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絶望ばかりではないよって。それでもやっぱりこの世界は希望があるよっていうことは伝えていきたい人

昔、私は小説を書いていたんですが。(今も!)
20年前ですかね。
小説投稿サイトで知り合った人たちとよくよくオフ会していたんです。新宿の居酒屋なんかでね。がははって飲んで、なつかしい。
そのサイトの中で、小説のめちゃくちゃ上手い人がいて、その人は私にとって憧れだったんだけど、なんだかんだでその人と私は仲良くなったんですよね。で、なんかわからんけど、その人のうちに泊まりに行くことになって。
その人、結局めちゃくちゃ感性が鋭かったんだけど、鋭すぎるせいか、メンタル病んでたんですよね。で、性格も豪快なので、睡眠薬をウォッカかなんかで飲んでばたんきゅーってしてしまって。ああ、人間てこんな風に倒れるんだな、と思った思い出があります。
なつかしい。
すべてがなつかしい。
ということで、無名人インタビューはじまります!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは ミーシャ さんです!


現在:癒しっていう言葉が自分に合わないっていうのはわかってて。時には闇と向き合う必要もあるから、厳しさも持ってるけれども、その人ができる限り悔いのない人生が歩めるように応援していたい

尾崎:ミーシャさんは、今何をしている人ですか。

ミーシャ:一言でいうと、ちょっと難しいんですけれども、基本的にはヒーリングのサロンとスクールを経営しています。カウンセラーと講師ですかね。占い師でもあるし、ヒーラーでもあるし、霊媒師みたいなのでもあるしみたいな、そんな感じです。

尾崎:それでは今一番メインのお仕事は何ですかね。

ミーシャ:サロンの業務と講師業で、メインが2つになってるので。どっちかっていう感じでもないんですけど、基本的には教える講師業の方が多いかな。カードリーディング講座や、自己探究や自己覚醒関連の講座であったりとか。こんななり(青い髪)だからあれなんですけど、何て言うのかな。人と違うことに悩んでらっしゃる方のサポートであったりとか、そんな感じのことが多いですね。

尾崎:周りからどのような性格と言われることが多いですか。

ミーシャ:性格は、そうだな。深いっていう言葉をよくかけられることが多いのと。ギャップ萌えっていうのも多いかな。喋らないで端で見てると怖い人に見えるんだけど、実際会って話すと、めっちゃチャーミングでかわいいっていうのはよく言われる言葉です。

尾崎:深いとはどういう意味なのでしょうか。

ミーシャ:自分がずっと携わってることが、何で生まれてきたんだろうとか、生まれてきた意味って何なんだろうみたいな、本質を探究することで。

重くなっちゃうかもしれないんだけれども、人の心の闇だったりとか、そういうものと向き合う仕事でもあるから、あんまり私も浅いことを言わないせいか、言ってることがいつも深いっていうのはよく言われますね。いったい何百年生きているの?とか言われます。

尾崎:ご自身では、ご自分の性格をどのように捉えていらっしゃいますか。

ミーシャ:くそ真面目な人間だなっていうのは自分でも思いますね。くそ真面目っていうか、やることなすことみんな修行にしちゃうみたいなところは。だからちょっと興味があって始めたことを極めようとしちゃうんで。それで体を壊して、やれなくなるっていうパターンが結構、過去多いです。

尾崎:例えば、どういったものを極めてきたんですか。

ミーシャ:いろいろあるんですが、フラメンコをやっていた時期があって。最初にフラメンコを始めたときは趣味程度でって思っていたのがのめり込んでしまって。休みの日は一日10時間ぐらいスタジオで練習してたりとか。だからかなり早い段階で舞踊団員になったんですよね。舞台に出たりとか、先生の代教したりだとかっていうのをして、根詰めてひたすら練習して、仕事もそっちのけで練習しててとかっていうのがあったんで、10年目になるちょっと前ぐらいに、膝と足首の腱を切って、結果踊れなくなっちゃったっていうことがあって。

尾崎:今、極めたいことってあるんですか。

ミーシャ:今はむしろ、もうこの年になって無理はしないように自分でセーブをかけることを覚えなきゃなと思ってます。

例えば、数年前に居合をやってたんですよね、元々武道が好きなので。夏場暑くて誰も練習に来ないのに1人で冷房のない体育館で修練してて。荷物もとても重いし。膝は元々腱切っちゃってたから、膝と肩を壊して、結局今、休会中です。

