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みんな話を聞いてほしいんじゃないかなって思う人

話を聞くことを4年やってきてるけど、それでわかったのは、逆説的だけど、ぜんぜん人の話なんか聞かなくても生きていけるってことだよね。ぜんぜん聞かなくていいよ。
パワフルに、自己主張だけガンガン火を絶やさず自分って火種を焚き続けてさえいれば、もーぜんぜん、他人の話なんか一切耳に入れることなんていなくていい。オッケーオッケー。
だからだと思うんだけど、話を聞いてもらえなくていらいらする、てことになるんだよね。これは権力の問題でもあるのよね。自分よりも立場が上の偉い人の話っていうのは、聞かなくちゃいけないのよ。立場が下だからね。聞かされるっていうのは、支配されているってことなのよね。
だから、立場が下になればなるほど、話を聞いてもらえず、苦しい。話を聞いてほしいって思うのよ。いやでもね、立場が上の人は上の人で、話を対等に聞いてもらえる機会が少なくなってきてしまうのよ。あるいは、心から聞いてもらえることがなくなってしまう(立場上、やむなく聞いている人が多いからね)。
これを話を聞く人聞かれたい人ギャップ問題と呼びます。
この問題の原因は何かわかります? わかってます答え。それは対等に話が聞けてないから。イーブンの状態じゃないのよ。だから無名人インタビューはお金とらない。クライアントワークになってしまうから。お金の関係は人間関係で、話をただ聞く聞かれる関係っていうのは、人と人との関係ですね。
ゴツ無名人インタビュー!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 奈美 さんです!

年齢:50代前半
性別:女性
職業:起業中の迷える人

〈note〉
https://note.com/namijawakokoja
〈stand.fm〉
https://stand.fm/channels/5fcb89867bbcfbcfd2682689
〈Instagram〉
https://www.instagram.com/reel/C3ha6eqySjb/?igsh=amZkYXNzZzd3OTl2
〈ライブリートーク〉
https://www.lively-talk.com/


現在:私はもっと皆さんに安心してほしいっていう思いがすごくあって、世の中の人みんなに。

花梨:奈美さんは今何をされている方でしょうか?

奈美:仕事はそろばんの先生です。あとそれと並行して、起業を目指しています。私生活では、子供が3人いて、シングルマザーです。なので家事と仕事、あと習い事で呼吸を習うレッスンに通っています。それが趣味というかですね、そういう生活をしてます。

花梨:ありがとうございます。1週間のスケジュールとしては、今どういった生活を送られていますか。

奈美:1週間でいうとそろばんの先生が週4日あるんで、そろばんは小学校とか終わってから、子供たちが来るんで仕事自体は午後からなんですよね。2時頃に家を出る感じなんで、午前中に家事とか用事を済ませていて、そろばん終わるともう帰ってくるの夜9時くらいなんで遅いご飯食べて、あとは寝るみたいな生活で。仕事がない日は、起業とは別にですね、ライブリートークっていうオンラインのコミュニケーションサービスの、お話を聞く役、ホストって呼ばれてるんですけれども(ホスト名:ワニなみ)、その仕事もやってるんで、時間があるときにはパソコン上で、部屋を開いてお客さんが来るか来ないかわからない状態で待機してるっていう感じなんですけれども、しながら家のことをやったり起業に向けて考え事をしたりとか自分の考えをまとめたりとか何かそういうことをしてます。

花梨:起業を目指されているっていうことだったんですけれども、起業というのは具体的な方向性とか内容とか、どのように考えられているんですか。

奈美:ライブリートークもその起業の流れの中で登録したものなんですけれども、基本的に人の話を聞きたいって思ってるんです。で、それを仕事にしたいと思っていて。なぜかっていうと私はもっと皆さんに安心してほしいっていう思いがすごくあって、世の中の人みんなに。話を聞いてもらえると、安心するなっていうのが自分の実体験としてもあるんですよね。自分を認められた感覚にすごくなったり、自分自身も言葉にすることで自分の思いを認めることができたり、私こういうふうに考えてるんだって今日のこのインタビューもそうだと思うんですけど、話すことで発見があったり安心したりするっていう。聞いてもらうことで、ほっとできるとかそういうことを提供したくって。ただ形のないものなので、難しいなって思ってるんですけれども方向性としてはそういうことを考えています。

