写真と人 rumica kaji-014 2024/08/02
「写真と人」インタビューとは?
作品を作りあげようとする人の心を継続して言葉に残してゆくインタビューシリーズです。
SNSで募集した無名の人たちを撮影するプロジェクトをしているカメラマンのRumicaさんへの連続インタビューです。だいたい月に1回、インタビューしています。並行して、一人の人を撮影し続けるプロジェクトも開始しました。
被写体募集はこちらの記事からどうぞ。
過去の「写真と人」はこちらから。
先週末で初個展が終わって
qbc:
個展を終えられていかがでしたか?
kaji rumica:
今日が8月2日。先週末で初個展が終わって、とりあえず無事に終わったので良かったなっていう感じですね。
qbc:
何日から何日までだったんでしょうか?
kaji rumica:
7月9日から27日まで。3週間ですね。
qbc:
展示自体はどんな感じになりました?
kaji rumica:
展示自体は、前にインタビューとかで話してたプランは結局採用せずに、また全く違うプランで展示をして。なので、当初考えていたプランよりも、シンプルに見えたと思います。
qbc:
そうですよね。こんな感じだったかな?ってなりました。何かしら意図はあったんですかね?
kaji rumica:
初個展で出すものなので、例えばコラージュをやるとか、グラフィティみたいなものをやるとか、ペイントをするとか、あと本もすごく大事なんだけど、本の中身を例えば空間に展開するとか。特殊なことを最初にやると、それが意味を持ちすぎちゃうというか。最終的には写真を大きくして見たときに、余計なことをしなくても、写真だけで強く伝わるものがあれば、最初はそれでいいんじゃないかなって思ったんですよね。写真だけで。写真だけの構成にしていたら、例えば2回目3回目4回目5回目とかで、例えば、コラージュをやっぱりやるとか、そういったことが出てきてもいいと思うけど。一番最初だから、結局そのスタートとして、写真そのものを空間に展開していくっていうことを、まずやった方がいいのかなって思いました。
あとはアドバイスもらった中で、「1つの展示で1つのことしかできないよ」っていうことを言われて、例えば部屋がいくつにかに区切られてるとか、大きいとか仕切りがあるとかであればまた別のやり方もあると思うんですけど。やっぱりでもいろんなことをやろうとして、結局散漫になって、結局何についての作品だったのかなっていうことが印象に残らないとかだと、意味がないなと思ったので。
すごくシンプルに、会場自体もややミニマム。例えば一般的な四角い正方形のギャラリーを、縦半分に2つに折ったような長細いちょっと小さめの、面白い空間だったので、それを生かした構成で、レイアウトとか写真の大きさを決めていった方が面白いかなっていうふうになっていきましたね、最後の方は。結構空間に対する写真の大きさを、一番こだわったかもしれないです。
qbc:
いつごろ展示のコンセプトは固まったんですかね?固まったというか、そうしようってなったんですかね?
kaji rumica:
そうしようとなったのは、いつだろう。多分6月の末ぐらいだと思います。
qbc:
それはインタビューの後か。
kaji rumica:
インタビューの後だと思います。
qbc:
インタビューをしたのは6月26日だ。
kaji rumica:
なるほど。
qbc:
ただそのとき、個展の話はしないってなったんですよ。
kaji rumica:
そうです、そうです。それです。
qbc:
今言っちゃうと・・・っていう話で。コンセプトが揺れてた状態だったんですかね?
kaji rumica:
今の感じに大体決まりつつあったんですよね。決まりつつあったけど、それをここで言っちゃうと、もう面白くないかなと思って。なので濁して。ナギさんの撮影の話だけを、前回しましたね。多分それぐらいの時期に、固まってきてそうしようみたいな感じで。
qbc:
シンプルなというか、ストロングスタイルっていうか、強い写真を感じたんですけれども。ご本人としてやられてみていかがでしたか?