一事が万事、そうやってワーッて突き詰めようとするから、例えば「人生とは」とか、「人間とは」とかっていうのを考え出し、哲学をし始めると、どんどんどんどん突き詰めていくタイプです。突き詰めて、半ばうつ病に近い状態にはなりますね。生きてる希望を見失うみたいなとこまで行くので、危ないからセーブをしていく。この辺でやめとこうねっていうのが今の私の修行みたいな。

尾崎:これまで極めてきたものって、どういった傾向があるんでしょうか。

ミーシャ:何でしょうね。フラメンコは武道ではないけれど、他の踊り、そんなたくさんの種類と比べたわけではないけれども、フラメンコは時々「生きる」ことに向き合うような世界だったりとかして。武道も踊りも、「生きるとは」っていうところに向き合うみたいな部分って多い気がします。自分の仕事もまたそうだし。究極ね、「人はなぜ生まれて死んでいくんだろう」みたいなものを感じさせる世界ではあるなと思いますね。
そこで極めようとして先に体を痛めてしまうわけです。

尾崎:居合はどうして始められたんですか。

ミーシャ:居合は、子供の頃から憧れはありました。危ないし、やるところがなかったので、本当に数年前に探して近くに道場っていうか、先生を見つけて。格闘技やってたときもあるんですけど。格闘するのが目的ではないもの。相手がいないとできないものよりかは、1人でもできるやつがよかったんです。

格闘するのが目的というよりも、なんかもっと、気を高めていくだとか。精神を研ぎ澄ますだったりとか、感覚を研ぎ澄ますであったりとか。そういうことの修練になるっていうのと、単純に刀がかっこいいなっていう、そういうのもあって。

尾崎:今のお仕事のメインがヒーリングのスクールとおっしゃってたんですが、ヒーリングについて突き詰めた結果、先生になったっていう流れですかね。

ミーシャ:先生というのは、母が講師業をしていた影響が大きいです。それとヒーリングは一つの種類にしか過ぎないです。結局そこも突き詰めていけば、「なんで生きてかなきゃいけないんだろう、こんなに苦しいのに」って。

そこにどう寄り添って、それが本当に苦しいことなのか、その人にとっての生きていく意義であったりとか。その人なりの、何ていうのかな、生まれてきたことの価値であったりとか。そういったものを見いだしていけたらいいんじゃないのかなっていうのがあって。
それで心理学や自分の人生を客観視する方法を教えるようになって。

遡れば、自殺未遂を3回ぐらいやってるんですよね。苦しいことだらけだったので、その中でも何とか命を失うことなく生きてきたっていうものが誰かの役に立つんじゃないかなっていうのがあって。

もちろん自分もいろいろ研修を受けてきました。スピリチュアルケアといって、亡くなることがわかってる方に寄り添ってお話を聞くっていうようなものの病院研修があったんで、それも4年ぐらいやってたんですけど。

究極のね、ホスピスとかで何週間後か、何ヶ月後かわからないけど死んでしまうとか。本当だったら生まれてくるはずだった子供が切迫流産で亡くなってしまって落ち込んでる妊婦さんに寄り添ったりだとかっていうような究極のところではなくって。この日常生活の中で、たくさん生きづらさを感じている方って多いって、私は思うんですね、自分がそうだから。例えば、人と「違う」ということに生きづらさを感じている人にとか。

その中でも、自分らしく生きていくっていうこと。じゃあ、自分らしさって何なんだろうっていうのを探究していく。そういうことを自分がやってきたからこそ、人生に立ち止まってしまった時に役立つものをご提供していきたいなっていうのがあったんだと思うんですね。

最初の入口としては確かにアロマセラピーっていう、単純に癒やしっていうところから入ってきてます。今年で開業して22年なんです。なので、その二十数年の中で多くの経験と学びを経て凝縮されてきたところが、今お話したみたいなものなのかなと思いますね。

尾崎:これはちょっと嫌いだな、苦手だなみたいなことってどんなことがありますか。

ミーシャ:苦手なことは結構多いですよ。最近、これ私、やっぱり苦手なんだなって思ったのは、女の子女の子してるのが苦手っていう。女の子女の子しているのって、何だよっていう話なんだけど(笑)

