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単体の生命ってね、基本的にはないかなと思う建築家の人

この間ドイツの人のインタビューあったんですけど、ドイツ人日本人のカップルのインタビューで、後半、日本人はすぐに政府が言ったことを鵜呑みにする、ドイツは大戦後以降、政府の言ったことを厳しく監視するようになったと。
コロナワクチンの時にも日本の国民の従順さを感じたけれど、私も会社で管理者としてふるまっていた時には、この全社アナウンスをそのまま事実道理に書いてしまうと混乱するから、ちょっとお化粧して書こうか、みたいなことはしょっちゅうあった。
例えばシンプルにオフィスの引っ越しね。これ、社員側から見たら面倒この上ないじゃない? だから、引っ越しを気に不要な書類を整理して気持ちの良い環境で仕事を再スタートさせましょう、みたいな仕事ハックめかせて書いたりね。なんか、こういう虚飾に私は疲れたんだわ。事実の良い側面ばかりを取り沙汰する世界にね。ルッキズムよりも人間の心のほうに私は興味があるわ。
ごめんな。だから今日も無名人インタビューはドキュメンタリーです。ここに嘘はない。話し、聞いたという60分だけは真実ですよ。
と思う2024年4月9日13時31分に書く無名人インタビュー723回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 堤庸策 さんです!

年齢:40代前半
性別:男
職業:デジタルノマドアーキテクト

instagaram:https://www.instagram.com/yousakutsutsumi


現在:主人公が引き立つような、器のような建築ができないかなってですね、そういうような思いで活動してたりはします。

qbc:
今何をしている人でしょうか。

堤庸策:
はい。デジタルのノマドワーカーとして活動をしておりまして、家がなく、事務所もなく、事務所としては、19年ぐらいですね、運営してるんですけど。
初めから家もなく、事務所もなくっていうわけではなく、事務所も抱えてましたし、スタッフさんがいてくれてたときもあったんですけど、今は完全に家なし事務所なしでホームレス建築家みたいですね。こういう感じで活動しております。
具体的には、容量が10リッターでして、結構小さくて、一般的なデイパックよりも多分小さい部類なのかなと思います。そういった小さいバックで、寒いところで言いましたらマイナス10度よりも寒いような地域から、温かいところ30度以上ですね。なんか40度ぐらいになるんじゃないかなみたいな地域まで、その10リッターのバックだけで、行き来できるんで、実質かなりと自由度は高いですね。
例えばカフェに行くつもりが、ちょっと海外に行こうかな南半球行こうかなっていう形で夏の日本から冬のニュージーランドへ行けるような。そのぐらいの身軽さで、普段生活しております。はい。
建築家としてですね、動いてるっていうのもちょっと一つ特殊なのかなと。例えばライターさんだったりとか、比較的場所に捉われない方、Webデザイナーとか。そういった方はよくお見かけするんですけど、建築家としてそのような暮らしをして、仕事してるってのもまたちょっと特殊なのかなというふうには思います。
同業者からは、そんなんできっこないってな形では言われておったんですけど、実際にそれを実行してるっていうところが大きいかなと。
建築家の場合は、大体事務所構えて、スタッフさんが出入りしてて書類の山で、本もたくさんあって模型もたくさん。収まりきらないぐらい模型があってっていうようなのが、固定概念としてあるのでちょっと逸脱してるような形ですね。

デジタルのノマドワーカーとアーキテクトっていう両方の観点で、じゃあどうしてるのかっていうところで、仕事のツールで言いましたら、iPad miniとAppleペンとAirPods ProとiPhone14Proですかね。それのみで仕事してまして。9割ぐらいはiPhoneですね。で、仕事を完結させてるというようなところもだいぶ特殊なのかなって。
iPad miniだけで仕事してるって、そんなんで仕事できるのとか言われたりするんですけど。Macのノートパソコンを手放して、今10年ぐらい経つんですよ。ですから、それなりに実績も積んでますし。もう一言で言ったらできますと。そういうような感じではあります。
その辺が大枠のご説明になるかなと思います。

qbc:
はい。

堤庸策:
今はテクノロジーの進化と社会の変化で古い世界の話かとは思いますが、少し前の建築家っていうのは、大体建築の大学を出て、それでその後どっかで丁稚奉公的な修行をして、それから建築家になるというのが王道なんですね。
あと、よくその建築の学科に入学されたときに聞く逸話として、この中で、要は家が裕福な方手挙げてみろと。手が上がらなかった人以外は、もう今すぐ建築家諦めろと。設計者になるっていう道を目指せとかですね。そういうことを言われるぐらい、人脈とか、お金を始めに持ってないとなかなか厳しいっていうような業界なんですけど。
僕は家柄も全然、どちらかというと、裕福とは反対の生活でしたし、高卒ですし、人脈もなくお金もなくっていうような形で。よく言えば叩き上げですかね。
あと、ブックスマートかストリートスマートかって言ったら、ストリートスマートの部類かなって思っております。
それもまた、ちょっと異質な要素かなと。
そのあたりで読んでくださる方に、こんなちょっとヘンテコなやつでもですね、建築家になれるっていうようなことだったり、僕がやっぱり普段思うのは、こうだからああだからできっこないって思われて、何かご自身の夢だったりとか、本来したいこととかですね、あると思うんですけど、なんか「どうにかなるかも」みたいにですね、思ってくださって、その方の人生がちょっとでもいい方向に向かったらいいなっていうような思いはあったりします。

qbc:
はい。

堤庸策:
僕は今そもそも建築家としてどういう方向性で目指してるかって言いましたら、自然とテクノロジーを融合するっていうようなことだったり、日本の良き伝統ですね。それをリニューアルしていくとかそういったのに興味があります。

