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生きとし生けるもの全ての命が生存を求めている。この大地球世界の中で誰が覇権を握るのか。それは誰もわからない。そして誰からもノウハウを教えてもらえない。または誰も理解を望んでいない。
口々に彼氏彼女らは言うだろう。「尊厳はどこ吹く風」。嵐の神様がいる、みな口々に罵るだろう。「お前の足が遅いだけなのだ」と。落穂拾いをしているのだろう。えんえんと。しらじらしい。いつか報いがくだされるだろう。
愚か者たちの讃美歌だけが耳に残る。成功者の助言は耳を右から左。すばらしい不幸がやってくる。えんえんと口早に役に立たない助言めいた世迷言を自分だけが読める辞書に記録する。さはさりながら陳情を忘れない。
湖から海へ。あるいは川下から空へ。いつの日にか忘れない思い出があるのでしょうと思った矢先、混乱とグツグツシチューの匂い、すてきね、満足げに帰る日常。さわやかな笑顔。新しい唇。炉心の手ざわり。道は続きますよ。
ということで今回も休学就活生回です! なんというハイパーシリーズでしょう。
今日の無名人インタビューも楽しんでいただけたならば幸いです。(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは ポイシー さんです!


現在:生きてる意味ねえな

qbc:どのようなインタビューにしましょうか。

ポイシー:人生観みたいな、変なこと。

qbc:アンケートにそう書いていただいていましたね。死ぬこととか。

ポイシー:そういうことに関して話したいんですけど。
それと合わせて、私、今大学留年中の4年生だから、いわゆる大学5年生ってやつで。それはなんでかって言うと、就活2年やってたからなんですよ。それについて、まず話していきたいなって思ったんですけど、いいですか? 

qbc:では、今、何をされている人でしょうか。

ポイシー:今、大学4年生という名前の5年、4年の2年目で。経済学部にいるんですけど、うちは大学1年生まで理系学生で、大学の仕組みを使って、経済学部に入ったっていう。人に話すと面白がってもらえる経歴を持ってます。
今何やってるかっていうと、普通に書店でバイトしてる人間で。ずっと出版社に入りたくて、去年1年間。正直、大学3年の春から大学2年の終わり頃から、ずーっと就活してたんですけど。途中で、私やっぱり好きなことを仕事にしたいなと思って。出版社に入りたいなと思うようになったんですね。

qbc:はい。

ポイシー:それが、約2年前の9月とか。そんときに、抽選制のインターン1個と、結構ちゃんと選考されるインターンで大手1社ずつインターンに行けることになったんですね。
それで、結構調子に乗って、私、筋あんじゃないとか思って。OB訪問も絶対10人以上にしようとか、ちょっとやる気が空回りして頑張ったんですよ。
1回目の出版就活の時は、他の業界も見るには見たんですけど、大手ばっかり受けたんで、出版以外は結構ボロボロに落ちちゃったりとか。滑り止めでまあ大手じゃないけど、この会社だったら人間関係良さそうだなと思ったところも、なんかわかんないけど落ちちゃって。出版メインだし、いいかとか呑気に思ってやってたんですけど。結局、エントリーシートが通った出版社って、就活1年目のときって、たった3社だけだったんですね。
出版社のエントリーシートってご覧になったことありますか? 

qbc:特殊なんですか? 

ポイシー:特殊なのもそうなんですけど。手書きで、かつ、設問量がばかみたいに多いんですよ。(笑)
変な話、たぶん、どんなに急いで書いても10時間とか。

qbc:出版社っていうと、大手は、小学館、講談社、集英社でしたっけ?

ポイシー:業界的には大手3社というと、今仰ってくださった3社で。大手4社ってなると、次にKADOKAWAが入ってきまして。大手6社ってなると、そこに文芸春秋と新潮社が加わってくるスタイルですね。
そこに、中小の出版っていうと主婦の友社。まあ新卒ないけど、竹書房ですとか、河出書房、中央公論新社、日本経済新聞社とか。

qbc:一番やりたかったのはどこだったんですか?

ポイシー:一番やりたかったのは、コミックの編集とかコミックの宣伝なんですよ。でも正直変な話、編集者になってしまえば専門職なんで。経験者採用で転職はしやすいんですよ。なので、ぶっちゃけ業界に潜り込めればいいなと思ってました。

qbc:なるほど。就活1年目、落ち続けていた結果、どういう風に気持ちは変わっていきましたか?

