人に弱音を吐けない人
悪いものは悪い! 良いものは良い!
そうだ! 私はqbc、物事をハッキリ言う!!! ぜ!!! という生き方になってきたのは、そうですね30を過ぎてからでしょうか。人間、こわいですね。性格って変わるものですね。それまで、遅刻してたらなんかビビってたんですよね。
でも、それからの私は、会社に遅刻しても意に介さなくなりました。
はは、ごめんねだべ。これって私の個性だから!!!
なんて悪態つくようなまねはしませんでしたが、でも、だんだん、自分の好きなようにやるっていうのが、平気になってきましたね。厚かましくなってきたというか。
だから、もうそのころにはね、他人の家にいても自分の家にいるみたいになってきたんです。あれ、あなたこの家の長男ですか? みたいに、どこの家でもふるまえるようになりました。
いやウソ。
そんなに他人の家になんか行ったtことないですし。
ともあれ、私、年齢で性格変わったよ、うん、それだけ。その報告したらもうドロンですわ~。
と思う2024年6月3日18時11分に書く無名人インタビュー803回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは くう さんです!
年齢:20代後半
性別:女
職業:もうすぐ海外移住
現在:わたしはゴールを決めて、それに向けて逆算して生きてきたタイプ。今回はゴールを決めずに、流されるまま生きてみようと方向転換してるチャレンジ期間中。
erica:今、何をされている方ですか?
くう:今は無職です。元々、大学を卒業して2年間会社員をしていました。今年の4月に退職して、明々後日からアメリカに引っ越しをするので、それに向けた準備期間ですね。
erica:どうしてアメリカへ?
くう:ざっくり言うと、住み込みのベビーシッターをしています。オペア留学という制度で生活していて、小学生か、幼稚園児か、赤ちゃんか、は家庭によるんですが、ホームステイ先の子供をベビーシッターとして住み込みでお世話するんです。
その代わりに生活費や家賃は完全に無料で、お小遣いを15万前後貰える制度です。
erica:どういった生活を送るんですか?
くう:基本的には、これも家庭次第ですね。日中は子育てという家庭が多いです。
わたしは、10歳と6歳の子どもをみる予定です。子どもたちを朝学校に送って、日中は自由時間で、わたし自身も学校に通って単位を取ります。
子供を送った後は、学校に通ったり、街を散策したり、習い事をしたり、結構自由に過ごせるようです。
erica:アメリカを選ばれたのは、何か理由はありますか?
くう:幼い頃から、将来はアフリカなどの発展途上国でビジネスをするか、移住をしたいなと思っていたんです。
就職活動をしている時に、最初は海外駐在で途上国に関わりたいなと思っていたんですが、「それだと5年10年かかってしまう。それだったら、数年間ガッツリ働いてお金を貯めて、会社を辞めて、世界一周をしてどこで生きたいか探そう」と決めました。
ただ、いざ社会人になると、3年も会社員できないなと思ったんです。
1年目の秋ぐらいから、世界一周の前にどこか1つの国にガッツリ住んで過ごしてみたいなと思うようになりました。
ワーホリで見積もりを取ると、オーストラリアの場合、語学学校やホームステイ代で、初期費用で大体100万から150万ぐらいかかるんですよ。
向こうで働いて、そのお金は徴収できるとはいえ、正直初期投資に150万使うんであれば、そのお金はその先の世界一周に向けて残しておきたいと思いました。
そこから、海外で安く住めるプログラムを探すようになり、インスタグラムでオペア留学という制度を知りました。
30万でアメリカに1年間住める。なおかつ給料を貰える。という広告に見事に引っかかりましたね。
erica:途上国にすぐに行こうとはならなかったんですか?
くう:最初はそれも考えてました。一方で、小学生の頃から描いた国際支援の夢は、ずっと思いすぎて、思い込みなんじゃないかなと感じたんです。
自分にとってはそれが使命になってる。実際には全然スキルもないし、途上国のどこなのかというのも決まってない状態で、単身で乗り込んで、挫折したり傷ついたりするのが怖かったんだと思います。
それだったら、まずは違う外国で耐性をつけようかなと。逃げ半分、挑戦半分です。まだ、途上国支援の夢を夢のままにしておきたかったんです。
erica:会社員として働かれていた時は、どんなお仕事をされていたんですか?
