさん回お送りいたします。どうぞ。

今回ご参加いただいたのは waffleさんです!

1、理解

qbc:よろしくお願いします

waffle:今お家ではお話できない状態でして。よく来る映画館のカフェの所で22時まで開いているので一時間程で。

その何ていうかあんまりテーマを一定に話そうという予定を立てられないんですね。何かしらのワードを提供したので、お化けとかロマとか。そのワードから連想した会話の様な感じに思えるはずです。

Skypeを通じて色んな方と連絡して来たので、あんまり僕の話し方は一般的な人の話し方ではないそうです。だからちょっとだけ何か変な感じがするかもしれませんが、必ずそのテーマに沿って色んな遠回しな表現とかを使って、迂回したとしても結局元に戻るんですよ。話して去くうちにテーマについてお互いに理解し合いお互いの目線を絡ませ合って、それで一つの認識を作るというか、そういった会話になると思うので。なので講演会ではないんですね。「コミュニケーション」って事です。

色んな映画作品とかを引用しながら、僕の「つまり何を伝えたいか?」っていうのは結局通じるんですよ、明らかに。おそらくその、一時間ではなかなか通じないので、話した後に本当に話したかった事が沢山残るはずなんですよね。いつもそうなんです。

それはちゃんと何かあれば文章で提供出来るし、実際その文筆家の方が一年くらい連絡網でのグループというか、ここと一緒ですよ。講義みたいな事をやっていて、その内容を文章化してまとめる人も居て。それも本当に綺麗な文章で分かりやすくて。とりあえず話しましょうって事ですね。

qbc:よろしくお願いします。qbcです。
どこでインタビューを知っていただいたんでしょうかね?

由無:どこで募集を見たかも覚えてないんですよね。いつもそうなんですけど。きっかけというか、仰る通り他にいないんですよね。自分と同じものをみてる方はいないというか、自分と同じものをみてる方々は記念碑の一部になってる場合が多いですね。収容所の記念碑の一部として。あの、パリの地下に「カタコンベ」っていう洞窟があるでしょう。あんな所に頭蓋骨があるとしたらそれは僕と同じような方々ですね、おそらく。

僕に限らず同じ事を見てる方って沢山いるんですよ。今の時代、何処にでもいるんですよ。

何でその話をする必要があるかというと、本来であれば人には話さない事なんですね。ただ、誰に話すかっていうと、おそらく僕の父親とか、母親とか、妹とか。つまりその、僕の隣人たちに向かって話している感じですね。いずれ彼らの耳に入る可能性が高い。何故、その必要があるのかというと、僕は彼らと話せないんですね。

qbc:彼らというのは?

由無:「彼ら」というのは隣人。

qbc:隣人というのは?

由無:えーと、「家族」ですか。妹とか。あと従兄弟とか、親戚とか。そういった、今まで関わってきた「身近な人」といわれる人たち。で、おそらく、一般的な関係でいえば、 「信頼し合っている」とか「近しい存在」とか、そういった存在ですね。今、この瞬間にqbcさんには変な感覚があると思うんですけど、僕の見てる世界は最初からそうなんです。

僕がqbcさんにお話しするこの姿勢と、父親に話す姿勢が全く同じですね。

父親が居ないも同然ですね。で、理解者があんまり本当に居ない。何か?と言うと、何ですか。あんまりその、うーんと、ね。よく解らないですね。分類出来ないという事ですね。

喫茶店でqbcさんが隣にいる感じで話してますね、今。なので、前置きで必要な事は日本語で話しているけれど、僕とqbcさんの価値観が結構外れているよ、という事を先ずは伝えなきゃならない。じゃないと、その、何かを呈示した際に、それに対する印象が、まず我々の間で全く違うんですよ。

qbc:我々というのは私とKatzel さんのこと?

由無:まだお話ししてないのでそれは解らないのですが、恐らくはqbcさんも、もう日本語話すし普通にね。「普通」って解んないですけど。例えば学校で、「上下関係」とか「日本社会」とか、「学校終わったら家に帰る」とか、家庭とか居場所がある。

「街」を想像すると、今、目の前に街があるんですね。舞浜の港町。で、ビルがあって、色んな人が歩いて。ここを遠く見つめると住宅街に入ります。マンションとかね。その方々の生活がある。それが現実でしょう。

えー、つまり、学校で「おはなし」をした事がありません? 周りの人と会話をした事がありますよね。部活動とか先生とか。じゃあ、その時点で、「その環境が無かった場合に人間が何を話すか?」っていうのを、おそらくはあまり機会は無いはずですね。その話を聞く機会が無いはずですね。つまり、そこに居ながら、クラスに居ながら疎外されたというか、存在を消されてる。そう言った、何か「人形」みたいな。「疎外されてるもの」っていうか。

qbc:コミュニケーションをとらない人ということ?