ポイシー:本当に極端ですけど、生きてる意味ねえなぐらいな気持ちには、だんだんなってきたんですよ。私が、出版やっぱし行こうって目指した経緯が、私が能力の凹凸が大きいタイプで。興味のないことには、本当に人の5-6倍やらないと平均取れるとか、求められてるレベルにたどり着けないっていう。いわゆるADHDだったんですよね。なんで、その自分が興味のある出版関係に行けば、私はこれからの人生に希望を持てるんじゃないかみたいに感じたんですよ。
たぶん、今になって思えば無意識に出版社に入社することは、つまり今後の人生に希望が見えるということであって。逆に、出版社に行けないってことは、今後も私は自分が年を増すごとに劣化していくような感覚を持って人生を送っていくんじゃないかみたいなのを、結構考えることになるんだろうなっていう、極端な考えを無意識に持ってたのかもしれないなとは今になって思うんですけど。とにかく落ちて落ちて、やっぱ、マジで生きてる意味ねえなみたいな気持ちにはなりましたね。

qbc:その志望先みたいのは、手書きのエントリーシートで心をすり減らしながらって感じだったんですかね。

ポイシー:そうですね。あと2社だけエントリーシートを通って。自慢していいですか。1社、めちゃくちゃ大手だったんですよ。講談社とKADOKAWA、面接まで行けたんですけど、どっちも一次面接の時点で、なんかわかんないけど落ちてしまったですよね。自分でもなんで落ちたか、そんなにはっきりはわからなくて。もしかしたらここかなって思うところはあるんですけど、でもやっぱり人気ってのもあると思うんですけど、とにかくなんで落ちたかわからない。
そう思ったときに、やっぱり出版でも駄目なんだって思った瞬間、自分が一番能力が秀でている分野でも駄目なのかって思ったときに、全て脱力してしまったというか、あんまり考えられなくなったり。別企業の本当に業界が違う会社、いわゆる建前就活ですね。仕事さえ入ればいいやと思って始めたら、エントリーシートとかも、書こうとすると胸が苦しくなって涙が出てきてしまうみたいな状態にだったんで。人に相談したら「1回休め」と。「とにかく2-3ヶ月休んで、カウンセラーにも1回行った方がいい」と言われて、実際行きましたね。ちょっと2ヶ月休んで、嫌だなって思いながら、なんか知らん会社のエントリーシート書いたりはしたんですけど。結局その会社の最終面接に進めるってなったときに、正直、本当に給料も良くないし、興味も全然あんまりないですし。私の苦手なことが結構仕事の業務に入ってくる。仕事で苦手じゃないことなんて、ほとんどないんですけど。それが分かった瞬間、最終面接も受けるのすら。「最終面接に来てください」ってメールを受け取った瞬間、こう泣き崩れてしまって。そこで初めて気づいたのは、私は、人に「あなたに興味があります」って、嘘をつくのが一番苦痛だったんだなっていうことを思ったんですね。礼儀かもしれないんですけど。

qbc:はい。

ポイシー:私、恋愛とかでも自分が得意じゃない人に、いわゆる気を持たせるようなことをしてみたかったんですけど、やろうとしたらできなかったし、自分が泣いちゃうしで。そういうのもあって、今までお付き合いの経験がなかったり。
自分が欲しいのは、結局内定だったり、恋人だったりするんですけど。でもその過程で必要な、自分が相手に興味があるっていうのは嘘だったり、本音だったりを示すのが、すごく苦痛だったんですね。
それに気づいたときに、本当にもう就活が無理になってしまって。結局、最終面接行ったんですけど、嘘つけなかったというか。「どうしてうちの会社じゃなきゃ駄目なの」みたいな質問をされたときに答えられずに、結局そこを最終面接で落ちてしまったんですね。
そっからちょっといろいろ考えたりして、親とも話をした結果、やっぱり「もう1年だけだったらいいよ」って、両親がちょっと余裕があったところもありがたくて。もう1年留年して就活することにして、出版社を狙いながら、私が好きになれそうな会社をゆっくり探していけたらいいよねって言ってくれたんで、その言葉に甘えてる状態ですね。
まとめて話せるのはこんな感じです。今話してて気になった点とかあれば、聞きたいんですけど、あります? 

qbc:死ぬ話はどうなったんですか?

ポイシー:就活が本当に行き詰まっちゃったり、最終面接受けられなかったときに。

qbc:それは、いつ頃なんですか? 

ポイシー:去年の4月から6月にかけてですかね。
4月上旬に、自分が最後まで選考してた出版社さんに落ちてしまって。終わったなっていう脱力感というか、虚しさがすごかったんですよ。
私の普段のご機嫌の取り方って、大体、カラオケに行くか、美味しいものを食べるか、好きな化粧品買うかとかなんですけど。全部やったけど、全然何にも気分転換にならないとか。一瞬嬉しいんですけど、すぐにまた思い悩みが始まってしまったりですとか。
何より自分が一番好きだった漫画に、触れにくくなっちゃったというか。一番の気分転換になってた漫画が、読むたびに、いや私だったらこうするのにとか、私が出版社に入れてたら、絶対、この作品はこうしたのに、そちらが面白いのにみたいなのを考えるようになっちゃって。
そのときに、何にもしてないなって感覚がすごいあったんですね。就活もできない、気分転換しようとしても切り替えられない、何しても意味ないなみたいな。
アルバイトだけは行ってたんですけど、やっぱりぶっちゃけ、アルバイトもそんなにやっぱ活躍できる方ではなくて、自分にすごいなとか。お客様に本探しを頼まれたときとかも、私結構探すの下手すぎて、すごい時間かかっちゃうんですけど。そういうときも、本当になんか社会に向いてないなとか、悪い方向にどんどん考えてしまって。
どうすれば、なるべく迷惑かけずに死ねるかみたいなことを考えて。どうすればいいかなっていうのを、いっぱい考えたりしたんですよね。
ただ、考えれば考えるほど、両親もそうなんですけど。私の友人が、いわゆる若くして友人が死んだっていう経験を持った人生を歩むことになるわけじゃないですか。
私が大ファンのKING GNUの方が、そういう経験を結構辛そうに話してるのを、前にテレビで見て。それを友人に持たせたり、親もそうなんですけど。そういう持たせるのはちょっとさすがに嫌だなというか。そこまで私は責任取れないなと思ったんで。どうしようかなってなんか考えてる間に、いろいろあるんですけどね。カウンセリングとか受けたりもしてたんですけど。