尾崎:例えば、どんなものがありますかね。

ミーシャ:例えば、女の子が好きそうなもの、女子力高いようなもの作りとか、私がやりたいか?っていうところで。

自分のセンスと合わないっていうのはもちろんあると思うんだけれども。いろいろ振り返ってみて、結局、女の子っぽいのが苦手なんだろうなって、それはすごい感じますね。女子力高めのものとか、ひらひらのドレスとか着てたりとかするのが私は無理っていうのが。

尾崎:逆に、どういったものがお好きかって教えてもらってもいいですか。

ミーシャ:とんがってる方が好きなんでしょうね。元々ハードロック、ヘヴィメタルの畑にいた人間なので。昔、音楽業界にいたんですよ。担当してたジャンルがハードロック、ヘヴィメタルなので、センスがとんがってるのがいまだに多分好きなんでしょうね。フラメンコを選んだのも多分そういうのもあると思うんです、激しいというか、静と動が極端なもの。

尾崎:先ほど、自分らしくっていう言葉をおっしゃってたんですが、ミーシャさんの自分らしさって何ですかね。

ミーシャ:自分らしさね。これが自分だって言ってしまうと、またそこで制限かけちゃうのかなっていう気もするので。こうじゃなきゃいけないっていうレベルまで定義はしてないんだけれど。

自分の中ではカラスみたいなやつだなって。抽象的になっちゃうんだけど、カラスみたいなやつだよなって。周りからは気持ち悪がられるっていうか、怖がられるし、目立つし、だから孤立しやすくて、でも寂しがり屋なところもあるからちょっかい出してみたり。

インディアン居留地にいたことがあるのですが、そこの教えでは、いろんな動物に意味があって。地方にもよるんだけど、アラスカの方では、カラスは人間に太陽と月と星と水と火を与えた創造主に関係する動物だったりします。

カラスだけじゃなくて、例えばコウモリだったりクモとかもそうなんだけれども、彼らは本当の自分を生きるっていうことを伝えるために、時にはすごく厳しいメッセージを持っていて。でも真剣にその人自身の本質、魂の道を生きるのを応援しているという意味があります。私も・・・そういうところもあるのかなって。そしてすごく感情的な人間ですが、振り幅が大きすぎて表現できない結果すごく冷静です。

癒しっていう言葉が自分に合わないっていうのはわかってて。人生って時には闇と向き合う必要もあるから、そういう意味では厳しさも持ってるけれども、その人ができる限り悔いのない人生が歩めるように、その人の魂の輝きを応援していたいっていうのがあるから。一言でいうのは難しいですね。

一言でこれが自分ですというのが難しいから、いろいろ肩書きが出てきちゃうんでしょうけどね。肩書きに縛られたくないっていうのもあるし。

尾崎:ありがとうございます。それでは、好きな色は何ですか。

ミーシャ:好きな色は、黒が一番多いですけど。青、うーん、青かな。でも、紫も好きですね。青みがかった紫が好きですね。

過去:かなりそこでも無理をしてたので。結果、卵巣嚢腫が破裂しちゃったんですよ。痛みを感じないぐらい自分が麻痺してたんでしょうね。

尾崎:子供の頃ってどんな子でしたか。

ミーシャ:幼い頃は男の子とばっかり遊んでる活発な子でしたね。ヒーローごっことかすると必ず、古い話ですけどゴレンジャーっていう戦隊ものの元祖ですよね。ゴレンジャーごっこやってて、当時、女の子はモモレンジャーをやるものなんだけれども私は常にアカレンジャーをやっていたっていう、そういうタイプでしたね。

尾崎:好きなものは何でしたか。

ミーシャ:動物とミイラが好きでした。

尾崎:なんで好きだったんですかね。

ミーシャ:動物は単純にモフモフしてるものが好きだったんで。でも野生動物が好きだったから図鑑ばっか見てましたね、暇があると図鑑を見てるのが好きだったんです。ミイラはね、国立科学博物館に行って初めて見て。古代エジプトが好きなんですよね、小っちゃい頃から。生き死にに関わることがそもそも好きだったんでしょうね。

なんでこういったものをまず作ろうと思ったのかっていうことと。それが一体何を意味してるのかっていうのもすごく不思議で。だから、ミイラそのものが好きっていうよりも、それにまつわる概念というか。そういうのが好き。いまだにミイラ展とかあると行きます。