花梨:仕事にしたいと考え始められたのはいつ頃からなんですか。

奈美:起業っていうそのものは、特に離婚してシングルになったのが8年前なんですけれども、そこから仕事を何するんだ?って、それまでもパートとかしてたんですけど、真剣に考えるようになって、私は一体何をしたいんだっていうのをすごく考え始めて。シングルだから、どんどん仕事しなきゃいけないんだけど、結構転々としたんですよね、仕事を。何か違う何か違うって感じで、そういう感じで何したいんだろうってずっと思いながら、やっとたどり着いたのがそろばんの先生ではあったんですけれどもそれでも今までの中では一番自分のやりたいことに近いんだけどなんか違うなっていう思いがあって、私だからこそできることって何かあるんじゃないかっていう気持ちが3、4年ぐらい前からもこうモヤモヤとし始めて。そういう発想が自分にしかできないこととか自分だからできることとかが、起業っていう言葉に結びついてきて。ずっとぼんやり思ってただけだったんですけど、2年ぐらい前から、本当にやっぱり起業したいって自分を生かせる仕事をもっと自分のペースで自分の責任において自分で組み立ててできる仕事をしたいって思うようになって、起業っていうものを検索したりちょこっと勉強かじったりっていうふうに動いていくようになって。ちょうど1年ぐらい前にそれじゃ全然進んでる感じが全くないんで、起業ちゃんと目指すぞって決めて、でも1人じゃ何にもどっから手つけたらいいか全くわかんないから、コンサルの人を頼もうと思って、どの人を選ぶかってすごくブログとか結構読み漁って、この人って思える人に出会えたんで、その人にお願いしたのが去年の5月ですね。なのでその人と対話をしながら、ちょっとずつ今起業を組み立ててるみたいな状況です。

花梨:起業のこととかそろばんの先生とか、家事とか習い事とかいろいろされていると思うんですけど、奈美さんの中で一番安心する時間ってどんな時間だと思いますか。

奈美:すごいいい質問(笑)本当にでもなんか結局そこですよね、自分があんまりそういうふうに考えたことなかったんだけど自分が一番安心する時間っていうのが、すごく肝のような気がしますよね。なんだろうね。自分が素でいられる時間ですかね。だから状況としては結構いろいろあるかなと思うんですけど、全く1人の空間で、自分の好きな環境でゆっくりお茶したりとか。今好きな環境っていうのは自分の家がすっきり片付いてる状態を何かイメージしてたんですけど、そういうのもいいと思うし、あと私やっぱ自然が好きなんで、海とか川とか森とか、自然に囲まれた状況で本当にポツンと1人何も考えずに、立場とかも何もなく、ただ1人の人間、ただ1つの命としてそこにいるみたいな感じだとすごく安心しますし、あとは、すごく気の知れた友達と一緒に、相手にどう思われるとかもね、何も気にせずに本当に自分のありのままの姿をさらけ出せたら、それも安心しますね。だから、素の状態っていうのは、ありのままってことですね、そういうときが安心するってことかなと思います。

花梨:最近そんな時間ってありましたか。

奈美:移住を考えてるんですけれども、こないだ移住先の候補地の1つへ下見っていう感じで旅行に行ったんですよね。やっぱり1人で行ったんで、自然の中にただ1人でいるっていう状況があって、すごく楽しかったですね。その場にただいるっていうよりも、その知らない土地をね、一応地図はあるけれどもてくてく歩くわけですよね。それがどう転ぶのか、どこに繋がるのか、その先に何が待ち受けているのか、それがわからない状態で自然に囲まれて動くっていうのがすごく楽しい。それは安心とはちょっと違うかもしれないけど、何が起こるかわからない感じがすごく楽しかったですね。自分がその状態であるっていうベースがあって成り行き任せで何も考えずに動いて、何も考えずに動いたことで起こってくることっていうのがすごくわくわくするし。実際に現地で知り合った人とのすごい驚きの出来事もあったりとか、そういうことにすごく幸せを感じますね、ご縁とかそういうものに。

花梨:移住先を見られて、成り行きによって起こる出来事をすごく楽しんだっていうお話だったんですけど、それは、普段の奈美さんのご性格とは近いですか、遠いですか。

奈美:普段からすごいそういうの大好きです。だけどやっぱり普段は日常の中にいるんで、なかなかやっぱり立場とかがくっついて回るというか。だから、あんまりそういう感覚に環境的になりづらいっていうのはあるんですけれども。あ、でもありますね、日常でもちょこちょこ、「聞いて~」って話したくなるような展開。思いがけないこととか、タイミングとか運命的なこととかに出会うともうすごいゾクゾク、人生の醍醐味みたいな感じますね。