qbc:涙ボロボロこぼしたってのは、このタイミングじゃない? 

ポイシー:涙ボロボロ出てきたのは、6月ぐらいですかね。
4月から6月にかけて、ずーっとそういう。どうやったら、人をあんまり傷つけずに死ねるかな、みたいなことを考えたんです。
人を傷つけるように死ねるかなもだし、このまま自分が大人になっていったら、大人になっていくほど。たぶん結婚もしてないとか、仕事もいい会社入れないとか、そういう自分のマイナス要因が増えていって。マイナス要因が増えるぐらいだったら、今止めてしまった方が、まだ未来ある若者のうちに死んだ方が、なんだかんだ私の体裁的にいいんじゃないかみたいなことも考えるようになったんですけど。
ある瞬間、誰だったかな、たぶんカウンセラーの人に、「やりたいって考えてしまうことは、別に悪くないんですよ」みたいなことを言ってもらって。いいんだって思ったのは、すごい急に自分の中で発見というか、変化だったんですよね。死にたいって人に言うのも結構失礼だなっていうのが個人的にあって。死にたいって言ってみたいというか、言いたくなるというか、思いたくなるときってあるんですけど。でも、それを人に言った時点で、いわゆる「あなたは私がこの世にとどまる要因ではない」って言うのと同じじゃないですか。

qbc:なるほど。

ポイシー:私も、友達から「死にたい」って。結構うつ病がちょっと重かった友達がいるんですけど。その子は「本当に生きてる意味ないし、早く死にたい」って結構、割と軽く頻繁に言うタイプで、その子には一応論理があって。「自分は生まれてくることを選んでないのに、生まれたいと思って生まれたわけじゃないのに、生きていかなきゃいけないのって本当に理不尽だし、私は早く死にたい」っていう論理を持って死にたいって言ってる子だったんですけど。
私は、それを言われたときには、普通に悲しいんですよね。
私が今、その子と会って喋って、ご飯一緒に食べて遊んでるこの時間は、彼女にとっては、生きる喜びというか、この世にとどまる原因にはならないんだなって思って、普通に悲しかったので。私はあんまり同じことしたくないなと思って。友人とかに、そんなに死にたいとか。
両親には言ったことあるんですけど。言うときは、ちょっと相手を傷つける目的があって言ってたんですよね。

qbc:死にたいって? 

ポイシー:そうですね。

qbc:もうちょっと、上手い言い方なかったの? 死にたいってさ、何々してほしいってことでしょ? 

ポイシー:生きてても意味はないと思ってるみたいなことを。

qbc:生き甲斐がないって話ですかね。

ポイシー:そうですね。

qbc:誰も、生きてる意味は持ってないからね。

ポイシー:そうなんですよ。それをもっと早くわかってれば良かったんですけど。
そうですね。なんか、視野がぎゅっと狭くなってて、これ以上劣化していくなら、ここで止まりたいみたいなのが、もうずっと頭を支配してる感じで。
当時、私は親への苛立ちとか。わりと過保護な親のせいもあって、私はこんなになっちゃったんだみたいな。そういう甘えたことも考えてなんで、親と進路について言い争いをしたときとかも、私はこのまま就活したら、生き甲斐なくこのまま人生、死にたいって思いながら生きていくことになるみたいな話も、両親を傷つける目的で言ったりもしちゃったんですよね。そんな攻撃的なこともしちゃってたんですけど。
とにかく、自分は死にたいとかはなるべく言うべきではないし、言った時点で自分は悪いことをしてるっていう自覚があったんですけど。それを思ってしまうのも悪いことだと思ってたら、「思っちゃうのは別にいい」みたいな。「言うのはあれだけど、思っちゃうのは、ある程度しょうがないんですよ」みたいな。カウンセラーさんと話をしてて、ちょっと考えが変わっていくみたいな感じだったんですよね。

qbc:今はどんな状態なんですか? 