尾崎:学生時代に印象に残ったエピソードがあれば、お願いします。

ミーシャ:学生時代はかなり強がってたかなと思います。中学のときは比較的同級生の中で、アニメ好きの子たちとグループがあってリーダー格みたいなところがありました。母が決めて入学させられた高校が女子高だったので、男まさりの私にはひたすらつらかったですね。最終的にはいじめられて、家にも学校にもどこにも居場所を感じられなくて。うつ病になっちゃったんです、高校の時に。弓道部にいたんですよ。1人で弓道やってるときだけが、まともにいられたっていうか。

弓道部でも自分対みんな、みたいな感じになっちゃったときがあって。そのときはつらかったけど、最終的にはマイケル・ジャクソンが来日して、彼にのめり込んだおかげで救われたっていうか。

尾崎:救われたっていうのを具体的に教えてほしいなと思いました。

ミーシャ:その頃はVHSになるんだけど、テレビで放送されたコンサートを録画したわけですよ。それを見てとにかく踊りを覚えるって。あとプロモーションビデオもいっぱいあったので、それをもうひたすら見て踊りを覚えるっていうふうに情熱を燃やしてたっていう。
彼の発しているメッセージに感動したり、チャリティ活動に興味を持たせてくれた人でもあります。

尾崎:つまり、つらかったことを忘れるくらいのめり込んだっていう理解で間違いないですか。

ミーシャ:そうですね。それがなかったら死んでたと思うので。高校のときに1回自殺未遂しているんですよ。私、親とものすごく仲が悪いっていうか。虐待とネグレクトがひどかったので、一人っ子だったから誰にも頼れず、高校の頃は、学校ではいじめ、家に帰れば食べるものを食べられなかったりとかっていうのは結構つらかったんですよね。母が茶道教室をしてたのでお稽古が始まると外に出られなくなっちゃうんですよ。

尾崎:はい。

ミーシャ:うつを患ったりとかしてたから、かなり追い込まれていたんだけれども。そのときに踊りにのめり込むことができたので。無事でもないけれども何とか卒業することができたっていうか。

尾崎:卒業されてからは、どのような?

ミーシャ:高校卒業してから、このまま家にいたら母に殺されると思ったのでとにかく家から逃げ出すことを考えたんですね。そのときにミュージカル好きで仲良くなったカトリックの信者のお友達がいたのでちょっと気晴らしっていうかね、癒しになるからって言って日曜学校へ、高校3年生の終わりぐらいかな。

教会に来ない? って言われて、ちょっと通うようになって洗礼を受けたんですよね、キリスト教のカトリックの。そのままシスターになろうかなと思ったんです。シスターが優しい人たちばっかりで。シスターに高校卒業してなろうと思ったら、私は集団生活が駄目だってことがわかって(笑)

そんなとき音楽にのめり込んでたっていうのもありますね。バンドやろうって思って。正直、音楽にのめり込んでいきながらも、自分の行き場がなかったので、今で言うとトー横キッズに近い感じだったかな。

あの当時は原宿のホコ天なんですけど。今は無き原宿のホコ天で薬をオーバードーズして1日空眺めて、タバコ吸ってっていう。当時、原宿駅前にテント村ってあって、そこでパンクなお兄ちゃんたちがね、ビスいっぱいついてる革ジャンとか売ってたりして。そういう人たちと話したりとかして過ごしてた。危ない思いもいろいろしました。

その中で音楽にのめり込んでいったんです、専門学校通いながら。語学系の専門学校だったんですけど。専門学校通いながらレコード屋でバイトして、バンドやってっていう。そんな感じが高校卒業以降ですね。

尾崎:それからどうなったんですか。

ミーシャ:それから専門学校の方で海外に研修というか行く機会があって。そこでアメリカの空気を肌身で感じて。そのアメリカ、やっぱり海外のバンドとかが好きだったので、本当はアメリカに住みたかったんですけど、結局お金がないので諦めて。

レコード屋でバイトしてたんだけれども、今で言うリストラに遭ってしまい。悔しいからもっと専門的な音楽を扱う会社に入ったんですよ、最初はバイトで。そこで中古レコードの査定をするようになって、自分のマニアックな知識とかを使って中古レコードの査定をし始めたんですよね。

バイトから社員になって、海外から日本に来るハードロックのアーティストと仕事がしたいって思っていたから、小冊子やイベントを企画しました。アルバム販促の目的で小冊子をまず立ち上げて、もっと小冊子を大きくしたいからってアーティストにインタビューを取りに行ったりとかしながら、来日アーティストに会ってはイベントで仕事を一緒にするようになってっていう時期がありましたね。