kaji rumica:
自分の想定では、もっと圧迫感が出るかなと思ったんですよすごい。幅が狭いじゃないですか、すごく。後ろにそんなに引きがないのに、大きい写真がグワってくると、圧迫感があってちょっと圧迫面接みたいな、ちょっと嫌な勘嫌な感じじゃないけど、ちょっと息苦しい感じ。なんかそういう感じにちょっとなるかなって思ってたんですけど。
入れてみると、そんなになんか意外と、1人でボーっとここにいれる、みたいな感じでしたね。でもサイズ感の比率、正面の大きさのサイズとか、写真によって大小あるんですけど、横の一番枚数の多い写真は、大体等身大に近いというか、感じに。
周りの壁、額に入れずにそのままむき出しで、ぴったりべったり貼ったので。私は周りの壁自体が壁というか余白、写真の余白みたいな感じにも見えて、比率とかも良かったかなと思っています。
qbc:
実際に来場した皆様からは、どのような言葉をいただいたんでしょう?
kaji rumica:
誰かが空間に対して、手術室じゃなくて、えっと「霊安室みたい」って誰かが言ってて、それが今頭に浮かびました。
qbc:
なるほど。
kaji rumica:
別のホラー小説を書いてる女性の感想だと、ここに写ってる女性たちが、体をなくしてさまよってるみたいに見えるみたいな。ちょっと幽霊みたいというか、どういう意味なのかな。なんかちょっと体をなくしてさまよってて、話を聞いてくれる人を探して、写真の前に現れたみたいなことを言ってて。ホラー小説を書く人のイマジネーションがすごい面白いなって思ったり。自分はそういうふうには見ないので。
あとは、一番正面の壁の余白込みで、ポラロイドの枠みたいに見えた、ポラロイドを模してるのかと思ったっていう人もいたし。みんな見方がすごい面白いですね。写真が大きくて近いけど、そんな目が合うわけじゃないから見やすいみたいなことを言う人もいたし。
そしてあのドアを開けないと中が見えないじゃないですか。雑居ビルの2階にあって、ドア開けてそうするとちょっとタイトな、なんか細い何か空間が出てくるみたいな。ドア開けた瞬間はちょっとドキドキしながら開けて、開けた瞬間、「え、これ?」みたいな感じに反応を感じて。良い意味でも悪い意味でも。「え?」みたいな。
例えば枚数的なこれだけ?みたいな感じもあるかもしれないし、ちょっと2、3歩中に入り進んでいってみてって、くるって見渡してみても、複数の女性たちがいるらしきようなことは分かるし、モノクロの写真であるっていうことは分かるけど、ストーリーとか何を訴えたいのかみたいのは、「え、わからん」みたいな感じになって結構戸惑ってる反応もあったり、来た人が。
ステートメントも壁には貼ってないので、最初に挨拶文とかステートメントを探して、壁で読んでから写真を見るっていうことよりも、必ずドアを開けた瞬間、嫌でも作品が先に視界に板で飛び込んでくるようにしてる、強制的に。文字を読むよりも、っていう状態で。ステートメントは壁にはないけど、テーブルの上には用意しておいて、持って帰ってくださいっていう形で、写真評論家の方が書いてくださった寄稿文と、ステートメントが別紙であるような感じ。なので、一瞬で見終えることもできるし、30分とか、あそこで作品を見ることもできるし。あとは何でしょう。もし私が企画展ではなく単独でやってたら、「よくわかんないや」「まあいいや」「帰ろう」みたいな感じで5秒で帰ってしまっていたかもしれないし。「何なんですか、この展示は?」みたいな感じで言われたたり、マウントを取ってきたりする人とかいたかもしれないんですけど。結構女性アーティストとかだと、カメラ歴の長いおじさんがマウントをみたいなことがよくあるんですよ。そう。
とかほら、ギャラリーストーカーとかもあるじゃないですか。美術大学の卒展とかに行って、買う買わないみたいなことを匂わせて、接触を図ったりとか、ちょっと上からマウントを取って気持ちよくなったりとか、そういう人種がいるんですよ。昔グループ展とかブランクの前にやってた頃は、やっぱりそういうおじさんとかがいて、なんかいろいろ言ってくるわけですよ。自分の方が知識があるし、女子であれば機械に弱くて知識が少ないみたいな、思い込みというかあるんですけど。過去にそういうおじさんに私も会ったことあるんですけど。
今回の展示ではそういう感じの人もいなくて、もしかしたらギャラリーの客層とかにもよるのかもしれないんですけど。今回企画展だったので、先生方の監修が入り、搬入の日にも立会いに一緒に来てくださって。一緒に高さとかレイアウト、細かいところを決めていったりしていて。それを知って来ている方も多かったので、一瞬理解できなくても理解しようとしてくれるんですね。自分がわかってない、理解できてないだけで何かあるんだろうな、みたいな感じで、その次のアクションとして何かをすごい探そうとしてくれるんですよね。