そもそも建築家っていうのが生まれた時には、建築家はまだ用途が発生していないものを作ってたらしいんですね。例えばギリシャとかローマ時代が建築家っていう職業が生まれたんじゃないかなという説が言われてるみたいなんですけど、その時には官僚とか王様とかが色々話をして、図書館っていう言葉がないときに、本がたくさん集まって、我々の国の本、なんだったらもう世界中の本がたくさん集まって、貯蔵するだけではなく、その国の人がみんなが本を読んだりできる。そんなような空間を作ってくれと、建築家に依頼するんですね。
そしたら建築家がわかりましたっていう形で想像して、まず何か空間が考えられると。後から、後か先か実際はわかりませんけど、後からその名前がつくられるみたいですね。ライブラリーっていう言葉が生まれて、その後はライブラリーを作ってくれ、はいわかりました、みたいなことになると思うんですけど、その段階から建築家の仕事ではなく、どちらかと言えば設計者よりの建築家の仕事。用途の名称や定義はあっても未知なる空間を創るのも建築家であるとは思いますけど。
究極の建築家ってあくまで未知なるものを創造して、形にしていくのが建築家の役割っていうことのようでして。僕はもう学歴ももう何もないんで、人脈もですね。そしたら、そういうそもそもの建築家のあり方を目指していくとか、そういうところで勝負していかないと。もうエリートの塊なんで、建築家ですね。
僕は頭脳明晰であったりとか、理論的に話ができるタイプではないと思うので、勝ち目がないなっていうので、そしたら根本的なところを辿っていきたいなと。
それから、みんながしたいけど、できないみたいなことですね。例えば、今の僕のように、家なしで暮らすとか。一部の人は「すごい、わ〜いいな」って言ってくれますし、一部の人は「なんか大変そう、疲れそう、しんどそう」みたいなこと言われたりはするんですけど、何か多分人によって本来したいことってあって。そういうのを体系化したりとかしたり、周辺の要素ですね。服だったりとかバックですね。僕みたいなライフスタイル専用で作られてるバックパックってないんで、もう自分で作っちゃえと思って、今OEMでバックとかですね、作ろうとして。試作品がいくつかあって使ってるんですけど。
そういう新しいライフスタイルに沿った、建築以外の周辺のデザインを体験したり、実際作ったり。
しゃしゃり出ない。ちゃんと、あくまで主人公は人間であったり地球だったりすると思うんですけど。その主人公が引き立つような、器のような建築ができないかなってですね、そういうような思いで活動してたりはします。

qbc:
いつからノマドになられたんですかね。

堤庸策:
大体3年前から、完全に事務所無し家なしみたいな形で活動し始めました。その数年前から、それっぽくはありましたけど。拠点があったり、コワーキングオフィスですけど、何か事務所として機能するような場所を借りたりとかしてましたし、その前は事務所持ってたんですよ。

qbc:
事務所を捨てたのはいつですか。

堤庸策:
たまたまなんですけど、そのコロナの緊急事態宣言が出る、確か6日ぐらい前ですね、3月31日。

qbc:
2020年ですかね。

堤庸策:
そうですね。事務所を引き払って6日後くらいに、確か4月6日ぐらいだったと思うんですけど、緊急事態宣言が出て。あ、手放してちょうどよかったみたいな感じでしたね。
手放そうと思ったのは2年ぐらい前で。その頃から大阪を拠点にしてたんですけど、遠方からのご相談もちらほら増えてきて、じゃあ事務所に僕がいないこと多いし、創造するときに事務所で何か創造することないんですよ、構想ですかね、デザインを考える時は大体カフェだったりとか、自然の公園だとか、そういうところで想像力働かすんですけど。
もう事務所が、単純に打ち合わせの場所と、スタッフさんがとりあえずいる場所みたいな感じになってたんで、なんか勿体ないなっていうことと、何かそわそわしてですね。何か世の中が何か変わってくるんだろうなみたいな、何となくの直感的なソワソワ感があって。こんなコロナほど変化するとは思ってなかったんですけど。次の未来のあり方を創っていきたいなと思って。

それでまずはちょっと手放す。手放すことをしないと新しいものは入ってこないみたいなことは、何かいろんな方とか本から何となくは聞いてたり見たりとか、読んだりしてて、確かにそうだなと。で、理屈ではわかるんですけどそれを実際、僕が手放すってなんだろうって思ったときに、大阪の中心で、部屋の一面の全面が公園の緑しか見えないとても気に入ってた事務所だったんですけど、手放そうという感じに至りました。
そのときスタッフはいたんで、スタッフは「こいつちょっと頭おかしくなったかな、いよいよ」みたいな雰囲気もありつつ、はい。まあいいかと思ってですね、事務所にある模型は写真撮っていったり、書類を全部スキャンしたりとかしてどんどん減らしていって、「ええ〜それまで捨てるんですか」とか、なんかいろいろ言われましたけど。
最終的には、法律的に持っとかないといけない書類ってのがあるんですけど、それはダンボールに詰めて、それでクラウドのサマリーポケットっていうサービスがあるんですけど、そこに保管するみたいな形で、物理的なものもクラウド化したという感覚でおります。

qbc:
どうしてノマドに?っていうところで、既存の建築家たちに対するカウンターみたいなことは仰っていたと思うんですけど、それ以外の理由って何かありましたか。

堤庸策:
僕はそもそも転勤族でもありましたし、旅がすごい好きで、移動することにより、なんかすごいわくわくするというか。
一定の場所にいたら、僕の感覚なんですけど、牢屋にいるような感じで縛られて、身動き取れないようにされてるみたいな、そういう感覚なんですね。
わかりやすく申し上げたんですけど、そこまでネガティブな感情ではないんですけど、でも行き詰まるというか、そういう感覚があったのが一番大きいです。
まあ旅がしたいなと。シンプルに僕は何をしたいんだろうってですね、問いかけることがたまにあって。大体自然の中に身を置いて考えるんですけど、そのときものづくりをしたいなっていうことと、あと旅したいなと。
旅はどうしてもバカンスとか休息とか、そういうことになりがちですけど、仕事しながら旅したいなっていうのは、なんかずっと思ってたんですね。そうこう思ってたらやっぱり、そういうのに目がついてきて。ライターさん、Webデザイナーが旅するように仕事してるやんみたいな感じで。自由度高くていいなとかって。
あと仕事がなかったときにコワーキングオフィスっていうのを、今から10数年前にやってたんですよ。その当時はコワーキングオフィスって何?シェアオフィスってなんなんみたいに言われてたんですけど。なんか今後そういうふうになるだろうなと思ってなんかやってたんですけど、そのとき来られてたユーザーさんっていうのは、そういう自由度の高い人で、こういう人いるんだな、こういう人みたいになりたいなっていうのもですね、結構影響あったかなとは思います。