花梨:ゾクゾクって何に対してですかね。

奈美:生きてるぞっていうか、この広い世界の中で宇宙も含めて、みんなそれぞれがただ自分なりに生きてるわけじゃないですか。それが何かしらのタイミングでとかご縁で会って、出来事が偶発して。その壮大さっていうのかな、貴重さっていうのかな、奇跡っていうのかな。感動するんですよね。自分の意思とか関係なく、そうやって起こってくることに、ちょっといい言葉には浮かばないな、ゾクゾクするとしか言いようがないんだよね。これをもうちょっと何か説明したいんだけど。

花梨:運命的というか、偶発的。

奈美:そうそうそう。なんかそれも安心に繋がるのかもしれない。結局みんないろんなことがあっていろんなこと考えて自分の意思で動いてるんだけど、その自分の意思の及ばないものが必ずあってそれによって運命は流されてて、だからそんな細かいこといいじゃんっていうか、もう大海原とか大宇宙に身を預けていればいいんだよみたいなことをもしかしたらそういうところから感じているのかもしれないですね。そういうことを感じたいから、ゾクゾクっていう感覚になるのかもしれないですね、もしかしたら。

花梨:ありがとうございます。人の話を聞いてそれを仕事にしたい、世の中の人に安心してほしいっていうところと、今お話いただいた運命的なことに身を任せるというのは、ご自身の中で繋がっているかいないかでいうと、どういう風に思いますか?

奈美:今喋ってて繋がったなと思いましたね。元々両方とも自分の気持ちのことなんで、繋がっているに決まってるなとは思うんですけれども、今本当に聞いていただいたおかげではっきり繋がった気がします。

花梨:感覚から確信に変わったみたいな感じですか?

奈美:確信の一歩手前かな。今繋がったってことはすごくわかるんですけれども、どう繋がったのかっていうのをもうちょっとこう言葉に表してみるとやっと確信に変わる気がします。

過去:子育てを手伝ってもらえないし、全部1人で抱え込んですごく孤独で不安でっていう日々だったんですよ。これやばいと思って自分で自分のことを。何とかしなきゃって思って、自分の中に溜まってる気持ちとか感情とかを発散したくなって。

花梨:奈美さんは幼少期の頃はどんなお子さんでしたか。

奈美:よく笑う、笑い上戸って感じで。結構小学校とかでも、クラス全体がワーッて笑ってその中で私も一緒に笑ってるんだけど、最後に私の笑いが残って大笑いしてるからそれでまたみんなが笑うみたいな。あと笑うその沸点がすごく低いからすぐ笑っちゃうからつまらないギャグとか言ってる子に対しても笑っちゃうわけで、大きくなってから会ったときに、笑ってもらえてすごく嬉しかったって言ってもらったこともあります。そうなんですけど、すごく人見知りでもありましたね。めちゃくちゃ人見知りで、スーパーとかで知ってる人とか見かけると親の影にさっと隠れるとか、そんな感じでしたね。

あと歌が好きでしたね。今も歌は好きですけど、テレビ番組のちっちゃい幼稚園とか小学校の子の一般の子が応募して出てくる歌番組があったんですけど、そういうのも出たい出たいって言ってました。言ってただけで出てないんですけど、親が出してあげればよかったって言ってたけど、何で出してくれなかったんだよって思ってるんですけど。あとは習い事が多くて、3歳からやってたのが、バレエですね。それが多分一番最初だったのかな、姉が先に習ってたんで、当然のように私も気づいたらやってて自分がやりたいって思った覚えは全くないんですけれども。あとピアノとか、あと英語劇、小学校に上がってからそろばん。何か忘れてる気がするけど、そんな感じ。今急に思い出したんですけどおしっこをすごい我慢するタイプで、学校帰りに途中で家に着く前の段階でしたくなることが多くて、よく股のところで抑えて帰っていったんだけど(笑)ちょっとバレエで、これは人見知りがすごい関係してるんですけど、先生にトイレに行きたいって言えなくって、バレエの時間に漏らしちゃったことも数回あります。だから何か明るいんだけど、そういう言えない、人見知りで閉じこもるところもあってみたいな感じですね。

花梨:歌は歌うことが好きだったっていうことですか。

奈美:そうですそうです。自分が歌うのが好きだった。

花梨:人見知りなところもありつつ、歌とかバレエとか劇とかそういう表現みたいなところはやりたがったんですか?