それでその得た手がかりの一つが、テキストの文面だったりとか。ハンドアウトの文章もかなりびっしり長く書いたので、会場で立ち読みするにはちょっと長いので、よかったら持って帰ってくださいって在廊できる時には渡していました。「どうぞ手がかりです」みたいな感じで。そうするとの人がその場でほぼ全文読んでくれていましたね。そうして今度もっかい写真を見てみると、ルールだったり前提条件だったり何をしようとしてる人なのかっていう、何でしょう、情報が与えられるじゃないですか。その上でもう一回鑑賞者の感覚で作品をもう一回解釈しようと思って、見てるんですよね。
そうすると1回目よくわかんなかった部分から、その人の中で見えてくるものが何かある。それですごくぐるぐるあっち行ったりこっち行ったりしてみてくれて、最終的にあらかた見終わったタイミングで、写真集置いてるところに見に来る人もいれば、大体見た感じかなって思った空気がわかれば、「写真集も合わせて作ってるので」っていう形で渡して。
写真集も今回はちょっと強くてバサッとした感じの本を狙ったので、例えば映画館のパンフレットみたいな感じで、めくりながら読んでいって。まだ途中で「この写真展示であったな」とか思って、左手に写真集持ったまま。また展示の前に写真の前に戻って見比べたりとか。そういう感じで結構みんな楽しんでくれていたのが良かったです。
撮影日誌のテキストを多分、19、20歳ぐらいの男の子たちが椅子に座って、最初っから最後までずっと読んでたり。その子たちは1時間とか多分会場にいたと思います。図書館のように。在廊してるときはダミーブックとかも持っていたので、そういうのも合わせてみて。
感想として一番嬉しかったのは、「今日、写真展を見に来たのに、今その写真展を見た後みたいな感じじゃなくてすごい不思議な感じがします」って言ってくれた人がいて。それは何なんだろうな。1人1人の被写体になってくださった女性のイメージとか、いろんな女性が生きている様子だったりとか、その人の中に何らかの形で、何だろう、物語が立ち現れてくれているんだとしたらすごく嬉しいなと思いましたね。
「女の子が2人、遊んでるだけみたいなロシアの映画があって、それを思い出しました」とか。「ドキュメンタリー映画を見たような気分でした」とか。
自分でもまだ展覧会終わって整理できてない部分が多いので、あれなんですけど。でもあと何て言ってたかな。演劇を書いたりとか作ったりしてるほうの方が来て、その方はどの写真にも見えない部分が存在していて、メインビジュアルの写真も鏡で顔が隠れている写真なんですけど、人間は隠れてると隠れた部分を自分の想像力で補おうとする、勝手に。
マスクしてる人も、マスク美人を勝手に想像しちゃうというか。隠れてると綺麗に、自分でもう脳内で補完しちゃうんだけど。それを想像させない。
別にその鏡の下が隠れてるから、鏡の下を想像しようってなるけど、想像しなくてただそこに丸い穴が開いてるとか空白があるとか、そういう感じのものごとを決めつけたりとか断定したりとか、この人はこうだとかレッテルを貼ったりとか、そういうことに繋がっていくと思うんですけど、そういうことを「空白は空白」みたいな感じで、「見えないものは見えない」。
見えないからわかんないけど、でもその背景には何かあるんだろうなっていうことを思ってもらえたりとか。そんな感じで感想をその場で伝えてくださる方が多くて。そう。それが一番嬉しかったかもしれないです。
帰りに「もしかして作家さんですか?」って言われて、「そうです」みたいな感じで。例えば「手だけの写真なのにポートレートみたいな感じなんですか?」とか、それぞれの。あと、何でこの人は、「ちょっとこの人だけ顔がはっきり見えるような気がする」とか、いろいろ疑問に思ったことを聞いてくれたりとか。あとは自分の中で解釈したことをもとに、こういうふうに見えたとか感じたとか、こんなことを思いついたとか、そういうことを言ってくれたり。でも見た後に感想を言いたくなるのは、すごくいいことなんじゃないかなと思って。何か作品を、何も浮かんでこないとちょっと悲しい。
それを一言二言か行って帰りたい、みたいな気分になるのはありがたい。もしかしたら、ステートメントをすごく読んでくれたから、ステートメントの一番最後に、私と彼女たちだけでなくて、「できれば鑑賞者の人にも広がっていってほしい」みたいなことまで読んでくれて、この人は自分がこう思ったっていうことを伝えた方が、伝えることが作品の一部になるんだって、そこまで解釈してくれた人もいるかもしれないし。
たくさんの言葉
qbc:
展示をされて、どんな気持ちになりました?