qbc:
具体的なトリガーってあったんですかね、事務所を無くしてノマドになったきっかけ。

堤庸策:
大きくは二つありまして。一つのトリガーは大阪でしたけど、東京からお呼びいただいたとか、一方で今度福岡でお呼びいただいてとか。そのときは海外からの問い合わせもちらほらあったんですね。ですから、いよいよあちこち行けるなっていうことで、それに適したライフスタイルにしたいなっていうのが、一つ大きくあるかな。
あと僕は人がもっとその人らしい生き方が出来た方が良いと考えていて、なるべく自由と責任が個々にある方が良いと思っているからです。現代社会に準じた階層的、ヒエラルキー的考えに違和感があります。そんな考えなんで人事がすごい苦手なんですね。だからどこかに事務所を構えて、スタッフさんに働いてもらうっていうこと自体が、僕的にも、僕自身は何かそういう働き方自体したくないですし、それを管理するとか、その責任者になるってことも何かすごい違和感があったんですね。
で、なんかもっと自由に有機的に、フラットなあり方。上司部下みたいな感じだったりとか、なんかそういうのじゃないようなやり方があったらいいなって言ってて。人がそれぞれ自由にできたらいいなっていうですね、縛られないというか、そういうのが大きいです。

qbc:
具体的にどのような建築をされている方なんでしょうか。

堤庸策:
僕は、arbolという屋号で。これホームページをお送りした方がいいですかね。

qbc:
言葉で表現してもらえると。

堤庸策:
まずジャンルは問わずやらさしてもらってまして。
コンセプトは一貫してまして、自然に溶け込む。要は自然を取り入れる、自然素材を使うっていうのがもう、クライアントさんに一貫して、ピンと来ていただいてるものをですね。
あとはシンプルでかつ快適で機能的。あくまでデザインに寄りすぎて何か快適でなかったり、機能的じゃない設計をしていた一部の先輩建築家のイメージを払拭したいなと思ってまして。

あとは日本の美を入れつつ、世界中のいろんなデザインっていうのがあるわけですけど、いろんな風合いを、ほどよくちょっと融合していくみたいですね。そういうところは普段、心がけてます。
あとはプライバシーを保ちながら、光と風を通すっていう、なんか一見ちょっと矛盾したような要望を、ちゃんとバランスよく取り入れて。具体的に言いましたら中庭を作って、中庭にプライバシーを保つ壁をつくり、壁に目隠しのルーバーやスリットを設計し、風は通すようにしています。

一見「プライバシーを保ちながら光、風を通すってどうすんの」みたいな話になるんですけど、言葉だけで聞いたらですね。何かそういうネガティブな思いを抱いて相反するものを融合していくっていう、そういったのを一応心がけてる。そういったのが評価いただいてる部分かなとは思います。

後はオフグリッドの生活実験をしたり、心身共に健康をテーマにした人体実験をしたり、ただ単にミニマルデザインをするのではなく、実践派ミニマリスト建築家としては世界トップクラスだと思います。(笑)更にデジタルノマドワーカーとして暮らしてるっていうところが、かなり特徴的なのかなとは思います。

その他堤さんは、国内外のアワードも受賞している。
世界三大デザインアワードのif DESIGN AWARDを受賞!

qbc:
ご趣味はなんでしょうか?

堤庸策:
普段の仕事を含めるライフワークが趣味になっていています。仕事以外は完全にだいぶ理解しにくい領域になってまして。今の趣味はもういかにバックをより軽量に機能的に、軽くコンパクトにするかが僕の趣味でして。
実際何してるかと言いましたら、休みの日は自分で決めてやってるんですけど、これどうすれば手放しつつ快適に過ごせるかなとか、1個ずつのアイテムを、何グラムかですね。これ12グラムか、10gにするにはどうしたら良いかな、これ150gもあるんかあ〜100g切りたいな、なんかないかなって。そういうことをするのが、一つの趣味になってるかなって。
ちょっと前は、映画見たりとか、ある程度ちょっと受動的な趣味もあったんですけど、本とかもある意味能動的なのか受け身なんかちょっとわかりませんけど。
本読むとか映画とか音楽聞くとか、あとは何か旅するとかですね。ちょっと前はバイクいじるとか、ツーリングするとかその辺がだいぶ昔の趣味だったんですけど、今はなんかちょっとだいぶ趣味が変わってきてるかなというのがあります。
あと、健康。家がないですし、万が一病気になったら大変なんで、健康にはだいぶ気を使ってまして、どっちかと言ったら健康オタクで。昔はサプリとかもアンチだったんですけど、今は自然素材と、オーガニックの添加物があんまりない食べ物と、自然系サプリのハイブリッドで。それで血液検査したりとか、サプリも何かいろいろ試してみたりとか、あとは瞑想とか、ファスティングとか。
そういったのもいろいろと気は使ってるというか。ある意味実験、自分をいろいろ体調見たりとかして実験してる。それがもう趣味になってきてるなって。
最近でしたら、瞑想が深くできてるかどうかのガジェットですね。例えばMUSE Sっていうガジェットがあったり。あとオーラリングっていう、指輪で睡眠の質とか、呼吸とか心拍数とかストレス値がどのぐらいかとか。そういうのを測るガジェットがあるんですけど、そんなガジェットを見て、何かどうなったらどうかみたいなのを客観的に見るっていうのは、ある意味趣味になってるかなって。
先ほどの物の重量測るとかは通常ストレスだと思うんですけど、僕の場合はもう癒しといいますか、なんか嫌な気分とかになったとしても、測っていいもの見つけたりとかしたら癒されてるみたいな。そういったのは、ありますね。
あと僕は離婚してるんですけど、子供とは大体月に3日から1週間ぐらいは一緒に過ごしてまして。普通ではなく、ちょっとあり得ないと思われるかもですけど。なんか、関係性も子供の親であるわけなので親権に偏るのではなく、両親としては協力しようと言う感じれないので。
子供と一緒に過ごすっていうのは、実際オーラリングで見てもすごい回復とか、ストレスのない状態になっているんで。ある意味そうですね、子供と遊ぶってのも趣味というか、癒しだとは思ったりはします。