ミミント:ですね。クラスの隅にいて、家には帰らない様な。引き籠らなくて、ただそこに居て。でも誰もその、見つける事は無い、っていうか、関わらない、みたいな。そういう方は偶(たま)に居るんですよ。で、僕はその方々ではないんですよ。その方々を見てるんですね。只(ただ)、同時に、その、普通に生活してらっしゃる方々も、まあ「子供たち」ですよ。

「僕は何か?」というと、僕の自己紹介をした所で難しいですよ。心理学の用語とかを使わないとそれは伝わらないはずです。誰も話したくない、僕も心理学を知らない。だとしたら誰にでも解るように、既にその、誰でも知ってる様なアニメのキャラクターだとか映画のキャラクターだとかを少し挙げたら、この方のこの一部が僕のここに通じるよ、っていうのを色んなキャラクターを挙げながら、ここが僕のこれだよという風に断片的なものを此方(こちら)にね。僕のほうへと、その、キャッチ(投影)させて。

で、結局「僕」の自己紹介になるんですよ。自己紹介から類推して一つの像を創り上げる。/象徴を創り上げる。それがまあ、「人が観る僕」っていうか、「人が診る僕」ではなくて、僕が人に。そうですね。自己紹介する時は、それを仕(つか)う必要が在るという、それですね。だから自己紹介するとしたら、普通の自己紹介ではなくて、もう既に、その監督の方々が描いているキャラクターを用いて自己紹介するしか、もうその、何も理解されないくらいには、もう、何ていうのか。

qbc:表面的に理解するってことではなくて、おっしゃられてる「理解する」っていうのは、深い理解のことですよね。

ミミント:いやー、理解し合えないはずですよ。おそらく、「ひと」は。

qbc:理解しあえないけども全く理解しあってないわけではないですよね。理解にはレベルがある。
一般常識っていうものがあったりするじゃないですか。日本語っていうのも理解の部分の一つですよね。英語もそう。言葉自体も理解の仕方が違うから、ズレはありますけど。
だから、私は、理解ってことじたいにあんまり関心がないです。相手を完全に理解するなんてできない。でも相手について考えることはそれなりに意味がある。

ミミント:ですよね。何らかしらの情報を手にするだけ、みたいな。

qbc:今日言ったことと違うことを明日言うかもしれないし、昨日と違ったことを言うかもしれない。気分も変わるし。その理解については重要視してないです。
ミミントさんは、理解に関してすごく執着されてるんですかね?

ミミント:「僕が理解というのを気にしているか?」って事ですね。まあその、最初からあんまり理解されないな、というのは前提として話してるというか、ただその、予防線みたいなものなんですかね。これを聞いてると言うか、そのうち聞いたりするかもしれない方が怒って切っちゃう可能性が在るというのを防止してるのもそうだし。

後は、えーっとですね、今映画館のカフェに居るんですね。なんでここに最近来てるかって言うと、高校生の頃から10年位来てるんですけど、ただ、今その、Nolan 監督の『TENET』という作品が公開中ですね。あれを基に話すと、話が大体理解されるかな、っていう。

普段は理解されない。けど結局、Nolan 監督が描いてるものを作品ではなくて、ただの我々の、何だろうな。作品ではなく、「日常」だとか「習慣」だとか、そういった日常範囲にそういう作品の、その色んな内容だとか、断片的なシーンをこちらへ持ってくると結局、Nolan 監督の観る世界というか、この世界の姿というか、街の姿や人の姿ってのは可視化出来るというか。ていうか映画で可視化されている、その我々の目線を映画に投影させている。それを人が見て、けれど人はそれを見た際に、夢とか映画だなとか物語だな、と、そういう風に思うんですよね。だからそこで、いや、「映画」じゃないんですよ、って。僕らの視点なんですよ、って。

だから、それについて『TENET』の考察という囮みたいなもので、人に、何らかしらの話をしていくと、勿論、考察される方は怒りますよね。それは、こじつけだとかね。お前の思ってる事なんか感想でしかない、みたいな。勿論そうなんですよ。これは『TENET』の作品考察とかではなくて、ただの、Nolan 監督だとか、僕もそうだし、あとは日本人だったら遠野遥さん。えっと、何かの賞を受賞した、居ますよね、あの方もそうだし。詩人の、twitter でも人気の岩倉文也という方が居て。で、その方とも、おそらく同じものが通じるだろうなって。

で、何かって言うと、えっとですね、何て言うのかな、その Nolan 監督の目線ですよ。人が不思議がる、

qbc:ずっと、ミミントさんの中心にあるものが何か分からないで話を聞いています、私。

ミミント:ですよね。

2、ジプシー

qbc:家族のことを隣人というのは、ただの言い換えなんですか?

ミミント:「言い換え」っていうか、僕の感覚をそのまま言語に当て嵌めて考えるので、

qbc:本当に隣の家に住んでいる人を隣人と言っているのではなくて、家族のことを隣人って言っているんですよね。その「隣人」は比喩じゃないですか。なので聞くんですよ。

ミミント:なるほど。じゃあ種明かしします。中心が分かんない、って仰いましたね。そう、それがもう鋭いんですよ。普通の方は理解しない。えっとね。普通の人は「聞かない」。

じゃあ言いますね。あのですね、僕の周囲にそういった「事情」がありますね。そういう「家族」とか、「人間関係」とか、「家庭」とか、「学校」とか。ただその中心となる「僕」ですよ。中心軸となる「僕」。

qbc:自分ですか。

ミミント:そう。ただこの「僕」が輪郭がほとんど薄いですね。自分との関係で、周りの人との関係を生かしてるのではなくて、ただの周りの人が「僕」に注ぐ、投影する、つまり周りの人の「願い」とか「要求」とかを「僕」に投影するじゃないですか。