どんどん専門的な知識を増やしていたんだけれども。それで10年。最終的には出世だったのでしょうけど、他のジャンルも面倒見なきゃいけなくなってしまって嫌になっちゃって。

尾崎:今の生活リズムに落ち着き始めるまで、どんな人生を歩んできたんですか。

ミーシャ:20代って、かなり無理をしていました。結果、卵巣嚢腫が破裂しちゃったんですよ。もっと早くに気づけるはずだったのに、いろんなことを我慢し続けて、痛みを感じないぐらい自分が麻痺してたんでしょうね、もう。

だからそういう意味では、すごくうつ病がひどかったんですよ。2ヶ月ぐらい痛いの我慢して歩けなくなってきたあたりで、病院行かないといけないんだって。内科ばっかり回ってたんですね、最初は便秘か腰痛かななんて思って。そしたら総合病院に行ったときに、これは婦人科かもしれないって。台にのぼる寸前にお腹の中でぱつんって破裂して緊急手術。医者にめっちゃ怒られて。なんでこんなになるまで我慢できたんだとかって。

そこから1ヶ月入院して。生理を半年止めなきゃいけないので男性ホルモンとかを投与するわけですよ。弱音を吐かない、辛いと言えないし言う相手もいないし、言っても理解してはもらえない。それでやっぱね、ちょっとおかしくなっちゃって。3回目の自殺未遂ですね。もう薬は半年の予定が4ヶ月で止めて。そんな状態だったんで、もう本当にそのときに自分の体を大事にしなきゃいけないなって反省したっていう。そこでフラメンコに出会いました。

その後、前の仕事っていうか音楽関係の仕事をしたときに、お世話になったイギリスの人がアロマセラピーをやってたんですよね。そういえばアロマセラピーってあったなって思い出して、本屋でアロマセラピーを調べたのがきっかけで、だんだんこっちの道に入るようになったんですよ。それが22年前の開業に繋がってるんですよね。

結局人を癒すとかってなると、自分と向き合い、自分を癒すことが必要になってくるんです。その中で自分が小さいときからのいろんな心の闇であったりとか、親とのことだったり、いじめられたことであったり、犯罪に巻き込まれるような経験、トラウマとか。ね、自殺しようとしたりだのなんだのっていうのをいろいろ自分の中で折り合いをつけて。それで生きている意味っていうのを探究というかね、掘り下げるようになった。その中で経験してきたこと、学んできたことが、今の仕事に使えるツールになってるみたいな。そういう感じの流れになってますね。

尾崎:開業されてからの日々を振り返ってどのように捉えていらっしゃいますか。

ミーシャ:今思えばね、最初の頃に来たお客様、本当に未熟ですいませんっていう感じだし。多分それは、何年経っても変わらないなと思いますね。これから先10年間、今この仕事を続けていたとしたら、そのときに今を振り返ったら、あのとき未熟だったなって思うでしょうし。

人間とは? とか、生きるとは? 人生とは?とかっていうのが対象になってる以上、正しい答えなんてないわけだし。完成形もないわけだから。多分いまだに未熟だなって思うし、この先もそうやって思ってるんだろうなとは思います。ただ、本当にもう山あり谷ありできてるので、よく続けてきてるよなぁっていうのはありますね。

かつて、あんなに人間が嫌いで、この世界が嫌いで、なくなってしまえばいいのにって思ってた自分がいたのにも関わらず、これだけ人にどうにか生きる希望を持っていこうぜ。みたいなことを続けてるってことは、この世界がまだ信頼に値するってどっかで信じてるんだろうし、どこかでやっぱり人間は美しいものだしっていうのを、信じてるんだろうなって。振り返るとそう思いますね。

尾崎:自殺未遂についてですが、2回目はどのタイミングで、どんなつらいことがあったのか教えてほしいです。

ミーシャ:2回目は、中古の買い取りをやってるレコード店に入って2年目ぐらいだったかな。先輩が亡くなったんですよね。もう本当にすごい前ですけど、警察の検視結果としては自殺。電車に飛び込んだっていうことなんですよね。その日、最初に警察からかかってきた電話を取ったのは私でした。正直、その理由だとかっていまだにわかってないんだけれども、それの後ぐらいだったかな。後ぐらいって言ってもだいぶ経ってからですけどね。