qbc:
バックの中で、お仕事で使われてるもの以外って何が入ってるんですか。

堤庸策:
大きくは衣、食、住、活っていう、四つのカテゴリーで分類してるんですね。
衣食住ってよく聞きますけど、活は何かって話なんですけど、マズローの5段階欲求っていうのがあって、生存の欲求とか安全の欲求とかですね。最低限の欲求があって、ある程度最低限の欲求が満たされてから、自分自身の活動の欲求とか、承認欲求とか、利他的な欲求とかですね、段階があるみたいなんですけど、僕は今人類が安全の欲求ぐらいまでは、ある程度の人たちは、まだそこまで行き着いてない方々も当然いらっしゃいますけど、少しずつちょっと全体的には底上げされてきてるのかなというふうには思ってまして。

そのときにやはり衣食住というのはあくまで安全とかですね、最低限の欲求を満たしてるってことなので、さらに活動の欲求をやっぱり満たしていかないと、人々が自由にならないのかなというふうには思ってまして。それで四つの分類にしてます。
衣はまず最低限ですね、洗濯とかも、基本的には服を少なくするっていう考え方で、それでメリノウールっていう、登山の考え方ですね、ウルトラライトとかそういう考え方で、少なく機能的にしてます。

食っていうのはそのサプリ系っていうのを、僕に適したものを分析して入れてまして、仮に1週間ぐらい食べ物にありつけないっていう状況になっても、サプリとファスティングをハイブリッドでやれば、何か1週間ぐらい全然乗り越えれるかなというですね。水さえあればですね。っていう状況はそのバックの中で完結してます。
住っていうのは、何か例えば耳栓とか、あと急遽海外に行くとかあったら、長期フライト用の、枕とかパスポートとかも入れてたりします。

あとは仕事道具で先ほど申し上げたような、iPadとかそういったのがあって、いらないものとしては何か大きく、三つぐらい。それいらんだろうっていうのがあるんですけど、iオンラインのミーティングが多いんで、iPadを目線のラインにするための三脚ですね。それっていらないんですけど、ずっと下を向いたままiPad見るとちょっとしんどくなって猫背になるんで、三脚が。何回も手放して、やっぱりいるなって戻ってくるんで、必要かなということですね。
もう一つはルームスプレーですね。これも別に重要度は高くないかなって。いろんな宿に泊まるんで、ときにはちょっとルームスプレーがないと、ちょっと嫌だなみたいな匂いのときもあるんで、それでルームスプレーを持ってるかなと。
あとはガジェットですね。瞑想を計測するって別に、それこそいらないですね。究極の瞑想だとそんなガジェットいらないと思うんですけど、あとオーラリングっていう健康度合いを測るみたいなものですね。これも僕は実験的に1回3年ぐらい前に手放しててまだ最近ちょっとどうかなっていうですね、ちょっとバージョンアップされてたんで、今使ってみてるっていう、なんかそんな感じですかね。

服の内容で言いましたら、もう本当に今着てる服ともう1着ぐらいしかなくて、それでシャワーとかお風呂入るときに、一緒に服も洗うと。メリノウールって素材がすごい優秀で、防臭とかですね、調湿とか。いろいろ機能が化繊より良くてですね。速乾性もあるんで、大体、夏でも冬でも快適なところで寝てる場合であればもちろん乾きますし。宿も、本当にワンコインで泊まれるような、だいぶやばいって言われるような宿泊施設から、建築家なんでたまにはちょっと勉強のために、ちょっと背伸びするようなホテルまでいろんなホテルに泊まるわけなんですけど、どんなところでも、それなりに服も乾きますし。そうですね、困ることはないっていう感じですね。
あとはセットアップですね。セットアップが、それも10リッターのバックの中に入ってるんですけど、ウェイトとしては占めてるかなと思います。
ちょっとドレスコードだったりとか、ジャケットがないと入れないときもあるんで、あとアワードがあって参加しないといけないとかそういう授賞式で、そのときはさすがにジャケットがいるんで。あと冠婚葬祭とかですね、それで常に持ってるんですよ。でもそれもかなりウルトラライトな、コンパクトなやつを使ってます。

qbc:
性格は周囲の人からなんて言われますか。

堤庸策:
性格はですね、まず、何て言うんでしょう、プラス思考かマイナス思考かどっちかと言いましたらプラス思考だねっていうことと、あと多動であって、多面性があるんですね。何か怒ってたと思ったらすぐケロッとなんかニコニコしてる。普通の人からしたら、なんでそんなコロコロ変わるのかと思うみたいですね。そういうような感じですね。
よく変わる考えも、僕的には変化させて昇華してるというか、どんどん更新してるってイメージなんですけど。普通の人から言わしたら何コロコロ意見変えてるのみたいに思われたりとか、実際あると思います。