くう:専門商社の総合職で、基本的には9時から18時までデスクワークをしていました。
私の仕事は物流手配の業務で、「これ運んでください」という全国から来た依頼の段取りを組んで、それを見て現場のドライバーさんが1日を過ごしていました。
正直、業務はすごく向いていて、人間関係も良好だったんです。ただ、面白そうな会社を優先に就活をしてたので、実家から片道2時間ぐらいかかったんですよ。
なおかつ見込み残業があるので、なんやかんや会社を出れるのは19時半から20時ぐらい。家に着いたのは繁忙期は24時でした。有休消化率や、賞与は正直あまり良くなかったです。
人間関係と業務内容と、通勤距離や有給や福利厚生を天秤にかけた時に、働き続けるメリットが少なかったんです。
元々は、新卒で海外就職も考えてたんですが、歯の矯正で月一の通院が必要だったり、家族の介護をしていたり、色々あって諦めました。
社会人になってから矯正や介護が終わり、日本に留まる理由がなくなったので、日本で働く期間を1年縮めました。
erica:途上国には、どうして興味を持ったんですか?
くう:小学生の頃に、授業でマザーテレサのことを習ったんです。こんな人になりたい。と憧れて、自分も人を助けられるような人間になりたいと思うようになりました。
マザーテレサはアジアを中心に活動してたので、マザーテレサが活動しないところはどこだろうって考えた時に、その頃の偏見で思いついたのがアフリカでした。
色々と調べると、もちろん貧困や、戦争とか治安への懸念など、当初抱いていたイメージもありました。でもそれ以上に、多民族国家の面白さとか、現地の人の愉快さとか、そういうギャップに沢山気づくようになりました。
子供の頃は、現地の学校に通えない子供たちを助けたいと思っていました。そこから、子供を助けるには、まず親の収入を安定させた方がいいんじゃないかなと気づき、自分で起業することで、仕事をしたいけど働けない人たちに職を提供できるのでは。と思ったんです。
でも、本当にそれが正しいのかなという疑問が自分の中で拭えなくて。1回ちょっと違う世界を見ようとなって今があります。
erica:出国に当たって、どんな気持ちが一番強いですか?
くう:不安9割、楽しみ1割。どっちかというと行きたくないですね。
erica:不安は何に対してですか?
くう:長期の海外留学をしたことがないので、海外に1年2年も住めるのか。
家族であり雇用主と24時間一緒という環境なので、オンオフの切り替えできるか、合わなかったら終わりだよなとか、考え始めたらキリがないですね。
言語の不安はそんなにないんですが、わたしが偏食なので、向こうに行って食べれるものがあるのか不安です。
ずっと、ゴールを決めてそれに向けて逆算して生きてきたタイプなんです。1回ちょっとゴール決めずに、流されるまま生きてみようと方向転換してるチャレンジ期間中です。
先が見えない、イメージがつかないのが、おそらく初めてなんですよ。なので、生きていけるか?どんな未来になるのか分からなさすぎて、行きたくない気持ちが強いです。
erica:方向転換を試みているのは、どうしてですか?
くう:今までのやり方に飽きたんだと思います。世界一周に向けてずっと貯金をしていて、着実にお金は貯まっていきました。いざ世界一周をしようと思った時に、私の性格的に、旅行を楽しんで終わって、何も生み出さずに、「あぁ楽しかった。」となり、貯金ゼロになって帰ってくるなという想像がついたんです。
夢に向けて繋がりを増やしていると、出会った人の縁に任せて旅先を決めてる人や、今後の人生プランはなくて、とりあえずその日をしっかり生きたら、今気づいたらこんな感じになってた。みたいな友人が多くいます。
「いいな、そういう人生」という憧れですね。
昔は、計算して、目標を達成していくことに喜びを感じて生きていました。でもいまは違う。計算するのに飽きて、疲れたんだと思います。
erica:ご自分の性格は、どう思いますか?
くう:せっかちで、熱しやすくて冷めやすい。思い込みが激しいです。周りからは、変人って言われます。
erica:周りから、どうしてそう言われると思いますか?