ポイシー:今は、普通に。やっぱり生きてないとな、みたいな気持ちはありますね。生きる目的は、ぶっちゃけないですし。変な話、ウクライナの戦争を見て、あ、死にたいって思えるの贅沢だな、みたいなのをちょっと思いましたね。
生きるか死ぬか、ギリギリのときにいたら、死にたいなんて思えないし。そういう発想すらたぶん心の中に残ってこない気もするんですよ。生きなきゃみたいに追い込まれてるから。
でも、たぶん死にたいって思うのって、ある種、自分の自由を確認してるのかもなって、最近考えるようになって。いわゆる、生きるか死ぬかすら自分で選べることの状態確認であり、自分がちょっとぶっちぎれた選択である死ぬっていう選択を、視野に入れるっていうことを自分で確認するために、そういう発想を持ってるのかもしれないなとか考え始めたんですよ。そしたら、だんだん。いつかは死ぬけど、でも死んだら終っちゃうし。正直、私、長生きすることに本当に意味ないし。どんどん体も心も頭も衰えていくのは嫌だなって思ってたんですけど。でも、あるとき、私の母親と2人で映画に行ったときに、「現代の映画ってこんなに技術で発達したんだね」って感動してたのを見て、長生きするとこういうメリットがあるんだって、ふっと思い出したんです。そう考えたら、人間がどこまで進歩するのか見たいって目的で、ただそれだけで生きていくのもいいかなとかも思ったんですね。
だから今は、もう逃げたいな人生って思うことはあるんですけど、それが死ぬとかまで行くことはなくなってきたなと思います。

qbc:ちなみに、休学を決めたのはいつだったんですか? 

ポイシー:去年の6月ですね。私が、最終選考の話で、泣き狂って受けられないってなったときですね。

qbc:今、もうまさにじゃあ、就活ずっとやってる? 

ポイシー:そうです。もう2年。(笑)

qbc:完全に、就活生ってことですね。

ポイシー:そうですね。

過去:未来が楽しくなさそうだなって思っちゃいましたね

qbc:お子さんのころって、どんな子どもでした?

ポイシー:いわゆる困ったちゃんで、小学校以前と以後で変わるんですけど。
小学校以前は、本当に自由奔放の1人っ子で。じっとしてられないし、目を離したらすぐにいなくなるしみたいな。とにかく厄介な子どもだったらしいんですけど。あと、ちょっとデリカシーがなかったっぽくて、1人っ子だからかは知らないんですけど、人の気持ちを察するのがうまくできなかったようで、ちょっと気付けば、ぼっちみたいなのも結構あったんですよね。
ただ、親ぐるみでずっと仲良くしてくれてる同い年の女の子が1人いて。その子は、私のことをいろいろ、理解というか諦めというか、分かってくれてたっぽくて、結構遊んでくれてたなっていうのがありましたね。
その状態で入った小学校って、やっぱりシビアだったんですよ。もう小学校1-2年ぐらいは、本当に自由奔放にやりすぎたんですけど。私は全く記憶にないんですが、ある友達が、私が階段で落とそうとしたって、言いがかりというか。言いがかりも失礼かな、言ってきて。私は全くそんなことした記憶もないですし、押したという、ぶつかったのかもしれないけど、ぶつかったことすら覚えてないし。ぶつかったら謝ってると思うみたいなのを先生に言ったら、「でも、〇〇さんは押されたって言ってるんだよ」って言われて。で、2人、その私とその女の子と先生の3人で居残りして。私はやってないって言っても、信じてもらえないんで。「じゃあもういいです。私が押したことにしてくれていいんで、ごめんなさい。今後というか、今までもこういうことをやる気は一切ないんですけど、すいません、ごめんなさい」みたいな。

qbc:小学校1年生で? 

ポイシー:2年生だったと思う。
両親が結構「うちはうち、よそはよそ」みたいな感じで、両親に何言っても無駄みたいなのもあって。言ってもあんまり聞いてくれない大人がいるっていうのは、結構当時からあって。そういうのには、長いものにはまかれろっていう、覚えたてのことわざを信じてやってたんですよね。
3年、4年になると、女の子の怒鳴り方が激化していって。相変わらず私、空気読めなかったっぽくて。いわゆるスクールカーストの上位の女の子たちと仲良くなりたかったから、結構ひっついて回ったんですけど。たぶん、私のデリカシーのなさだったり、他のいろんなところが気に食わなかったりで、ある子にハブられちゃったりとか。いったんグループの内輪揉めみたいのに巻き込まれて、「あなたはどっちにつくの?」みたいなのを聞かれて、1個のグループに入ったら、じゃあ一緒にグループになったし、仲良くなったから、好きな人の恋バナしようよ、みたいな話になって。自分のいわゆる小学生の女の子たちって、そういう話とかするじゃないですか。そしたら、それを話した翌日に、「やっぱり仲良くできないからグループから抜けてほしい」とか言われて。「昨日、私たちが好きな人のこと話したのも全部嘘だから、信じないでね」みたいなこと言われて。私は騙されたのかみたいなことに。そこで気づくわけなんですけど。そこらへんで、結構友人関係みたいのは、結構しんどいというか。私はたぶん、そんときあたりから、人が言ってる悪口に耳をそばだてて、私のことかもしれないし、私のことじゃなくても、誰がどうすると嫌われるのかを覚えていって。自分はそれを避けていかないと、避けていかねばならないっていうのを感じ取って。必死に嫌われるパターンをAIのように学習していったんですね。(笑)

qbc:小学生のころ?