過去:「君は私が見た中で、5本の指に入る造形能力がある」ということを言われてまして。

qbc:
子供の頃ってどんな子供でしたか。

堤庸策:
子どものときは、本当に幼少のときは内気で、引っ込み思案で、積極的ではなく。ネガティブ思考はあんまりなかったんですけど、よく妄想していたみたいですね。いろいろと自分で空想したり妄想してるみたいな、そんな感じで言語コミュニケーション能力は幼少のときから無かったのは無かったですね。
うまいこと伝えられなかったんで、例えば好きな子がいたら何か髪の毛引っ張ってとかですね、そういうような性格でした。
小学校でも、大体そんな感じで。どっちかといったら内気でっていうような感じだったかな。
中学校くらいは、ちょっと友達の幅が、今もそれはあるんですけど、要はオタク空気の友達からヤンチャ系の友達までなんか隔たりなく、差別することなく遊んでたなみたいな。そういう部分はあったかもですね。
高校になったら、よりその辺は。どんな人でも仲良くなるけど、ただ、深く親友レベルになったら喧嘩してとかですね。半年ぐらい口利かなくて、また仲直りってなるんですけど。親友じゃない人には結構そつなくフレンドリーにいれるけど、そういうようなところかな。
仕事し始めてから怒りっぽさが増して、責任感でね、ちょっと僕自身の器が小さかったと思うんですけど。なんか怒ってばっかりで、何してるんやみたいな感じで。最近はそれがチーム制だったりとか、雇用しないようなチーム制になって、できる人にできることしか頼まないっていうふうになってからは、だいぶ怒りとかなくなって。期待ですね、相手に対しての期待っていうのが、だいぶなくなってきたかなっていう感じではあります。はい。

qbc:
子供の頃、遊びってどんなことをやってました?

堤庸策:
もうひたすら、砂遊びですね。海が近かったんで、暇さえあれば海に行って、すぐ潰されるようなダムですね、水際、波打ち際でダムみたいなのを作って、それで壊されてまた作ってみたいなことに、なんかずっと夢中になってやってましたね。
大体友達と遊んでましたね。友達1から5人ぐらいで大体遊んでましたね。冒険とか言って、イバラ生えてるのをノコギリで切って、それで進んでいって、山の頂上まで行ってとかですね、そういうことだったり。
あと基地ですかね、竹やぶの中、どんどん切り裂いていって、竹やぶもう周辺は竹やぶがあって、真ん中は空洞にして、それでそこで何か基地言って遊んだりとか、そういうことを小学校のときはしてましたね。

qbc:
生まれ育ったところの風景ってどんなところだったんですかね。

堤庸策:
生まれは東京なんですよ。それこそ幼稚園までは東京だったんで、しかもその当時は、僕、今45なんですけど、もうなんかいろいろ開発しまくってて。あちこちでブルドーザーがいろいろと切り拓いて。前ここ広場だったのに、なんか家建ってるみたいなことをあちらこちらやってる。
あとは、新宿は当時もやっぱりね、ハブだったんで、今は雰囲気変わりましたけど、当時はアナウンスがあちこちからこだましてたんですね。
例えば、7番線から電車が走りますって言うてる矢先から、ただいま15番線から電車がなんちゃらとかって言ってる間に、また今度1番線からなんちゃらかんちゃら。
そういうのが、もうあちこちこだましているような。そういうシーンがすごい懐かしいなって、ですね。そういうのも懐かしく思いますし、徳島県の日和佐町っていうアオウミガメが来るような町に引っ越したんですけど、そういう大自然も、大自然で懐かしいし。都会のゴミゴミしてる、例えば人がゴミゴミしてるのを嫌ってる田舎の人って多いんですけど、僕は何か人混みでも懐かしいな、人がたくさんいてほっとするなってふうに思っちゃいますし、どっちもほっとするというか、そういうちょっと変な感覚はありますね。

qbc:
家族からはどんなふうに育てられたと思っていらっしゃいますか。

堤庸策:
そうですね。母親父親ともに裕福な育ちの方だったんですね。僕は逆でしたね。
小3ぐらいの時に父親に深刻な感じで「お父さんはおじいちゃんに大学行かせてもらったけど庸策は大学行かせてやれない。すまん。」と言われたのはインパクトありましたね。
一方で祖父は「庸策が大人になる頃はグーローバルになる。世界のトップレベルの大学を目指せと、、、。」父と祖父で言われる事と状況が乖離し過ぎていてジレンマみたいなのをずっと感じていました。
でも、両親は人はよく、僕は体が弱かったので勉強より外で遊べって言われて自然の中で遊べたのが、ある意味良かったかもしれませんし。あとは当時から白砂糖は毒砂糖だとか言われてたり。幼少期の頃は甘いもの食べれなくて辛かったですけど。
あとコンポストと言いまして、生ゴミはコンポストに入れて、燃えるゴミは灰にしてそれに混ぜてみたりする。そういうことはやってたんで、それは今では良かったなというふうな感じでは、思います。
母親は、なるべく自由にしてあげたいっていう考えで、美術が好きで、母親の影響で多分美術に興味が出てきたのかなって。母親が若い頃グッドデザイン賞ですね、その窓口で働いてて、そのときに巨匠建築家の磯崎新や巨匠プロダクトデザイナーの柳宗理など有名な人がいるんですけど、子供が全然意味わからなくても、美術に触れることはいい。で、一流の美術館の作品を見せてあげてくださいみたいなことはいろいろ言われてて、僕は訳わからずに美術見てたんですよ。
それが今デザイン的に評価をいただいてる源泉なのかなっていう気はしてます。

qbc:
20代30代、今に至るまでのキャリアってどんな感じで進んでいくんですか。

堤庸策:
勉強するなって言われてたんで中学校は素直にほとんど勉強してなかったんですけど、中学校の3年生の2学期が終わってからもう追い込みで勉強して。高専に行きまして。
ただ隣の人が、入学の3日後ぐらいのオリエンテーションでもう、ブラインドタッチでプログラム打ってゲーム作ってたんですよ。当時としてはまだパソコンが全然浸透してないときだったんで、僕はそういう未来を予見じゃないですけど。何となく直感的にそっちにいくんだろうなと思って、それで選んだんですけど、ちょっとこれついていけないなと思ってですね、高校はもうほとんど最低限しか行かずに、何か、ええ、だらけてましたね。