奈美:英語劇も何でやってたのかわかんないんですよね。親がやらせただけで私は全くやりたくなかったしずっとやりたくないと思ってやってたし。バレエもずっとやりたくないと思ってやってたんですよ。ピアノ系もやりたいって思ったこと1回もないし、練習もだから全然しなくって、全部やらされてました。
ただこれはちょっと大人になってからなんですけど、大学で演劇を始めたんですよ。大学卒業した後も劇団に入ったんです。っていう感じで、本当は表現することが大好き。今も大好きなんですけど、その小さい頃は全然そういう気持ちがなくて。それが演劇とかに目覚め始めたのが小学校6年生のときに友達が声優になりたいって言ったんですよ。それを聞いて、声優っていう仕事をそのとき知らなくって、そういうのがあるんだって思ってそっから自分がそれをやりたくなったんですよね。そこからずっと声優になりたいっていう気持ちを抱き続けて、大学入るときも大学じゃなくて本当は声優の専門学校に行きたかったんですけど、親とか先生にそれだとつぶしがつかないからとりあえず大学行きなさいっていう感じで言われて。そこも素直にね、そのまま大学に結局行ったんですけど、ちょっとでも近づきたいと思って大学の演劇部に入ったっていう流れなんです。英語劇やってたときなんて本当に劇なんて全く何にも自分には響かなかったですね。

花梨:そうなんですね。声優が響いたと思うんですけど、それはご自身では思い返すとどうしてだったと思いますか。

奈美:本当は出したかったんでしょうね、人見知りとかもそうなんですけど。本当は自分をもっと出したかったんじゃないんですかね。それが声優っていう言葉で、何か引き出されたのかな。きっかけ、刺激になったんですかね。それで中学生になって国語の教科書の一番最後の方に戯曲が載ってたんですよね、夕鶴っていう。それも見たときに読みたいって思ったんですよね。先生がこれを放送するのに読んでくれる人を募集するみたいな感じになって、立候補したのかちょっとそこの経緯あまり覚えてないんですけど、それで国語の先生の前でその戯曲の一つの役をもらって読んだときに、奈美上手いねって言われたんですよ。演劇部の子もいる中で、私は何にもそういう練習も何もしたことなかったんですけど、うまいって言われて、「私上手いんだ」って思ったし、教室で真似事で友達とその同じ戯曲を読んでたときも、友達がめちゃくちゃ下手で、え?って思ったんですよ。自分の中にその下手さの感覚がなかったんで、こんなふうに読むの?っていうか。だからそれもあってやっぱ私上手いのかもしんないって思ったんですよね。っていうのもあって、もっとやりたいっていう感じになってきましたね。

花梨:大学に入ってからも、やっぱこの中学校の出来事とかもあって、劇団に入って表現をされていたっていうことですかね。

奈美:そうですね。中学校の出来事が一番大元かもしれないですよね。でももう大学に入る時とかはただただもう声優になりたいっていう気持ちになってて。そのまんま進んでったって感じですね。中学校のときのことがどうのっていうわけでは、その意識の中にはそんなになかったですけど。

花梨:大学の劇団では、奈美さんはどういうことをされていたんですか。

奈美:普通にもう役者と、あと大学のクラブなんで、スタッフの方もみんなで力を合わせてやるって感じでいろんなことやってましたね。

花梨:声優に、なりたくてされてたことって他にもあったんですか。

奈美:実際に、やっぱり声優の養成所みたいなところも行ってみたいなと思ってオーディションを受けに行ったこともありますが、一応養成所みたいなところには入れてちょっとレッスンに通ったりもしたんですけど、結局大学で演劇をやってたことによって、演劇の方が良くなってきちゃったんですよ。自分の顔と体を使って、全身で表現する方が良くなってきちゃった。

花梨:なるほど。大学以降の人生ではどんなことをされていたんですか。

奈美:最初は大学生のときに先輩にすすめられて見たプロの劇団の公演にめちゃくちゃ衝撃を受けて。そこの劇団が大好きになってそこに入りました。卒業してすぐ、その大好きな劇団に入りました。なんですけど、現実は、ものすごい世界で。そこでももちろん役者を目指しつつ、そこの劇団もスタッフもみんなでやる感じだったんで私は小道具の担当に。小道具の先輩に気に入られて、引き入れられて。もの作りは元々好きだったのはいいんですけれども、ちょっとその不条理すぎて、劇団の世界が苦しかったんですよね。お芝居するっていうよりもその環境の苦しさに結局耐えられなくって2年もしないうちに逃げるように辞めました。だから、大きい役とかも全然もらえないままだったんですけれども、でも外でお金をもらってやる公演もちっちゃい役ではいくつか出ましたし、そうじゃなくて稽古場の中だけでやる劇ではメインもいくつかやって、そういう中でその先輩にはお前は才能があるって言ってもらえたこともあるし、やっぱり他の劇団員のみんなを見てても、私は自分の才能を感じることは出来たんですよね。逆に自分のできてないところ、足りないところも目の当たりにしてすごくコンプレックスになったっていうところもあるんですけれども。そういうものは得ましたね。