kaji rumica:
そうだな。個展って1人だから、すごくプレッシャーとか責任感も感じるし。
だってあんな35度とか毎日35度とか馬鹿みたいに暑い日に、わざわざ神保町に来て。神保町の近くに何か用事があったとしても、あんなに暑かったら、もう私だったらもう1軒でも寄り道せずに帰りたいって思っちゃうから。それをわざわざ何かで知って気にして、暑い中わざわざ場所もすごくわかりにくいし、初めて来ましたっていう人も多かったし。それで本当は向かい側にもう一つギャラリーっていうかスペースがあるんですね。
大体フロアで2つぐらいは展示やってるから、片方の展示見た人はもう片方の展示もついでに見て帰るみたいなこともあったりするんですけど、ちょうど片方は何もやってなかったから、本当にこんな暑い中わざわざ来たのに、たった写真が10枚あるだけで、しかもよくわかんなかったみたいな感じで終わって、帰って行くの怖いな、かわいそう。かわいそうじゃないけど怖いなみたいな。
自分がいなかったときの人たちがどんなふうに見たかは、ちょっと全然わからないから。いると適度にアテンドができる。できたりするけど、個展だからそう。グループ展だとね、つまんなくても他に一つ好きな作品とかあったりとかしたら、来てよかったなとか思ったりとか。ちょっと自分が無責任にもなれるけど。
だから本当に1週目とかはもう、不安、不安で死ぬって感じでしたね。始まったばっかりの頃は。もちろん良い評価ばっかりだけじゃないし。
qbc:
どんなネガティブな評価がありました?
kaji rumica:
ネガティブな評価。それこそ初日に、初日の昼間、平日の昼間で、私はもうこれがこの場所で初展示するにあたって、これがベストだって考え抜いて作ったけど、見る人がどう評価するかはまた別の話なので。すごくドキドキしながら初日に在廊していたら大柄な男性が、ドア1回をパって開けて、ぐるって見回して、3秒ぐらいでパッって閉めて帰っちゃって。しかもまたしばらくしたらまた戻ってきて、その後は英語でずっとお説教をされてました。
qbc:
その人は写真を見てたんですか?
kaji rumica:
Google翻訳で「あなたの写真は被写体と背景しかないからつまらないです。退屈です。」みたいな。っていう、そっかアメリカンな感じで。
あとはなんて言ってたかな。写真をいくら、どれだけ編集で並び替えたって、選び直したり並び替えたりとか、デザインを良くしたりとかしても、写真そのものが良くなかったら、くそなんだみたいな。って言って。いやそれはそうだわと思って。
彼が言っているやっぱりいい写真が撮れてなければ、いくら選んだり順番を変えたりとかしても、もちろん写真集だから順番大事なんだけど。そもそもが駄目だったら駄目だよ、いくらやってもみたいなとかデザインを良くしたりしてもって言って。だんだん、ちょっと好きな写真は違うけど、でもわざわざこうして言葉の通じない日本人に、Google翻訳で一生懸命説明してくれて、最後には「この本が俺はおすすめだから、この本を読んで勉強しろ」みたいなことを言って帰って行って。悪い人ではないのかなみたいな。でも悪い人かな?わかんない。
qbc:
展示する写真が選ばれた理由って何だったんですかね?