「僕」はそれに対して何も返さないんですよね。つまり願った姿というか、可愛い人形を願ったら「僕」は可愛い人形になってしまう。で、その、ピエロみたいに虐められっ子でしたから、苛められっ子のようにね。殴って、笑え笑えってなったら「僕」は笑っちゃうんですよ。見つめるだけなんですね。その方に返せないんですよ。その点で「僕」の輪郭があまり無い。「乏しい」というか。その状態で何年も過ごしていると、まるでね、「カカシ」の様な感じですね。乾き切っていて重さもない、乾いていて。で、味気無いだろう、と。

ミミント:ですよね。そうですよ。例えるものがあんまり多いので、それがジブリの宮崎駿監督作品の登場人物にも通じるというか。で、もう既にアニメ化もされているんですよ。で、『TENET』の、

ジブリの話をしたらおそらく分かる。で、その、輪郭のない感じで、

qbc:ノーラン監督は、「インセプション」は見てる。「インソムニア」も見てる。で、ノーラン監督って「バットマン」も撮った人だっけ。「メメント」も?

ミミント:『Memento』もそうです。(ですが僕のは少し異なりまして、)

qbc:ミミントさんが言わんとしているだろう夢と現実が混濁するところも、ノーラン作品を手掛かりにして、なんとなく分かる。単純な混濁じゃないけど、シナリオの構成めちゃくちゃうまいし。

ミミント:えー、はいはいはい。

qbc:ジブリや、映画のキャラクターで例えると説明しやすいというのも分かりました。

ミミント:映画のキャラクターで自己紹介できるのと、あと今された「夢と現実」ってのがまさに「テーマ」ですね。

これはその、他者(ひと)の価値観では無いんですよ。「不在する」というか「疎外されたものたち」の価値観ですね。何故それを生かさなければならないか? というと、僕が存在を否定されて育ちました。その、ジプシーの方々が居ましたね。Nazism(ナチズム)の全盛期に。

qbc:だからロマの話しが出てくるのか。

ミミント:ですね。Roms(ロマ)の方だって、自分のことを「人間」だって表現しますね。Roms って「ジプシー」って言われるから、じゃあ「違うよ自分は人間なんだよ」って。「ロマ」って表現するしか、もはや国に存在しないんです。ただ彼らは Roms という言葉を使って「人間」という呼び名を付ける事で「不在する」というか、僕にとっては不在する者/もの(事物)。「存在しない」じゃなく不在する。つまりこれは、「不在する」という表現は、只の僕らにとっての輪郭の一部というか。この地上に足を着けて歩くための何て言うか「服」みたいな感じですね。

qbc:デラシネって分かります? デラシネ。

ミミント:déraciné ?  分からないですね。(生きる上で都合が悪いことも多くあります。明日は明日の/明日に向かって撃て/明日とやらは一体いつになれば来るのか?)

qbc:根無し草って意味で、ロマとかそういうのに近いニュアンスですね。

ミミント:なんか気になります。そういう事を教えて貰うと、僕は何にも知らないんで、本当に。(全部本当の事。)

qbc:なるほど。

ジプシーとは
ロマとは

ミミント:でも僕、ロマの方々の生活なんて知らないんですよ。

そういう、何かな。「直感」と云わなくとも、僕が物事を捉える際に理解するための方法を使って、一目で全部分かる訳じゃないけど、大体のその方のその方々の視てるものとかを把握する事が出来るんですね。それは例えば解らない難しい漢字がその本の中に登場した際にそれを辞書を引かずに文脈とか、この作家ならこれをこう捉えているだろうなというそういった背景事情とか周辺状況とかを隈なく類推した結果、そこに答えが現れる、とね。自分なりに答えがそこに見出せるということを、そういった思考法を何て言うのか判らないですけど。まあ、それを使って昔から、「虫探し」の時代から始まってますね、それが。

するとロマの方は何してるかっていうと、彼、彼女たちは占いをしていますね。「ルノルマン占い」とか、そういった占いをしている。占いとはつまり類推によって、そういった「予言」というか、「予知夢」とか、そういったものを。予知夢というのもただの。人は何か「千里眼」とか言う本当は本当は気にしてるけど見つめることが怖くて見つめない部分が夢の中で断片が集まって、結局その映像が浮かび上気にしてるけど見つめることが怖くて見つめない部分が夢の中で断片が集まって、結局その映像が浮かび上その時に本当に苦しい日常を送っていたら夢では首吊りの現場を見たりするでしょ。するとその、別にそれは予知夢じゃなくてただの「現在の日常から何を想像するか?」っていうのを生活する上ではそれは想像するのが難しいんですよ。だって本当に恐ろしいんで。で、夢の中でそれをやってしまう。で、結局それが予知夢だっていうのはロマの方が「これがこうなって、あなたのこれがこうなるよ」って言った途端に、どうして分かるのって言ったら、「夢で見たの」って言う。そうだったんじゃないかな、っていう自分なりの憶測です。こじつけです。知らないです。だからそういう風に過ごすのは何でかって言うと、そうしなければ何が起こるか誰にも解らないんですよ、この日々って。

僕の生活ってのは本当にもう、少しでも見落とすと、あの、ね。だから台詞を少しでも間違えると、もう大叱責されるような環境なので。つまりそれは、台詞ってのはつまり、「挨拶」とか、学校のルールとかが在るでしょう。で、それを。親との関係ですね。だから少しでも、ちょっとでも機嫌を損ねたりしたら、もう大変ですよ、って事で。そこに気を遣う内に同じ事をしている方々が、まあ見えてくるんですね。自分と似ている方。