くう:分からなくてみんなに聞いて回ったんです。「わたしの何が変?」って。みんなに「言葉で言い表せない。頭から足まで変」って言われました(笑)。
小学生の頃からマザーテレサみたいになりたいって言っていたり、犬の介護を優先して今の会社に決めたので、普通は就活軸を犬にしないとも言われましたね。
erica:犬の介護ですか。
くう:そうです。6歳の頃から飼っていて、特に大学3年、4年の時にその子の介護をしていたんですよ。一番の推し、一番の貢ぎ相手でした。
アフリカや途上国への夢を優先するなら、東京や大阪で一人暮らしかなと思い、周りにもそうアドバイスされていました。ただ、今後のキャリアよりは、まずはこの子を看取るというのが飼い主として、姉として自分がしたいことかなと思いました。
なので、実家から通えて、お金が稼げて、自分が興味がある分野。に絞って就活をしてました。
erica:ご家族など、もっと親しい方からは何と言われますか?
くう:比較的計算して生きているからか、何かトラブルがあった時に、すぐに自分で解決させるのはすごいと言われました。
erica:最近も、そういったことはありましたか?
くう:以前の仕事は、すごく頭を使う仕事だったんです。Googleマップを見ながら、商品の状態や位置を計算して、配車を組む業務でした。なのでトラブルだらけ。常にトラブル。
終業後に「明日取りに来れませんか」とか、本気で言ってる?って思いましたね。そうなると残業確定、一から段取り組み直しです(笑)。真っ白なパズルを作るような仕事だったので、自分だけの作品が作れる分、トラブルも自己解決の世界で、いい意味で鍛えられました。
過去:中学の頃好きな人ができて、中3で付き合って、高1で別れ、大学2年まで引きずった。
erica:幼少期の頃はどんなお子さんでしたか?
くう:誰にでも話しかけるタイプ。関西人だからか笑い命。いかにウケるかをずっと考えていました。
兄とめちゃくちゃ仲が悪くて、毎日、ひたすらお互いに罵倒し合う時期が長かったです。
強がりなのかな。周りに否定されるのが怖くて、そもそも弱音を見せられないんです。面白くて明るい自分っていうのをひたすら出していました。それも自分の一部ではあるんですけど、いざ困った時はひとりで抱え込むか、愛犬に相談するような子どもでしたね。
erica:ご兄弟とは、どんなことで罵倒しあってたんですか?
くう:ブスって言い合ったり、優秀な兄がわたしの点数の低さを見て嘲笑ったりとか。それでまた私が言い返して喧嘩です。
やられたらやり返すタイプなので、最終的にわたしが母親に告げ口して、兄が母親に怒られるというパターンでした。中高はほとんど喋りませんでしたが、大学3年の時にわたしの就活を手伝ってくれてから仲良くなって、今は良好な関係を築けています。
erica:面白くて明るい自分というのは、主に学校で演じていたんですか?
くう:家庭でも出ていたと思いますね。でも、やっぱり学校がメインかな。
小中学校が兄と一緒だったので、優秀な〇〇の妹や、というイメージを打破するために、面白さで攻めていたんです。
erica:例えばどんなことをされていたんですか?
くう:基本は自虐ネタ。テストで1点取ってしまって、それをひたすら周りに言ったり、授業中によく分からないボケにツッコミを入れたりとか。あとは自分自身もボケてみたりとか。
erica:周りに否定されるのが怖いというのは、幼少期の頃から持っていた感情ですか?
くう:小学生くらいの頃からだと思います。わたし、味や匂いが全くしない人間なんですよ。でも、物心つく前からそうだったので、味がしないことに気づかなかったんです。
小学生の時に、薬品の匂いを嗅いでみようという授業で自分だけ何も感じなくて、病院に行って初めて知ったんです。
味と匂いがしない分、舌触りや色で自分がこの食べ物を好きか嫌いかっていうのを決めていたのか、自分はただの偏食じゃないぞっていう言い訳ができたので、嬉しかったです。
でも、中学以降出会った人にそれを話すと哀れまれて、可哀想な子という空気になることが多かったんです。
それ以降、味や匂いがしないというのは、マイナスポイントだと思うようになりました。同情されて、哀れみの目を向けられるのであれば、ネガティブな感情は一切出さずに笑いに変える方が生きやすい。そう思うようになりました。
erica:中学生の頃はどんな生活でしたか?