例えばナギさんの写真が2枚あります?
kaji rumica:
無いですね。
qbc:
水に入ってる人は別の人か。
kaji rumica:
別の人です。別の人で2人ぐらい水に入ってる人がいます。
qbc:
でもとりあえず被写体1人につき1枚ってことですよね?
kaji rumica:
そうですね、そうそう。
qbc:
シンプルに小さい写真を並べて、その人のタイムラインを作ることもできたと思うんですよ。例えば、1人はそういう展示の仕方をするとか。いろいろパターンはシンプルにするにしてもあったと思う中で、選ばれた1人の被写体の中で選ばれた1枚を並べたっていうのが、私の中では「よくできたな」っていうのがちょっとあったんですよね。私は今まで梶さんが撮った大量の写真を見てるから、この中からストーリーをではなくて、この1枚っていう。選び抜いたっていうのは?
kaji rumica:
そうですね。もうちょっと人の顔がはっきり見えたりとか、ポートレートによったものを選んで組もあったんですけど。でもそうやって並べてみると、なんか写真としてあんまり面白くなかったんですよね。そこから入れ替えて私の個人的な思い入れが強すぎるように見える可能性があるものは外して入れ替えました。
qbc:
なるほど。
kaji rumica:
そういうものが落とされていって、残ったものの中からまた、選んで組み替えていって。そうやってパズルみたいに入れ替えたりしてるうちに、こう並ぶとすごく面白いなっていう形にパチッてハマるところがあって、そういう感じです。でも他者の目をいれずに1人だけで選ぶともうちょっとやっぱり引っ張られて、中途半端になってた可能性がありますね。
人の家がすごく面白いなと思う
qbc:
私はもう1年ぐらいインタビューを続けてきて、今回の展示がその着地点っていう感じには感じなかったんですよ。さっきおっしゃったような着地点ではない。それは単純に、ボリュームもあったと思うんですね。「いや、梶瑠美花さんっていう存在っていうものは、このレベルじゃないよね」っていうのが前提にあって。
そういう意味でシンプルに物足りなさはあったと同時に、展示内容として、独特の、これって簡単に言えば、SNSで募ったモデルを被写体に写真を撮るっていう活動なんだけれども、よく相手がわからない状態で、一番大きいメインの方の写真は、あからさまに顔を映すことを拒否してる感じのメッセージになる写真で。そういう意味の迫力を感じたスペースでしたね。人というものを見てるっていう部分、見てるというよりかは他人との距離とはこういうものだ、っていうことなのか、わからないですけども。
はっきり写ってないっていう。
そこはすごい感じましたね。ただ、インタビューを通して感じたことっていうのは、決して「曖昧なものだよね」っていうメッセージはないんですよね。手探りで距離を確かめに行って、回数を重ねるたびにその距離が変わったりしてるっていうふうなグラデーション。そこに人の営みのリアルさを感じてる。
だから、そういう意味で今回の個展っていうのは、切り取られたもので、全体じゃないなっていうのが。ただ、インタビューの経緯がないっていうか、そもそもここまでたどり着いたストーリーを持ってない人にとってはどんな印象だったのかって、ちょっと気になりました。他の人の感想が。
kaji rumica:
あの、割と困ってる人に度々遭遇しました。
qbc:
戸惑うんだ。
kaji rumica:
「え?」みたいな。あとはやっぱわからないことに対して、でも不安にもなるんだなと思いました。
qbc:
そうですね。カメラマンがいる場所ですからね。なるほどね。
前回のインタビューを編集した子と見に行ったんですよ。1回だけだから、聞いてたのは。多分気になったんでしょうね。インタビュー聞いて。どんな個展になってるんだろうっていうのは。前回だから、凪さんの撮影のインタビューですけど。
モヤる展示だったかなっていうのが。モヤる人がいるのもわかる展示でしたね。それは正確なメッセージなんですよ。モヤらせるっていう感じの展示だったので。
あと、鏡とか窓っていつ頃から明確なメッセージを持ったんですか?最初から?
kaji rumica:
窓のイメージは一番最初にあったんですよ。
qbc:
プロジェクトを始めたとき?