一番は「猫」です。猫が自分と同じように、その、周りものをしっかり捉えて、その中で、どの様に動けば良いか?とかね。そういったものを、だから猫はゆらゆら動くじゃないですか、猫はくねくね。あの動きが正に、その、僕の気にしてる事をまあ、可視化した様な、そういった姿ですね。何が?って言うと、これもただの僕の感覚ですよ。絶対怒る方居ますよ。だから「僕の現実」です。ね。「妄想」って事です。私の現実で、誰も知らない。

で、それを表現するのなら、猫の尻尾が在るでしょ。あれはその、オーケストラで指揮者のタクトというか、杖、棒ですね。魔法使いの杖。小澤征爾が使ってる。あれによって、だからね。猫の尻尾をあれに例えるのならば、勿論、猫の尻尾を見たら、その、我々の目の前に猫ちゃんが居ます。で、こちらが見てます。しっぽの動きを見るだけで、結局、なんていうのかな。僕らが見てる、その前の風景じゃなくてその、横の、隣の風景というかまあ、なんというか、後ろに何か迫っている場合は、猫の尻尾はその通りに反応しますね。だからその猫の尻尾を見ると、見えない部分まで見渡せるという。でもこれでもなかなか伝わらないので、えっとですね、そうですね。なんか、あの、どうしようかな。ええ、指揮者の動きを見れば分かりますよね。指揮者ってのは、なんか、目を瞑ったりして、全身で表現してますよね。動きを。それを演奏されてる方々が注目して、次はどうすればいいのかとか、どういう風に周りの人と音を合わせるのかとか、そういった全体のその、指揮者というのは全体を統治してる方ですね。あれは。

なのでじゃあ、小澤征爾が少しでもミスしたら。つまり指揮者というのは、そのパートの方々の人間関係まで把握しないといけないんですよ、普段から。で、その靴のすり減り具合とかも、勿論把握してるかもしれないです。色んなものを日常習慣的なものを見なきゃいけないんです。指揮者ってものは。統治しないといけない。無事に演奏を、間違いなく全員倒れることなく、無事に終わらせないといけない。じゃないと、その指揮者が統治してる一つの作品というか、まあ夢ですね。そういったものは少しの揺らぎというか、少しの間違いで全体が崩壊してしまうんです。結局最後に、一人杖をふふふと揺らしているか、ピアノのなんか、草臥れた音がするとかね、全員もう、ヴァイヲリンもチェロも、何でももう、めちゃくちゃになってる訳ですね。カオスの状態になってます。それはただ、指揮者が間違えたからです。つまり指揮者というのは、あの、映画監督と変わらないですよ。全体を統治する一つの象徴物。じゃあ、あのその話はね、Nolan 監督の話に直に繋がるので。でも Nolan 監督の『TENET』はまだ話さないです。それは見ないと解んない。でも最初のシーンだけ言っておきます。あの、指揮者が出てくるんですね、最初のシーンで。オペラの。オペラ劇場の指揮者が映るんです。最初に。演奏を開始しようとする前に銃撃される。で、死んじゃう。それはまさに「演奏をしてはならないよ」っていうメッセージに僕は受け取りました。つまり「夢は見せてはならない」。

夢を始めたらもう、最後までもう全員無事に夢から覚めるだとか、全員脱出するだとか、『INCEPTION』と同じですね。じゃないと一人でも残したら。「夢から醒めずに虚無に落ちちゃうよ」って事です。で、Saito、渡辺謙の Saito が落ちましたね。実際、Heath Ledger(ヒースレジャー)が夢から覚めなかったんですね。2008年。『The Dark Knight』で自殺しちゃった。その模様は『INCEPTION』の Marion Cotillard(マリオンコティヤール)が演じてる Mal(モル)。DiCaprio の夢の中に現れる妻の投影、つまりお化けの妻ですね。お化けの妻っていうと Heath Ledger と同じなんですけど、記念日にホテルから窓を乗り越えて落下しちゃったんですね。それが Heath Ledger が公開の前にホテルで死んじゃいましたね。それと内容は大体一緒ですよ。DiCaprio っていうのは誰かって言うと、Nolan 監督と同じ物を DiCaprio に見せている。ただ DiCaprio は、BATMAN もそうだし、 Nolan 監督のヒーロー的な感じですね、夢の。Nolan 監督がその、「成りたい自分」ではないし、「悪夢を終わらせる」存在ですね。Nolan 監督ってその、夢遊病者とか、アル中とか、つまり話が通じない人を、諦めてるんですよ彼、本当に話が通じないんで、アル中とか夢を見てる方、つまり、何かに囚われてる方がいますね。で、その方は妄想の話を一人で繰り返しますね。アルコール依存症とか。