ポイシー:小学3年、4年ですね。
それと同時に、私、1年、2年のときから、そんなに勉強嫌いじゃなかったんで、そこそこなんとなく勉強すればテストできたんですよ。なんで、それを1、2年、3、4年って続けていくうちに、4年生、5年生ごろから、小学校のテストは勉強しなくても取れるし、地域でもちょっとだけランキングに載るタイプの学生になってきたんで。ある種、学年内で勉強できる女の子っていうアドバンテージを確立したんですね。それをきっかけに、ある女の子から「宿題教えてほしいんだよね」って言って、放課後のお遊びの会に誘われるようになって。そこから、勉強ができるって、人間関係に有利というか、武器になるなみたいなのを感じて。結構勉強は、その後からも頑張ったりはしてましたね。
それがまあ、小学校時代かなと思いますね。

qbc:中高はどんな感じだった? 

ポイシー:中学は、やっぱり勉強できるとこに行った方が、いじめとかそういうのもないんじゃないっていう意見もあったんで。

qbc:どこの意見ですか?

ポイシー:親です。地域の中高一貫校に入ったんですね。そこに入っても、勉強できる人間の方がたぶん、人気というか、仲いい人ができるだろうとか思って。結構必死こいて勉強してたんですけど。
やっぱり学習量が小学校とは違いますし、周りの子も勉強するのが当たり前で生きてきてたんで、どんなに頑張っても目標だったトップ10に入れなくて。それが結構苦しかったかなとは思いますね。
中学2年のときに、ずっと親に禁止されてた漫画に出会ってしまってですね。そこから結構漫画にのめり込んでしまって、それで勉強との両立が難しくなってきちゃったりとかは結構ありますね。

qbc:何系統が。漫画はどういうのが好きですか? 

ポイシー:たぶん、どハマりしたきっかけは、少女漫画の『あやかし緋扇』っていう。お化けを退治をしながら、女の子と男の子が仲良くなっていく感じの話なんですけど。それと同時に『ハイキュー!!』ですね。『ハイキュー!!』のアニメ化をきっかけに、『ハイキュー!!』の漫画読んだら、めちゃくちゃに面白くて。そっから少年ジャンプ系の漫画を読むようになって。両親に証拠が残らない形で、インターネットでこっそり隠れて漫画を読むようになりましたね。

qbc:勉強できる学校に入ったら入ったで、周りの勉強できる子には勝てなかったと。

ポイシー:そうですね。
私、そもそも中高一貫入ったときは、東大に入りたくて。東大入りたい理由っていうのも、結局漫画だったんですけど。両親が唯一、家に置いて読んでいいよって言ってた漫画が『ドラゴン桜』だったんですよ。
『ドラゴン桜』読んで、東大はプラチナチケットだみたいなこと言うと、当時極端人間だったんで、それは東大入るわみたいな感じだったんですよね。「東大の理科一類に入れば、本人たちの進路はともかく、あとから頑張れば文転とかもできるし。とにかく人生にとってプラチナチケットだから、後悔はしない」みたいなことを主人公の桜木が言ってて。じゃあこれがいわゆる正解なんだろうなみたいに考えて、中高一貫に入って、勉強めっちゃして。
いわゆる、うちの高校のトップ10に入れば東大は狙えるって言われてたんで、ずっとトップ10に入ろうと勉強してたんですけど。どう頑張っても11位とか、13位とか。ちょっとサボっただけで20何位とか、気を緩めればすぐに落ちて行くだけだったので、とにかく塾の自習室とかに入ってましたね。

qbc:実際、大学はどうだったんですか? 