尾崎:その先輩は、ミーシャさんにとってどういった存在の方だったんですか。

ミーシャ:正直、大先輩っていうわけではないし、好きなジャンルとかも全然違ってたんだけど。常に毎日顔を合わせてた人。ある日、リニューアルすることになって、ハードロックとその先輩のジャンルとフロアが分かれることになって。そうすると今度はライバルになるわけですよ。フロアごとで売上を競うっていう。

お互いにいい刺激にはなってたと思うんです。いろんなことを教えてくれた人でした。私が本当に落ち込んでいるときに・・・仕事中に手首切ったんですよね。手首切ったって、黙々とカッターで傷つけてたんです。いわゆるリスカの軽いやつ。

そんなときでも、引かないで、ちゃんと理解して受け止めてくれて。亡くなる直前ではなかったと思うんですけど、私の肩をガシッと掴んで、「生きろよ」みたいなことを強く言ってくれたことがあったんです。そういう意味では語り合ったわけではないけれども、自分の気持ちをすごく理解してくれていた人だって。勝手にこっちが思ったのかもしれないですけど。

その人がいなくなったときって、ショック自体も自分は感じないようなぐらい麻痺してたんだけれども、実はすごくショックだったんでしょうね。そのときに、今でいう心療内科に通って、計画的に薬を貯めてたので、一気飲みしたんですよ。それが2回目です。

未来:それでもやっぱり人間は美しいものだと思っているので。今よりもっと優しい社会になっていればいいなと思うし、自分もそういうもののね、ほんの少ししかできないけれども、一助になればいいなとは思ってますね。

尾崎:5年後、10年後あるいは死ぬまでを想像して未来について、どういったイメージをお持ちですか。

ミーシャ:現実的なことを考えると本当にそんな先のことまで考えられないなっていうのが正直な話です。あんまりフワフワしたことは言えないたちなので。現実的に考えてしまうんだけれども。

でも希望としてはね、さっきちょっとお話したみたいに、それでもやっぱり人間は美しいものだと思っているので。今よりもっと優しい社会になっていればいいなと思うし、自分もそういうもののね、ほんの少ししかできないけれども、一助になればいいなとは思ってますね。

尾崎:人間は美しいとおっしゃってて深いなと思ったんですが、そもそも、どういった意味か教えていただけますか。

ミーシャ:もちろん人間が醜い、恐ろしい部分っていうのも、実際に経験してきてるし、今社会を見てもそんなニュースばっかりじゃないですか。

だけどその一方で、人の痛みに寄り添うこともできるし。命をかけて誰かを救おうって思う人たちもいるし。また自分自身が輝くために一生懸命努力する人たちもいるわけだし。そういう人たちがいるからこそまた救われる人たちもいて。そういうところもあるわけですよね。そこかな、人間が美しいなって思うのは、生命の輝き、魂の輝きって感じなのかな。

尾崎:もしミーシャさんが虐待だったり、いじめだったり、その痛みを経験してなかったら、どういった人生になっていると思いますか。

ミーシャ:そういう痛みを経験してなかったらもっと、なんでしょうね。まあ、もっと軽くて、自分の好きなことを好きなようにやってたかもしれないなと思いますね。

それができる環境だったとして。そうしたらこんなことしてたのかな、舞台の上で踊ってたのかなとかね、いろんなことを考えたりはしますね。自分を表現する華やかな世界にも憧れはあったので。今の仕事はしていなかったと思います。それが幸せだったかどうかはわかりません。痛みがあったから今の感性があって、仕事ができていることも捨てがたい。

尾崎:この世界が大嫌いだって思ってたっておっしゃってて、今のミーシャさんだったら、過去の自分にどういう言葉を伝えたいですか。

ミーシャ:今までもね、昔の自分に声をかけてあげるとしたら何て言ってあげますかとかっていうのは聞かれたことあるけれども。今日はどうだろうな。それでもやっぱりこの世界は希望があって生きるに値するっていうことは伝えていきたいかなと思いますね。絶望ばかりではないよって。それはやっぱ伝えてあげたいなと思いますね。その時の自分が受け止められるかはわからないけれど。でもすべては自分で選んで決めて生きていくんだと。

尾崎:ミーシャさんにとって、死ってどういうものですか。

ミーシャ:死っていうのは終わりであり始まりであるとも考えてはいます。それが何の始まりなのかっていうのは、明言しないですし、しないというか、できないですけど。やはり死というのは突発的に起きることもあるのでね。誰もがみんなね、自分の寿命を全うするとは限らないからいい加減なことは言えないなって思ってるし。

その人にとっては終わりなのかもしれないけれども、その人の周りの人たちにとっては、その人を知る周りの人たちからすれば何かの始まりにはなるので。

すごくスピリチュアル的なこと言ってしまえば魂そのもののね、次のサイクルっていう始まりになってくるとも言えるので。通過点だっていう人もいるかもしれないけれども。一つの区切りではありますね。

尾崎:最初に性格のお話を聞いたときに、ギャップ萌えっておっしゃってて。チャーミングなエピソードってありますか?