花梨:辞めた後は、という生活を送られていたんですか。

奈美:とりあえずいろいろバイトの日々で。当時大学卒業してから付き合ってた男の人がいて、劇団にいる間ってめちゃくちゃ忙しくて全く余裕がなかったんで、もう何ていうか自分に必死で。辞めたことで時間ができたのもあって、辞めている数年の間に結婚に至りました。

花梨:その後は、結婚生活を送っていた?

奈美:そうですね。もう1回劇団やるんですけど、結婚してから、最初の劇団のときの先輩に誘われて新しい劇団を一緒に旗揚げしたんですよね。そっちは全然不条理とかそういう辛さは全くなくて、役もいただいて。最初は結婚してボロボロアパートに住んでたんで、ちょっと新居を構えようということになって、新居を探すのに集中したいなっていうのがあってちょっと劇団を休んだんですよね。流れで子供もできてっていうふうでそのまま劇団から離れてしまった感じになって。やっぱりだからそこも2年ぐらいしか結局やってないんですよね。何か手伝いとかちょこちょこその後も行ってたんですけど。

最後に私が舞台に出たのが、子供が1歳になったときなんですね。なんでかっていうと、子育てがめちゃくちゃつらかったんですよ。新居に引っ越して、誰も知り合いがいない状態。知り合いは旦那さんだけで、初めての子育て。不安だらけ。話し相手もいない。旦那さんは、飲むのが好きでいつも酔っ払って帰ってきて。夜遅い+酔っぱらってるから話し相手にならないんですよね。っていうので、子育てを手伝ってもらえないし、全部1人で抱え込んですごく孤独で不安でっていう日々だったんですよ。これやばいと思って自分で自分のことを。何とかしなきゃって思って、自分の中に溜まってる気持ちとか感情とかを発散したくなって、芝居もう1回出させてもらおうと思って、所属していた劇団の先輩にお願いして出させてもらえないかっていうことで、出してもらえたんです。娘が1歳ちょっと過ぎた頃、1歳半ぐらいだったかな。それが最後の舞台にはなってるんですけど。そのときの子育て期の辛い体験が一番最初に話した、人の話を聞くっていうところにも結びついていて。あのとき私は、誰かに話を聞いて欲しかったっていうのがすごくあって。

お母さんとかにそういうのを話しても何か感謝しなさいとか、説教じみちゃうっていうか、こう考えると良いわよみたいに誘導されちゃうっていうか。でも私はそうじゃなくて、ただただ話を聞いて欲しかったんですよね。アドバイスも何も求めてなくて、うんうんって聞いてくれる人が欲しかったっていう。でも他に誰に話していいか、思い当たらなかったんですよね。だから、自分がちょっとそういう立場を離れて何年か経った後に、そういうお母さんの話を聞いてあげる人になりたいって思ったのが原点なんですよね。旦那さんとの離婚もそこが原点になってて、大好きで結婚したのにもうめちゃくちゃ落ちてったんですよ、私の中で旦那さんが。そこからすごい努力したんですけど私も。でもはい上がってこれなかった、彼は私の中で、っていう感じになります。

花梨:では過去について時系列でお伺いしてきたんですけど、もし過去を劇みたいに3つのパートに分けるとしたら、それぞれどこが起点になりそうですか?

奈美:2章の初めは、声優っていう言葉が自分の人生に現れたところが分岐点だったのかなと思いました。あれが2章の始まりなのかなって思いました。

花梨:3章の始まりは、どこだと思いますか?

奈美:3章はやっぱり子育てかな。子供ができた、妊娠したところから。

花梨:それぞれなんでそこをイメージしました?