ポイシー:大学は、高校1年の時点で、だんだんやっぱり東大はきついなっていう感じがわかってきたんですよ。でも、東大はきついだろうけど、ひとまずやれるとこまでっていうので。特別進学クラスっていう、うちの学年の上位何人が入れるみたいなクラスだったんで、そこに入って、一応東大の夢は高2ぐらいまで捨てずにやってたんですけど。やっぱり高校2年目のタイミングで、順位が足りないからクラスにはもう残れないってことになっちゃったんですよね。
当時、睡眠のことも悩んでて。授業に全然集中できなかったりとかしたのもあって、とにかくこう中学時代の成績とはかけ離れたような成績を取ってしまってたんで。高校3年生のクラス替えのときに、とにかく国公立を目指すクラスから外れたんですね。そこで、もう嫌だなみたいな感じで、何もしたくないみたいな感じで、本当にぼんやり6月ぐらいまで受験のことを適当に考えてたんですけど。
あるタイミングで担任の先生と面談したときに、「私は一番好きな科目は現代文なんですよね」みたいな話したんですよ。「苦手な科目を克服するために、理系としてずっと高校もやってきましたし。自分の性格とか能力的にも、理系の専門職、技術つけないと生きていけないなとは思ってたんですけど。やっぱり文系の勉強したら楽しいだろうなと思います。」みたいな話をしたら、「じゃあ大学で文転すればいいじゃん」みたいなこと言ってくれたりして。今私、H大なんですけど、「H大は入った後に、東大みたいに成績次第で学部選べるんだよ」って。「文系にも行こうと思えば行けるんだよ」みたいなことを勧められて。自分でも調べたら、あ、いいなって思ったんです。H大だったら頑張れば狙える範囲内だったんで。
1年、それを目標に勉強して、なんとかギリギリ、運もあって滑り込んで、今大学にいる状態ですね。

qbc:でもそれでH大入れたら十分だと思いますよ。

ポイシー:そう言っていただけたらうれしいんですけど。当時の私は、1か0かみたいな感じで。
そういう感じだったんですけど。大学選びでまあ頓挫したときは、勉強が全くできないわけじゃなくて、国公立を狙える範囲内にはいたので。いわゆる腐っても帝大と言われる、帝大を狙える範囲にいたのは結構ありがたいというか。
いわゆるメンツ。私が当時、一番大事にしてたメンツ的にも、有名な大学行けそうだし、まあまあっていう感じだったんですよ。
でも、就職活動のときは、いわゆるそのメンツ的なみんなが知ってるような会社には、もう全然行けない就活だったし。失礼ですけど、自分が、知らんけどここは受かるやろみたいなふうに普通に対策して、普通に面接もちゃんとやったと思ってた会社で駄目だったりとかして。あれ、もしかして思ったよりまずいんじゃんみたいな感じだったのが、結構辛かったかなとは思いますね。
人生設計が全部狂ってきたみたいなところが、一番怖かったですね。未来が楽しくなさそうだなって思っちゃいましたね。

未来:いわゆる現実世界から離れて、その世界の住人っていうか、傍観者になる感じ

qbc:未来について。5年後、10年後だったりとか、あと、死ぬときにこう思われていたりとか、死ぬまでにはこれをしておきたいなみたいな。
未来には、どういうイメージをお持ちでしょうか? 

ポイシー:死ぬときは、絶対に、私本当にいい人間だったなって思えるようには死にたいので。とにかく、徹底的に人を傷つけたり不快させたりすることはしないように、努力するのはやめたくないなと。なるべく、友達とか自分の大事な人に、私と仲良くなれて良かったなって思えるようには生きていきたいなと思いますし。
あと、私、2年目の就活でも出版受けたんですけど、ついこの間、1次面接受かって、2次面接で落ちた会社があるんですよ。そのときに、普通に落ち込んだんですけど、もう前ほどじゃなくて。
この2年間を通して、私、文才はあるなってちょっと思っちゃったんですね。文章書くのは好きでしたし、中学時代、生徒会新聞とか作ってて楽しかったから、なんとなく好きだな、苦手じゃないなみたいな感覚があったんですけど。最近になって、友達に「いやあんた、それは結構すごいよ」みたいなこと言ってもらえることが多くなってきたりですとか。いわゆるnoteで1回だけ記事がバズったり、プチバズリをしたりとかして、意外と私、文才あるかもなって思えるようになったんで。私は、何よりも私の文章が面白いと思えてるから、大丈夫だなって思ってるんですよね。なんで、どういうか仕事するかわかんないですけど、でも、どんな形であれ、誰でも作家になろうと思えばなれる時代なので、別に作家になる夢も持ったまま生きていけば。いつか自分が小説を書き切ったりとかもだし、誰かの漫画書くサポートとかしたりして、自分が関わった物語が生まれたら、まあいいかもなとは思いますね。

qbc:ポイシーさんは、何をしてるのが一番好きですかね? 

ポイシー:一番好きなのは、架空の作品タイトルとそのあらすじを考えてるときは、結構楽しいですね。

qbc:漫画を読んでるときも楽しい? 

ポイシー:漫画読むのも楽しいですね。

qbc:どっちが楽しい? 作る方とか考えてる方、読んでる方。

ポイシー:読んでる方が楽っちゃ楽ですよね。楽しいかな、どうだろうな。いやすいません、楽しさ別すぎて、一番とか決められないです。

qbc:一番楽しいって言われたときに、同率で上がってくると、どれが並んでくるんですか? 