で、高専は5年制なんですけど3年でもうやめまして、高卒になるんですけど。それで海外に行こうとしたんですけど、海外行くのもちょっとなんか英語が苦手なんで躊躇してしまって。お金なかったですし、それで2年間フリーターしまして、そのときに自転車の修理とかレンタルとかするようなところだったり、あとグラフィックデザインですね、サイン制作とかポスターとかそういったのを作るところに、ひょんな拍子でご縁で働かさしてもらって。それでちょっと楽しく過ごさせてもらって。
その後、専門学校ですね、2年間、神戸の専門学校に行きまして、その後建築の先生ですね。臨時で先生だった人が、ちょっと誘ってくれて。スタッフが辞めたからちょうど入らんかみたいな形で誘ってくれて。
それで1年半ぐらいしかいなかったんですけど、そういうアトリエ系設計事務所って言われるのだと思うんですね。修行をさせてもらって。そこからどうしても旅したかったんで、全然違う当時普及する全盛期だったケーブルテレビとか光ファイバーの営業みたいなのをして、それでちょっと資金を貯めて。それも僕は口下手なんで、営業とか向いてないですねって、すぐやっぱり上司に言われるんですね。僕的には、ちょっとなんて言うんですかね、そこも練習したいなと思ってて。そしたら口下手なんですけど、先輩とかにアドバイスいただいて、それでうまいこと成績はですね、残すことができまして。例えば、1位をキープするってのは結構難しいんですけど、1年間いたところで1年間ずっと2番と倍以上の差をつけて、1位を取り続けたりとか。そんな感じである程度稼がせてもらって。
それでヨーロッパとアメリカをトータルで1年ぐらいですかね、旅して、独立するつもりはなくって、どっかで2番手3番手ぐらいでできたらいいなと思って事務所探してたら、ひょんな感じで先輩からですね、家の設計を相談されて。事務所を抱えるつもりなかったんで、どうしようか、ということを専門学校の先生に相談したら、俺んところに間借りするのはどうだ、それで設計したらいいんや、みたいな感じで言ってくださって、それで設計させてもらって。
そうこうしてたら店舗の設計の依頼があったりとか、また建築の依頼があったりとか、そんなんで知らず知らずに独立してたっていう感じでした。

qbc:
専門学校は、建築の専門学校ですか。

堤庸策:
建築の専門ではなくですね、インテリアデザインに入ったんですけど。そこは結構建築にも結構力入れてる学科で、建築ってすごい、本質をやっぱり抑えて普遍的でいいなあと思って、そう思ってたら拾ってくださったっていうような経緯がありますね。

qbc:
はい。

堤庸策:
ただ、やっぱり仕事が途切れたりとか、営業活動も全然してませんでしたし、集客って概念も全然なかったんで、行き詰まって。
来週仕事なかったらもう事務所畳まなあかんなというのは何回かあったんですけど、ひょんな感じでちょっとそういうときに何かお声がけいただいたりとか。あとシェアオフィスですね、一時知人友人とちょっと集まって作って、それでシェアオフィスをしながら、ギリギリ生き延びてみたいな、そういうような時期もありました。

qbc:
独立自体は何歳の頃に。

堤庸策:
26歳ですか。だから19年前ですかね。今45なんで。

qbc:
ちなみに人生に転換点を置くとしたら、どこに置けそうですかね。

堤庸策:
いくつかありまして。
まずは母親がね、そういう美術に連れてってくれたのが、原点なのかなって。
あと申し遅れましたが、あれですね。砂遊びとレゴブロックですね。レゴブロックで遊ぶときだけは、もう昼ご飯もおやつも忘れてやってた遊んでたんですよ。気づいたら夕方みたいな感じですね。そのぐらい熱中してたんで。その辺がまず原点。砂遊びとかレゴブロックが原点なのかなって。

あと人の巡り合いでの原点が、いくつかありまして。
一つは、ハウステンボスっていうところでレンタサイクルのバイトしてたときに、100台以上ある自転車ある場所への看板がなかったんで、いちいち案内するのも面倒くさかったんで手書きで看板作ってたんですよ。そしたら、グラフィックデザインされてる人に、うち来る?みたいな感じでたまたま呼んでいただいたのが、まず1個目のターニングポイントですね。

2個目が、僕、専門学生のときも、どっちかと言えば結構いい加減といいますか、ちゃらんぽらんというか。先生にもちょっとカラオケ行ってきますとか言って授業を抜けたりもしてたんで、決していい生徒ではなかったんですね。
ですけど、なんか、その先生が忙しいときにアルバイトできる人が誰もいなくて、それで最後に僕を呼んでもらって。
たまたま僕が卒業制作をパッと終わらして、余裕かましてたんで、それで呼んでいただいて。君来る?みたいな感じですね。気合だけは買ってくださって。根性ありそうだし、ちょっとやってみる?みたいな感じで。っていうのが、一番大きい要素かなと。

その前にもう1個大きなのがありますね。僕も、デザインとかアートで食ってくみたいなことは、さすがに無理だろうなと思ってたんですね。海外行って何か面白い仕事探そうかなぐらいの感じで思ってたんですけど、20歳のときに中学校のときの美術の先生と、その中で友人の結婚式で出くわして。それで美術の先生は寡黙な先生で、ほとんど喋らないんですよ。
美術のときも、全然ほとんど会話したことないんですけど。たまになんか僕、じーっと見られてるときは、確かにあったなと思ったんですけど。なんかぼっとしてるんだなぐらいしか見てなくて、でも評価はいつも5だったんですね。