奈美:2章はやっぱりさっき話してて、自分が全く自分を出すってこと、表現するってことがなかったところからスイッチが入ったのがそこだったんだなっていうのがわかったんで、そこがまず区切りになったなっていうのと。2章と3章の間は、やっぱり旦那さんとの関係がめちゃくちゃ大きいので、旦那さんとの関係がずれ始めるというか、最初のきっかけが妊娠したことだったような気がするので。でもそれは本当にすごくもう私は感謝しているんですけど、人間関係っていうものをものすごく体験として勉強させられて、本当にすごい経験させてもらったなって思っているので、それの始まりでしたね。

花梨:ありがとうございます。過去について、今まで伺えていなかったところで、なければ未来のパートに進むんですけれども何かございますか、話したいこととか。

奈美:過去って言ってもすごく近いんですけど、今に。両親がずっと会社をやっていて、ふすまを作る会社なんですけど。だから私が生まれたときからそういう環境の中で育ってきて、母はすごく働き者。夜もほとんど寝ないで働いてた感じで、もういつも仕事仕事で。なので、子供としては寂しい思いをいっぱいしてきました。バレエの発表会とか、ピアノの発表会とか、普通親が付き添いで来るものなのに、仕事で行けないからって言って友達のお母さんに奈美をお願いしますってなったりとか。バレエは親がついてないと発表会がなかなか難しいんで、お母さんの代わりにお母さんの妹、私から見るとおばさんが代わりに来てくれたりとか。仕事のせいっていうのはちょっと違うと思うんですけれども、母がすごく時間にルーズで、幼稚園の送り迎えとか、習い事の送り迎えとか、結構なかなか来ないんですよね。行くときも遅刻は多いし、それはちょっと寂しさとは違うと思うんですけど、お迎えになかなか来ないとかでポツンと待ってるとか、何かそういう寂しい思いをいっぱいしてきて。

っていうのと、両親がやってる会社が数年前に倒産したんですけれども。母が自分の弱みを全然見せないタイプで自分は美しい、立派だっていう姿をずっと見せつけられて生きてきて。でも実は会社が危ないっていうのを、たまたま私の姉が書類か何かを見ちゃって、わかっちゃって。そこから私の他に兄と姉がいるんですけれども、何とか協力しようってことで、毎月家族会議したりっていう時期があったんですよね。その中で私が会社の後を継ぐっていうところまで、覚悟を決めてやろうとしたことがあったんですけれども、そんときはまだ旦那さんもいて、家族5人で住んでたんですけれども。実家は結構離れてるんですね。今住んでるの東京で、実家は愛知県なんですけど、もう私が継ぐって決めて、ちょっと私が単身赴任みたいな感じで今の家を出て、旦那さんに子供たちはお願いして、実家にしばらく住み込みでちょっと手伝いながら、後継ぐことを探るみたいな時期があったんですけれども、結局ちょっともう手遅れで。実際そうやって中に入ってみたら、思った以上にひどい状態で、結局倒産の道になったっていう、ちょっとそういう出来事がありました。

未来:だから元々、気軽に入ってこれて、気軽に何か話しちゃうみたいな雰囲気の場所を作りたいと思ってたのが、自分の中で駄菓子屋のおばあちゃんのイメージになったんですよね。

花梨:5年後10年後、あるいは遠い未来、例えば亡くなるときまで想像してもらったときに、奈美さんは未来についてどういったイメージをお持ちですか。

奈美:遠い未来のことはあんまり考えてなくって。いつ死んでもいいように生きたいなって思ってるんです。明日死んでも後悔しない生き方をしたいなって思ってて、いつ死ぬかわかんないから、本当にコロナのときもそう思ったし、災害とか見ててもそうだし、そういうのはなくても、事故でいつ死ぬかわかんないし。だから、未来よりも今を大事にすることで、未来が充実したものになっていくし、死ぬときに笑って死ねるかなって思ってるっていう感じで。

近い未来としては、夢でもあり目標なんですけれども、話を聞くっていうことをリアルで形にしたくって。今起業で目指してるのはオンライン上のことであるんですけれども、私の理想としては、駄菓子屋のおばあちゃんのようなイメージでいるんですけれども。お話聞きますよっていう看板を掲げるんじゃなくて、駄菓子屋さんのようにフラッと入ってこれる場所の主として、いつもそこにいて、ふらっと入ってきたついでに何か本音をぽろってこぼしていく。そんな場所であったりそんな存在になりたいなって思ってるんです。駄菓子屋さんっていうと子供が来るイメージかなと思うんですけども、今そろばんの先生で子供を相手に教えてるっていうところから、やっぱ子供たちも本当に親の思いとか背負ってて、習い事いっぱいさせられたりしてて大変だなって思うんですよね。で、この子たちの本音を聞いてあげたいなって、この子たちに本音を出す場所はあるんだろうかって。親に言えないようなこととかきっとあるんだろうなって思うんで、そういうのを聞いてあげられる場所っていう発想なんですよね。だけど、私の原点としては、子育て中のお母さんの話を聞いてあげたいっていうのもあるので、やっぱり大人の皆さんの話も聞きたいんですよね。だから、駄菓子屋で子供を引き寄せつつ、その一角のスペースではカフェも併設し、みたいな。大人もこれる空間にしたいなっていうのがあって、そういう空間を開きたいなって、ちょっとまだ夢っていう色が強いかもしれないけど、目標としてやっていきたいなっていうのがあります。