ポイシー:漫画読んでる方が楽しいですかね。漫画読むのって、私の中ではアトラクションなので。いわゆる現実世界から離れて、その世界の住人っていうか、傍観者になる感じなので。いわゆるお客さんとして漫画を読むのは結構、それは一番面白いなと思いますね。
自分の知らない人間とかにも出会えますし。でも、ちゃんと読んだり、いわゆる自分がその漫画の届け手側になっているときって、すごいカロリーを使うんですよ。このコマは、絶対こっちのセリフを先に出した方がいいだろうなとか。このキャラクターは、こっちの言い方より、こっちのセリフの方がたぶん合ってるだろうなとか考え始めると、途端に読むスピードも遅くなりますし、アトラクションじゃなくて、いわゆるまあ、ジェットコースターメンテナンスみたいな感じで、逐一チェックしていかないといけないんで。そういう漫画の読み方じゃなくて、普通にお客さんとして読むんであれば、普通に漫画読むのが一番楽しいと思います。

qbc:生きにくさみたいなのは、今感じていますか? その辺りの「もう死にたい」みたいに思ったのは、今では解消されましたか?

ポイシー:正直、今後も生きにくさは積み増しになっていくなとは思います。
結局、自分の今の一番のコンプレックスは、ADHDだっていうことと、恋愛経験が全くないっていうことで、いわゆる結婚も出産もできないだろうなっていうことなので。なんて言うんですかね。今後、友人とかが結婚していったら、あんまり遊ばなくなったり、連絡も取りにくくなっちゃったりすると思うんですよ。それは、私とか相手が努力して予定を合わせればいいんですけど。なかなかそうは言っても、そのカロリーが増えるとなると、物理的には会える頻度は減っていくと思うんですね。そうなってくると、やっぱり自分もプライド的に、相手の育児の愚痴とか旦那の愚痴とかを聞きながら、寂しいなっていうのを言いにくいまま、生きていくのかなって思うと。今後もどんどん、悲しいというか、生きにくくなるんだろうなと思いますし。
あと、それに加えて私1人っ子なんで、やっぱり両親が結構いろいろ。「自分たちが死んだら、あんた1人だったらね。ちゃんと友達とか、旦那さんとか彼氏とか見つけるんだよ」みたいなのを、昔からすごい言われてきてたんで。両親がいなくなっちゃうのも嫌だし、両親が死んじゃったら私、本当にどうしようかなっていう不安が結構大きいですね。
あと、結局私は苦手というか。ADHDって、みんながよくやる失敗を、1人で何倍も何十倍も量産してしまう人間なので、ちょっとわかってもらえないですし。ワンチャン甘えみたいなところもあるんですよね。人の言ってるセリフが、ちゃんと日本語の意味に変換されにくかったり。自分が見たときは「118」って書いてあると思ったんですよ。そう判断したものが、よく見返したら「119」だったりとか。自分が見てる世界、こうだって判断したものが、なぜか後から見返したら間違ってることばかりっていう日々を送ってるので。それをこのままずっと今後の人生も続けていくのかって思うと、滅入りそうにはなりますよね。
なので、やっぱり稼がなきゃな。ちゃんといっぱい仕事して、お金だけは安心したいなとも思いますけど。今の就活してる感じだと、高給取りになるのも難しそうだなとか思うと、正直滅入りますよね、滅入ります。ただ、文才はあるし、私の書く文章は私が面白いって思えてるのだけが唯一救いというか、ありがたいなと思いますし。ないものを数えたらきりがないんですけど、友達もいるし。親ガチャって呼ばれるのも、私は結構優勝してる方だと思うんで、両親の支援とかもありますし。変な話、中高で勉強で無理したおかげで、H大っていうブランドは手に入れられたので、そこも使っていけるなら使って、なんとか食いつないでいけたらいいかなと思います。

qbc:うーん。もしも、自分が人と話したり、コミュニケーションするのがうまかったらどうなっていると思いますか?

ポイシー:そうですね。自分で言うのもなんなんですけど、たぶん下手ではないんで。

qbc:うまい? 

ポイシー:うまいというか。仲良くなれる人はいるし、友人は多くはないですけど。誰とも仲良い人がいなくてとか、友人がいないわけじゃ全然ないんで。

qbc:なるほど。じゃあ、就活がうまくいかないなら、いっそ自分で出版社作っちゃいましたみたいなのは?

ポイシー:あー。

qbc:やりたいことは、就職? 作品作り?

ポイシー:どっちも欲しかったですね。欲張りなんだな、そうですね。

qbc:意味が分からなかった。就職したいし、こういう作品を作りたい、というのが。

ポイシー:就職してその作品を作りたいっていうのは、意味がわからないっていうことにつながるんですか? 

qbc:どっちかじゃだめ?

ポイシー:就職して安定した職も欲しかったし、作品も作りたかったから、出版社に入りたかったんですよね。
どっちも捨てられなかったんで。捨てたくなかったってか、欲張りだったんで、どっちも欲しかったです。

qbc:どっちか叶うって言ったときに、ただどっちかを捨てなきゃいけないって言ったら、どっちを取ります? 
ポイシー:そしたら、普通に出版社の入社を選びますね。

qbc:自分で作品を作るじゃなくて? 