ミーシャ:私は自分のそのチャーミングさっていうのが、わかってないのでしょうね。周りの人がそういうふうに言う。多分ちょっと抜けてたりとか、天然なところはあるのかもしれないので、そういうとこなんでしょうね。

尾崎:かっこいいとか、言葉は悪いかもしれないんですけど、ちょっときつい性格に見えるというのがあるけれど、たまに抜けてるみたいな、そのギャップってことですかね?

ミーシャ:そこがギャップなんでしょうね。あと好きなものにワーッてなって、推し活みたいなのをしてるときの私の姿とか見てると子供みたいで、そういうふうに見えるんでしょうね。

尾崎:推し活はどういった対象なんですか。

ミーシャ:アニメが好きなので。好きなアニメの、例えばフェアとかがあると、ワーッて買いに行っちゃったりとか。

尾崎:今は、どのアニメが好きなんですか。

ミーシャ:PSYCHO-PASS、JOJO。新しめのやつだったら今ちょうどやってる呪術廻戦が好きですね。

尾崎:どういったところが面白いと思ってらっしゃるんですか。

ミーシャ:一つはね、好きな声優さんが出てるから。ストーリーも好きだし、技術的にはすごく絵が、動きとかも素晴らしいので。制作会社自体も好きなところなのでそこの作品を追っかけたりしますけど。

あとは、ときどきZoomで物語の朗読会をやったりするんですよ。動物がいっぱい出てくるお話とかをやるときに、みんな声を違えてやってるんですよね。そうするとクレヨンしんちゃんみたいな喋り方になったりとか。

かわいい声だったりとか、抜けてる声だったりとか、いろんな声を出してて、それを聞いてくださってる方がかわいいって言ってることはよくあります。そんな声を出す、そんな喋り方をするようには見えないって

尾崎:これまで体に無理してきたからセーブするようにしてるっておっしゃったんですけど、どんなふうに心がけていらっしゃるのか教えてください。

ミーシャ:本当に小さいときからしょっちゅう具合が悪くなるたちだったので、こういう感じが来たらこうなるなっていうのが大体予測つくわけですよ。この感覚が来てるときはやばいなとか、こういう症状が出たらこういうのを食べるといいとか、こうするといいとか、そういうのも何となく模索してきてるので、それをちゃんとやるようにしてます。放っておかないっていう。

尾崎:具体的にどういう?

ミーシャ:最近だったらちょっとエアコンつけっぱなしで寝ちゃったときがあって。若干私の今、夏風邪気味なんですけど、速攻でお湯溜めてお風呂入ったっていうのがあるんですよね。黒豆茶を飲むとか、お灸をするとか、体を内側からも温めるようにしてとか。

あと自分の中で何となく今、鉄分足りてないなとか、むくみ具合とか見てミネラル足りてないなとか。前日食べたものの味付けのことを考えて、ちょっと塩分取りすぎたなっていうのが、わかったら、サプリメントをしっかり取ったり、デトックスするみたいな。

そういう早め早めの対処をするようにして。体の声をちゃんと聞いてあげるようにしてるのと、食べ過ぎない。食べ過ぎないっていうのは最近多いですね。今は1日、1.5食です。

尾崎:ちなみに、その栄養のお勉強って、どのようにされてきたんですか。

ミーシャ:最近あんまり見なくなりましたけど、だいぶ前って食品に含まれる栄養素とか、そういうのをテレビ番組とかでくわしく紹介してたりして。ああいうのが頭に入ってるんでしょうね。

こういう症状が出たときは、こういうのを採るといいみたいなのが。調べたりもしますけれど、東洋医学もちょっと勉強してたときがあったので、それもあると思います。

尾崎:記憶力が良かったりされるんですか。

ミーシャ:自覚ないですけど、よく言われますね、記憶力がいいって。だから昔のこととか覚えてるからメンタルおかしくなっちゃうんでしょうね。

尾崎:それもあるんですかね。

ミーシャ:でも、算数とか計算とか全然できないんで、そういうところには記憶力が働いてくれないんですけどね(笑)