それを「Nolan 監督のお父さん」とします。話が通じないし、一方的に話をぶつけて来たりだとかで、その彼のその話なんて通じないんですよ。だからどういう姿勢を取るかっていうと、例えば Christopher Schonen(少年)が座ってるんですテーブルに。テーブルの前には酔っ払ってるお父さんがいます。じゃあ、そのイメージとしては Batman Begins のマフィアの Falcone(ファルコーニ) という役柄が。マフィアのボスで Bruce Wayne に銃を向ける。解りますか。乱暴者のマフィアのボスが。Falcone という名前のおじさんがいて、あれが Nolan 監督のお父さんだとしたら解り易いですよ。Falcone がそこに座っている。Nolan 監督が目の前にいる。このシーンがそのまま描写されていて、あのJonathan Crane, “Dr. Crane” ですね。Scarecrow 役の方です。精神科医の。『INCEPTION』でいう、Robert Fisher(ロバートフィッシャー)役の方ですね。彼が先ず、そのゴッサムシティの Arkham Asylum(アーカムアサイラム)。Falcone がテーブルの前に座っていて何か意味解んねえこと言ってんすよ。何か、これでもう世界は終わりだ、みたいな。妄想で話が通じない。

で、Nolan じゃなくて Dr. Crane は彼を見てるだけじゃなくて見つめるんですよ。最初から話が通じないと解った上で見つめるんですよ。つまりもう彼の話の事情というのは無視してます。ただ彼の状態を見つめてますね。だから彼は話をこちらに向けてるけど僕らは別に、彼をどのように眠らせようかとか、そういうことしか考えてないですね。Batman Begins での Nolan 監督の姿って、勿論 Scarecrow ですね。

3、シゾイドパーソナリティ障害

qbc:大体分かってきたんですけど、残り20分です。今、箱猫さんはどういう状況なんですか? 話せる範囲でよいので。

箱猫:僕が人を見る際の姿勢を話しました。僕が Scarecrow として、夢見てる人をそう捉えてるよ、という事と、もう一つは Jonathan Crane というのは、彼はもうここは無価値だと思ってるんです。この社会とか街とかね。簡単に消せないんです。もうそれは無価値って言ってはないけどそういうことです。じゃあ、何が解るかっていうと、僕のその輪郭が薄いのと周りの人間関係が在る。それは僕にとっては価値無いんですよ。街も人も風も皆んな同じなんですね。そういった分類が無い。誰に会おうと、次の日には忘れてますその人の事を。話の内容とか覚えてる、声も覚えてる。ただ、見た光景というか、その方の姿とか街の姿とかは、昨日前日に見た夢を思い出すように僕らは思い出すんですね、おそらく。なんでそうなるかっていうと、僕にとっては、今この現実。今話してます、声発してます。で、今僕は手を動かしてます。じゃあこの現実ってのは明晰夢と変わらないんですよ、僕にとって。とても興味深い話ですが、これを心理学とか精神病理學とかで、本当にもう適当、っていうか、短く伝わるように、症状とか病名みたいなのを、医師が診断してるものを先ず伝えます。一つ、僕の呪いを話すと、「シゾイドパーソナリティ」のなんとか障害とかいう。

qbc:統合失調ですか?

箱猫:統合失調か分かりませんが、まあ「シゾイド」と書いてありましたね。プラスして「離人症」という現実感消失。

qbc:それは、隣人とか輪郭といった言葉で分かりました。

箱猫:?

そうですね。この二つさえ在れば、Roms(ロマ)っていうのは、こういう感覚で見ていたんじゃないか、というのが常に分かるし。「何で彼らが占いをするか?」とかもすぐ解りますよ。何故かというと、類推を使って占いをしますね。物事を類推するとしたら、「夢の建築物」が出来上がります、じゃあ「ハウルの動く城」が「夢」だとしましょう。あれが人類の夢だったらいいんですね。ピラミッドとか Redon(ルドン)の気球とかと一緒です。その先祖が火を放って、本当に意志が無いまま、本当にカルシファーによって、城が荒れ地の大地を蠢く(うごめく)だけという社会ですね。草臥れた廃墟で、この何ていうのかな。ちょっと今見失いました。今何の話しをしていたのかをちょっと思い出したいので、さっき僕が話していた物の中で覚えてることをキーワードでいいので、一言一言でいいのでちょっと教えて欲しいですね。よく迷子になるんです僕。

qbc:一般の人が言う現実感覚とは違った感覚を持ってらっしゃるんですか?

箱猫:ですね。『INCEPTION』と一緒で、パリにいる気分です。夢の中の。

qbc:今後ってどう考えてらっしゃいます? その空間の中での。一年後とか三年後とか。五年後とか。時間はそこにもあるじゃないですか。それは今、どう捉えてらっしゃいます?

箱猫:幾らでも話せるんですよ、僕。

qbc:取り留めなく話されると、ほとんど映画の感想になっちゃってるんですよ。映画は違うでしょって思うんですよ。映画の例えから離れたところで、その時に五年三年、来週再来週とか、未来について考えた時に、その未来について、今どう捉えていますか?

箱猫:まあ先は無いですね。一つの家庭が無くなるかもしれないですよ。なのであの、誰が死んでも可笑しくないような環境で暮らしています。で、自殺とか殺人が起きる可能性が高いですね。もう既に起きてます。

qbc:どういうこと?

箱猫:今年の4月頃にコロナウイルスで自宅で過ごしていた。その時にちょっとね、事件が起きてしまって。事件ていうのはまあ、ちょっとね爆発が起きたみたいな感じですね。

qbc:精神的な?

Katzel:「精神的」ではないですね。まあ人が血を流したっていう事ですね。それを、ね。社会的には本人たちとか法律とかで掃除します。精神科とか使って。ただ僕からしたら、とういうか他の人から見たらただの、とても普遍的な事でしかないです。当たり前に起きることです。ですからその「パンドラの箱」とか、

qbc:家庭の中で殺人が起きたってこと?