ポイシー:はい。

qbc:じゃあ、就職頑張るしかないですね。

ポイシー:そうなんですよね。

qbc:話を聞いていて、中心以外の、周辺に関する情報が大量にあったな、と思いました。
一つの出来事に対して、すごくいろんな情報を吸収してしまうというか。自分で、疲れちゃったりしますか?

ポイシー:たぶん、その周辺に関する情報がわからないんですよ。私は、なんかたぶん、その情報がないといけない。あった方がいいと思って伝えているので。その周辺情報だって思ってるものが、私は中心の情報だと思っていて、その区別がついてないのかもしれないですね。

qbc:将来、気持ちの面ではこうしていきたいみたいなのってあります? 

ポイシー:はっきりわかんないんですけど。必要とされているなっていうのを感じていたいですね。
必要じゃないな。たぶん、周りからちょっとすごいなって思われていたいんだろうなと思います。小学校のときの、勉強できていたときが一番安心していたので。
ここにいてもいいんだっていう、安心感が欲しいですね。

qbc:最近、安心感があったのはいつですかね? 

ポイシー:最近一瞬感じたのは、アルバイト先で人手が減っちゃってるときに、「ポイシーさんって、確か卒業まだだよね」みたいな。「まだ辞めないよね」みたいな。「本当に、いてもらってありがたいんだよね」みたいなことを上司から言われたときは、普通にうれしかったですし、安心はしましたね。
そのアルバイトの人員確保っていう面ではあったんで、社交辞令込み込みなんですけど。それを言われたら、ちょっとほっとしましたね。

qbc:しつこいですが、例えば、出版社に行ってもその安心感が得られるかわからないじゃないですか。

ポイシー:そうかもしれないですね。はい。いや、難しくて。っていうか、そういうこと、あんまり考えたことなかったんで。自分がこういう気持ちになりたいから、この会社に入りたいとか。あんまり考えたことないので。

qbc:周りから良く見られたいために出版社に入るんですよね? 

ポイシー:そうですね。

qbc:でも、それとは別に、安心感も求めてるっていうことだったじゃないですか。

ポイシー:でも安心感って、最終的に自分が努力して周りに認められてやっと得られるものじゃないですか。だから、この環境だから安心感は得られないなんてことって基本ないと思うんですよ。

qbc:出版社でなくても、安心感っていうのは求められるじゃないですか。

ポイシー:その感じでいくんだったら、どの会社でもいいのかもしれないですけど。
安心感が欲しいだけが、就活の基準というか、選び方なら。

qbc:そもそも、安心感が確保できるかみたいな条件が入ってなかった。

ポイシー:ああそうですね。

qbc:いろんなことを考えている人だと思うんだけれども、こうしたら楽しいみたいなシンプルさがなくて、大変そうだなと思いました。

ポイシー:あー、そうかもしれない。自分が楽しいとか得をしたりするのは、ちょっと怖いですね。
自分が楽しかったり得した分、誰かが損をすると思うんですよね。なんだろうな。相手に先に何かをあげないと、認めてもらえないっていうか。そういうイメージが強いので。
逆に、自分が相手から何かをもらおうだったり、自分が何か楽しかったり、自分が自分のことを優先したら、周りの人は離れていっちゃうと思うんですよ。なので、それは怖いなって思います。
だから、一切自分の楽しみとか、自分が利益を得ることを避けるっていうか、完全に避けてるわけじゃないです。もちろん、ある程度関係性とかがあれば、そういう自分の楽しさだったり、自分が得をすることを要求するときもありますけど。やっぱり要求するときも、怖いですね。

qbc:最後に言い残したことがあればお伺いします。

ポイシー:いや、特にはないです。大丈夫です。

qbc:ありがとうございました。

ポイシー:ありがとうございます。


あとがき

昔オルガン弾きになりたかったと思おうとしていたとき、まるでそんなことはなかったのだけれども、非現実と現実、いったいどちらが強いのかと考えていた時期が、なくもなかった。いや、実際はなかった。なかったのかもしれないし、あったのかもしれない。
記憶とはそういうあいまいさを有したものだ。ありがたい。
若いとはなんなのかなと、20代のインタビューを続けてきて思う。経験が少なかったり、世間に対する知識が足りないばかりに臆病になったり悩んだりしてしまう。一度経験してしまえば、怖がることもうまくいくかどうかで考えこんだりすることもないのに。
言ってしまえばその逡巡は、青春の蹉跌は、アオハルのこじらせは、合理的に言ったら秒で終わらせたらいいし。まあでも物語として許容してもいいのかもね。
それにしても就職の段取りって大変ね。転職のときもまあ、めんどくさいと言えばめんどくさいけれどもと。
コメント、感想欄にてお待ちしております。次回の無名人インタビューもお楽しみにね!

インタビュー担当:qbc

編集協力:有島緋ナ

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #就活 #ADHD

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