花梨:その夢が叶ったとして、その状態にある奈美さんって、どんな感情を味わってそうですか。

奈美:もうなんか喜びが充満してそう、はみ出しちゃうぐらい、自分から。

花梨:それは何に対するというか、どういう喜びですかね。

奈美:人が来て自分の本音を漏らしてくれたら、すごく嬉しい。そういう存在になれたらすごく嬉しいからっていうのと、絶対人の話を聞くことで自分の中にも発見とか気づきがあるはずで。それも想像しちゃうと、豊かでしかないというか、それがもう喜びですね。

花梨:ありがとうございます。そもそも、駄菓子屋のおばあちゃんみたいなイメージが理想として生まれ始めたのって、いつ頃からだったんですか。

奈美:いつ頃だろう。そろばんの先生っていう仕事に行き着く前に何がやりたいんだろうってすごく考えてるときから、子供を相手にしたいなっていうのは思ってましたね。それはなんでなんだろう。今ね、そろばんの先生やってて子供の話を聞きたいと思うようになったって言っちゃいましたけど、その前から思ってましたね。

花梨:そうなんですね。

奈美:子供相手に仕事したいと思ったんですよね、仕事探してるときに。多分、そろばんの生徒に限らずですね、自分も子供3人いるんですけれども、子育てしていく中で周りのお子さんのことを見るわけじゃないですか、やっぱり関わるから。うちの子は全く習い事していないんですよ。でも周りの人たちはめちゃくちゃ習い事をいくつもしてるのが当たり前で、そういうところに疑問を持ってたんですよね、ずっと。みんな塾行ってるから、もう子供たち大変だなっていうふうに見えてたんだと思います。私の一番上の娘も小学生のとき不登校になっているんですけれども、なんかやっぱり子供それぞれに親も想像もつかない想いっていうのがあって。それは当たり前で、それをやっぱりどっかで出せたらもっと楽なんじゃないかなって言う発想も多分あったと思うんですよね。不登校をきっかけに今の学校教育に疑問を抱いたり、子供たちが伸び伸びと生きていける世の中っていうのを考えるようにもなりました。だからその仕事を探してるときに、学校に在駐するカウンセラーさんとかもすごい考えたんですけれども。もちろん資格がないからっていうのもあるんですけど、カウンセラーとかっていうと、ちょっとハードルが上がっちゃって、わざわざ相談しに行きますっていう感じになっちゃうから、それだとなかなかみんな来ないんじゃないかなと思ったんですよね。

だから、そういうんじゃなくてただの人の看板を下げ、カモフラージュ的に何か別の仕事をしながら、そこに子供が来たらそこで、それでいいんだよっていう全て受け止めるような気持ちで接することで、そういう安心感を与えられないかなっていうふうに思って、たどり着いたのがそろばん。たまたまそろばんの先生って募集に出会ったんで、これならいいかもって思ったって感じだったんですけど。だけどそろばんの先生をしながら、やっぱりそろばん教えないといけなくって、当たり前なんだけど(笑)やっぱりそろばんって正解があるじゃないですか。丸をつけたり、できないところは教えないといけないし。その正解を教えるっていうこと自体にちょっと違和感を感じ始めたっていうのもあって、今もうそろばんの先生辞めるって言った後なんですけど。そろばんを教えなきゃいけないから話も全部聞いてあげられないし、でもどんどん話してくるんですよ。子供達は関係ない話をいっぱいしてくるんですけど、お金もらってそろばんを教えてるわけだし、やっぱり全くやらないわけにいかないから、話を抑えてそろばんやっちゃうところもあるから、正しいことを教えるっていうのもなんか気持ち悪いし、話を全部聞いてあげられない、もっと話を聞きたいっていうのもあるんで、ちょっとやめようってことになったんですけど。

だから元々、気軽に入ってこれて、気軽に何か話しちゃうみたいな雰囲気の場所を作りたいと思ってたのが、自分の中で駄菓子屋のおばあちゃんのイメージになったんですよね。それはだから多分具体的に駄菓子屋のおばあちゃんって浮かんできたのは、そろばんをやり始めてからかなと思うんですよね。そろばんは4年5年ぐらいなんですけど、やってるの。ちょっとはっきり覚えてないんですけど、その駄菓子屋のワードが出てきたのがいつなのかは。