くう:部活命でした。野球部に入りたかったんですが、女ひとりで入る勇気が出なくて、高校野球を応援できるように。と、吹奏楽部に入りました。そこからはもう、のめり込むようにハマって、部活のためだけに学校に行く生活をずっと続けていました。
同時期に好きな人ができて、中3で付き合って、高1で別れました。なぜか大学2年まで引きずり、結果、彼氏いない歴10年以上です。
erica:別れてからなぜ忘れられなかったんですか?
くう:すごくタイプだったんですよね。
彼は野球部で、共通の話題があって、話すと楽しくて、見た目もタイプだったんです。わたしみたいに不器用なのか、部活と勉強で精一杯な人でした。
いざ付き合ってからは、お互いの生活で忙しくて連絡を取らなくなり、わたしが勝手に「同情して付き合ってもらってるのかな、向こうは私の押しに負けただけなのかな。」って自信がなくなり別れました。
別れてからも、定期的に会ったり、彼の試合を見に行っていました。勝手に野球選手とファンのような位置づけを、自分の中で作っていたんです。
わたしの中では、高3くらいまでその関係性で納得していましたが、友達に話すと、「元彼にその位置付けはない。それはまだ惚れてる」って言われました。
わたし自身恋愛感情に疎くて、その人を初めて好きだと気付いたのも、周りに言われてだったんです。今回も友人に言われてから、まだ彼のこと好きなのか?って思うようになりました。
erica:大学時代はいかがでした?
くう:途上国開発のサークルに入って、ひたすらみんなで語り合っていました。
地方で一人暮らしをしていて、ホームシックになっていたのか、好きなプロ野球チームの試合を全試合観るのが生き甲斐になっていました。授業が終わり次第、「今日野球だから帰るね。」って直帰でしたね。
土日は、海外に行くお金を貯めるためにひたすらバイト生活。大学3年の秋に1年間休学して、実家に戻ってきたんです。休学して半年間、関西の国際NGOでインターンをさせてもらいました。
残り半年で、アフリカをフリーで周る予定でしたが、行く直前にコロナが来ました。そこからオンライン授業で復学して、犬の介護をしながら卒業しました。
erica:結局、アフリカには行けなかったんですか?
くう:大学2年の時に、2週間だけ知り合いに会いに一度渡航しています。
erica:中学校、高校時代でも、アフリカに関して何かされていたんですか?
くう:中2の時からチャイルド・スポンサーというNGO団体を支援をしています。毎月4500円を寄付する代わりに、自分だけのチャイルドが割り当てられて、その子と文通したり、プレゼントを贈れるプログラムなんです。
それで、タンザニアの子の支援をして、19歳の時にその子に会いに行きました。
ただ、中高は本当に部活命だったので、その子との関わり以外は特になかったです。
erica:恋愛はいかがでしたか?元彼は忘れられましたか?
合コンに行ったり、サークルで飲み会したり、マッチングアプリをしたりしたんですが、全然ときめかなくて。
自分の中で、まだ彼への気持ちが残っているかもしれないと思うと、それ以外はできなくなるタイプなので、他の人と付き合って忘れるのは向いていませんでした。
それと、別れてから時間が経つにつれて、相手の存在が美化されて、自分の中の理想の男性像が、元彼から出来上がってしまいました。
このままだったら、一生この人のことを好きでいてしまうと思い、20歳の時にもう1回告白して、振られて終わりました。
erica:その時は、どんなお気持ちでした?
くう:やっぱりなーって感じですね。私がアプローチ下手なのかもしれないんですけど、脈なしなことは事前になんとなく感じていたんです。
ただ、結果を決めつけて、そのまま一生会わないって寂しいじゃないですか(笑)。どうせ敗れるのであれば、気持ちを言って、終わらせたかったんです。自分勝手ですが、その記念も兼ねて最後に会ったので、これで次に進めるかなって思いました。
erica:今は、元彼に対する気持ちはどうですか?