それで何事もなく終わったんですけど、20歳ぐらいのときに「堤お前何してるんだ」と。専門学校か海外行こうか迷ってますみたいな感じで言ったときに、急にその先生が、「いや、お前は実はな」みたいな感じで語りだして。徳島では、結構審査員とかいろいろされてる先生で、生徒いろいろ見てきたと、審査とかも含めて何万人の作品を見てると。年数があるんで、審査レベルで言ったら何万人の作品を見てて、一応美術の先生なんて世界中のいろんな技術を見てると。
「君は私が見た中で、5本の指に入る造形能力がある」ということを言われてまして。ただ、その言葉にうぬぼれるなと。あくまで私が見た中であって、日本とか世界で見たら、それなりの、君ぐらいのレベルの人はいくらでもおると。ただ、自分が何万人見た中の5本の指に入ること自体は確かだと。
だから、君は人生の中でそういうのも経験してもいいんじゃないかと。そういうことを、だいぶ寡黙な先生だったんですが、全然喋ったことないぐらいなんですけど、ちょっと熱込めて言うてくださって。
ああそうなんだと思ってですね。なんで学生のときに言うてくれないんだ、とは思ったんですけど。やはりその後押しでね、人生が変わってしまうっていうこと自体に、多分その先生は、ある意味なんですかね、責任を負えないっていうか。また別の機会でも、僕がいないときに、友人たちにその僕の話を語ってたりしたみたいで。

それで、大きく変わったかなっていう感じで。

未来:建築はその一つの種わかりやすい手段でしかないし、そろそろ何か僕建築家っていう名前も、何ですかね手放してもいいかなっていう感覚ではありますけどね。

qbc:
5年10年、30年先、最後死ぬっていうところまでイメージして、どんな未来を今思い描いてますかね。

堤庸策:
死ぬっていうところで言いましたら、そのときに公園のような町並みができてるっていうのが、ずっと描いてるものですかね。ヨーロッパを旅してて、その時だいぶ自分自身が建築設計事務所で心身共にボロボロにもなってたんで、もうやめようかなとか思ってたんですけど、ずっと描いてるってのがそういう、公園のような街を作っていくことですね。
少しだけ具体的になりましたら価値観が違う人同士も話し合える様な教育だったり、哲学や自分自身から湧き出る要素を大事にする教育もあり、医療ももっと俯瞰して病気を未然に防ぐ事だったり、当然戦争と言う概念すらなくなっている様な状況をイメージしてます。

そして僕はベンチに座ってて、なんか杖ついてて、ヨボヨボになってて、みんながニコニコ笑ってるような。仕事してても家族と過ごしてても適度な緊張感はあったとしても基本ニコニコしてて。ストレスでギャンギャン言ってる人がいなくてですね。それを眺めてて、ふと老衰するみたいな、というようなことを描いてますね。それがゴールというか、死ぬ瞬間の映像というか。そういうのは何かありますね。はい。

直近で動いてる未来というか、作っていくっていうところだと、スマートエコヴィレッジですね。テクノロジーと自然と古き良き文化のバージョンアップされた様な建築ですね、そんな構想をしているんすけど。少なくとも行き過ぎた資本主義ではない、循環型といいますか、そういったことをイメージしてますね。
もっと具体的に言えば、僕はあちこち回るのがどっちかと言うたら好きなタイプですけど、人間の活動とかもある意味、血の流れみたいな感じで思ってまして。ある程度やっぱり流動的だったりとか、中にはその町にずっと根付いてるっていう人もいてもいいと思うんですけど。
長期滞在型と、中期と短期で滞在するような人が、交流してったりとか、例え家族でもある程度距離感があって過ごすとか。本当に8畳のところになんかもう4人が、朝から晩までずっと寝食ともに過ごすっていう人もいれば、ちょっと離れているとかね。何かそういったことがもっと自由に選択できるようなヴィレッジといいますか、そういうのを直近では考えてますね。
それが世界中に点在してくっていうのが中期的なイメージですかね。

qbc:
もしもの未来の質問というのをしていて、もしも自分が建築家ではなかったら、何をしていたと思いますか。

堤庸策:
今もですね、いろいろ僕、手放してってるわけなんですけど、家族まで手放してとか言われるんですけど。手放すつもりないんですけど、書類上切ってるだけで。
なんていうんでしょう。クリエイターとか創造者ではあるかなというふうには思いますかね。アイディア出しが好きですし。今そういうデザインコンサルティングとか顧問みたいな感じで入らせてもらったりということもあるんですけど、アイディア、あと建築とは関係ないようなアイディアを出して、それが何か進んでたりとかもしてるんで、クリエイターではあるかなと。

建築はその一つの種、わかりやすい手段でしかないし、そろそろ僕、建築家っていう肩書も、手放してもいいかなっていう感覚ではありますけどね。

qbc:
人生で一番楽しいことって、どんなことですか。

堤庸策:
大切な人と過ごすっていうのは、原点じゃないですかね。
僕が1人も好きっていうのはあるかもしれないですけど、かなり追い込んで、周辺に人1人もいないようなところで、何日間も過ごす事を何回やってみたんですが、
究極1人でずっと過ごすって、面白くないな、みたいな。例えばいい景色があっても1人でうわーって言うよりも誰かと一緒にうわーって言う方が全然いいですし。

qbc:
そのときってどんな気持ちになってるんですかね。

堤庸策:
喜びを共有するみたいな、なんかそんな感じですかね。

qbc:
その感情がないと、どんな生き方、人生になるんですかね。

堤庸策:
結局、自然が全て教えてくれると思うんですけどね。自然てなんていうか、雑草があったり、菌があったり、大きな植物、小さな植物。動物がいてて、虫がいてて、何か雨が降って風が吹いて、ときには暖かいし、ときには木が折れてみたいな、色々ある訳じゃないですか。共存しててこそ何かそれぞれの生命があるわけですね。
単体の生命ってね、基本的にはないかなと思って。例えばもう、人工的に野菜作られてたとしても、光があって人工的な風があって、人工的な栄養が送られて、人工的なルートに水があって、吸って育ててですね、たとえ単体のすごいそっけないドライな野菜があったとしても、その種だけで生きてないわけじゃないすか。
ですからそういう循環の中に身をね、置いてるってのが究極ですし、例えばこの町見てても、やっぱりどこの国でもそれなりに都市があって、何か集まってるわけですよね。なんか集落とか、ビルとか、いろんな言い方ありますけど。それなりにある程度離れてね。もう、均一に家があってもいいわけじゃないすか。山があったら山から100メーターおきに家があってとかでもいいわけじゃないすか。
じゃなくて、いちいち都会があって、いちいち密集して、どこの国の人も集まって暮らしてたりしてますよね。効率性事だけで集まっているのではない気はします。