花梨:ありがとうございます。未来の中でですね、もしも~だったらっていう想像の質問を1個させていただいてるんですけれども。さきほど3章に分けていただいてたと思うんですけど、声優を目指している、声優っていう言葉を小学校時代に知ることがなく、かつ以前ご結婚されていた方とはその当時お付き合いされなかったとしたら、今の奈美さんは何をしていると思いますか。

奈美:文章を書いているような気がします。

花梨:文章ですか。

奈美:多分元々自分の中でいろいろ哲学的になんか考えちゃうというか、本質的なことを考えるタイプだと思うんで、そういうことを世の中への疑問だったりとかを文章にしたり、あと私には話を作るっていう才能はちょっと全然ないと思うんですけれども、物語的なものなんか書いてるかもしれない。そういう文章を通じて、結局子供たちと関わるように、将来的にもなっていったのではないかという気がする。通る道は全然違うけど子供たちを元気にしたいっていうところにはたどり着くような気がするんです。

花梨:子供たちと関わるという要素が変わらないと思われたのは、どうしてですか?

奈美:なんでだろう。でも結婚してないってことは自分に子供がいないですもんね。

花梨:または、他の方と結婚されてるかもしれない。

奈美:そりゃそうか。やっぱり自分の願いの根本っていうか、生まれてきた目的とかはっきりわかんないけど、そういうところに何かあるような気がするんですよね。子供の力になりたいっていうのが、キーワード的に自分の中にあるような気がして、だから道が違ってもたどり着くように思えたんですよね。でも自分が3人兄弟の末っ子だったんで、自分より年下の子を扱うってことに慣れていなくて。だから自分に子供ができるまでは、子供の扱いっていうか子供の存在はどっちかっていうと苦手だったんですよね。自分に子供ができて初めて子供に何の壁も感じなくなれたんですけど、もしそういう自分に子供がないまま大人になってたとしたら、ちょっとどうなったんだろうっていうのは、なかなか興味深いですけどね。それでも子供に行きついたのだろうかっていうところは、苦手だからこそ行きついたかもしれないってそんな気もします。

花梨:インタビューを振り返って、何か言い残したことはありますか。

奈美:感想なんですけれども、これやる前から思ってたんですけどやってやっぱりはっきり思うのは、こうやって自分のことを聞かれるの大好きです。大好きでこんなに時間オーバーになっちゃったけど、聞いてくれたじゃないですか。やっぱり聞いてもらえるのはすごく嬉しいですね。だからこれを私もしたい、聞く人。みんな自分のことを話したいのかな。話したくない人もいるか。本質的には本当はみんな話を聞いてもらいたいんじゃないかなって気がするんですよね。話したくない人は話したくないなりのそのときの心境とか理由はあると思うんですけど、もっと深掘りすると本当はみんな話を聞いてほしいんじゃないかなって思うんですけど、どうでしょう。

花梨:人間の根源的な性質に、自分のことを理解してほしいとか、素直に話してみたいっていう気持ちがどこかにあるのかなと思う瞬間はありますね。

奈美:だから、無料でこんなことをしてもらえるなんてってすごいと思いますよね。なんでお金取らないんですか、これ。私もお金ないんで、無料だからやったっていうのはありますよね。でもお金取ればいいのにとも思っちゃう。だってすごく価値あると思いますよね。無料だからこそ価値がある気もするな。でも本当に良かった、ありがとうございます。やっぱり嬉しかった自分のことを聞いてもらえるのが。

あとがき

駄菓子屋のおばあちゃんのお話、すごく共感しながら聞いていました。
聞く、という行為は、本来人と人の関係を結ぶ純粋なものだと思っているのですが、
金銭、立場、環境設定…などが入り込むことで、聞くことへのハードルが高くなってしまっているような気がします。

そういえば、”相談”でも同じようなことを思いますね。
大層なことじゃないから話せないとか、お金を払うからには解決しなきゃとか。

そんなもの全て取っ払って、話したいから話す、聞きたいから聞く。
無名人インタビューも、そんな場の1つになっていたら嬉しいなと思います。

奈美さんはこれからどんな居場所をつくっていくのでしょうか?
改めて、無名人インタビューへのご参加ありがとうございました!
次回のインタビューもお楽しみに。


【インタビュー・あとがき:花梨】

【編集:komima】

#無名人インタビュー #インタビュー #起業 #コーチング

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