くう:いまいち分かっていません。極端な話、急に向こうから連絡が来て、やっぱり付き合おう。と言われたら、すぐOKすると思います。
自分から連絡して会った場合、また好きになるイメージがついてしまってるので、そうならないために、二度と連絡をしないと決めています。
20代後半にさしかかって、周りが結婚を考えた行動をするようになり、あっやばい。そろそろ恋愛しないと置いていかれる。という焦りがあります。
erica:そうなんですね。今後、アメリカで達成したいことはありますか?
くう:人の繋がりを増やしたいですね。友達をいっぱい作ろうと思っています。
あとは、ひたすら英語力を上げる。人を好きになりたいので、そろそろ恋愛感情を思い出したいなと思っています。
未来:レソト王国に住んでみたい。という目標だけ掲げて、あとは流されるまま生きてみようかな。
erica:5年後10年後、あるいは亡くなる時まで考えてもらった際に、未来についてはどういったイメージをお持ちですか?
くう:何かしらの形でアフリカに一生関わり続けると思います。
できれば家庭を持ちたいので、20代、30代前半までに縁があれば結婚したいです。
erica:アフリカへの関わり方で、具体的なイメージはありますか?
くう:人助けかどうかは置いておいて、レソト王国という国に住みたいです。
そのためにも、日本でも、アフリカでも、それ以外の国でも働けるスキルや実績を身につけたいです。アメリカ生活が終わってからはレソトに住んでみようかなと思ってます。
erica:そこは、ある程度ご自身で決められているんですか?
くう:決めないで生きようと思ってアメリカに行くので、アメリカ生活が楽しすぎたら、一時帰国だけして、もう一回アメリカに戻るかもしれません。もう海外なんて無理だと思って、日本に帰ってきて就職するかもしれません。
最終的にレソトに一度住むという人生目標だけ掲げて、あとは流されるまま生きてみようかなと思っています。
erica:どうして、レソトに住みたいと思われたんですか?
くう:南アフリカの中にある、すごく小さな国なんですけど、その国を知ってから、なんとなくずっと惹かれているんです。
少し前に実際にレソトに行って、自然の壮大さ、人の明るさ、治安の良さを感じました。首都に住んで、週末に自然を見にドライブする生活を送れたら面白いだろうな。と、なんとなく思っています。
erica:人の明るさは、実際に現地の方と関わられて感じたことですか?
くう:そうですね。現地語なので何を言ってるか分かんないんですが、アジア人が珍しいのか、みんな話しかけてきてくれるんです。
ガイドと一緒に行ってたので、ガイドが全部訳して、君の服装を褒めてる。嫁いできたのか気になるみたいよ。とか言ってました。
ゲームが分からないまま、カードゲームで賭けをして負けたり、銀行で両替してたら前のおじさんが話しかけてくれて1時間喋ったり。
タンザニア、ジンバブエ、南アフリカにも行きましたが、なんとなく首都の空気感が良くて、レソトはすごく歓迎されてる感じがしました。
erica:家庭を持ちたいという点は、何か具体的なイメージはありますか?
くう:自分で産むことにも興味はあるんですけど、それに拘らず、特別養子縁組や里親にも興味があります。
なので、家庭を持ちたいというよりは子供を育てたい。なおかつ、同じところに向かって協力してくれるパートナーがいたらベストかなと。
結婚に対しては、あまり良いイメージがなくて、想像した時に結婚=墓場というイメージが強いんです。
幸せな家庭を築きたいと思う一方で、万が一離婚したり、何があっても自分1人で育てていける経済力や、余裕が欲しいと思っています。
erica:もしもの質問なのですが、同窓会で告白されていた時に、もしOKを貰っていたとしたら、どうなっていたと思いますか?
くう:まずは飛び上がりますね(笑)。高1の別れた時は、最終的には自分に好意を寄せられているのか分からなくなって、自信がなくなったんです。
忙しそうな生活だし、それだったら身を引いた方がいいんじゃないかな。って思って別れました。もしもう一度付き合えたら、振られない限りは振らない。弱い部分も見せる努力をしたいです。
もちろん、脳内で美化された分、イメージと全然違っていて、勝手に幻滅してまた別れる可能性もあります。
ただ、もし、あの時点で付き合ってたら、何年も引きずる、今もたまに思い出すようなことはなくなっていたかな。今よりは次の恋愛に向かえていたんじゃないかなと思います。
erica:今もたまに思い出すことがあるんですか?