Katzel:殺人ですね。死んではないです。ただ本人の認識としてはもう死んだ。死のうが生きようが、碇シンジ君がアスカを見た時の感覚と一緒ですね。死んでようが生きてようが世界はもう、

qbc:例えじゃなくって誰と誰が殺したようにしたの?

Katzel:僕の祖父が妻を。

qbc:おばあちゃんをってこと?

Katzel:そうです。殺害というか、妻を殺せばもう悪夢から覚めて刑務所行くでしょ。刑務所行って処刑とかなったら「それでもういいや」みたいな感じで。結局妻を殺害するのが目的なのではなくて、彼の囚われた、5歳の頃から囚われてる悪夢をもう自分で終わらせることできないんですよ彼。怖いし、自殺なんて怖いから、ただ処刑であれば社会に強制されて。じゃ、彼は最初から、もう小さい頃にもはや社会にリンチにあってるんですね。どこにも逃げ場がない。ロマと一緒です。結局それを彼にそうさせたのは僕なんですよね。それの話もしたらおそらく分かる。でも後10分しかない。でそれは書いてます。
それを知ったのは勿論ヒース・レジャーを殺害してしまったノーラン監督もそうだし、ヒース・レジャー。

qbc:ちょっと映画に例えるのはやめましょうか。

Katze:映画じゃないですよ今のは。映画じゃなくて男の話です。監督をしてるという男です。ノーランっていう名前が無くて良いです。どこにでも起きてるんです。でもっと言うと日本でも。

qbc:何かに例えて話すってのをやめて話してみましょうか。

Katze:そうですね。じゃその話をしますよ。例えることでしか誰にも話せる状況じゃなかったのでちょっとそれほんとに止めたいですよね。すいません。悪気ないんですよ。

qbc:悪気があるとは思ってないです全然。例えが例えを産んでるんで。それだけで楽しくなっちゃうよんですよ。そういう話もいいんですけどね、今はただ確信を突きたいんで、例えないでほしいって言ってるんです。

Katze:じゃあ僕の伝えたいことだけ、ちょっとだけ。人は事情に囚われていますね。事情を活かしてる、そのことによって事実を活かしてないです。目の前に現れた見知らぬ男の子がいたとしますよね。その子が知らない子だったら赤の他人、赤の他人=あの国で殺したのも赤の他人だった。じゃあその子を見つめることはできないな。じゃあ排除。もしも戦争の事情を活かさねばその男の父親は息子を見た時にたとえ赤の他人だろうが息子だろうがただの子供なんですよ。見つめた時に自分の戦争で見た殺害した子供のことなんて別にね、思いだすんですけど、それは戦争の需要です。何十年前の。
結局彼は事実を目の前の男の子がそこでおびえてるよみたいな、こっち見つめてるよってことを活かしたならば、男の子って祖父ですよ。5歳か何歳かの祖父は結局今の事実はなかった。他の人生だったんですよ。そこで指揮者となっていたのはお父さんですね。お父さんが指揮者となって彼の夢を違う曲調に変えてしまった。で今の状況なんですよ。
僕が話してるのは、現在の位置から望遠鏡でずーっと見ると結局、ナチズムとか現代社会とか戦争もそうだしもっというと・・・主義の人も僕にとっては助かる。
まあ城の建築ですね。個人を犠牲にして全体の夢を完成する。今の日本の社会のことも言ってますし、学校の思想とカルト教育とかそういうことも言っているし、もっと言うと日常的なことで我々が電車に乗るとアナウンスが流れますよね。
駅に行くと怪しい人を見たら警察に連絡してくださいとか、もっと言うと困っている方を見かけたらどうしましたかとお声をおかけくださいと言われるくらいには我々はもう考える力を失っているというか奪われてますね。だから何かの際に簡単に重症化します。

qbc:言語が発達する前までは神様の声がはっきりと神様の声として聞こえてきたという発想があるんですよね。絵画に描かれたエジプトの王様とかの王座って空席で描かれるんですよ。神様が座るから空席なんです。で、ある時代を境に人間が坐るようになる。つまり神様の声ではなく、王様の声に従う時代がやってくると。
神様の声に従っていた時代には右脳が発達して、次の王様の声に従う時代になると、言語が駆使され今度は左脳が発達するようになってくる。
で、まあつまり、ほとんどの人間は考えるっていうのをあんまりしてないよと。ごくごく一部だけが考えてて、神様の声が聞こえてるからそれに従ってるとか、王様が言ったから従ってるっていうだけで、考える力なんて持ってる人間なんて、いないと思うぐらいでいいと。