ですからやっぱり、人とか、人の魂とか、心とか、結局やっぱり集まりたいのかなって。動物とかもそうですね。鹿とか群れで動いてとか、その種で群れになってますよね。犬と猫と猿が群れで暮らしているのは、見ないじゃないですか。
犬だったら犬、猫だったら猫で群がってみたいなのあるわけじゃないすか。
そういう意味では何かこうね、集まるとか寄り添うとか、いろんな言い方があると思いますけど、それはなんか結局原点。

現代はちょっと何かおかしい状況だと思いますけどね。よくある住宅街も窓はシャッターかカーテンで閉ざされていて、家がなんとなく居心地悪いのか、休日はレジャーや買い物。近隣の日常の密接な交流なんか大半の場所でないですよね。
学生の頃2年マンションに暮らしてて、2年間、隣の人と挨拶すらしたことないですよ。会ったこともないですし、1回扉が同時に開いたけど、隣の人、多分サラリーマンのおっちゃんだと思うんですけど、すぐ扉閉めちゃうみたいなですね。明らかにおかしいですよ。2年間お隣やのに、挨拶すらしないんですね。そういうちょっと異常なこともありますけど、結局集まりたいのかなって、そういうことはよく思いますよね。

qbc:
その感覚に初めて気づいたのは、いつですか。

堤庸策:
原体験はやっぱり幼少のとき、東京での新宿ですね。ホーム、駅のホームで。あー何か人がいるみたいな感じで思いますし。
僕はたまに実験的にオフグリッドライフと言いまして、電気ガス水道。それこそ、人のコミュニケーションも遮断して過ごしたりするわけですけど、ふと都会に行ったら、その人混みの中で人が歩いてるだけで、あー何か、ほっとするな。みたいに。そういうのも最近も思いますし。

あとは、やっぱり学生のときですね、先ほど申し上げた、扉が同時に開いて、お隣さんが扉閉めるみたいなときに、おかしいぞそこの状況、みたいにですね。っていうのが僕、田舎で日和佐っていうところで過ごしてたときに、お隣さん同士、町ぐるみで信頼してると、鍵閉めてないですし、漁師町だったんですよ。ですから、玄関がガラガラって開けて、堤さん、ええの取れたから置いとくわ言うて、氷水の中に魚が入っているボールが置いてあったりするんですね。
そしたらそのボウル見て、これは裏の何々さんがくれたんだなとか、次は裏の右隣の何々さんが置いてくれてるな、という感じで、漁師の魚って要は、釣った中でも一番いい魚って言われるんですけど、そんなの食べさせてもらったり。
逆に、食べられないぐらいタケノコもらったから、隣におすそ分けとかですね。そういったのが、あるような場所で過ごしてたんで。
家とかでも友人が、僕がいないときに普通に上がり込んでて、五、六人が僕の部屋で遊んでるみたいな。遅かったな、みたいな感じで。僕は晩ご飯食べて、居間にいてて、それで戻ったら友達がゴロゴロしてるみたいなですね。そういうような状況だったんで。
特に学生時代、そういう状況で、なんじゃこれって、絶対おかしいなと。それこそ小さい子が遊んでても、近所の人が見守ってたんですよ。悪いことしてたら叱ってましたし。なんかちょっとね、怪我したら見てくれたりとか、そういうこと。お腹すいたらこれあげるかとか、これどうやみたいな感じで、縁側でみかんご馳走になってたし。
そんなことがあったんですけど、都会のドライな雰囲気にそれとあまりにも乖離してるというか、これはどういうことなんだと。これ人じゃないな、みたいなね。もしかしたらロボットで人の中に半導体の様な物が埋め込められてて、機能的に動かされてるみたいで、なんかまるで見えない牢屋の中に入ってるんじゃないかぐらいの、なんか違和感というか。っていうのは思いましたね。

qbc:
ありがとうございます。最後に言い残したことがあればお伺いしております。

堤庸策:
やはりそうですね、うん。僕はよく「人類のバージョンアップ」とか「魂に従う」っていう言い方をしてるんですけど、読者の方が魂に従ってほしいと思いますね。魂の目を開けるというかですね。
物理的に目は開いてるんですけど、なんか眠ってる人が結構多いんじゃないかなと思うんですよ。それとか、魂に蓋をするというか、心に蓋したり。こうしなければ開かないからもう無理とか駄目とか、自分を押し殺すというか、そうしないで欲しいっていうのがありますかね。だから魂に従いましょうって言い方が。僕も魂ガン開きの方からみるとまだまだでしょうしね(笑)
わかりにくいですかね。心に従うっていうほうが、もっとわかりやすいですかね。そういうメッセージは、残したいなと思いますね。

あとがき

堤さんのいう「異様な都会暮らし」は、繋がりを選べる時代の産物だと思います。
扉を閉めて関わる意思がないと示せば、それ以上自分のことを見せずに、何もすり減らさずに済む。
その暮らし方は心労が少ない楽なものである一方で、最終的に助けてくれるのはその扉を押し開けて自分の世界に入ってきてくれる人だったりするんですよね。
面白いなと思います。

時代が目まぐるしく変わる中、堤さんのバッグの中身のように、人生に何を持ち歩くのか、その優先度は常に変わっていくのかもしれませんが、こういう繋がりは、人間が人間である限りなくならないのだろうなと思いました。

堤さん、ありがとうございました。

【インタビュー:qbc】

【編集・あとがき:のどか】

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