くう:人に弱音を吐けない分、精神的に辛くなったら夢に出てくるんですよ(笑)。夢に出てきたら、もうすぐ病むぞ。っていう自分へのアラームです。
実はこの間、同窓会の連絡が来たんです。友だちが企画してくれて、久々に会えるかもしれない。と思っていましたが、彼は都合が悪くて不参加みたいで。
友人に聞いた時に、自分の中で頑なに会わないって決めていたけど、時間をかけて友人と準備していたら、もう1回会えていたのかなとか。考えてしまいますね。
今何の仕事してるんだろう、元気なのかな、彼女いるのかな、とか気になります。これを果たして未練と呼ぶのか、ふと思い出した感情なのか分からないまま、忙しさで頭を埋めて考えないようにしています。
erica:改めて考えてみると、未練なのか、ふとした感情なのか、どちらだと思いますか?
くう:どっちなんだろう。両方かな?彼との出会いが自分に与えた影響力が大きすぎたんですよ。昔のわたしは、本当は男に生まれたかったくらい、男っぽかったんです。
彼を好きになってから、少しでもよく思われようと、前髪を作ったりとか、スカート履いてる時に足開くのをやめたりしました(笑)。
今の自分が変わるきっかけになった基盤のような存在になってしまったんですよね。なので、ふとした時に思い出すのかなと思いますね。
あとは、野球をしてる姿は本当にカッコ良かったので、ファンっていう位置づけも残っていると思います。
erica:読者に対するメッセージでも、インタビューを振り返っての感想でもいいんですが。何か言い残したいことはありますか?
くう:読者に対して言うのであれば、恋愛や夢に対して不安を抱いてる人に、大丈夫だよって言いたいです。
恋愛経験の少なさに対する負い目というか、引け目が自分自身すごく強いんです。25歳になっても、本当の夢から逃げて、恋愛にも目を背けて、こういう人間もいるから大丈夫だよ。焦らないでって言いたいです。
自分自身に対しては、人に頼ったらダメだ。というレッテルを自分自身で貼っているので、もうちょっと弱音を吐いて、周りに頼って生きてみたら生きやすくなるんじゃないの?って言いたいです。
erica:くうさんが思う、アフリカの魅力って何ですか?
くう:私が思う魅力は、やっぱり景色の規模の大きさと、人の優しさですね。
みんなに「アフリカに行こうよ。」って言っても、なんとなく怖い、行きにくいと思う人が、わたしの周りには多いんです。
そもそも、アフリカっていう1つの言葉の中にも、50カ国以上の国があるので、「もっと知ってよ。みんな惹かれるから。」っていう気持ちが強いですね。1ヶ所行くと全部見たくなりますよ。
erica:今は、何カ国行かれているんですか?
くう:今は4カ国です。
erica:今後は、他の国も?
くう:そうですね。アフリカは全部行きたいですね。現地の人と触れ合って、良さを広めて、来てみたいけどどこか不安な人たちが、訪れやすい環境を作りたいです。まずはアメリカで足掻いて、鍛えて、楽しめればなと思っています。
あとがき
正直、私もアフリカに対して、ちょっと怖いし行きにくい地域というイメージが今でもあります。そんなデータや悲惨な事件を知っているわけでもないのに、なぜかそういうイメージがあるんですよね。
人間は、よく知らないものに対して不安や恐怖を覚えるように出来ていると、どこかで聞いたことがあります。確か、狩猟の最中に油断して敵に襲われないようにするためだったような。
知らないものに対して何も警戒心を抱かなかったら、無防備すぎるとも思いますが。やっぱり何も知らないのにネガティブなイメージを抱くのも厄介だなと感じます。
アメリカ生活、充実しておられるといいな、と思いながら。私もいつかアフリカに1回行ってみたいです。
改めて、インタビューへのご参加ありがとうございました!次回の無名人インタビューもお楽しみに。
【インタビュー・編集・あとがき:erica】
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