Katze:モン・サン=ミシェルも神の声を聞いて作ったし、空っぽの玉座ってのもたき火の炭かもしれない。

qbc:そこに対して危惧っていうか嫌な感じを受けるんですね。考えの無さっていう嫌な感じ。

Katze:あーはい。目的に夢中になったりとか、マーガレット・ミッチェルという方がいますね。その方も同じことをとらえてるみたいですし。日本で今澁澤龍彦さんのご友人で巖谷國士という研究者が僕と同じものを捉えて。全く一緒ではなくても僕が彼の捉えてることを見るとなんか同じことしてるなって思うんですよね。巖谷國士教授が。それをどんどん突き詰めていくと結局僕とおんなじ罪を見つめてんじゃないかなっていう。誰も言わないことにたどり着いたと気づきましたね。それを本人に言うことはまずできないです。ただ本人が澁澤さんの遺品の杖をついて歩いてるんですよ。みんなはその澁澤龍彦の杖だって、いいなって言うくらいですよね。ただ僕からしたらもうただの杖というか罪ですね。駄洒落じゃないですよ。
杖というかチュエと言いたいんですよ。チュエと言う方々はうちのネズミがチュエと言っているんで僕は杖と言いますね。チュエと言うのはネズミです。

qbc:また話が横滑りしていく(笑)。

Katze:僕もノーラン監督も人形劇するしか生きていく方法がなかったんですね。人形劇が僕らの世界だったんですよ。
関係性をみんな大事にするけど、僕はその関係性ではなくて、その人、その個体というかその人がいるだけっていうのがとても重要で、僕から見ていられれば、うん、そういうことですね。別に関係性じゃなくて。ただあんまりほんとに人がいないもので、同じものを見る人がいないんで。

4、人形

qbc:普通の人と話せないですか?

Katze:普通っていうか、僕に色んなことを教えてくれる本当に親切な方々がいます。
僕学校で勉強してないんですよ。なので僕の連絡とれる相手というのは、何でも提供してくれるんですよ。色んな思想とか本とか文学とか歴史とかを研究とか追求していて、発表会とかしていて。彼らの学んでいることを聞いただけで本の内容を知らなくても、彼がそれを学んで読んで彼らがこちらへ提供したものによって僕が今こうやっています。

qbc:どこで知り合ったんですか。

Katze:twitterで。日記がありますみたいなプロフィール読んで面白そうだなって思ったから、メールのボタンがあって、メールかな? ってボタン押して。それで話しをしていくうちにskypeで話しませんかって話していたら、それの延長で結局twitterの面白い方々と。全然知らない人々の集まりです。

qbc:なるほどね。それで〇〇さんをフォローしていたんですね。

Katze:いや、その方は知らないですね。〇〇さんて文筆の方でしょ。僕はやりとりなんてしてないです。

qbc:Twitterで見かけたことはあるんでしょ。

Katze:あ、それはあります。ただ僕はその方の事を〇〇さんとは呼べないですよ。
その理由言っときます。僕が名前を名乗れないんですよね。自分の名前すら名乗れないんですよね。

qbc:Twitterとnote両方ともアカウントを消したでしょ。

Katze:あ、アドレスを変えたんです。今もありますよ。
何かのたびに、ツイートした内容を全部消したいとか、アカウントを消したいとか。別に価値ないと思ってます。僕は連絡網としか思ってないので。

Katze:僕はSNSもしないんですよ。あんまりポケモンの名前を名乗りたくないっていう。だからその、ニックネーム。僕はあだ名をつけられてしまったり、親に名前つけられたのは実は父親が彼の父親にプレゼントする為の名前ですね。もっと言うと両親が僕をどういう存在として見ているかっていうのがはっきりそこに現れている。でその理由も僕の兄弟がつけられた名前が彼らがもう僕に夢を見なくなったという証拠になってんです。だから彼らが僕の妹見た際に現実を見てます。僕にはもう慰めを僕には見てますね。

qbc:聞いてると、今話してるKatzeさんの現実の方が面白そうだけどね。あいつらの方が人形なんじゃないかみたいな。

Katze:だから僕の要るのは不在してるものが活かされてる。他の人たちは僕のことを存在してないと表現するはずですね。ロマとジプシーの違いです。僕らはロマ。彼らはジプシー。そういう違いです。だから僕らにとっての現実っていうのは彼にとっては歴史とか映画とか夢ですね。彼らのハリーが僕にとっての明晰夢というか現実感のない世界で。

qbc:戦後、戦地から戻って来た日本の人たちがそういう感覚、虚無の感覚にさいなまれたという話を思いだしますね。無茶苦茶になって戻ってきた時に、自分がどこに所属したらいいだろうかって茫然自失する感覚。

Katze:ただそれはその・・・期間としては短いですね。戦争行ってこうなったみたいな。そうじゃなくて、僕の場合は最初から小さいころから日常的に否定されるような、髪を焼かれたりとか指に穴開けられたりとか。この肉体。今腕を動かしてます。腕を動かしてます。これをいくら動かしても僕のものとは思えないんです。夢の手ですね、これは。つまり僕の見てる光景も・・・。

qbc:私多重人格の人が応募してきたのかなと思ったんですよ始め。
誰が来たとか、そういう表現がメールにあったので。

Katze:別にその、ほんとのことしか話してないんですよ。ただ人に慣れないのと、物に対する見方が全然違う。

qbc:文章はいつから書くようになったんですか?