尾崎:これまで何で生まれてきたのかとか、そういう問いを、ご自身で何度も繰り返してきたと思うんですけど。どういう答えが見えてきていますか。

ミーシャ:人生を折り返してきても、明確な答えって死ぬまでわかんないんだろうなとは思います。だからそのときそのときで、こうなんだろうなっていう、とりあえずのことは言えると思います。すごく抽象的なことにもなると思うのですが。

Doとか、Haveとかっていう、物質的な部分じゃなくって、あり方(Being)のほう。私自身も仕事でも、あり方というのをすごく重要視してるので。そのあり方が結局、生まれてきた意味っていうのと関連してると思うから。

何のために生まれてきたのかっていうのは正直わからないし。本当はそれを考えたら、いや本当は意味なんてないんだよっていうところに入ってっちゃうので。そうすると、すごい絶望になってくるけど。強いて言えるのであれば、こういう時代に、できる限り自分の選択や情熱であったりできることを通して、出会う人の数はわずかだと思うけれども、希望を持ってもらったりとか、例えば社会のシステムに流されずに自分で生き方を選択していく手伝いとか、前向きに生きていく気持ちになってもらったりだとかっていうこと。そういうことなのかなって。そういうことをするために、今は生きてるのかなって思います。

尾崎:最後に言い残したことはありますか。

ミーシャ:どういう方が読者にいらっしゃるかわからないから、こんな話をしてよかったのかどうかもわからないんですけども。私みたいな人生を歩んできても楽になれるっていうか、希望を持って生きていくことはできるんだよっていうふうに感じていただけたら嬉しいなって思います。

あとがき

ミーシャさんのインタビューが終わった後、無名人インタビューの栗林編集長から、とある質問を受けました。自殺未遂をした人が克服する・しないの違いって、何だろうね?』

私が出した答えは、その人にとっての快楽の対象が、多いか少ないかです。

快楽の対象とは、例えばスポーツで勝利すること。2004年、水泳選手だった北島康介さんがアテネ五輪で金メダルを取った際に喜びを表現した「チョー気持ちいい」という名言があります。その年の流行語大賞にも選ばれました。これはまさしく快感、快楽の表れです。

私にとっての快楽は、人の話を聞くことや知りたいことを学ぶこと、3歳半の娘とおしゃべりすること、出来事を転がして考えることなどがあります。それらをしているとき、私は幸せな気持ちになり「チョー気持ちいい」とまでいかなくても「わっは~~~」みたいな感じになります。

人によっては、仲のいい友達と意気投合することや好きな音楽を聴くこと、思考回路を記録することだったり、誰かから認めてもらうことだったりするかもしれません。また、自分にとっては快楽でも、誰かにとっては快楽ではなかったり、優先順位が違うだけで同じ対象を快楽と感じたりする場合もありそうです。

そして、その快楽の対象が多いほど、自死から遠ざかっていくのではないかと思いました。

あくまで、これは私の仮説であって正しいかどうかはわかりません。また、快楽の対象がいくつあれば自殺未遂を克服できるのかもわかりません。言い切ってほしいと思っている方がいたら、ごめんなさいね。

でもはっきり言えるのは「好きなコト(モノ・ヒト)に囲まれて生きると幸せを感じる」ということです。快楽を感じる対象って、けっこうすぐ身近にあると思います。本を読んで自分の知らない世界を知ること、誰かの役に立つこと、ペットをかわいがること、料理をすること、あるいは誰かに作った料理を食べてもらうこと、それか誰かと一緒においしいご飯を食べることが快楽という方もいるかもしれないですね。たくさんあるほど幸せにつながるのでしょう。

あとは、そうそう。誰かにとことん話を聞いてもらうことも……。つまり、無名人インタビューがそれですね。話をとことん聞いてもらうことで快楽を得る体験をしてみたいという方は、ぜひご応募してくださいませ。お待ちしております!

読者のみなさま、最後まで読んでくださりありがとうございます!
ミーシャさん、ご参加ありがとうございました!

またお会いしましょうね。
【インタビュー・文字起こし・編集・あとがき:尾崎ゆき】

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #スピリチュアル #自殺

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