kaji rumica:
東京に来て知らない人と会うとか知らない場所に行くって、窓を開けて外に自分が出て行くことだから、ちょっと世界に繋がりに行くみたいな。なので、どちらかというと昔は鏡、家に引きこもって鏡を見て、自分の奥深くに潜っていって、何か見えないかなっていうことをしてるような、ずっと1人でやってたけど。そういうのはちょっとやめて、外に出ようみたいな感じだったので、窓っていうのはあって。
でも結局インタビューを受けに来た人とかも、写真を撮られにきた人とかも、なんだろうな。私を見てる人もいれば、カメラを持った私を鏡として使って、自分を知るための手段にしてる人もいるし、そうそう。でもやっぱり自分で自分の顔がわかんないって、結構いろんな人が言うから。あとは質問で、「どういう人が写真を撮られに来るとか、そういう傾向とかあるんですか?」って聞かれたときに、モデルになってくれた人も何人か見に来てくれたんですよね。
私が会ったときは、すごく大変なことを抱えている。抱えていて、そういう人だってやっぱりその1回しか会ってないから思っちゃうんですけど。2週間前に入籍しましたとか言って旦那さん連れてきてくれたりとか、復職してちゃんと普通に働いてたりとか。だから、でもその人生の、普通の人の人生の中でも、ちょっと自分のアイデンティティがちょっと曖昧になる時期とかあったりするじゃないですか。そういう一時的なそういうとき、その日にたまたま見つけて、すい寄せられてきたみたいな、人が多いのかなとか思って。何の話だったかな。何の話だったか忘れちゃった。
qbc:
モデルになった人たちが来て、撮影した当時とは違ってたんですよね。
kaji rumica:
そうですね。
qbc:
変化してて、人生の休み時間っていうか、遊びの余白かな。余白みたいな。余白にいるからアイデンティティが揺らぐんでしょうけど。
kaji rumica:
確かに。
qbc:
次の展示はいつごろを予定されてますか?
kaji rumica:
次は来年のどこかですね。
qbc:
早い段階?
kaji rumica:
でもどうかな。次は夏じゃない時期がいいかな。
qbc:
それは春前とか?(笑)
kaji rumica:
そうですね。春か秋か。
qbc:
なるほど。
kaji rumica:
気候の良いときにやって。秋とかかな。で、その間に手製本のダミーブックの方を、買えるように量産してほしいみたいな。あれが一点ものだったので、そういう人もいたりして。だからそういう本をまた作って、作り直してブラッシュアップして、納得のいくものができたら、10部とか20部とか作って売ったり。あとは公募展に出したり。撮影日誌も、日付の早い日誌からまとめてるんですけど、まだ全然全然追いついてないので、1人1人ちゃんと、今追いつくまでそういうのは作っていって。
qbc:
ちなみに、この写真の被写体はこの人だよっていうのは、ペアリングされない状態でするんですか?
kaji rumica:
そうですそうです。
qbc:
なるほど。
kaji rumica:
でもその撮影日誌が、例えば新書ぐらいに分厚くなったとしたら、
qbc:
答え合わせ?
kaji rumica:
うーん。今の段階だとペアリングする必要ないかなって思うんですけど、すごい分厚くなって、でも小説とか挿絵、別にないか。でも挿絵がなくてずっと文章ばっかりだとしんどいので、1枚ずつとか写真が入ってきてもいいかなって思いますね。いっぱいになったら。
qbc:
ペアリングはしない?
kaji rumica:
ペアリングは今の時点ではしない。他に写真集とか写真展がなくて、撮影日誌だけが単独で存在するっていう感じになったら、そこに写真が差し込まれていく。まだ考える必要があると思います。
qbc:
プロジェクト内容的には何か変化は?
kaji rumica:
プロジェクト内容的にはそんなにないかな。でも。
家がすごく、人の家がすごく面白いなと思うので、家での撮影を、でもこれは本当に撮らせてくれる人次第なんですけど、増やしていきたいなっていう。自宅での撮影を。
過去の「写真と人」はこちらから。
終わりに
写真に関するインタビューだけど、今回は写真なしでいくか!
本にするぞ!!!!!
制作・まえがき・あとがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)
編集:本州
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