Katze:それはその、去年の Skype の連絡網の方々が、その文章好きな方がね、「なんか文章書かれたら楽しいんじゃないですか?」みたいな。勧められたんで、はてなブログに書いていたら・・・。

qbc:メールに「skypeの連絡網」って書いてあった時点で、これは自分の中の複数の人格が別々にメッセージを送信してくるのかな、と思いました。

Katze:それは便利ですね(笑) ※無表情

qbc:変わるがわる話す人が何人も出てくるんじゃないかって。

Katze:実際その表現で合ってるかもしれないです。僕はまず人間が身近にいない、話す人間が基本的にいない。そこに数人の理解しなくても話しを聞いてくれる方々が現れました。僕はこの世界を夢と同じように認識してます。つまりその方々はインセプションの彼らと一緒で僕の夢に入り込んできた僕の投影人物みたいな感じですね。イームスもいるしロバート・フィッシャーもいるし、コブもアリアドネでもいいし、後ジョゼフ・ゴードン=レヴィット。
今も地雷を仕掛けましたね、話しが後で膨らむようにって。

qbc:いや、まあまあまあ。そろそろ時間なので。

Katze:最後に重要なことを一つお伝えします。

qbc:お願いします。

Katze:じゃあ、選んでます。今選んでます。じゃあ必ず一つ見つけだします。

qbc:今からサーチするんですか。ほんとタロットカードとか持ってた方がいいんじゃないんですかね。

Katze:えっと。ちょっと待ってください。
じゃあ、そろそろハロウィンきますね。その時に使えるような感覚、僕の感覚を提示しておきます。

qbc:生活の知恵みたいなの?

Katze:とても重要なんで。じゃあ、言いますね。全てに通用します。
かぼちゃありますよね、ジャック・オ・ランタン。あそこにお菓子いれて、お土産屋さんいったらとにかくかぼちゃが笑ってますねこちら向いて。ランプがともってる。でそれは我々は笑う必要ないですよ。かぼちゃが勝手に笑ってるんですよ。
かぼちゃの中ではランプという火が燃えてますね。昔は火だったんですよ。今はランプ。で、かぼちゃが笑ってる。じゃあ言いますね。
あの、今となりにポールがあってポールに刃、刃の絵が描いてある。なんかモンスターザウルスの刃っていうのがあるんですけど、それに炎のイラストがある。じゃあ・・・すいません。もう一回言います。

qbc:はい。

Katze:目の前の人に優しくしようね。そういうことです。それだけです。見つめた先を活かして事情は生かさずにっていうことですね。ついでに言うと、ハロウィンイベントでかぼちゃを揺らしてる悪い子たちがいますよね。何をしてるんでしょうね。お菓子をくれないとお仕置きしちゃうぞって言ってますね。じゃあ、その方々は笑ってますね。
そういう悪い子の夜でもいいんですけど、そういった悪い子パーティーにおいて花火とか爆竹とかねずみ花火とか、とにかくたき火ですそういう。それらを笑って燃やしちゃならないです。それはとても、何に通じるかって言うと、もちろん空の花火ですね。ぴかっと光って。
人の夢を始める訳ですよ。火を着けたら人の現実が始まってしまう。それによって巻き込まれた人が全員もう、戦争もするでしょ、巻き込まれるんです。事象に巻き込まれて個人が死んでいくんです。それはやっちゃいけないんです。日常のあらゆることに応用できます。この観念は。で、花火とは何かとか。ほんとは悲しいことなんですよ、それは。でも人は笑ってします。なぜかと言うと事実を見つめずにそういうったリストカットと一緒です。自傷と一緒ですね。事実を見つめずにその脇に置かれた夢というか楽しみを見るから夢をみて笑ってるんですよ。かぼちゃもこちらを見つめていないんですよ。かぼちゃはただ笑ってるだけなんですよ。もう笑うしかない。この世は人形劇だねって笑うのと一緒です。笑うしかないんです。じゃあ、笑わないでください。
はい、終わりです。花火は笑ってする物じゃないよ。って事です。
終わりです。すいません。

qbc:あ、ありがとうございました。だいたい1カ月くらいで原稿を送らさせていただきますので。

Katze:その頃に僕が生存してるかは不明ですよ。

qbc:それはほんとに教えてくださいね。

Katze:もちろん。僕はほんとに、あなたはほんとに僕の人間コレクションの一部ですね。僕の少ない・・・。

qbc:人間コレクションってなに?

Katze:コレクションていうかただの尊い。

qbc:ポケモンと言われなくて良かったです。僕のポケモンですって(笑)

Katze:僕のポケモン言います。僕のポケモンはミミッキュ。

qbc:なるほどね。

Katze:ミミックは何かっていうとかかしとか不在する者の象徴ですね。あれは。人形ですね。フェアリータイプが余計ですね。ジュペッタを止めます、ジュペッタをメガ進化位したジュペッタを止めないといけない。あいつは舞浜を夢の国にしてます。

qbc:じゃあ、また、よろしくお願いします。ありがとうございました。

Katze:ありがとうございます。ほんとにうれしいです。

qbc:楽しかったです。ありがとうございます。

あとがき

あーおもしろかった。
社会を外側から見てる視点からのお話でした。彼自身の今の境遇自体はちょっとぞっとするんですが、鍵付きTwitterアカウントが存在し続け限りは生存しているのでしょう。

彼の話ぶりのルールは類推。連想から連想へ行く。まさに連続で、これこそアナログだと思う。類推のアナロジーはもともと続いているという意味だから、これで合ってるんだろうな。
で、ジプシー、ロマたちが占いを家業にしていたというのもそこから納得がいく。ある社会から疎外されたものたちはある社会を比較的自由に観察することができ、疎外者だからこそ相談者もしがらみから離れて占い師に相談することができたのでは、と思った。
魔術と話の地滑り、類推、占いは同じことのようだ。おそらく物語も。
すばらしい才能。とめどつくせぬ。

編集協力:yurieさん

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